集めてみましたエイドリアン・ブリュー動画

0 件のコメント


 80年代クリムゾンの動画などを観ていたら、現在もバンドでフロントマンを務め続けるエイドリアン・ブリューの動画がザクザク出てきたので大喜びで紹介してみます。ザッパ・バンド→デヴィッド・ボウイのツアー・バンド→トーキング・ヘッズ→キング・クリムゾンと70年代から80年代にかけてコアなロック・バンドを渡り歩き、日本のCMにも出演した変態ギタリストですが、ソロで作る曲は割とポップです。





http://www.youtube.com/watch?v=SFqbruiKJPs


 ↑が日本のCMに出演したときの映像。「ギターで動物と語る夢をみた男がいた……」、「エイドリアン・ブリューはギター一本でオーケストラを作ってしまった……」など大げさな語りっぷりが、景気が良い感じがしてとても笑える。





http://www.youtube.com/watch?v=M8jIItdTUks


 こちらはソロアルバム『Mr. Music Head』の一曲目、トリッキーなギターは控えめでちょっと同じ時期のジョージ・ハリスンにも通ずるAOR感。音色が独特。





http://www.youtube.com/watch?v=RFj-l7A6Kic


 同じアルバムから「1967」という曲の弾き語り。オオクワガタのように黒光りするドブロ・ギターを抱えて歌っています。優しいけど、ちょっとネジれた良い曲。





http://www.youtube.com/watch?v=gkoZtJPCiJw


 なにやらブート感に溢れた映像ですが、トーキング・ヘッズのライヴ。デヴィッド・バーンの後ろでノリノリで変態臭いギター・ソロを取っています。遠くからだとブライアン・イーノみたいに見えるな。痩せてて、ちょっとハゲ。





http://www.youtube.com/watch?v=ag3EtKFOsjU


 同じトーキング・ヘッズに参加しているときの映像ですが、これもヤバいなー。Remain In Lightから「Once In A Lifetime」。髪型が似たような感じで似たようなクネクネの動きなので、遠目にはデヴィッド・バーンとデヴィッド・ボウイの違いが「変な色のジャケットを着ているか着ていないか」でしか判別できない私ですが、これはキます。ゴリッゴリのベースの上で左翼っぽい歌詞。っつーか、ここまで黒いとは……。アフロな感じに気圧されて、ブリューもだいぶ地味。





http://www.youtube.com/watch?v=_F5QcxNVFr8


 これは珍しい。マイク・オールドフィールドとエイドリアン・ブリューの共演。この曲知らないんですけれど、良いですね。マイク・オールドフィールドと言えば『チューブラー・ベルズ』が有名で、ギタリストとしてはあまり語られることが少なすぎる人ですけれど、トラッドっぽい独特なクセがあるギタリストで結構好きです。この映像では、普通のソロをとってるけど。





http://www.youtube.com/watch?v=cou8XY9MSyo


 最近の映像でしょうか。エイドリアン・ブリュー・トリオでの演奏のようです。リズムを固めるプレイヤーの詳細が分からないけれど、この太めのロブ・ハルフォードみたいなベーシストが気になる。複雑なフレーズを弾きながら歌えるのがすごい。声がやや気持ち悪い。





http://www.youtube.com/watch?v=dRhyTYA-Zzo


 初ソロ・アルバム『Lone Rhino』から「ダサい!」の一言につきる一曲目「Big Electric Cat」。いくらブリューが好きでもこの曲はちょっと脱力しちゃうなぁ、というぐらいつかみどころのなさ。あんまり冴えないメロディのせいか、猫の鳴き声を模したギターもどこか悲しげです。













 最後は、現在の4人編成キング・クリムゾンでの映像で終わりたいと思います。肌着みたいなTシャツにスラックスで変態ギター・プレイかつ、歌うとき顔面変形、変なパーマ……とヴィジュアル面が面白すぎるんですが*1、音はヘヴィでカッコ良い。っつーか、若いよなぁ、音……。ロバート・フリップなんか今年還暦だっつーのに。ダサさも含めて大好き、キング・クリムゾン。変拍子のドラムン・ベース、ブレイク・ビーツっぽい打ち込み入っててるのに今ひとつ垢抜けない感じが……。




*1:Youtubeでは「このブリューはホームレスに見える。ちょっと心配です」とコメントされている





0 件のコメント :

コメントを投稿

本日より80年代キング・クリムゾン祭

0 件のコメント











 畸形のロックですね。エイドリアン・ブリュー全開でとてもカッコ良いクリムゾン。この時期、今一番好きかも。現在は老け込んで動かなくなったロバート・フリップもバッチリダブルのジャケットに身を包み、笑顔でギターを弾いていらっしゃいます。エレドラの音色も時代を感じさせてとてもよろしい。フレットレス・ギターやチャップマン・スティックを弾きこなすテクニックはないけれど、本当はこういう音楽やりたいんですよ>あざけり先生。



Discipline
Discipline
posted with amazlet on 06.08.30
King Crimson
Discipline (2005/06/28)
売り上げランキング: 29,625


80年代クリムゾンの幕開け。エイドリアン・ブリューの日本語がヤバい「待ってください」。




Beat
Beat
posted with amazlet on 06.08.30
King Crimson
Warner Bros. (2005/09/13)
売り上げランキング: 49,733


変拍子でディスコでファンクでプログレ。ジャケットがとてもポップ。




Three of a Perfect Pair: 30th Anniversary
King Crimson
Discipline (2006/03/14)
売り上げランキング: 53,709


80年代クリムゾンはこれで終了。トニー・レヴィンのスティックがカッコ良過ぎる「Sleepless」。最近の盤にはダンス・リミックスも入っている。






0 件のコメント :

コメントを投稿

狐の会、新曲試聴。

0 件のコメント


http://www.kitsunenokai.com/


 coa records(空気公団とかのレーベル)からシングル三部作を発表した狐の会の新シングル『夜はやさし』の試聴がオフィシャルサイトで可能になっていました。最近全く連絡を取っておりませんが、友人たちのバンドなので応援しています。限定1500枚の「配布シングル」だとか。「ネオアコとか言われます」と嘆く青年たちのバンドの新曲は、少し大人っぽい落ち着いた曲で彼らの成長が垣間見える、というか。「出会ってから、もう4年も経ったんだな」なんて少し感傷的な気分になってしまう。私とヴォーカル、狐との出会いは「飲み会でのシュトックハウゼン」から始まりました。どうでも良いですけど。




 試聴はこちら。少し退屈さを覚えてしまうぐらい穏やかで良い曲。そして柔らかさのなかにトゲのある歌詞。こういったものを聴くたびに安心した気持ちになれるし、「また古い音楽を聴こうかな」なんて思います。自分でインチキなノイズ音源を公開しつつ、変なことを言うようですが*1私は古臭い生の音が聴こえる音楽の方が好きなんです。




*1:しかも昨日も新曲をアップしている





0 件のコメント :

コメントを投稿

フィエスタ

0 件のコメント



日はまた昇る
日はまた昇る
posted with amazlet on 06.08.29
アーネスト ヘミングウェイ Ernest Hemingway 高見 浩
新潮社 (2003/06)
売り上げランキング: 33,980



 久しぶりにヘミングウェイを読む。短編の全集を読んでとても好きになった作家なので、長編もちょくちょく読んでいる。高見浩の訳はかなり現代っぽい日本語になっていて読みやすい。内容も「禁酒法時代のアメリカを脱出し、フランスで生活する壮年期の人々」が描かれていて、ロスト・ジェネレーションっぽいせいかフィッツジェラルドの洒落た世界観に通ずるものをより多く感じさせる。ヘミングウェイを大久保康雄訳で読むのと高見浩の訳で読むのとでは「ロスト・ジェネレーション」という括りに対してだいぶ異なった思いを抱かされるのではないだろうか。





 晩年、事故によって体に自由が利かなくなり、不幸のどん底に突き落とされたヘミングウェイだけれども、ノーベル文学賞を取っているだけあって書くものの立派さについて平伏してしまうような感覚を読むたびに覚える。それは処女長編である『日はまた昇る』でも同じで尊敬するばかりだ。フランスの街やスペインの闘牛祭、そういったものを私は直に経験したことはないのだけれど、ヘミングウェイの描写は彫刻のようにそれらの描写を浮かび上がらせる、というか。





 また「暗示的な書き方」が多くなされているのだけれど、それらの暗示を繋げるのもとても上手い。この本の「あらすじ」の部分には「第一次世界大戦によって性交不能者となったジェイク(主人公)は……」とネタバレも甚だしいことが書かれている。が、本編の中には一言も直接的にジェイクが不能者であることは書かれていない。しかし、最初から不能者であることのヒントがちゃんと書かれているのである。当たり前のことかもしれないけれど、事実的なものを隠蔽しながらそれを読者に気付かせる筆力には唸ってしまった。主人公が不能者であること意外にも「戦争の暗い影響」というのが第一部ではいたるところに落ちているのも感じる。





 個人的にやはりヘミングウェイの描く人物の屈折したところ、というか人間的な弱さがものすごく好きである。ジェイクに関してもそうだ。これはかなりグッときてしまう。昼間はハードボイルドに振舞いながら、夜一人になってしまうとウジウジと悩み出す。「ああ、俺はなんでこんな怪我をしてしまったんだ!」と悶々としている。そのどうにもならない感じが良い。ジェイクが不能であることは完璧な幸福を阻害してしまっている。それらはもうどうしようもないのだけれど、ジェイクは忘れたりせず、正直に嘆いたりする。この正直さがとても好きだ。その正直さは女主人公的な登場人物、ブレットにも通ずるところ。「あなたのこと愛してるんだけれど、あなたとセックスできないもん。一緒にはなれないわ」的なことを正直に言ってしまうのが好き。笑ってしまうけれどね。





 あと最後のほうにある若い闘牛士の見事な演技の描写は、カッコ良すぎ。興奮しました。





0 件のコメント :

コメントを投稿

アーカンソー・アニメーション・スクール

2 件のコメント


http://www.myspace.com/arcansasanimationschool



 何年か前、夜中に友達と飲んで騒いでいながらも、なんとなく釈然としない思いを抱いていた木曜日の深夜、友達と大げさに手を振って別れた直後、ふと通りかかった駐車場の手前にあったゴミ捨て場、そこに捨てられていた安物のストラトキャスター。飲んでいたこともあり、ためらいなくそれを手にして一人暮らしの部屋に戻った。


 翌日に目覚め、どうしてこんなギターを持っているのか不思議に思いながらも、ずっと使っていなかったアンプに試しに差し込んでみた。すこしシールドがいかれているのか、それとも他に何か原因があるのか。鳴った音は、今まで聴いたこともないような金属的な雑音だった。思わず顔をしかめる。しかし、音を何とか調整しようとしていたそのとき、耳障りだったそのノイズがふと心にしみた。


 それがアーカンソー・アニメーション・スクールのすべての始まりだった。今、mk”ザ・スペイシー”666が傷だらけのギターを片手で握り、意味がないように思われる轟音の中に、ひとりよがりかもしれない詩情と思いを重ねる。


 すべてはここから始まる。


 精力的に音楽活動を行いこっそり新曲を発表し続けているあざけり先生プロジェクト*1。そちらの方には私もヘタクソなギターとコード進行を考えるなどで参加しているのですが、先日新たに別働隊として「アーカンソー・アニメーション・スクール(Arcansas Animation School)」という主に轟音ギターを中心とした音楽をやるユニットを立ち上げました(上で引用したのは、あざけり先生による『アーティスト・プロフィール』です)。





