『Newton』8月号「大宇宙 宇宙はどれほど広いのか 宇の章」はスケールが大きすぎて恐くなる

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Newton (ニュートン) 2011年 08月号 [雑誌]

ニュートンプレス (2011-06-25)



毎日スラッシュドットとかをチェックしながら毎月『Newton』を読んでいると、ネットの速度で入ってくる科学関連のニュースを2ヶ月遅れぐらいで『Newton』で深く解説してもらえるという事象に出くわすことがあり、そういうのが楽しくて読むのがやめられなくなってきます。「陶酔しない大麻」の実験にマウスで成功したり、一般相対性理論が提唱する「時空のひきずり効果」を実証するようなデータがとれたり、科学ニュースはにぎやかで良いですね。大特集は宇宙の広さについてですが、震災関連の記事も忘れられていません。今月号には3月11日の地震での海底の動きの更なる分析結果や、地震計の仕組み、また事故がおきた原発を廃炉するにはどのように仕事を進めなくてはならないのかを解説する記事がありました。





原発の事故処理は連日ニュースで報じられていますが、今回の記事は現場でのリアルタイムな対応のほかに今後の長期的な対応について詳しく、現場で作業をおこなう他にバックグラウンドでは様々な準備・研究・開発がおこなわなければならないことがわかります。事件は現場でばかり起きるわけではない、というか。スリーマイル島の事故でも、溶けただした核燃料を取り出しはじめてから、完了までに5年かかかっている。だいたい取り出しがはじまるまでに6年かかっているというのだから、まだバタバタしっぱなしの福島の状況がいつ次のフェーズに入るのか。もしかしたら、今いらっしゃる政治家の責任ある方々、電力会社の責任ある方々、社会の責任ある我々の一部は「次のフェーズ」に入るのを見届けられずに、一生を終えてしまうのかもしれません。とはいえ、科学の力は侮れません。活気的な除染技術とか冷却技術とかでてきたりしないかな、と期待してしまうのです。『Newton』ファンとしては。





さて今回の大特集ですが、30周年記念の2号連続大特集の第1弾「大宇宙 宇宙はどれほど広いのか 宇の章」(次号が『宙の章』)です。なにやら「宇」という漢字には「空間的な広がり」という意味があるらしく、広大な宇宙についてこれでもかと解説されています。ハッブル宇宙望遠鏡によって撮影された幻想的としか言いようがない天体写真も見ものですが、あまりにスケールが多すぎて、自分の存在がどんどん小さく思われ、終いには背筋に寒気が走りそうでした。



望遠鏡は、宇宙のタイムマシンです。遠くの宇宙を見るということは、過去の宇宙を見ることと同じなのです。したがって、「132億光年のかなたにある銀河」とは、「132億年も昔の銀河」にほかなりません。(P.84)



くはっ、痺れるようなキラー・フレーズ! この宇宙は137億年前に誕生したということですが、それを考えると地球から137億光年以上はなれた天体が放つ光は、まだ到達していない……というか、その辺の光は137億年前に放たれた光なので宇宙の状態が今と違っていて、光がまっすぐ飛ばず絶対に観測できないんだって……(この光の乱れが、宇宙背景放射といわれる電波として観測されるらしい)。





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読売日本交響楽団第505回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮:パオロ・カリニャーニ


ピアノ:辻井伸行


《オール・ベートーヴェン・プログラム》


ベートーヴェン/歌劇〈フィデリオ〉序曲


ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73〈皇帝〉


ベートーヴェン/交響曲 第6番 へ長調 作品68〈田園〉



音楽を聴く生活のなかで、ベートーヴェンの音楽を聴くことなんかめっきり少なくなってしまった今日この頃(MPBばかり聴いていたので)、こうして生でベートーヴェンの音楽に触れると改めて「ああ、ベートーヴェン、素晴らしい曲書いているな」と思わされてしまいます。言わずもがなの《楽聖》であるゆえに、良い曲を書いているのは当然、それは申し上げる必要もないことに属するかもしれません。しかし、そうした改めてこの音楽の価値を知らしめてくれるようなクオリティのライヴに出会える幸福をまず噛み締めなくてはならないでしょう。力強い音楽に心を揺らされてしまいました。





この日のマエストロ、パオロ・カリニャーニは、世界各地の歌劇場で活躍しているイタリア出身の指揮者。彼の演奏を聴くのはこれが初めてでしたが「世界には自分の知らない良い指揮者がたくさんいるのねえ」と感じいってしまうほど良い音楽の作り手です。カリニャーニは指揮台へと駆けるようにして現れ、ずいぶん勢いがある人だな、と思いましたけれど、そこで始められた《フィデリオ》は、シャープだが決して痩せてはおらず、それでいてとても情感豊かな音楽で。そのイメージはカリニャーニの颯爽とした姿と重なります。純ドイツ系の濃厚な音を響かせる読響のトーンもいつもとはちょっと違って聴こえました。なるほど、このオーケストラはこんな音も出せるのか、と感心しましたし、そういう一面を引き出す指揮者の手腕にも魅せられます。





