『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

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Michael Jackson’s This Is It - The Music That Inspired the Movie
Michael Jackson
Epic (2009-10-28)
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 最終日のせいか郊外のシネコンでもほぼ満席……という状況でマイケル・ジャクソンの映画を観ました。面白いとか面白くないとかではなく実に感慨深い映画だったと思います。終演後には拍手が起こっていて(自分はしませんでいたが)、会場をあとにするほかのお客さんの声も熱くて、改めてキング・オブ・ポップの訴求力みたいなものを感じてしまいました。もう死んだけど。そう、もうMJは死んでるんだよ! ということで後味があまりよくありませんでした。スクリーン上で奇怪なほどシャープな動きをする白い50歳とは思えない動きをしていて、声も結構出ている。観る前は痛々しい姿を予想していたのですが、圧倒的な現役バリバリ感を示している。だからこそ、マイケル・ジャクソンの“急死”の重みが一層感じられてしまいます。私は死んだから/死んでから、再評価をおこなう、といった行為を好みません。この映画に贈られた拍手は生前の彼に贈られるべきものであった、と思いますし、さらに言ってしまえば彼が非常に苦しい時期にあった頃に贈られるべきものであった、と思います。少々ナイーヴ過ぎるしれませんが、私はこの映画に対して、素直に拍手をすることはできませんでした。そんなに思い入れがあったわけでもないですし(好きだったけれど)。





 いきなりブツクサと続けてしまいました。繰り返しますが、スクリーンに映る「圧倒的な現役バリバリ感」のマイケル・ジャクソンはすごかったです。まず、彼の周囲に配置された若いダンサーとはまるで異質な動きをしているのがすごい。マイケル・ジャクソンと若いダンサーたちの動きがシンクロしていても、中心にいる白い50歳の動きはあきらかに違っている。まるでその白い人の周りだけ地球の重力が5分の1ぐらいになっているんじゃないか、っていう軽い動きをしています。別な言い方をすれば、筋力を感じさせない動き、とでも言えましょうか。たしかに、若いダンサーたちは男女問わず、すごく厚くて、重そうな鍛え上げられた身体を持っている。そのなかでMJだけが薄っぺらくてヒョロヒョロして、異様に白い。映画のなかで、その彼が黒人のマッチョな女性ダンサーと絡むシーンがあるのですが、これはとてもすごかったですね。なんかホントにこの人はピーターパンだったんじゃないか、っていう軽さ。ダンスという身体表現において、どういったことがすごいのか、に関しては知りませんけれども、あの異質さには驚かされました。





 あと(多少ネタバレになってしまいますが)「Smooth Criminal」用に撮影された映像のなかで、MJがハンフリー・ボガードと共演しているところもなんだかじーんときてしまいました。すごく映画的な世界のなかにいた人だったのだなぁ、と改めて思ったりして(「Beat It」も『ウェスト・サイド・ストーリー』だったわけですし)。





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アルノルト・シェーンベルク 《ピアノ協奏曲》

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D



D

 内田光子が演奏しているシェーンベルクの《ピアノ協奏曲》が、下記エントリで紹介している映像の関連動画としてあがっていたのでこちらも併せて紹介しておきます。前にも紹介したことがある*1下記のインタヴューのときの本番みたいです。いつごろの演奏なのかは依然として不明。でも、本番の映像を見てみると内田光子が結構若い。そしてインタヴューのときよりキレイに見える(顔はかなり崩壊してるケド……)。



D


 作曲されたのは1942年。シェーンベルクは1951年に亡くなっているので晩年の作品と言って良いでしょう。この作品の5年ほど前に書かれている《ヴァイオリン協奏曲》と同様に、物語的に進行する緩-急の流れがあり、(シェーンベルクの作品のなかでは)かなり馴染みやすい部類のものではないでしょうか。古典的な音楽作品にあるようなダイナミズムを強く感じます。テンポが速い部分は歌舞伎的にカッコ良いですし、アダージョの危うい美しさにもゾクゾクしてしまいます。これもまた20世紀の音なのだなぁ……ロマンティック……。



シェーンベルク:ピアノ協奏曲
内田光子
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イーゴリ・ストラヴィンスキー 《詩篇交響曲》

