続・ユーロ安なのでシュトックハウゼンのCDを安く買おう

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ユーロ安なのでシュトックハウゼンのCDを安く買おう - 「石版!」


 前回のエントリであまり具体的な話をしていなかったので、寝る前にもう少し具体的な話をしておきます。私が取ろうとしている注文方法はこちらの方法にそのまま則っておこなうつもりです。詳しくはリンク先をみていただければ分かるのですが、シュトックハウゼン出版会はカードでの取引をおこなっておりません。そのため、国際為替で料金を前払いしなくてはなりません。郵便局でこれらの手続きはおこなえますが、この手数料が約2000円。こちらの手数料は、共同購入される方の人数で折半していただくことになると思います。なので、人数が多くなればなるほどお得感は増します。完全善意で奉仕、その代わり何か粗相があったら許してねスタイルなのでこのほかにはCD代金に上乗せされるお金はいただきません(あと、個別に送付する際の送料ぐらいか)。


 応募の方法としては、カタログを見ていただいて、お名前、欲しいCD番号、連絡先(住所と一応お金が絡んでくるので電話番号もいただきたく思います)を書いたメールを送ってくだされば、確認の連絡をさせていただいた後にオーダーに加えたいと思います。注文はできれば日銀が相場に介入してくる前におこないたいと思うのですが、今のところ、連絡の締め切りなどはまだ決めておりません。送付方法は航空便と船便があるそうですが、後者を取ろうと考えています(いますぐ、シュトックハウゼンの音楽を聴かなければ死ぬ!という人はいないと思うので……)。



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 「シュトックハウゼンに興味があって今回CDが買いたいのだが、何を聴けば良いかわからない」等のご相談も承ります(と言っても私は専門家ではないので、頼りにはならないですけれど……)。とりあえず、最初の一枚としては全集第三巻《少年の歌》や《コンタクテ》を収録したものでしょうか(↑の動画は《少年の歌》)。初期の電子音楽作品傑作選といった感じで、昨日久しぶりに聴いたら改めて大感動しました。もちろん、電子音楽だけがシュトックハウゼンではないのでこの機会に器楽作品などにも手を出してくれる人がいたらいいなぁ、と思います。





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ユーロ安なのでシュトックハウゼンのCDを安く買おう

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 諸般の事情により、国内大手レコード・ショップでは一枚6000円弱という「ここだけインフレか!」という異常な値段で売っているカールハインツ・シュトックハウゼンのCD。ただこれもシュトックハウゼン一家が家族経営している(らしい)「シュトックハウゼン出版局」から直接オーダーすると、豪華ブックレット付きのものが25ユーロ、普通のものは19ユーロ……で買えてしまう。CDは関税がないらしいし、ユーロがえっらい安くなっているのでこれはチャンス、私もシュトックハウゼン出版局に注文してみよう!と思い立ちました。この際ですので「共同購入」を当ブログで募ります。興味がある、と言う方がいらっしゃいましたら当ブログのプロフィールのページに公開しているメールアドレスまでご連絡ください。


 ちなみにシュトックハウゼン出版局のカタログはこちら。


2012 Stockhausen Complete Edition CD Catalog


 こちらは当然のように英語かドイツ語かでしか書かれていませんので、どのCDにどの作品が入っているか日本語で知りたい場合は、下記のサイトが参考になるかと思います。


ショッピングカート付きネットショップ開業サービス 【おちゃのこネット】?安く開店、手軽に構築?


infoseek isweb





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伊福部昭/SF交響ファンタジー第1番

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 突如として伊福部昭の作品が聴きたくなったので《SF交響ファンタジー》第1番を聴く。Youtubeで検索をかけると「題名のない音楽会」の映像がでてきた。黛敏郎が司会をやっていた頃のものだ。映像を観ていて、もうすでに黛敏郎も、伊福部昭も亡くなっているんだな……と思ってしまい、なんか泣きたくなった。



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横山紘一『十牛図入門――「新しい自分」への道』

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 横山紘一(よこやまこういつ)の『十牛図入門――「新しい自分」への道』という新書を読む。十牛図とは禅の修業で用いられる絵のことで、牧人(修行者の暗喩)が逃げ出した牛(真理、悟り、本当の自分といったものの暗喩)をつかまえ、無我の境地に至るまでの過程を描いたものである。言ってしまえばその絵から著者が現代人の生き方、「新しい自分」の探し方を見出し、より良い生き方を本の中で諭す……といった自己啓発系の本。この類の本はまず手に取ったりしないのだが、学生時代に何度かお世話になった先生の本だったので読んでみた。


 思い出話になってしまうけれども、私は横山先生が受け持っていた講義を2つぐらい受けていたことがある。あと、なぜか知らないが井上円了の本を何冊かいただき、大学の先生しか入れない喫茶店でケーキをごちそうになったことがある。たったそれだけの縁にも関わらず、横山先生は強烈に印象深い先生だった。英国国教会系の学校の教授なのに、仏教を専門としていてしかも出家されていた(なので、もちろん頭は剃髪されている)……ということもあったけど、喫煙マナーが悪い学生を見つけるとツカツカと近づいていって学生を厳しく叱るというかなり珍しいタイプの先生であった。


 先生の講義はすこぶるおもしろかった。その内容はこの本のなかにほとんどそのまんま出てくる。これがとても面白く読めた。単に懐かしいばかりではない。先生の講義を受けたあとに読んだ西欧の思想家の言説とかなりリンクして、というかほぼ同じに読めたのである。先生の専門は「唯識」という「ただ心だけがある」という存在観を根本においた思想なのだが、本の中で紐解かれているその内容はヴィトゲンシュタイン的にも、デリダ的にも、またはアドルノ的にも読めるしまうのである。原典を現代化して解釈しているのか、それとも原典が生まれた時代の人間と現代の人間とで考えていることがあんまり変っていないのかは分からないが、今になって一度「西欧の現代思想」を経由した頭で読んだら、横山先生が思っていたよりもすごいことを言っていたような気がし腰が抜けるかと思った。


