BPM74のワルツ(イメージ)

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失われた時を求めて〈3〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈1〉
マルセル プルースト Marcel Proust 鈴木 道彦
集英社 (2006/05)



 3巻目に入って、だんだん面白さを増してきた感じ。「語り手」の暴走する妄想力が素晴らしくDT。19世紀のみうらじゅん、と言ったところでしょうか。全くロマンが欠けた表現ですけれど。最高です。あとは、語り手が超憧れてた作家がいて、その人の書く小説に自分が書くものもむちゃくちゃ影響受けてるんだけど、会ってみたら「うへっ、結構コイツ俗っぽいぞ」なんて気がついてしまったりするのも中二病的でよろしい。それまでアイアン・メイデンとか北欧の速弾きギタリストマンセーだった中二が、イエスとかキング・クリムゾンとか聴いてぶっ飛んで「アイアン・メイデンなんてクソだよ」とか言い出すのにも似ている(それは俺だけど)。





 いつものようにどうでも良い感想を書き綴ってしまいましたが、人がどんな風に本を読んだって勝手でしょ、と自己弁護。P145-146とか爆笑ものですよ。好きな女の子とじゃれあってるうちに「つい快楽をもたらしてしまった」というところね。触られただけで射精してしまいました的な(そこまで露骨に書いてないんだけど)。特に「つい」というところが良いです。予期せずして…と。





 「語り手=DT」という曲がった解釈はさておき、大変音楽的な比喩表現が多くて面白いです(『プルーストを聴く』という本が出ていますが)。知っている固有名詞も出てくる。19世紀末を知っているフランスの音楽家といえば、マルグリット・ロン、アルフレッド・コルトー、ジャック・ティボーの名前が思い起こされる。彼らはプルーストとほぼ同年代だから、もしかしたらプルーストがロンのモーツァルトや、コルトーとティボーのフランクを聴いていたりするのかもしれないなぁ、と想像すると楽しい。





 文章の流れのイメージは、BPM74ぐらいのワルツな感じ。読んでいてそのリズムに乗ってくると体が文字の中に溶け込むように読める。





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ジョージ・マーティンの『プロデューサー講座』

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ビートルズ・サウンドを創った男―耳こそはすべて
ジョージ マーティン George Martin 吉成 伸幸 一色 真由美
河出書房新社 (2002/08)
売り上げランキング: 101,843



 「5人目のビートルズ」と呼ばれたビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンの自伝。初期ビートルズを聴き直しているのも、この本を読んでいたからだったりする。原文で読んでいないのに「翻訳が…」なんて言うのは、ちょっと変かもしれないけれど、これは明らかに翻訳が微妙…。英語は読めるけれど、日本語が下手な感じで意味がつかめない箇所が多い。イギリス人っぽい皮肉混じりのジョークを日本語に置き換えようとすると無理が出てきてしまう、ということなんだろうか。





 ともあれ、面白い本である。内容が濃ゆい。私のようにちょっとビートルズに入れ込んでいた人間であれば「ジョージ・マーティンは何者か?」というのは当然のように気にかかるところであるから。この人、結構いろんなことをやっていて、第二次世界大戦中はイギリス空軍のパイロット候補生だったとか言うエピソードが面白い。後はEMI入社直後、クラシック部門に配属されているときの仕事だとか、出てくる面子が異常に豪華。トーマス・ビーチャム、チャールズ・マッケラス…とイギリスを代表する指揮者の名前が出てくる。ビートルズが登場する前から楽しませてくれた。ビートルズ関連で一番熱いのは『Sgt. Pepper's …』の制作秘話だろうか。





 15章に分けられていて、自叙伝的な部分と、ジョージ・マーティンによる「音楽講座」みたいな部分が交互にやってくる。その「音楽講座」も大変面白い。私は別に音楽製作をしているわけじゃないけれど、音楽産業初期から現在まで機材の変遷など心惹かれるムダ知識である。あと「プロデューサーになるなら音楽ちゃんと勉強しとけよ」とか言ってる。





 読んでいて退屈なのは、EMIの待遇の悪さと契約上の揉め事の話ぐらい。そういうのはどうでも良いんだよな。ただのグチだし。でも全体として良い本です。



Yellow Submarine (Original Motion Picture Soundtrack)
The Beatles
Capitol (1990/10/25)
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 ジョージ・マーティンの「最高傑作」となるとやはり↑のアルバムに収録された「ジョージ・マーティン・オーケストラ」の演奏によるサントラになるんだろうか。結構みんな馬鹿にしていますけれど、良いですよ。





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悲しき、ヒステリック・サマー

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券が売れず野外コンサート中止 白河で来月開催予定


 鈴木雅之や「DA PUMP」ら人気アーティストが出演し、福島県白河市で7月30日に開催する予定だった野外コンサート「ヒステリック・サマー2006inしらかわ」が、チケットの販売不振から中止されることが26日決まった。出演料の補償などで5000万円前後の損害が出る見通し。


 実行委員会によると、1万5000枚を目標にチケットを販売してきたが、20日現在で1100枚ほどしか売れていない。実行委員長の和知繁蔵・白河商工会議所会頭は「このままでは採算ラインの6000枚に届かず、中止せざるを得ない」と説明した。


 コンサートにはほかに、鈴木聖美やJAYWALKらが顔をそろえる予定だった。実行委は仙台、首都圏でもチケット販売を見込み、仙台と東京からはバスツアーが企画されていた。実行委は「チケットを購入した人には速やかに返金したい」と話している。連絡先は実行委事務局0248(24)5341。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060627-00000005-khk-toh



 私の地元、福島県でなんとも悲しすぎるニュースが。出演予定だった人たちもなんとも微妙なのがまたイタい。「白河市合併記念イベント」として催されたようだけれど、もうちょっと良い人選は無かったのか…と思う。心が痛むね。




 まるで地元自慢のようになってしまうけれど、福島県は決して「音楽」と無縁の土地ではないのである。場所は東北、かつて蝦夷が住んでいた蛮族の土地ですけれどね。クラシックでは小林研一郎(炎のコバケン、いわき市)、NHK交響楽団のヴィオラ・フォアシュピーラーでモルゴーア・カルテットメンバーの小野富士(福島市)などがいるし、他の分野では遠藤ミチロウ、大友良英など非常に濃ゆい人たちを輩出しております。あ、あとサンボマスター、山口隆とかバック・ホーンの人とか、あとラグ・フェアーの引地洋輔とか、一杯いるんだかんね!ふぐすまのごど、馬鹿にしてっど、ひっぱだぐがんな!!*1



「今度、白河も合併すっぺした。記念になんかやんねがい?」


「ほだない。つっても、なにやったらいんだべ」


「あれだ。今、ロックフェスっつーのが流行ってっぺぇ。あだのオラほのどごでもでぎんじゃねがい」


「おめ、いいごど言うなぁ。そしたら、早速やってみっぺ」



 実行委員会がイベントをやろうとした経緯を想像するに、こんな会話があったんじゃなかろーか。やるならミチロウとか大友良英とか呼んでフジロックと開催日重なっていても「やべーな。これ行かなきゃ」ってメンツで固めりゃよかったのにさ(地元色アピールしつつ)。




*1:ちなみに、小野富士、遠藤ミチロウ、大友良英、引地洋輔(あと俺)、同じ高校ね。この辺のスキゾっぷりが私の高校のキチガイっぷりを表しているのだが





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貧乏パワー

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Please Please Me
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The Beatles
Capitol (1990/10/25)
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 昔の私といえば「ビートルズは『Rubber Soul』以降しか聴く意味ないだろー」とか言っていたのだが(もちろん好きなメンバーはジョンで、あとジョージ)、最近になってガラリと聴き方が変わり「うひょー、『Twist & Shout』最高!」などと言って初期ビートルズ(アルバムにまだカヴァー曲が含まれていた時期)を聴いている。いつまでも「このアルバムの価値は…」とか言って分かったようなふりをして聴いている場合では無いのである。なんっつーか、単純に楽しければ良いんじゃない?と思う。





 EMI傘下のパーロフォンレーベルからデビューしたビートルズのファーストアルバム『Please, Please, Me』が僅か一日でレコーディングされたことは、もはや伝説として語り継がれている事実であるが、当時のパーロフォン(代表はジョージ・マーティン)は怪優ピーター・セラーズのコメディ・ソングなんかを細々と出してなんとか生き延びているような状況であったらしく、「スタジオが一日しか取れない」なんてのは仕方ない話だったみたいだ。起死回生をかけてデビューさせるバンドなのに…。