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D*1


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 久しぶりに《春の祭典》を聴きだしたら、自分がおどろくほどこの曲の細部について記憶していることに驚き、それから面白くなってきてストラヴィンスキーの作品をいろいろ聴きかえしました。ついでにYoutubeで映像を探してみたら《詩篇交響曲》の映像がアップロードされておりましたので紹介しておきます。1930年に作曲された新古典主義時代の作品。宗教音楽をハイセンスな書法をもってパロディ化したような曲ですが、厳粛さと遊びの要素の不調和がとても面白いです。とくに第二楽章の奇怪なフーガの響きといったら、ウソ臭さが全開で最高。これもひとつの《異化作用》とでも言えるのでしょうが、この危うい美しさのなかに「ザ・20世紀」といった感慨を感じなくもありません。



ストラヴィンスキー:詩篇交響曲/ブーランジェ:詩篇集

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*1:第一楽章・第二楽章


*2:第三楽章





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Mahavishnu Orchestra/Visions of the Emerald Beyond

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Visions of the Emerald Beyond
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Mahavishnu Orchestra
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 Dirk_Digglerさんにいただいたジャズ/フュージョンの音源を淡々と紹介していくよシリーズ。本日はマハヴィシュヌ・オーケストラ、1975年の大名盤『Visions of the Emerald Beyond』。これはもうすごかった。ジョン・マクラフリンってこんなに上手かったのー……と尻の毛まで抜かれそうな気持ちになったし、これまで結構、イギリスのテクニカルなジャズ・ロックを聴いてきたつもりではあったけれど、もうそんなの比べ物にならなくて、本業ジャズの人が本気を出すととんでもないプレイヤビリティを発揮するのだなぁ……と思いました(マクラフリンはイギリス出身のミュージシャンではございますが)。ギターと対峙するジャン=リュック・ポンティのヴァイオリンも異様に熱くて、とにかく音がぎっしりと詰まった変拍子ジャズ曼荼羅。





 いまではイナたい感じがするオリエンタリズムと異教感が満載なんですが、それもジョン・コルトレーンから続くジャズ界の伝統なのか……と思えばまた良し。これと同時期にコルトレーンの死によって天啓を受けた男、クリスチャン・ヴァンデによるマグマがフランスに存在していたことを考えると非常に興味深いものがあります。マハヴィシュヌ・オーケストラのサウンドと、マグマのサウンドには驚くほどよく似た部分がある。どちらのバンドもリーダーは、物心ついた時には既にバップの全盛期、青年に達する頃にはロックが生まれており、一流ミュージシャンの仲間入りする時期にはほとんどジャズは下火になっていた……という境遇を持つ、ジャズが生まれた国ではない土地に生まれたジャズ・ミュージシャンなのですから、彼らが似たように「異教」を志向したのは当然のことだったかもしれません……とインチキな分析を試みたくもなります。



D





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クエンティン・タランティーノ監督作品『イングロリアス・バスターズ』

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 タランティーノの新作を観てきました。楽しみにしていたんですが、期待と予想をはるかに上回る傑作ではないでしょうか。以前、蓮實重彦が「『デス・プルーフ』を見たときは、立ち上がって拍手をしたくなった」と語っていましたが『イングロリアス・バスターズ』もそんな感じ。息を飲む緊張感と崩れ落ちたくなる爆笑に襲われ、大満足で劇場を後にしました。最高! 爽快! 観た後に風邪が治りました!(マジで)





 ラブレーを直前に読み終えていたこともあって、ぼやーっとミハイル・バフチンの「カーニバル文学論」のことを思い起こしていたのですが、映画の最後に仏壇返し的にやってくる、全部ブチ壊しての大団円は、まさにカーニバルそのもの、というか。様々な伏線を緻密に交差させながら「えっ、これどうなっちゃうの? 大丈夫なの?」と観客にスリルを与えつつ、その意図は、最終的なカーニバルの舞台の用意でしかない、という思い切りの良さに大拍手したくなります。劇中、プロパガンダ映画を観ながらナチの人たちが大騒ぎする、っていうシーンがあるのですが、私もそんな感じで大騒ぎしたかった。ウオーッ! とかバカみたいに叫んだりしてね。