 かなり説教臭い部分もあるのだが、その辺をほとんど無視しても素晴らしく内容に富む本だ、と思う。是非、難しい現代思想に取り組もうとしている方に読んで欲しい。「ああ、こういう風に言えば良いのか」と頭が柔らかくなるような表現に満ちている(仏教についての本なのに!)。



言葉の限界、その第一は、当然のことですが、「言葉は、それが指し示す対象そのものではない」ということです。


例えば、「それは火だ」と言っても、唇が熱くなることはありません。


少し大袈裟かもしれませんが、言葉と対象との間には千里の隔たりがあるといってもよい。


それなのに私たちは、言葉で認識するが如くに「自分」と「もの」は“ある”と思い込んでいます。



 グッときちゃうよねぇ、こういうの。





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アントン・ブルックナーと時間体験

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ブルックナー:交響曲第7番
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 通勤中にアントン・ブルックナーの交響曲第7番を聴いた。以前はこの作曲家に対して「なんだか良くわからないなぁ」という気持ちでいたのだが、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキのブルックナー演奏に生で触れてからというもの、進んで「聴きたいなぁ」という風に思うようになった(以前は、めったに聴こうと思わなかったのだ)。


 一度しかブルックナー作品の生演奏聴いていないという身分でこんなことを言うのも生粋のブルックナー・ファン(俗にブルヲタを呼ばれている……)の方からすれば「けしからん」という話かもしれないが、クラシック音楽が好きだ、と自称する人であれば一度ブルックナーは“体験”しておくべきだ、と思う。できれば金管が巧いと評判のオーケストラが良い。ホールの空間いっぱいに広がるフォルテッシモを聴くと快感を通り越した感動がドッと押し寄せてくる――「ブルックナーの音楽は宇宙だ!」と熱弁する人の気持ちが理解できるようになる。たぶん。


 私が聴いているのはサー・ゲオルグ・ショルティ指揮によるウィーン・フィルの演奏(1965年)。この録音が世間では、というかブルヲタ界ではどのような評価を受けているのか知らないが、私はウィーン・フィルの弦楽器がとても好きなので「良い演奏だなぁ」と思って聴いている。値段も1200円で安かったし。もっとも、今現在スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団の演奏が同じぐらいの値段で買えるので、そちらのほうがオススメかもしれない。ちなみに、ブルヲタ界隈ではスクロヴァチェフスキは奇数番の交響曲が得意と評判である。



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(映像はセルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルの演奏)ところで今日この作品を聴いていて「ブルックナーは、時間の操作を意識的におこなった初めての作曲家なのではないか」ということを、ふと思いついた。彼の作風を暴力的なフレーズで表すなら「退屈と恍惚」とでも言えるだろうか――1曲で演奏時間が60分を越えるのはざらで、しかもそのなかで繰り返しがたくさんあり、演奏する側もうんざりするぐらいの退屈が彼の作品には含まれている。しかし、その合間合間に恍惚が挟まれることによって、作品は鑑賞に堪えうる強度を持つのである。



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(引き続き、チェリビダッケの映像)この退屈と恍惚を、それぞれ「長い時間」と「短い時間」に言い換えても良いかもしれない。この2つの時間をブルックナーはさまざまな手法を用いて操作している。たとえば、長い時間から短い時間へ音楽が推移する際は、同じ音形を執拗に繰り返し、ひとつの山場へと音楽を向かわせていく(これはほとんどミニマル・ミュージックのようにも聴こえる)。頂点へ至るまで期待感を聴き手にいだかせながら――この期待の持たせ方が本当に巧みだ、と思う。



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(引き続き、チェリビダッケの映像。まだ同じ楽章……)もちろん、短い時間から長い時間へという逆の推移も存在し、また、徐々に音楽が変化していく手法だけではなく、唐突に切り替えが行われる場合もある。こういった時間感覚のうねりを持つ作品を書いた作曲家の名前は他にパッと思い浮かばない。ベートーヴェンやブラームスの作品ではまず聴くことができない極めて個性的な特徴である気がする。



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(変ってヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーン・フィルによる交響曲第8番。カラヤン美学で構築された映像が素晴らしい)そう考えると、ベートーヴェンやブラームスの作品が「大きな物語」的であるのに対して、ブルックナーの作品はそういった枠組みから実は大きく脱却していたのではないか、とも思えてくる。一見その長大さからベートーヴェンやブラームスよりも「大きな物語」を構築しようとした風にも聴こえるのだが、実は彼らとはまったく異質な作品として捉えられるのではないか、と。その異質さはロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』と重ねられなくもない。



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Cal Tjader/Walk On By

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 会社から家に帰ってきて部屋でカル・ジェイダーを聴いていたら、彼の音楽は「夜中にひとりでなんとなく聴くFMラジオ感」みたいなものを常にまとっているなぁ、と思った。



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 あとものすごく顔が良いよ、顔。





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グレン・グールド;録音と映像

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バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)
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 グレン・グールドのバッハを聴き返している。「20世紀最高のバッハ弾き」と謳われることもあるこの演奏家のバッハ演奏について、私はすべてを手放しで賞賛するわけではないが、いくつかの演奏は素晴らしい、と思う。なかでもやはり《ゴルトベルク変奏曲》(81年の録音)は、何度聴いても飽きない。最近は、これを聴くと必ず映画『時をかける少女』の映像が脳内にフラッシュバックしてしまうけれども……。



