ピンチョン『メイスン&ディクスン』を読むためのヒント/メモ #3

0 件のコメント





 とりあえず上巻を読み終える。上巻の途中からようやくアメリカ篇のはじまるんだけれど、イギリスからアメリカにいく船旅にはとくになんもない(アフリカから戻ってきて、メイスン&ディクスン線を引く仕事をやるのかやらないのか2人がそれぞれの家族と話し合ったりするところでちょっと色々ある)。アメリカに渡ったあとのメイスン&ディクスン、上巻ではまだ面倒くさい話が本格的に出てきたわけではないのだが、なんかゴチャゴチャしてきそうなところで下巻へ……となった。ルイーゼの夫ペーター・レートツィンガーは臨死体験の末、神がかり的な人物となってしまい、なんか超能力まで身につけてしまった。そして彼女は、弁護士を雇うためにフィラデルフィアを目指し、その途中で物語の語り手であるチェリコーク牧師と出会う。ルイーゼは自分の農場を隣人に騙し取られそうになっており弁護士が必要だった。一方、チェリコークはメイスン&ディクスンの観測団専属の牧師になるために旅を続ける。メイスン、ディクスン、チェリコーク牧師、ルイーゼ。登場人物たちは無事一堂にに会するが、その場所となった宿屋でかつてフランス一の料理人として活躍した男、アルマンは華々しいキャリアを捨て、どうして自分がこのアメリカの荒野に流れ着いたのかについて語りだす……それはフランス人科学者ヴォーカンソンが開発した、機械仕掛けの人造鴨が理由だった。愛を知った人造鴨に追い回されるアルマンが生活できる場所は、もはや新大陸しか残っていなかったのである……と上巻の終盤を軽く要約するだけで、異常なあらすじが描けるのだから、おもしろくないわけがない。いやあ、下巻が楽しみだ。





 『メイスン&ディクスン』のなかでピンチョンは、現代の文化や出来事を予言めいた様子で描く箇所を設けている。本日はこの点についてメモしておきたい。たとえば上記の「人格を身につけてしまった人造鴨」の誕生はこのように描かれる。「官能に繋がる機構が付加されたことによって、鴨が遂に自己複雑性の閾値を超え、爆発的変化の引金が引かれて、不活発なる無生物の状態から、自立へと、力へと動き出したのでは?(P.531)」。これなどオートポイエーシス論を想起させる記述だ。ハッタリ、あるいは悪ふざけ的な意味しかないと思うし(これによって18世紀のなかに現代のアメリカが浮かび上がる……としたら、読み手のほうがすごい想像力だと思う)、そもそも人造鴨からして時代考証を一切無視したオーバー・テクノロジーなのだが面白い。ピンチョンは百科全書的な知が埋め込もうとしている、などといえば格好がつくのだろうか? ただし、せっかくディドロなどが大系化した知識をピンチョンは物語のカオスのなかにポンポン突っ込んでしまうのだが……しかし、ディドロもスターン・リスペクトな『運命論者ジャックとその主人』の作者なわけだから、ある意味で間違ってはいない。



知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか (ちくま学芸文庫)
ウンベルト マトゥラーナ フランシスコ バレーラ
筑摩書房
売り上げランキング: 126290




運命論者ジャックとその主人
ドニ ディドロ
白水社
売り上げランキング: 288732



 他にもバタフライ効果だの、メビウスの輪だの、ロック・ミュージックだのをピンチョンは予言する。予言とは逆に歴史の捏造もお盛んで、イエズス会の宣教師がディクスンの地元、ダラム州にてイギリス初のピザを作るシーンなどがバカバカしくて最高だと思った。





0 件のコメント :

コメントを投稿

第20回芥川作曲賞選考演奏会(サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール 大ホール

0 件のコメント



曲目


法倉雅紀(1963-):留火之(ともしびの) ~独奏チェロとオーケストラの為の(2010)*


(第18回芥川作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品 世界初演)


第20回芥川作曲賞候補作品


平川加恵(1986-):風神~オーケストラのための(2009)


  初演=2009年10月29日 東京藝術大学奏楽堂


  第11回東京藝術大学奏楽堂モーニングコンサート


山根明季子(1982-):水玉コレクションNo.04 ~室内オーケストラのための(2009)


  初演=2009年6月13日 いずみホール


  いずみシンフォニエッタ大阪第22回定期演奏会


酒井健治(1977-):ヘキサゴナル・パルサー(2006/2007)


  初演=2009年5月31日 東京オペラシティコンサートホール


  コンポージアム2009 <武満徹作曲賞本選演奏会>


出演


指揮=渡邊一正


チェロ=堤 剛


管弦楽=新日本フィルハーモニー交響楽団


公開選考会


司会:沼野雄司


選考委員:三枝成彰/夏田昌和(猿谷紀郎に交代)/湯浅譲二



 サマー・フェスティバル7日目は芥川作曲賞の本選演奏会。今年の最終候補は最年長が1977年生まれと非常に若い世代の作曲家が選ばれていました。結果は今年二度目の最終候補となった山根明季子が受賞(おめでとうございます!)。2007年に候補になったときも《水玉コレクション》が選ばれていたことを考えると、何か作曲家の執念みたいなものを感じます。個人的には今年初演された《水玉コレクション第6番》の印象が強く残っていて、そちらのほうが好きだな、と思ったんですが磨き抜かれたコンセプトと高い完成度を感じました。





 芥川作曲賞の最終選考はステージのうえで行われます。今回選考会に初めていったんですが、これが面白かった。作曲家にもいろんな人がいて、いろんな見方がある。とはいえ今回はほとんど揉めもせずすんなり決まったように見えました。審査員のなかでは湯浅譲二の発言が非常に印象に残りました。20代のころ初めてヴァレーズを聴いたとき、あまりの未聴感にこ宇宙からきた音楽かと思った、というエピソードを披露し、そういう未聴感のある音楽を聴きたい、と湯浅譲二が語ったとき、私はそのシンプルな欲求に深く共感しました。「聴いたことない曲が聴きたい」って単にそれだけなんだよなあ……。





 審査員の変更に関する話についても発言がなされましたが、それについてはまた別な機会に、書けるとき改めて考えてみたいです。明日もサマー・フェスティバル8日目がありますが、私の夏休みが終わったので(チケットはあるけど)行けません!





0 件のコメント :

コメントを投稿

芥川作曲賞創設20周年記念 ガラ・コンサート〈室内楽〉サントリー芸術財団委嘱作品 (サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール ブルーローズ

