ヤン・コボウ クリスティアン・ベズイデンホウト/美しき水車小屋の娘

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Schubert: Die schöne Müllerin

Atma Classique (2005-03-01)
売り上げランキング: 52743


 口を開くたびに「金がない、金がない」と言いがちな今日この頃ですが、当ブログのアフィリエイト・リンクからCDや本などを買ってくださっているお客様のおかげで、ヤン・コボウが歌うシューベルトの≪美しき水車小屋の娘≫のCDを買うことができました。本当にありがとうございます。このヤン・コボウというテノール歌手については先日、村治佳織と共演したのを聴いて*1、こんなに素晴らしい歌い手がいたのか! と驚かされたのですが、録音も大変良かったです。




 一音節、一音節に感情がこもっているような歌にすごく心を打たれてしまいました。これがどういった歌なのかは、各々ウィキペディアなどを参照していただきたいのですが*2、すごくロマンというか、若さを感じる歌詞なんですよね。コボウの声質はこの内容にとてもあっている気がします。





 それからクリスティアン・ベズイデンホウトによるフォルテピアノ伴奏も素晴らしい! モダン・ピアノとはまったく違った、柔らかく、室内にこもるような音色はシューベルトの音楽とよくマッチしているように思います。シューベルトの音楽は、ベートーヴェンのように外へと広がっていく音楽ではなく、もっと身近に感じられる、親密な音楽だと思うのです。ベズイデンホウトが弾くフォルテピアノはこの親密な音楽のイメージに近い。





 このコボウ/ベズイデンホウト盤は、もしかしたらディースカウのとても立派な演奏よりも素晴らしいかもしれません。音楽の瑞々しさとか、肌に迫ってくる感じが他にない録音だと思われます。






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菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール/ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ

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ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ
菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール
ewe records (2009-10-28)
売り上げランキング: 235


 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの新譜を聴きました。MySpaceで楽曲が公開されていたこともあり*1、発売前からかなり期待していたのですが、これはちょっと感心しない……というか、結構スッと聞き流せてしまいました。もちろん嫌いなワケではないのですが、特別な感動が湧き上がらず、これなら前作『記憶喪失学』*2の方がスゴかった気がします。





 冒頭のマサカーのカバーで、小躍りしてしまいそうなスタートを切りつつも、オリジナルの演奏を二.五倍ほど延長したカバーは途中で失速する印象があります。この失速を菊地成孔がまさに『Killing Time』の何度目かの再発盤のライナー・ノーツに寄せた言葉を借りて表現するならば「この音楽の構造に於ける輪郭線の鋭さと速度」の前に挫折した結果なのかもしれません。もちろん、カバーという行為において、オリジナルを超えなくてはならないだとか、オリジナルを完全再現しなくてはならないだとか言う拘束などはないのですけれども。





 全体的に「現代音楽とジャズとラテン音楽のブリコラージュ」とか(言葉の意味もよくわかっていないながらに)言って適当に有難がっておけば、とりあえず批評っぽく収まるであろう展開で、一言で言えば「凡庸さ」、さらに言えば「退屈さ」に襲われてしまいました。もうちょっと良いように言えば、この凡庸さはある意味で「甘さ」の裏返しなのかもしれない。ここまでハマれない理由はおそらく、前作まで作曲で参加していた中島ノブユキの不在なのではないか……とか自己分析しています。






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ルーキアーノス『遊女の対話』

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遊女の対話 他三篇 (岩波文庫 赤 111-2)
ルーキアーノス
岩波書店
売り上げランキング: 229260


 二世紀に活躍した風刺作家、ルーキアーノスの本を読みました。なんの目的もなく、なんの前情報もなく読んだのですが、この本の表題作ともなっている『遊女の対話』という作品がかなり良い感じで面白く読みました。この作品は、タイトルどおり、遊女(まぁ、売春婦ですね)が「アイツに男を取られた」だの「あんな男はイヤだ」だのベラベラしゃべっている様子がまとめられた短い対話集、と言う感じ。なので特にストーリーらしきものはないのだけれど「二世紀の男も女も、今とあんまり変わらないんだなぁ……」と大変感心しました。とくに最高なのは、遊女にカッコ良く思われたくて「俺、すげーんだよ。この前の戦争でもいっぱい敵を殺しまくったんだZE!」と*1嘘を並べたててみたら「そんな野蛮な男に抱かれたくない!」と逃げられてしまい「イヤ……実は今の話嘘なんだよね……だからさ、ネ……?」と言いに行く、という話。





 あと『ペレグリーノスの昇天』という作品も良かったですね。解説によれば、二世紀ごろっていうのは、ニュー・エイジの比じゃないぐらい宗教だの魔術だのが大流行していたらしくて、もうカルトだらけだったらしーのですが、この作品で語られているペレグリーノスという人も、そういうカルトの親玉のひとりだったみたいです(実在の人物)。この人はいろいろあった挙句「お祭りの日に、火の中に飛び込んで死ぬ!」と自殺予告をして、引っ込みがつかなくなり、ホントに焼身自殺をしたんだって。語り手は、それをゲラゲラ笑いながら眺めてたんだけど、暇つぶしにペレグリーノスの取り巻き連中たちに「彼は火の中で死んだあと、鳥になって飛んでったんだよ! 俺、この目で見たもん!」とか言って嘘をついてたら、そのうち「そうそう、俺も見た!」とか言う人が出てきちゃう。嘘がホントっぽく語られちゃったよ! ホント、カルトの人ってさぁ……みたいな話でした。




*1:まるでid:Delete_Allのように





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アドルノ『楽興の時』全解説(3) ツェルリーナへのオマージュ

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 *1一九五二/五三年に発表された「ツェルリーナへのオマージュ」は、アドルノによるモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》論。出典のデータをみると「フランクフルト市立劇場プログラム」とあり、予想ですが、おそらくこの劇場で《ドン・ジョヴァンニ》を上演した際のプログラムに寄稿したものなのでしょう。そういった性格で書かれたせいか、文章は非常に短く、翻訳されたものはわずか三ページしかありません。ひとりごとをつぶやくような文体が『ミニマ・モラリア』に集約されたアドルノの短いエッセイを彷彿とさせ、大変意味が掴み取りにくいのですが≪ドン・ジョヴァンニ≫のストーリーを把握しているのであれば「はぁ……? 何言ってんの?」と受け流せるような内容。正直言って、スベっているとしか言いようがありませんが≪ドン・ジョヴァンニ≫のストーリーをしらない人にとってはなんだか有難そうに読めてしまうのかも。