中プロは辻井伸行のピアノで《皇帝》を。今この文章を書いているとき、すでにネットで公開されている彼に対する悪評を読んでしまって、自分の感想が書きにくいのですが、私はそんなに酷い、とは思いませんでした。彼のピアノを聴くのも初めての経験で、フジコ・ヘミングとか宮本文昭の娘さんとかそういう人たちと同じジャンルの人だと思っていたので、まったく期待してなかったのが逆に良かったのかな。もっと酷いのかと思ったら、まあ、大きな破綻もなく、かと言って大きな聴きどころもなく……。冒頭のピアノの独奏部分から「テンポ早っ」と驚きましたが、若い演奏家ならああいう演奏も許されるような気もします。満員の会場もひとえに彼のおかげでしょうし、年に一度ぐらい話題の人を呼ぶのも良いのでは? オーケストラとピアノの温度差が気になり、退屈もしたけれど「またどこかで会ったら、次はもっと良い演奏を聴かせてね」と声をかけたくなりました。アンコールの《テンペスト》3楽章のほうがまだ聴けた。





で、メインの《田園》。これはもう素晴らしかった。有名な第1楽章の冒頭からものすごいカンタービレで、今あの瞬間の残響を思い出すだけで、ちょっとシビれが走るぐらいの歌い込みでしたが、それでも少しも音楽がクドクドしくならない。そこに極上のバランス感覚を見せつけられました。3楽章の低弦のアッチェルランドもものすごいドライヴ感で半笑いになったり、どの部分を切り出しても聴きどころしかない。また、この人のタクトで読響の演奏を聴かせて欲しいと心底思いました。





今シーズンの読響はホントに素晴らしいね。昨シーズンは演奏会の序盤に気になるミスがありがちだったり、立ち上がりが悪いオケだなあ、と感じることもあったのですが、今シーズンはそれがない。最初から最後までマッシヴな演奏を聴かせてくれるオーケストラになっている。これがカンブルラン効果なのか。





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Domenico/Cine Priv〓

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で、また、MPBの新譜をご紹介。家計を直撃するリリース・ラッシュですけれども、こうして欲しいモノ(というか購買が義務付けられているように錯覚させられてしまうモノ)がポンポンと出てくるのはとても幸せなことだと思います。





本日はドメニコ・ランセロッチの新譜『Cine Privê』について。アルバムタイトルは「映画の略奪」という意味だそうです。1972年生まれのミュージシャンで、モレーノ・ヴェローゾやペドロ・サーなどと同じブラジルの新世代と呼ばれている人だそうです(《新世代》というほど若くはない気がしますが)。このあたりのミュージシャンはみんなカエターノ・ヴェローゾとどこかでつながりを持っているのですが、ドメニコもカエターノの『Noites do Norte』に参加しています。本作ではそうした関連ミュージシャンたちが大集合。モレーノ・ヴェローゾも、ペドロ・サーも、カシンも、アドリアーナ・カルカニョットも、そして何故かグレン・コッツェ(Wilco。この人、いろんなところで名前を見るなぁ……)も参加していて大変パーソネルが賑やかです。






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グレン・コッツェが参加しているから、というわけではないですが、どこかシカゴのオルタナ・バンドっぽい雰囲気も感じられる気がします(なんかシー&ケイクみたいじゃない?)白昼夢みたいなふわふわしたサウンドが聴いていてとても気持ちよくて、ドメニコも特別歌唱力があるわけじゃないのだけれど、ぼんやりした感じの歌声がそういう音の雰囲気と調和している。本作に全面参加しているペドロ・サーのギターも変幻自在でさまざまに楽しませてくれます。





diskunion: DOMENICO / CINE PRIVE





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谷川健一『魔の系譜』

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魔の系譜 (講談社学術文庫 (661))
谷川 健一
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私が谷川健一の『魔の系譜』に出会ったのはまったくの偶然で、ブックオフの100円コーナーにて「なんか面白そうな本ねえかな~」と目を皿のようにしていたところなのだった。タイトルからして物々しさが満載だけれども、日本の呪術や天狗といった伝承を媒体としながら日本の裏精神史を描き出すものすごい面白い本です、コレ。「諸星大二郎の元ネタみたいな本だな……」とか思いながら読み進めていたんですが、実際、諸星大二郎も谷川健一からの影響について告白しているのだとか。まあ、出てくるわ、出てくるわ、露骨なパクリ元が……(もちろんそれらは諸星大二郎流のアレンジが加えられて漫画化されるわけですが)。一年神主、隠れキリシタン、常世の国……といったキーワードにピンと来た方々は、なるほど諸星大二郎のアイデアの源泉はこれだったのか~、と確認するためにも一読をオススメいたします。