 まぁ言ってしまえば、すげー低予算で作られているわけで、貧乏な感じとかが聴いていて伝わってくる。個人的に「金がかかった音楽はなんでも手放しで褒める」という性格なので「貧乏サウンド」は敬遠しがち。けれども、テンションだけは無茶苦茶高くて、ポールが甘いポップ・ソングを歌っているときでさえ、『Sister』を出した頃のソニック・ユースぐらいの気合が入っている。カッコ良い。





 考えてみれば、ビートルズもブライアン・エプスタインの売り込みも虚しく、パイ、フィリップス、それからデッカと様々なレコード会社から「お前んとこのバンドがやってるような音楽はウチじゃ出せん」と云われてたわけで、切羽詰っていたのだ。一種のジリ貧状態から生まれてくるパワーっつーのは、軽々とお金のパワーを飛び越える、ということだろうか。演奏は無茶苦茶ヘタクソだけれど、関係なく楽しくなってしまう。





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《ゴルトベルク変奏曲》という音楽史上の特異点

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 予想していた内容とは全然違っていた。小沼純一の著書の中では「あんまり…」という内容。《ゴルトベルク変奏曲》というバッハの作品を歴史的・楽理的「読み解く」という感じで、結構シンプル。普通のアナリーゼみたいなものにページを割いてるんだけれど、こういうのは別に小沼純一じゃなくても書けるよなー、と思ってしまった。





 本の内容とは関係ないのだけれど、私はこの《ゴルトベルク変奏曲》という作品を音楽史の中の特異点的存在なのではなかろーか、と思っている。この曲が書かれた経緯に関して「不眠症で悩んでいたカイザーリンク伯爵という人がバッハに『なんか聴いていて眠れるような曲書いてよ』と頼んで書いてもらい、伯爵が寝るときにゴルトベルクという人が弾いた」という逸話があるんだけれども、この逸話の真偽はさておき、音楽史のなかでそのような「実用的要請から作られた曲」ってあったんだろーか、と思うのである。




 「音楽は音楽そのものしか表現しない」というような絶対音楽な流れが生まれるまで、音楽というのは常に「何らかの添え物」としての意味合いが強かった。例えば宮廷舞踏のための音楽であったり、劇のための音楽であったり、また宗教の賛美歌であったり。《ゴルトベルク変奏曲》もまた「安眠のための音楽」ということができるけれど、先に例示した音楽が添えられた対象はすべて「非日常的なもの」であったのに対して、「安眠」というのは日常性が強い。舞踏、劇、宗教が現実的な生活から切り離されたところにあるのに、《ゴルトベルク変奏曲》は現実的な生活のコードに即して書かれているのである。『西洋音楽史』*1の中では、貴族たちの生活で食事中「雑音を消すために」音楽が演奏されていたという記述はあったけれど、そこで演奏された曲は必ずしも「雑音を消すため」に書かれていたとは言えない。





 《ゴルトベルク変奏曲》のように現実的な生活のコードに即して書かれた作品は、「チルアウト」というジャンルが文字通り「落ち着く」ための音楽として現れてくるまで存在しなかったのではないだろうか、と私は思う。「だからなんだ?」って言われたら「そう思っただけなんですよ」としか答えようが無いんだけれども…。しかし、《ゴルトベルク変奏曲》で私は眠れません。変奏の形だとか、分散的に置かれるトリルだとか耳で追うと興奮してしまうよ。



バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)
グールド(グレン) バッハ
ソニーミュージックエンタテインメント (2004/11/17)
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 高橋悠治やアンドラーシュ・シフの演奏も良いけれど、やはりグールドの演奏が好きだ。私はピアノという楽器が大嫌いだったのだけれど(デジタル的に設定された調律だとかに非人間的なものを感じていた)、この録音で目が覚めた。それから多分、200回は聴いている気がする。グールドのハミングを聴くと主旋律から急に内声を歌いはじめたりして面白い。あと強音を弾くときに、ハンマーで叩かれた弦の音がするのが気持ちよい。ピアノが弦楽器であることを意識させる演奏者はグールドぐらいしかいないんじゃなかろうか。





 ちなみにこの時期、グールドの使用していた楽器はYAMAHAだそうな。






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そうか、バッハは異端だったのか

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西洋音楽史―「クラシック」の黄昏
岡田 暁生
中央公論新社 (2005/10)



 「そういえば音楽史について真面目に勉強したことって無かったな。全て耳学問だ…」という事実に気がつき、評判が良かった本を一冊読んでみた。まぁ、新しく知った知識はそれほど無かったのだが、それでも結構面白かった。特にバロック時代におけるJ.S.バッハの位置づけは非常にスッキリさせてもらった感あり。第3章までが割と収穫だった。「歴史っておもしれーなぁ。熱いなぁ」と最近は友人と話している。私がミシェル・フーコーのファンなのも、彼の著作が「歴史の読み物」としても超面白いという点に尽きる。その歴史本の中に自分の言いたい権力論を織り込んでいく書き方が見事だよなぁ。





 この本でも序盤の方に西洋芸術音楽におけるエクリチュール至上主義について触れられている。そういった態度からは、音楽とは「楽譜に書かれたもの」であり「必ずしも耳に聴こえる必要はない」という一種の聴衆無視とさえ受け取られるものが生まれているのだけれど、「さすがにそれは問題だよな」と思う。以前、ピエール・ブーレーズの《アンシーズに基づいて》という曲を聴いたときも似たような問題について考えた。この作品は3台のハープ、3台のピアノ、3人の打楽器奏者のための作品なのだけれど、折角豪華に3台もハープを使用しているのに全く楽器の音が聴こえないのである。原因はハープとピアノと音色が似ているためでも、音量不足でもあるだろう。っていうか「楽器の選択が間違ってるんじゃないの?(作曲の段階で)」とさえ思った。超絶技巧を要する曲でハープ奏者は一生懸命弦を爪弾いている、しかし、悲しいほどに音は聴こえてこない。その姿はちょっと滑稽だった。





 例えば、その状況に「ピアノによってかき消された《沈黙のハープ》は、聴衆の前に《演奏の身振り》という身体的なパフォーマンスを提示する」だとか「大音量で掻き鳴らされたピアノの前に、ハープ(女性の象徴!)は抑圧された状況におかれ、現代社会に根強い女性蔑視を暗示しているのである!!」などと意味づけを行うことは可能だ。が、あまりにもバカバカしいし、ここで今適当につけた意味をブーレーズに問うたとしても、冷笑されるか、無視されるか、あるいは激怒されて背中に火をつけられるか、だと思う。しかし、こういう「聴こえない音」が含まれる作品を書いておいて「私は現代音楽の未来に、なんら不安を持ったことはない」とか言われてもなぁ…。





 音楽史とは全く関係ない話になってしまった。岡田暁生、小沼純一、渡辺裕の著作には外れが無いですね。





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トランペットの雑学

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Trumpet Evolution
Trumpet Evolution
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Arturo Sandoval
Crescent Moon (2003/05/06)
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 id:mochilonさんのところに「ロータリー式トランペットはジャズで使われないのか?」という素朴な疑問が書かれていたので、その疑問に少し答えられるような記事を書いてみる。





 ピストン式とロータリー式の違いについては大雑把に言って、前者が「音色が派手」、後者が「音色がまろやか」ということになる。クラシックにおいてロータリー式が使用されるのは、主に「ドイツ物」をやるとき。ロータリーの甘美な音色が弦楽器や木管楽器と溶け込み易い、とされている。日本のオーケストラでもドイツ物をやるときは今結構ロータリー使っているところが多いですよね。ただし、トランペット奏者というのは大概「マニアックな人種」が揃っていて、プロは言うにおよばず、アマチュアの人でさえ「一人5本が当たり前」みたいな世界だから、人によっては「ベートーヴェンの○○という曲でロータリーは微妙だよね。あれは調性的にも合わないよ」などと言っていたりする。





 じゃあ、何故ロータリーはピストンよりも「まろやか」になるのか、というとこれはもちろん構造上の違いにあるわけです。http://www2.yamaha.co.jp/u/naruhodo/05trumpet/trumpet1.html#2を参照してもらえば分かり易いのだけれど、ロータリーの方が構造が複雑だ。管が途中でグルグル曲がったりしていて、その分必然的に息が通り難く、抵抗感が生まる。要するに吹きにくい。この吹きにくさが「まろやかさ」の秘密であって、ピストンのようにストレートに鳴ってくれないから、ロータリーの音色は「まろやか」なのだ。