 タイトルにあるツェルリーナとは、≪ドン・ジョヴァンニ≫第一幕の登場人物です。彼女はイモっぽいけど可憐な田舎娘で、今宵、恋人のイモ男、マゼットと結婚式をあげます! と騒いでたところに、ヨーロッパを漫遊し一八〇〇人の女と寝た男、ドン・ジョヴァンニ*2がやってくる。で、ツェルリーナはイモ女なので、簡単にドン・ジョヴァンニに誘惑されてしまうんですね。「えー、単なる田舎娘のオラが騎士様に口説かれるなんて……。強引だけどなんか素敵……」みたいな感じ。ドン・ジョヴァンニは「一人でも『今まで俺が寝た女リスト』に載ってる女が増えれば良い」って言う最高で最低な人なので、早速コイツもいただうちゃうぜ! って言う感じでギンギンなのですが、昔捨ててきた女、ドンナ・エルヴィーラが邪魔に入って上手くいかない。ツェルリーナはマゼットのところに戻ります。





 しかし、マゼットのほうではフィアンセの自分を置いて、ほいほい得体の知れない男についていくツェルリーナにブチ切れ(当たり前)。「いまさら、なんなんだよ!」とツンツンしてしまうのですが、ツェルリーナは涙を流しながら「反省してるわ……、ホントは私はアンタだけのモノよ……」とか言って、なんとかご機嫌を取ろうとする。この後、二人がいるところにドン・ジョヴァンニが再登場し「幸福な二人のために、私がパーティーを開いてあげましょう(そのドサクサに紛れてヤっちまおう作戦)」とか言います。そのパーティーの最中も、ツェルリーナは恋人の様子を伺いながら、ドン・ジョヴァンニといちゃついたりしてる。で、結局また無理矢理ヤられそうになるところを、ドンナ・エルヴィーラに助けてもらいます。





 「ツェルリーナへのオマージュ」で触れられているのは以上の部分です。ここでのツェルリーナの振舞いをアドルノはこんな風に言っています。



彼女はもはや羊飼いの娘ではないが、まだ女性市民(シトワイエンヌ)ではない。両者の中間の歴史的瞬間に彼女は属しており、封建社会の圧制にそこなわれることもなく市民社会の野蛮からも守られている人間性が、ほんのつかのま、彼女においてかがやき出るのである。(中略)なんの悪気もなしに、自分を打ってくれと恋人にうながしながら不実の償いをする娘、そして百姓の無骨さを洗練された都雅へと変容させてしまう娘――彼女は、都会と農村との差別が止揚されるユートピア的な状態を、はやばやと先取しているのである。


 ……はぁ? って感じですが、補足を入れながら追っておきます。まず、ここで彼が言う「封建社会の圧制」とは伝統的な制度などに縛られた恋愛関係のことでしょう。そして「市民社会の野蛮」とはお金や生活のことを目的に結婚するという合理的でしたたかな恋愛関係のことを指します*3。≪ドン・ジョヴァンニ≫におけるツェルリーナの振舞いは、このどちらにも分類できない「止揚されるユートピア的な状態」なのです。彼女には、野蛮なしたたかさはない。同時に、制度(マゼット)に縛られる事なく、ドン・ジョヴァンニに惹かれてしまったりもする。おそらくポイントは「悪気もなしに」っていうとこだと思うのですが。この素朴さと自由をアドルノは「かがやいてる!」と言っているわけです。





 正直、これは批判産業臭(あるいはダメな左翼臭)がプンプンして、ちょっといただけませんよね。ただ、さすがにアドルノなので(?)この文章には、もう一ひねりあって「しかし彼女のかがやきは誘惑者にも照りかえしているいるのではないか」と続きます。ここでの誘惑者とは、言うまでもなくドン・ジョヴァンニのことです。彼は騎士、つまり封建貴族なわけですから、本当ならば初夜権を持っているはず。っつーか、特権階級なんだから、女と寝たければ好きなだけ寝れるはずなのですね。





 しかし、ツェルリーナにおいて「封建社会の圧制」は崩れていましたから、もはや初夜権は失われている――だからこそ「彼は快楽の使者となる」のです。もう少し噛み砕くと「制度を利用して女と寝るなんか、自由じゃない。自由の行使って言うのは、自由に女を狩ることができてこそ本当に意味を持つんだ。ツェルリーナが逃げちゃっても、それが自由なんじゃん? だから燃えるんじゃん?」みたいな感じですね。一ひねりしても、あんまり上手くいってないです。




*1:十ヶ月以上間が空いてしまいましたが、しれっとして続きを書きます


*2:寝た女の名前を全部ノートに書いている、という設定が最高!


*3:うろ覚えですが『ミニマ・モラリア』のなかに、そういった恋愛関係について嘆いているエッセイが収録されていたはず。英語で無理矢理読んだので意味があってるかどうかは知りません!





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最近、やっぱりこれはすごいなぁ、と思ったCDについて

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Explorations
Explorations
posted with amazlet at 09.10.26
Bill Evans Trio Scott LaFaro
Riverside/OJC (1991-07-01)
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 二ヶ月ぐらい仕事が暇で、ほぼ毎日定時に帰っているため(残業代がつかず)大変苦しい生活をしております――と別に報告する必要がまったくない事柄から書き出しましたが、そういうわけで欲しいCDなどがあっても血尿が出るぐらいまで思慮を重ねたあげく「これは今買っておかなきゃダメだ!」というものしか買っていません。新しいCDを買わなくなった代わりに家にある、いわゆる「名盤」を聴きかえしたりして過ごしています。これはこれで新しい発見があって良い。ビル・エヴァンスの「リバーサイド四部作」なんか聴き直しちゃったりして『Explorations』すげー、とか一人で騒いでいます。




 このアルバムって「四部作」のほかの三枚*1と比べると、ずっとケレン味がない。だからこそ、四枚のなかで最も地味な位置づけになっているんだと思うんですが。じっくり腰を据えて、神経すり減らすぐらい集中して聴かないと、すっと通り過ぎて終わってしまいそうなぐらい。「枯葉」とか「いつか王子様が」とか超有名なスタンダードを演奏してるわけじゃないし。でも、逆に集中して聴くと、この演奏の鋭さみたいなのが、グサッとくる。やべぇ、ポール・モチアン、超クール、みたいな。



サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番/第5番
チョン・キョンファ
ユニバーサル ミュージック クラシック (2001-04-25)
売り上げランキング: 29896



 あと、チョン・キョンファが二〇代後半のときに録音したカミーユ・サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第三番もすごかったです(これは買ってから二、三回しか聴いてなかった)。魂に火がつきそうなぐらい温度が高い演奏、っつーか、このボウイングの擦過音を聴いてると弓の毛からホントに火がでててもおかしくないんじゃねーか、と思わなくもない。カッコ良いです。