 以前より「カッコ良いリズムさえあれば音楽はどんなふうにでも成立してしまうのではないだろうか?」という疑念を抱きつづけていた私ですが、今回の録音では見事にそれが思想的に結晶化しており「(つまらないかもしれないが)そこそこカッコ良くなっている」という素晴らしい結果になりました。「轟音ギター」など良いつつも、テンションの波に乗ってフルにツマミを右にねじったファズとワウを通したギターを弾いているだけなのですが……(録音後、エフェクトをかけている)。





 一曲のレコーディングが30分ぐらいで終わってしまうという適当っぷりですが、これらのことは「ポスト・ロック」――「これ、機材さえあれば誰だって作れちゃうんじゃねーの?」と思わせてくれるアーティスト群としての――に対する抗議声明として受け取っていただければな、と思います。嘘ですが。冒頭に載せましたmySpaceのアドレスから楽曲の視聴、ダウンロードが可能ですのでよろしければどうぞ。




*1:アラン・パーソンズ・プロジェクトを意識





2 件のコメント :

コメントを投稿

『See you in a dream』コンサート@森下文化センター

0 件のコメント



see you in a dream~大友良英 produces さがゆき sings~
大友良英 さがゆき
インディペンデントレーベル (2005/11/28)


 行って来ました(時間があるときにまたライヴについて書こうと思います)。開場前にトイレで津上研太さんと一緒になったのと、終演後の喫煙所でスタディストの岸野雄一さんと一緒になったのだけ、ご報告。別にお話をした、というわけでもなく「サイン貰えば良かった!BOZO*1のCD全部持ってんのに!!」と興奮したのと、岸野さんをチラ見していたら(あまりに面白い風貌なので。写真と一緒だった)睨まれ返されたのは割と自分の中では重要なことだったので。





 追記:なんか嘘っぽいこと書きそうになったのでレポート的なものを書くのを諦めます。以下はCDを繰り返して聴き、漠然と捉えたもの。たいしたことじゃあありません。





 渋谷毅さんのピアノの原曲から遠いコード・ワークに関しても、大友良英さんの塊のような音響に関しても、やっていることは「そして歌だけが残った……」と感じさせるように、中村八大の書いたメロディと、歌詞(もちろん多くは永六輔さんが書いています)をオリジナル以上の強度を持って響かせることに成功しているように思われました。特に「生きているということは」は絶品。私は非常に利己的な人間でありますが、優しく生きることを薦められ、納得してしまいそうになる優しさが音楽のなかから響いてくる感じがしました。また音楽以外ではCDのブックレットも充実しており「岸野雄一・大友良英対談」における、「《歌謡曲》と《日本のフリージャズ》の同時代性」についての指摘はとても興味深いものがありました。




*1:津上さんのバンド





0 件のコメント :

コメントを投稿

Askビデオさん、動画デジカメ欲しい!

0 件のコメント


デジカメ壊れたまんまなのでください。あと「ビルコレさん、新色のニンテンドーDS Lite欲しい!」とも言っておきます。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ジャズと思想と前衛と

0 件のコメント



ジャズの十月革命
ジャズの十月革命
posted with amazlet on 06.08.24
植草甚一
晶文社 (2005/04)
売り上げランキング: 85,808



 「植草甚一、面白いっすよー」と聞いていたので読まなきゃいけないかなぁ、と思って読む。植草甚一、平岡正明、相倉久人って現在どんだけの人に読まれてんのかなぁ。これらのジャズ評論家が古書店を熱心に巡ってるようなタイプの人間に好まれていそうなイメージがあるんだけど、よく行く古書店の本棚で名前をみるせいで錯覚してるのかもしれない。




 『ジャズの十月革命』に収録された文章は半分近くがオーネット・コールマンに対するもの。どの文章にも割と似たような内容のものが書かれていて、正直食傷気味になりページをめくる指が鈍る。「オーネット・コールマンが極貧だった」とか「オーネット・コールマンを理解できない人はホンモノじゃない」みたいなことが書かれている。お決まりのようにオーネット・コールマンの激しいブロウは「極貧、人種差別から生まれた《エモーショナル》な叫び」と評されていて、このあたりは「批評―(音楽)―演奏者」という流れを意識させられる。だから、結局のところ「ジャズ批評って『ジャズを語るもの』というよりも『ジャズ・ミュージシャンを語るもの』」なんだろうな、と思う。「ブラインド・テスト(目隠ししてレコードを聴いてもらい、誰が演奏しているか当てる)」に人気が集まり、演奏から個人がどれだけ現れるか、というところに意識が注がれる点にもその「ミュージシャンへの語りの偏り」が現れてるのではなかろーか。そういえば『ポピュラー音楽について』というアドルノの雑誌論文*1でその点は批判されていた。





 正直、一応論文のためとは言えこのような評論を続けて読んでいると気が滅入るものだし、最初から「エモーションだって。なんかシラけちゃうなぁ……」という態度で読んでいるため結構キツくなってきた。音楽と評論(批評)との距離の遠さが最初は面白かったんだけれどなぁ。ちなみにオーネット・コールマンの話が終わると、セシル・テイラーの話が続きます。






0 件のコメント :

コメントを投稿

トリップ・オブ・ジャンク

0 件のコメント



子猫が読む乱暴者日記
中原昌也
河出書房新社 (2006/02/04)



 結局私にとって中原昌也の小説を読む行為によって得られる快感は、ノーウェーヴとかジャンクとかの「ねぇ…これって音楽なの……?」と疑問符を投げかけられそうな音楽を聞いているときの快感と全く同じなのではないか、と思う。チューニングしてあるかどうかも不明なアート・リンゼイのギターがペギョギョギョ、ペギーン、バギバリと鳴っているのを聞いて「うひょー」とか言ってるのと、ものすごい現実感がない悪夢みたいな状況を告げる中原昌也を読んで「うひょー」とか言ってるのは全く同じだ。だからなんだ、って話なんだけど。世の中の生きづらさを感傷的に語る小説なんかよりずっと楽しく読める。無意味、万歳。





0 件のコメント :

コメントを投稿

神秘家じゃない人も混じってる

0 件のコメント



神秘家列伝 (其ノ2)
神秘家列伝 (其ノ2)
posted with amazlet on 06.08.22
水木しげる
角川書店 (2004/10)
売り上げランキング: 15,151



 第一巻ほどの衝撃力はなし……。水木しげる先生の描く宮武外骨が山下洋輔そっくり。





0 件のコメント :

コメントを投稿

甘い。

0 件のコメント



Sketches on Standards
Sketches on Standards
posted with amazlet on 06.08.23
Stan Kenton
Blue Note Records (2002/04/23)
売り上げランキング: 150,628


 最近、1930年代のジャズ評論*1を読み「スタン・ケントンでも聴いてみるかぁ」と思っていた。「ジャズを聴く=ビ・バップを聴く」みたいな風潮のなかで、現在彼の名前がどれだけ知られてるかわからないけど、スタン・ケントンという人はビ・バップ以前のビッグ・バンド・ジャズ時代ではスター的存在だった白人のピアニスト兼バンド・マスターである。先日、御茶ノ水に行く機会があり、ディスク・ユニオンのジャズ館で安く売ってるのをみつけ購入。安かった。誰も買わないんだろうなぁ。





 これを聴きながら「うーん……甘い音楽であるなぁ」と唸るのだけれど、あまりに甘すぎてBGMにしかならない。昔の人はこういう音楽に夢中になってダンスしたりお酒を飲んだりしてたのか…と思うとちょっとすごいな、と思う。全然ノレない。キレイだし、楽しいのだけれど、意識が音楽の中に溶け込むような魔術的な魅力は感じない(こういう音楽しか無かった時代にはこれでもものすごく刺激的な音楽だったんだろうけど)。でも同じ時代のベニー・グッドマンのバンドにはそういう魔術的な力がある。うねるようなスウィング感とか、現代でも全然通用する感じ。ベニー・グッドマンのバンドとアレンジャーはすごかった、ってことか。





 あと、こんなんが主流だったときにバップが出てきたらそりゃ大スキャンダルになるわなぁ、とかも思った。






0 件のコメント :

コメントを投稿

ケント・ナガノはカラヤンの再来か?/プロコフィエフは難しい

0 件のコメント



Vadim Repin
Vadim Repin
posted with amazlet on 06.08.19
Nicolò Paganini Pyotr Il'yich Tchaikovsky Antonio Bazzini Henryk Wieniawski Vadim Repin
Warner Classics



http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1333445


 8月17日8月19日の記事に引き続き、ワディム・レーピン10枚組ボックスの話題。本日はディスク9について。このディスクにはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番とプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番が収録されています。ボックスセットの中で個人的にもっとも欲しかったディスクがこれ。





 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は調べてみたらもう11枚も持っていました。この作品についてはオイストラフの記念碑的名演やオレグ・カガンの怪演があり、またここ10年間の間に録音されたものではヒラリー・ハーンの演奏が素晴らしく「まぁ、ハーンの演奏を持っていれば大丈夫だよ」などと言っていたのですが、レーピンの演奏はちょっとすごい。良い録音は大概聴いたつもりでしたが、あまりに良いものだったのでびっくり。4年間再発を待ち望んだかいがあったというものです。レーピンの演奏解釈についてはオイストラフに似ており、太い音色でたっぷりと歌いこみ、またしっかりと細かいフレーズを弾いているのに好感が持てます。速いパッセージでの安定感に関してはオイストラフよりも丁寧と言えるぐらい。しかし、この「安定感」は独奏者の技量によってだけではなく、オーケストラがしっかりとそれを支えているからこそ生み出されたものではないだろうか、と思いました。伴奏はケント・ナガノ指揮ハレ管弦楽団。




 ケント・ナガノといえば個人的にメシアンの《トゥーランガリーラ交響曲》の録音*1が非常に優秀で印象強かったのですが、この伴奏によってさらに自分の中の評価が高まりました。オーケストラの各楽器の音量を低音から積み上げていく、という基本にのっとった姿勢がとられていて「うーん、ベルリン・フィル時代のカラヤンみたいだなぁ」と思わされるほど。それが顕著なのは3楽章冒頭の低弦の鳴り。スピーカーの前でのけぞるってしまいそうな迫力で迫る感じがたまりません。細かいところでは2楽章にあるフルートとバス・クラリネットの速いフレーズが続くところでも、バスクラを強調させており、非常にグルーヴィーかつファンキー。『ビッチェズ・ブリュー』ぐらいカッコ良い。





 プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番の演奏についてもショスタコーヴィチの演奏と似たようなことが言えます(2楽章の感傷的なメロディが歌われるワルツでの頭拍の強調なんか思わず笑ってしまうほどすごい。沈み込むようなグルーヴ!)。





 プロコフィエフについて再確認したのは「やっぱりこの作曲家は難しい人だな」ということ。その難しさはこの作曲家を語ることの難しさ、ということなのですが。よく分からないんですよね。プロコフィエフといえば《戦争ソナタ》という20世紀のピアノ史に残る超絶技巧を含んだ攻撃的なピアノ作品群がある一方で、《キージェ中尉》や《戦争と平和》といった作品においてはびっくりするぐらい美しいメロディを書いている。また、初期にはストラヴィンスキーと呼応するかのように《スキタイ組曲》というバーバリックな作品もあるし、映画音楽も書いている……と非常に多彩。ただ、それらがきっちりと住み分けできていればまだ容易なのです。プロコフィエフの場合、時にそういった多彩さがアマルガム的に並立して存在していることがあり、それが平易に語ることを阻害しているように思われます。