 まぁ、構造上の違いを説明しないまでもジャズ、特にバップ期に話を限定するならばロータリーを使われないのはなんとなく理由が見えてくる。何せ、クラシックでは「弦楽器と管楽器と音色が溶け込み易い」と言われているぐらいだから。溶け込んじゃうのである。マズいだろう、それは。バップ期のジャズなんて「俺が、俺が!」の世界であって、それこそニューヨークのジャズ・クラブでは毎晩アドリブ勝負だのが行われていた時代に、溶け込んじゃマズいだろう。そこは主張しないと。だから、トランペッターが選ぶ武器は派手な音色が出るピストンなんじゃなかろーか。マイルス・デイヴィスの自叙伝を読むと「俺はフリューゲル・ホルン*1が大好きだったんだ。あれはすげー楽器だ。豊かで甘い音色にシビれたね。でも、あれはジャズにはむかない楽器だ。音が負けちゃうからな(意訳)」って書いてあるし。まろやかはダメ、絶対なのかもしれない。





 ちなみに↑に挙げたのはキューバのトランペット奏者、アルトゥーロ・サンドバルのアルバム。この人はもうバカテクもバカテクで、ジャズもクラシックも吹けるというトランペッターである。このアルバムでもピッコロ・トランペットを使ってコンチェルトを演奏しているが、表情豊かな表現が面白い。特にロータリーを使っているわけじゃないけれど、ジャケットが良かったので。ちなみにこの人はジャコ・パストリアスのビッグ・バンドにも参加している。




*1:ロータリーよりもまろやかな音が出る





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戦場で紡がれた思索

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俘虜記
俘虜記
posted with amazlet on 06.06.22
大岡昇平
新潮社 (1967/08)
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 大岡昇平を初めて読む。「何故、アメリカ兵を撃たなかったか」という思索よりも、俘虜の頭の中に浮かぶ「どうでも良いような問題」の方が面白かった。人間というのは暇な時間があると色んなことを考え付くのである。それは信仰の問題であったり、俘虜が唄う俗歌が帯びる西欧音楽の影響であったり、男女の性の問題であったりする。俘虜の身でそんなこと考えてどうするんだろう…、と思うのだけれど。インテリが故に考えなくてはいけない、考えることが浮かんでくるというのも少し煩わしいんじゃなかろーか。





 俘虜生活というとまるで古代の奴隷のように働かせられているイメージを抱いていたのだが、全然そんなことはなく、盗みはするは酒は飲むはですごくユルい。主人公、大岡が米軍に捕まる前までの戦場経験は凄惨過酷で「うーむ、こういう経験をしている人の言葉は重いんだろうなぁ」などと思うのだが、捕まってからはどんどん生活が柔らかになり、花輪和一『刑務所の中』を凌ぐユルライフを過ごしているようにも思えた。





 大岡昇平にこの小説を書かせるキッカケとなった小林秀雄の「何でもいい、書きなせぇ。書きなせぇ。他人の事なんか構はねえで、あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんぢやねえぞ」という言葉は私には無性に良い言葉に思えた。作者の「魂」を描く芸術作品、なんていうのは過度にロマン化された考えだけれど、惹かれるところはやっぱり存在する。作者の意図はどうあれ「あぁ、これは気合っつーか魂を感じるなぁ」と熱く信じさせてくれるような作品に触れていたい。





 あと関係ないけど、マージンFXのひまわり証券さん、ニンテンドーDS Lite欲しい!





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スウェーデンの悲劇的作曲家(の歌曲)

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Allan Pettersson: Complete Songs
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 ドイツ、フランス、イタリアといったクラシック音楽の中心地から距離的に離れているせいなのか北欧には、変わった音楽家が多い。それは現代でもそうで、特にフィンランドは畸形的なロックを奏でるバンドがたくさんいて結構面白い。フィンランドと言えば、ジャン・シベリウスという作曲家がいるけれども、そのシベリウスの名前を冠した「シベリウス・アカデミー」という音楽学校からポンポンとそういう変な音楽をやろうとする人が出てくるのは、もはや文化的風土として「おかしな音楽をやろう」という姿勢があるとしか思えない。





 まぁ「北欧」と言ってしまうと随分大雑把な分類だけれど、フィンランドにも変わった作曲家がいる。ギュスターヴ・アラン・ペッテション。1911年、グスタフ・マーラーが死んだ年にストックホルムで生まれた20世紀最大の「悲劇的」作曲家の一人だ。ペッテションは一曲も「悲劇」など書いていないのに「悲劇的」なのは、「悲劇的な生涯を送った」、ということにある。生まれからして貧民街で、アル中の父親の暴力の下で育ち、敬虔なキリスト教徒だった母親が歌う賛美歌で音楽に目覚めた、というエピソードだけでも結構涙ぐましい話なんだけれど、彼の不幸ストーリーはそれだけで終わらない。苦労して音楽院を卒業し、作曲活動をしながらオーケストラのヴィオラ奏者として働きはじめ、念願の音楽家になる夢を掴んだのも束の間、原因不明の関節炎で彼は楽器が弾けなくなってしまう。「まぁ、俺には作曲もあるからな」と作曲に専念すると関節炎はどんどん悪化して、ペンも持てない状態に。最後には癌に見舞われて、1980年に死んでしまう。これを「悲劇」と言わずして何と言おうか、という感じだ。


 


 しかし暴力、貧困、病、つぎつぎと襲う不幸のなかで、17曲も交響曲を書いているのだから、ペッテションという作曲家はなかなか立派な仕事をした、とも言える。けれど、どれもものすごく暗い。ほとんどの作品が一楽章で構成されていて、しかもどれも長い(平気で40分を超える)。特徴的なのはオスティナートが執拗に反復ところ。調性感も希薄。ドロドロと巨大な音の群れが運動している様子は、ペッテションの内面そのものなのかもしれない。「人間の暗黒面」というか。まぁ、気が滅入る曲なんだけれど、ときどきその黒い雲みたいなものが晴れる瞬間があって、そこがものすごく美しい。分かり易いけれど、「救われる」というか。延々とムチを打たれた後に貰う飴っつーか、そういうのは割と肉体的な音楽な気がするけれど、こういうのも私は結構好きだ。代表作の交響曲第7番と第8番のCDを時々聴き返す。





 今日、中古盤屋を物色していたら投げ売られていたのが、ペッテションの歌曲全集。全集と言っても24曲の歌曲集《裸足の歌》(1943-1945)と《6つの歌》(1935)という作品しかないので、CD一枚。「どんだけ暗いのだろう…」と期待して買ったのだが、案外普通で拍子抜けしてしまった。でも聴き続けてみたら単純に「良い曲だなぁ」と思った。作曲年を見ても分かるように、当時既に12音音楽や無調という流れは起こっていたはずだけれど、そんなの全然関係ない感じで叙情的なメロディが歌われている。シベリウスのように「フィンランドの自然」といった具体的なイメージを喚起させるわけではないけれど、ほの暗く、そして冷たい美しさがあって魅力的だ(《裸足の歌》はシューベルトが意識されているんだろうか)。ピアノの伴奏は簡素だけれど、和声などには印象派の影響も感じられる。病気の痛みと闘いながら交響曲を書いていた頃とは別人のようなペッテションの姿を見たような感じ。





 「美しくて分かり易いから、ペッテション入門に良いですよ」とは薦められないけれど(最も評価されている時期のペッテション作品とは性質が全く異なるから)、普通にお薦めです。20世紀の「聞きやすい」歌曲といえば、クルト・ヴァイルぐらいしか知らないけれど、ペッテションも良いかも。







 ペッテション作品のCDはドイツのCPOというレーベルから発売中。演奏者はバラバラだけれど、主要作品はほぼ出ているはず(交響曲第1番、第17番は作曲者自身が破棄しているため出ていない)。





