すごいぞ! Youtube! イタリアン・プログレッシヴ・ロック動画を探してきたよ!

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 台風で外に出かける気もなく、寒いので本を読む気にもならないのでYoutubeからイタリアのプログレ・バンドの動画を集めてみます。この方面に関しては以前に残暑のイタリアン・ロック祭 - 「石版!」というエントリを書いていましたが、ここにある動画の大部分がすでに閲覧できなくなっているので改めて。一番最初にあげたのは、アルティ・エ・メスティエリの再結成ライヴ映像を集めたDVDのプロモーションビデオみたい。フリオ・キリコの大胸筋が健在でちょっと感動。






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 PFMの映像。詳細はよくわからんけど、下の動画と比べてみるとちょっと泣けます。なんか「あの人は今」感が溢れている。



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 バンコの映像。これはもうなんかイタリアのプログレ演歌みたいな感じですね。






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 ニュー・トロルズ。彼らはイタリアのロック・バンドで最古の歴史を持つバンドなんだって(1966年から活動)。こちらの動画は彼らの《コンチェルト・グロッソ》という作品の再演映像。ストリングスのアレンジをルイス・エンリケ・バカロフ(『続・荒野の用心棒』などのサントラを書いてる人)が担当しています。クラシック+ロックというコンセプトを極限まで肥大化させた感じが楽しいです。






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 イ・プー。1973年のアルバム『Parsifal』から表題作の曲を。なんかいろいろと濃すぎて笑えてしまう。「イタリアのアリス」みたいな感じなのかな。






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 オザンナ。1973年の映像らしい。よくわかりません。フルートにワウをかけたりしてる。ハードロック+フルートというイタリアの(ダメな感じがする)プログレ・バンドの典型、というか。強烈にダサい感じが、しみじみとキます。






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 アレア。ここまでで見てきたなかで一番マシな感じがするのは、彼らの音楽が一番国籍不明な摩訶不思議音楽であるからでしょうか。この動画では2:30ぐらいまで即興っぽい演奏で、それ以降に曲が始まる感じです。デメトリオ・ストラトスのヴォーカルは、やっぱり凄みがあるなー、と思いました。演奏はもっさり感があって今聴くと「当時のイタリアのロック・ミュージシャンの演奏技術の最高レベルってこんなもんだったのか」と思うんですが。






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 レ・オルメ。「フェローナ&ソローナ」という曲。詳細はよく分かりません。この手のイタリア・プログレの音源、19歳ぐらいの頃に縁あった某プログレ雑誌の編集部から借りてきて、ハードディスクに全部保存してたんですが、PCが壊れて全部ふっとんだことを思い出しました。レ・オルメは当時結構好きでした。クラシック系プログレなんだけど、そこまでイナたくない感じが。






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 ゴブリンの「サスペリア2」。ダリオ・アルジェントがらみで最も有名なイタリアのロック・バンドと言えば、彼らかもしれません(ダリオ・アルジェント作品のサントラの多くをこのバンドが手がけている)。キーボードのクラウディオ・シモネッティはこの後、ディスコ方面にいって高い評価を得たりします。






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 これ以降大変マニアックなバンドが紹介されていくことになります(Youtubeのすごさが試される)。こちらはPFMのヴォーカリストが在籍したことのあるグループ、アクア・フラジーレの再結成プロジェクト映像(らしい)。初めて聴きますが、普通のハードロックっぽいぞ。






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 アルミノジェニの1972年のアルバム「Scolopendra」(邦題は『オオムカデ』)。ベースレスのスリーピースバンドみたい。手元にある資料によれば「グループは成功を手にすることなく解散」したんだって。そんなバンドの音源がネットで聴けてしまうこの時代が恐ろしくなりますね……。このもっさり感はモンド方面で評価されても良いのかも。






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 アルファタウラスの1973年のアルバムから。鳩(?)の胸から爆弾が出ているジャケットが謎過ぎて最高。中身はドラムがバタバタうるさい、演歌っぽいハードロックです。イタリアのプログレってある程度掘ったら、こんなのしか出てこないのかも。






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 イル・バレット・ディ・ブロンゾ、通称「イルバレ」の2008年のライヴ映像。キーボードの上になぜかパトランプが乗っているんですが……と思って、よくみてたら使ってるシンセ、俺が上司から借りてるシンセと同じヤツだ!!






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 デダルス。これは正統派っぽいジャズ・ロックで、演奏はもっさりしてるんだけど、結構カッコ良い(1973年)。いや、ここまでで一番カッコ良いんじゃないか!? 聴けば聴くほどアメリカのフュージョンの人ってすっげーなー、と思ったりもしますが、これはこれで。ジャズ・ロック路線を突き進めた頃のソフト・マシーンに3割引きで下手にした感じ。ちょっと好きな感じなので、もう一枚、動画を貼っておきます。



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 もうキリがないので止めますが(だって何でも出てきちゃうんだもん。Youtube)最後に、クエラ・ヴェッキア・ロカンダの『Il Tempo Della Gioia』というアルバム(1974年)。イタリアの叙情派ロックの屈指の名盤なんだって。もうなんかここでの「叙情派」っていうのが「ヴォーカルがそんなに暑苦しくない」ぐらいの意味な気がしてくる。





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イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』

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その数学が戦略を決める (文春文庫)
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文藝春秋
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 タイトルだけ読むとろくでもないビジネス本のような印象を受けるのだが、中身は「絶対計算」と呼ばれる意思決定をうながすような統計学的分析の世界を紹介する大変勉強になる本。昔と違って、計算に使えそうなデータが莫大な量となり、かつ、コンピューターの発達によりその莫大な量の計算が可能なものとなってきたため、絶対計算の進歩も目覚しくなっている。その成果として、計算式によって「今年作ったワインが、ヴィンテージになったとき、どのぐらいの価値を持つか(どのぐらい美味しいか)」を導き出せたり、将来性のある野球選手のスカウトの仕方までわかってしまう、という。本書がまず紹介しているのは、こうした驚くべき事実だ。