 このヴァイオリン協奏曲第2番に関してもそのアマルガム的なところがあります。割と聴き易い作品なのですが、1楽章は「攻撃的な循環主題」、「半音階的なよくわからない進行」、「叙情的なメロディ」といった要素が混在し(ときおり12音技法さえ聞かれる)、分裂症的。また、楽章ごとの性格もバラバラ。作品を貫く軸のようなものが全く見えてこない。なんかフランスパンと一緒にタイカレーを食べ、デザートに和菓子が……みたいな異常さ。こんな食事をしていたら普通の人なら「おっかしいなぁ」と思うところですが、プロコフィエフの場合それが当然かのように振舞っているようにさえ思われます。まさに天才。しかし、常人には彼は天才過ぎて理解が難しいし、当然どう語って良いかもよくわからない。また「語ることの難しさ」は演奏と無関係ではなく(だって、フランスパンとタイカレーと和菓子を共存させられるシェフなんてそういないでしょ?)、プロコフィエフ作品のどの部分を掘り下げていくのか、というのは演奏者にとって問題となるはずです。しかもとくにクラシック音楽では「精神性」や「感情」が語られるところですから。





 レーピンの演奏では作品の中にある様々な要素を上手く調和させることに力を注ぐのではなく、逆にそれらを徹底して調和しないものとして分離させることで、作品の奇妙さを殺すことなく素晴らしいものにしているように感じられました。攻撃的な部分は徹底してドライに、甘いメロディは徹底して歌いこむ……そのあたりが良いですね。プロコフィエフの畸形性(言い換えれば天才っぷり)を捉えている。言いたいことがすごく分かる感じ。録音時、24歳とは思えないほど明確な視点のように思われました。レーピン、万歳。





 こういった演奏に出会えると満足で一週間ぐらい過ごせるというものです。逆にダメな演奏を聴くとその日の晩は後悔して「あぁ、これ買うならあれ買えば良かった」と布団のなかで泣いたりするんですが。




*1:この曲の録音では3本の指に入る名演なのに廉価盤で1050円。買わなきゃ損。





0 件のコメント :

コメントを投稿

内輪の射程

2 件のコメント



社会は笑う―ボケとツッコミの人間関係
太田省一
青弓社 (2002/04)
売り上げランキング: 309,292



 id:mochilonさんの日記に「どっからどこまでが内輪なのか」って素朴な疑問が書いてあって、ふと思い出したのが太田省一さんの名著(たぶん)『社会は笑う』。北田暁大が『嗤う日本の「ナショナリズム」』を書く際に大きく影響を受けた本として一時期少し話題の本になったなぁ。今や「はてな論壇」とか誰も言わなくなったし、つい去年のことなのに話題の流れってはぇぇ。





 そんなことはさておき、mochilonさんの疑問に答えられるような内容がこの本にはあると思う。とんねるずの登場によって「テレビ的な笑い」に内輪ウケが持ち込まれ、その「内輪」の中に視聴者も取り込まれるようになった、という話がある。ここで指摘される「内輪空間の拡大」はスムーズに納得されることなんだろうけれど、言葉自体が随分矛盾していますよね。「内輪」なのに「広い」って。「しかもテレビって全国区じゃんかー。内輪なのに全国区ってどうよ?」と。たぶん、mochilonさんの「僕にははてなの中枢だって大きいクネクネに見える」という不思議な感覚と「内輪空間の拡大」という言葉が持ってる不思議さって同じものだと、想像してしまう(どうだろう?)。もっとも私は「はてなの中枢」ってどこだろう……と思ってしまうけど。アンテナ登録数300超えてる人周辺か。わがんね。





 しかし、「これこれこういう点があるからあのコミュニティは《内輪空間》だ」と明確なことはなんとも言えないんだと思う。逆に「コミュニケーションは不可能だ。故に《内輪空間》は存在しない」みたいなことって言えると思うし。ただ「排他性」や「閉鎖性」がそれが《内輪空間》の条件となっているのは自明だ。そうすると日本に来たガイジンが「ケッ、アイツら日本語しかしゃべらないのなんとかしろよ!内輪民族が!!」とか言って日本全体を内輪空間としちゃうことも可能だしな。どこまでも拡大することが可能な気がする。線引き不可能……?





2 件のコメント :

コメントを投稿

ラヴェルの描くアメリカ/メトネルって誰だ

0 件のコメント



Vadim Repin
Vadim Repin
posted with amazlet on 06.08.19
Nicolò Paganini Pyotr Il'yich Tchaikovsky Antonio Bazzini Henryk Wieniawski Vadim Repin
Warner Classics



http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1333445


 8月17日の記事に引き続き、ワディム・レーピン10枚組ボックスからの話題。今回は、ディスク5について。収録曲は以下の通り。



ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ


メトネル:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ長調 op.57



 ラヴェルのヴァイオリン・ソナタはティボー&コルトーのコンビで持っていたのだが、録音が相当悪いためラヴェルの音楽が持つ色彩感が伝わらない感じがしたので聴きなおすことができて良かった。この作品の面白さは、雫がポタリポタリと落ちるようなピアノが美しい1楽章以降にある。言ってみれば2楽章は「あぁ、ラヴェルっぽいなぁ、綺麗だなぁ」という感じで終わってしまうのだが、2楽章からは「アメリカ」を音楽的に描写する試みがなされているんじゃなかろーか、と思う(ラヴェルはこの作品を作る前後にアメリカへと演奏旅行へ出かけている)。2楽章に与えられた標題は《ブルース》。アメリカの黒人由来の音楽(ジャズ、ブルース)などを取り入れたものにはピアノ協奏曲があるけれど、ここまで露骨にやっているわけではない。まぁ聴いた感じは「ブルースっていうよりラグタイムだよなぁ……」と首をかしげてしまうんだけれど、洒落モノのラヴェルが「これがアメリカの最新流行ですよ」とヨーロッパに紹介しようとする意図が見え隠れする。3楽章は《無窮動》。これもちょっとアメリカの風刺音楽っぽい。半音でぶつかるジャズっぽいピアノのテーマの上で、せかせかと動きまわるヴァイオリンが街中を走り回るT型フォードの姿なんかを想起させる。




 びっくりしたのは2曲目のニコライ・メトネルという作曲家のヴァイオリン・ソナタ第3番。そういう固有名を意識しないで聴いていたのだけれど、途中で「うわっ、なんだこれ、聴いたことないけどすげぇ綺麗な曲じゃん!メトネル!?誰それ!!」と興奮しつつグーグルの検索窓に「Nikolai Medtner」と打ち込んでしまった*1。どうやらラフマニノフ、スクリャービンらの世代に位置するロシアの作曲家らしい。作曲の先生はタネーエフ、アレンスキー*2でロシア人作曲家の系譜的にもラフマニノフ、スクリャービンらと同じだ。ロシア革命後しばらくして1921年にパリに亡命するも空気が合わず、最終的にイギリスに落ち着き(1936年)そこでインド人のマハラジャから援助を受けつつ暮らしてた経歴もよくわかんない作曲家だ。インド人がパトロンだったからと言って別にインドの旋法やタブラとかシタールとかの曲を書いているわけではなく、ロマン派っぽい旋律の美しい曲をコツコツと書いていたんだとか。それを知って「20世紀にパトロンを持って曲を書けたっつーのは、ある意味ものすごく幸せだったかもしれないなぁ」などと思う。バルトークみたいにそこそこ有名でも貧困のうちに死んだ人もいるわけだし。





 このヴァイオリン・ソナタ第3番も美しい旋律盛りだくさんで、聴いた感じは素敵なのだが構造的に面白いところは全くない。最初「隠れた名曲か!?」と興奮してしまったが、音楽が発展する模様の地味さに少しずつ興奮が冷めてしまった。楽譜には細かい音符が並んでいるのが想像できる難しい曲だけれど、まぁ、なんかそれだけ……という感じ。こういう「難しそう……でもそれだけだよね……」という曲はヴュータン、ヴェニヤフスキ、ショーソンなどのヴァイオリン曲にも通ずるところである。書かれたのは1938年のことでイギリスに住み始めた以降。2楽章の旋律はどこかヴォーン=ウィリアムスなどのイギリス民謡を元にした作品にも似ていて、影響があったりしたんだろうか。





 うーん、この10枚組ボックスは発見が多いなぁ。




*1こちらが異様に詳しい。こんな作曲家について一体誰が書いてるんでしょうか


*2:今年、死後100年で記念演奏会がよく行われてる作曲家





0 件のコメント :

コメントを投稿

アドルノの「あえて」

0 件のコメント



アドルノ―非同一性の哲学
細見和之
講談社 (1996/07)
売り上げランキング: 339,405



 ここ1年ぐらいの間、アドルノの著作を濫読していたのだが、そろそろまとめていかなくてはいけない時期になっていたので「再入門」の手がかりに再び精読してみた。講談社「現代思想の冒険者たち」シリーズの『アドルノ』を。これ、めっちゃくちゃ良い本なのに「現代思想の冒険者たちSELECT」(定価2600円から1500円に下げて再版されているもの)に入ってないってどういうことよ!と前々から憤慨している。非常に重要な著作(『美の理論』『音楽社会学序説』など)が絶版になりっぱなしで、古本価格では定価の3倍近くの値がつき手が出せない、という状況もまた現代においてアドルノの不遇さ(無視され具合、とか)の象徴のような気がする。ここは結束して不買運動を起こし、勤勉な学習者から暴利を貪らんとする悪徳古書店と徹底抗戦しなくてはならないのだが、結束してくれる人いませんか。





 以下、勉強したもののメモ。







 前回読んだときと同じく、ノートを取りつつ読んだのだが、読み終えて前回のノートを読んでみたら全く同じ部分をメモしていて「あんまり俺、成長してねーんだな……」などと思ったりもするけれど、まぁ、前回より格段にアドルノが「何故、彼が過激にジャズやポップスを批判しなくちゃいけなかったのか」とか「アドルノのテキストの読み方」といった問題を上手く理解することができている気がする。





 以前と違って読めた点で最も「あー、そうだったのか……」と思わされたのはアドルノの考える「自律的な芸術」について。これがまさに彼のジャズ/ポップス批判の最も中心的なよりどころとなっているのは前々から分かっていた。アドルノは「芸術の自律性」の立場から、亡命先のアメリカで聞いた「軽い音楽」が産業構造に取り込まれてしまっている!という事実を目にして、それらの音楽をコテンパンにやっつけてやろうとしている。「そんもん芸術じゃねーよ」と。ただ、この点で私は「アドルノは『芸術の自律』が可能である」と誤解してしまっていた。「芸術のシステムが社会から隔絶され、自己言及的な作品を生み出し、『自律した芸術』が存立していくことは可能である!」と信じて疑わない人なのかと思っていたのだ。





 が、それは誤解であった。芸術が「過去の作品」を塗り替えて「“全く新しい”作品、様式、技法」を生み出し「続けていく」ことは、また他のシステムの影響全く受けずに存立することが不可能であることを当たり前のようにアドルノは知っていたのだ。「芸術の自律」は不可能である、しかし、だからこそ「あえて」そこに踏みとどまらなくてはいけない。そんなシニカルな態度がアドルノにはちゃんとあったのではなかろうか、と思う。特にそれは『美の理論』において顕著なのだが、手に入らないのでこの本の引用の中でしか今確認できないのだが(腹を決めて図書館に行かなくてはならない)。