 あと、曲も良い。円熟期のサン=サーンスの巧みさに唸らされる、というか。この人は一九世紀の半ばから二〇世紀の初頭まで活躍してたフランスの作曲家なんだけれども、一九世紀後半のフランス音楽界には完全にドイツ音楽に圧倒されてたところがあったらしくて、サン=サーンスも「俺らもボヤボヤしてっと置いてかれちまうYO!」とか危機感抱いて、仲間の作曲家と徒党を組んで、ドイツの重厚な交響音楽の要素を取り入れたフランス音楽を作ろうと頑張ってたんですね。





 ちなみに徒党を組んで作ったのが「フランス国民音楽協会」っていう団体。めっちゃ愛国心感じるネーミングなんだけど、内情は「ベートーヴェンってやっぱすげーよねー」とか言ってるんだから、なんか倒錯を感じなくもない。話が大幅にズレたけど、サン=サーンスの場合、このドイツの古典音楽への傾倒っていうのが結構あからさまで、すごく構成美を感じさせつつも、超洒脱なところが良い。





 それから、キリル・コンドラシンが死ぬ直前に指揮したグスタフ・マーラーの交響曲第一番≪巨人≫のライヴ録音も聴き直しました。コンドラシンというのはソ連の巨匠指揮者なんですが、このコンサートの夜に急死しちゃう正真正銘のラスト・レコーディング。しかも、そのコンサートっていうのが別な指揮者の代役でリハを一時間しかやってない、っつー色んな意味で貴重な記録なんだけど、なんか異様な緊張感があって冷や汗が出そうになる。オケの音もなんかむちゃくちゃ本気モード。本気すぎてアンサンブルがひどいことになってる(第四楽章のヴァイオリンが大変そうな箇所とか爆笑モノ)。でも、すごい。演奏の精度を無視したところで、極めて純度の高い音楽が成立している。





 オーケストラは、北ドイツ放送交響楽団。この日、本当はクラウス・テンシュテットという人が振るはずだったのが、当時オケと指揮者の仲が悪かったらしくて、ほとんど仮病みたいな感じで指揮者がドタキャンしちゃったんだって。コンドラシンに代役が回ってきたのは、ホントに偶然。以下、想像ですがこのときのオケの異様なテンションの高さって「ここでヘタこいたら、マジでカッコ悪りぃ……」っていう意地があったからなんじゃないかな、って思う。もっと言うとテンシュテットに対してブチ切れている。コンドラシンもたまたま振ってみたら「なんか超テンションたけーなっ!」ってビックリしてたんじゃなかろーか。こうなったらもう祭りだよね。廃盤になっているのが大変残念。






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秋の食卓

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 引っ越したら俺、グリルがある家に住むんだ……。





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ロード・ダンセイニ『夢見る人の物語』

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夢見る人の物語 (河出文庫)
ロード・ダンセイニ
河出書房新社
売り上げランキング: 241888


 二ヶ月半ぐらい小説を読んでませんでした。久しぶりに読んだのは、ダンセイニの短編集でこれはとても面白かったです。表紙がなんかプログレみたい。この『夢見る人の物語』は、同じく河出から出ている『世界の涯の物語』*1と同様に初期の短編集二本を収録しているのですが、『世界の……』よりも一層、文章の幻惑感が高い気がしました。とくに短編集『ウェレランの剣』に収録された表題作「ウェレランの剣」と、「サクノスを除いては破るあたわざる堅砦」という英雄譚が素晴らしかったです。どちらも剣と魔法が登場するような典型的ファンタジーなのですが、そこでは夢が現実と魔法の世界をつなぐ橋として描かれている。この点がとても面白かったです。あと、ダンセイニの前に「あんた、前に小説で○○って書いてたけど、ホントは違うんだぜ」とダンセイニの創作にケチをつける大麻中毒の男が出てくる話とかも良かった。






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よしながふみ『きのう何食べた?』(三)

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きのう何食べた? 3 (モーニングKC)
よしなが ふみ
講談社 (2009-10-23)


 『きのう何食べた?』の最新刊を読みました。これはやはりとても面白い漫画だと思います。学生時代に、自身もゲイでゲイや中高年男性のライフ・ヒストリーを専門としている先生のゼミでTS*1をやっていたときのことを思い出します。主人公、筧が抱える「老い」や「老後」に抱える不安が、その先生が語っていた問題とほとんど一致しているのですね。しかし、そういったマイノリティの生活の様子を描いている一方で、こういったやり取りも描かれる。



「対して俺のほうが次の彼氏を見つけようと思ったらですね… ゲイの出会い系サイトの掲示板に書き込みをして返事もらったら(略)」


「…けっこうめんどくさい」


「そう! はっきり言ってめんどくさい!! 40も半ばのこの年で一から恋愛するなんてもう俺は嫌なんだ!! だからあいつとは絶対に別れたくないんです!!」


「あー まー 分かるわよ あたしだって夫と一緒にいてすっごく楽しいってわけもないけどこの年で独りになるのも再婚するのも面倒だから別れないだけだもんね」



 ここでは、ゲイの弁護士と中年の専業主婦との間に生まれる共感が示されるわけです。ただ、次の瞬間には「俺達は周りの親戚や親から『別れちゃイカン』という強制力が働くわけでもないんでね」と、ゲイのカップルと夫婦との制度的な差異も示される。『別れちゃイカン』という強制力が働くことによって、夫婦は「恋愛をする」という人生のステージから降りていることが可能であるのに対して、ゲイのカップルはそうではない。そこには降りられないというある種の不安が常に潜んでいるのであります。




*1:Teaching Studentの略だったか? 学部生がやるTA的な役割を私が通っていた大学ではそう呼んでいた。少ないながらお金も貰える





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プラトン『法律』(下)

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法律〈下〉 (岩波文庫)
プラトン
岩波書店
売り上げランキング: 127917



 プラトン強化期間の〆として『法律』の下巻を読みました(でも、これ偽書の疑いが強いんだって)。上巻が「神のために、人間の魂のために、国家のために良い法律とはなにか、良い法律とはどのように人を導くのか」といった法律論なのに対して、下巻は「良い法律ってなんだか大体わかったよね。じゃあ、実際にどんな法律を作ったら良いか語りあいましょうよ!」という感じで話が進む。これが結構退屈で、読むのが結構つらい。「外国人が上等な果物を勝手にとって食べるのは良いけど、上等じゃない果物をとって食べるのを見つけたら鞭で打つこと」とかよくわかんない法律もでてくる。そしてなんだかよくわからないうちに、アテナイからの客人(プラトンの代弁者)は、二人の議論の相手に「一緒に良い国作りましょうよ!」と迎えられるのだった。おわり。