0 件のコメント



曲目と出演


高橋裕(1953-):“アハウ・カン”~無伴奏ヴィオラのための(2003/2010)  改訂初演 ヴィオラ=須田祥子


山田泉(1952-99):ヴィオラのための「素描」(1995)  ヴィオラ=須田祥子


菊地幸夫(1964-):「晩祷」~ピアノのための(2010)  ピアノ=渡邉康雄


猿谷紀郎(1960-):「露の台(つゆのうてな)」~ヴァイオリン独奏のための(2010) ヴァイオリン=松原勝也


江村哲二(1960-2007):インテクステリアNo.9 op.15(1995)  サクソフォン=大石将紀


伊左治直(1968-):マイザレーム~独奏チェロのための(2003)  チェロ=多井智紀


権代敦彦(1965-):ピアノのための「無常の鐘」(2009)  ピアノ=有森直樹


川島素晴(1972-):尺八のためのエチュード(2010)  尺八=藤原道山


伊藤弘之(1963-):ソプラノ・リコーダーのための「サラマンダーII」(1995)  リコーダー=鈴木俊哉


菱沼尚子(1970-):満月の夜にIII for piano solo(2010)  ピアノ=山田武彦


望月京(1969-):インテルメッツィ2(2002)  筝=吉村七重


原田敬子(1968-):アコーディオン独奏のための「BOOKI」(2010) アコーディオン=シュテファン・フッソング


夏田昌和(1968-):先史時代の歌I~ヴァイオリン・ソロのための(1999)  ヴァイオリン=甲斐史子


山本裕之(1967-):パルラータI,II,III,IV(1999-2010)完全版初演  トランペット=曽我部清典


三輪眞弘(1958-):NEO都々逸(2009)共作=左近田展康  キーボード=岡野勇仁


斉木由美(1964-):CONFESSION(1995)  ピアノ=山田武彦


糀場富美子(1952-):「ルブリョフの扉」独奏ヴァイオリンのために(2004)  ヴァイオリン=戸田弥生


小出稚子(1982-):   「西新宿ブルース」(2008/2010)  改訂初演 トロンボーン=村田厚生


法倉雅紀(1963-):「炎(かぎろひ)の」第五番~ピッコロ独奏の為の(2008)  ピッコロ=永井由比


藤倉大(1977-):SAKANA for tenor saxophone(2007)  サクソフォン=大石将紀



 サマー・フェスティバル6日目は芥川作曲賞20周年記念ガラ・コンサートの室内楽編。二部に分けられてこれまでの19回までの受賞者、20人(第3回が受賞者2人)の独奏曲を一気に演奏するというフェスティバルらしい企画でした。都合により演奏されたのは19曲でしたが、まあ1日でそれだけの曲数の現代音楽を聴く機会もあまりないでしょう。どっしりと疲れましたが良い経験でした。第一線で活躍している作曲家がこうして一堂に会する機会もなかなかないのでは? いろんな方がいらっしゃるわけで「こんな人がこの曲を書いたのかあ……」と意外に思う瞬間もある。小ぎれいなご婦人がなんかものすごくパワフルな曲を書いてたり、性差別的な発言かもしれないけれど、びっくりしますよね。





 ただ、これだけの曲数を聴いていると「どうしてこう皆さん示し合わせたように芸術然とした音楽を目指すのだろう?」というところに疑問が湧いてくる。曲を聴いても、解説を読んでも大半がなんというか「深遠なもの」を志向しているように思えるのです。深遠な作品からは自ずから、笑ってはいけない空気を出している――なかには明らかに「変」、な曲とかあるのに。そういうのがキツかった。だってさ、ピッコロ奏者がピッコロをひたすらオーバーブロウして邦楽風の音を出しつつ、しかも吹きながら短歌を詠む、って明らかに笑える感じじゃんか。ローランド・カークか、と。ある種の現代音楽の身振りがファニーな感じになっていることに無自覚で深遠さを目指すのってなんか滑稽だなあ……と思えました。





 そういうこともあって川島素晴、三輪眞弘、小出稚子らのユニークな作品はとても新鮮に感じました。他には、山田泉の作品が感情のうねりみたいなものを荒々しく一筆書きしたようですごく強烈でしたし、江村哲二の作品の様々な特殊奏法を縦横無尽に駆け巡っていく様子であるとか、伊左治直の作品のまるでジョン・フェイヒィ的な世界観が印象的。好きだなあ、と思った作曲家についてはいずれCDを買って聴こう、と思いました。





0 件のコメント :

コメントを投稿

芥川作曲賞創設20周年記念 ガラ・コンサート〈管弦楽〉サントリー芸術財団委嘱作品 (サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール 大ホール

0 件のコメント



曲目


三輪眞弘(1958-):弦楽のための369、B氏へのオマージュ(2006)


山本裕之(1967-):モノディ協同体(2005)


夏田昌和(1968-):オーケストラのための「重力波」(2004)


江村哲二(1960-2007):プリマヴェーラ(春)(1996)


出演


指揮=秋山和慶


ソプラノ=森川栄子


管弦楽=東京交響楽団



(夏田昌和の作品は事情により演奏されず)サマー・フェスティバルの5日目は芥川作曲賞の創設20周年のガラ・コンサート第一弾。芥川作曲賞の受賞者はサントリー芸術財団からオーケストラ作品を委嘱され、2年後の本選演奏会で初演される、という仕組になっているのですが、今回の演奏会のプログラムはその過去の受賞者への委嘱作品から選んだもの。全体的な印象なんですが、先日の海外の作曲家の作品コレクションと比べると、日本の作曲家たちはコンセプト、というか目指しているところが複雑なのかもしれない、と感じました。海外の作曲家の曲がひとつのキーワードによって解釈のアプローチを進めることができるように思われるのに対して、日本の作曲家は複数の視点をもたなくてはならない……みたいな。海外、というとかなり大雑把なくくりになってしまいますが、日本の作曲家とは言語が全然ちがう、と思いました。





 とくに印象的だったのは、三輪眞弘の《弦楽のための369、B氏へのオマージュ》と江村哲二の《プリマヴェーラ》。三輪作品は、中沢新一とのコラボレーションから生まれた作品だそうで、まあ、中沢新一はどうでも良いのだが「古代ツダ(トゥダ)民族」という南米古代民族が使用した弦楽器の奏法を想定して書かれているのだとか。しかし、古代ツダ民族など存在しない(ダウトのアナグラムなのか? これは)。これは想像上の民族の手法を取り入れたものなのだ。こうしたマジック・リアリズムめいた作品のコンセプトも私の好みだった。B氏ってボルヘスか? と思ったけれど、これは勘違いで、ベリオともうひとりイニシャルがBの作曲家に捧げられているみたい(会場で売っていたスコアに書いてあった)。ひたすら倍音が重なっていき、終盤で驚くべき演出があってそれにグッと来た。もう一度聴きたかった。作曲家自身によるこの作品の弦楽六重奏版への解説はこちら。江村作品はなんか猛烈にうっとり系でした。なるほど……こういう美しさもあるのか、と(うまく言葉にできません)。3年前に47歳で亡くなっているのですが、それがすごく惜しまれました。とくにソプラノ・サックスの天に昇っていくみたいな長いフレーズがとても印象に残りました。





0 件のコメント :

コメントを投稿

テーマ作曲家〈ジョナサン・ハーヴェイ〉(サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール ブルーローズ

0 件のコメント



曲目


ジョナサン・ハーヴェイ(1939-):


「スリンガラ・シャコンヌ」~15楽器のための(2009)


「隠された声2」~12人の奏者とCDのための(1999)


「シェーナ」~ヴァイオリンと9人の奏者のための(1992)


弦楽四重奏曲第4番~ライブ・エレクトロニクスを伴う(2003)


出演


指揮=板倉康明


ヴァイオリン=山本千鶴


アンサンブル=東京シンフォニエッタ


弦楽四重奏=クヮトロ・ピアチェーリ


エレクトロニクス=ジルベール・ヌノ



 サマー・フェスティバル、4日目の今日はテーマ作曲家であるジョナサン・ハーヴェイの室内楽作品が演奏されました。一昨日のトーク・ライヴの感想では「聴いてみないとよくわからん」なんて書きましたが、結果、すごく良かったです。ヨーロッパで最も重要な作曲家、と湯浅譲二に紹介されていたのは伊達じゃなかった……! とくに前半のプログラムは文句なしに素晴らしいと思いました。





 聴いていて感じたのは、ハーヴェイの作品にはどれも二重の構造を持っている、ということです。それが顕著なのは《隠された声2》という作品で、ここでは12人の奏者が弦楽三重奏と、その他、という風に分けられている(配置も前後で分けられています)。その他のセクションは「ゆっくりと、コラール風に」持続的な音を演奏し、そのうえで弦楽三重奏が細かく速いフレーズで動きます。いわばドローンにウワモノが乗っかっている感じですね。ドローンは非常にリッチで、室内楽なのにフルオケが鳴っているように豊かに聞こえ、作曲家の管弦楽法の上手さや優れた耳を物語っているようでした。また《スリンガラ・シャコンヌ》ではドローンの途切れとともに、リズミカルな動きが提示されます。これがすごく良くて、引き込まれました。





 ドローンとウワモノ、という感じではありませんが、二重構造は約40分の大作《弦楽四重奏曲第4番》にも指摘できるでしょう。ここではライヴ・エレクトロニクスが使用され、会場に配置されたサラウンド・スピーカーからはリアルタイムで変調・ダビングされた弦楽四重奏曲の音が再生される。同じようなサウンドを持つ作品ではブーレーズの《二重の影の対話》をすぐさま想起するでしょう。しかし、ブーレーズの作品でステージ上のクラリネット奏者が自らの影(=スピーカーから再生される録音された素材)と対話をおこなうのに対して、ハーヴェイの作品における4人の奏者はスピーカーの音とは無関係に音楽を進めているように聞こえます。ライヴ・エレクトロニクスもまたステージ上で展開される音楽を素材に、音響を作り上げていく。作曲家はプログラムにこう記しています。「カルテットは夢見る人であり、空間はその夢なのである……」。





 こうした二重構造の特徴は彼の思想と無関係には思えません。後だしジャンケンになってしまいますが、一昨日のトークの際に彼の話を聞いて「この人は典型的に超越系の人だなあ」と思っていたので、これは、と。超越系の人(というのは宮台真司が言う類型です)は、生きているこの世界とは別に超越的な世界を想定します。「今・ここ」にある世界と、「ここではないどこか」の世界……という風に。プラトンにおけるイデア論的世界観もその典型です。ハーヴェイが影響を受けたというシュタイナーも超感覚的世界という超越的世界を想定しました。こうした世界観が作品に反映されているのだとしたら、彼の世界観の提示は見事に成功しているように思えるのでした。



Complete String Quartets & Trio (Hybr) (Dig)
Arditti Quartet
Aeon (2009-05-12)
売り上げランキング: 140292



 会場では弦楽四重奏第4番を収録した弦楽四重奏曲全集のCDが売っていました(4200円で。日本盤だったのかな……? 高すぎです。アマゾンだと3000円ぐらいなのに)。明日は芥川作曲賞創設20周年記念のガラ・コンサート、管弦楽編です!