 ただ、この「あえて」がアドルノが批判する「ロマン主義」と矛盾が起きなかったのかなー、っていうのはまだ疑問。他は亡命知識人的な「暴力へのアレルギー的反応」を再確認。やはり、こういった生と密接につながりあった問題を取り扱う人物には惹かれる。





0 件のコメント :

コメントを投稿

スピードだ

0 件のコメント



夫婦茶碗
夫婦茶碗
posted with amazlet on 06.08.18
町田康
新潮社 (2001/04)
売り上げランキング: 12,967



 町田康の小説はいつも冒頭だけゲラゲラ笑いながら読み、あとはなんかだんだん疲れてきてモヤッとしながら読み終える。そして「まぁ、面白い小説だな」と思って本棚にポンと置くこととなる。最近は気分的にこういう小説が良いかな、なんて思って読んだのだけれど、いまいちハマらず、またもや悲しい読書体験となってしまった。少し脳が疲れてるのかもしれない。





0 件のコメント :

コメントを投稿

板尾創路のねじれ

0 件のコメント



板尾日記
板尾日記
posted with amazlet on 06.08.17
板尾創路
リトルモア (2006/08/10)



 『ダウンタウンのごっつええ感じ』では「板尾係長」シリーズが無性に好きだったのだが、板尾創路の本当の凄さ(というか魅力)にひきこまれていったのはごく最近に「シンガー板尾」のコントを確認してから。あの佇まいとかも良いですよね。かなり好きな芸人さんだったのだけれど、今ひとつ「なんであんなに面白いんだろう……」というのがよく分からないでいたところに、一つの光明が現れた。『板尾日記』――2005年の板尾創路の日記の出版である。





 もう少しエッセイ的にまとまりある内容かと思ったら本当にガチな日記で「あとがき」すらないシンプルさが素敵で、板尾さんが感じたことはいちいち面白い。日記を読んでいると、ものすごく笑いに貪欲で勉強熱心なことも分かる。あとこの人の場合、「日常の雑感」が全て笑いと繋がっている感じがする。3月20日の日記にある「阿藤快ひとり芝居」の企画の話(『阿藤快ひとり芝居』なのにオーディションが開かれ、しかも本人が落ちる…などのフェイクドキュメント)など、XTCみたいな「ねじれ感」というか。本当の意味のシュールレアリスティックな笑いがあります。「現実のねじれ」から笑いを生み出す、って松本人志のコントにもたくさんあるけれど、松本さんの場合はものすごく現実に何かを足していくその「過剰さ」が面白さなんだろう。対して、板尾さんの場合、ギリギリまで削ぎ落としていくことが笑いに繋がっている感じがする。





 あと特別収録の「傘」という「歌詞」がびっくりするぐらい良い。「萩原朔太郎が冷やし中華を食べながら穏やかな気持ちで書いた」みたいな不気味さと「普通の人」っぽい感性が同居した名作である。タレント本とか久しぶりに読んだけど、友達に配って回りたいぐらい良い本でした。





0 件のコメント :

コメントを投稿

リヒャルト・シュトラウスを見直す

1 件のコメント


http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1333445


 ロシアのヴァイオリン奏者、ワディム・レーピンがワーナー・クラシックから出していたCDを一まとめにした10枚組ボックスを先日購入した。さすがにボックスセットを一気に聴くのは体力的にも辛く、っていうか同じ日にレオニード・コーガンのボックスも買っていたのでまだ全部聴けていない。っていうかまだ2枚しか聴いていない。色々書き残しておきたいことがあるんだけど全部聴いてからだと忘れてしまいそうだから、小出しにしていこうと思う。





 今日はディスク3について。収録曲は以下。



R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18


ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント


バルトーク:ルーマニア民俗舞曲



 あんまり録音しても話題にならなそうな曲ばっかりのディスク。ボックスセットはこういう「単品だったら絶対買わないなぁ」ってCDまで付いてくるのが楽しい。私がこれを購入した理由は「レーピンのショスタコーヴィチが欲しくて」だったのだが(4年ぐらい探してた)10枚中1枚しか欲しいのがなくても随分得した感あった。というのもこのディスク3で自分のなかのリヒャルト・シュトラウス感が塗り替えられた思いがしたからだ。





 リヒャルトと言えば後期ロマン派最大の作曲家。今ではマーラーの方が人気があるけれど、19世紀末から20世紀の始まりにおいてはリヒャルト・シュトラウスが大人気で、彼は音楽界の王様みたいに君臨していたらしい。作品は金管盛りだくさんの大編成で豪奢かつエロティックな主題を盛り込んだものが多い。そして長い。「派手、エロ、長い」とロマン派の権化みたいなオッサンだ。私はそのクドさがかなり苦手で、今まであんまり聴いていなかったんだけれど、このヴァイオリン・ソナタはすごく良い。ブラームスの中期の作品みたいな落ち着きと旋律の美しさがあり、聴いていて心が安らいだ。リヒャルトの持っている「趣味の悪い派手好きなオバサン」みたいなところが全然ない。どうやら彼がワーグナーに心酔する前に書いてたものみたい。





 比較にブラームスを引き合いに出したけれども、ピアノとヴァイオリンの絡み方なんかが本当によく似ている。もっとも、ピアノの音数がパラパラと細かく、こういう伴奏の書き方はブラームスならしなかっただろうと思うけれど(ブラームスはもうちょっと落ち着いている)。良い曲だなぁ。レーピンの演奏もさすがオイストラフの楽器を受け継いだほどの腕前だけあって素晴らしい。録音時(2000年)は29歳とかなり若かったのに、油の乗り切った40歳のオッサンがモリモリと曲に立ち向かったみたいな充実ぶりが良い。この人もザハール・ブロン門下の一人ということは庄司紗矢香と同門。先生はオイストラフの弟子ということで、オイストラフ的なものを一番に継承しているなぁ、などと演奏から感じる。一度生で観てみたいなぁ。





 現在はレーベルをドイチェ・グラモフォンに移してタネーエフ(ラフマニノフとかの先生だった作曲家)の作品集とか出しているみたい。ドイツものが上手そうな気がするので、やっぱりブラームスやベートーヴェンのソナタ集などを聴いてみたいところだ。





1 件のコメント :

コメントを投稿

ダメだった……

0 件のコメント



見えない都市
見えない都市
posted with amazlet on 06.08.17
イタロ・カルヴィーノ Italo Calvino 米川 良夫
河出書房新社 (2003/07)
売り上げランキング: 46,042



 各所で「カルヴィーノ、面白いよ」という話を聞いていたから古本屋で見つけて買ってみるものの「あー、俺はこれ、ダメだわー」という残念な結果に終わる。小説は、マルコ・ポーロがフビライ汗に「こんな街があったんですよ」という報告をする、というもの。しかし、報告する都市はマルコ・ポーロが空想で物語るものであって、現実には存在しない場所であって、彼の語りの中にしか浮かび上がることのないタイトル通り「見えない都市」なのだ……というのは分かり易いのだけれど、全然楽しめなかった。とくにその空想都市で出来事が起こるわけでもなく、ただ様々な描写が行われていく感じが「むぅ…退屈だなぁ……」と。不思議な情景を浮かび上がらせる文章はとても請っているのだけれど、動きがないとダメな感じがする。なんかものすごくアタックやトーンに気を使うピアニストが弾くスクリャービン的な美しい和音「だけ」を延々と聴かされているような感覚に近い。それはとても美しいし、確かにそれを「音楽作品」と呼ぶことはできる、けれども率先して聴きたいとは思わない。





 まぁ「あー、俺こういうタイプの小説はダメなのかぁ」と気付くことができたので良かった。



夢の木の下で
夢の木の下で
posted with amazlet on 06.08.17
諸星 大二郎
マガジンハウス (1998/07)
売り上げランキング: 15,064



 『見えない都市』はものすごく諸星大二郎の『夢の木の下で』というマンガと似ているな、などと思う(『宇宙を旅する旅行者が、様々な星の人々、風景を描写する』というマンガ。こっちの方は好き。『夢の木の下で』の場合、やはりマンガだから「物語的な動き」があるし、訪れた場所での語り手の情緒がエッセイ的に語られているから好きなのかもしれない。空想的なエッセイとして読む、みたいに。あとボルヘス的なグロテスクさ/悪夢っぽさがあるし。


 





0 件のコメント :

コメントを投稿

歴史的な断絶と認識について

0 件のコメント


http://www.asahi.com/international/update/0815/017.html



ポーランド南部のクラクフで、旧東ドイツの国民車「トラバント」に乗って共産主義時代を体験するツアーが人気だ。古都の歴史的な街並みだけでは満足しない西欧からの観光客を中心に予約が殺到、数週間待ちの状況になっている。(中略)この車でクラクフ近郊のノバフタへ。スターリンの共産主義「理想都市」を目指し、ポーランドが49年から建設した製鉄の町だ。団地内に借りた部屋は、当時の電気製品などを集めて一般家庭の生活を再現。共産主義時代の雰囲気の残るレストランで、典型的な労働者を演じる人と一緒に食事やウオツカを楽しむ。グループ向けには、滞在中のホテルを秘密警察姿で急襲、一部の人を“逮捕、連行”するドッキリ企画もある。ツアーに参加したカナダ人のアレックス・ケネディさん(36)夫婦は「トラバントに乗ったのが一番楽しかった。共産主義を初めて体験でき、ポーランドの現代史を肌で感じることができた」と満足そうだった。



 共産主義から資本主義へとポーランドが乗り換えた際に「歴史的断絶」みたいな意識って無かったのだろうか、と思う。体制が変わったっつーことは名目上「住んでる国が変わったこと」になるだろうし、それによって「理想都市」と謳われた街が「製鉄所の煙に汚染された街」になんてうたい文句がガラリと変わっちゃったりなんかしてさ。私は「過去の体制=『失敗。間違い』だと思われてるんじゃないか」なんて風に思いがちで、ポーランドの過去に対する「寛容さ」がとても不思議に思えた。日本だったらありえないですよね。例えば「戦中の焼けやすい長屋暮らしを再現した食堂でカストリ焼酎飲みながら食事して、団体客向けには官憲姿の人に『逮捕・連行・尋問』されるドッキリ企画があるツアー」とか。それで「軍国主義を初めて体験でき、日本の現代史を肌で感じることができた」とか言ってもらえるわけないもん。すっごい怒られそうだし。





0 件のコメント :

コメントを投稿

リアルにゴミ

1 件のコメント



パルプ
パルプ
posted with amazlet on 06.08.16
チャールズ・ブコウスキー Charles Bukowski 柴田元幸
新潮社 (2000/03)
売り上げランキング: 31,778



 ブコウスキー最後の長篇小説。胸がスキッとするほどゴミ感に溢れた小説である。競馬狂かつ飲んだくれの55歳。ニック・ビーレン、自称スーパー探偵(腹はポッコリ出ている)のお話なのだけれど、基本的に主人公は飲むか、競馬で金をスルか、オフィスでダラダラしているだけで、何かするたびに上手く行かないことばかり。けれども、ご都合主義的に自体はコロコロと好転(?)し、ビーレンの元に来る依頼は解決されていく……。この何もしない加減が非常に頭使わないで「楽しい気持ち」に持っていてくれる。そして、吐き捨てられる自分も含んだ世界すべてに対する呪詛的な言葉が素晴らしくカッコ良い。小説で最初に舞い込む依頼は「死んだはずのセリーヌをハリウッドで見かけた。本物かどうか調べてくれ!」というものなんだけれど、ビーレンのぼやきはセリーヌも匹敵するんじゃないだろうか。宇宙人が登場するようなとんでもない舞台のために、シリアスな言葉が全然シリアスに受け取ることはできないんだけど。