さて、この谷川健一先生、在野の民俗学者ということですが、その解釈はちょっとこじつけっぽかったり、突っ込み待ちを狙ってるんじゃないか、と疑われるところがあり、問題を感じなくもない。例えばこんな具合。「イナゴに蝗の字をあてるのは、イナゴが虫の王と畏怖されるほどの害を及ぼすからだと、私は勝手に解釈している」(P.187)。勝手に解釈しちゃうんだ……! と思わず半笑いになってしまいますけれど、そういう飛び方をしているからこそ余計に面白い。ラテンアメリカの作家の小説を読んでるときに「なんて想像力をしているのだ、この大陸の人たちは」と驚愕しながらページをめくるのと同じぐらい驚きがあります。もちろんそれは谷川先生がとりあげる題材そのものに、そうした力があるからなのですが。不遇の運命を辿った崇徳天皇が地獄に落ちて、天狗になり、後鳥羽天皇、後醍醐天皇とともに天狗軍団を結成していたり、平将門が反乱をおこそうとしたとき京都では蝶の大群が現れて人々を驚かしたり……異次元レヴェルのファンタジックな事象には事欠かない。本書を読むと、日本のマジックリアリズムを発見できる、と言っても過言ではありません。





前述の崇徳天皇については明治天皇が即位した年に、公式に鎮霊の儀式を執り行い、そこには戊辰戦争に負けないように……という政治的意図まで込められていた、という話は呪術や怨念といった観念の根深さを示すもののように思われ、興味深かったです。これが約150年前の出来事。崇徳天皇が死んだのはそれより700年以上前の話。それぐらい崇徳天皇は恐れられていた、ということですが、日本という国は、たった150年前にそうした公式行事がおこなわれていた国であった、ということはなかなか感慨深いものがあります。戦後しばらくしても、興信所への身元調査に「相手方の家に犬神や蛇神に関係がある者がいないか?」という依頼がたくさんあったそうだし、そうした《迷信》を意識しなくなったのなんかごく最近のことなんだろうな~、とか思ったり。今もアフリカ大陸には魔術師だの祈祷師だのがいると聞きますが、日本だってつい最近まで同じレベルだったのだな~、とかね。





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Caetano Veloso e Maria Gad�/Multishow Ao Vivo

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MPBのリリース・ラッシュがとまりません。先日『zii e zie』のライヴ盤/DVDをリリースしたばかりのカエターノ・ヴェローゾが、昨年、若手女性ミュージシャンのマリア・ガドゥとおこなったデュオ・ツアー最終日の模様を収録したCD/DVDをリリースしています。マリア・ガドゥがデビューしたのは、2年前、まだ24歳だそう。先日ご紹介いたしましたアントニオ・ロウレイロもそうですが*1、今のブラジルって恐ろしい才能がポンポンでてきてどうなっているのだ、アレか、これはブラジルだけじゃなくてBRICsに目を広げていったらもっとスゴかったりするのか、とよくわからない気持ちにさせられます。私が購入したのはDVDで、収録曲と値段はCDと変わらないのだけれども、DVDにはこのDVDのメイキング映像がおまけでついてくる。このメイキング映像がなかなか面白くて、カエターノとマリア・ガドゥがお互いに音楽的影響について訊ねあうところなどが興味深いです。日本語字幕はないものの、英語字幕はついているので多少英語ができるならば楽しめるかと。「17歳でジョアン・ジルベルトを聴いて何もかもが変わってしまった」と語るカエターノには胸が熱くなります。





マリア・ガドゥのパフォーマンスに触れるのはこれが初めてですが「歌姫」というよりかは「野生児」という表現が良く似合う、天性のミュージシャンだと思いました。なんというか「ロック姉ちゃん」風の勢いがある。彼女が座る椅子の脇には、赤と白のワイン、それからチェイサーの水が注がれたグラスがそれぞれ3つ置かれていて、局間にそれを飲みながらライヴを進めていくのですが、エネルギッシュでややハスキーな歌声は、時間が経つごとに伸びやかになっていく。DVDは最初にデュオがあって、マリア・ガドゥのソロがあって、またデュオがあって、カエターノのソロがあって、最後は再びデュオで……という構成でおこなわれますが、マリア・ガドゥのソロで気分が高まっていく様子が映像からヒシヒシと伝わってきて面白い。でも、それが演出的じゃないんですよね。そこがやっぱり観ていて気持ち良いし、この24歳はすげーな、と思いました。






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しかし、カエターノ御大の深みには彼女の天性も圧倒されてしまう。マリア・ガドゥのソロが終わったあとのデュオで、カエターノが入ってきて歌いだしたとき「やっぱり、この人は全然違う」と思わされるのでした。声の柔らかをとっても、ギターの抑揚をとっても良いでしょう。マリア・ガドゥが小娘に思えてしまう大先生的なパフォーマンス。ヴェテランの余裕を持って、若者を引き立たせようとする紳士風の振る舞いがまたカッコ良い。マリア・ガドゥが初めて作った曲だという「Shimbalaie」をカエターノのソロの最後で歌うのですが、これがめちゃくちゃ良い歌声で、作曲者である彼女が涙してしまう、というシーンは何か世代を超えたミュージシャン同士の共振を見せられるようで感動的です。