0 件のコメント :

コメントを投稿

音楽の現在(サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール 大ホール

0 件のコメント



曲目


イェルク・ヴィトマン(1973-):「コン・ブリオ」~オーケストラのための演奏会用序曲(2008)


エンノ・ポッペ(1969-):「市場」~オーケストラのための(2008/2009)


マルティン・スモルカ(1959-):「テューバのある静物画 または 秘められた静寂」~ふたつのテューバとオーケストラのための3楽章(2007-2008)


ブリス・ポゼ(1965-):「ダンサー」交響曲第5番~大オーケストラのための(2008)


出演


指揮=杉山洋一


テューバ=橋本晋哉、佐藤潔


管弦楽=東京都交響楽団



 サマー・フェスティバル3日目は〈音楽の現在〉の管弦楽編。ようやく大ホール講演って感じで期待してたんですが、なんかめちゃくちゃ寝てしまったため、感想がほとんど書けません。なんか超良い席取ってしまって、湯浅譲二、池辺晋一郎、松平頼暁……といったある種のレジェンド的作曲家のなかで爆睡しちゃったから下手したらつまみだされかねなかった、と思う(そういう大御所がスタッフに秘密のサインを出すと私のような客が処理される仕組を妄想)。





 唯一マルティン・スモルカの作品は通して聴けました。今日のプログラムでは唯一の「音数少ない」系の曲だったんですが、エモーショナルな静寂っつーか、逆ブルックナーみたいな音が非常にグッときた。ペルトやカンチェーリを想起させなくもないんですが、またちょっと違う。ホールに全然人がいませんでしたから余計なんでしょうけれど、耳なりが音になって痛く聴こえるぐらい強い沈黙が書かれている。たまたま起きてただけ、ってそれだけかもしれないけど、すごく魅力的で録音があったら聴いてみたい、と思いました。





0 件のコメント :

コメントを投稿

作曲家は語る〈ジョナサン・ハーヴェイ〉(サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール ブルーローズ

0 件のコメント


 サマー・フェスティバル2日目は今年のテーマ作曲家、ジョナサン・ハーヴェイのトーク・ライヴ。トークの前には彼の作品と思想を紹介するBBCのドキュメンタリーが流されました。プログラムには、シュタイナーにも影響を受けた、とありましたが、シュタイナーへの言及は見事にゼロ。なんですかね、シュタイナーってやっぱり「マトモな人は言及しちゃいけない」みたいな戒厳令でもあるんすか?(笑) で、どんな話があったかっていうと、ジョナサン・ハーヴェイはクリスチャンだけど、仏教哲学に熱心でそれは作品のコンセプトにも取り入れてますよ~、というのが大意。ただ、彼の仏教への接し方っていうのが興味深くて。仏教に詳しいイギリス人というとジョン・マクラフリンぐらいしか思いつきませんが、まあそういう「なんかエキゾチックなモノにハマってるだけでしょ?(笑)」的に思える仏教ガイジンと違って、仏教を経由してキリスト教神学の根幹みたいなものを理解しようとしてるんじゃないか、と思えたのでした。そういう一つの遠回りをすることで、なんか理解のレベルを一つ掘り下げることってあるなあ、って思う。たとえば、プラトンとかアリストテレスとか読んでるとそういう気分になるときあるもんね。ごちゃごちゃ言ってるけど、こいつら当たり前のことしか言ってない! けどその「ごちゃごちゃ」がないと当たり前のことに気づかなかったりね。これも一つのポモっぽい態度なのかなあ~。キリスト教も仏教も並列になって、自由な選択のなかから理解や思想を育む、みたいな。ハーヴェイは1966年のダルムシュタットでシュトックハウゼン聴いたときはマジでビビったわ~(大意)とも言っていて、彼の神秘主義ぽい思想には共感してるらしいけど、私の印象からするとシュトックハウゼンとハーヴェイには大きな隔たりがある。かたやパラケルスス、かたやシュタイナー的な……ってやっぱりシュタイナーじゃんか、という。シュタイナーにも「根源的なものを説明するためには耶蘇も仏もバラモンも関係ない! 使えるものはなんでも使う!」っていう掟破りの逆サソリみたいなところがあったと思うし。



インスピレーション 音楽家の天啓、霊感とその源泉
ジョナサン・ハーヴェイ
春秋社
売り上げランキング: 54590



 ここまで彼のコンセプトについてまったく触れてませんでした。なんか来日記念で本も邦訳されたらしいんで詳しくはそちらを(いやあ、なかなか香ばしいタイトル)。軽く話にあがってたのを紹介するとハーヴェイさんは「曖昧さ」っていうのを音楽で表現したいんだって。言葉では同定することのできない曖昧なものを音楽で表現する。イデア界にあるものに音楽で名付けをおこなう、そんなことも言ってたかな。なんかそれって音楽によって意味を伝えることの本質のような気がする。ただ、作品の断片をいくつか聴いてみると、静かだったり変だったりする持続音が積み上がってテクスチュアを作ってます、系で「なんでこういう作風って神秘主義的として理解されちゃうんだろうね?」って思った。ひどいこと言うと神秘主義(笑)なんじゃないかと。でも、実際に作品を全部聴いてみないとわかりませんからね。実演を楽しみにしたいです。





 明日は〈音楽の現代〉のオーケストラ編です。





0 件のコメント :

コメントを投稿

Brian Wilson/Reimagines Gershwin

0 件のコメント



Brian Wilson Reimagines Gershw
Brian Wilson
Disney (2010-09-06)
売り上げランキング: 1234



 ブライアン・ウィルソンの新譜を聴きました。「ブライアン・ウィルソン・の・新譜」と単語ごとに区切って復唱してみると、なんかありがたい気持ちになってきますよねえ。しかも、アルバムのタイトルにあるとおり「ガーシュインの再創造」が今回のテーマ。ブライアン・ウィルソン・ミーツ・ガーシュイン……ってそんなの悪いハズないだろ~! 冒頭から、お得意の多重録音ひとりコーラスで《ラプソディ・イン・ブルー》ですよ! この瞬間、ものすごい多幸感に包まれてしまいます。途中で、オーケストラが入ってくるんですけれど、ここで一段多幸感のレベルがあがりますが、深いホール・リバーヴ、甘々なストリングス……このアメリ感なサウンドが圧倒的です。



D


 なんでも2009年にブライアン・ウィルソンはウォルト・ディズニー・レコードに移籍しているそうで、これが移籍後の初アルバムとなっています。ガーシュイン‐ディズニー‐ブライアン・ウィルソン……ってこの並び、なんかヤバくないか……とか思ってしまいましたが、最高でございます。ガーシュインっぽい、というか古いハリウッド映画で鳴っているリッチなサウンドから、ペット・サウンズな音が生まれてきたんだなあ~という感じがする。「父と子がディズニーという媒介を通じて、三位一体化した」などと妄言を吐きたくもなります。繰り返しますが、最高です。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ピンチョン『メイスン&ディクスン』を読むためのヒント/メモ #2