交響曲



Allan Pettersson: Symphony No. 2; Symphonic Movement
Gustaf Allan Pettersson Alun Francis Glasgow BBC Scottish Symphony Orchestra
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Allan Pettersson: Symphonies Nos. 3 & 4
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Pettersson: Symphony Nos. 5 & 16
John Edward Kelly Gustaf Allan Pettersson Alun Francis Saarbrucken Radio Symphony Orchestra
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Allan Pettersson: Symphony No. 6
Gustaf Allan Pettersson Manfred Trojahn Berliner Sinfonie-Orchester Deutscher-Symphonie-Orchester Berlin
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Allan Pettersson: Symphony No. 7
Gustaf Allan Pettersson Gerd Albrecht Hamburg State Philharmonic Orchestra
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Allan Pettersson: Symphony No.8
Gustaf Allan Pettersson Thomas Sanderling Berliner Rundfunk-Sinfonie-Orchester
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Allan Pettersson: Symphony No. 9
Gustaf Allan Pettersson Alun Francis Berliner Rundfunk-Sinfonie-Orchester Deutscher-Symphonie-Orchester Berlin
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Pettersson: Symphonies, Nos. 10 & 11
Gustaf Allan Pettersson Alun Francis Hannover Radio Symphony Orchestra
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Allan Pettersson: Symphony No. 12
Allan Pettersson Manfred Honeck Swedish Radio Symphony Orchestra
CPO (2006/05/16)




Allan Pettersson: Symphony No. 13
Gustaf Allan Pettersson Alun Francis Geoffrey Trabichoff Glasgow BBC Scottish Symphony Orchestra
CPO (1995/01/25)
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Allan Pettersson: Symphony No. 14
Gustaf Allan Pettersson Johan M. Arnell Berliner Rundfunk-Sinfonie-Orchester
Cpo
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Allan Pettersson: Symphony No. 15; Das Gesegnete, das Verfluchte
Gustaf Allan Pettersson Peter Ruzicka Peter Ruzicka Berliner Rundfunk-Sinfonie-Orchester
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協奏曲



Allan Pettersson: Violin Concerto No. 1; Chamber Works
Eckart Hubner Bernhard Schmidt [cello] Bernhard Schmidt [percussion] Johannes Peitz Gustaf Allan Pettersson Albert Schweitzer Quintet Mandelring Quartet Christiane Dimigen Volker Banfield Michael Scheitzbach
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Allan Pettersson: The Concertos For String Orchestra
Gustaf Allan Pettersson Johannes Goritzki Deutsche Kammerakademie Neuss
CPO (1994/10/25)
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 ジャケットが良いですね。





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今一番、好きなバンドについて。

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 今年のゴールデンウィーク。実家へ帰った際、友人が出演しているライヴに連れて行かれ、そこで対バンしていたバンドにゾッコン惚れ込んで(死語)しまうという事件がありました。バンドの名前は-W-(ワイキキ・チャンピオンズ*1)。ファンクでニューウェーヴでハードコアでロカビリーで変拍子のブルース…という私の好きな要素がごりごりに盛り込まれたバンドです。




 ギター/ヴォーカルのKくんとはその後打ち上げで、伊藤正則とプログレと空耳アワーの話で盛り上がりつつ、テキーラをショットで飲み比べ、会えば「朋輩よ!」と叫びつつヒシと抱きしめあう仲になりました(微妙に嘘)。-W-は音源制作中だそうですが、彼のもう一つのバンド「Brazil*2」が先日行われたライヴ音源を公開していたので、こちらで紹介してみます↓





 http://music.geocities.jp/rdhyq853/index.html





 現在、仙台を中心に活動している彼らですが、東京でも観たい。このブログをご覧の方でバンド活動をしている、あるいは自主イベントを開いているという方がいらっしゃいましたら是非東京に誘致してあげてください。応援しています。






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キター!!

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http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1372685


 発売されることを知り、詳細の発表を心待ちにしていたレオニード・コーガン10枚組ボックスの収録曲が発表された。私が4年間再発を心待ちにしていたキリル・コンドラシンとのショスタコーヴィチのコンチェルトが収録されている。実はこの演奏、この前コンドラシンのショスタコーヴィチ交響曲全集再発の際にオマケでついていたのだが、コンドラシンの全集は既に持っていたため、すごく購入を迷っていたのである。やっとこれで手に入るぞ。ブリリアントレーベル最高。




 この他にも、グバイドゥーリナ、カンチェーリ、シュニトケより更に知名度が無いけれど、ポスト・ショスタコーヴィチ世代の作曲家として実力が高い(と聞いていた)エジソン・デニーソフの作品も収録されているのが注目されるべきところ。あと珍しいのは、「ジダーノフ批判*1」を行ったことで有名なフレンニコフの作品も聴ける(この人、まだ生きているらしい)。





 コーガンの録音はパガニーニのカプリースぐらいしか手に入らず、可哀想なぐらい廃盤ばっかりだったのでこれは嬉しすぎる。泣ける。ダヴィッド・オイストラフのボックスセットは既発。今度、コーガンということは、次はオレグ・カガンの10枚組を期待します。それさえあれば、聴いておきたい旧ソ連の名ヴァイオリン奏者はコンプリートされると思う。




*1:ショスタコーヴィチの作品はインテリ臭いからダメだ!と批判し、ショスタコーヴィチが公職追放された事件





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ハーンの鼻がもっとカッコ良かったら、世界は変わっていただろう

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バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番&第2番
ハーン(ヒラリー) カヘイン(ジェフリー) ロサンゼルス室内管弦楽団 バッハ バーチャー(マーガレット)
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 6/14の毎日新聞の夕刊でヒラリー・ハーンがインタビューに答えている記事があり、26歳の若手とは思えない発言をガシガシ繰り出していた。「自分の意にそむいて相手に合わせても、相手は責任を取ってくれません。自分が思うことの信念を通せば、結果はどうなろうとも構わないと思います」…だって。





 最近の演奏家って大概「○○コンクール優勝!」「最年少で○○コンクール入賞」とか経歴がついてデビューしてくるのだけれど、彼女の場合「コンクールの背後にある政治が嫌い」という理由でコンクールには一度も出ていないらしい。けれど、彼女が若手ナンバーワンの実力者だと思っている人は多い。人気がある人なのである。まさに「無冠の女王」。諏訪内晶子の代役で来日していたけれど、はっきり言って諏訪内なんかよりずっと良い演奏を聴かせるはずだ。





 と絶賛しつつも、ソニーからドイチェ・グラモフォンへレーベルを移してからのハーンの録音をまだ耳にしていなかった。ので友人に借りて聴く。バッハの作品でデビューした彼女の二度目のバッハ。ものすごく端整な演奏で好感を持った。この人の魅力は、猛烈でわざとらしいルバートなどを使わず、あくまでクールに演奏していくところにある。硬い膜の中に弦の豊かさが感じられる音色も良い。不感症ギリギリの内に秘めたパッションというか。ハイフェッツと比べられるのも分かる気がする。この演奏には「バロック音楽的なヌルさ」は一切無い。新鮮で現代的なバッハ。昨年のクレーメルの二度目の『パルティータ&ソナタ全集』とはまた違ったアプローチで、こういう攻め方もありか…と思った。





 この録音唯一の不満は、《2つのヴァイオリンのための協奏曲》で第二ヴァイオリンのソリスト(伴奏を担当したロサンゼルス室内管弦楽団のコンサートマスターが受け持っている)とハーンの実力が歴然としすぎていること。ハーンと比べると第二ソリストの音色は笑っちゃうぐらい貧しい。しかし、逆にそうやって音色の差をつけることによって、複雑なフーガの主旋律と対旋律を明確に提示しているのかもしているのかもしれない。…けど、これ明らかに技量が追いついてないだろ…。ハーンのテンポに追いつこうとして、音の処理が雑になったりしてるもん…。





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ベシバギ、ドガ

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Chosen Lords
Chosen Lords
posted with amazlet on 06.06.18
AFX
Rephlex (2006/04/18)



 リチャード・D・ジェイムスの「AFX」名義での活動、アナログ11枚連続リリース「Analord」プロジェクトから10曲セレクトし、リミックスを加えた編集盤を聴く。Analordシリーズはほとんど、アナログ盤からMP3にした海賊音源で聴いていて、なんか音が軽く「変態臭いけど、なんか微妙だなぁ」と感じたけれど、この編集盤で聴いたらむちゃくちゃ音が図太くてカッコ良かった(そのアルバムが良いか悪いかって判断するものに、音圧だとかってなかなか重要なものなのである)。むしろ「頭悪そう…」なぐらい太い低音がベシバギと鳴っていて、非常にファンキーである。





 電子音にはすっかり食傷気味だったのだが、これは聴けた。結局、粗野なベシバギ音が脳を揺らす感じさえあれば、なんだって聴けるのである。逆に神経質な音は憂鬱になりそうでダメだ。