 あと暴力描写も良くて。それも、スプラッター的な大盤振る舞いじゃなく、鈍くて「それは痛い……痛い……」と目を背けたくなるような痛みの描写のさじ加減が。バットで撲殺されるシーンなんかの鈍さなんか特に良かったです。バットを大きく振りかぶって、スイングすると、耳の辺りに直撃。「首ぐらい吹っ飛んじゃうのかな」と思いきや、そうじゃなく、重い衝撃音がして、打たれた人が倒れるだけ。ここでハッとするのですね。鈍い暴力のリアリティを感じてしまう。大盤振る舞いのなかに、そういったシーンが何点か含まれることによって、なんか映画全体の暴力が引き締まって感じたかもしれません。





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フランソワ・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル 第四の書』

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ガルガンチュアとパンタグリュエル〈4〉第四の書 (ちくま文庫)
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 昨年から待ち望んでいた『ガルガンチュアとパンタグリュエル』新訳の第四巻を読みました。この『第四の書』が書かれる前に、パンタグリュエルの部下であるパニュルジュという登場人物を主人公としたスピンオフ作品『パニュルジュ航海記』がラブレーとは別人の手によって刊行されていたそうです。今で言う二次創作みたいなものが、四五〇年以上前のフランスには既に存在していたことを考えれば、なんだか「二次創作はポスト・モダンの云々」といった分析が脆くも瓦解してしまいそうですが、ラブレーが“ポスト・モダン先取り感”を強めているのは、別人の手によって書かれた二次創作のストーリーをパクッてこの『第四の書』のなかに取り入れてしまっているところでしょう。このような話はセルバンテスにもありましたから、特段珍しくもないのかもしれません。『ガルガンチュアとパンタグリュエル』自体、当時のフランスに流通していた伝承譚『ガルガンチュア大年代記』を元に書かれたものですから、そもそも二次創作っぽいところがある。





 前巻である『第三の書』では、パニュルジュは結婚するべきか/しないべきか、をめぐっての大論争がメインとなっていましたが、『第四の書』はその問題の結論をつけるために「聖なる酒びん」のご託宣を授かるための船旅に出ましょう! という始まり方をします。しかし、一筋縄にいかないのがラブレーなわけで。フタをあけてみると「聖なる酒びん」のことなど忘却のかなた。様々な島を巡っては、妙ちくりんなキャラクターや怪物がでてきて大騒ぎ……。風刺と下ネタのオンパレード。結局、最後まで「聖なる酒びん」にたどり着くことはありません。ラブレーと言えば教科書に載るぐらい古典視されている人物ですが、その実体は、解読不能な言葉遊びも頻発し、ジョイスとピンチョンが束になっても適わないような恐ろしい小説を書き残したトンデモないオッサンなのでした。ピンチョンや莫言を読むなら、まず読むべきはラブレーではないのか、と私は思います。ポスト・モダン小説で注目される手法のほとんどが『ガルガンチュアとパンタグリュエル』には含まれている。





 てっきりこの巻で完結かと思っていたら、偽書の疑いが強いらしい続編『第五の書』も翻訳されるのだとか。これも楽しみになってまいりました。







  • 関連エントリ


フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」


フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」


フランソワ・ラブレー『第三の書』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」





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Grover Washington, Jr./Winelight

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 Dirk_Digglerさんにいただいたジャズ/フュージョンの音源を淡々と紹介していくよシリーズ。本日はグローヴァー・ワシントン・ジュニアの『Winelight』(1980年)。ジャケの感じが今見ると池袋とか新宿駅構内でワゴン・セールされてるCDみたいですが、このアルバムに収録された「Just the Two of Us」はグラミー賞を取ったらしいです。超スムース ≒ 深夜のFMっぽい ≒ っていうか、ジェットストリームっぽい(高度一万メートルの風……)。とはいえ、マーカス・ミラーとスティーヴ・ガッドというテクニシャンの人がガチガチに演奏を固めてるので、簡単にスムース・ジャズ(笑)と言い捨てられないのでした。



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 これを聞きながら夜景の見えるバーとか行ってみたい……なんとなくクリスタル……。すべての言葉がカギ括弧でくくれそうな世界だ……。