0 件のコメント





 今日はメイスン&ディクスンの最初の船旅の過程などについてメモしておく。端から「メイスン&ディクスン線の話だから舞台はアメリカなんだろうな~」と思ってたら、最初はイギリスから始まってるんだよね。で、メイスン&ディクスンがコンビを組んで最初に目指すのは、スマトラ島なんだよ。スマトラ島のベンクーレンってところを目指していた。ベンクーレンはスマトラ島のココ(Wikipedia)です。そこで金星の日面通過という現象を観測しようとしたんだ。これは金星が太陽の正面を通過する、という現象で。グリニッジとそこから遠く離れたところとで観測することによって、太陽視差が求められる。これによって太陽との距離が計算できるようになるんだってさ。小説内でもこのあたりの天文学用語への言及があるけれど、調べてみたら超うまくまとまってるサイトがありました(→金星日面経過・解説)。このサイトには1761年にメイスン&ディクスンが観測した日面通過も記録されています。





 ただ、彼らが目指したベンクーレンは当時フランス海軍によって占領されちゃってて、最初から「いけるかどうかわからん」という感じだった。メイスン&ディクスンも「いや、いけないっしょ? フランスのモノだもん」と思ってるんだけれども、メイスンが所属している王立協会の返事は「ふざけんな、ベンクーレンにいけ」という感じ(途中でフランス海軍に襲われてプリマスに停泊し、船を直している間にこんなやりとりが発生する)。でも結局、ベンクーレンにはたどりつけなくて(日面通過には間に合わなかった)ので、当時オランダ領だった希望岬で日面通過を観測します。このあと、メイスンは聖ヘレナ島(当時はイギリス領)に滞在していたマスクラインという天文学者のお手伝いをしにいったりします。これは大犬座のシリウスまでの距離を測る仕事……らしいんだけれども、ちょっと調べたぐらいじゃわからなかった。その後、メイスン&ディクスンはイギリスに戻ります(18章からイギリスに戻る)。




 この直前(17章の終盤)で、メイスン&ディクスン線を引く仕事の話がでてくる――「二人の未来を巡る一つの可能性」として。今日メモしようと思ったこととはズレるけれど、ここでは「縮約」という神学・哲学用語が登場します(P.263)。この言葉(原文では、contractionとなっているはず)はP.68の王立協会からの手紙にも登場しています。最近ではもっぱら、ルーマニ屋(ニクラス・ルーマンの本を読む人たち)の方々がDQNアトラクターとして使用している用語ですが(その場合、訳語には縮減が割り当てられます)、本来は神学・哲学用語。本来、宇宙にはあらゆる可能性が含まれてる(神様は全能であり、それ文字通りはすべてが可能である存在だから)……にも関わらず、「世界」はひとつの選択をしているようにしか見えない(この可能性が実現され、あの可能性は実現されない)。このとき、あらゆる可能性のなかからあるひとつが選択されることを「縮約」と呼びます。で、我々が生きてる「世界」っつーのは、無限な可能性が縮約された結果なのね。以上は、クザーヌスの議論の要約みたいなものです*1。18世紀の科学者のあいだではこうした世界観は一般的だったんでしょうか? 哲学史・神学史の充分な知識があるわけではないから、気になるな。





 大幅に脱線しておりますが、ロード・ノヴェルなので地名などはググりながら読みすすめると、頭のなかに物語の地図ができあがってきて良いと思います。




*1:「クザーヌス 縮減」で検索したらニコラス・クザーヌスとパースペクティヴ性(メモ) - Living, Loving, Thinkingが勉強になるな、と思いました





0 件のコメント :

コメントを投稿

音楽の現在(サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール ブルーローズ

0 件のコメント


 残暑が厳しいざんしょ! はい、今年もサントリー・ホールにて現代音楽フェスティバル「サマー・フェスティバル」が開催されています。これがあるからサントリー様には足を向けて眠れません。皆さん、プレミアムモルツを飲みましょう!(発泡酒だの第3のビールなんか飲んでたら羊水が腐りますよ! まあ私はキリン一番搾りを飲みますが……)本日はサマー・フェスティバルの初日、「音楽の現在」の室内楽編でいろんな国のいろんな世代の作曲家の作品が演奏されました(すべて日本初演)。曲目は以下。



曲目


ジャン=リュック・エルヴェ(1960-):「オルタナンス(交替)/トポグラフィ」~エレクトロニクスとアンサンブルのための(2009)


クリストフ・ベルトラン(1981-):サトカ(2008)


ジョナサン・コール(1970-):遺された灰(2009)


ジョルジュ・アペルギス(1945-):「シーソー」~アンサンブルのための(2007-2008)


マルトン・イレーシュ(1975-):「トルソIII」~アンサンブルのための(2007)


出演


指揮:佐藤紀雄


演奏:アンサンブル・ノマド


エレクトロニクス:有馬純寿



 演奏会前にアルコールをかなり摂取してしまったので、ぶっちゃけ起きてられるか心配でしたが最若手であるベルトランの作品以外は楽しんで聴けました。ベルトラン作品は白石美雪が書いている通り「リゲティの音楽を想起させる」(これもリズミカルなフレーズの反復によって構成された音楽のためのクリシェみたいですが)のを確認した瞬間に記憶がなくなりました。つまり気持ち良く眠れた、ということ。フランスの新鋭とのことでしたが期待はずれだったかも、っつーか「現代フランスで最も注目される○○」とか紹介される人と私の趣味の相性が良くない気がする。プログラムノートで偉そうなこと言うけど、音が面白くない人が多いんじゃ……とか思ったりする。





 でも同じフランスのエルヴェの作品はしょっばなからかなりグッと来ました。この50歳になる作曲家は、スペクトル楽派の影響から出発したそうでこの文句からして嫌な予感がしたんですが(今年のミュライユの演奏会が全然楽しくなかったから)良かったです。曲の全編をメタリックな音響の反復が支配している……のですが、同じような音が連続しているかに見せかけて音を構成する要素はどんどん変化していく。同じなのに、毎回違う。こうしたアンビバレントな聴き心地が楽しく、ライブエレクトロニクスによる極端な位相変化や録音素材の再生と言った飛び道具も効果的でした。音の鋭さが全然違うけど山根明季子の曲を思い起こしました。





前半のプログラムの最後、ジョナサン・コールの曲は個人的なハイライト。本日演奏された曲のなかでは一番音数が少ない音楽で、白石美雪は「廃墟」なんて言っていますが、悔しい、っと思いながらもこの表現はパクりたい。この廃墟系サウンドスケープから、私は「時代劇」をイメージしてしまいなんか楽しかったんだよ。なんか道の両脇を土塀に囲まれた細道を、二本差しのサムライが歩いてるんだけど、次の瞬間、忍者とか辻斬りとかに殺される……そういうシーン。それもこれも使用されているホイッスルのせいなんですが……。あと、この作曲家、音楽からレトリックは排除したい、ってなことを書いてて興味深かった。曲中になんども「曲の終わり」ぽい身振りが挿入されているのはその反映なのか? 知らない曲に出くわしたとき聴衆は、長い休止のあいだで「拍手の準備」をしているような雰囲気がある。勝手に曲の終わりが聴取される、というわけ。コール作品はこうした習慣を逆手に取ってる気がした。





 後半な2曲は、リッチでロマンティックな現代音楽、って感じで良かったです。とくにギリシャのアペルギスの作品が良かった。冒頭から音がどんどん重なっていって、豊かな音響が出来上がっていくんだけれど、それが後半に低弦のハーモニクスによって一掃される。ここに超カタルシスを感じた。





 明日は今年のテーマ作曲家、ジョナサン・ハーヴェイの講演です。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ピンチョン『メイスン&ディクスン』を読むためのヒント/メモ #1

0 件のコメント





 ようやく私の夏休みもやってきた、ということで今回は夏休みの課題図書にピンチョンの新刊『メイスン&ディクスン』を。この作品は18世紀が舞台となり、主人公であるメイスンはグリニッジ天文台に務める天文学者、もうひとりの主人公ディクスンはメイスンのサポートを務める測量士である。どちらも実在の人物で、ふたりが成した業績についてはウィキペディアなどを参照していただきたいのだが、ピンチョンらしいわるふざけ満載のロード・ノヴェルとなっている。今回は一切メモなどを取らず、自分の整理力/読解力を試してみたい……と思ったのだが、山形浩生でさえ原著を50ページで投げ出した大作であるため(分量よりも古英語を使用した文体の問題があるのだろうが)、200ページを超えたりあたりからキツくなってきた。このまま読み飛ばすのも勿体無いので、こうしてブログにメモ的なものを書き残しながら読みすすめていきたい。夏休みの自由研究? それにしてもこれだけ読むのに苦労させつつ、同時に楽しませてくれる作家ってすごいよねえ。翻訳してくれた柴田先生もご立派(超読みやすいっす!!)。




