山下達郎 / Opus All Time Best 1975 - 2012

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OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)
山下達郎
ワーナーミュージック・ジャパン (2012-09-26)
売り上げランキング: 2

山下達郎がほとんど40年近い長いキャリアのなかで、なにをしてきていたのか、なにを考えてきたのかを辿る3枚組。このベスト・アルバムの発売時のインタビューのなかではHMVのものが、彼の音楽に関する商品的な考え方、あるいは録音のクオリティへのこだわりについて詳しく、とても面白かった。このインタビューの内容は今月彼がパーソナリティをつとめたNHK-FMの「サウンドクリエーターズファイル」(全3回の構成で、それは今回のベスト盤の枚数構成と一致する)で話されていたことと重複するけれど、番組では毎回違ったゲストとの対話があって、とくに第1回のクリス松村との対話は「同時代のアイドル・ファンが、山下達郎の音楽でなにかに目覚めてしまった」という体験談を熱っぽく語る様子がちょっとすごかったですね。

それは山下達郎(筋金入りの音楽おたく)対クリス松村(筋金入りの音楽おたく)という対決であり、そして信仰や愛の告白でもあったと思う。私はこの番組を聴くまで、クリス松村という人をどういう人かよく知らなかったんだけれども、山下達郎の音楽の射程範囲の広さについても考えさせられる話でもあった。音楽とセクシャリティの関係性、というか……これはとても微妙な話かもしれないが、かつてのゲイディスコ文化を考えれば、初期山下達郎のバッキバキなソウル & ファンク路線はそれととても馴染むような気もする。今更? って話かもしれないけれども。しかし、70年代後半から日本の音楽文化と市場の変化をガッツリ観察してきた人など限られてくるわけで、そうした意味で、バリバリの現役でありながら(収録されている最新曲『愛を教えて』はオザケンの『麝香』みたいだった)生きた化石みたいなミュージシャンである……。

告白すると、これまで私が親しく聴いていたのは、山下達郎が独立してレコード会社を立ち上げてからのアルバムで(このベスト盤でいうと2枚目以降)、初期達郎の音楽はこれで初めて聴いたと言って良い。で、これで「え、こんなにファンクで、こんなにソウルだったの」と驚かされました。ちょっと前に、カーティス・メイフィールドや、Sly & The Family Stoneやスティーヴィー・ワンダーなどのド名盤を何度も繰り返し聴いていたこともあり余計に。ソウル、というジャンルへの興味がまたグッと高まりました。

ベスト盤の2枚目以降もほとんどCDを持っているとはいえ、マスタリングが異なっていて、聴こえ方が全然違う。それが良くなっているかどうかの判断はイマイチできないんですが、違いを確認するのもまた楽しみのひとつです。空間的がより広がっている感じを愉しむには、スピーカー再生か、少なくともスタジオ・ヘッドフォンぐらいを使って聴くと良いでしょう。高級品ならまだしも手頃な価格帯のカナル型ヘッドフォンだと音が全部つぶれてしまって、音楽の質が変わってくるような気さえするので注意。初回盤限定のボーナス・ディスクではKinki Kidsに提供した大ヒット曲「硝子の少年」の山下達郎による仮歌バージョンが聴けたりします。これも面白かったですね。Kinki Kidsの節回しやニュアンスは、この仮歌をなぞってたのか……と思ったりする。

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ランニング再開、そして、走るときに便利なアイテムについて

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昨年の6月に結婚披露宴をやったのを境に、急激に体重が増え始め、原因はといえば酒量が増加しているのと運動を止めてしまったこととで明らかなのに、現実を見てみぬ振りをしていたんですけれども、高度成長期の日本のごとき神武以来の体重上昇は「お尻に妊娠線的なものが発生する(肉割れ、というらしい)」、「パンツのゴムのうえに柔らかいなにかがのっている」、「気がついたら語尾が『ブヒ〜』になっていた」などの醜悪な弊害を発生させていたため、フランス旅行から帰国した日からランニングを再開していたのだブヒよ。

それから2週間、やりはじめるとハマってしまう性格だし、かつて習慣的にやっていたことはすぐに身体が思い出してくれることもあって、今日で6回目、大体1度に9km弱を走るので走行距離が50kmを超えた。体重はすでに2kgほど落ちた(もちろん走った直後、水分が身体から出ているときに計測した数字ではない)。1度に消費されるカロリーは、550kcal〜600kcalぐらい。体重1kgを減らすのに必要な消費カロリーは7000kcal弱と言われており、少なく見積もっても本日で3300kcalほどしか消費していないのに2kg減っているのは、一日のスケジュールのなかに、ランニング、という習慣が入り込んだおかげで、家での飲酒量が激減したことによるのだろう。