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ひとりぼっちのあいつ

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ビーチ・ボーイズ ペット・サウンズ・ストーリー [ブライアン・ウィルソン奇跡の名作秘話]
キングズレイ アボット Kingsley Abbott 雨海 弘美
ストレンジデイズ (2004/08/24)
売り上げランキング: 59,222



 ブライアン・ウィルソンの少年時代から『ペット・サウンズ』が出来るまで、そして挫折と栄光と復活までを追った本。これを読んでいる間に『ペット・サウンズ』を5回ほど聴き直してしまった。聴くたびに泣けるね。





 かなりブライアンびいきで書かれている(マイク・ラヴはすごい悪者扱い)けれど「ビーチ・ボーイズというバンドは人間関係がものすごい複雑なバンドだったんだなぁ…」と思った。ブライアン、デニス、カールのウィルソン3兄弟、いとこのマイク・ラヴ、友達のアル・ジャーディン。で、まぁ、神格化までされているのはブライアンひとりなんだけれど、他の4人だってかなりエゴが強い人物なのである。決してブライアンの「言いなり」というわけではない。ブライアンと対立していたのは、マイク・ラヴばかりではなくて、少なからず他のメンバーだって反感を抱いていて、ブライアンはそこに罪悪感を抱いていたそうな。はっきり言ってビートルズなんかよりもずっとビーチ・ボーイズの方が複雑だ。何せ、現在もビーチ・ボーイズは「ずっと存続しているバンド」で、メンバー同士で訴訟しあってるぐらいだし。





 まぁ、そのへんの汚い話も面白く「ブライアン、カワイソス」と泣けるところなのだけれど、やはりこの本で最も面白いのは『ペット・サウンズ』レコーディング・セッションの詳細について。60年代中ごろのアメリカの音楽産業の模様や技術の話なんかが語られていて面白かった。あとセッション・ミュージシャンのデータだとかも興味をそそられた(後にフランク・ザッパとも活動するミュージシャンもいる)。





 あとはイギリスでの『ペット・サウンズ』のプロモーションの様子など。販促には何故か6人目のビーチ・ボーイズ、ブルース・ジョンストンがイギリスに行ってレコードの試聴会や記者会見に出ているのだけれど、その滞在中に様々なミュージシャンの絶賛の声を聞くという話が良い。しかも、最も絶賛してあちこちブルース・ジョンストンのお世話をしていたのはザ・フーのキース・ムーンだったという…(似合わない)。





 『ペット・サウンズ』が完成した夜のブライアンの当時の妻マリリンの回想で泣きました。なんかすごく美しかった。良い本でした。100回ぐらい『ペット・サウンズ』聴いて、ハープのイントロだけで鳥肌立つような人は読むと3回は泣けると思います。





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Zazen Boys / Live At Okinawa

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 向井秀徳情報においてTOUR MATSURI SESSIONの地方講演最終日、5月28日沖縄宜野湾ヒューマンステージの模様をドバッと太っ腹に無料配信中である。1時間50分超に及ぶ長い音源でこれからじっくり聴いていく予定であるが、ちょっと聴いた限り、ヤバい。これは生で聴いちゃったら涎をダラダラと垂らしながら、汗かき踊り狂うしかなさそうな強烈なビートである。大変だ。向井秀徳のテンションも最初から沸点まで高まっている感じであって、アクセントを強調して唱える歌は「念仏ヒップホップ」みたいだ。




 くるりが、ポップ化をした*1今、向井秀徳が孤高の立場に立とうとしているのは…なんか「『98年の世代(スヌーザー)』の散らばり」を最も象徴した事件なのかもしれない、と思った。ナカコーはなんか一人で悟りの境地に達したようなエレクトロに向かい(まさにiLL!)、くるりはリップスライムとコラボレート、そして向井は沖縄のステージ上で観客と踊り狂っている…という示し合わせたような「バラバラさ」(矛盾しているけれど)に何か時代と世代の変革を感じずにはいられない…というのは半分ぐらい嘘で、ナンバガもスーパーカーもくるり*2も、私はリアルタイムでハマって聴いていたわけではないから特に感慨が無い。





 しかし、いまだにヘロヘロになるまで汗かいて音楽をしている、ということだけでも向井秀徳には特別な好意を抱いてしまう。なんか最近は汗かいてない感じの音楽、テクノとかエレクトロとかなんかツマミと画面に吸い込まれそうな感じで人前に立っているたちには全く燃えないので。私は身体的な動き、パフォーマンスも音楽の一部だと思っている。それがなきゃ踊れん。




*1:悪いことじゃないんだけれど。細野晴臣の「はっぴいえんど→YMO」的な転進が最近のくるりには感じられる気がする


*2:特に森信行在籍時





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チェーホフのまなざし

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かわいい女・犬を連れた奥さん
チェーホフ 小笠原 豊樹
新潮社 (1970/11)
売り上げランキング: 83,667



 近所の商店街でエロ本ばかりを置いている本屋にふらり立ち寄り買った本。どこにでもあるような「名作」はなるべく小さな本屋で買うようにしている。





 チェーホフが女性の外見を描写している文章って細やかで良い。ただ、「嘗め回すように眺めて書きました」的なエロさは無く、なんか真面目な美学生が「勉強でコツコツとデッサンをしました」的な爽やかさがある。でも少し、エロ。爽やかエロ。つまり、チェーホフは岩佐真悠子ということである。嘘ですけど。





 まぁ、女性に関する描写に関してだけでなくチェーホフの描き方は徹底したリアリズムである。俗悪な社交界だとか、フランスかぶれの家庭だとか、帝政ロシア末期の煤けたような生活が浮き上がるようだ。そこにはチェーホフの批判的なまなざしが感じられるのだけれど、でもちょっとやりすぎじゃないか?『かわいい女』の主人公の滑稽なまでの空虚さだとか結構ゾッとするよ。





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黒木くんの演奏は、シェレンベルガーっぽいのだろうか

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のだめカンタービレ #15 (15)
二ノ宮 知子
講談社 (2006/06/13)



 面白く読む。この漫画は、演奏前の作品研究・アナリーゼの部分で笑わせるエピソードがあり、演奏部分で痺れさせる。その二段構えがすごく上手いんじゃなかろうか。





 この巻でのだめが演奏するのはモーツァルト、シューベルト、リスト、ラヴェル。音色は粒だって丸い音らしいのだけれど、それってかなり内田光子を下敷きにしている気がする。演奏中ののだめがシャーマンの憑依状態みたいになるところとかも。





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クー。

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不思議惑星キン・ザ・ザ
キングレコード (2006/01/25)



 ジャンクとクソ映画好きな友人とポスト・ショスタコーヴィチの作曲家について話していたときだったと思う。「そういえば、カンチェーリって『不思議惑星キン・ザ・ザ』のサントラ書いてるんだよね」と言うと「ああ、DVD持ってるよ」とのことだったので借りた。





 地上波でのサッカー中継が終わったものの、上手く寝付けないぼんやりとした頭で観ていたら、映画に登場する役に立たないと評判の青年にイラついて目が覚める。SF。冒頭からなんかものすごい砂漠映像が続くのだが、一体これはセットなのだろうか、どこで撮影されたんだろうか。





 だるい…。





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佐藤功太郎、死去。

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http://www.asahi.com/obituaries/update/0615/001.html


 一般的にはそれほど有名ではないかもしれないけれど、指揮者の佐藤功太郎さんが亡くなりました。自分が所属していた団体の指揮をされたり、知り合いの指揮者の先生だったりしたこともあり、体調を崩されているのは知っていましたが…うーんなんとも。去年の秋に癌で入院されたのは覚えているのですが、だいぶ進行していたんでしょうか。





 影で「サトコー、大丈夫か?」とささやく日々もおしまいです。





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リクエストに答えて。

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 id:love-joyさんから「プロコフィエフのオススメを教えてください」とのご要望をいただいたのでセルゲイ・プロコフィエフについてのエントリーを書きます。