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 1955年に最初の《ゴルトベルク変奏曲》の録音でデビューした後、1964年にコンサート活動から一切手をひき、スタジオのなかに篭った……と言われている彼だが、その隠者のようなイメージとは裏腹に、残っている映像の本数はとても多い。ドキュメンタリのほかに、音楽的啓蒙を行ったテレビ番組への出演なども数えれば、おそらく彼ほど多くの映像が残っているピアニストなど存在しないだろう。



Bach: Partitas BWV 825-830; Preludes and Fugues

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 《ゴルトベルク変奏曲》のほかには「パルティータ全集」、そのなかでも第2番と第6番の演奏は素晴らしいと思う。これについてもグルードが演奏している映像が残っている。第2番は練習風景を記録したもの、第6番はスヴャトスラフ・リヒテルとも親交があったブルーノ・モンサンジョン(彼を介して、グールドとリヒテルの間には交流があったらしい)が撮った映像。



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 残されている録音と映像の両方に触れて気が付くのは、どの映像についても録音とは明らかに違った演奏である、ということだ。録音についてはかなり細かい編集が加えられていることもあるだろうが、ときに(録音と映像とがほとんど同時期のものであっても)基本的なテンポ設定からしてまったく異なる場合も存在する。これらはグールドという演奏家が、かなり反ピアニスト的である、と思う所以でもある。また、それは反解釈者であることを同時に意味する。


 通常、演奏家(楽譜の解釈者)は「ひとつの楽譜解釈」を聴衆の前に提示する。しかし、グールドはそれをしない。グールドが提示するのはあくまで「ある・ひとつの・楽譜解釈」なのであり、そこには「別な楽譜解釈」の可能性が常に残されている。その可能性をグールドは隠蔽しない。録音と映像の間に存在する差異は、単なる気まぐれなのではなく、むしろ別な可能性の提示なのである。同じ演奏家がおこなったさまざまなな解釈のうち、どれが「正しいものなのか」、これを聴衆に判断することは不可能であり、選択はほとんど好みによってでしか行われない。その判断不能な状況は、突き詰めれば「正しい解釈が存在しないこと」もまた明示しているように思う。これによってグールドは「ピアニスト=解釈者」である前提を覆す。


 「解釈の光をあてる」という隠喩は、グールドの場合、楽譜に対してはっきりとしたスポットライトをあてた結果ではなく、光をあたられた楽譜の乱反射なのだろう。残された録音は、そこで生まれた多様な光の筋から偶然に選ばれた一本の筋に過ぎないのである。



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 とか言ってみているが、グールドの録音ではバッハよりも、ワーグナーのピアノ編曲集や、ヒンデミットのソナタ、イギリスのバロック以前の作曲家の作品集のほうが好きだったりする。



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Glenn Gould plays his own Transcriptions of Wagner Orchestral Showpieces

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ヒンデミット:ピアノ・ソナタ集
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Dmitri Shostakovich/Piano Quintet

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ショスタコーヴィチ:ピアノ五重
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 朝から室内楽が聴きたくなって、ひさしぶりにドミトリ・ショスタコーヴィチのピアノ五重奏を聴いた。スヴャトスラフ・リヒテル&ボロディン弦楽四重奏団の演奏を。


 そういえばこの作曲家の作品を聴くのも随分久しぶりで、大学の1年生から2年生の間にずっとハマりきっていて、その間にCDを本当に数え切れないぐらい購入したけれど(アルトゥーロ・トスカニーニによる交響曲第7番の“西側初演”のほとんど記録としての価値ぐらいしか録音なんかも持っていた)、会社に入ってからというものほとんど聴くことがなくなってしまった。これは別に忙しくなったからショスタコーヴィチの「重い作品」を「聴けなくなった」わけではなく(何故なら、マーラーを以前よりもよく聴くようになったし、現代音楽はずっと聴いている)、ちょっと趣味が変った程度のものだと思う。


 リヒテルの雄弁なピアノと、叙情感溢れるボロディン弦楽四重奏団の演奏の絡み合いは素晴らしく、音楽のダイナミクス・レンジの広さが圧倒的だ。室内楽というジャンルは、管弦楽のように広い音量の幅を持たないけれども、そういう現実的な制限を超越して響いてくるようである。とくに第5楽章に入ってから、突如ピアノが明朗な主題を弾き始める瞬間の開放感といったらない。



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 Youtubeで検索をかけたらブルーノ・カニーノ&アマティ弦楽四重奏団による演奏がアップされていた。こちらはリヒテル&ボロディン弦楽四重奏団によるものと比べれば、数倍上品に整えられた演奏だがなかなか聴かせてくれる。





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Dmitri Shostakovich/Piano Concerto No.2

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 ドミトリ・ショスタコーヴィチのピアノ作品と言えば、ピアノ協奏曲第2番も面白い。これは作曲家による自作自演演奏の録音が残っていて、第1回ショパン・コンクール入賞というショスタコーヴィチのピアニストとしての腕前を充分に堪能できる(上記のYoutube動画がその演奏)。オーケストラはアンドレ・クリュイタンス指揮によるフランス国立放送管弦楽団。ソヴィエトを代表する作曲家対フランス音楽の大家というよくわからない組み合わせなのだが、洒脱な作品の雰囲気とこのオーケストラの柔らかい管楽器の音は相性が良い気もする。最初の方、独奏ピアノのテンポについていけてない感じがするけれど。