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Herbie Hancock/Sextant

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 Dirk_Digglerさんにいただいたジャズ/フュージョンの音源を淡々と紹介していくよシリーズ。本日はハービー・ハンコック、1973年のアルバム『Sextant』について。これはすごくブッ飛びましたね。ハービー・ハンコックといえば「誰かが既に出したアイデアを洗練させて、グラミー賞を取ったりする商売上手なブッディスト」というイメージがあったんですが、こんなにキレキレでヤバいポリリズム・ファンクをやっていた時期があったとは知りませんでした。一曲目からシンセサイザーを引き倒し、リズム・ボックスを導入……新しい機材を使うのが楽しくて仕方がないような暴れっぷりが最高です。ハービー・ハンコックが、“アガパン期”のマイルス・デイヴィスにもっとも接近した瞬間なのかもしれませんが、それでいてキチンとまとまりがあるからとても聴きやすい。



D





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ザ・男の料理 ステーキ

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 仕事がキツかったので、ガッツリいきたくなった。





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集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#1 ボルヘス『伝奇集』

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伝奇集 (ラテンアメリカの文学 (1))
ボルヘス
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 先日、インターネットで古本情報を検索していたところ、集英社の「ラテンアメリカの文学」シリーズ全18巻が手ごろなお値段で売っていたのに出会ってしまい、引越し前かつ金欠*1にも関わらず、購入に至ってしまった私です。でも、出会ってしまったんだから仕方ないよねぇ……と自分を納得させて、律儀に一冊目のボルヘスから読んでいます。『伝奇集』。岩波文庫から鼓直訳でも出ていますが、こちらは篠田一士の訳。篠田訳のほうが、現代語っぽい印象がありました。収録作品も微妙に違っている。この版だと『伝奇集』、『エル・アレフ』、『汚辱の世界史』が入っています。これらの収録作品は以下の本でも読めます(訳者はバラバラ)。



伝奇集 (岩波文庫)
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不死の人 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
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砂の本 (集英社文庫)
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ボルヘス
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 篠田訳の『エル・アレフ』だけが、この本でしか読めない……はず*2。まぁ、そんなにこだわりはないですが。巻末の訳者解説は結構おもしろかったです。「十九世紀の小説をある程度読み、それを理解してからでないと、二十世紀の小説なんかはわかるはずもないなどという、迂遠な教条主義は、いまの若い読者にはないようだ。これこそ、文学作品の本当の読み方で、つまらないエセ歴史主義の虜になって、小説を読んだところで、なにが獲得できるというのだろうか」だそうです。





 『伝奇集』は結構、自分で小説を書くときに露骨にパクったりしているので、手元においてパラパラめくったりすることが多かったのですが、久しぶりにガッツリと読みました。そこでふと思ったのは、ボルヘスの描くイメージというのは、ほかのラテンアメリカの作家と比べるとちょっと違った位置にいる、ということです。「ラテンアメリカの作家はイメージが豊かだよね」と先日、ある人がコメントしていて、なるほど、と感じたことがあったのですけれど、それはガルシア=マルケスやリョサには言えることかもしれないが、ボルヘスにはちょっと当てはまらないのかもしれない、と思うのです。ガルシア=マルケスやリョサの想像力がイメージを豊かに、具体的に描くのに対して、ボルヘスのイメージは具体的な形をもたない。つねに抽象的であり、形を持つことを拒否するかのようにさえ感じられます。もっとも、《時間》や《無限》といった形を持たないものについて書いているので当たり前なのかもしれませんが。




 ボルヘスの作品がもつ「わけがわからない感じ」とはひとえにこの抽象性に所以しているといえるでしょう。《無限の迷宮》といったモティーフを彼はよく作品のなかで用いているのですが、文章自体が迷宮的であり、まさに迷宮について書かれた迷宮のような作品といった態をなしています。そこで、ボルヘスの作品を「わけわかんねーな!(ゲラゲラ)」という感じで楽しむのもありなのですが、さまざまな哲学の古典的著作物に触れたあとで読んでみると、少しは彼が何を書こうとしていたのかわかるようになる、と思う。ショーペンハウアーへの言及が多いので、ちょっと興味を持って読んでみようかとも思いました。ボルヘス先生は、図書館に勤めて読書と執筆を仕事にしていた、という知識大好きな変態野郎なので、私のような凡夫では彼の大海のごとき知識に及ぶことなど、死ぬまで適いませんでしょうが。それでも最近読んだジョルダーノ・ブルーノの著作*3は、とっかかりになってくれたように思います。