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diskunion: ■BRASIL CD/DVD ★強力盤★ 入荷■カエターノ・ヴェローゾ&マリア・ガドゥ デュオ・ライブ! ブラジル知性の象徴と、デビュー2年で一気にスターダムへと上り詰めた♀MPBインテリジェンスが、親子以上の年齢差をもってして相思相愛のステージで魅了する2011年


なお、この盤もアマゾンでは取り扱いがありません。これもディスクユニオンが一番手に入りやすいのかな。私は今日新宿のディスクユニオンで購入したんですけれど、イケメン風の店員のお兄さんがハンパじゃない知識を披露していて「ああ、ラテンアメリカものはこの店で買っておけば間違いないな」と思ったりしました。





追記:現在は取り扱いがあります。



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Adriana Calcanhotto/O Microbio do Samba

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O Microbio Do Samba
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Adriana Calcanhotto
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最近めっきり南米の音楽に傾倒している私ですが、本日もブラジルの女性ミュージシャン、アドリアーナ・カルカニョットの新譜について書いていきます。彼女の音楽に触れたのは2年ほど前に発表されたアルバム『Maré』*1が初めてでしたが、これも長らく聴き続けたアルバムで、本作もそうした愛聴盤となる予感がギュンギュンとする一枚。アルバム・タイトルを日本語にしたら「サンバの微生物」ということになるでしょうか? 前作が彼女にとってのボッサ解体・再構築なのだとしたら、本作はサンバ解体・再構築、といったところ。サンバと言っても極彩色の世界ではなく、そこはアドリアーナ・カルカニョットの音楽。やや翳りのある音の独特な質感は健在です。近くにいるのに、ものすごい深いところにいるような重力を捻じまげるポップ・ミュージック、というか。こうしたコードの音楽が単なるイージー・リスニングとして処理されてしまうのではなく、強い主張をもって響いてくるような感じが素晴らしいです。そこにはやはり言語の特性もあって、先日のアート・リンゼイのライヴのときも思いましたが*2、ポルトガル語も勉強したいなぁ、と思いました。






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面影ラッキーホール/typical affair

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ティピカル・アフェア
面影ラッキーホール
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面影ラッキーホールというバンドについてはもはや「裏クレイジー・ケン・バンド」だとか「知る人ぞ知る」といった形容をしなくとも「ああ、あのヒドい歌を歌う人たちね」と伝わるほどの認知度を誇る存在となっているかと思われます。知らない人はいますぐYoutubeの以下の動画をご覧ください。大音量で! ご覧ください!






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コレに心を掴まれた人は、新譜「typical affair」発売時のインタビュー記事を読んで深すぎる発言に心を震わせたら良いと思います。










「ドラマや映画のようなきっかけなんて無いんですよ、人の人生に。」、「日本人の平均って免許証の更新会場にあるなって思うんです。」、「自信がないから、俺の話を聞けなんてとても思えない。そう思える奴ら全員頭おかしいよ。恥知らず。」と名言が爆発しすぎている。私もココまで、醒めきっている人たちだとは思っていませんでした。トラックリストの異形感溢れるタイトルも圧巻。



1. ラブホチェックアウト後の朝マック / 2. セカンドのラブ / 3. ゆびきり / 4. ゴムまり / 5. 背中もよう / 6. 今夜、悪魔は天使に負けない / 7. 涙のかわくまで / 8. SO-SO-I-DE(LIVE at EAST)



ここでは、彼女がいる男ばかり好きになる女性だの、夫が塀のなかで《お勤め》をして帰ってきた女性だの、息子を新しいオトコに虐待死させられる女性について歌われます。アルバムタイトルの「typical affair」(直訳すれば、典型的な事柄)とはまるでかけ離れているようですが、こうしたことはあくまで面影ラッキーホールのリスナー層にとっては典型的な事柄ではないのであって、どこか別な階層ではありふれていて、典型的な事柄なのでしょう。ちょっと遠くにあるように思われるリアルを描いているこの感じは『闇金ウシジマくん』とも重なるかもしれません。





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わたくし主宰のインディーズ文芸誌『UMA-SHIKA』についておしらせです

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『UMA-SHIKA』第5号の表紙と目次 - UMA-SHIKA(公式)


詳しくはこちら(↑)を見ていただきたいのですが、また、文芸誌作りました。私の小説はエチオピアに生息してた鳥を巡る歴史物語みたいな小説になっていますが、どうでもよろしい。他の執筆陣がものすごく、編集作業をしながらホントに泣けてしまった作品もあります。興味がある方は、6/12(日)に文学フリマに来てみてください! 朝吹真理子や川上未映子、阿部和重も会場に来るらしいですよ! 『UMA-SHIKA』を買ってもこの人たちのサインが貰えませんが、素晴らしい執筆陣が店番をしてたりするのでサイン会などという刹那的なふれあいよりも濃密な時間が過ごせますよ!! そうした濃密な時間がノー・サンキューな人は、サラッとその場を去っていただいても大丈夫です。と、と、とにかく間違いなく、お、面白いんだから、よ、読んで欲しいんだな!(突如、Yamashita Kiyoshi化)。通販予約も受付中でございます。