 晩年のブコウスキーの姿勢は見習わなくてはならないところかも。この小説も60歳過ぎてからパソコン教室などに通って覚えたマッキントッシュを使い、バリバリとキータイプして書きまくったのだろう。ジジイになっても新しいことを覚えるパワーが残ってるのがすげぇな、って感じだ。型破りなジジイ。





 ちなみにタイトルの「パルプ」はアメリカで消費されていた三文小説の類のこと。タランティーノの『パルプ・フィクション』と同じ「ゴミ三文小説へのトリビュート」が込められてるんだろうか。タイトルに相応しく、池袋の丸の内線ホームにある古本コーナーで投げ売られているのを見つけて買いました。





1 件のコメント :

コメントを投稿

オリジナルよりカッコ良いぞ、プリンス/ジョージの息子

2 件のコメント


http://www.youtube.com/watch?v=2ND7wSZj-L0


 トム・ペティ、ジェフ・リンそしてプリンスによるジョージ・ハリスン作のビートルズの名曲「While My Guitar Gently Weeps」のカヴァー。テレビ番組の企画か何かでしょうか、よく分かりません。トム・ペティはジョージとTraveling Wilburysを結成していたし、ビートルズ大好きのジェフ・リンはジョージのソロ・アルバム『Cloud 9』をプロデュースするなど絡みがあったから良いとして、プリンスがこの場にいたのかよく分からん。しかし、後半の延々ギター弾きまくっている姿はオリジナル版でギターを弾いていたクラプトンよりもカッコ良くて素晴らしい。Youtubeの映像で久しぶりに感動した。





 ちなみにトム・ペティの隣でギターを弾いている黒いシャツのもっさい男性はジョージの息子ダーニ・ハリスン。父親と顔そっくりでジョージ追悼イベントに出てくるたびに「音楽活動はやらないのかなぁ」と思ってたけど、調べてみたら音楽活動始めてたんですね。thenewno2っていうバンド。公式サイトでPV、音源試聴できます(DLは不可っぽい)。「もうすっごいお父さんそっくりになっちゃって…」と声を漏らさずにはいられず、思わず大粒の涙を零してしまいそうな歌声。楽曲もやや似てる(ジョージがブリット・ポップのバンドをプロデュースした、みたいな)けど、父親の遺稿から曲を出してたりして。ギターのちょっと変態臭いところ(テープ逆回転っぽいソロとか)はジョージというよりジョンの曲っぽいのが笑える。





2 件のコメント :

コメントを投稿

お前の心臓が透けて見えるぜ

0 件のコメント



荒野のダッチワイフ
荒野のダッチワイフ
posted with amazlet on 06.08.14
ビデオメーカー (2002/08/23)
売り上げランキング: 20,959



 「これねー、音楽が山下洋輔なんですよー(マジでー?)」っていう軽いノリで借りて見てはいけないマッドなカルト・ムービー。『荒野のダッチワイフ』。もうタイトルからすげーんだけど、一言「とんでもない映画を観てしまった……」と云いたい。





 途中で話が込み入ってきてカフカばりの不条理劇になってしまうのか、と思ったけれど見終わって一息すると「そんなに複雑な話でもないな」と思える不思議さはなんだろうなぁ、この感じ。ギンギンに神経が冴えて飛んで行ってしまうLSD的な極彩色のサイケ感ではなく、催眠剤を大量摂取して鈍くラリっていく感じなのかもしれないなぁ、なんて思う(どっちも飲んだこと無いからわかんないけど)。





 「映画はヴィジュアルありき(女優が可愛かったら大抵どんな酷い映画も満足)」な私は一番最初から「むぅ、役者がカッコ良くないなぁ」と思って不満だったのだけれど、これ脚本このままで主演、阿部寛とかだったら最高にカッコ良いのかもしれない。セリフがいちいちカッコ良くてハードボイルドの男臭い美学が匂い立つのだけれど、どうにも俳優がカッコ良くないからキマらず。脱臼させられてしまった。





0 件のコメント :

コメントを投稿

レオニード・コーガンボックスの感想

0 件のコメント


http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1372685


 先日、オランダの廉価CDレーベル「ブリリアント」から発売されている「Historic Russian Archives」シリーズのレオニード・コーガン10枚組ボックスを購入しました。やっと10枚すべてをそれなりに聴き終えたところなので感想を書いておきます。







 まず、率直な感想を言うと「これで定価5144円(HMV店舗で買うともう少し安い)は安すぎ」。個人的に注目していたのは、長年廃盤だったショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の録音でしたが、デニーソフ、ハチャトゥリアン、フレンニコフなどそれほど知名度が高くないソヴィエトの作曲家の音源まで手に入るのはお得です。





 特にデニーソフ《ヴァイオリンと室内オーケストラのためのパルティータ》は、作品的にも興味深い。これはJ.S.バッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番》(有名な《シャコンヌ》があるやつ)を室内オーケストラとの協奏曲的に編曲したものですが、ここで行われた編曲はただ単に原曲にオーケストレーションを施したものではありません。デニーソフは新たに対旋律を書き加え、さらに「現代音楽的な」不協和音を添えています。この新たな書き加えが、原曲に対する影のように響いていて大変面白い。シュニトケの「多様式主義」の前段階とさえ感じられました。





 録音の状態は古いもの(50-60年代)が半分、割と新しめのもの(70-80年代)が半分と言ったところでしょうか。レニングラード・フィルでムラヴィンスキーの前任だったアレクサンドル・ガウクや、コーガンの息子であるパヴェル・コーガンの指揮などはなかなか聴けるものでなくこれも貴重です。また、現代であればピアノ伴奏で演奏されるような小品(ショーソン《詩曲》、ヴェニヤフスキ《伝説》など)もすべてオーケストラ伴奏で演奏されています。そのあたりにソヴィエト連邦という国の「意地」のようなものを感じます(フランクのヴァイオリン・ソナタまでオーケストラ伴奏のものに編曲されていたりする)。





 コーガンの演奏を集中的に聴く機会は今回が初めてでしたが、彼の演奏スタイルは古楽の演奏法を取り入れる前のヴィクトリア・ムローヴァと似ていることに気がつきました。ピンと芯の張った硬い音色、速めのテンポ設定、歌い崩れることのない解釈。不思議だなぁ、と思って調べてみるとやはりムローヴァはコーガンに師事していたようで「似ているのは当然の結果」ということが分かりました。





0 件のコメント :

コメントを投稿

我、「ファッション左翼」を標榜す

0 件のコメント



バカにつける薬
バカにつける薬
posted with amazlet on 06.08.14
呉智英
双葉社 (1996/07)
売り上げランキング: 113,628



 素なのか演技なのかよく分からないが奇天烈で多弁な「歌舞伎者(かぶきもの)」が好きである。向井秀徳だとか、菊地成孔だとかが好きなのは彼らが存分に「カブいちゃってる」人物だからだ。あとはプロレスラーの西村修とか。彼らの態度を見ていると、その言動なんかは私にはとても「ガチで言ってる」ようには思えない。彼らに対して批判してもスルスルと暖簾に腕押し状態で通り過ぎてしまうのではなかろーか、なんていう立ち位置の気楽さもまた素敵だ。





 呉智英を批評家として扱っていいのかどうかよくわからないのだが、現在の日本の批評空間において「最強の歌舞伎者」と言えるのではないだろうか。例えば、彼の最初の単著である『封建主義者かく語りき(原題『封建主義、その論理と情熱』)』で熱烈に述べる「封建主義の素晴らしさ(と戦後民主主義の悪)」など、最高にバカらしくて良い。出版された当初、結構物議を醸し出したらしいけれども、こんなものに真剣に怒る方がアホウなんじゃなかろーか、と思う。呉智英の厄介なところはそういった「バカあぶり出し」が大変に上手いところである。上に挙げたの『バカにつける薬』でも様々な人物に「あいつはどうしようもないバカだ」という攻撃的な言葉を投げつけて、自分から「論争」を焚きつけ向かう敵をさらにバカにしていく、という最強ヒールっぷりを発揮していて大変面白かった。





 話は変わって、私は日頃「ファッション左翼」なるものを標榜している。「左翼用語ってカッコ良いよなぁ。インチキ臭いし、カブいてるし」という思いつきから、率先して「主体性が…」とか「幻想としての国家の…」などと言っているだけなのだが(思想的には全くのノンポリ)、呉智英の文体とか封建主義に対する態度などは非常に勉強になるところである。





0 件のコメント :

コメントを投稿

読んでいるうちに悲しくなった

0 件のコメント



JAZZ LEGENDS―ダウン・ビート・アンソロジー
広瀬真之 フランク・アルカイヤー 田村亜紀
シンコーミュージックエンタテイメント (2006/03)


 創刊から70年あまりアメリカのジャズを伝え続けている音楽雑誌、『Down Beat』の膨大な記事の中から「最高のものを精選した」本。これが訳出されたおかげで割と現在取り組んでいる研究がスムーズに進んだので助かった!むっちゃセコハン・データだけど…国内で『Down Beat』所蔵している図書館なんてないしなぁ…、ということで頼るしかないのである(やる気が足りない)。とか、言いつつも原文と照らし合わせなくても分かる翻訳ミスがあったり*1、音楽用語の訳注が思いっきり間違っていたり*2、細かいところが気になってしまった。ごめん。




 一言で言ってしまうと「菊地成孔関連のジャズ本の方が4倍ぐらい面白い」ので税抜4600円も出して買う必要は全くない。「最高のものを精選した」と謳う割りにどうでも良い記事が結構あったりしてね…(その『どうでも良さ』をわざわざ語っている、という事実は私の研究にとって大事だったりするんだけど)。読んでいて悲しくなるのは、70年代を境にしてそういった「クズ記事」がどんどん増えていってること。特に80年代、90年代の記事からの抜粋はほぼ読むところがない*3。面白いのは「やっぱり50年代、60年代だったのだなぁ」とか思ってしまった。特にフリー・ジャズの波がやって来たあたりはすごく刺激的である。ただ、オーネット・コールマンの記事しかないのはどうしたことか。60年代の冒頭で「フリー・ジャズの時代が…」と言いつつ、ドルフィーもアイラーもないのはおかしいだろう、と。





 それとこれはライターにもよるのだろうけど、年代が現代に近づくにつれて装飾的な表現がどんどん大げさになっていったりするのも面白かったりする。正直、アドルノぐらい伝わらない表現もあるぞ。





 個人的に一番の発見だったのはチャールズ・ミンガスが自らの音楽論を書いた記事。「4/4拍子のスウィングを12/8拍子で正確に書けば、クラシックのヴァイオリン弾きだってスウィングができるはずだ!」という主旨なのだけれど、この「楽譜に音楽を正確に書き残す」っていう考え方が、ミンガスと他のミュージシャンと全く別格の存在であることを示しているように思った。このミンガスの方法論ってものすごく西洋の伝統的な音楽観に接近している。実際のミンガスの楽譜がどうだったか分からないけれど、とてもこれは重要なことなんじゃなかろーか。何となくミンガスを避けてきたけれど聴いてみようなんて思った(ドルフィーもいたし)。




*1:第一次世界大戦となるところが、第二次世界大戦となっていたり


*2:アンブシュアを「マウスピースのこと」と書いていたり


*3:分量も他の年代より格段に少ないから『実際にクズ記事が多かったか』まではよくわからない。この頃の『Down Beat』誌は過去の名盤特集ばっかりやっていたみたいだ