 作品中には主人公が天文学者であるため、天文学の用語が登場する。ここ最近は、初期近代思想がらみの本を読んだりしていたのでそこで得た知識が少し役立っている。200ページのあたりから、聖ヘレナ島に滞在するメイスンと、その島の天文学者マスクラインが互いにホロスコープ(出生天宮図)を計算しあうところなど「おっ」と思った。出生天宮図とは文字通り、自分が生まれた瞬間の星の配置を写した紙のことで、占星術の人たちはこの図を計算によって作って、その人の運命を予言する、という一種の技術者だった。天文学者がこうした技術を体得していたのはなにも不思議なことではない。また有名人のホロスコープは出版物としても人気を博し、16世紀のジロラモ・カルダーノ、という人は時の王様のホロスコープを作成して出版し、一山あてたりしている。このあたりの占星術や天文学についてはアンソニー・グラフトン『カルダーノのコスモス ルネサンスの占星術師』に詳しい*1



カルダーノのコスモス―ルネサンスの占星術師
アンソニー・グラフトン
勁草書房
売り上げランキング: 203952



 そのほかヒポクラテス/ガレノスによる四体液説への言及などもあり、ピンチョンの博覧強記ぶりが伺える。天体は体液にも影響を与える、ということは割りと基本的な知識(天体=マクロコスモスと人体=ミクロコスモスの照応)で、たとえば「土星の影響が強くなると黒胆汁の分泌が増えて憂鬱な気質が増す」といった話がある。18世紀にこうした気質論が一般的だったかどうかはわからないが、小説内の世界を把握するために覚えておいて損はない知識だろう。






0 件のコメント :

コメントを投稿

ジーン・ウルフ『独裁者の城塞』(新しい太陽の書 4)

0 件のコメント



独裁者の城塞 新しい太陽の書 4 (ハヤカワ文庫SF)
ジーン・ウルフ
早川書房
売り上げランキング: 269828



 いよいよ「新しい太陽の書」4部作の最終巻、単身北へと進み戦場へとたどり着いたセヴェリアンは、兵士の死体を「調停者の鉤爪」の奇蹟によって復活させたり、ペルリーヌ尼僧団に助けられたり、またもや時空を超越した存在と出会って世界について教わったりするのだが、最終的には独裁者の脳髄をセヴェリアンが食べる、という儀式によってセヴェリアンが新しい独裁者となったり、自分の生まれの秘密を知ったりし、そして新しい太陽を求める旅にセヴェリアンが旅立つ(セヴェリアンたちの冒険はまだはじまったばかりだぜ!!――ジーン・ウルフ先生の次回作にご期待ください)……というなんとも言えないエンディングを迎えて、個人的には拍子抜けだった。SFってこんな感じで良いの? こうした小説をあまり読んだことがないものだからわからないのだが、ジーン・ウルフが書いている中世哲学まがいの、あるいは量子論的な存在論・時間論が物語上、はったり以上の機能をもっていないように思われてしまう。なのだが、あんまり笑えないしねえ……せめてピンチョンみたいに面白おかしく書いてくれれば良いのに。物語がセヴェリアンのご都合に合わせて進行するのも、セヴェリアンは次世代の独裁者となることがあらかじめ決定されていたためであり、かつ、超越的な存在であるクリーチャーたち(過去・現在・未来のどの時間にも偏在する神的な存在)もそれを知っていたからセヴェリアンを助けていたのだ! という具合に予定説的な説明がなされているのも「じゃあ、これまでの長い話は全部茶番みたいなものじゃんか!!」とか思った。テクノロジーの記述なら『Newton』読んでいたほう良いと思ったし、哲学っぽい話ならそりゃ中世哲学の本を読んだほうが楽しいですよ、たぶん。というわけで「新しい太陽の書」より面白い本として以下の2冊をオススメします!!






神を観ることについて 他二篇 (岩波文庫)
ニコラウス・クザーヌス
岩波書店
売り上げランキング: 213072



 追記(本当はこんな風にツマラナカッタ!みたいなことを書くつもりじゃなかったのだ。しばらくして書こうと思ったことを思い出したので書いておく)しつこいようだが私にとってのこの作品は『ナウシカ』と似たような設定をもったもののように思われ、かつ、対照的な終結部をもっているようにも感じられた。人によって作られしものが神的な振る舞いをおこない、そして、実は背後にはかつて存在していた人類によって敷かれた運命のレールのようなものがあって、登場人物たちはそれに翻弄される。いわば世界がかつての人類にプログラミングされたかのような世界観。このプログラミングが「予定」なのである。かつての哲学者たちが問うたように、こうした予定のもとでは人間の自由意志が問題とされるだろう。セヴェリアンとナウシカが対照的であるのは、この問題に直面したときの選択が真逆であるからだ。セヴェリアンは予定へと順応し、それに従ってプログラムを遂行しようとする。しかし、ナウシカは予定を拒否することで自らの自由意志を尊重しようとした(ナウシカが予定外の存在、となることにより、それらのプログラムは消滅してしまう)。私が好ましいと思えるのはやはりナウシカのほうだ。圧倒的な存在である神が立てた予定によってすべてが決められた世界は、あまりにも甲斐がない、と思う。




  • 関連


ジーン・ウルフ『拷問者の影』(新しい太陽の書 1) - 「石版!」


ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』(新しい太陽の書 2) - 「石版!」


ジーン・ウルフ『警士の剣』(新しい太陽の書 3) - 「石版!」





0 件のコメント :

コメントを投稿

ブリューゲル版画の世界 @Bunkamura ザ・ミュージアム

0 件のコメント




 ブリューゲル(といえば一般的には農民の生活を描いた絵、あるいは上記のジクソーパズルになっている油絵で有名な画家として知られていますが)といえば16世紀のネーデルラントを代表する画家でありまして、それは同時に16世紀的な表現者の代表者ともいえましょう。今年は『ミクロコスモス』*1も出ましたし、このあたりの初期近代の精神史と密接に絡みあう分野が偶然とは思えないほどに熱い年であることを感じさせるそういった展示でした。ミュージアム・ショップに並ぶ「関連書籍」も、アタナシウス・キルヒャーに関する本ややコメニウスの『世界図絵』など直接関連してはいないもののの、的を射すぎるセレクトで素晴らしかった。美術畑のことは実際のところよくわからないのですが、こうして16・17世紀の想像力が高まりすぎた世界観が表現された美術にフォーカスがあてられる企画展というのは、個人的に好ましく思われ、それはフリークス的な見世物小屋精神と隣り合わせのようにも思うのですが、なにかカッコに入れて「美しいもの」として展示されているものとは明らかに違っていて、ひとつの刺激を与えてくれる。良いイベントだと思います。私は図録も買ってしまいましたよ……(ラブレーの翻訳者である宮下志朗先生が文章を寄せていたからでもあるのですが)。





 農民の生活を描いたものや、聖書にのっている話を題材に取った寓意画も興味深く観れたのですが、私がとくに感銘を受けたのはやはり展示のしょっぱなに置かれていた風景画のシリーズで。これは街や農村の風景を、全景的に描いた作品群だったのですが、おそらくどこにも存在しない「その街のすべてが見渡せるパースペクティヴ」から描かれるそれは、まるでその画面のなかに世界のすべてが描かれるようであって、まさにミクロコスモス‐マクロコスモス――という大掛かりさ。白黒の版画の世界にあまりにも大きな世界が映し出されるところに、素直に驚愕してしまい、ひたすら「すげえ、すげえ」と感動しました。画面のなかでは、その世界に生きる人たちの生活が小さく描かれている、と同時に、その遠景には墓地や絞首台といった死の象徴が紛れ込んでいる。この生死がひとつの画面のなかに配置されているところが、ふわぁっと感動的で、ザ・世界(ワールド)!感が高まってくる。おそらくその画面は、本当に見える風景ではなく、絵の寓意性を高めるために歪められた世界に過ぎないのでしょう……が、その歪められた世界のなかに世界の姿が映し出されているとするならば、建前や嘘で塗り固められた《現実》よりも、歪められた《虚構》のほうがリアリティを感じてしまわなくもない。こうした点ははるかに20世紀のフィクションを、ブリューゲルが先取りした点であると思います。