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Fernando Kabusacki/Luck

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LUCK
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FERNANDO KABUSACKI フェルナンド・カブサッキ
カレンティート (2011-06-08)
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サマレア&カブサッキ*1に引き続き、フェルナンド・カブサッキの新譜『Luck』を聴いています。輸入盤を買ったのかと思ったら日本盤だったみたいでライナーがついてきました。その文章によればこれが通産7作目のソロ・アルバムとのこと。カブサッキのキャリアについても紹介されており、これがカブサッキのソロ初体験となる私にはありがたかったです(普段、ライナー・ノーツってほとんど読まないのですが……)。カブサッキとロバート・フリップの関係は予想以上に深いのが驚きで(キャリアの初期にフリップとの関係もあったんですよ、ぐらいのライトなものかと思っていました)ギター・クラフトのインストラクターも務めているそうな。1分未満の短いトラックを含む全28曲の本作は、カブサッキの多彩さをまるっと編集したような極彩色のアルバムでした。雑然といろんな音が飛んでくる感じが素晴らしいです。





サマレア&カブサッキのアルバムが「80年代クリムゾン + トータス」という風に陳腐な形容ができてしまえるのに対して、このアルバムはそう一筋縄にはいきません。はじまりこそアンビエントな雰囲気ですが、スピーカーがブッ壊れたのでは、というゴク太な音圧でパーカッションが鳴ったり、音のレンジがとにかく広く、携帯音楽プレイヤーでイヤフォン/ヘッドフォンをして聴く音楽の規格からは完全にハズれています。カブサッキのギターも、マニュエル・ゲッチングも、ロバート・フリップも、エイドリアン・ブリューも、パット・メセニーも全部入りになってます感があって非常に面白い。つまり、ここに挙がったギタリストが好きな人はとりあえず買っておけ、というアルバムなのでございましょう。この自由度の高さはブライアン・イーノの初期のソロ作に通じるかも……と思いつつも、この雑多さ/何が出てくるかわからない感じに一番近いのは、実はプリンスやベックなのでは? と思わなくもないです。こうした天才宅録家の空気が、職人肌のスタジオ・ミュージシャンっぽい感覚と上手く融和したみたいです。実際、本作はカブサッキがスタジオで録りためた音源に、ゲスト・ミュージシャンが音を重ねて作っていったものなんだそう。アイデアを上手く編集したらこんな面白いことになってしまう、というのもなんか奇蹟みたいですよねえ……。





初回盤には2008年に録音されたライヴセッション音源が別ディスクで入っているそうです。これも良くてですね……、結構普通にジャズっぽいことをやっていたりするんですが、この前の来日を迷った挙句に見送ったことをちょっと後悔してしまっているわけですよ……。アレ、でもこの前の来日時の大友良英とセッション音源がもう売ってるの……? これはこの音源も買って聴けというお告げなのか?






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『Newton』7月号「原発と放射能」特集も良い仕事

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Newton (ニュートン) 2011年 07月号 [雑誌]

ニュートンプレス (2011-05-26)


先月号*1に引き続き、今月の『ニュートン』も緊急大特集「原発と放射能」が展開されています。福島第一原発をめぐる状況は日々変化し、新しく事実が公表されたりもしていてリアルタイムで情報を追っていくのが大変です。私もそういう風に情報源に張り付いてニュースをチェックしていくのがあまり得意ではないので、一周半遅れぐらいになるのが分かっていながらも、こうして後でまとめてもらったものを読めるのはありがたいですね。原発の仕組みについての説明は先月号と重複する部分もありますが、とても分かりやすかったです。原発関連の話になると熱くなったり、感情的になったりとトーンが変わってしまう人が多いなか、状況をクールに解説してくれるのも助かります。原発推進とか反原発とか政治的な意見が入り込んでくると、ちょっとややこしいですし、ちょっと胃もたれみたいになってしまうんですよね……。





特集は「続報 福島第一原発」、「放射能のリスクを考える」、「原子力とは何か?」の三章にわかれています。一章では、原発の事故とその処理方法についての科学的な解説になっており、現場で何が、何のために行われているのかが分かります。また、今の現状のために大切な記事は次の「放射能のリスクを考える」でしょう。京都大学の今中先生が公開している論文などとも併せて読んでおくと放射能の「適切な怖がり方」がわかってきそうです。低線量での長期的な被曝が健康リスクへの影響は、実際よくわからない部分が多い、というのは様々なところで書かれていることだと思います。よくわからないから怖いんですよね。そこで怖がるストレスも健康リスクになったりして難しい。こうして放射能の人体に対する影響について一般人が知らなくてはいけない、というのも異常事態なのかもしれないですが、知識は人を助ける、というスローガンを信じてる者としては、とにもかくにも知らなければならないような気がしてきます。