0 件のコメント :

コメントを投稿

それから、オランダ

0 件のコメント



Turn
Turn
posted with amazlet on 06.08.13
The Ex
Touch & Go (2004/09/14)
売り上げランキング: 76,292



 友人の家で一番絞りをゴクリゴクリと飲みつつ、ツェッペリンのサードを爆音で鳴らし「うむ…」「ふーむ…」などと頷く、という大変気持ちの悪い遊戯に興じる。ひとしきり聴いた後は、膨大なCDの山から適当に面白いものを聴き漁った。


 


 そこで引っかかったのがTHE EX。「オランダのFUGAZI」と呼ばれているバンドらしいがSONIC YOUTHと交流があるのだとか。聴いたアルバムはスティーヴ・アルビニのプロデュースでジャキジャキ感が堪らない。このあたりは動物的に反応してしまいます。演奏もやけに上手く、そのあたりが仲良しのSONIC YOUTHとは一線を画する。とにかくリズム隊がタイトで、かつ重量感がある(ウッド・ベース使っているせいで余計にヘヴィに感じる)。そのビート感にかなりきっちり乗って、ギターが掻き鳴らされてる。この感じ。ものすごい既知感あるなぁ……と思い起こしたのが、SKELETON CREW。曲とか音の質感がポスト・パンク/ハードコア然としているのに、演奏が上手すぎるせいでフレッド・フリス周辺とかレコメン系の人たちかと錯覚してしまった。実際、関係あるのかも知れない。ヨーロッパだし。





 オランダといえば…FOCUSばかりを思い出してしまうのだが、こういうバンドもあるのだなー、と感心した。文句なしにカッコ良くて、こういうの聴いてる人たちはズルいなぁ、とかうらやましく思います。公式サイトで音源DL化(こちら)。





0 件のコメント :

コメントを投稿

”See you in a dream”

0 件のコメント


 大友良英さんのはてなで告知されていたライヴイベント『"See you in a dream"・・・in concerts 大友良英produces さがゆきsings』。ちょうど渋谷毅さんのピアノが聴きたいなぁ、って衝動的に思った日があって調べたらこんなイベントがあって。とっくにチケットは抑えてある。場所は森下文化センター。あぁ、何度オーケストラの練習で行ったことだろう。ステージとして使用されるのには初めて行くけれど、自分が同じ場所に立っていたことがある、ってちょっとした自慢になるんじゃなかろーか、なんて。……考えてみれば、日本青年館のコンサート・ホールや東京芸術劇場、すみだトリフォニーホールで演奏したことがあるんだから「○○と同じ舞台に立った」なんて全然大したことないのだが。



『see you in a dream』 in concerts 大友良英 produces さがゆき sings


出演:さがゆき:vocal、大友良英:guitar, guitar-banjo、渋谷毅:piano、山本精一:vocal, guitar、近藤達郎:organ, harmonica、栗原正己:bass, mellophone, recorder、関島岳郎:tuba, recorder、坂本弘道:cello, musical saw、高良久美子:vibraphone, percussion、芳垣安洋:drums, percussion, trumpet スペシャル・ゲスト(東京公演のみ):津上研太:soprano sax、青木タイセイ:trombone


 [ 東京公演 ] 8月25日(金) @江東区森下文化センター 多目的ホール 18:30 open/19:00 start


 料金:前売 ¥3,000/当日 ¥3,500 全席自由


 チケット取り扱い:6月10日(土)より、森下文化センター及びローソンチケット(tel. 0570-063-003、Lコード:33657)にて販売開始。また(財)江東区地域振興会のHP( http://www.kcf.or.jp )でもクレジットカード決済可、8月13日受付終了)。お問い合わせ:森下文化センター tel. 03-5600-8666


 主催:(財)江東区地域振興会、森下文化センター



 まだ『See you in a dream』のCDを聴いていないのが問題だ。





0 件のコメント :

コメントを投稿

大井浩明さんのブログ

0 件のコメント


http://ooipiano.exblog.jp/


 以前にクセナキスの録音で話題となったピアニスト、大井浩明さんのブログを発見しました(mixiにご本人の足跡がついていた!)。文章も大変面白いのですが、本人の演奏が聴けるのが嬉しい。貴重な音源が多々あったので紹介しておきます。





http://www.geocities.jp/connexities/connexities.html


 話題となったクセナキスの《シナファイ》(オーケストラは井上道義/新日フィル)。日本初演?演奏時のエピソードなどはこちら。最近はオンド・マルトノや古楽器(チェンバロ、ピアノ・フォルテなど)も演奏されているようですね。





0 件のコメント :

コメントを投稿

君は覚えているか、『ダウンタウンの発明将軍』のことを

0 件のコメント


 朝日新聞朝刊のテレビ欄の裏面には「青鉛筆」というコーナーがあります。よく「高齢だから免許を警察に返還したジジイ」とか「畑で取れた珍しい野菜」とかの写真が載っているようなコーナーね。今日のそこには「歩行者がマットの上を歩くと電気が起きる機械」っていうのが紹介されていました。





 それを読んで強烈に思い出したのが、私が中学生の頃(確か)日本テレビで放送されていた『ダウンタウンの発明将軍』という番組のこと。その内容は、ダウンタウンが司会で視聴者が持ち込む「発明品」を紹介する…というもの。で、毎回、何人かの出場者の中から「発明将軍」が選ばれて賞金が送られていた。何でそんなものを思い出したかというと、新聞に載っていた「発電マット」と全く同じものが『発明将軍』の中に出てきてたんだよ。確かそれを持ち込んだ人は惜しくも発明将軍になれなかったと思うんだけれども。





 「発電マット」との何年ぶりかの邂逅が、特に感動だった、というわけではないのだけれど。あぁ、そういえばあの番組、弟のクラスメートIくんのおじいちゃんが出場して発明将軍になってたっけ。賞金100万円だったかな。Iくんのおじいちゃんの発明品は「ベッドに寝ながらでも将棋が指せるマシーン」だった気がする。





0 件のコメント :

コメントを投稿

穴だらけの日常

0 件のコメント



愛について語るときに我々の語ること
レイモンド カーヴァー Raymond Carver 村上 春樹
中央公論新社 (2006/07)


 最近、読みたかった本が文庫になりまくっているのでつい買ってしまうのだけれど、読むスピードと出るスピードのギアが全く噛み合っていない感じで、大変です。フーコー・コレクションはもう既に第4巻まで行っているっつーのに*1、私はまだ第3巻すら手にしていない…。レイモンド・カーヴァーの全集は『大聖堂』と『象/滝への新しい小径』だけ箱入りハードカバーで持っていて、後は図書館で読みました。だから、文庫版を勝って読んだら再読、ということになる(あとペーパーバックも持っている…翻訳ものを買う必要はないのかも知れない)。ってかそんなユルユルした読書なんてしている場合じゃないのだけれど、一度読むと止まらない性格のため、結局一気に読んでしまった!





 この本の中にも好きな作品はたくさんある。最も好きなのは「菓子袋」。これは離婚のキッカケとなった不倫話を息子に聞かせるお父さんの話で、息子が父親の話にほっとんど関心を持たず聞いている、というのが父親の「ダメさ」をさらに色濃くしてて良い。次点が「出かけるって女たちに言ってくるよ」。これはカーヴァーの小説というよりもキングっぽい恐ろしさがある。異色だけど(主人公もそれなりに『幸福』であるし)面白い。挙げていったらキリが無いな、全部好きだ。表題作だけは、なんとなくイマイチピンと来ないんだけれど。ピンと来なくても、なんかすごく惹かれるのは「ミスター・コーヒーとミスター修理屋」。これはものすごく不思議な小説。物語の中では特に何も出来事が起こらず、語り手(=主人公)が目にした「ヘヴィなこと」が時系列もバラバラに語られる、だけ、という。オチも何にも無いんだけれど、なんか変に面白いんだよなぁ。




*1id:elieliさんのブログで知りました





0 件のコメント :

コメントを投稿

オダギリジョーに「ほれる」。

0 件のコメント



ゆれる オリジナルサウンドトラック
カリフラワーズ
インポート・ミュージック・サービス (2006/07/05)



 新宿武蔵野館にて鑑賞。最近観た単館系の邦画では最も面白かった部類に入る映画でした。タイトルの「ゆれる」は、つり橋だけではなく、兄弟(主人公-兄、主人公の父-主人公の伯父)の関係性の象徴でもあり、上手いタイトルのつけかただなぁ、と思ってしまいます。兄役の香川照之のセリフがオダギリジョーの心理をガツガツとゆらしていくところなど、非常にスリリングに描けていて、眠気が吹っ飛びます。全体的なストーリーは「『カラマーゾフの兄弟』+カーヴァーの小説」みたいに思えました。どうにもならないダメさ、とかがカーヴァー的というか。





 冒頭5分ぐらいは「オダギリジョーのPV」と言っても過言ではなく、玄関を出る際に自分のマネージャー(オダギリ演じる主人公は写真家、という設定)に突然キスをして去っていくところなど、カッコ良すぎて胸キュンです。濡れます。で、でっかくて古い外車に乗り込んで走り出していくのですが、エンジンをかけた瞬間、ファンキーなベースがボボン、ボボンと鳴り出して、その効果がもう完璧。カッコ良すぎ(サントラ良いです)。





 木村佑一の「素っぽい検事」の役や、ピエール瀧のデカさも良かったです。が、最も強烈だったのは伊武雅刀(主人公の父親役)。冒頭から田舎の頭の堅いジジイ(もうだいぶ歳が体にキテる感じの)っぷりを見事に演じちゃってるんですが、映画の中で二箇所自分で洗濯ものを干しているシーンがあり、その二つのシーンの変化が上手い感じ。





 どうでも良いところで個人的に一番好きなシーンは「オダギリが元恋人と再会して速攻で濡れ場に行っちゃうところの次のショットで、ガソリンスタンドで働く香川さんがトラックのガソリン給油口にあの銃みたいな形の機械を差し込んでいる」という流れ。くだらないんだけれど、あれは山中貞雄もびっくりだ、と思った。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ヌルい音楽の極北!