0 件のコメント :

コメントを投稿

M・ナイト・シャマラン監督作品『ヴィレッジ』

0 件のコメント



ヴィレッジ [DVD]
ヴィレッジ [DVD]
posted with amazlet at 10.08.15
ポニーキャニオン (2010-03-17)
売り上げランキング: 25314



 普通に怖くてビクビクしながら見てしまった……。でも終盤で森に棲む怪物の正体が明かされると全然怖くなくなるので、やっぱり「なんか得体の知れないものがある」っつーのはすげー怖いんだなぁ……という自分の心理構造を自覚したりもする。怖い映画が超絶的に苦手なんだけれども「怖い演出」みたいなものを目にすると、毎回「これはどうして怖いのだろうか」とか考えてしまう。「森」のなかのシーンなんか、人物の影になって見えない背景のなかになにかあるんじゃないか!? と思えてしまって、それだけで怖かった。早くカメラが動いて、その先にあるものを映してくれ~、と懇願。





 あとサントラで、暗いヴォーン=ウィリアムズみたいな曲が使われているのだが、ヴァイオリンの独奏がヒラリー・ハーンであることがスタッフロールの最初にでてきてびっくりした。





0 件のコメント :

コメントを投稿

『ギター・マガジン』9月号 プリンス特集

0 件のコメント



Guitar magazine (ギター・マガジン) 2010年 09月号 (CD付き) [雑誌]
ギター・マガジン編集部
リットーミュージック (2010-08-12)



 『ギター・マガジン』9月号がプリンス特集だったので、おそろしく久しぶりに購入(この雑誌、買ってじっくり読んでみると、すげえマニアックな雑誌だと気がついて改めてびっくりしますね……コアな内容でずっと続いている連載があったりするし、なんでこんな内容で何年も続けられるんだろう……)。もう表紙からして最高なんですが、中身もなかなか面白かったです。『Rave Un2 The Joy Fantastic』の制作時のインタビューが載ってたりして。まあ10年前の記事の翻訳なんですが。このアルバム、今回の特集記事でインタビューをうけている竹内朋康も言及していますが、プリンスが音がリッチで楽曲も良いのにおそろしく話題に上らないアルバムな気がするので嬉しい。グウェン・ステファニーとのデュオ曲「So Far, So Pleased」とか最高ですよ……!



Rave Un2 the Joy Fantastic
Rave Un2 the Joy Fantastic
posted with amazlet at 10.08.14
Prince
Arista (1999-11-09)
売り上げランキング: 117485




神はすべてをお与えになった。そのうちのひとつが自由なんだよ。(プリンス)



 向井秀徳のインタビューも最高。この人が「小学生のときに年上の兄貴から無理やりプリンスを聞かされた」という経験談は何度も語られているところですが、兄貴が「突如熱狂的なプリンス・ファンになった」というところが良い話だと思います。あと向井秀徳の音楽についての語り口というのも魅力的で、結局は好きか、嫌いか、というところが全面的に出ていて正直な態度だと思いますし、すごいものをわかったようなふりをせずに、すごいもの、驚愕すべきものとして語られるところが素晴らしい。「俺もこういう風に、いつまでも『これはすげー!』『あれはすげー!』と驚きながら音楽を聴いていきたい」と思います。



正直、今現在のプリンスからは“時代を作っていく”感じは残念ながら見られないですけどね。(向井秀徳)



 この一言はたしかに感じるところではありますが、ここ数年のプリンスといえばそういう時代を作っていくというプレッシャーみたいなものから開放されて、流行モノであったり、そのとき興味があったものを自由にとりあげていく、というスタイルに移行しているのではないか、とも思います。あと、すでに完成された自分のスタイルを自己言及的に掘り下げていく、とか。先日感想を書きました新譜なんかがこの自己言及的、というかプリンスが自分のカヴァーを過去の自分よりも上手くやっている、みたいなアルバムだと思う。これねー、何度も繰り返して聴くとすげーハマってくる良いアルバムなんですよ……。生活音のようにカラダに馴染んでくるポップ・ミュージックっつーか。



20Ten
20Ten
posted with amazlet at 10.08.14
Prince
Daily Mirror (2010-08-03)
売り上げランキング: 31






0 件のコメント :

コメントを投稿

青山真治監督作品『ユリイカ』

0 件のコメント



ユリイカ(EUREKA) [DVD]
ユリイカ(EUREKA) [DVD]
posted with amazlet at 10.08.14
メディアファクトリー (2002-02-22)
売り上げランキング: 28713



 何年かぶりに再見。やっぱりすごく好きな映画だなぁ、と思いました。人は自分以外のなにものかになれるのか、といった実存的問いかけ(笑)が冒頭に置かれているんですが、それよりもコミュニケーションだとか言語といった問題を考えながら観ました。光石研が演ずる典型的な「根は優しいが、優しすぎるあまり上手くその優しさを表現できない人」、一言でいうと「不器用な人」ということになりますが、それがとても良い。幼馴染(役所広司)と再会した、光石は役所がワケありの人物である、ということを察し、非常にデリケートな対応をせまられてしまう――のだが、その要請をうまくこなせない。彼は慌て、ドキマギし、不自然な対応をしてしまう。しかし、彼以外は、役所が持った「ワケ」を知っていても、自然な振る舞いをすることができる。だが、光石にとってはそれが無神経なものと感じられる。冒頭で彼が表現するいらだちとはそのようなものだ。あと、宮崎兄妹と役所広司がごはんを食べるシーンとかも良い。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ジーン・ウルフ『警士の剣』(新しい太陽の書 3)

1 件のコメント



警士の剣(新装版 新しい太陽の書3) (ハヤカワ文庫SF)
ジーン・ウルフ
早川書房
売り上げランキング: 175600



 セヴェリアンとドルカスは目的地であるスラックスという地方都市にたどり着く。そこが「城塞」を追われたセヴェリアンが死刑執行人として、また監獄の管理者としての任務地だった。ここでセヴェリアンは人々に恐れられつつも、それなりに高い地位と権力を約束された生活を送るはずだった。しかし、安住は長く続かない。セヴェリアンの愛人であったドルカスは、セヴェリアンの生業と根本から結びついている「死」を目撃することによって、自分がどこからやってきたものなのかについての記憶を取り戻し彼の元を去ってしまうし、セヴェリアンは自分が殺すはずだった人物を逃してしまうことによってその安定した地位からの失墜を余儀なくされる。ここから再びセヴェリアンの遍歴がはじまるのだ。行くあてを失った彼は「北」で長いあいだ続けられているという戦争に参加しようと目論んで旅を続ける。 訂正 続巻を読んでいたらセヴェリアンが「ペルリーヌ尼僧団」を探して北へ向かうよう「独裁者」に命ぜられていたことを思い出す。それでもそれが忘れさられるぐらいだから、動機がよくわかんないんだよな……。





 しかし、この旅の動機がはっきりとしない。ドルカスがスラックスを離れたのは、自分がやってきた場所(帰るべき土地)へと帰還する、という明確な目的があった。これとは対照的にセヴェリアンの旅を続ける理由は見えてこない。「なんとしてでも生きつづけたい」だとか「最愛の人を守るために……」とかいった強い意志が感じられないのだ(なんといってもセヴェリアンの最愛の女性は、記憶のなかにしか存在しない、という理由もあるのだろうが)。にも関わらず、セヴェリアンのもとには世界の謎を知る人物が次々と現れ、そして、セヴェリアン(と読者)にウールスという世界の秘密を授けて去っていく。こうした行き当たりばったりにさえ感じられるセヴェリアンの性格には、「すべてを記憶している」にも関わらず、自分の出自については一切知らない、という要素の影響が強く感じられた。





 また、セヴェリアンの性格描写に関して言えば読者の理解を拒むように書かれているのでは? と感じられる箇所も少なくない。旅の途中でセヴェリアンは、自分と同じ名前をもつ少年と一緒に旅を続けることになるのだが、この少年があまりにもあっけなく死んでしまうと、セヴェリアンもまたあまりにもあっけなく少年を忘れてしまったように振舞ったりする(すべてを記憶しているのにも関わらず!)。セヴェリアンは少年の父親を名乗り、少年はセヴェリアンを父親と呼ぶ。ふたりの旅路の過程は、とても美しく心温まるものとして描かれているのにも関わらず……。