 これにより、ワイン評論家や野球のスカウトマンの地位は失墜する。コンピューターによる計算結果のほうが、彼らの直感に基づく判断よりもずっと正解に近い確率が高いのだ。これは「直感」というものの本質が、その直感者の経験から導き出せる(バイアスがばりばりにかかっていて)なんだかよくわからない判断のことだ、ということを明らかにする。人が経験できることの数なんてタカが知れている。有名なスカウトマンが一日20人の選手を見ていたとしても、年間で365×20人。彼のスカウト人生が40年あったとしても、その40倍で29万2千人しか見れない。しかも彼は人間だから忘れてしまうし、誤解してしまうことも多い。人間の直感の基盤となる経験なんか、そんなもの。けれども、コンピューターが扱うデータは忘れられないし、存在すれば存在するだけ扱える。分析に優位な要素が発見できれば、コンピューターによる計算結果が人間の直感に勝るのは当たり前のようにも思われる。絶対計算者たちは、むちゃくちゃに強いのだ。





 こうした絶対計算の優位は、美学などにも影響を及ぼしている。ハリウッドでは脚本をコンピューターで分析して、その脚本を映画化したらどれぐらいの興行収入が生まれるのか予測する会社もあるそうだ。これには当然製作サイドも、それまでそういう予測を立ててきた予想屋の人も猛反発。「コンピューターになにがわかる!」、「コンピューターに俺が書いた脚本がわかるか!」などと批判されるのだが、算出された予想興行収入の正答率たるや、予想屋をコテンパンにするぐらい立派なものだった。この事例が浮き彫りにしているのは、人間の信頼、っていうのはホントに無根拠なものである、といったことだろうか。絶対計算の優位を実際に目をしても、ハリウッドのスタジオには大した影響は生まれなかった。ご託宣のような予想屋の直感はいまでも信じられている。





 本書では、絶対計算の恐ろしさにも触れられており(プライバシーの問題や、計算結果が間違っていてもそれがその人にとって望ましい結果であれば使われてしまう、といった問題)、フェアな紹介のされていると言えるだろう。それから訳者である山形浩生も解説で述べているとおり、統計学的の初歩の初歩の知識を最後に紹介してくれるところも素晴らしい。単なる雑学本としてでなく、本書がもつ啓蒙書としての価値がここで発揮されていると言えよう。統計分析の知識は全然広まっていない。賢いお医者さんだって統計学の知識はちんぷんかんぷんだし、新聞記者も統計をわかっていないで記事を書いている。こうした統計オンチの世のなかでは「統計? それってなんか陰謀の一派なんじゃないの?」という不信さえ生まれる、という。これは、それまで慣れ親しんできた専門家システムとは違ったシステムに対するアレルギーみたいなものだろうか(統計だって専門家システムなんだけれど)。写真を撮られると魂も抜かれる、的な。そういう江戸時代の人みたいなことは、やめましょうよ、というのが筆者の願い。上手く使えば、統計はとっても役立つんだから。





 その一例として90年代のメキシコで実施された貧困撲滅プログラム、プログレッサ計画の事例が紹介されている。メキシコという国は、大統領が変わると「これまでの政策は全部だめ!!」といって政策が全部やりなおしになっていた。効果がありそうなものでもなさそうなものでも、全部やりなおし(第一、効果があるかどうかの分析も適当だった)。当時のメキシコの大統領、ゼディロさんは貧困撲滅に本気だったので、そういう「一からやりなおし」は避けたかった。で、利用したのが無作為抽出(統計とるときに一番最初にならうアレ)で計画をテストし、計画の効果を厳密に測った。そして運良く計画は良い結果を出し「この計画は効果があるんだ!」という確固たる証拠をだした。その甲斐あって、ゼディロさんの次の大統領にも計画は引き継がれ、メキシコの貧困問題はちょっとずつ良い方向に向かっているらしい。これ、学問が政治と超うまく噛み合ってる感じが感動的だよね~。電車のなかで読んでて、ちょっと涙が出てしまいました。





 学生時代に統計学の講義は受けていたけれど、全然興味を持てずなんとか単位をもらった、という感じで卒業したのを後悔したくなる。あのときこの本に出会っていたら「ヤバい! 統計、超面白い!」と思って必死で勉強したかもしれない。それぐらい良い本です。





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PATRICIA KOPATCHINSKAJA/Rapsodia - the music of my life

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Rapsodia:: Patricia Kopatchinskaja
Ravel P Kopatchinskaja Gjakonovski Ursuleasa
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 TwitterのTLで知ったヴァイオリニスト、パトリシア・コパチンスカヤの新譜を聴く。近年はファジル・サイと共演をしたことで注目を浴びていた演奏家であるそうだが、私は全然知りませんでした。モルドヴァ生まれの33歳、ということだけれども日本版公式ホームページ*1にある写真を見ると年齢が全然分からず、とってもキュートで調べてみるまで私は10代の天才少女系の人かと思っていた。今回のアルバムは、エネスコやリゲティ、クルタークといった東欧の作曲家やその地方の民謡を主に集めた構成となっており、彼女の父親であるツィンバロン奏者、ヴィクトル・コパチンスキーや、ヴァイオリンとヴィオラで母親のエミリア・コパチンスカヤも参加している。家族ぐるみ、というとなんだかヌルそうな、嫌な予感もするのだが、お父さんが大活躍! というかお父さん、娘のアルバムで活躍しすぎ、という感じで大笑いした。ツィンバロンは東欧の楽器で、チェンバロのような弦をバチで叩いて演奏する楽器。どんなものか知らなかったが、なんかすげーぞ、これは、



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(↑お父さんが若い頃の映像)ちなみに、このアルバムに収録されているラヴェルの《ツィガーヌ》はツィンバロン伴奏によるもの。ツィガーヌとはフランス語で「ロマ」の意味だそうで、これも東欧の音楽と根深い。とにかくコンセプトが一貫したアルバムである。