0 件のコメント



ウクレレ栗コーダー
ウクレレ栗コーダー
posted with amazlet on 06.08.10
栗コーダーカルテット
ジェネオン エンタテインメント (2006/07/05)



 ジャケット写真が最悪ですが(なんっつーか安いジャズの編集盤を思い起こさせる)、ジュネオンから発売されている「ウクレレ」シリーズから、栗コーダーカルテットが演奏した音源を抜粋し一枚に集めたもの。と言っても、半分以上が新録音です。





 「リコーダー意外の楽器が専門の4人が、知久寿焼のライブのバッキングをきっかけに1994年の夏になんとなく結成」という適当なグループ紹介から想像されるとおり、ものすごくヘタクソな、よく言えば味のある演奏を聞かせてくれます。メンバーは栗原正己(DCPRGのベース)、川口義之(渋さ知らズのサックス)、近藤研二(元Hi-Posi)、関島岳郎(シカラムータ、DCPRGのチューバ)と参加しているグループをみるとものすごい豪華…。





 一曲目のモーツァルト《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》から聴くものすべてを脱臼させる珠玉のアルバム。「ウクレレ=夏」のイメージですが、これはウクレレが入っていても夏の爽やかなど一切感じさせず、ただ心地良いヌルさだけがあります。サイモン・ジェフズのペンギン・カフェ・オーケストラのカヴァーも本家を凌ぐユルさで素敵過ぎる。





 試聴などはこちら





0 件のコメント :

コメントを投稿

夜っぽいー。えろいー。

0 件のコメント



cure jazz
cure jazz
posted with amazlet on 06.08.09
UA×菊地成孔
ビクターエンタテインメント (2006/07/19)



 昨日、新幹線で東京に戻ってきたのですが、戻ってきて初めて行ったのが買い物。池袋についたのが8時50分で、東武HMVが閉まるのが9時だったため、急いで欲しかったCDをごっそりと買ってやりました。10分間で買ったCDは24枚。買ったものについては、いずれブログに書いていこうと思います。フジロックであえて観なかったUA×菊地成孔がとても良く、こればっかり聴いているのでなかなか他のCDを聴いていない、というのが現状なわけです。





 アートワークが「なんかECMっぽいなぁ…」と思ってしまい少し心配になったのですが、音は全く関係無いですね。ディレイ・エフェクト無しで、トゲトゲしい音色で歌謡曲風に吹かない菊地さんのサックスを私はこのアルバムで初めてまともに聴いた気がします。「僕は技術的にはかなりヘタクソですよ」と自分でおっしゃっていますが、なんだ、めちゃくちゃカッコ良いじゃないか。主要セクションはほぼ菊地成孔 Quintet Live Dubのメンバーだったり、他も知っている人たちで固められていてビックリするぐらい豪華。アレンジも良くて文句無し(7曲目のビッグバンド風アレンジがとても好き)。





 クラヴ的なものとジャズ的なものが混ざり合って素晴らしいエロスを成立させている…というのが全体的な印象。素晴らしいアルバムでした。


 





0 件のコメント :

コメントを投稿

なんかしょんぼりしてくる

0 件のコメント



桜の園・三人姉妹
桜の園・三人姉妹
posted with amazlet on 06.08.09
チェーホフ 神西清
新潮社 (1967/08)
売り上げランキング: 58,309



 新潮文庫に入っているチェーホフの翻訳はすべて読んでしまう。普通こういうときって「コンプリートしたぜ!」っていう達成感があるんだけれども、チェーホフを読むといつも結構「良いのか…これで…」という煮え切らない感じになるので達成感がない。『かもめ』ぐらいバッサリとしたカタストロフなら良いのだけれど…順番間違えたかな。あと『桜の園』は「喜劇」って書いてあって「笑えねぇよ!こんな話!!」と思いました。「借金のカタに土地を差し押さえられてる斜陽のご身分なのに、浮浪者に金貨をあげちゃう奥さん」とか大変滑稽だけれど、滑稽であればあるほど余計に悲惨な気持ちになりますね。





 『三人姉妹』はペーター・エトヴェシュ(ハンガリーの作曲家、指揮者)がオペラ化していますが、それについて調べていたら上演の際にアシスタントをやっていた方の記事を見つけました。


http://www.colare.jp/rareko/semimaru/vol14.html





0 件のコメント :

コメントを投稿

こいつぁ、天才だ!

0 件のコメント



あらゆる場所に花束が…
中原昌也
新潮社 (2005/04)
売り上げランキング: 29,771



 中原昌也二冊目。天才過ぎてゲラゲラと笑う。バラッバラッと散りばめられたジャンクが塊となってぶつかってくるような長篇小説でした。もう終わり方なんて最高。まず読め!そしてロックしろ!ロールしろ!!と壇上から説教を行うJBのように振舞いたくなるほど面白かったです。たぶんここまで暴力的なのに気持ち悪くならないのは、リアリティがすっぽりと抜け落ちているせいなのだと思います。AK47やS&Wが出てくるよりも、中上健次が書くような「腹違いの弟を石で殴り殺す」ようなものの方がこうグッと怖い。





0 件のコメント :

コメントを投稿

がっぷり四つに組み合って

0 件のコメント



言葉と物―人文科学の考古学
ミシェル・フーコー 渡辺 一民 佐々木 明 Michel Foucault
新潮社 (2000/00)
売り上げランキング: 77,918



 フーコーのテキストの読み方がずっと気になっていていたので読みました。ボリュームたっぷりでかなりてこずったけれども、その労力に見合う内容。特に前半の16~18世紀までの「知の方法」の流れは、本を手に入れる前の目論見(こんなことが書いてあるんじゃないかなぁ、っていう)とかなり近くて楽しかったです。狙い通りにボールが投げ込まれたときの快感。特に第4章《語ること》で示される「語ること」と「認識すること」との間に存在する乗り越えることができない壁のあたりは勉強になりました。このあたりがミード的さらにはルーマン的なコミュニケーションの不可能性と同じくして考えることができるように思われます(本当かどうかは知りません)。





 ただ、後半(近代的な人文諸科学への痛烈な批判のあたり)はちょっと自分の力不足で、率先して誤読するような形になってしまいました。残念。でも、今は必要ないから良いかなー。サブテキストを用意して、そのうち再アタックしてみよう。





0 件のコメント :

コメントを投稿

夏だからラテンというわけでなく

0 件のコメント



The Best of Eddie Palmieri
The Best of Eddie Palmieri
posted with amazlet on 06.08.08
Eddie Palmieri
Charly (2004/07/19)
売り上げランキング: 82,537



 エディー・パルミェーリという人の音源を友人が貸してくれたので繰り返し聴いています。なんでもこの人「サルサ界のマイルス・デイヴィス」的存在らしく、その道ではとても有名な人らしい。60年代末からロックの影響を受け「ラテン・サウンド版グレイトフル・デッド、もしくはP-ファンク」とも形容される音楽を生み出した人なんだとか。





 借りたのは『Superimposition』(1970年)というアルバムなんですが、アマゾンで見つからなかったのでこのアルバムの曲が幾つか入っているベスト盤を挙げておきました。聴いたアルバムは「ラテン・サウンド版P-ファンク」と呼べるほど刺激を感じませんでしたが、ラテン系のパーカッションがポコポコと鳴っている上で、彼の流麗なピアノのプレイと威勢の良いホーンが絡み合うという素敵なフゥージョンアルバムでした。縦に振動するファンキーなリズムではなく、横に回転するグルーヴが心地よく、意識が不思議なところに持っていかれる感じ。ちょっとリターン・トゥ・フォーエヴァーにも近いな。





 そもそもサルサという音楽自体、キューバのルンバがアメリカで発展したものだそうで「純粋にワールドミュージックと言えるか?」と言えば微妙なライン。言ってみれば「マージナル(境界線上)の音楽」なんでしょう。元々からして「フゥージョン」的だったわけで、そこに70年代のチック・コリアを感じてしまうのも当然と言えば当然なのかもしれません。何らかのもの(A)が異文化(B)と触れ合ったときに素晴らしいもの(C)が生まれてくる、と言った現象を追っていくという行為には一粒で二度美味しいような楽しみがあります。もちろんそれは「ルンバ原理主義」の人からすれば「サルサなんて邪道だよ」と言われてしまうかもしれないけれど、一種の発展とも言えるわけで。





 そういった「発展」は、ルンバがサルサという別の「ジャンル」へと変化したような大掛かりなものだけでなくジャンルを保ったままでも行われることがあります。最近それを感じたのはポルトガルのファドを聴いていたときのこと。ファド界ではアマリア・ロドリゲスというとても有名な女性歌手がいるのですが、彼女の3枚組のベスト盤を聴いていると時々ものすごくアメリカのポップスっぽいアレンジが加えられている曲があったりするんですね。バックはストリングスが演奏していて、ヴォーカルの対旋律がオーボエ…みたいな。本来であれば、ファドのバックはギターラと呼ばれる12弦ギターによって演奏されるべきなのかもしれません。でも、ストリングスとオーボエをバックに歌うアマリア・ロドリゲスの「ファド」も、とても良いものなんです。アメリカン・ポップス風アレンジの曲が発表された年代なんかを見ると、ちょうどアマリア・ロドリゲスがポルトガル国内で圧倒的な人気を収め、主演映画も作られた時期で、国外にもアピールしようという思惑もあったのかもしれません。「一つ、アメリカっぽいアレンジで売り出してみるか!」みたいな。そこにはむちゃくちゃ金、というか資本の臭いがするんだけれど、私のような「お金がかかっていれば何でも好き」みたいな人間にとっては、喜ばしい現象で「資本万歳!」と叫びたくなるぐらい素晴らしく思ってしまいます。





 エディー・パルミェーリの音楽だって、あれだけ豪華なパーカッション陣を揃えるならば金が掛からないはずがなく、そこには資本の力が必要不可欠だったんじゃなろーか。よく「守銭奴が!」とか言ってお金の臭いがするアーティストを嫌い人がいるけれど、それも間違いなんじゃないかなぁ、なんて。アーティストのインスピレーションの素晴らしさを語ることはもちろんだけれど、アーティストとお金をめぐる話を語るのも面白いと思います。現にマイルスだって、ベニー・グッドマンだってお金大好きだったわけだし。





0 件のコメント :

コメントを投稿

停滞する音楽

0 件のコメント



Womblife
Womblife
posted with amazlet on 06.08.04
John Fahey
Table of Elements (1997/08/18)



 まだ地元、福島にいます。本日は最高気温が36度。まったく避暑地には適しない帰省になっていますが、ガンガンにクーラーを稼動させてフーコーの『言葉の物』を精読していたら日が暮れました。





 BGMにしていたのは「ジム・オルークも惚れた」というアメリカのカルト・ギター・ヒーロー、ジョン・フェイヒィの『Womblife』。先日、友人が持ってきてくれたアルバムですが、初めて聴いたときはよくわからず「妙な気分になるなぁ、これ」と聴くのを止めて友人をがっかりさせてしまいましたが、何度も聴いているうちに「妙な気分」具合が体に馴染んできて、気がつくと何度もリピート再生している自分がいました。ガムランやテープ音楽のノイズみたいなものをバッグにして妙に透明感があるギターの即興演奏が続きますが、いつまで聴いても特に盛り上がる展開があるわけでもなく、ものすごくゆっくりと物語が進行していく感じ。時間の感覚が引き伸ばされてしまい、気がつくと煙草が燃えカスになっている…という不思議な体験でした。





 ものすごいダウナーなんだけれど、暗くないのもまた適度でよろしい。





0 件のコメント :

コメントを投稿

追悼、シュヴァルツコップ

2 件のコメント


http://www.asahi.com/obituaries/update/0804/001.html


エリザベート・シュワルツコップさん(ドイツのソプラノ歌手)が3日、オーストリア西部シュルンスの自宅で死去、90歳。オーストリア通信などが伝えた。死因は明らかにされていない。


旧ドイツ帝国東部ポズナニ近郊のヤロチン(現ポーランド)生まれ。ベルリンで学び、ウィーン国立歌劇場で活躍した。指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンに認められて、英コベントガーデンやミラノ・スカラ座などで成功、マリア・カラスらとともに20世紀を代表する名ソプラノとなった。英レコード会社EMIプロデューサーと結婚し、英国籍を得た。モーツァルトやシューベルト、ボルフらの歌曲が得意で、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」の元帥夫人がはまり役だった。68年から74年にかけて来日公演した。79年に引退したが、後進の指導に力を入れた。バリトン歌手トーマス・ハンプソンさんは教え子の一人。