 上にあげたのは第1楽章で、ここには自分の作品や他人の作品の引用が分かりやすくちりばめられていて、なかでもモデスト・ ムソルグスキーによる《展覧会の絵》のフレーズをそのまま持ち込んでいるのは印象的である。



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 第2楽章は、このまま映画音楽(あるいはNHK)に持ち込めそうなほどの美しさだ。








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Queen & Paul Rodgers/The Cosmos Rocks

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 ポール・ロジャースがヴォーカルのクイーンの新譜を聴いた。聴く前はフレディ・マーキュリーの代わりがポール・ロジャースって、デイヴィッド・リー・ロスの代わりのサミー・ヘイガーの何倍も「ダメじゃん!」という感じがしたんだけど……、このアルバム、良いぞ!まず、フレディ・マーキュリーじゃない人の声のバックで、ブライアン・メイのあのギターが聴ける、っていう不思議な感じからしてまず良いし、「なんで、ポール・ロジャース?」っていう感じも聴いているうちに違和感がなくなってきて(そして、ごく稀にだけど、フレディみたいな声になる瞬間がある)、どんどん好きになっていく。



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 公式のアルバム全曲試聴動画。この動画だとものすごく低音質になっているけれど、アルバムはものすごくハイファイな音なのでご安心を――21世紀のやたらとクリアな音で聴くブライアン・メイのギターってすごい!曲もさすがに『グレイテスト・ヒッツ』収録曲ばりの名曲はないけど、良い曲が揃ってる(クイーンのオリジナル・アルバムって割とつまんない曲が入ってたりするんだけど、そういう捨て曲がない!)。ツェッペリンの紙ジャケ再発なんか買い直すより、こっちを買ったほうが絶対に良いと断言するね……。このアルバムに刺激されて、音楽界から引退したジョン・ディーコンも復活して、ツアーやってくれないかなぁ、とか願ってしまう。





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GINGER DOES ’EM ALL/Sweet Brown Addicted

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SWEET BROWN ADDICTED
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 自らが出演するライヴで手製の洋菓子を振舞うという特異なパフォーマンスが一部では有名な「ファンク・パティシエ」、GINGER DOES 'EM ALLの新譜を聴いた。これまでの作品よりずっとポップに寄りつつ、優れたダンス(あるいはラウンジ)ミュージックに仕上がっている、と思う。ブラック・ミュージックに明るくないので適当なことを言ってるけど。ただ、これまで音の作り込み方がスッキリしているように感じるのは確かで、デザインの見通しが良くなったような印象を受ける。実際にどのような環境で楽曲製作が行われているのかは想像するしかない――安易だけれども、サンプリング音の素材がずらりと並んだPCの画面が頭には浮かぶ。しかし、そういった製作手法こそアーティストのセンスが一番に問われる/現れるものではないだろうか、と思う。そして、このアルバムを聴いていて伝わってくるのは、GINGER DOES 'EM ALLという人のセンスの良さでもある。ちょっと日本人離れしてる感さえある。素晴らしい。このセンスを、おそらくは日本人でも最も有名なサンプリング/カット・アップアーティスト(今や過去形で語るべきかもしれないが)、Corneliusと比較しても良いのかもしれない。





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アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『城の中のイギリス人』

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 フランス幻想小説の大家、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの作品は以前に『狼の太陽』を読んだ*1。「これはとても面白かったなぁ」という感覚の残り香みたいなのが残っているうちに神保町の古本屋で買っておいた『城の中のイギリス人』をやっと読む。翻訳は生田耕作でなく、澁澤龍彦。彼の翻訳には生田訳ほどギラギラとした妖しい輝きがない気がするが、とても面白く読めた。背徳感と悪夢感が強烈で、スカトロ、ペドフィリア、レイプ、拷問、獣姦……倒錯的性行為がまるでカタログのように展開されている。


 僻地の海岸沿いに聳え立つ城に住む、モンキュという男を語り手が訪れるところから物語ははじまるのだが、城にたどり着いた途端に、語り手は黒人と白人の混血美女からディープスロートで歓待を受ける……なんていうのは、もはや品の良いファンタジー以下で、それ以降に続くド変態な性愛描写はページをめくるごとに過激さを増していく。それもこれも城の主人モンキュ(『臀の山』の意)がなかなか勃起しない困った男根(ただし超絶的な巨根)の持ち主で、ノーマルなセックスじゃびくともしないから……という設定が最高である。



このあたらしが喜んで食べるのは、人間の精液なのよ!ねえ、いとしいバルタザール、またあんたの精液をちょうだいね、いいこと?


 モンキュの城で飼われている女性たちもこの調子(さすがに、そんなこと言われて喜ぶ人はいないよねえ……)。ほかにも、幼女が20匹の蛸が飼われている水槽のなかに放り込まれて、蛸の吸盤に吸い付かれて出血してるというすごい状況で幼女の処女を奪う……とか嫌な描写があって、本当に嫌な気持ちになる。これはもう「読む性犯罪」と言っても良い気がした*2




*1:感想はこちら


*2:あと、ぼんやり上手先生(id:ayakomiyamoto)の頭のなかは、こういう妄想で一杯なんじゃないかな、と思っています





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渚音楽祭・秋2008(東京、2日目)