 ボルヘスが《無限》について書いた作品のなかで、傑作だと思うのはこの本にも収録されている『アレフ』という作品です。この「アレフ」という言葉、カバラでは「無限にして純粋な神性」、集合論の世界だと「全体は各部分に全く等しいという超限数」なんだとか。タイトルが即ちテーマとなっているのですね。作品の主人公はボルヘス自身で、頭がおかしーんじゃねーか、と噂される男が住む館の地下で「あらゆる角度から見た世界中の場所が、まじり合うことなく存在する場所」=《アレフ》に出会ってしまう……というお話。ボルヘスは「ホントかよ?」とか思いながら、地下室に向かうんだけれど、ホントに出会ってしまう。そこでボルヘスは次のように語る。



今や、この物語の名状しがたい核心に達した。そしてここに、わたしの作家としての絶望がはじまる。あらゆる言語は、対話者がある過去を共有すると想定した上で行使する符号のアルファベットである。とすれば、わたしの小心な記憶がほとんど包摂し得ない無限の《アレフ》を、どうすれば他人に伝えられるだろう?



 そりゃあんた作家なんだから頑張ってよ……とか思わなくもないですが、頑張った結果、彼は彼が《アレフ》のなかに見たものをただひたすら列挙していく羽目に陥ってしまうのです。そこで無数のイメージが乱反射する。でも、《アレフ》は無限だし、ボルヘスも無限のものをみてしまったから、それらのリスト化はあくまで限定的なものに過ぎない。語りつくせてしまうのであれば、それは無限ではないのですから――と、こうして書いてしまうと大した話ではない気がしてきましたが、無数のイメージが読み手のなかに呼び起こす捉えどころのない感覚が、《無限》の本質を表すのです。





 あと、今回はこういった知的遊戯のような作品ばかりではなく、ボルヘスは、男っぽいガウチョ小説もたくさん書いているんだなぁ、とも思いました。そういうのを気にして読んでいると、意外に数がある。酒場で、タンゴで、何かあったらすぐナイフで決闘! というマッチョな世界のなかに潜む落とし穴的ホラーみたいな作品が多くて、面白いです。




*1:通帳の数字がマイナスになってる


*2:なんで、そんなことを知っているかと言うと、全部持ってるからです


*3ジョルダーノ・ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』 - 「石版!」





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Don Cherry/Brown Rice

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Brown Rice
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Don Cherry
A&M (2003-03-03)
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 id:Dirk_Digglerさんのご好意により、結構な量のジャズ/フュージョン系の音源を仕入れましたので、ちょっとずつレビュー的なものを買いていこうと思います。まずは、ドン・チェリー、1976年のアルバム『Brown Rice』から。ドン・チェリーというとオーネット・コールマンと一緒にバリバリのフリー・ジャズをやる人で、ほっぺたをすごく大きく膨らませてポケット・トランペットを吹く人……というイメージが先行していて、先日『Symphony for Improvisers』というアルバムを聴いたときも*1、内容がフリー・ジャズとハード・バップのマリアージュ的趣きを持つ割合マトモな作品だったので驚いたのですが、このアルバムも結構驚きました。シタールが鳴ったり、アフリ感なヴォイスがてんこもりだったり、ブラック・スピリチュアルな感じがするのですが、根幹にあるのはやはりハード・バップで、めちゃくちゃにホットな演奏が繰り広げられている。破綻が無い。これもフリー・ジャズという実験の成果のひとつなのかもしれません。が、やはりこういうものを聞いていると、オーネット・コールマンは特殊だったのだな……と感じざるを得ない。