私が音楽を聴き始めた頃にはとっくに引退していたけれども、一番好きなソプラノ歌手でした。ソプラノ歌手と言えばマリア・カラスよりもシュヴァルツコップ。公私のパートナーだったウォルター・レッグは、彼女の引退コンサートを聴きに行って亡くなっているのですが、このレッグ/シュヴァルツコップという組み合わせは20世紀の音楽界で最も音楽に厳格だった夫婦だったように思います。女性性に流れないカッコ良いソプラノ。フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団の《合唱付》は有名だけれどもモーツァルトのアリア集などがとても良い。あとはクレンペラーとの《ドイツ・レクイエム》など。




ご冥福をお祈りします。


モーツァルト:オペラ・アリア集
シュワルツコップ(エリザベート) プリッチャード(ジョン) フィルハーモニア管弦楽団 モーツァルト
東芝EMI (2004/12/08)
売り上げランキング: 118,202





2 件のコメント :

コメントを投稿

『めかくしプレイ』松山晋也

0 件のコメント


 『MUSIC MAGAZINE』増刊のムック。「色んなミュージシャンにブラインドで曲を聴かせて色んなことを語ってもらう」趣旨の「めかくしプレイ」という雑誌連載が一まとまりになったもの。登場するミュージシャンの数は100人。岸田繁、向井秀徳、菊地成孔といった話題の人からエンケン、JOJO広重、巻上公一といった「大御所」までが出てくる。とにかく「これ!」といったジャンルのくくりがなく登場するので誰が買っても面白いんじゃないかな、と思う。ここ30年ぐらいの日本の歌謡曲以外の音楽を俯瞰するような人選。渋谷系もバンド・ブームも下北系の人もいる。





 そのなかでも面白かったのがシカラムータなどで活躍する大熊亘のインタビュー。彼が音楽活動を始めるきっかけとなった衝動が語られていて、それが私が想像する「裏・80年代」的な憂鬱とぴったり一致した。学生運動とか安保闘争とか「祭り」が終焉して、消費的な空気が流れ出した空虚な躁状態、っつーか。アホみたいに景気が良かったんだろうけれど、そんな躁社会にノレなかった人たちのコンプレックスみたいなものが、当時のポスト・パンク/ハードコアの人たちのパフォーマンスには滲み出てきている気がする。





 話は少し変わって、現在、関西ゼロ世代とか高円寺の円盤周辺にわけがわかんないバンドが出てきて、盛り上がっているみたいなのを、友人から聞いて知っている。で、当然それらの「わけわかんない感」と、80年代のポスト・パンク/ハードコアの人たちの「わけわかんない感」は私の中で重なって聴こえる(もともとよく知らないから余計にね)。んだけど、やっぱり全然「態度」の面からして違うんだよな。80年代は「ガチでマジ」っぽい。今の人たち、炊飯ジャーにウンコしたり、マイクスタンドで客殴ったりしないし。まぁ、私はそういうの怖いから流血沙汰とかウンコとかゲロとか見たらヒいちゃうんだけれど、今いわゆる「アングラ」なところで活動してる若いミュージシャンには最初から「醒めてる感じ」とか「去勢されちゃってる感じ」を嗅ぎ取ってしまって、「なんだろうなー」と思ったりするのだ。世代論なんて嘘っぽいけれど、それが00年代の姿なんだろうか。客に角煮を喰わせたり、セーラー服のコスプレで客にパンツを見せたりするパフォーマンスの「柔らかさと鈍さ」は逆に面白いのかもしれないけれど。





 あと中原昌也のインタビューがぶっちぎりで笑えた。あと灰野敬二に宇多田を聴かせる、とかも。





0 件のコメント :

コメントを投稿

時速300キロの分裂症的シチュエーション

0 件のコメント



佐藤君と柴田君
佐藤君と柴田君
posted with amazlet on 06.08.03
佐藤良明 柴田元幸
新潮社 (1999/06)
売り上げランキング: 230,787



 昨日、東京に用事があったから一時的に帰省を切り上げて新幹線に乗ったりなんかして、それからまた今日の夕方福島へと戻ってきた。現在、フーコーの『言葉と物』を精読するのに主な時間を割いているのだが、さすがに新幹線のリクライニングシートに座って読書ノートと『言葉と物』を広げるわけにはいかないから、軽めの本を選んで一気に読んだ。




 佐藤良明と柴田元幸という二人の東大の先生によるセッション的エッセイ集。ピンチョン、ベイトソンの翻訳それからポピュラー・ミュージックの研究もされている佐藤先生*1、対、村上春樹などとも絡みオースターやら何やらを訳してらっしゃる柴田先生、だから、なんとなく文面も20世紀のアメリカの「オルタナ(っぽい)文学」の香りがして面白かった。





 と言っても特にその香りの源泉になってるような小説に親しみがあるわけでなく、具体的な名前で言えばピンチョンを一冊読んだ、ぐらいしか言えないから、私のそういった「オルタナ文学」に対する印象が「正しいか、どうか」定かではない(大体、『オルタナ文学』という呼称が正しいかどうかもよくわからん)。が、そういったジャンル(?)にくくられているものに、ものすごく分裂症的な像を感じる。あるいは、なにか「本流」に対して屈折した態度表明のような…。いわゆる「ポスト・モダン」って言うんですか?本のなかにもこのキーワードが頻出していた。書かれたのが90年代だから仕方ないのかもしれない。ニルヴァーナと渋谷系がいた90年代。





 ビール3本でトム・ウェイツみたいに酔いつぶれたサラリーマンに挟まれて、大宮から福島まで運ばれる喫煙車両の中で、ブルックナーの交響曲第8番を聴きながら、読書して…っていう自分がそのときいた状況も充分に分裂症的だけれど、きっと90年代はその分裂にすら気がつかず、時速300キロメートルぐらいで突っ走ってた時代だったのかなぁ、なんて思う。知らないけどさ。




*1:一度、アメリカのポップス産業に関する講演を聞いたことがある。講演は『<黒い>サウンドとは?』というタイトル。よく評論的な文章に用いられる音楽の「黒さ」がアメリカの音楽産業によって作り上げられた「幻想」である、というのが主旨だった。id:mochilonの人などはチェックしておくことをお勧めする





0 件のコメント :

コメントを投稿

日本人の印象は?

0 件のコメント



東京に暮す―1928~1936
東京に暮す―1928~1936
posted with amazlet on 06.08.01
キャサリン・サンソム 大久保 美春
岩波書店 (1994/12)
売り上げランキング: 141,885

ダンナさんが外交官でイギリスからはるばるやってきたキャサリン・サンソムさんの日本印象記。大変面白く読む。8年間も日本に住んでいただけあって、ひょっこり日本にやってきた外人が第一印象の衝撃で書きなぐられたようなものではなく、逆に「うわー、よく日本人のことを観察しているなぁ」と思わされた。「日本の女学生は、靴を引きずって歩くからみっともない」だとか「日本の庭師はトーマス・ビーチャム*1のようだ」だとか、筆者の感性・審美眼によってあれこれ言ってる様子は在日イギリス人版『枕草子』みたいであった。挿絵も豊富。これは西脇順三郎夫人だったマージョリー西脇という画家が書いていているのだけれど、モダーンな感じがしてよい。70年以上前の「日本」そして「「東京」が本の中に存在しているのだけれど、案外今、私が感じる印象なんかとズレが無いのも驚き。あと和食の食べ方も教えてくれる(知らなかったよ。お吸い物を最初に飲んじゃダメだなんて)。




今、分厚くて難しい本を読んでいるので頭がモシャモシャしてきて、気分転換にこういう軽いものを読んでいる。



*1:20世紀のイギリスを代表する指揮者の一人




0 件のコメント :

コメントを投稿

ダウンロード祭

0 件のコメント


http://www.earlabs.org/label/labelintro.asp

id:t_yoshidaであるところのYくんからのタレコミで知る。海外の音源DLサイト。英語を読むのが面倒なので詳しくはよく分からないのだけれど、ものすごい貴重な音源がたくさんDLできて脳内麻薬がだだ漏れになってしまいそうな勢い。まぁ、音源の大部分について知らないものばかりなのだけれど、「ダダイズム詩の朗読」とか「未来派」とか「日本の電子音楽」について興味がある(一部の限られた)方は必見。いつものようにいくつかの音源に解説めいた感想を書きます。




未来派――http://www.earlabs.org/label/LC/LC002.htm

未来派についてはきっとYくんの方が詳しくて、私は「戦争は美しい!」という名文句とイントナルモーリについてしか知らない。ここではルイジ・ルッソロの作品などが聴ける。この音源も詳細が書いて無いからよくわからんのだが、初めて聴くルッソロの作品は超凶悪なアコースティック・ノイズが満載で単純にカッコ良かった。ドリルで壁を破壊するような音とか聴こえるのだけれど、これがイントナルモーリなんだろうか。兎に角、一つだけ言える事は電子的な合成によって作られたノイズは、アコースティックなノイズに勝つことができない、ということ。飼いならされてない野性味のあるノイズは、(ルッソロだってインテリだろうけど)インテリ向けのノイズ・アーティストを粉砕する感じ。




あと聴けるのは詩の朗読とか。これはLPをMP3化した模様。LPをリリースしたのは「Cramps」というレーベル。イタリアの極左バンド、AREAと同じですね。ジョン・ケージの有名な「キノコのジャケのアルバム」もこのレーベルからのリリース。マリネッティの詩の朗読なんて、当時のイタリアでどれだけの需要があったのか想像も付きませんが、とにかく聴く人をホットにあっせる左翼的アジテート調の朗読は、イタリア語なんてちっともわからなくても面白い。




日本の電子音楽の最初期――http://www.earlabs.org/label/LC/LC010.htm

黛敏郎、武満徹、諸井誠(諸井三郎の息子)、長谷川良夫などの作品が聴ける。黛敏郎の《ミュージック・コンクレートのためのXYZ》の音源が貴重っぽい。これ、日本最初の電子音楽作品ということで名前だけは知っていたのだけれど、実は聴いたことが無かった(そういう人は結構多そう)。で、作品の内容ですが、さすがの黛先生です。日本初にして最高のミュージック・コンクレート作品を作っていらっしゃいます。




《X》で使われる具体音は「ハンマーの打撃音」、「戦闘機が飛ぶ音」、「モールス信号の発信音」、「進軍ラッパ」と、1953年、終戦からわずか8年にしては過激すぎるのではなかろーか、っていう。それに続く《Y》、《Z》は具体音のインパクトでは《X》に適わないけれど、興味深い。特に《Z》は12音技法で書かれたショート・ピースをテープの回転速度を変化させたり、逆回転させたりして新たに再構成するみたいになっている(これ、今では割とポピュラーとも言える手法だけど)。その出来上がりがなんかダンサブルなんだよね。途中、おそらく回転速度を高めて音高を高くした太鼓がポコポコと鳴ってたりして。仏のような顔をして『題名のない音楽会』の司会を務めていらしゃった黛先生は、20世紀の邦人作曲家で最も過激な人なんだろうなー。右翼なのに音楽は革新ってのも面白いんだけど。




あと武満徹の作品は瀧口修造中心の前衛芸術集団『実験工房』でバリバリやってたころの作品。武満徹はこんなこともやってたんだ、という意味では貴重。聴いてみると、ものすごく無駄の無い狙いのハッキリした作品。《ヴォーカリズム・アイ》は、「ai」という言葉を色んなニュアンスで言うだけなんだけれども(それによって『ai』の様々な意味を浮かびあがらせる)、似たような試みを川島素晴がやって来た気がする(そしてその作品で、見事藝大の卒業を一年延ばしてしまった、とか)。ただ、こういった試みって、作曲家というよりも詩人の仕事だよなぁ、と思った。




0 件のコメント :

コメントを投稿