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ガトー・バルビエリを二枚

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Caliente!
Caliente!
posted with amazlet at 09.10.19
Gato Barbieri
Ims (1994-03-01)
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 先日、ふらっと立ち寄った中古レコ屋でアルゼンチン出身のサックス奏者、ガトー・バルビエリのCDが一枚735円で売られているのを発見し回収してきました。で、そのなかの一枚が1976年の『Caliente!』というアルバム。ジャケットが↑にあるようにブート盤みたいですが、これはもう素晴らしいですね。スムースなラテン・ジャズ、そしてラロ・シフリン風のストリングスの上で、ガトー・バルビエリがマウスピースをグッと深く咥え込み、オーバー・ブロウした「ド演歌トーン」で吹きまくる、という自分の芸風を最大限に生かした内容となっております。まぁ、ガトー・バルビエリの演奏はいつものとおりなんですが、バックの演奏がやたらタイトで最高です。レニー・ホワイトとかエムトゥーメとかエディ・マルティネスが参加してて結構豪華。



D


 そして、サンタナのカバー(しかも「哀愁のヨーロッパ」)の異様にムーディな雰囲気がヤバすぎる。はぐれ刑事がいつ出てきてもおかしくない。



Apasionado
Apasionado
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Gato Barbieri
Emarcy (2008-03-11)
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 もう一枚は1982年の『Apasionado』というアルバム。これも基本的には『Caliente!』と内容は一緒なのだけれども、ガトー・バルビエリのバックがラテン・ジャズから、フュージョンになっています。もう何やっても一緒なんじゃないか、って感じがしますが、本当にバックの演奏が素晴らしい。NYの一流スタジオ・ミュージシャンを集めているので、ほとんど仮想ウェザー・リポート対ガトー・バルビエリみたいでした。





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エルヴィン・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』

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ゴシック建築とスコラ学 (ちくま学芸文庫)
アーウィン パノフスキー
筑摩書房
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 今年に入ってからパノフスキーの本をよく読んでいます(見つけたら即購入するスタンス)。初めて彼の名前を目にした人向けにその業績をむちゃくちゃ簡単に書いておきますが、彼は「イコノロジー(図像解釈学)」を創始した大変博識なおじさんです。で、このイコノロジーってなんなの? と言いますと「美術作品の構造のなかから、細部に宿っている理念や文化史的コンテキストを発見する行為」ということになります。詳しくは彼の代表作である『イコノロジー研究』*1の冒頭にありますので気になった方はそちらをご参照ください。で、本日読み終えた『ゴシック建築とスコラ学』という論文も、そのタイトルどおりイコノロジーの実践によって、ゴシック建築のなかにスコラ学の理念を見出さん、というものでした。超面白かったです。





 スコラ学って何ですか? というレベルの人でも安心。「私もスコラ学って何ですか?」という感じだったのですが、冒頭はスコラ学の起こりから盛り上がるまでの史的な流れの解説が入ります。だいたいどういう感じだったかっつーと、スコラ学以前の神学だの哲学だのっていうのは、体系っていうものが明確じゃなかったんですね。で、スコラ学の人たちっていうのは「やっぱ、そういうの明確にしてかなきゃいけないズラ!」とか言って、せっせと体系だった学問の形式を作ろうとしたわけです。





 なんで彼らがそういう風に「なぁ、俺たち付き合ってんのかな?」というような曖昧さにもどかしい思いを抱える若い男女のようなことを始めたかっつーと「そういう風に秩序立ててやってかないと、信仰だの神様だのがはっきりしないズラ!」と思ったからだ、というのがパノフスキー先生のお見立てです。彼はこういったスコラ学の原理を「明瞭化のための明瞭化という基本原理」と名づけています。つまり「神様だの信仰だのを明瞭化するために、明瞭に物事を考えよう」という原理がこれです。こういう原理が近代理性の原点になってるのだ、とパノフスキーは言ってますが、このあたりが個人的なツボでした。





 そしてゴシック建築にも似たような流れがあったのです。後半は、実際に建築の構造を見ていきながら、どんどんと建物が明瞭化していく過程を追う、という感じになっています。この変化はどうにも偶然ではないだろう。おそらく、当時の建築家たちはスコラ学の影響を多大に受けていたのではないか……というのが論文の結論になります。二〇〇ページ強の本なのですが、半分以上は註と図録なのでサクッと読める。内容としてもそんなに難しくないので、パノフスキー入門にもちょうど良いかもしれません。






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ジョルダーノ・ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』

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無限、宇宙および諸世界について (岩波文庫 青 660-1)
ブルーノ
岩波書店
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 一六世紀の修道士、ジョルダーノ・ブルーノの宇宙論『無限、宇宙および諸世界について』を読みました。これはマジで最高です。本当に面白い。最近、量子論などにも触れることができる本*1を読みましたが、ブルーノの世界観はそれらとも、あるいはスピノザの世界とも繋がるような気がします。「天体の運行は、すべて霊魂(アニマ)によってなされているのだよー」とか言われていている点は、現代科学からすれば「なんだ、オカルトじゃねーか」と思われそうですが、世界・宇宙・神の捉え方が大変面白い。あと、ずっとアリストテレスをDISっているところが良いです。「アリストテレスの説なんか信じてるヤツに何言っても無駄だよ。だって、あいつらバカだから、俺らの言ってることなんか説明しても無駄だって」ぐらいのことを、誇張じゃなく言っている。





 ブルーノからそこまでDISられているアリストテレスの宇宙論というのは、どういうものだったか、について簡単にまとめると、以下のようになるかと思われます。







  • 天体は地球の周りをまわっている(天動説)

  • 宇宙は有限(そんで七層に分かれている)

  • 宇宙の外側には何もない(虚無)





 これに対してブルーノはこんな風に言います。簡潔にまとまっている部分がありますのでまるごと引用しちゃいますね(P.64)。



私に言わせれば、宇宙は全体の無限です。なぜならば宇宙には縁も終わりもありませんし、これを取り囲む表面もないからです。が宇宙は全的に無限なのではありません。宇宙から採り出すことのその各部分は有限なものであって、宇宙のなかに包まれている無数の諸世界もその一つ一つは有限のものですから。また神は全体の無限です。なぜなら神はいかなる制限も属性も帰されることを拒絶する一にして無限なるものだからです。そしてまた神は全的に無限なるものとも言われます。神は全世界にくまなく遍在し、そのそれぞれの部分のなかで無限かつ全的に存在しているからです。



 引用文にもあるように、ブルーノの主張が大変面白いのは、我々が存在している宇宙のなかには無数の諸世界が存在している、という点につきます。我々が今現在いる世界は、単に我々が観察し、認識している「ある一つの有限な世界」に過ぎない、というのが彼の主張です。逆を言えば、我々が宇宙のなかの我々が認識していない部分には、我々の世界とはパラレルに「もう一つの有限な世界」が存在する、と彼は考えていました。このあたりは「シュレーディンガーの猫」的でもあります。また、引用部後半の汎神論的な記述は、やはりスピノザを想起させる。こんな風に考えていたばっかりに、ブルーノは火あぶりにあい、スピノザもあまり良い思いをしなかったみたいですが。



スピノザの世界―神あるいは自然
上野 修
講談社
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冨永昌敬監督作品『パンドラの匣』