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武満徹 ≪秋≫

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武満徹:琵琶、尺八、オーケストラのための「秋」
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 「そういえば、ノーヴェンバーであるなぁ」と思ったので武満徹の≪ノーヴェンバー・ステップス≫を聴こうかと思ったのだが、生憎と我が家のCD棚には存在しないのだった。てっきり持っているとばかり思っていたのだが、記憶違いだったようである。その代わりに≪ノーヴェンバー……≫の続編的な作品である≪秋≫を聴いた。これは≪ノーヴェンバー……≫と同様、琵琶と尺八とオーケストラという楽器編成の作品である。邦楽器と洋楽器の共演だが、そこでは融合や調和が目指されているとは思えない。むしろ、オーケストラが生み出す豊かな色彩感と、琵琶と尺八のモノトーンとのコントラストが際立つばかりである。特に琵琶の音色は「荒涼」という言葉が頭に浮かぶほどだ。よって、この作品のなかでは「豊かな秋」と「寂しい秋」というふたつの秋のイメージが対比される。





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曽我部恵一『昨日・今日・明日』

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昨日・今日・明日 (ちくま文庫)
曽我部 恵一
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 私は、曽我部恵一の良いリスナーであるとは言えない。その証拠に、サニーデイ・サービスのCDも曽我部恵一バンドのCDも一枚として持っていないし、だれかに借りて聴いたこともなかった。彼の音楽に触れたのは、たまたま行ったロック・フェスですごく遠くから、ぼんやりと眺めているときだけだった。「おんなのこーー!!」「おとこのこーー!!」とか叫んでるのを見て、この人はなんだかロック・スターっぽいオーラを持った人だなぁ……それもとびきりアポロン性の……と思ったものだ。それだけ。繰り返すが、私は、曽我部恵一の良いリスナーであるとは言えない。自分のバンドでカバーをやったりしてるのに……。彼のエッセイを読んでみたのもほんの気まぐれで「きっと毒にも薬にもならない文章がたくさん載っているのだろう」とか思ったからだった。仕事が忙しかったりすると、時折そういった文章が読みたくなる。



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 予想通りに、この本は毒にも薬にもならない文章がたくさん溢れていて、とても良かった。サニーデイで活動していた曽我部が九〇年代の後半にこの本に収録された文章群を書いた頃、彼は現在の私とそう歳が変わらない二〇代の青年であった。この年齢といえば、もう立派な大人、である。この本を読んで、ひとつ個人的な教訓を得られるとしたら、おそらく、そういった立派な大人とみなされる年齢の男が、こういうクサいことを書いていても許されるのだ、ということだろう。もちろん、それはある種の人間に対して、特別に許されることかもしれないが、ほとんど三〇歳になっていても「青春!」とか言っても良い人たちがいるのだ。そのことはほとんど希望のようにすら思える。たぶん、身近にそういう“許された人”がいたら、うっとおしいと思うのだろうが。



Magic Christian Music
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 読み終わったら、なんとなくバッドフィンガーが聴きたくなって大きな音で聴いた。





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ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』

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イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告
ハンナ アーレント
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 読了。前回この本について書いたときは*1前半ぐらいまでしか読んでなかったのですが、後半もみっちり面白かったです。アイヒマンに対してのアレントによる評価とは、おおよそエピローグにあるこのセンテンスに集約されているでしょう。「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ(P.213)」。これに、どこまでも愚鈍な男、というのがくっつく感じです。この本のなかで、アレントはイェルサレムの法廷の正義を厳しく追及しているのですが、それは彼女の評価と、法廷の評価が大きく乖離していることも理由のひとつなのでしょう。





 ドイツが敗戦したのち、いろいろ上手いことやってアルゼンチンに逃げ失せたアイヒマン。彼が行方不明になってる間に、なんだかアイヒマンはすっごいナチの大物ってことになってたみたいなんですね。「アイヒマンはむちゃくちゃ悪いヤツだったんだ!」みたいに話が膨らんでた。この原因のひとつに、当時のドイツの官僚制度が複雑過ぎて、ほとんど全貌が明らかになってなかったことがあるらしいんですが(アイヒマンの上司も複数いた時期があったりして、命令系統も複雑)、とにかくその評判にイスラエル政府は騙されちゃってたわけ。アルゼンチンから拉致までして捕まえてみたら、アイヒマンは愚鈍で、しかも仕事ができない中間管理職みたいな小人物だった。そこでイスラエル政府は引っ込みがつかなくなっちゃって、無理矢理アイヒマンを悪者に仕立てようとしたんじゃねーのか? なんて話も出てきます。えらそーに正義者ぶってるけどさ、それって胸を張ってできたことなの? 正義ってそういうことじゃなくねーか? って分析したりする。この辺はすごく面白い。とくに「結局、アイヒマンは何が悪くて処刑されたっつーのよ」っていうくだりね。そこではアイヒマンの責任問題も厳しく問われることになる。