  • 関連


ジーン・ウルフ『拷問者の影』(新しい太陽の書 1) - 「石版!」


ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』(新しい太陽の書 2) - 「石版!」





1 件のコメント :

コメントを投稿

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

0 件のコメント



ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) [Blu-ray]
キングレコード (2009-05-27)
売り上げランキング: 92



 そういえばヱヴァンゲリオンは『序』を見ていなかったなあ(テレビ版と一緒だ、という話を聞いたので)、と気がついてレンタルで観る。ストーリーの大筋は聞いていた通りテレビ版と同じだったのだが「こんなセリフ、あったっけな?」というのが細部でいくつかあり、その違いから「前よりもわかりやすい」という印象を受けた。例えば、ゲンドウとシンジが3年ぶりに対面するシーンにおいてゲンドウは、エヴァに乗ることを「他の人にはできない」こととしてシンジに説明する。ここで、こんなセリフあったっけな……と思うとともに、「シンジが選択されたこどもである」という印象を補足する。個人的な好みの話だが、私は天才が活躍する話が嫌いで(そこには挫折とか努力とか、凡人に理解可能な感覚が欠落しているからだ)ある。で、今回『序』を観て感じたのは「これっていろいろあって自己評価が低すぎる、ひとりの困った天才が、周りからチヤホヤされてるのにそのチヤホヤをなかなか受け入れられない、っていうものすごく贅沢な状況の話だよね」と思った。いくら天才だ、っつっても主人公は14歳だから仕方ないのか、そりゃあ、望んでないのに勝手に世界の運命を背負わされたら家出もしたくなりますわ、とも思うんですが、これも「生んでって頼んだわけじゃないのに!」という反抗期的なキレっぷりのように考えられ、もはや四捨五入したら30歳になってしまった私からすれば「せっかく才能があるなら、それを生かさないのは罪なんじゃないの!?」と説教したくもなる。







  • 関連


『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 - 「石版!」





0 件のコメント :

コメントを投稿

大友良英/大友良英サウンドトラックス vol.0

2 件のコメント



大友良英サウンドトラック Vol.0
大友良英 阿部芙蓉美
F.M.N.SoundFactory (2010-06-12)
売り上げランキング: 2525



 昨日書いた大友良英の新譜に関する記事が、本人のブログで紹介されていたので冷や汗をかいた。



わたしの記憶に間違いなければ、かつてわたしと音遊びの会の共演盤のことと、ユリイカ大友特集についてどの評論家も指摘してないようなことを明確かつ的確に書いてくれた方ではないだろうか。いったい何者なんだろう。単なるブロガーには思えない。


どうにかこうにか51歳 - 大友良英のJAMJAM日記



 というのは「ひたむきさとピュアネス - 「石版!」」、「演るを考える - 「石版!」」の記事でしょうかね。3年以上も前の記事を覚えておいてくださって光栄の極みでございます。私、大友さんとは卒業した高校が同じでして「同じ高校出身の尊敬するミュージシャン」として大友良英の名前が心に刻まれておりますので(遠藤ミチロウとともに)、とても嬉しかったです。単なるブロガーどころか、単なる会社員にすぎませんが、ブログを書いていて良かったな、と思いました。誕生日おめでとうございます!





 で、先日出ていた『大友良英サウンドトラックス vol.0』についても感想を書きそびれていたのを思い出したのだった。不勉強なもので、このCDに収録されている映画・ドラマについてはどれも未見なのだけれど、これもスゴかった。先日なんのきっかけもなしに「自分は音楽を聴くとき、メロディやハーモニーを聴いているのではなく、それらの要素をすべてひっくるめて全体的なテクスチュア……というか、なんか『あの音楽のあの感じ』という固有性みたいなものを聴いているのではないか」「音楽を聴きたい、と思うとき、あの曲が聴きたい、というわけではなく『あんな/こんな感じ』の音楽が聴きたい、と考えて音楽を選択しているのではないか」と考えることがあったのだが、こうした思考のカケラみたいなものを言葉にまとめる媒介になってくれそうな一枚。





 2曲目に収録されていた「歩く」という曲が特に印象に残る。この曲には歌えるようなメロディは存在せず、シンプルなギターのコード演奏が反復されていく。まるでメロディがまだ作曲されていない曲の伴奏のような曲に聴こえるのだが、それは劇中の挿入曲であるという性質からかもしれない。言ってみれば映像に対する伴奏なのか。そういうことならば、この曲がどういった映像に付随していたのかを確認していない私にとっては、まるで未完成の音楽に聞こえても当然だろう。だが、それは不幸なことではない。その映像(という主旋律)の不在は、「あの音楽のあの感じ」という感覚をより一層研ぎ澄まされた形で感じさせてくれるのだ。当然、ここにも「大友良英のあの感じ」が強烈に存在している。





2 件のコメント :

コメントを投稿

土曜日の朝からグリーンスレイドを聴いた俺は、一日の半分を無駄にしたわけではない

0 件のコメント



Greenslade
Greenslade
posted with amazlet at 10.08.07
Greenslade
Warner Bros UK (2000-03-13)
売り上げランキング: 112698



 なんか自分のなかで微妙にプログレ熱が高まりつつあり、グリーンスレイドを聴いてみたりしている。彼らは70年代イギリスのギターレス、かつツイン・キーボードのロック・バンド。ヴォーカルがもっと上手だったらもっと人気があったんだろうなあ……という感じがギンギンにするんですが、曲が良くてですね、なかなかあなどれない。初期キャラヴァンをもっとポップな形で洗練させたような感じ、でしょうか。ロジャー・ディーンによるジャケットからは「いなたいシンフォニック系なのかしら」という予想があったんですけれど、良い意味で裏切られました。なんせ、キーボード奏者がふたりいるわけですから音は多彩です。これは2台のキーボードを使用している意味ではございません。メロトロン、ハモンド、モーグ……といったプログレッシャーが大好きな機材はもちろんのこと、使える鍵盤楽器は全部使ってるんじゃないか、という豪華絢爛ぶり。このあたりにA級にちかいB級プログレのとく味わいがあって「ああ、これは買ってよかったなあ」と思うのでした。



D


 こちらの映像は「Pilgrim's Progress」と「Bedside Manners Are Extra」という曲のメドレー。こちらの曲は↓のセカンド・アルバムに収録されています。最初にあげているファースト・アルバムとくらべるとハード路線な曲が多くて、いなたい感じが若干増します(ファーストの多彩さのほうが個人的には好きなのです)。でも嫌いになれないのは、きっと、この年代の、この機材でしか出せない音がするからなんでしょうなあ。



Beside Manners Are Extra
Beside Manners Are Extra
posted with amazlet at 10.08.07
Greenslade
WARNER (2000-03-13)
売り上げランキング: 88161






0 件のコメント :

コメントを投稿

プリンス/20Ten

0 件のコメント



20Ten
20Ten
posted with amazlet at 10.08.07
Prince
Daily Mirror (2010-08-03)
売り上げランキング: 421



 まずは今年も殿下の新譜が聴けることに感謝(たしか健康状態があんまりよくないんだよね? しかも宗教上の理由で手術できない、っていう)。今回のアルバムもヨーロッパでは「雑誌の付録」という形で流通しています。本作に絡んだインタビューにてプリンスは「インターネットは完全に終わった」というカッコ良すぎる発言をおこない、物議をかもし出すどころかもはやスゴすぎて黙殺されている気もしますけれど、たしかに本の流通経路を使ってCDが消費者の手に届くようにする、っつーのはなかなか賢いアイデアのように思え、プリンスもトッド・ラングレンと同じぐらい早くインターネットでの楽曲配信に手を出していたことを考えれば「時代の先を行き過ぎるアーティスト」という感じを改めて覚えるのでした。しかし、アルバムが売れようが売れまいが正直この人にとっては関係ないと思うので、大物にしか許されない試みなのでしょうなあ(嘆息)。それにしてもこのジャケットはひどい! そして内容のほうも近作の充実ぶりからすると驚くほどあっさり聴けてしまう内容で、ちょっと拍子抜けでした。もちろん悪くはないんですけれど……



3121 (Dig)
3121 (Dig)
posted with amazlet at 10.08.07
Prince
Umvd Labels (2006-03-21)
売り上げランキング: 66977