逆に「原子力とは何か?」はもっと長期的な今後のための記事だと思います。メインは原子力でエネルギーを作る仕組みと、そこで出た廃棄物をどういう風に処理しなくてはならないのかを中心とした、原子力発電のシステム全体について解説するこれらの記事を読むと「いや、実際問題、火力発電やエコなエネルギーだけじゃやっていけないわけで……」とか言うことも憚られるような気持ちになってしまいました。生身で近づけば20秒で致死量の放射線を浴びることになるという高レベル放射性廃棄物の処理問題がほとんど手付かずのまま、このシステムは運用されていて、そういう大問題に社会の大部分の人たちが盲目状態であったことは素直に反省すべき点なのでしょう。高レベル放射性廃棄物を地下300メートルより深い場所に埋めて処理するイメージ図はほとんどSFの世界です。この処理方法、処理といっても地表に影響がない部分に放置して、数万年待つ、というおそろしく気の長いもの。近代人のカルマがカタコンベに安置されちゃったみたいなんだよ……。





最新の科学ニュースを伝えるサイセンス・センサーのコーナーは今回は私好みの記事はなく、ちょっと地味な感じ。ただヘヴィーな記事が連続した後に、美麗な天体写真や、サハラ砂漠に残されたクジラの化石の写真、三葉虫のイラストなどが載っているとめちゃくちゃ癒されます。






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Arto Lindsay・大友良英 @Music Duo Exchange

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今週二度目のアート・リンゼイ。まあ~、とにかく素晴らしかったです。死にかけの虫ライクなムーヴでギターを弾く御姿は、先日のDCPRGのときと変わりませんが、この日の中心は歌。第一セットではアート・リンゼイひとりで弾き語り、第二セットは大友良英とのデュオという構成のライヴとなりました。正直、見る前は「ひとり弾き語りで間が持つのだろうか……」と心配でしたが全くの杞憂だったと言えましょう。アート・リンゼイがこんなに歌える人だったとは……と驚かされると同時に、その歌心に魅せられてしまいます。





アート・リンゼイのブラジル音楽への傾倒は、ジョン・ゾーンがマサダを結成したのと併置されるのかもしれません。端的に言って、そこには自分のルーツへの回帰、という共通項がある(それは本日の共演相手である大友良英が中村八大や山下毅雄を取り上げたことにも同じことが言えるでしょう)。しかし、超速スピードのカット・アップ的スラッシュ・ジャズから、ユダヤ・ジャズとの距離、あるいはそこにある「まったく違うことをやっている感」と違って、アート・リンゼイのやっていることは一貫しているように思えます。そのとき、歌える歌を歌っている、という感じでDNAもアンビシャス・ラヴァーズも、ソロでの歌もひとまとめにしてアート・リンゼイの歌というジャンルだったのではないか……この日のライヴを観て、私もそんなことを考えてしまいました。そういう音楽の魅せ方、やり方において、アート・リンゼイはひとつの理想形・究極形だな~、と再確認できます。





大友良英のギターも単なるサポートではなく、アート・リンゼイの歌に応答する素晴らしい演奏でした。フリーキーな爆音演奏を曲間や間奏に挟みながらブラジリアンなコードを弾いていくスタイルは、この組み合わせならではというもの。もしかしたら、大友良英がこんなにジャズ「っぽい」ギターを弾いているのを観るのは初めてだったかもしれませんが、多彩な奏法によって毎回色を変えながら、アート・リンゼイの歌に呼応する大友のギターにも歌があります。一番最初に演奏した曲で、アタックをすべて消したギターの音色を背景に、アート・リンゼイの言葉が浮き、その発音が静かにリズムを刻むところなどがとても印象に残りました。




大友も一曲歌を披露。この「教訓1」(加川良)は、高田漣との共演*1でも演奏されたものですが、状況に合わせて、歌詞も少し変えられていました。その意味は、表面上の変化よりも大きく、高田漣との共演時の録音がものすごく昔のように感じられてしまいました。






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Samalea & Kabusacki/Al Limite Del Mondo

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Al Limite Del Mondo
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Samalea & Kabusacki
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アルゼンチン音響派というキーワードが流行したのもずいぶん前のような気がしますが、実際に聴いてみるのはこのフェルナンド・サマレア(ドラム、パーカッション)とフェルナンド・カブサッキ(ギター)によるアルバムが初めてです。そもそも「音響派」という言葉ほどよくわからないものもないですけれど、勝手に音数の少ない弱音系の音楽を予想していて聴こえてきたのが《80年代キング・クリムゾンのコピー・バンドをやっていた人たちが、トータスの『TNT』に衝撃を受けて制作したアルバム》みたいな音だったのでちょっとびっくり。「音響派ってそっちね!」と思いました。しかも本作には、かのトニー・レヴィンもゲスト参加しており、節子、それコピー・バンドやない! ホンモノや! と声をあげたくなる。




前情報として、フェルナンド・カブサッキはロバート・フリップのギター・クラフト(フリップ御大によるギター・セミナー。なんか今調べたら太極拳のレッスンとかもあるらしいぞ*1)に参加していたこともある、というのは知っていましたが、ここまでソレっぽいとは。もちろん、カブサッキとフリップのギター演奏は全然違うものですけれど、前情報と音がガッチリ繋がってしまう音だと思います。80年代クリムゾンもトータスもどちらも好き、という人はたくさんいるでしょう。私もそのひとりです。しかし、その好きなものが混ざっちゃうと「アレ、これギリギリ、ナシじゃない?」と思えてしまうのだから音楽って不思議。言うなればちらし寿司の上にデミグラス・ハンバーグが載っている感じ(別々に食べたいよ!)