 あと、第一二章ではハンガリーのユダヤ人社会に触れられてるんですが、ここも面白かったです。一九四四年の三月(戦争は末期)にアイヒマンがブダペストにやってくる。このとき、彼はこの国のユダヤ人社会の偉い人たちを集めて「評議会」を作らせます。これがどういう組織かっつーと「どこどこのだれそれってヤツは殺しても良いです!」とか言うリストを作ったり「お金払いますから、見逃してくださいよ」とか交渉したりする組織ね。ひどい言い方をすると自分の身が可愛くて仕方が無い売国(民族)奴の集まりです。アレントは、このときのアイヒマンとユダヤ人評議会のやりとりに奇妙な関係を見出しています。





 当時すでに「移送」という言葉で表されていた行為が、何を意味するのか、ヨーロッパ中に知れ渡っていた。アウシュヴィッツで何が起こっているかみんな知っていた。そんな状況でですよ、「殺しても良いヤツリスト」を作る会の人たちは協力的な態度をアイヒマンに見せるだろうか? 普通なら「見せないだろ」って思うよね。でも、実際はユダヤ人評議会の人たちはアイヒマンに協力的だった。求められたら賄賂をスルスルと渡しちゃうし、何でもかんでもあげちゃう。ユダヤ人評議会がアイヒマンたちに提供したもののリストのなかには、ピアノが八台も含まれていた。でも、どうして彼らはそんなに協力的だったのだろうか? いくら売国奴でもそりゃないよね……って話になる。





 アレントのお見立てによれば、当時のハンガリーのユダヤ人指導者たちは「この国でユダヤ人が『移送』されることなんか起きるはずがない!」って自己欺瞞を抱いてたんじゃないか、ということになる。「しかも現実が毎日この信念を打消しているにも関わらず(P.153)」。そういう風に自分で自分を騙すみたいにして、現実から目を背けることができたから、ユダヤ人評議会の人たちはアイヒマンたちに協力的な態度をとることができたんじゃないの? っていう。で、アレントが厳しいのは「コイツらもさ、正直悪いじゃん。アイヒマンは裁くけど、コイツらは裁かなくていいの?」と言ってみたりするんだな。なんだか読んでいると、公正さ、っていうのがよく分からなくなってきたりもしました。






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『UMA-SHIKA』第二号の発表に際して

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……いともたやすく行われるえげつない行為を前にして、我々は戦争を起こさなくてはならない。例えば「二枚目のジンクス」に対して、あるいは「二年目のジンクス」に対して。しかし、あなた方は心配する必要がない。今回も最高の原稿が集まった。古代ギリシャの詩人たちが祈ったように、我々は、この作品群が上手く読まれることを祈る。ムゥサに。そして、クロード・レヴィ=ストロースに。MJに。三沢に。大澤真幸に。結婚詐欺師に。ふかえりに。





  • 関連エントリ


『UMA-SHIKA』第2号の表紙と目次 - UMA-SHIKA(公式)


文フリのブースが決まりました&『UMA-SHIKA』第二号の編集がはじまりました - UMA-SHIKA(公式)


夢の城 - 「石版!」


夢の書物 - 「石版!」


文芸同人「UMA-SHIKA」、第九回文学フリマに出店決定! - UMA-SHIKA(公式)





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『イェルサレムのアイヒマン』を読んでいる

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イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告
ハンナ アーレント
みすず書房
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 積読してあったハンナ・アレントの『イェルサレムのアイヒマン』を読んでいます。これは二〇世紀の思想家が書いた著作のなかでも、特別に面白く、また切実な問題を取り上げられた名著であるなぁ……と読みながら漠然と考えてしまいますが、ホントに面白い。訳は結構硬いし(アレントの翻訳はいくつか読んでいますが、そのなかでもかなり硬い部類に感じられます。題材がアレントの専門である政治哲学よりもずっと現実的なのに……というギャップが問題なのかもしれませんが)、それなりに高価な本なんだけど「読んだほうが良いよ(面白いから)」とオススメしたいですね。悪とはなにか、正義とはなにか、良心とはなにか……をめぐる分析と問いかけは読んでいてヒリヒリしてきます。冒頭から、第二次世界大戦中、ユダヤ人を収容所に移送する仕事の責任者だったアイヒマン(世界史上最も合理的で大規模な殺人国家事業に一役買っていた男)を裁く側の正義までもが問われるのですが、ここはとてもグッとくる。