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 冨永昌敬の新作。原作は読んだような読んでいないような曖昧な記憶しかないのですが、とても楽しく観ることができました。とくに唐突な中断や脱臼を挟みつつ、静かに物語がとても進んでいく感じが素晴らしい。冨永監督の作品と言えば、前作『パビリオン山椒魚』における「第二農協」(農協に対抗してできた第二の秘密結社的な農協)という非常にピンチョン的な世界設定の上手さ(バカさ)がツボだったのですが、今回は「健康道場」という人里から離れた空間を異世界的な、あるいは夢のような世界へと演出することに成功しているように思います。だからこそ、夜に草刈りをする人(現実にそんな人はいないでしょう)がいてもおかしくないのだし、アフレコのリップシンクがズレていても違和感がない。





 「やっとるか」「やっとるぞ」、「がんばれよ」「よぉしきた」。この言葉の掛け合いにはとくに意味はなく、単なる挨拶のようなものとして、もしくは、儀礼的な呪文として、この健康道場では使用されている。その言葉の掛け合いはもはや慣習となってしまっているので、その言葉自体が何らかの意味を持っているわけではないのです。しかし、ある瞬間、ある関係性の中で、ある声のトーンによって、それらの無意味な言葉が特定の意味を含んでいることを観客に対して暗示する、そのようなシーンがいくつもありました。ニュアンスの問題、と言っていいのでしょうが、秘め事のように意味が取り交わされる様子は時にエロティックなほどに感じられます。このあたりも素晴らしい。特に仲里依紗のコケティッシュかつ、白痴染みた振る舞いにそれらが重なったとき、素晴らしさが何重にも突き刺さってきます。カワイカッタ……!! 正直言って、彼女の演技を観て「ああ、なんて可愛らしいのであろうか……」と嘆息するだけでも満足できそうです。





 あと染谷将太もネジくれた感じの表情がとても素敵でしたし、窪塚洋介の病的な痩身もカッコ良かったです(なんだかんだ言ってもとても魅力的なのですよね、カッコ良い。たとえ卍でも)。川上未映子は、スクリーンに出てきた瞬間に、体の太さが気になってしまい、ずっと太い、太い……やっぱりアイドルだとか女優はすごいのだな……と全然関係のない思いを抱いてしまったのですが、あれは「設定上、そういうもの」という感じだったのでしょうか。よくわかりませんが、全体的にややイヤらしい感じが良かったです。喩えるならば、綺麗な女性の後ろを歩いていたら、ずっとシャンプーの良い匂いがしてきたときに、ジュンッ……とくる、そんな感じを常に漂わせている。





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ピエール=ロラン・エマール ピアノ・リサイタル@東京オペラシティ コンサートホール

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プログラム


ドビュッシー:≪ベルガマスク組曲≫


ベンジャミン:≪ピアノ・フィギュアズ≫


シュトックハウゼン:ピアノ曲IX


ベートーヴェン:「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ op.35





アンコール


リゲティ:≪ムジカリチェルカータ≫第1番


クルターク:≪子供の戯れ≫より 第2番


シューベルト:3つのレントラ


シェーンベルク:6つの小品 op.19


ブーレーズ:≪ノタシオン≫より 4曲


ショパン:≪子守歌≫


 現代最高峰のピアニストのひとり、ピエール=ロラン・エマールの来日リサイタルを聴きに行きました。前回の来日時も彼の演奏を聴いたのですが*1、今回も最高でした。特にメインのベートーヴェンから、出し惜しみが全くない充実したアンコールまでが素晴らしく、本当に満足いくまでひたすらに良い音楽を聴かせ続けてくれます。





 前回の来日時同様に、今回のプログラムでも古典と現代曲が交互に演奏されたのですが、この試みはやはり楽しい。併置される作品たちは構造的に繋がりあい、どこかではっきりと「あ!」と思う瞬間がある。それは意外なマリアージュと呼ぶべきものではなく、批評的な意味の発掘に近いように思われます。こういった意味で、エマールの演奏会に足を運ぶと言う行為は「彼が演奏する作品」を聴きにいくと言うよりも、「彼自身」を聴きにいく行為により近くなる。エマール自身もそれに自覚的なのかもしれません。あのアンコールのサービス精神は彼自身を聴き来てくれる聴衆への真摯な応答だと感じます。





 それにしても、アンコールでブーレーズの《ノタシオン》を演奏するなんで、キチガイ沙汰にもほどがあります! 一体一日何時間練習すればあんな風になれるのでしょうか? 最高ですが! 気が早いですが、次回の来日時も絶対に聴きに行こうと思いました。あとサイン会に出て来たときの格好がダンディで惚れた。






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イヤー・パッドとケーブルを交換できるヘッドフォン

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 ここ数年はAKGのK240STというヘッドフォンを愛用していたのですが、さすがに愛用しすぎたせいで、上の写真のように痛々しい感じになってしまいました。使用期間は約五年。自宅でのみ使用していたおかげかもしれませんが、この前に使っていたゼンハイザーのHD200(もう売ってない機種)が二年ほどで壊れてしまったのを考えれば、長持ちしたほうでしょう。





 イヤー・パッド(耳に直接あたるフカフカした丸いヤツ)がボロボロになのは、とくに問題ないのですが、ケーブルのほうはもうなんともならず、姿勢をよくしていないと右チャンネルの音が聴こえなくなる……というなんともストレスフルな状態だったため、交換用のイヤー・パッドとケーブルを注文してみました。


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 そして新品同様に生まれ変わったK240ST。新しいイヤー・パッドはフカフカして気持ち良く、これでまた五年ぐらい使えるようになるかな。現行モデルはK240MK2というものになっているそうですが、これも私が使っているものと同様、交換用のイヤー・パッドとケーブルが売っています。ちなみにサウンドハウスで五千円ぐらいでした(イヤー・パッドは一個売りなので、両耳そろえるには二つ買う)。ヘッドフォン本体は一万五千円ぐらいなので、微妙に高い気がするけれど、愛着があるので自己合理化することにします。もう売ってない機種だしね!