なんか否定的なトーンの文章になってしまいましたが、しかしながらこれは独特な音です。エレクトロニカを通過したハイテク・フュージョンという聴き方もできると思いますし(まあ、そんなことを言うと音響派だのポストロックだのという人たち全員がフュージョンの仲間と言うこともできそうですが。テクニックがある現代のフュージョン→音響派、テクニックのない現代のフュージョン→ポストロックみたいな)、とにかくこの「ヌケそうでヌケない音」は今の日本からは出てこなそう。マグマとかユニヴェル・ゼロとか聴いてた人たちが、ポチャカイテ・マルコを始めた、みたいな消化機能のねじれが一番近いかも。面白いですね、アルゼンチン、ということでフェルナンド・カブサッキのもう一枚の新譜も聴いてみよう。






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DCPRG/ALTER WAR&POLYPHONIC PEACE @リキッドルーム

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再活動開始後のDCPRGの東京でのワンマン・ライヴは無遅刻無欠席記録を継続している俺である(といっても、まだ三回だが)。とくに新曲とかを期待しているわけでもないのだが、今回はアート・リンゼイがゲスト参加する、ということでやはり見ないわけにはいかないだろう……。内容については前回までとほぼ一緒で「ジャングル・クルーズにうってつけの日」から入るセットリストだったけれど(ライヴハウスでの公演ということで、遅いテンポの曲は演奏されず)毎回魅力的なゲストが用意されてしまうと行かずにはいられないかもしれない。ゲスト商法? とでも言えば良いのであろうか。バンドの状態は極上と言って良く、当初の予想通り、ライヴ回数を重ねることでどんどん良くなっている。





ゲストのアート・リンゼイは「あくまでゲスト、お客さん」という扱い。まあ、アート・リンゼイであるし、いつもの芸風を披露してくれれば良いかな、と思っていたけれど期待を裏切らず無邪気な感じで「チュギョーン」とか「ジャシジャシジャシ」とかパーカッシヴなギターを弾いていた。正直いてもいなくても……状態だが、水色のギター持ってステージに現れたアート・リンゼイの姿を拝んだときにはやっぱり感動したし、そのパフォーマンスのブレなさにはホンモノ感を放ちまくっている。アート・リンゼイとは聴いたことない曲をやっていたが、あれは新曲だったのだろうか?





正規メンバーでは、千住宗臣のマンマシーンなドラム・ソロが今回も最強に強まっている。メロディアスなソロではないのだが、手数の密度をどんどん高めていくブラスト具合が圧巻。序盤は丈青のブチキレまくった時期のキース・ジャレット状態なソロも良かったし、類家心平のアルトゥーロ・サンドバルとかあのあたりのソ連→キューバ系トランペッターのごとき超絶スポーティーな演奏も小気味好い。また、大村孝佳のソロも前回よりずっと良かった。この人は一応メタル界から参戦、ということになっているが、実はいろんなカラーを持っている人なのだなあ、と感心する。最初期DCPRGの大友良英が担っていた空気の変え方を、まったく違った形で実現しているようにも思われる。人選として大正解なのであろう。旧メンバー陣は言わずもがなの演奏。津上さんの、二拍三連(だったかな)でリズムに噛み合わさずに、高速でソロを取るところとかカッコ良すぎて死んだ。あとショルキーでのソロは何度観ても笑ってしまうなあ……。野村マンのサックスの人は、超高速なフレーズを打ち出しまくる人に挟まれて大変だと思うけれど、グローヴァー・ワシントンJrみたいなスムースなソロを取っていて、そういう色の出し方は悪くないので、頑張れっ、と思った。





野外→ホール→ライヴハウス、と演奏空間が変わってきていて一番感覚が違うのはベースの鳴り。ライヴハウスでの低音は、空間に広がっていくのではなく、塊としてドシンとくる。これは好き嫌いが別れるところだろうけれど、ダンス・ミュージックとしては正解、でも、正直リスニング向きではなくて、新宿文化センターのほうが音は聴きやすかったと思う。でも楽しそうに踊っているカップルとかを目の前にいるのは楽しいもので、そういうラヴ&ピースな雰囲気とポリリズム大虐殺な戦争状態が一緒くたに味わえるのは良い。





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荒木飛呂彦 『スティール・ボール・ラン』(24)

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かつてないほどに傷だらけの物語になってしまった感があるけれど、堂々の完結と言ってよいのでしょう。最終決戦として用意されたジョジョ対ディオの対決は、この長いロード・コミックがジョジョ第三部の変奏・語り直しであったとも捉えられそう。いつだって物語の終わりは寂しい。