 コパチンスカヤの演奏も素晴らしい。民謡の演奏では、めちゃくちゃ熱のこもった伝説的なフィドル弾きみたいな演奏を聴かせてくれるし、クルタークの《ヴァイオリンとツィンバロンのための8つのデュオ》では影のある音楽をじわじわと聴かせてくれる(彼女のこの演奏に触れてから、クルータクの作品をどういう風に聴けば良いのか、なんとなく掴めた気もした)。とにかく彼女が持つ、表現の幅が広さと、話せる言語が多彩さには驚かされたのだった。しかも現代音楽もやるし、古楽もやるし、即興もやるんだって? 気になる演奏家がまた増えてしまったじゃないか。






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Pierre-Laurent Aimard/Ravel:Piano Concertos / Miroirs

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Piano Concertos / Miroirs
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Ravel Aimard Boulez Cleveland Orchestra
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 現代音楽のスペシャリストとして知られるピアニスト、ピエール=ローラン・エマールの新譜はラヴェル。《左手のための協奏曲》と《ピアノ協奏曲》はピエール・ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団との共演(ちなみにブーレーズはこの曲をすでにツィメルマンと録音している)。この2曲はともにライヴ音源で、録音の質がライヴ感、というか非スタジオ感があるのだが、まあ上々な演奏、といったもの。いや、でもスタジオ音源でラヴェルの管弦楽法をバリバリに生かした感じの作り物っぽい音で聴いてみたかった。とくに《左手のための協奏曲》の冒頭、濃い霞がうごめくような低弦のなかからコントラ・ファゴットのソロが始まる部分などは、音量を大きくしないとちゃんと聴こえないのでちょっと困る。音がミルフィーユみたいに低音から高音まで重ねられていく様子が素晴らしいのに、この録音ではそれがいまいちはっきりしない。もちろん一定水準以上の演奏ではあるのだが、エマールにはもっと驚くような演奏を期待してしまうのだった。《ピアノ協奏曲》にしても、アルゲリッチ/アバド/ロンドン響の「名盤」がすでにある。ただ、クリーヴランド管の演奏は素晴らしく(今年は読売日本交響楽団の演奏をよく聴いていることもあって)「世界の壁は厚い・・・・・・」などと思ってしまった。





 となると、この盤で評価すべきなのは《鏡》の演奏ということになる。このピアノ曲集のなかでは「悲しげな鳥たち」「道化師の朝の歌」の演奏が特別素晴らしい。速いパッセージで綺麗に音が並ぶのが耳にはいった瞬間のテクニカルな快感も存分に味わえるし、なんといってもエマールの清潔感のあるロマンティシズムが全開になっている感じが良い。この作品は今年の来日ソロ・リサイタルでも演奏するので楽しみにしたい。



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(映像はエマール/ブーレーズ/ベルリン・フィルによる《左手のための協奏曲》、あれ、こっちのほうが良い演奏のような・・・・・・)





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STEVE REICH/Double Sextet / 2x5

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Double Sextet / 2x5
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Steve Reich
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 スティーヴ・ライヒの近作を収録した新譜。いまさらライヒの作品なんかどうせいつもと同じに決まっている! ので別に全然聴かなくてもいいのだが、ニューヨークの現代音楽アンサンブル、バン・オン・ア・カンが《2x5》(2008年の作品)という作品を演奏していたので買う(このグループ、ブライアン・イーノの『ミュージック・フォー・エアポーツ』を生演奏してたりする人たちね)。予想通り、一曲目の《Double Sextet》(2007年の作品)は「これ、何ファレント・トレインズ? これ、何クトリック・カウンターポイント?」という自己模倣的作品だったケドも、《2x5》がもう超絶カッコ良い。なんかバトルズみたいだぞ! 3楽章でまた「何ファレント・トレインズ?」な感じになるけども、ライヒ(笑)感から、ギクシャクしたポストパンクっぽいエレクトリック・ギターのフレーズが登場してくる瞬間もまた良い。こんなカッコ良くなってんのか、ライヒ。超クールだぜ! と思った。是非、こういう路線を維持してですね、大規模作品に取り組んだりしないで欲しい(退屈だから)。



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HELENE GRIMAUD/Resonaces

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Resonance
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Helene Grimaud
Deutsche Grammophon (2010-10-25)
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 「美しすぎるピアニスト」を名乗る人がもし日本の音楽界に出現したならば、「オヌシはエレーヌ・グリモー様に匹敵するほど美しいのか?」と問い詰めたくなるでしょう。この美貌を誇りつつ、野生の狼を保護する活動に勤しんでいるというリアル森ガールっていうのもまたツボなんですが・・・・・・というのは、このジャケットを見たらやっぱり、手に取っちゃうし買っちゃいますよね、っていう自分へのエクスキューズ。「レゾナンス(共鳴)」と題された今回の新譜は、ヴィーンにちなんだ作曲家、モーツァルト、ベルク、リスト、バルトークがとりあげられています(バルトークが選ばれてるのはオーストリア-ハンガリー帝国時代に生まれた人だったから、というちょっと強引な理由ですが)。





 冒頭のモーツァルトから、すごい独特なアコーギクに驚かされるのですが、聴いていると彼女の世界観に耳が馴染んでくる。こういうのはちょっと内田光子のピアノを聴いている感覚と似ているかもしれません。作曲家の前に、演奏家の世界が立ってくるような音楽。この世界を一言で表現してみるならば「澄み切った感性」というのが適切かもしれません。ルバートを多用しながらもそれがまったくしつこく聴こえない。しかし、神秘あるいは耽美に深くはまりこんでいく感じとも違う。音楽はユレているのに、すごい芯を感じます。





 とくに素晴らしいのは、リストの大曲、ロ短調ソナタの緩徐的な箇所。嵐のような強奏からここにたどり着くと、目の前が明るくなるような錯覚さえある。アルバムの構成もこの大曲のあとに、バルトークの小品《ルーマニア民俗舞曲》で締められるところも素晴らしいです。これもまたハッとさせられる。



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 ユニバーサル・ミュージック・フランスの公式トレイラー映像。Youtubeには彼女が今回のアルバムについて語る映像もいくつかあげられています。フランス語なので私にはわかりません!