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 渚、2日目。昼ごろ会場に行って、ラジャ・ラム、田中フミヤそしてデリック・メイ……と大物だけ観て帰ってきた。ステージの最前列のほうにいたら煙草ではない煙の臭いがどこからか漂ってきて「うわ……すげぇな、私服警官、今日60人入ってるっつー話なのに……度胸あるなぁ」とか思って、あたりを見回したら隣の人。その後も、煙草ではない煙の臭いは始終止まなくて副流煙にあたったらしく、足がフラフラになりながら帰ってきた。とても面白かった。昨日とは打って変わった大盛況ぶりに「昨日の寂しさはなんだったの?」と思いつつ、毎回このイベントで観察するのが楽しみなギャル&ギャル男のファッションに大きな変質が起こっていることが興味深く感じる。去年ぐらいまではファッションピンクのエクステンションをいくつも髪の毛につけた人や、ところどころ真っ白にブリーチした「お前何族の族長だ!」みたいな人がいたのに、今年は全然見当たらなかった。全員が全員EXILEみたいである。私はロック・ミュージックの熱心なオーディエンスでもなく、熱心なクラバーでもなく、自己認識的にはやはりクラシックの観客というのだが、第三者的な視座から見るとやはりロックとクラブ・ミュージックのオーディエンスは本質的に相容れないものなのじゃないか、と思う(これは、先日レディオヘッドの来日公演に行ったときも感じていたことだ)。居心地が良いのは断然後者で、その理由には「多様であることにみんな寛容(無関心)」というものがある気がする。隣でEXILE集団が上半身裸でゲラゲラ笑っていようが、白目になりながら奇怪な動きをする人がいようが、関係なく皆それぞれバラバラに楽しんでいる――モッシュとはまったく違った熱の持ち方をあの集団はしている(モッシュの共産主義国家みたいに画一的な動きはとても息苦しい。あそこに馴染めないとあんまり面白くないまま終わってしまう気がする)。「踊っていると自分は1人なんだなって思う。それを確認するためにクラブにいくのだ」。ある友人がいつかそんなことを言った。この感覚はなんとなく理解できる。鼻の先が振動するぐらいの重低音に包まれながら踊っていると、自分は今誰にも邪魔されずに好きなことをやっている!みたいな感覚に陥ることがある。それは孤独とは違った、とても良い1人のなりかただと思う。


 あと、ラジャ・ラム(御歳67歳。ほとんどバケモノ)がAC/DCのサイケ・トランスMIXをかけていたのが一番印象に残った(「Thunderstruck」と「Highway To Hell」)。





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Miles Davis/Miles In The Sky

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Miles in the Sky
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Miles Davis
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 マイルス・デイヴィス、1968年のアルバム『マイルス・イン・ザ・スカイ』を聴いた。ハービー・ハンコックに電子ピアノを演奏させ、エレクトリック・マイルス(マイルスがものすごく変な服を着ている期)への助走……とも言えるアルバムだが、これが超名盤で驚いた(なんで今まで聴いてなかったんだ?ってぐらいに)。ジョージ・ベンソンが1曲だけ参加して、そのほかはいわゆる「第二期黄金クインテット」の布陣で、新しいステージに突き進んでいこう、みたいな態度が見えてくるような濃い演奏が収められているし、曲も『E.S.P』~『ネフェルティティ』までの突っぱねるような冷たさが軟化してポップになっているところが良い。とくにトニー・ウィリアムスとハービー・ハンコックの光り方が目立つ。この2人にロン・カーターを加えたリズム・セクションによって、音楽がグイグイと牽引されていき、その上でマイルスとウェイン・ショーターが踊る……ようなスタイルがここに来て完成したみたいにも感じられる――「1968年はいろんな種類の変化で満ちていた、だが俺にとって、それはすごく興奮させられるような音楽的な変化だった、そして、その音楽はどんな出来事よりも信じられないぐらい素晴らしいものだった」とマイルスは語っている*1。この自信の根っこにあるものを、演奏から聴き取ることも可能なように思われる。あと、これがアマゾンだと900円弱で買えてしまう事実には色々とクラクラさせられてしまった。


 これを聴いていたら、当時のマイルスがインタヴューなどで一体どういうことを言っていたのか気になって、本棚にあった資料のなかを探してみたら1969年のインタヴュー記事が出てきた。そこで彼は、ボクシングのエクササイズと楽器演奏の関連という、たぶん吹奏楽器を演奏する人でもなければピンとこなさそうなことを延々と語っているのだが、そんなまったく音楽とは関係が無い記事でも、記事になってしまうところに当時のマイルスの人気ぶりが窺いしれなくもない。


*2:ボクシングを始めてどれくらいになりますか?

*3:物心ついてからこの方ずっとさ。


D:ええと、つまり、ジムでやるようになったのは?


M:多分10年くらい前だな。


D:あなたにケンカふっかけて来るような連中はいませんでしたか?例えば、演奏してるクラブなんかで?


M:クラブでそんなことあったらぶっ殺してるぜ。



 「俺にとってはボクシングは日常であり、昔からケンカで負けたことはなかった」とフカシまくるマイルスが最高。実際のマイルスは、歯医者の息子で良いところのおぼっちゃんなので、たぶんケンカなんかあまりしたことなかったんじゃないかと思うんだけれども。




*1:引用はマイルスの自伝から。ちなみに拙訳


*2:ドン・デマイケル。記事を書いたインタヴュアー


*3:マイルス





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渚音楽祭・秋2008(東京、1日目)