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バルトークの弦楽四重奏曲について

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バルトーク:弦楽四重奏曲全集
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 ひさしぶりにベラ・バルトークの弦楽四重奏曲を聴きなおしたら以前よりも鋭く心に刺さってしまったので、彼が遺した六曲の弦楽四重奏曲について書いてみます。これらの作品を私は以前「ハードロックみたいに激しい現代音楽の古典」みたいな聴き方しかできなかったのですが、今になってみるとこれが大変な名曲揃いで素晴らしい。それぞれの個性が際立っていて、退屈な曲がひとつもありません。ベートーヴェン以降に最も重要な弦楽四重奏曲作家に、ドミトリ・ショスタコーヴィチとともにバルトークの名前が挙がるのもよく理解できます。CD二枚組で収まる量ですし、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全曲録音が手ごろな価格で手に入れられますので、バルトーク入門にももってこいかと思われます。





第一番


 一九〇八年に完成した第一番は、バルトークが受けたであろう後期ロマン派/新ヴィーン楽派の影響が色濃く出た傑作です。バルトークの代名詞である「民謡から旋律の引用」は登場しませんが、調性の制限から抜け出たことによる退廃的かつロマンティックな崩壊美と、厳格な対位法による構築美、というアンビヴァレントな美しさが同居しています。とにかく第一楽章のレントが素晴らしいです! 無調/十二音音楽の祖であるアルノルト・シェーンベルクの傑作である弦楽四重奏曲第二番とほぼ同時代に書かれたものなのですが、これらの二つの作品が持つ雰囲気はおどろくほど似通っている。私はシェーンベルクという人を、後期ロマン派の正統的な後継者であり、かつ、二十世紀最大のロマンティスト、と考えておりますが、この第一番を聴いて、後期ロマン派から枝分かれしたもう一つの潮流をバルトークに見出しました。



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(演奏者未詳 弦楽四重奏曲第一番:第一楽章 レント)





第二番


 第二番は一九一五年から一九一七年の間に書かれています。第一番から少し間が空いているのですが、この間にバルトークは書法をより多彩にしているようです。ここには「民謡からの旋律の引用」も登場しますし、複雑なリズムはさらに先鋭化、さらに旋律をパートに分散することによって生まれる効果などもかなり考えられて作られていることが分かります。どの楽章も面白いので、ハイライトをピックアップするのがとても難しい。第二楽章の力強さも良いですし、第三楽章の無調によるロマンティシズムも良い。強いて言えば、第一楽章の身もだえするようなシンコペーションの嵐でしょうか。聴いていると体感がねじれていく様な感じ。



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(アコード弦楽四重奏団 弦楽四重奏曲第二番:第一楽章 モデラート)





第三番


 第三番は一九二七年に完成しました。この作品に続く第四番とともに、この作品をバルトークの弦楽四重奏曲におけるひとつの到達点として考えることがあるようですが、それが大いにうなづける傑作です。全四部の単一楽章の作品なのですが、全体を貫く構成力が素晴らしく、第一部で小さな動機がさまざまに形を変えながら、積み上げられるようにして雰囲気を盛り上げていき、第二部に突入、民謡風の旋律を激しく奏でるまでの流れは震えるほどカッコ良いです。マジでヤバい。ハンガリアン・ファンクかつ、メタル(よくわからない形容)。余談ですが、この作品は菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの「ソニア・ブラガ事件」の元ネタのひとつになっているように思います。



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(アコード弦楽四重奏団 弦楽四重奏曲第三番:第一部から第二部)





第四番


 第四番は一九二八年に完成しています。第三番との間がほとんど開いていないせいか、両者が荒々しい部分の性格はとてもよく似ています。しかしながら、第四番は前作よりもさらに暴力的な荒々しさが深化しております。六曲のうち最もヘヴィな印象を受けますが、全五楽章の真ん中にある唯一の緩叙楽章が際立って美しい。チェロによる旋律を支えているコードの妖しさがたまりません。この作品を聴くと、バルトークの動と静、両面の素晴らしさがよく分かる気がします。個人的には彼の静的な音楽の美しさを理解するのにかなり時間を要しましたが。



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(ジュリアード弦楽四重奏団 弦楽四重奏曲第四番:第三楽章、第四楽章)





第五番


 第五番は一九三四年に作曲されています。第三、四番と続けて書かれた作品では、かなり前衛的な書法を採用していたバルトークですが、ここでは伝統的な和声法への回帰が見られます。その点を考えれば、彼の弦楽四重奏作品の中でも最もポップな音楽として聴くことができるかもしれません。とはいえ、単純に一九世紀の世界へとバルトークが戻るわけがなく、彼らしい音楽的要素が散りばめられた傑作と言えましょう。一ヶ月ほどで書かれたそうですが、民謡、ポリリズム、変拍子、厳格な対位法が駆使され、一切の手抜きや瑕が見受けられない恐ろしい完成度。第三楽章のスケルツォの中盤で突然始まる民謡風の旋律、この後ろでヴァイオリンがポリリズムで囁いているところがとても好きです。



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(演奏者未詳 弦楽四重奏曲第五番:第三楽章 スケルツォ・ブルガリア風に)





第六番


 第六番は一九三九年に書かれました。他の作品に比べると、全体的に暗い雰囲気が漂っているのですが、この作品が書かれた年にヨーロッパはどのような状況であったのかを考えると色々と考えさせられるものがありますね。楽曲解説によれば、全四楽章を通じて≪悲しみ≫の主題が使用されているそうです。「ファシズムの台頭に対するバルトークの悲哀が……」とか言ったところでしょうか。バルトークらしい音楽語法の完成形をこの作品のなかに見ることができ面白い作品なのですが、六曲のうちで唯一「大好きです!」と言えないものでもあります。とくに終楽章が暗すぎる。ダークサイド・オブ・バルトーク。解決しないまま穏やかに終わるところもなんだか意味深です。



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(タカーチ弦楽四重奏団 弦楽四重奏曲第六番:第四楽章 メスト)





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よしながふみ『きのう何食べた?』(二)

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 この漫画を読んでいると、料理欲と美食欲が同時に高まっていくのですが、それらは互いにちょっとずつ方向性が異なった食欲なのだろう……ということについても考えさせられます。料理をすれば、美味しいものを作ることは可能である。しかし、自分では絶対に作ることができない、お店でしか味わえない食べ物も確実に存在している。自分で作る美味しいものと、お店でしか食べられない美味しいもの。これらが生み出す感動(というと大げさですが)は、まるで違ったものでしょう。さらに、自分で料理を作っていると「お店でしか食べられない美味しさ」の有り難味もだんだん分かってくるような気がします(お金を出して食べるべきもの、と食べるべきではないものの峻別もできてくる)。





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五分でできる鶏ごぼうソバ(二人分)

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材料




  • ソバ 二人分

  • グリコ「炊き込み御前 鶏ごぼう」*1 一個

  • お湯


作り方




  1. ソバを茹でる

  2. 茹で上がったソバをどんぶりに投入

  3. どんぶりに「炊き込み御前」のだしと具を入れる

  4. ソバが隠れるぐらいまでお湯を入れる

  5. 完成



 「美味しいんじゃないか?」とひらめいて、作ってみたら予想以上に美味しかったです。そして「炊き込み御前 鶏ごぼう」のクオリティがなかなか高い。しょうがの香りがとても良いアクセントになっています。