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「石版!」で面白かった記事を教えてください

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 さて、本日でこのブログに記事が投稿された日付が985日となっております。1日に複数のエントリをあげたりしておりますので、おそらくすでに1000個以上のエントリがあるんでしょうね。もう4年以上このURLでブログを続けており、私がインターネットを始めたのが98年ぐらいですから、かれこれインターネット暦の1/3以上をこのブログ運営に費やしている。これだけ書いていると。自分でなにを書いていたか覚えていません。ですから、twitter上で「ユーのブログで、あの記事が特別面白かったよ!」というのがあったら教えてください、というお願いをしました。本日は、すでに寄せられた返信を紹介します。





@nubaotoroさんがセレクトした「石版!」


マクドナルドの笑顔;表情という普遍言語の発見 - 「石版!」


 こちらは私が同人誌デビューを果たしたときに書いたものを転載したエントリ。ジョーンズ・A・ワートはずっと昔に使っていた私のペンネームのひとつでした。このエントリは@hey11popさんもお気に入りだそうです。





@matsukazutoさんがセレクトした「石版!」


21世紀のノスタルジックマン - 「石版!」


 こちらは「なんか創作とかできそうな気がしたぞ、今なら」と一気に書き上げた小品です。この頃から「東北のボルヘス」を志向していたんじゃないか、というのを読み直して考えました。





@yopt2yoyoさんがセレクトした「石版!」


誕生日 - 「石版!」


錣山親方が好きすぎて - 「石版!」


イエイツの『記憶術』を読む(全11回) - 「石版!」


 渋いラインナップです。「ひとりぼっちの読書会」シリーズは、ホントに誰に向けて書いてるのかよくわからないので、読んでくれる人がいるととても嬉しいです。





@adamtakahashiさんがセレクトした「石版!」


Th.W.アドルノ『新音楽の哲学』 - 「石版!」


 オランダからはまだアドルノを読んでいた頃のエントリが選ばれています。adamtakahashiさんと連絡を取るようになってからもかなり長いですけれども、どうしてこんなに気にかけてくれるのか、自分では今ひとつわかっていなかったりする(adamさんは、物分りが悪い私にいろんなことを説明してくれる、指導者のような方です)。





 意外に、返事が返ってきて嬉しい限り。コメントでもメールでもなんでも良いので、みなさんから集まった意見で「石版!」ベストができたら嬉しいなあ、と思います。





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本秀康『レコスケくん COMPLETE EDITION』

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レコスケくん COMPLETE EDITION
本 秀康
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 本屋さんで手にとって「そういえば、俺のジョージ・ハリスン好きはこの漫画から始まったのかもしれないなあ~」と懐かしくなって買う(そういえば、学年が4つ離れた弟もジョージ好きだったっけ。弟の『All Things Must Pass』借りっぱなしになっているな・・・・・・)。装丁がユニバーサルのデラックス・エディションのパッケージのパロディになっているのがニクいですし、レコード・コレクターの日常や性格というものが垣間見える素敵なマンガだと思う。レコード・コレクターと音楽マニアというのが微妙に違うな、っていうのも自覚させてくれる本でもある(同じように、音楽マニアとオーディオマニアもちょっと違うのだ)。こういうのは音楽にどっぷりアディクトしている人じゃないとわからないかもしれない。けれども少なくとも自分はレコード・コレクターにはなれないなあ、と思ったりした。モノへのフェッティシュな愛情が結構薄いから。





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西成活裕『渋滞学』

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渋滞学 (新潮選書)
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西成 活裕
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 このところ連休前などの道路が混みそうな時になると必ずニュース番組でコメントを求められている人がいる。それが本書を書いた東大の西成先生で、がっちりとしたスポーツマン風の体格で鼻と口のあいだにヒゲを生やした、男性ホルモンが濃さそうなメガネの先生の顔を覚えている人も多いと思う(なんでも大学時代はラグビーをやっていたんだそうな)。テレビ画面に映った西成先生は「気がつかないような上り坂が自然渋滞の原因だ」という。その説明は、とってもクリアで、私は「えー、ほんとなのかよ、なんかわかりやすすぎてあやしくない?」と前から気になっていた。本屋でこの本を見つけて読もうと思ったのは、そんな理由がある。





 で、読んでみたんだけれど、これはものすごく面白かった! 出版されたのは2006年、調べてみたらこの本で西成先生は、出版業界の賞を2つも取っていた。それも納得のすごい本だ。内容ももちろん、素晴らしいのだがとにかく文章が簡潔で、おそろしくわかりやすい。「難しいことをわかりやすく説明していますよ」という変な媚び方がないのも好感が持てる。西成先生はすでに何冊も一般向けの本を書いていらっしゃるのだが、これはテーマの面白さだけでなく、その見習いたくなるような文章力にあるのではないか、と思う。





 内容はタイトルの通り「渋滞はなぜ起こるのか、どうすれば解決できるのか」ということに取り組む新しい学問「渋滞学」の紹介になる。西成先生は国際的かつ分野横断的な研究グループを組んで、渋滞のメカニズムの解明に取り組んでいるのだ。渋滞といっても人混み、車、通信と幅は広い。我々の世界には、あらゆるところに渋滞が潜んでいる、と言っても良いぐらいだ。そしてこれらは基本的には良いものとは考えられていない。運送業だったら車の燃料や時間など無駄なコストが発生させる元凶だし、駅が混雑して歩きにくくなってたらイライラするだろう。その研究に取り組むのは、世の中のためになるとても重要な研究のように思える。お盆や正月の高速道路の渋滞が少しでも緩和されるのならば、素晴らしいじゃないか。





 しかし、渋滞を解明するのは困難だ。いまのところ、何せ動いているのは人間だったり、車だったりするわけで、ニュートン物理学の原則によって扱えるようなものではない。意思や性格などによってそれぞれ振る舞い方が変わったりする。こうした複雑なものを渋滞学では、まず簡単なモデルを使ったシミュレーションによって捉えていく。計算に用いられるモデルは日夜改良が加えられ、研究グループのあいだでは「基礎研究が終わった段階」にまできてるらしい。すごいぞ! 複雑なものごとの振る舞いを、理解可能なものへとなんとか落とし込もうとする過程は感動的でさえある。