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eX.17 ジャチント・シェルシ《山羊座の歌》完全版日本初演 平山美智子を向かえて @杉並公会堂 小ホール

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ロック・ミュージシャンで高齢の人、といえばローリング・ストーンズとかポール・マッカートニーとか60代後半の人たちがいて、そうした人たちが元気に活動しているのを見ると「すげえなあ」と思ってしまいますが、まあ、ロックなんかたかだが半世紀ほどの歴史しかない音楽、クラシックの世界はその軽く6倍は歴史がありますから、もっとすごい人がおります。声楽家の平山美智子、御歳87歳などはその代表格たる存在でしょう。声楽家の方にお話をうかがったところ、自らの声帯を音楽のよりどころとする声楽家の方々には肉体的な寿命があるそうで、早い人では30代で声を潰してしまう方がいるそうでございます。そうした世界のなかで80代で現役でおられる、というのは「現役でいるだけでスゴいこと」なのだそうです。平山美智子、御歳87歳は、前衛音楽家としても間違いなく最高齢の人でしょう。本日のeX.はそういう立ってるだけでレジェンド、みたいな人が出演した演奏会でした。作曲家、川島素晴・山根亜季子による現代音楽コンサートシリーズ「eX.」については、過去こんなエントリも書いていました。よろしければご笑覧ください。




ジャチント・シェルシという作曲家は、いまでこそスペクトル楽派に影響を与えたことで有名で、イタリアの20世紀音楽のなかでも非常に目立った存在として知られていますけれど、でも、彼の作曲スタイルは批判されておるのですよね。シェルシは元貴族のお家に生まれてお金には困らなかったんで、自分が即興で弾いた演奏を録音しておいて、それをサポーターに記譜させたりして、それが「えーっと、それは作曲行為と呼べるのかいな?」と問題になったそうでございます。シェルシが平山のために書いた作品《山羊座の歌》にしてもシェルシと平山とアシスタントの人が協力して作業を進めていき、今日の形となった作品とのこと。《山羊座の歌》は出版された譜面がある楽曲でありながら、正典は平山がもっているいろいろ変えていった版であるそうで、ある意味、門外不出の秘儀伝授、みたいな楽曲なわけです。だからもはや正統的な《山羊座の歌》の演奏は平山にしかできないというクローズドな状態になってしまっている。この点ももしかしたら批判されてもおかしくない点なのかもしれません。





そうした楽曲の性質、そして演奏する人間の性質からしても今回の演奏会が特別なものにならないはずがない。87歳といえば私の祖母より高齢ですから、そういう人が一時間ほどの《山羊座の歌》を休憩無しの通しで演奏する、というのはもはやちょっとした虐待なのでは、と思わなくもないですが、ありがたいものを観てしまった、という感じがしました。そのありがたさは文字通り、《在り》《難い》もの、であって、どうしてもそういうオーラ(アウラ)をまとってしまう。ベートーヴェンの晩年の作品が纏うオーラをアドルノは批判していますけれども、致し方なくオーラをまとってしまうことがあるのだな、と思いました。曲順を間違えたり、ゴングを素手で叩いているときに腕につけていたアクセサリがゴングに当たってしまい「マズい!」と思ったのか、演奏しながらおもむろにアクセサリをはずしてたり、年齢を感じさせるチャーミングな点がいくつもありましたが、それも致し方ないのであろう、と。歳を取って得るものもあれば、失われるものもあるのですから。



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平山による演奏はWERGOから出ているCDで聴いていました。CDの迫力ある声と比べると演奏の序盤は衰えを感じさせるものでしたが、その印象はしり上がりに払拭されていきました。奇妙なオノマトペと様々な発声法によって、フレーズを変化させながら繰り返していくなかで、突然ベルカントで高音を発声する瞬間があり、その度にザクッと胸を刺してくるようなスゴみを打ち出してくる。まるで歌舞伎のキメのよう。ここぞと言うときの魅せ方の上手さは熟練から来るものなのでしょうか。ものすごく高い声がでる、とか、とんでもなくキレイな声がでる、とか、そうした技術的な評価からはズレてしまいますが、平山にしかできない芸風が確立されている、ということをまじまじと見せ付けるような演奏だったと思います。






こうした指摘もすでに出ているのですが、これも至極真っ当なものに思われます。「この人にしかできない」という風に音楽をクローズドな状態にしておくのは、西洋音楽の基本的な態度からハズれていると言えましょう。楽譜によって演奏家に開かれているのが、西洋音楽の伝統です。そうして誰にでも開かれることによって、作品に対しての評価ができるようになる。作品と演奏者との関係が癒着してしまえば、それはその人のパフォーマンスに対する評価しかできなくなってしまう。個人的に昨日の演奏を見ていて思ったのは、これは音楽というよりかは、特別な身体表現のようで、むしろ舞踏とかダンスとかに近いのではないか、ということです。ともあれ、そうした評価などはどうでもよろしい。記憶に残る演奏会でありました。共演した演奏家の方々も素晴らしかったです。





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