 アイヒマンという人物が「悪の陳腐さについての報告」という副題にもあるように実に陳腐な人物、っていうか、何をやっても大したことができないのに「俺はこんなもんじゃない」とか「俺はまだ本気出してない」とか言ってそうなボンクラ、にも関わらず、なぜかカントの『実践理性批判』を読んでたりする……という不可解さがとても興味深いのですが、強制収容所の「処理能力」が殺さなきゃいけないユダヤ人の数に追いつかなくなってきた頃のアイヒマンの仕事っぷりも面白いです。これはドイツが大きな敗退を繰り返し始めた頃と時期が重なっている。





 もともとアイヒマンは、傷跡なんかを見るのも気が引けてしまうような気弱な男で、上司から「お前、ちょっと収容所でどんな風にユダ公が殺されてるか見てこいや」と出張を命じられれば超絶ブルーになってしまうようなオッサンなのです。で、ユダヤ人がバンバン殺され始めてた初期は、そういった行為に対して良心の呵責を覚えたりしたこともある。その男が徐々に自分の仕事が殺人の手助けであることを忘れているかのように振舞い始め、どんどん仕事に一生懸命になっていく。この傾向は戦争が劣勢になればなるほど強まっているように思われました。ホント、マジメに仕事をやろうとするんですよね。やってることは殺人幇助みたいな仕事なんだけど。





 こういった彼の位置は、どう考えてもうまく行きそうにないプロジェクトをまかせられてしまったプロジェクト・マネージャーにも似ています。問題は山積み、っていうか、どんどん増えてきてる。でも予算はない。それなのに上は「今まで以上にやれ!」とか言ってくる。アイヒマンが精神を煩わなかったのは、ひとえに彼がちょっとニブいタイプの人間だったからでしょうか。繊細な人なら確実に休職するね……。





 あと、この本を読んでいてヒシヒシと感じられるのは「ユダヤ人ってホントに色んな人から嫌われていたんだなぁ」という点。露骨に反ユダヤ主義を掲げている人は、ナチス・ドイツが台頭していたときですらそんなに多くはなかった、とこの本には書かれています。実はアイヒマンも、そんなに嫌いじゃなかった。むしろ、アイヒマンは「俺はそんなに嫌いじゃないけど、みんなが結構嫌ってるみたいだから、やっぱり社会問題なんだよね。なんとかしないとね」と考えているタイプで、シオニズムの本を読んで「そうか! ユダヤ人がみんなヨーロッパから出て行けば良いんじゃん!」と感動してしまい、積極的にユダヤ人の国外脱出を手伝ったりしてたんです。挙句の果てに四百万人のユダヤ人をマダガスカルに移住させる、というピンチョンの小説に出てくるマッド・サイエンティストみたいな計画を練ったりしている(でも、マダガスカルとウガンダの違いがわからない)。





 私がハッとしてしまうのは、ナチス・ドイツという強大な悪の象徴みたいなものによって、「俺はそんなに嫌いじゃないけど、みんなが結構嫌ってるみたいだから、やっぱり社会問題なんだよね。なんとかしないとね」というような問題意識や、軽微な嫌悪感みたいなものが隠蔽されてしまう、ということです。当時のドイツ人が全員、ユダヤ人を殺したいほど嫌っていたというわけではないし、ユダヤ人を殺したいほど嫌っていた人はドイツだけじゃなくてヨーロッパ各地にいた。そういうことをちゃんと認識しなきゃいけないんじゃないかな、って思います。世の中はそれほど単純じゃない、っても思うし。





 繰り返しますがとても面白い本なので、読み終えたらまたエントリを書くかもしれません。



D





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D






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