 最終章では、昨今の理系の分野における大学教育の問題にまで触れられていて、どんだけ射程範囲が広い本なのだ! と思ってしまうのだが、西成先生の主張「最近の学問はお互い独立しすぎ。理学と工学が手を結んだだけではダメ、理学と工学がひとりの頭のなかに入ってるような人材を育てないと、今後の科学は発展しない!(分野横断的な渋滞学はその嚆矢なのでR。大意)」というのも、力強くてカッコ良い。なんか将来有望な理系学生でもないのだが、励まされたような気分になる。将来理系に進みたい高校生にオススメしたいかもしれない(まずは学校の先生が読むべきですね)。実用的な知識もところどころ含まれている。「知識は人を助ける」。西成先生のこの言葉もすごく良いな、と思いました。知識は人を助ける!(毎朝大声で叫んでから玄関を飛び出したりしたい)





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読売日本交響楽団第497回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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曲目


指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ


シューベルト/交響曲第7番《未完成》


ブルックナー/交響曲第7番



 10月の読響定期は桂冠名誉指揮者、スクロヴァチェフスキが登場。前売りだけでチケットが完売・・・・・・と御歳87歳の指揮者の人気がこれほど高いのをみるにつけ、まるでこの国が儒教の国になったかのような錯覚をいだきさえするのだが(最初に指揮台にあがっただけでブラボーが出そうな音量の拍手が巻き起こる!)、今年の3月に常任指揮者としては最期に演奏したブルックナーの交響曲第8番の記憶が強く残っていて、個人的にも楽しみな演奏会でした。しかし、結果はうーん・・・・・・というもので残念。もちろん悪い演奏ではなかったのですが、普通・・・・・・という感じ。スクロヴァチェフスキのブルックナーを聴いたら、また泣いてしまうのではないか、という予感、そして期待が強すぎたか。オケのせいなのか、自分のせいなのか分からないけれど、今日のブルックナーはちょっと退屈なぐらいでした。





 ここまでハマれなかった理由を全部オケのせいにしてしまうと、今日のブルックナーでは、音楽へと没入するのを妨げるような「いかがなものか」と言った部分が序盤か目立っていたように思います。読響のホルンってこんなものだっけ・・・・・・? と。あとクラリネットの音色もちょっとささくれ立っててヤでした。今日のブルックナーの出来であれば、前プロのシューベルトのほうが良かったです。なんかサラーッと演奏している感じがしたんですけれど、演奏にも集中力を感じましたし、音楽も実にクリアな感じ。もうクリア過ぎて普通! なんですけれども、良かった。デモーニッシュなところがひとつもない。でも、そこが良い。正直、いつも前プロからこの水準で演奏してくれよ、と。





 そういえば本日の演奏会では「拍手は指揮者がタクトを下ろしてからしてください」というアナウンスが入っていました。フライング・ブラボーに対してスクロヴァチェフスキが説教をおこなった、とか、フラブラした客とその近くにいた客がケンカになった、とかいう話を小耳に挟んだことがありますが、おそらくこのアナウンスもフラブラ対策なんでしょう。よっぽど嫌だったんだな・・・・・・(私も嫌だなあと思いますけれど)。





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「シャガール―ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」展 @東京芸術大学大学美術館

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 シャガール展、最終日に行ってまいりました。午前中の早い時間から入場制限がかかるほどの大盛況ぶりで、この画家の人気の高さが伺えるのですが、展示内容は結構量が少なくてちょっと物足りなかったかもしれません。「ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」というタイトルに打ち出されている主題もよくわからなかった……。マレーヴィチやらカンディンスキーといった前衛の大物たちと交流はあったけれど、それによってシャガールの絵の主題的なところが大きな変化があったか? というところは今回の展示ではわからず、むしろ、シャガールは一貫してプライベートな事柄にフォーカスを当てた画家だったのでは、という風に感じました。フィドル弾きであったり、六芒星であったり、ユダヤ的なモチーフが彼の絵画に登場するのは、彼のユダヤ人としての出自を強く印象付けるものでありますし、また、幻影のなかに描かれたような故郷の風景も、生まれた場所への帰還することに対する憧憬を感じさせる。その憧憬も、言ってみればユダヤ的、と言えるのか。いや、わかりませんけれど、とにかくシャガールの絵には彼の生まれに強く関係づけられた言語があるように思いました。そこが良かった。最近、友川かずきを聴きなおしていて、彼の歌の「訛り」にそういった出自から逃れられないこと、生まれがもたらす宿命みたいなものの強さについて考えていたんですが、シャガールについても同じことが言えるのかもしれない。



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(友川かずき「歩道橋」。これ、完全にピンク・フロイドだよなあ……)





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DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN @日比谷野外音楽堂

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DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN
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 強い雨のなか雨合羽を着て日比谷野外音楽堂に集う観客(自分を含む)の姿になにがしかの宗教行為を待ち続ける信者の姿が重なって見え(復活を待ち望む、という意味を含めて)たりもし「このクソ寒いなか、音楽を聴こうとしている俺らってホント物好きだよな……」などと友人に言ったりもしたのですが、行ってきました。DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN。すげー良かったです。やはりDCPRGは偉大なファンク・オーケストラであり、日本のジャズ系のオーケストラでは熱帯JAZZ楽団しか知らなかった私にとって特別なバンドとなっているのだな、と思いました。「ジャングル・クルーズにうってつけの日」で、音量が爆発的に大きくなった瞬間、うわー、きたぞ、これは、と感激し、こうした瞬間にブルックナーなら号泣してしまうんですけれども、このバンドだと顔面が崩壊するほど笑ってしまいます。





 ジャズの人が自分のバンドに若い人を向かいいれること、これってひとつの伝統みたいなものだと思うのですが(マイルスもそうでしたし、まあ、メンバーが有名になっていくとギャラがあがったり、スケジュールがとれなくなったり、とバンドの運営が難しくなる、という事情もあるのでしょう)それに則って、今回の復活ではリズム隊を総入れ替えがおこなわれている。印象、ですけれども左右のドラムは前と違って、どちらかが偶数拍子をはっきりと提示して、どちらかが奇数拍子をはっきりと提示する、といったものではなく、両方とも非常に手数をめちゃくちゃに増やしながら別々のリズムを演奏していた、ように思われました。これがひとつの液状化現象みたいな感じに響いていて、とても気持ちよかったです。前よりもカオス。ポリリズムによって生まれるズレの単位が細かすぎて、クラスター化してる、っつーか。この感じ、どんどん良くなるんだろうなあー、ということで次のライヴ、次のアルバムに期待したくなりました。京都公演にいく方、期待して良いとおもいますよ!