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最近読んだ漫画

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 諸星大二郎「妖怪ハンター」シリーズの一番新しい作品を読みました。名前を授けることによって、その名付け親の内に秘めた願望を実現してくれる霊的な「モノ」をめぐる一大ミステリーなのですが、壮大な話のスケール以上に「これ以前の作品よりも漫画が上手くなっている……」ということに驚かされました。これまでになかった絵の動きが感じられる。現代的な文化が作品のなかに反映されるとき、微妙にズレて登場するのは相変わらずなのですが。今回は、ロック・バンドの演奏にあわせてラップで託宣を与える新興宗教の教祖(髪型はモヒカン)が出てきたりして、何を参考にキャラを作ったのかがよくわからないのが素敵です。それにしても稗田先生はちゃんと仕事しているんでしょうか。





 よしながふみの『きのう何食べた?』も読み始めました。これは料理漫画というよりも、レシピ漫画と呼ぶべきなのでしょうか。ゲイのライフ・ヒストリー的な物語と、美味しそうな料理の作り方がパラレルに展開される。このふたつにほとんど接点がないのが面白かったです。料理や食材がなにか物語の重要なキーになっているわけではないのが斬新、というか。私も毎日六時で帰って、毎日料理をする生活がしたい。



まんが道 (3) (中公文庫―コミック版)
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 『まんが道』の三巻も読みました。手塚先生、良い人すぎ!





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ディドロ・ダランベール編『百科全書』(序論および代表項目)

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百科全書―序論および代表項目 (1974年) (岩波文庫)

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 いわずと知れたフランス啓蒙思想の大きな成果、『百科全書』の抜粋を読みました。前からずっと読みたかったのですが、ようやく読めたので嬉しい。こういう「知の分類学」的な試みには、近代理性で世界を覆いつくそう、という誇大妄想的なものを感じてしまうのですが、そこが萌え。巻末に載っているダランベールの「人間知識の系統図」なんかすごく良いですね。秩序を感じます。





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Tony Royster Jr.

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 ぼけーっとYoutubeを眺めていたら、すごいドラマーを発見。これがいつの映像かわからないけれど、このトニー・ロイスター・ジュニアという方、ほとんど「黒いテリー・ボジオ」みたいです。しかも、一九八四年生まれ。若い……っていうか同級生……。



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 一二歳のときの映像ですでにコレ。若くしてデビューした天才ドラマーといえば、トニー・ウィリアムス*1を彷彿とさせますが、一二歳のトニー・ロイスター・ジュニアはこの演奏をトニー・ウィリアムスに捧げています。ブラスト感がやばい!


 




*1:名前が同じなのは偶然なのか……?





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ひとりぼっちの角煮戦争

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 下煮段階。ここだけで二時間。





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 味付けをしながら一五分後。





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 一時間後。





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 できあがり直前。





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 完成。煮たまごは明日食べます。圧力鍋が欲しい。





2/3 舌の上でとろける食感 豚の角煮 [男の料理] All About





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高橋昌一郎『理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性』

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理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)
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 以前、ボルヘスのエッセイを読んでいてピエール・シモン=ラプラス(ラブプラスではありませんぞ)という昔のフランスの数学者が面白そうだ、というようなことをmixiの日記に書いていたら、友人にこの本を薦められたので読んでみました。「理性の限界」をテーマにした架空のシンポジウムの議事録、というまるでプラトンの対話篇のような体裁をとっているところは賛否両論ありそうですが*1、かなりレベルの高い良書です。「囚人のジレンマ」、「繰り返しの囚人のジレンマ」、「ゼロサムゲーム」、「ナッシュ均衡」と言った学生時代に講義で習ったにも関わらず、ぼけーっとしていたせいで全く理解できなかったゲーム理論のお話をこれを読んで理解できた気がします。かなり分かりやすく書かれている本ですが、本当に内容をガッチリ理解したいのであれば、登場する論理式などを自分で書いてみるとより一層理解力が高まりそう。ただし理解したところで使いどころがほとんどないぜ! というのが悲しいところですが。




*1:途中でカント主義者という登場人物が変な茶々を入れたりする。近代理性の象徴としてカント主義者が登場しているのはなんとなく予想できるのだが、はっきり言ってウザい





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菊地成孔『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍――僕は生まれてから5年間だけ格闘技を見なかった』

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菊地 成孔
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 菊地成孔による格闘技批評を読みました。これも大変面白く、ゲラゲラ笑いながらあっと言う間に読めてしまいます。収録されている文章は著者が「格闘技を見なかった五年の空白期間」の前後に書かれたもの。「前(九九年から二〇〇〇年)」と「後(二〇〇四年の大晦日)」では幾分文体が変化しているのですが、個人的には「前」の方がテンションが高く感じられ、より笑えます。平岡正明と蓮實重彦を足して二で割ったような文章だ……と読みながら考えていたのですが、それは筆者の筆力の高さだけではなく、格闘技(正確には、プロレス/総合格闘技)という対象と批評との相性の良さについても考えさせるものです。





 これを読みながら、プロレスや総合格闘技が持つ強い物語性・演出性を改めて感じることができましたし、ボクシングや相撲といった格闘技とプロレスや総合格闘技との世界を大きく隔てているのは、その物語性・演出性なのかもしれない、とも思いました。その意味で、すべてのプロレス/総合格闘技ファンは、単なる観客なのではなく、批評家なのでありましょう。彼らは、その試合の背後で動いている物語を読み解き、意味を解釈しようとする。あるいは、背後に存在する物語を生産することによって、意味を付与しようとする。試合という可視的なものの背後に、意味を設定するのです。おそらく、ボクシングや相撲の観客はそのようなことをしないでしょう。現に私はそのような見方をしません――とはいえ、私はあくまで軽度のプロレス・ボクシング・相撲ファンであり、総合格闘技にはまったく興味がない、という程度の見方しかしていないのですが。



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 ボクシングや相撲が、過剰な意味を帯びるのは本当に特別な試合(立合い)に限定されます。例えば、具志堅用高VSペドロ・フローレスの二度目の対戦であるとか。これが具志堅のWBA王座一四回目の防衛戦であり、かつ、防衛が果たせず、そして引退試合となった一戦なのですが、この試合は本当にスゴい。苦戦する具志堅の姿に、会場には悲壮感がどんどん募っていく。時代の、国民的な英雄が目の前で打ち倒されようとしている。これはもはや悲劇としか言いようがありません。





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ポール・クルーグマン『為替レートはなぜこんなに変わりやすいんだろう。』

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 日本語訳が山形浩生のサイト*1でダウンロードできたため、読んでみました。タイトルがすごくキャッチーだし、内容がスラスラと頭に入ってくる名訳です(訳注もとても親切!)。内容としては『クルーグマン教授の経済入門』*2と重複する部分がありますが、為替レートが変動のしやすい理由として「変わったところで、市場にはそんなに影響ないから、変われるのだ!」という衝撃的な説明がなされており、ため息が出るほど面白かったです。為替レートという指数があって、その指数をもとに、人間はどういった行動に出るのか、こういったところの分析は、経済学の方面からも、心理学の方面からも、また行為論の方面からも楽しめます。





 クルーグマン関連では『ぼくのキャリア上のできごと』というエッセイも面白かったですよ。これは泣けた!