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 今年もお台場で開催されている渚音楽祭に足を運ぶ。普段はテクノ系の音楽イベントどころか、クラブにもほとんど行くことはないのだが、近場で楽チンな感じでいろんな人が轟音で観れるというのでこのイベントには何度も行ったことがある。のだが、会場で久しぶりに会った友人の話によれば「今回でお台場で開催するのも最後らしいよ」とのこと。まぁ、いろいろと事情があるのだろうけれども、フジテレビ社屋のオープン・コートという場所は駅にも近いし雨が降っても地面がアスファルトなので良い感じ……だったので寂しい感じはする。ほかにも「○○(有名なクラブ)のオーナーが脱税で捕まった」とか「××(同じく有名なクラブ)にガサ入れが……」とかいろいろ聞いて、音楽を楽しむのにも肩身が狭い思いをしなきゃいけない時代なのかなぁ……と思った。また、毎回1日目は混雑がほとんどなくて快適なのだが、今回は快適どころか寂しいぐらいの客入りだったのも感じて、クラブ・ミュージックというジャンル自体の熱が下がってたりするのかな。知らないけど。mouse on the keys、toe、ミドリ……といろいろ観たが一番感銘を受けたのは、一番小規模なスペースで昼間に観た「ギターとラップトップを使ってひとりでやってた知らない人」であった(誰だったんだろう)。あとは、ベンチに座って大麻合法化を主張する弁護士の話を聞いていたところに「デュエルマスターズやろうよ!」としつこく言ってきた小学2年生の相手をしたりと楽しかったです。2日目も行く。





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黒沢清監督作品『トウキョウソナタ』

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 黒沢清の最新作『トウキョウソナタ』を観た。「素晴らしかった!」の一言でこの感想を締めくくりたいぐらいの傑作で、ラストシーンで号泣してしまった。出演している役者の演技(主演の面々はもちろん、津田寛治のセリフがグサグサ刺さってくるところも良かった……)、演出、舞台、脚本、すべてがうまく作用して、ものすごく純度の高い映画になっていた気がする。観ていてドキドキするような絵も多く、とくに夜のシーンで延々とスクリーンの真ん中に白波が水平線のように走っているのを背景に、小泉今日子の背中が……という構図などにビリビリくる。また、抑制された音楽(メロトロンっぽい音が鳴っているのがツボ)と現実音のバランスも素晴らしい――劇中、テーマソング的なものが聴こえるときはほとんどないのだが、本当にスクリーンのなかで起こっている音としての音楽、例えば、テレビ画面から一瞬だけ聴こえるグリーグや、ショッピングモール内で流されているチャイコフスキーなどがとても印象的であった。音楽に関しては「ヘタクソなピアノの演奏」が本当にヘタクソに聴こえるところなどにも、細かなリアリティへのこだわりみたいなものを感じてしまう。物語は冒頭から、主人公の家庭のなかへと不穏な要素が徐々に徐々に溜まっていき、それがある瞬間に爆発――ここまでのジリジリと家庭がどうしようもない状況に落ち込んでいく描き方もとても嫌な感じで良い――、その後、家族4人にそれぞれ振りかかる「仮死体験」的経験によって、再び、家族にそれ以前とは違った紐帯が生まれていく……というところで終わる。この締めくくりも「絆の回復」という、単純なもの、目が覚めるようなお話的なものではなく、「それまで違った紐帯が生まれている」という点が重要だと思われた。家庭のなかには古い傷跡のように、破壊の後が残っている。一度、前に進んでしまったものを前とまったく同じように修復することは現実的にも不可能な話だ。それを踏まえて、また新しい関係性を結ぶことによって家庭は再出発しているのであるように思われ、その再出発は、改めて家庭の構成員たちがお互いを「他者」として認め合うことによって生まれているようにも思われた。


(追記)以下は、mixi日記に書いていたこと(そのまま引用)。





『トウキョウソナタ』すごかったなー。印象的な言葉も多かったけど、もっと身体的なレベルで、どっと来た。ブログには書きそびれたけど、他者性あるいは、他者とのコミュニケーションの難しさみたいなところがポイントになってるような感じがし、それは冒頭の子役とアンジャッシュ児島との関わりにおいても明示される。他者の論理と自分の論理との齟齬、そして他者の論理から外れることによりなされた疎外。この疎外は、主人公の香川照之も味わうのだが(「俺たちは何でも受け入れるつもりなのに、何でヤツらは受け入れてくれないんだ!」)、子役は権力関係から、疎外された父からも疎外される。そこに父による子殺し……というお決まりの神話的要素を見いだせるのだが、そこで疎外された子を母が回収するというのがある。しかし、この回収が父と子の権力関係をも逆転させている。またこの直後に家庭は崩壊する(なんか静かな戦争状態みたいになる)。で、その後色々あるのだが、ラストシーン。それまで無視され続けて来た息子がラストシーンで、やっと他者からの承認を得られる(再度獲得する)ところは最高に泣けた。






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サンクチュアリ

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「サンクチュアリ」文庫版 全8巻セット
史村 翔 池上 遼一
小学館
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 池上遼一作画、史村翔(武論尊)原作による『サンクチュアリ』を一気読み。会社の上司が「これが俺の原点だ!」と言い、次の日全巻持って来てくれたので。池上遼一が描いた漫画って実は『スパイダーマン』(池上遼一版のスパイダーマンは、主人公がオナニーする描写とかあってやたら屈折してて良いんだよ……)しか読んだことが無かったんだけれど、超面白かった。内容は政治の世界と極道の世界、表と裏の世界に分かれて「日本の未来を変えよう」と志すふたりの男の話。そこでは、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』と肩を並べるほどの夢が語られているのだが、もっとも面白いのは出てくる敵が主人公たちに共鳴し仲間がどんどん増えていくところである。これはジャンプ漫画的な王道なのかもしれないけれど、戦国武将が仲間を増やしていく(契りを交わしていく!)みたいな熱さがとても良い。むちゃくちゃに漢臭くて鼻血が出そうになった。「貧乏人は麦を喰え!米が喰いたきゃ努力しろ!」――大きなコマで、こういう名言をキメてくるところも最高過ぎる。