 個人的なハイライトとしては、坪口昌恭が赤いショルキーを持って登場し、ジミヘン化した小室哲哉(あるいはヴァン・ヘイレン化したヤン・ハマー)的なパフォーマンスを見せてくれたところ。もちろん、ここで爆笑。あと、リッチー・フローレスも驚異的でした。それからアンコールの「Mirror Ball」のときに、前の席で観ていた男女のカップルが、合羽を脱ぎ捨てて踊りはじめたのも良かった。まだ雨降ってたのに。でも、セクシーだ、と思った。そういうのって、楽しそうじゃん、なんかそれが目に入った瞬間、ああ、音楽って偉大、って思って愛とかそういう恥ずかしい言葉を叫びたくなったよ。で「アイツら、このあとガンガンにセックスするんだろうなー、近くにホテルとかとってんだよ、絶対」とか言いつつ、私は友人たちと飲みに行きました。





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大友良英+高田漣/BOW

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[ototoy] 特集: DSD配信開始! 大友良英+高田漣


 大友良英と高田漣という個性的なミュージシャンが共演した音源がOTOTOYという音楽配信サイトで販売されています。こちらは『サウンド&レコーディング・マガジン』とのコラボレーション企画だそうで、DSD方式で録音された音源、というのがひとつのトピックとなっています(シリーズ化されていて現時点で第四弾まで出ている模様)。「DSD? それって普通のCDとはどうちがうの?」という点に関しての詳細は各自ググッていただくとして、CDやDVDの記録方式と比べるとサンプリング周波数が圧倒的な密度になっているから、なんかスゴいらしいぞ! という風に覚えておくと「これはスゴいんだ!」というありがたい気持ちになるかと思います。しかし、我が家ではDSDの再生機器がありませんので、DSDデータに同梱されているMP3で聴くしかない……という。これは誠に残念なことでありますが、PS3でも再生できるそうですのでどなたか感想を聴かせてください。ちなみに普通のCD(44.1kHz)よりも高密度でマスタリングされたWAV形式(48kHz)での配信もあるそうです。価格はどちらも1000円。あくまで「レコーディング企画」ということで、時間をかけて作られたフルアルバムにあるようなしゃちほこばった感じはないのですが、購入して損はしない商品だと思います。





 収録されているのはインスト曲が3曲と、高田漣と大友良英がそれぞれヴォーカルを取った歌モノが2曲。これが大友良英のヴォーカル録音が流通する初の試み、というのがまた注目すべき点でしょう。高田漣の声質に、彼の父親の存在が精霊じみたものみたいに影を落としていることを確認でき、その「血の強さ」も感動的なのですが、大友のヴォーカルにもものすごい魅力がある。こんな秘密兵器を隠し持っていたのか、このギタリストは……! と驚かされました。失礼ながらテクニックがあるわけではない。でも、丁寧に言葉が音が紡がれる。そこにはなにか親密な温度がこめられる。そこがとても良い。何度か聴いていて、この歌声と彼のアコースティック・ギターによるソロの魅力にはなにか通ずるものあるように思われました。10年ぐらい前に『ギター・マガジン』でジョージ・ハリスンの追悼企画がされていて、そこに誰かが「ジョージのスライドのヴィブラートは、ヴォーカルのヴィブラートと同じ」と書いていたこともそのとき思い出しました。インスト曲では「街の灯」とタイトル曲となっている「BOW」で、EBow(電気の力でエレキ・ギターの弦を振動させ、持続音を生み出す機器)が大きくフューチャーされており、気持ちが穏やかになるようなアンビエンスを展開。メランコリーとアンニュイのあいまをふらふらしながら、暗い部屋で気持ちを沈潜させていきたくなるような音世界です。





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アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品『エル・トポ』

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 会社の方に誘われて観にいきました。「寺山修司やジョン・レノンが絶賛した伝説的カルト映画」という煽り文句が仰々しく、諸刃の剣的に妖しく光っており、ドキドキしながら観にいったのですが、すごい映画だったので観にいって良かったです。こういう映画に出会うと、おそらく当然のようにこうした作品を観ているであろうシネフィルの方々がうらやましくなりますね(あなた方はこんな面白いモノを観てきたのか! そういうのもうちょっと優しく教えてよ! と)。畸形や動物の死体が画面に大写しにされるところには「40年前」の荒々しさや、おおらかさを感じ、圧倒されましたし、聖書を暗示するエピソードやシーンがさまざまにカットアップされ、結果としてチベット密教みたいな輪廻の話になるのがすごい! 『エル・トポ』の大部分は砂漠のなかで撮影されています。この不毛地帯を彷徨う主人公の姿が、旧約聖書のイメージと重なりますし、神のごとき主人公によって救われた世界が堕落するのは『ヨシュア記』から『士師記』の流れを想起させます。こうした映画のなかに埋め込まれたようにみえるイメージの数々はいかようにも掘り起こせましょう。だから好き勝手あれこれ解釈したら良い。ぶっちゃけたところ荒唐無稽な話だと思いますし、こうした錯覚に近い解釈が生まれなければとても観きれる映画ではないかもしれません。しかし、言うまでもなくこの「解釈」を可能とさせているのが強烈な映像に他ならず、これが地球で撮影されたものとは信じられないようなすごい風景も見ものです。砂漠のなかで、つぎつぎにウサギが大量死するシーンなど、私が目指したい美しすぎる悪夢的情景だったかもしれません。なお、学生時代にこの作品を観て度肝を抜かれた、という会社の方によれば「今回のデジタル・リマスターで、別の映画みたいに見えるぐらいキレイな色になっている」とのことでした。