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プラトン『法律』(上)

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 結構長めに感想を書いたのですが、間違って消してしまいました。がっかり……。冒頭から百ページぐらい「お酒は飲むべきか飲まないべきか」という、なんかどうでも良い話っぽいのが続けられるのが面白かったです(プラトン的にはどうでも良くない話なのだが)。総括するとまた「魂に良いことだけやりなさい!(法律や国家も人にそのようにさせるためにあるんだよ!)」とモギケンみたいな話になるのですが、プラトンの教育論、あるいは芸術論の振り返りをたくさん含んでいて、とても勉強になった気がします。





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ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』を読む #7

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公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
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 第七章「公論の概念のために」はまた別な日にしようかと思いましたが、とても短いので今日マトメてしまおうと思います。と言っても、そんなにマトメどころがあるわけではありません。というか、ここは実際に読んだほうが早い。節のタイトルをあげておくと第二四節は「国家法的擬制としての公論 この概念の社会心理学的解体」、第二五節は「問題解明の社会学的な試み」となっていて、最終章であるこの章はこの二つで構成されています。どちらも「どうやったら現在の硬直した状況(社会福祉国家の大衆民主制)をもっと良い方向に変えられるんだろうね」という提言になっております。すっごく乱暴にマトメちゃうと「やっぱコミュニケーションだよね!(笑顔)」という感じ。





 で、今回で「ひとりぼっちの読書会」の『公共性の構造転換』編は終了です。お付き合いいただいた方々、ありがとうございました。最後に個人的な雑感を記しておきますと、これを読むまでハーバーマスとアドルノ(ホルクハイマー)の間に、かなり距離を感じていたのですが「ああ、フランクフルト学派ってこういう感じのことを言う人たちなんだぁ」という実感が湧いてきたのが結構面白かったです。





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ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』を読む #6

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公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
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 本日は第六章「公共性の政治的機能変化」について見ていくずらよ。この章の内容はもうタイトルのとおりです。前章で批判産業*1感全快で、あれやこれや市民的公共性の失墜を批判していたハーバーマスですが、では政治的な機能はどんな風に変わったの? というお話。これまでの繰り返しも結構含んでいるため、サクサクいきましょう*2





 第二〇節「民間文筆家たちのジャーナリズムからマス・メディアの公共サーヴィスへ 公共性の機能としての広告」では、かつては公共の意見を形成する媒介であったり、どの権力にも属さず批判的機関として機能していた「新聞」というメディア(ジャーナリズム)も、今や単に広告としての機能しかもってないぜ! ってなことが書かれております。世論なんかもさ、今や広告の手法をもって形成されちゃうわけ、みたいなね。あとは前章でも言ってたように、ジャーナリズムも市場の論理に飲み込まれちゃって……云々という感じで大した中身があるわけではございません。





 第二一節「公開性の原理の機能変化」にいきます。公開性の原理については、第四章で出てきたカントの話を思い出してください。この節の内容もタイトルどおり「今はその原理も全然意味が変わっちゃった」という話です。で、どう変わったかっつーと、昔は議論の場所を公開にしてたら、色んな意見が出て、論争だの揉め事が起こってたけど、今は全然起こらない。なんでかっていうと、政治ももはや私的な利害関心の塊になっちゃってるわけ。そうすると議論によって白黒つけよーじゃねーか! っていうよりは、商売みたいな感じで「こっちはここを譲歩するから、そっちはあれを譲歩してよ」みたいな取引によって政治が動いちゃう。




 これもリベラルな建前に従ってるように見えるけど、ちょっと違う。こんなの別に公開しててもしなくても一緒だからね。っていうか、もはやそういう政治の場を公開してても、政治はマス・メディアを使って世論を操作しちゃってるから、正直言って関係ないわけ*3。そうなるとさ、公開性の意味も全然変わったって言えるじゃん? だってさ、結局、公開性ってあらかじめ約束された同意を確認するぐらいの意味しかないんだもん。





 はい、どんどん行きますね。第二二節は「造成された公共性と非公共的意見 住民の選挙行動」となってます。この節は、なんかヴェーバーの『職業としての政治』を想起させる部分がいくつかありますね。ですが、最初のほうの一文を引用しちゃうとこの節はまとまっちゃいます。「もはや選挙戦は、制度的に保障された公共性の枠内で、不断から養われている政見の論争から自然に起こるものではなくなったのである(P.280)」。議論とか対話から政治が立ち上がってくるわけじゃなくて、結局、もうすでに何かしら決まってて、選挙もなんか嘘っぽい儀式とマス・メディアの活躍と機能の場になってる! みたいな話です。





 というわけで、あっという間に第六章のラスト、第二三節「自由主義的法治国家から福祉国家への変形過程における政治的公共性」にきてしまいました。これまでハーバーマスは散々、自由主義であるとか、公共性の失墜などについて批判をおこなってきたわけですが、そうは言ってもこの失墜が完全に悪! というわけではない、というなんだか複雑な、歯の奥になにかがひっかかった評価が垣間見える部分です。たしかに、私的な利害関心や市場の論理が社会を覆うことで、何かが変わってしまった。でも、今は特権階級や絶対的な主権者によって、不条理な支配がおこなわれてるわけじゃない。それどころか、そこそこみんな上手くやってるじゃん! たしかに不平等なところは多々あるけれども、国家が再び強くなることで、富の再分配は強力行われてて、豊かさもあるじゃないか、と。





 結局、問題は、なんだかシステマティックに政治が進みすぎてるのと、システムが不透明すぎてその政策がホントに自分たちの社会のためになってるかどうかわかんねーよ! ってことみたいです。





 以上が第六章のマトメになります。次で最後です。やったー!




*1:出典:2009-09-24 - 呂律 / a mode distinction


*2:正直、もう飽きました


*3:陰謀論みたいだ!





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肉じゃが(小林家流)

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 小林カツ代&ケンタロウ*1によるレシピで肉じゃがを。こちらはフライパンで汁気を飛ばして作る。見た目は小ぎれいな感じだが、通常のつゆだく感溢れる肉じゃがのほうが美味しい気がした。



決定版 ケンタロウ絶品!おかず (主婦の友新実用BOOKS)
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*1:ウチにあった両者のレシピを比較し、まったく同じものであることを確認





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鯛めし

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 最近、めきめきと料理スキルをあげているぜ! 


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 職人っぽいスピードで、鯛に塩を塗りこんでる模様。





2/2 和食でおもてなし 鯛の姿蒸し 鯛めしレシピ [料理のABC] All About





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