 あと、トイレでばっかりセックスしている男という特濃キャラとか……もうなんか気絶するかと思ったよ……。





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スティーヴン・J・グールド『人間の測りまちがい――差別の科学史』

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人間の測りまちがい 上―差別の科学史 (1) (河出文庫 ク 8-1)
スティーヴン J.グールド
河出書房新社
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人間の測りまちがい 下―差別の科学史 (2) (河出文庫 ク 8-2)
スティーヴン J.グールド
河出書房新社
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 2002年に没した、生物学者であり、科学史家、かつ優れた科学エッセイスト、スティーヴン・J・グールドの『人間の測りまちがい』を読み終える。タイトルと装丁からからものすごく難解な本なのかと思っていたのだが(最近の河出文庫は表紙に使われてる写真がやけにカッコ良いのだが、それがどうにも難しそうな本に見えてしまう)、内容はとても易しく読みやすく、そして面白い本だった。骨相学(19世紀に隆盛を誇り、今では似非科学として扱われている『頭蓋骨の形によって、人間の能力を測る』という学問*1)、知能テスト、そして遺伝子科学といった学問においてなされてきた「有色人種は白人よりも先天的に劣っている」という主張、その主張の根拠になったデータがいかに歪められて使用され、そしてデータの分析者の主観がその主張に入り込んだものだったのか、を検証/告発する本書はミステリ小説のようにスリリングだ。





 いかに客観的に収集されたデータ(この本のなかで紹介されたデータには、そもそも信用ならないものも多いが)であっても、そのデータに対して意味を与えるのは、最終的にある個人によってなされる主観である。これは当たり前のことのように思えるのだが、この本を読んでいる間は妙に重要なことのように感じられた。例えば、アメリカでおこなわれたある知能テストで、非英語圏の国から移民してきた人々から得られた結果が、英語圏の国から移民してきた人々よりも著しく悪いものだった、というデータがある。これを「非英語圏の国の人々の知能は、英語圏の国の人々よりも劣っていることの証明である」と読むことは可能だ。しかし、同じデータを「そもそも英語圏の人々に有利なテストの結果だ」とすることも可能である。この読みの可能性、あるいはデータの多義性の指摘は哲学的/思想的な重みを持つ。また、その読み(そして主張)の影響力についても、この本の中で触れられているのだが、この部分は「いかに『科学者』という権威が社会的に影響力を持つものか」という資料としても読めてしまった――なんとなくだが、社会学を学ぶ人、または社会学に興味がある人にとって、この本はとても有効な良書なのではないか、とも思った。




 以上のこととは別に私がこれを読みながら思い出した2つのことについても記しておく。ひとつは現在「自動販売機でコロッケが売っている国(通称、コロッケの国)」で研究に勤しんでおられるAdam Takahashiさん(id:la-danse)が日本を発つ直前におっしゃられた「占星術は、社会学と同じなんですよ」という言葉について。氏、曰く「占星術はある社会現象の原因を星の運行に求める。社会学はそれを社会に求める。現代的な価値観から言えば、社会学のほうが信用がおけるものだと思われるかもしれない。でも、実は両方とも現象とその原因を結びつけるのは主観によってなされたものなんだから、それらは同質なのだ*2」。この占星術と社会学の関係性は、骨相学と遺伝子科学の関係性に置き換えても良いように思われる。そして、どちらの関係性においても、現代では一般的に後者が「客観的で」、「信頼され得る」ものとして扱われている。しかし、なぜ後者は信用(信頼)されるのか。「現象」と「原因の推測(意味を与える行為)」の間には、深い断絶があり、現象に対する意味づけには跳躍があるにも関わらず、科学は信頼される。この信頼の基盤とはなんなのか?、とそんな風に思った。





 もうひとつは、今年公開されたM・ナイト・シャマラン監督による映画『ハプニング』について。私はこの映画を「史上最高の『よく出来た問題作』」であり「宮台真司が今年最高の映画にあげそうな映画(実際に彼がそのような評価を与えているかどうかは確認していない)」だと思っているのだが、友人との談話やネット上にあげられた批評のなかで「ハプニングの原因が分からないのが嫌だ(ダメだ)」という意見に多く触れ、その度にすごく違和感を感じてきた。ネタバレになってしまうけれど、この映画では、作品中におこるハプニングの原因についてさまざまな推測(意味づけ)がおこなわれる。しかし、「本当の原因」は明かされず、最後まで謎めいたままで終わるのだ。よって、作品のなかで行われたさまざまな推測の真偽を観客には判定することができない(ように作られている)。この観客を置いていくような態度は、映画的な(物語的な)文法からは大きく外れた物語だ、とは思う。しかし、あまりにも「原因が分からないのが嫌だ」という人が多すぎるのではなか――私の感じた違和感とはそういったものである。「原因が分からないのが嫌だ」という言明は、なんらかのハプニング(現象)の裏には、必ず「これ!」といった原因があるという「科学的思考」に慣れすぎたものなのではないか、と私は思う。





 誰しも、確固たる原因が解明できれば安心を得られる。しかし、そのまるで実体化されたかのような原因が、常に現象との間に距離を保ち続けることは意識されていない。むしろ、安心はその距離への意識を霞めてしまうものだろう。これらは、グールドが『人間の測りまちがい』のなかで主張してきたことでもある。知能の高さ/低さには、ごくわずかな生得的な素質とより多くの環境的な影響が複雑に入り組んだ状態で絡み合い、原因として言い得る状況を示している。にも関わらず、我々は知能テストという実体的なものを与えられた途端に、そのテストが提供する実態的な原因(テストは環境的な影響には左右されないようにできているので、この結果が悪かったら、アナタは先天的に知能が低いのですよ!)へと飛びついてしまう。グールドが警鐘を鳴らすのは、その疑いのない飛びつきであり、また『ハプニング』が与える「結局、なんだったのか?」という脱臼感は、逆説的に実体化された原因への信頼を炙り出したものだったのではないのか。