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集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#9 ビオイ=カサーレス『日向で眠れ』『豚の戦記』

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 すこし間があいてしまいましたが「ラテンアメリカの文学」シリーズ全巻読破を忘れたわけではございません。9巻に収録されているのはアドルフォ・ビオイ=カサーレス(1914-1999)の中篇を2つ『日向で眠れ』、『豚の戦記』。このアルゼンチンの作家については、ボルヘスの共作者としての面が知られており、この本が刊行された1983年時点での邦訳はこれと、ボルヘスとの共作である『ブストス=ドメックのクロニクル』のみだったようです。それから邦訳の刊行はゆっくりと進んでいるようですが「もっと広く、もっとスピーディーに紹介されてほしい」「他の作品を読んでみたい」という気持ちを抱かせる素晴らしい小説でした。





 2つの作品を読んで、乱暴な分類をしておくとビオイ=カサーレスは「非マジックリアリズム系」の作家のように思われます。幻想的あるいは悪夢的な情景は彼の小説世界では描かれない。文体は端正で、無駄がなく、ボルヘスとは正反対のところに位置づけられそうな「正統派リアリズム系」のもの。ビオイ=カサーレスの世界とはあくまで我々の日常と地続きなもののように感じられます。主人公たちもかなり「凡庸な男」といった風情がある。しかし、彼の世界にはどこか穴が隠されていて、読み手はいつのまにかその穴に吸い込まれてしまうのです。この読者がいる世界を移動させるようなテクニックがとても巧みだと思いました。





 『日向で眠れ』は、主人公ボルデナーベが古い友人に出した書簡、という形式ではじまります。ボルデナーベは、銀行に勤めていたのですがスト活動にいやいやながら参加したおかげで職を失い、路地裏で時計の修理工を営むようになった不運な男。彼の不運は、それだけではなく底意地の悪い親戚の老婆が下女として家に寝泊まりしているうえに、奥さんは少々頭がおかしい、ときている。この奥さん、美人で料理は上手なんですが鉄格子がついている病院に2度も入院したことがある、といういわくつきなうえ、義父や義姉も性格にかなり問題があったりと散々です。奥さんの病気がよくなるわけがないし、ボルデナーベも精神的にかなり参ってきている。





 彼の精神が限界に達したとき、奥さんは再度入院とあいなります。この奥さん不在のあいだに、また義父にキレられたり、義姉(美人な妹に嫉妬しつづけていた未亡人!)に言い寄られたりとろくな目にあわない。奥さんの不在のあいだに安らぐはずであったボルデナーベの精神は再度不安定になっていきます。またもや彼の精神が限界に達したとき(このときのキワキワな描写が怖い!)奥さんは無事もどってきます。これで一件落着かと思いきや……「あまりにも『病気』がよく治りすぎている。まるで別人のようだ。っていうか別人なんじゃないの?」という疑いがではじめる。妻はどんな治療を受けたのか……? 物語の最後には、その恐るべき治療の全貌が明らかにされ……というサスペンスっぽい小説でした。





 個人的には2本目に収録されている『豚の戦記』のほうが好みです。こちらも主人公はイシドーロ・ビダルという平凡なオッサンです。妻が息子を残して蒸発した、という悲しい過去を持ちながらも、年金をあてにしつつ、若い頃からの友人たちとカード遊びをして穏やかに暮らしていた彼でしたが、アルゼンチン国内で若者が無差別に老人を殺害する、という事件が連続して彼を取り巻く環境は一変します。この老人の無差別殺害事件は次第に組織的暴力に変容し、老人は若者たちから「豚」と呼ばれて、暴力に怯えながら暮らす羽目に陥ります。エネルギーと衝動で突き進む若者を前に、老人たちは隠れ、逃げ惑うしかない。





 そのような最中、ビダルの友人たちは毅然として立ち向かう……のではなく、人間の汚い部分を存分に発揮しながら、逃げ惑いまくる、というのが良かったです。もともとビダルの友人たちへ影を落としていた「老いの醜さ」は、異常な状況下でオーバードライブされ、より一層、醜悪なものとして描写されます。色欲、利己欲、食欲……さまざまな悪徳が老人たちから噴出する。このあたりにビオイ=カサーレスの上手さがあるように思いました。当初、そんな友人たちを軽蔑するビダルでしたが、彼もその例に漏れない。ビダルの場合、彼のもとに訪れたある幸福に強い執着をみせます。そこで彼は「これに執着すれば、老いの醜悪さに感染してしまう。友人たちと同じになってしまう」と自問する。さまざまな大きな代償を払いながら、異常事態が日常へと収束していく物語の進行も素晴らしかったです。





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たけみた先生の翻訳によるルーマン『目的概念とシステム合理性』序論:行為とシステムを読んだよ!

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序論:行為とシステム |『目的概念とシステム合理性』 - たけみたの脱社会学日記

 id:takemitaさんによるルーマン私訳シリーズに『目的概念とシステム合理性』という著作の「序論」が加わっています。こちらはすでに日本のルーマン翻訳業界の第一人者である馬場靖雄先生たちによる翻訳が刊行済み。「読み比べ推奨!」とのことでした(勁草書房のルーマン本は装丁がカッコ良いなあ)。こちらは副題にあるとおり「社会システムにおける目的の機能」を検討した作品で、この副題を見る限りなんだか小難しい雰囲気がしますし、実際「序論」からかなり小難しいお話が続くんですけれど、読むための前提知識がたくさん必要なようには思われず、「目的」というものが思想のなかでどんな風に扱われてきたか、という思想史的なアプローチもおこなわれているようで面白そうです(ただしそれは『思想史を過去へときちんと葬り去ってやる』ためにおこなわれるらしい)。