 プロコフィエフという作曲家はドミトリ・ショスタコーヴィチと並んぶソ連を代表する作曲家として知られております。1891年生まれということでショスタコーヴィチ(1906年生まれ)よりは一世代上ですね。ラフマニノフとショスタコーヴィチの間の世代というか。1917年のロシア革命以降に亡命しているのは、ストラヴィンスキーと一緒。行き先はアメリカ、その後にパリに渡ります。作品はフランスの印象派の影響が強いのか、ドビュッシーやラヴェルを少し抽象度を高めた感じの作品を書いています。あるいは、頭のねじれた「フランス6人組」とでもいうべきでしょうか。まぁ、この人もストラヴィンスキーと同じようにころころ作風を変えているので一概には言えません。初期の作品は、「洒脱なロマン派」みたいだし。《スキタイ組曲》のような泥臭い曲はあまりない。また劇音楽もたくさん書いていますが、そちらはかなりシンプルな作り。金管が派手に鳴って、メロディが良くて…ずっと聴いていると疲れる…みたいな。交響曲も書いていますが、これについてはほとんど聴いていないため言及できません。ゲルギエフが最近全集を出したようです。





 作曲家の概観としてはこれぐらいで良いでしょうか。ではオススメの演奏などを。



プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
アルゲリッチ(マルタ) プロコフィエフ アバド(クラウディオ) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ラヴェル
ユニバーサルクラシック (2001/10/24)
売り上げランキング: 29,688



 まず一枚、というならピアノ協奏曲第3番を。これは亡命後パリに移ってからの作品ですね。「うおー、パリって楽しいなー」みたいな躁っぽさがある(実際どうかは知らないけれど)。派手でキャッチーでカッコ良いです。演奏時間も短く飽きない。↑の録音はアルゲリッチによる演奏(伴奏はアバド/ベルリン・フィル)。超高速テンポで難曲をバリバリと弾ききる感じが恐ろしくエネルギッシュ。


 


 アルゲリッチと言えば子供3人の父親がそれぞれ別…という「クラシック界の内田春菊」みたいな人でして、演奏会後に共演者と寝まくっていたという逸話は、こういったパワフルな演奏から「本当っぽいなぁ…」と思えてくる。顔はアンドレ・ザ・ジャイアントみたいだけど。



プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」
プレトニョフ(ミハイル) プロコフィエフ
ユニバーサルクラシック (1998/04/01)
売り上げランキング: 42,675


 あと有名なのは《戦争ソナタ》と呼ばれるピアノ・ソナタでしょうか。1934年にプロコフィエフは「うっし、そろそろ祖国も大丈夫みたいだし、俺も有名になったし帰るか」みたいな感じでソ連に凱旋帰国します。でもそれから2年ぐらいしてすぐ《プラウダ批判》*1があり、「なんだよー、折角帰って来たのによー、好き勝って書かせろよー」とブツクサ言いながら作曲活動していた頃に連作で書かれたピアノ・ソナタが《戦争ソナタ》と呼ばれています(何が「戦争」かは知らない)。





 ピアノ・ソナタ第6、7、8番がそれに当たります。↑のアルバムには第7、8番を収録(演奏はミハイル・プレトニョフ。第2番も入っている)。ギクシャクした「モダーンなリズム」をスマートに弾いている。プロコフィエフの作品では《戦争ソナタ》が一番「ソヴィエト」っぽいでしょうか。第7番は坂本龍一もたぶんなんかの曲でパクっている…。



スクリャービン&プロコフィエフ
リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ
ユニバーサルクラシック (1994/05/25)
売り上げランキング: 5,192



 第6番はリヒテルの演奏が素晴らしすぎ。ギクシャクしたリズムがピアノの強奏で打ち鳴らされるところから曲が始まるのですが、これはもうリヒテルのための音楽なのではないだろうか、というぐらいの快演。これでもか、というほど力強く打ち鳴らされたピアノの音は、ハンマーで殴られたかのような衝撃。




*1:「前衛っぽい音楽はインテリ臭いからダメよ!」というお触書みたいなもの





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メルヒェン

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ゴッケル物語 改訳
ゴッケル物語 改訳
posted with amazlet on 06.06.15
ブレンターノ 伊東 勉
岩波書店 (1976/06)
売り上げランキング: 256,083



 「ディレッタントになりたくて…2006、夏」と題して、暇を見つけては古本屋に立ち寄って岩波文庫を物色する日々。岩波文庫がたくさんある本棚はなんかイカつくてカッコ良いでしょう。本当はサッカーフランス代表もびっくりなほど青で染めたいですが、青ばかりを読む体力がありません。なので、クレメンス・ブレンターノによる『ゴッケル物語』を読む。ドイツ・ロマン派の詩人ですね。





 神様と動物(特に鳥)が大好きなムツゴロウさんみたいなジジイ、ゴッケルさんが奥さん(動物嫌い)、娘(人形が好き)とヤンヤヤンヤなりながら、魔法の指輪を手に入れたり、騙されて乞食になったりする話。地味な『ロード・オブ・ザ・リング』?モンスターとか出てこないし。伏線の張り方などが鮮やかで退屈しない内容。「童話」というには勿体無い。





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エチオピアン・ミュージック

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小泉文夫 没後20周年 メモリアル企画 小泉文夫の遺産~民族音楽の礎~
民族音楽
キングレコード (2002/12/04)
売り上げランキング: 359,349



 図書館で↑のセットの「イランの音楽」と「エチオピアの音楽」を借りる。そんな酔狂なものを聴く気になったのは、W杯のイラン代表とアフリカ勢が気になっているため。エチオピアは今回代表じゃないけれど、トーゴの場所とかよくわからんので適当に借りた。イランの音楽は「中東!」っつー感じの音楽で、グッドな微分音がひび割れたギターみたいな音色の楽器で奏でられていて予想通り。





 びっくりしたのがエチオピア。音階はペンタトニックで日本の民謡に近い。また、キラールという楽器は、ぶっ壊れた三味線みたいな音がする。そのためかなり小唄でも聴いているような気分になる。それとCDの後半に収められているのがエチオピア・コプト教会(キリスト教の古い一派)の典礼音楽。これは仏教の声明に近いものがあり、キリスト教のイメージとはかけ離れたもの。ドンドンと大太鼓が叩かれているし、金属の鳴り物がジャンジャンと振り鳴らされて、チベット密教か真言宗の儀式のようだ。ケチャともちょっと近い。どう考えてもアジアです。しかし、最初は声明っぽいのにどんどんダンサブルになっていくのは面白い。教会音楽なのに、こんなファンキーで良いのか!





 アフリカといえば、マリンバとかひょうたんがくっついているような打楽器がポコポコと鳴っている原始的なトランスみたいなものばかりかと思っていたのだが、色々あるのだな。





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曖昧な映像

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不死の人
不死の人
posted with amazlet on 06.06.14
ホルヘ・ルイス ボルヘス Jorge Luis Borges 土岐 恒二
白水社 (1996/08)
売り上げランキング: 25,129



 本日はアルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの20周忌。





 では、行ってきます。





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ポップ文学の先駆か

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横しぐれ
横しぐれ
posted with amazlet on 06.06.15
丸谷 才一
講談社 (1990/01)
売り上げランキング: 908,667



 丸谷才一の作品構成能力の上手さに舌を巻く。作曲家でいうならブラームスだろうか(ちょうど読みながら聴いていたので余計にそう思ったところもある)。主題の魅力や音圧で圧倒するようなものではない。けれども、隙間無く積まれた石垣のように崩れない。小説の終結部におけるスッと抜けるような感じも似ている気がした。それは、チャイコフスキーやドヴォルザークのような強奏による快楽的なものではなく、「はぁ…」と息を漏らしてしまう上手さである。





 以前に『笹まくら』を読んだ時はジョイスを感じだけれども、『横しぐれ』に収録された作品はボルヘス的である。「初旅」、「中年」でみられる時間軸のずらしによるリアリティの隠蔽や、「横しぐれ」における文学的資料の織り交ぜ(それが正しいものなのか、我々には検証することができない!そしてそれは徹底的に無意味である)は、白昼夢を見ているかのようにさせる。ああ、素晴らしい。恐ろしいのは「だらだら坂」の聴き手の不在だろうか。





 旧かな遣いで綴られているのだが、文章は美しく、ポップである。これは旧かなによる「ポップ文学」ではないだろうか。まぁ、出てくる作品と同時代のものといえば「ゴーゴー」とか「ビートルズ」だから、古いのだけれど、そこもまた良い。ゴーゴーって…みたいな。丸谷先生ったらモボねぇ…。





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岩城宏之、死去。

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http://www.sankei.co.jp/news/060613/bun073.htm