Planet Earth
Planet Earth
posted with amazlet at 10.08.07
Prince
Sony (2007-07-23)
売り上げランキング: 27902




Lotusflow3r/Mplsound/Elixir
Lotusflow3r/Mplsound/Elixir
posted with amazlet at 10.08.07
Prince
NPG (2009-04-07)
売り上げランキング: 2092



 ……こうした精力全開なアルバム群と比べるとパワー・ダウン感は否めません。前評では「ニューウェーヴファンクに回帰した名作」と聞いていたのですが、そんなに激しくもない。異様にスムースで、異様にすんなり聴けてしまうので濃ゆ~いアルバムを期待しているとよりガッカリ感は大きいかも。でも、好きだから良いんです! あと20年ぐらい毎年新譜出してください。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ザイ・クーニン+大友良英+ディクソン・ディー/Book From Hell

0 件のコメント



BOOK FROM HELL
BOOK FROM HELL
posted with amazlet at 10.08.07
ザイ・クーニン+大友良英+ディクソン・ディー ザイ・クーニン
doubtmusic (2010-05-16)
売り上げランキング: 94427



 しばらく前に買って感想を書きそびれていた新譜。ひさしぶりにこの手の即興音楽の音源を聴く――一時期1970年代のイタリアの即興音楽を集中的に聴いたことがあって、そのせいかこの手の音楽を聴くたびに「30年前の即興音楽の方法論と、今日の即興音楽の方法論とに違いはありやなしやと」と考えてしまうのだが、これはアジアの音像というか、このメンツでしかなし得なかったであろう音が収録されていて素晴らしかった。ザイ・クーニン(シンガポール)、大友良英(日本)、ディクソン・ディー(香港)による2008年のライヴ音源。アット・シンガポール。私はシンガポールの9月を体験したことはないけれど、かの国の9月は日本のお盆の気候に似ているのだろうか。音の質感から、その場の空気感とか、温度感が伝わってくる、そういった音である。静寂と轟音。1時間超、ノンストップで展開されるリニアな音の連なりは、終始ヒリヒリするような緊張感をもたらしつつ、叙情的である。こうして大友良英のギターの新しい録音を聴くのも久しぶりだけれども、彼の「ついでてしまうような」手癖フレーズを聴いていると、これも非常にパーソナルな音楽な形のような気がし、即興音楽の自由なフォーマットのなか個人な音楽の表現がシンプルに打ち出されて、そしてそれがまさしく「大友良英の音」として聴けてしまう事実に改めて驚かざるを得ない。





0 件のコメント :

コメントを投稿

ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』(新しい太陽の書 2)

0 件のコメント



調停者の鉤爪(新装版 新しい太陽の書2) (ハヤカワ文庫SF)
ジーン・ウルフ
早川書房
売り上げランキング: 160761



 「新しい太陽の書」第2巻『調停者の鉤爪』は、「城塞」から追放されたセヴェリアンが街を取り囲む巨大な「壁」を通過し、サルトゥスという村に滞在しているところからはじまる(1巻と2巻のあいだに、『語り』の断絶があるのだが、後々説明されるので気にしないで読みすすめること)。セヴェリアンは壁を通過する直前に出会ったジョナスとともに目的地であるスラックスという街を目指すのだが、ここからようやくこれまで謎の多かった物語世界、ウールスがどういった世界なのか、ということが明らかにされていく。それを語るのは、セヴェリアンとともにいるジョナスだった。セヴェリアンの口から、星と星のあいだを運行する「船」に乗っていた彼によってその世界がどのように成立したのか、を聞くことになる。壁に囲まれた閉鎖的な世界から、広大な世界への広がりを感じる展開は、セヴェリアンの成長と連動するかのようにも読める。





 個人的にもっとも興味深かったのは、川のほとりで野宿をしているセヴェリアンを水のなかから誘う水の精(ウンディーネ)だった。2巻に入ると物語のなかに奇怪なクリーチャーが登場し始め、ファンタジックな要素が増えていくのだが、実はこうした生物は過去に人類がなんらかの操作によって生み出した生物であったり、異星の生物が人類とまじりあった生物であることが明らかになっていく。こうしたクリーチャーのなかには、人智をはるかに超えた知識をもち、まるで神的な存在のように振舞うものがある。ウンディーネもこのような神的なクリーチャーの一種であろう。「彼女」はセヴェリアンにこう語りかける。



多数の海を泳ぐわたしたちが――星々の間の海さえ泳ぐわたしたちが、単一の瞬間に閉じ込められていると、あなたは思う? わたしたちはあなたの未来の姿を見ているし、過去の姿も見ているのよ。



 ウンディーネは自分が、さまざまな時間に遍在していることを主張する。過去・現在・未来、どの時間にも彼女は存在しつづけている。その能力は、神が持っている要素として捉えられる(ここでは自分が最近読んだもののなかからクザーヌスを紹介しておこう。ニコラウス・クザーヌス『神を観ることについて』 - 「石版!」)。もともと人間によって作られたものが、神のように、人間よりも世界を知るものとして振舞うのを見ると、自然と漫画版の『風の谷のナウシカ』が思い出された。ウンディーネと同様に王蟲たちは人間たちよりもその世界を理解していた。こうしたモチーフは「終末後の世界」に共通する傾向なのかもしれない。そういえば「新しい太陽の書」と「ナウシカ」の劇中では、重さや距離の単位がいくつか共通していたりもする(今では使われなくなった古い単位が使われている)。







  • 関連


ジーン・ウルフ『拷問者の影』(新しい太陽の書 1) - 「石版!」





0 件のコメント :

コメントを投稿

荒俣宏『風水先生 地相占術の驚異』

0 件のコメント



風水先生 地相占術の驚異 (集英社文庫―荒俣宏コレクション)
荒俣 宏
集英社
売り上げランキング: 112890



 最近「俺は将来的には荒俣宏みたいになるんじゃないか……」という予感がギュンギュンするんですが、実をいうと荒俣先生の著作を読むのはこれが始めてでした。この『風水先生』は荒俣宏が日本に風水を紹介するきっかけともなった著作。最初は1989年の香港(まだイギリス領だった!)で風水を取り入れながら設計された超高層ビルへの取材から始まるのですが、これが最高! 魅力的な旅行記であるとともに風水の歴史や基本技術に触れられます。





 香港編が終わると日本編がはじまります。この間に5年ほどの期間があるのですが、その間に荒俣先生の風水知識はパワー・アップ! バブル崩壊直後の東京を練り歩き、偉い先生と一緒に有名企業の社屋を鑑定したり、日本各地の都市を風水によって分析したりします。まるでリアル妖怪ハンターのような行動力。冷静に考えると「風水で都市を見るとこんな面白分析ができる!」とはしゃいでる変なオッサンなのですが、だが、そこが良い。夢があって良いじゃないですか! とても面白かったです。





0 件のコメント :

コメントを投稿

マジメに英語の勉強を始めた、コツコツと

2 件のコメント


 先月なんかの記事で「日本語でブログを書いても1億3千万ぐらいしか読み手がいないけど、英語だったらその何倍も読み手がいる」という話を読んで、そうか、なるほど、やっぱり英語を勉強したほうがいろいろと便利か! と思って英語の勉強をしている。





 マジメに英語を勉強するのは、大学受験以来だからおよそ8年ぶりぐらい。せっかくやる気になっているので、まず単語を覚えるところからだ。私は要領が悪い人間なので何かを本気でやろうとしたら、基礎の基礎からはじめないと身につかない。近道や楽することは考えない。



DUO 3.0
DUO 3.0
posted with amazlet at 10.08.01
鈴木 陽一
アイシーピー
売り上げランキング: 58



 ということで、何年かぶりに『DUO 3.0』をできるだけ毎日、例文を10個とか20個とか音読したりしている。





 まだ長文を読んだりはしていない。単語をいっぱい覚えたら、長文を読むのがとっても楽になるよ、そのうちね――ということが、英語独習のサイトにも書いてあったので。とはいえ、日々英語の文章には触れようとしている。が、なにを読んでいいのかわからないため、IBMのメインフレーム・コンピュータ関連のガイドなんかを読んでいる。これの良いところは仕事中に読んでいても怒られないことだ。上司もまさか英語の勉強のためにBTS(Batch Terminal Simulator)のマニュアルを読んでいるとは思うまい……。





2 件のコメント :

コメントを投稿