目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について
馬場 靖雄 上村 隆広 ニクラス・ルーマン Niklas Luhmann
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 その思想史的なアプローチは「序論」からすでにはじまっています。お話はアリストテレスまでさかのぼる。このブログでもなんどかアリストテレスが世界をどのように捉えていたか、についてはちょいちょいと触れてきましたが基本的には「どんなものにも目的が存在してるんだよ」と考えてよいかと思います(超乱暴なマトメですが)。こういう風にアリストテレスが考えたのは、「運動」と「実体」というふたつの概念のあいだにあるディレンマを解消するためだった、とルーマンは言います。運動は、それ自体として表現することはできない。でもそうなると「存在者の存在は永続的である、つまり存在者が存在しなくなることはない、という存在論の前提が破綻してしまう」。だから、運動の本質に「目的」をおき、その目的の存在によって運動を表現可能とした、というわけです。これが伝統的な行為論における目的概念の機能でした。こういう考え方が、その後に長いあいだ自明視されてしまったため、「それを疑問視するような態度はまともな研究とはみなされず、ただの誤りとして否定」されていたそうです。




 こうしたお話をしたあと、ルーマンはちょっとした脱線をします。すぐに閑話休題、という感じで話を元に戻すんだけれども、この脱線はとっても面白かったです。リンク先にいくのもダルい方々のために、一段落まるまる引用しておきます。


西洋的な思考の原点にさかのぼり、そこから始まる思考伝統をたどること。今日の科学的研究なら、これが自由にできる。今日の科学は、一切の哲学的問いから完全に遮断されているからだ。ところが、その遮断されているということが、また再び研究の自由を奪う。科学が哲学とのあいだに不透過境界をつくったのは、もともとは、伝統の過剰な圧力から研究の自由を守るためだったはずだ。ところが、その伝統の力が壊滅してしまった今日においては、それが反省を封じる足枷となり、そのせいで科学の視野狭窄が起こり、かつての哲学思考に対するあまりに狭隘な解釈すら珍しくない、という有様になっている。そのせいで、科学的研究で用いられる基礎概念や問題設定は、かつての哲学的伝統からすれば枝葉の、その研究分野でしか通用しない、かつ最後まで考え抜かれていない浅薄なものとなり果てている。要するに、今日の我々を取り巻く状況は、かつてとは反対なのだ。だとすれば、存在論的伝統への指向は、よく引用される思想財を単に継承するというのではなく、適切な距離をとり、伝統との対話という形で行われるのであれば、それは自由の獲得を意味しうるはずなのだ。


 「科学的研究で用いられる基礎概念や問題設定は、かつての哲学的伝統からすれば枝葉の、その研究分野でしか通用しない、かつ最後まで考え抜かれていない浅薄なものとなり果てている。」 これ特に良いフレーズですね。




 で、目的概念の話もどりますが、伝統的な行為論はもう使いものにならんよね、というのがルーマンの分析。伝統的な行為論のなかでは、目的っていうのは実現すべき価値で、それ即ち真理だったわけ。でも、そういう前提は時代が下るとなくなってしまったんだって。科学の時代においては、目的っつーのは真理じゃない。「真理でありえないものが、科学の基礎となるわけにはいかない」らしいです。そういう時代において、目的はどのように捉えられたか。ルーマンが言うところによれば、それは「主観的な態度」として捉えられました。


これはこういう理屈である。まず、なにかが真理であるためには、「機械論」的な因果関係のなかに組み込まれていなければならない。次に、目的をその因果関係のなかに組み込むには、目的は未来ではなく現在に存在するものと考える必要がある。そして、目的が現在に存在すると考えるには、目的とは主体による表象のことだ、と考えるしかない。こうして、目的とは現在に存在する表象であり、それが未来に起こる出来事の原因となる、と考えられるようになったわけだ。つまり目的とは未来の状態である、などといっていたのでは、目的から真理としての資格が失われてしまうために、そうではなく、目的とは行為主体が未来に対する自分の態度を決定するための、その主体に固有の観点である、というようにいわれるようになったわけだ。


 このへんはとても話がややこしく感じるところ。こうした考えのもとでは、行為をおこなう人は自分で価値基準を作り上げて、目的を設定し、それ以外の結果はどうでもいいもの、として中立化されるんだって。そして、目的があって、行為があるのではなくて、行為(システム)がすでに存在していて、それが目的を設定する――という構図がそのとき考えられる。「選択する主体というものの地位は上昇し、もはや目的に束縛されるものではなくなった」というわけですね。実存主義になると、主体の選択というのがなんらかの合理性を超越したもの、と捉えられる(主体の選択は正しい! みたいな感じ?)。しかし、こうなってくると社会というのは複雑になっていくよね。俺が選択する主体なら、アイツも選択する主体なわけで「アイツはこうするだろう」という予測が絶対じゃなくなってしまう。それにもう、なにをしたら合理的な選択なのか、というのがあらかじめ決まっているとも考えられなくなってしまう。そうなってくると、合理性の概念も所属しているカテゴリも変わってくるよねー、云々……といったところで「序論」はおしまいになります。続きは、ピンチョン全集やラテンアメリカ文学などの積読が片付いたらちょっと読んでみたい、と思いました。そういえば


今後の私訳公開予定。1. 社会的システム理論としての社会学,2. ルーティン礼讃,3. 機能的方法とシステム理論,4. 真理とイデオロギー,5. 比較行政学の展望,6. 機能と因果,7. 目的・支配・システム,8. 行政行為は経済的にできるか,という感じかな。

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 こんな話も。楽しみですね!!

 




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勉強している資格情報についてまとめるブログをはじめました!

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自由・勉強・労働


 すでにtwitterなどでは告知しておりますが、勉強している資格の情報についてまとめるブログをはじめました! このブログは、私が勉強している資格をこれから勉強する人に読まれることを想定して書いており、それ以外の方々にはまったく意味がないであろうものではございますが、無関係な方々にも「ああ、この人は勉強を頑張っているな、感心感心」と温かい気持ちになっていただくとともに「チミはホンツに頑張ってるからな、ホラ、おこづかいをあげよう」と3000円をティッシュにくるんで握らせてくれないだろうか、と思っています。





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