 ショックな出来事が続きます。演奏のほうは日本の20世紀音楽のレコードでしか聴いたことが無かったけれど、岩城さんの著作は高校時代に読んで感銘を受けました。日本の音楽をガッシリと支えている人だったなぁ…と思う。日本人作曲家による作品の初演回数なら誰にも負けていないはずだ。そういう重要な仕事をしつつ、大晦日に「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」という「バカだなぁ…」としか思えないイベントをこなしていたのが偉大。



フィルハーモニーの風景
岩城 宏之
岩波書店 (1990/08)
売り上げランキング: 123,153






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リゲティ、死去。

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http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/007.html


 友人の家でW杯を観戦していましたが、帰ってきて一番驚いたのがリゲティ死去のニュース。日本の敗戦よりも大ショックです。





 以下は以前書いていたブログからリゲティに関する文章を抜粋。





Ligeti:Works for Piano
Ligeti:Works for Piano
posted with amazlet on 06.05.31
Gyorgy Ligeti Pierre-Laurent Aimard
Sony (1997/01/21)
売り上げランキング: 88,677




The Ligeti Project, Vol. 1
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posted with amazlet on 06.05.31
Gyorgy Ligeti ASKO Ensemble Schoenberg Ensemble Pierre-Laurent Aimard Peter Masseurs
Teldec (2001/06/19)
売り上げランキング: 141,328



 ジェルジー・リゲティというルーマニア出身の作曲家に興味を持ち出してから、集中的に彼の音楽を聴いている。リゲティの作品というとキューブリックの映画に使われていることが有名で、私もそれぐらいしかしらず、てっきりトーンクラスターと電子音楽の人だとばかり思っていた。が、それ以降のポリリズムに傾倒し始めた時期の方が私にとっては断然面白かった。





 音楽史の教科書には「総音列主義(トータル・セリエリスム)は崩壊した」と書いてあるらしいんだけれども、実際いまだにセリエルな音楽っていうのは作曲界で幅を利かせている(実際どうか知らないけど。でも、ブーレーズがまだ生きているしねぇ)。提唱から1950年代から始まったトータル・セリエリスムが未だに「第一の作曲方法」なのだとしたら、それは結構


閉塞した状況だと言えるんじゃなかろーか。そんな閉塞に早々と見切りを付けていたのがリゲティだった。で、トーンクラスターとか電子音楽とかに向かうんだけれど、それも結構すぐに飽きちゃって、リズムに注目するわけですね。正確に言うとトーンクラスター/電子音楽期と複雑なリズム期の間には、ミクロポリフォニーという技法を提出した時期があるんだけれど、私にはよくわからない。すげーたくさんの声部があって、それが独立したり溶け合ったりして「一つのテクスチュアを形作る」らしーんだけど、結構聴取不可能なところがある気がする。





 で、やっとポリリズム期のリゲティの話。80年代に入ってからリゲティは《ピアノのためのエチュード》と《ピアノ協奏曲》という作品を書いているんだけれど、思うにこれらはセリエリスムに代わる作曲技法を用いた作品のなかで最も成功した作品だろう。もちろん、完全に調性に立ち戻っているわけではなくて(それじゃあ新ロマン派と変わりないし)、はっきりとした「メロディー」は皆無なんだけれど、溢れかえるように複数のリズムが同時に演奏されているときの「混ざらなさ」と「聴いていて頭が狂う感じ」が良い。あとピアノの超絶技巧とパーカッシヴな強音が動物的に楽しい。スティーヴ・ライヒも同じくポリリズムを多用しているけれど、リゲティの場合、変容があるから聴いていて飽きない。混ざらないリズム同士が相互に影響しあって、発展していくような感じ。





 「現代都市のサウンドスケープみたいだな」と思いながら聴いているのだが、これ爆音で聴いたら超アガりそう。まぁ、激しい曲ばかりじゃなくて、ほんとに涙が出るぐらい美しい曲もあるんだけれど。





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モーダル/コーダル

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Hindemith: The 3 Piano Sonatas
Paul Hindemith Glenn Gould
Sony (1993/03/09)
売り上げランキング: 14,724



 ヒンデミットに魅了されてから、それなりの時間が流れた。





 出会いは何となく買ってみたシュナイダーハン(昔のウィーン・フィルのコンサート・マスターだった人)が演奏するヴァイオリン・ソナタ第3番だった。高校2年生。当時の私は、まだプログレに心酔していて「変拍子で世界は変わるのだ!」とよく分からない妄想に耽っていた田舎の高校生だったのだが、その繋がりで「現代音楽」と呼ばれるものに手を出し始めていた。今よりももっとイライラし易く、尖っていたため、とにかく「刺激的な音」に渇望していたのである。まー、現代音楽と言っても、新ウィーン学派とかは「むずかしーな…これ…」とほぼ投げてたんだけど。





 そんなときに出会ったヒンデミットの音楽は斬新に響いた。次の日から2週間ぐらい部活で「ヒンデミットすげーよ、すげーよ」と吹聴しまくってた記憶がある。で、その歳の誕生日に友達からバーンスタインが演奏する《画家マチス》、《弦楽と金管のための協奏曲》、《ウェーバーの主題による交響的変容》をプレゼントされて、ヒンデミット熱は加速した。





 今よりも語る言葉を持ってなかったから「なんだかわかんねーけどすごい」「こんなの聴いたことがない」というのが当時抱いていた感想で、とにかくヒンデミットの独特の和声進行に夢中になっていたのである。その時ばかりは、「この独特さの源はなんなのだ!」と普段はほとんど読まないCDの解説を読んだのだが、「新古典主義の作曲家で…」という紹介文とフルトヴェングラーを巻き込んだ「ヒンデミット事件」のことぐらいしか分からなかった。




 そして「ヒンデミット=新古典主義」と呼ばれるのがしっくり来なかった。何故ならストラヴィンスキーの《新古典主義》時代の作品と比べると明らかに、それが同じ言葉とは思えないほどの開きがあったからだ。ストラヴィンスキーの新古典主義が、単なる擬似バッハ、擬似ヴィヴァルディにしか聴こえなかったのに対して、ヒンデミットは「どこが古典なのだろう…」というぐらい新しい響きを持っていた。長らくその疑問が拭えなかったのだが、菊地成孔やアドルノの音楽関連の著作を読んでいるうちに、だんだんと私にとってのヒンデミットの「神秘的な響き」が、神秘的じゃないものとして捉えられるようになった。つまり、ヒンデミットの新古典主義は、教会旋法(モード)の復権、という意味で古典*1への回帰だったのである。





 もう少し菊地成孔に寄りかかって話をすると、ヒンデミットと同時代に行われた新ウィーン楽派の《12音/無調》という「音楽の前進」は、コーダルな実験だったと言うこともできる。当時の音楽界にコーダルな流れとモーダルな流れが分かれて存在していた、というのは結構興味深い。しかし、前者は後にトータル・セリエリスムへと向かうが、後者は特に後継者が無く消滅してしまったのは寂しい。ヒンデミットの実験を受け継いだ人物って聞いたことがない。メシアンは旋法を用いて曲を書いているけれど…。





 ↑にあげたのはグレン・グールドの演奏するピアノ・ソナタ全集。数多くの録音を遺したグールドだが、これはその中でもベスト5に入るのではなかろうか、という名演奏。特に第三番の最終楽章は圧巻。




*1:時代区分としての《古典》ではない





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夢見たアメリカの音

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We Shall Overcome: The Seeger Sessions
Bruce Springsteen
Sony (2006/04/25)



 ブルース・スプリングスティーンの新譜。ピート・シーガーに関係する曲を集めた“ボス”初のカバー集だそう。初めて聴いたときから「うおー、すげーアメリカっぽい!」と思ったけれど、よく聴いてみるとアメリカのイメージを掻きたてるようなカントリーっぽいアレンジだけではなく、ケルトっぽいアレンジがあったり、ロマっぽいフィドルが入ってたりして多彩。その多彩さが「結局、移民の集合の国でしょ?」というアメリカの文化的状況のリアリティを伝えているような気がする。まぁ「カントリー的な音楽=アメリカ」っていうイメージも大体において間違っているのであって(スコットランドあたりのトラッド・フォークとカントリーは驚くほど似ている)、このあたりは音楽産業という巨大資本によるイメージの植え付けと関係してくるのかもしれない。





 とにかくこのアルバムは本当に内容が良い。ある時期のディランが目指したけれど挫折してしまったものをブルース・スプリングスティーンが受け継いで成功してしまった…という感じがする。