*1:個人的にはとても興味をそそられる。提唱者であるフランツ・ガル、という人の名前がとてもカッコ良いから


*2:飲みの席だったのと、時間が経っているせいで正確に意味を伝えていないかもしれない……





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レディオヘッド@さいたまスーパーアリーナ

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In Rainbows
In Rainbows
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Radiohead
Xl (2007-12-27)
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 いまや世界中で最も(メンノンとか読んで『佐藤可士和がさぁ……』とか『茂木健一郎がさぁ……』とか言って、情熱大陸とトップランナーが大好きなヤな感じの!)若者に影響力がある、と私が勝手に想像しているバンド、レディオヘッドのライヴになんとなく行ってきた。チケットは結構取るのが難しいとか聞いたけど、知り合いが売ってくれたんで「まぁ、行くか」ぐらいのノリだったからまったく思い入れとかはなく、大変フラットな気持ちで観ていた。ライヴの内容は、最新アルバムの曲を中心に『OK Computer』以降の曲を演奏していた。


 最新アルバムは、配信方法とかが話題になってた、ぐらいで内容の方は「なんかデモトラック集みたいなパッとしない感じだなぁ……」って思ってたんだけど、他のお客さんも最新アルバムの曲ではそこまで爆発的に盛り上がってた感じはしなくて、それこそラストに演奏した「Everything In Its Right Place」が一番盛り上がってたのを見ると、それって現在進行形のバンドの姿としてどうなのか、って思ったりもする――とかのっけからグチグチ言ってるけれども、それなりに楽しかったし良い内容のライヴだったと思う。やっぱり「Exit Music」とか「部屋真っ暗にして体育座りで聴きたい……」みたいな曲には、耳が吸い込まれていくような気分がしたし。たぶん、再来日しても観に行くことはないだろうけれど……。


 あとステージのセットがすごくて「なんかピンクフロイドのDVDを観ているみたいだな……」って思ったり。レディオヘッドとピンクフロイドってアート志向みたいな部分で結構重なる部分が多いんじゃないか、そういえば先日、フロイドのオリジナルメンバー、リック・ライトが亡くなったっけな……ご冥福をお祈りいたします、とか。



D




 しかし、バンドのパフォーマンス云々よりも周りの観客の行動に不快な気分にさせられることが多くて「ロックの人は嫌だなぁ……」と思ってしまった。マナー云々の問題よりも、ボケーッと見てたりすると「なんでお前盛り上がってないんだよ!コイツうぜぇ」みたいな非難がましい目線を浴びせられるとかさ……いや、そんなの気にしなきゃ良いんだけども、なんかねぇ……だってつまんなかったら盛り上がらないじゃん……なんでもかんでも「ワー!」とか「ヒョー!」とか言えば良いってものじゃないだろう……と。なんでもかんでもモッシュかよ、縦ノリでジャンプかよ、みたいなのもなんか観ていてヤなんだよなぁ……。





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シューマンの交響曲

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シューマン:交響曲全集
バレンボイム(ダニエル)
ワーナーミュージック・ジャパン (2004-02-18)
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 季節に急に秋めいてきた(今夜は会社を出たら金木犀の香りがどこからか漂ってきた)と思ったら、急にクラシックが聴きたくなったみたいである。自然と「今日は、アレ聴きなおしたいな」なんて思うようになった。そういえば、少し前から在京オケの秋の定期演奏会シーズンがスタートしている。今日は昨日の気分がちょっと引きずっていたので、ロベルト・シューマンの交響曲を聴いた。そういえば、初めてシューマンの音楽を「素晴らしい」と思ったのは、このダニエル・バレンボイムによる全集に触れたときだ。



D


(こちらはカール・シューリヒト指揮による交響曲第3番《ライン》。なんてマニアックなセレクトなんだ……)シューマンの作品で個人的にとても好きな部分は、リズムの操作が愉快なところである。《ライン》の冒頭から、いきなり痺れるような主題の提示があるけれど、ここのシンコペーションからしてダンサブルな魅力を感じてしまう。こういう書き方は確実にシューマンの次の世代であるヨハネス・ブラームスにも受け継がれているように思われるのだが、20世紀に入ってベラ・バルトークや、イーゴリ・ストランヴィンスキーによってリズム革命とでも言うべき固定的な拍子の解体が行われた先駆としてシューマンのリズム書法が位置づけられるのではないか、などと妄想してしまう。バルトークもストラヴィンスキーも所詮、シューマンを発展させたものに過ぎないのではないか、と。



D


 ヘルベルト・フォン・カラヤンによる交響曲第4番のリハーサル風景。シューマンは交響曲を4曲書いていて、なかでもこの4番はちょっと異色な感じなほど重厚感が漂う音楽である。一番最初の音を何度も弾かせるカラヤンの姿を見て「そうそう、ここはやっぱりモリモリッとした感じがないとダメだよな」と思った――「これは特に雰囲気が大事な作品だ」とカラヤンも言っている。典型的なドイツ交響音楽のはじまり、といった感があるけれど、この重苦しい雰囲気にいつも「これから何がはじまるのだろう……」とドキドキさせられることは多い。



D


 これだよなぁ!なぁ!





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