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寝るときに読んでいた

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ソクラテスの弁明・クリトン
プラトン 久保 勉
岩波書店 (1964/01)
売り上げランキング: 8,123



 寝つきが悪いときに読むと、すっげー眠くなったので重宝した。3時間ぐらいで起きちゃうんだけど。





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プギャーと叫ぶギター

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Episome
Episome
posted with amazlet on 06.06.11
Otomo Yoshihide Bill Laswell Yoshida Tatsuya
Tzadik (2006/04/18)



 2005年NYで行われた大友良英、ビル・ラズウェル、吉田達也によるスタジオ・セッション。「ロック・インプロヴィゼーション」と銘打たれているだけあって、ここでの大友良英のギターは結構明確なリフっぽい。ビル・ラズウェルのベースはいつもと変わらず、ブリブリ言ってる。「SOUP」の延長線にあるというか(ドラマーが芳垣安洋じゃないけど)。





 RUINS、高円寺百景、是巨人…など吉田達也のバンドはいくつか聴いているけれどいまいちどれもハマらず、彼のドラムも好きになれないでいる。でもなんか、ソロのときにキュッと筋肉が締まって超高速フレーズが打ち込まれる瞬間だけは「なーんか、似た様なものを聴いたことがあるなー」と思いつつちょっとしたフックを感じていて、その既聴感はメシアンと繋がっている。





 「メシアンのピアノ曲で長い持続音の後にやってくる、高音の激しいトリル」と「吉田達也のキュッと締まってるときのドラム」、(あくまで私の中で)似てるってだけでただそれだけなんだけど。





 追記:http://www.youtube.com/watch?v=IAFUQOE8sTw (赤天のライヴ映像。すげー笑った)





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音-風景

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世界の調律 サウンドスケープとはなにか
R.マリー・シェーファー 鳥越 けい子
平凡社 (2006/05/10)



 「サウンドスケープ・デザイン・プロジェクト」を提唱するカナダの作曲家、R.マリー・シェーファーの大著。平凡社ライブラリに収められたため、論文のアイディアになるかな、と思いつつ読む。500ページ以上あるけれども、翻訳が良いのか、それとも原文も良いのか、リズミカルな文章で音楽的にスイスイと読めた。





 彼の造語「サウンドスケープ」とは存在する全ての音を《音楽》と捉えるジョン・ケージ的な発想が根底にしたもの。日本語訳では「音風景」とか「音環境」とかいう言葉があてられている。書名は『世界の調律』だけれども、別に世界中のコンサート・ホールにおいてあるピアノの調律を調べたものでも、様々なオーケストラのチューニング時に出される基準音(オーボエのA)が何ヘルツか調べたものでもない。ずっとサウンドスケープの話が続く。





 本の後半は、現代人が生活する環境におけるサウンドスケープは劣悪だ、という主張から、音響工学を無視した建築への批判(「現代の建築家は耳のきこえない人たちのための設計をしている。彼らの耳にはベーコンがつまっている。」)がされていて、その環境をどう変えていくか、というお話。「有線で色んな曲が流れすぎていて分裂的だ!」とか言っていて「うーん、なんだか気難しいだな…」と思ってしまうし、唐突に「宇宙の音楽は…」と始まったりしてニューエージ臭さが漂っている。





 けれども、前半はものすごく面白く、示唆に富んだ内容。ギリシャ時代から現代にいたるまでの文学作品における「音に関する記述」からサウンドスケープ史を構築している。特にすごいのは第4章「町から都市へ」で、ここでは「生活環境における音の変化(近代化)と人間の精神構造の変化(時間)」が語られている。シェーファーとマクルーハンのつながりが上手く掴めなかったのだけれど、ここで繋がった。真木悠介の『時間の比較社会学』を思い起こさせる内容。





 シェーファーの音楽的態度が、西洋の伝統的なものとは異なった脱エクリチュール的なものであるのも興味深い。彼はサウンドスケープを「ハイファイ(環境騒音レベルが低く個々の音がはっきり聞き取れるサウンドスケープ)」と「ローファイ(個々の音響信号は超過密の音の中に埋もれたサウンドスケープ)」に分類するのだけれど、言ってみれば音楽を楽譜に書き起こすという作業は「記録する」という意味だけでなく、音楽から究極的にノイズを取り除いた「ハイファイ化」と言えるだろう。その不自然さに彼は疑問を投げかけるわけだ(『完全な沈黙などありえないというのに!』と)。…ってやっぱりニューエージ臭いな。





 まぁ、人間工学的な視点からみる音楽というのも面白いです。





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鳥の歌

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メシアン:鳥のカタログ
ウゴルスキ(アナトール) メシアン
ユニバーサルクラシック (1994/04/25)
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 パブロ・カザルスの作品に《鳥の歌》という曲があるけれども、別に鳥の鳴き声が入っているわけではない。鳥の鳴き声が入っている曲で割と有名な曲は、レスピーギの《ローマの松》とメシアンの《鳥のカタログ》だろうか。前者では曲の中で録音された鳥の鳴き声が、現実音の挿入のような形で再生され、後者では作曲家が採譜した鳥の鳴き声が、ピアノで再現される。↑のCDは、アナトール・ウゴルスキが演奏している《鳥のカタログ》。日本盤は曲中扱われる鳥のイラストや説明入りの豪華ブックレット付きなので、多少値段が貼るけれども、日本盤をオススメする。現在、フランスプレスの廉価盤が3500円で手に入るけれども、鳥類研究家、バードウォッチャーでもない限り「何の鳥」か判別することは難しいだろう。大体、ヨーロッパに生息している鳥ばっかりだし。耳なじみの無い鳴き声ばっかりだ。





 レスピーギもメシアンも近現代に活躍した作曲家だが、15~16世紀のフランスにも鳥関係で有名な人がいるらしいことを本を読んでいて知った。クレマン・ジャヌカン。バッハよりも200年ぐらい古い人なので気合の入った古楽ファンでも無い限り知らないであろう人。主に世俗シャンソンを作っていたらしいが、作品の中にオノマトペで鳥の鳴き声を取り入れていたらしい。気になる。他にも現実音を模倣したものを色々作品にしているみたいだけれど、江戸屋猫八みたいな人だったんだろうか。ホーホケキョ、なんつって(そういえば、メシアンの作品《七つの俳諧》の中にはウグイスがいる。これはメシアンが来日時、軽井沢で採譜したもの)。





 鳥の鳴き声はかなり複雑な倍音構成になっているらしく、とてもピアノで再現されうるようなものではない。《鳥のカタログ》で聴かれる鳥の鳴き声は「模倣」としてはできそこないなのだ。が、逆に言えば非常にすっきりとして倍音に構成されなおされているわけだ。それが作品の異教的な響きを生み出している感じがする。っつーか、スペーシー。メシアンは厳格なカトリック教徒だったはずだが、ギリシャやインドの音楽的要素を取り入れたりと異端っぽい。宗教裁判にかけられてもおかしくないぞ。





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音楽ゲーム

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Cobra: John Zorn’s Game Pieces, Vol. 2
John Zorn
Tzadik (2002/03/26)
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 友人がmixi日記で「Naked City、かっけー」と書いていたのに触発されてジョン・ゾーン関連のCDを聴き直してみた。




 これはジョン・ゾーンが「発明した」インプロヴィゼーションの形態、「コブラ」の1984年の記録*1。参加アーティストはイクエ・モリ、デレク・ベイリーなど。こういった録音を耳にするたびに"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again. (音楽を聴き、終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない)"とエリック・ドルフィーの言葉を思い出してしまう。





 音楽の断片化された状態のものが、こどものおもちゃ箱をひっくり返したように迫ってくる印象しか無かった。が、ある演奏家が演奏したフレーズが水面の波紋みたいに他の演奏家へと広がっていく瞬間があるのに気がついた。こういうのはなんか音楽が社会を移す鏡みたいに見えて面白い。





 こういう音楽は、おそらくある程度続けられない限りは意味を失って「あー、そんなのもあったよね」と忘れられてしまうから、巻上公一が「コブラ」を実践しているのを聞くと嬉しい気持ちになる。「残っている」という事実が、「実験の成功」を示していると思うし。20世紀の音楽には実験で終わった音楽があまりにも多すぎる。それが音楽の宿命なのかもしれないけれど。




*1:コブラのルールに関しては、http://homepage1.nifty.com/~ujaku/index/zorn/cobra.htmが詳しい





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