平日はランニングがしたいという理由により、なるべく残業をしないようにガーッと仕事をやって定時ちょい過ぎに帰り、夕食を食べたり、軽く家事をしたりする。で、お腹がこなれるまでラテン語なり数学なりを勉強してると22時過ぎてるので、それから1時間弱走る。帰ってきたら即風呂、即就寝。ビールのプルタブをプシュッとやる時間的余裕がどこにもないのである。結構禁欲的だが、ビールを買わない、飲みにもいかないとお金も減らないし、とても良い(とっても良いブヒ〜)。

あと今はランニングの実績管理にiPhoneアプリの「RunKeeper」というのを使っていて、これがとても良い。GPSでコースと距離と高低差、1kmごとの平均速度や全体の平均速度とか消費カロリーとかを記録してくれる。似たようなアプリはいくらでもあるので、ぶっちゃけなんでも良いのだけれど、こういうのがあると「自分がどれぐらい頑張ると、どれぐらいの速度で走れる」という風に肉体感覚と数字が結びついていく感じがして楽しい。まるでマン・マシーンのような気分になれてカッコ良い。だいたいランニングは極端にシンプルな運動であって、はっきり言って退屈にもほどがある。

  1. 車や人にぶつからないようにしながら
  2. 自分の身体を壊さないフォームで走ることを気にしつつ
  3. 一定の目標(一定のスピード、一定の時間、一定の距離……なんでも良い)に向かって
  4. 走る

ランニングは以上の4原則を守るだけで、成立してしまう。2番目のポイントがちょっと難しそうだが、これも

金哲彦のランニング・メソッド
金 哲彦
高橋書店
売り上げランキング: 594

を熟読したうえで、ちょっとずつ意識することができれば、すぐに身に付いてしまう(上記は高橋書店のこの手の運動本で『クロールがきれいに泳げるようになる!』と並ぶ名著と言えよう)。速く走れるかどうかも、フォームを意識して走ることに尽きてしまうし、あとは練習あるのみの世界のなので音楽聴きながら走るなり、なんらかのツールでデータを取るなりしながらじゃないとなかなかツラい(理想を言えば、走りながら本を読めれば良いんだが……これはすぐに車に轢かれて死んでしまうだろう)。

ただ音楽を聴くにしても、iPhoneアプリを使うにしても、そうした電子機器をどのように持って走るのかはちょっとした問題になる。ポケットに入れれば良い? それは、走っているときにユサユサして邪魔になる。あと激しく走ったりするとポケットから知らないあいだに落ちていたりして怖い。そもそもタイツみたいな下半身のウェアを身につけていると、ポケット自体がない。手にもって走るのも、ちょっとアレだ(汗でiPhoneがベショベショになるし、やっぱり落とす可能性がある)。

ランニングウェアと便利小物
よって、こういう小物入れが便利である。これだと腕にガッチリ固定できてブレないし、フォームにも影響しない。飲み物のボトルを装着できるタイプのものもあるが、10km弱のランニングであれば水分補給をしなくても余裕で走りきれる距離なので邪魔。家の鍵とiPhoneが入ればそれでいい(もしものときに小銭をちょっと入れておくと良いのかも)。あと小さいので洗濯機にぶち込んで洗っても問題無さげ(ホントはダメかも)なのが良い。これもさまざまなメーカーから出ているが、アシックスのが安い気がする。写真のはマジック・テープで着脱するモデルだが、現行品はないっぽい。マジック・テープだと他のモノと洗ったときに、くっ付いちゃうのがアレ。

1個しか持ってないと1個を洗っているときに不便するので、最近こっちのを買い足した。これはバンドがゴム調整式なので、バリバリ言わず「支払いは俺に任せろ バリバリ」とかにもならない(iPhone4をいれてほんのちょっと余裕があるぐらい、iPhone5は入らないかも)。鍵とか入れることを考えたらもうちょい大きいのが良かったかもしれないが、鍵はキーホルダーのリングを指にひっかけたりすれば、手に持ってても落とさないので良しとする。

あと、髪の毛が長めだと、走っているときにバサバサなって、電車に駆け込む長い耳の犬か『少年アシベ』にでてきた中華料理屋の店主みたいになるので、帽子をかぶったほうが良いです。写真のはミズノのヤツですが、ほかにアシックスのも持ってる。メッシュ素材のが蒸れないし、汗をかいても重くならない感じがして良いです。ヘアバンドでも髪の毛をなんとかすることは可能ですが、パラダイス銀河感がでてくるので、アレだ。

他のウェアとかもいろいろカッコ良いのがでてますが、皇居の周りを走るならともかく(あれは原宿や渋谷にオシャレして出かけるみたいなものだと思われる)、家のまわりを走るならノー・ブランドのTシャツやハーフ・パンツで良いでしょう。機能性ウェアとかよっぽどのアスリートじゃなければ着ても無駄そう。一方、足回りの選択は重要でシューズに関してはかつてこういうエントリーをあげています。同じメーカーの同じペースで走る人たち向けのシューズでも、ソールの耐久性の違いなどで練習用とレース用でも仕様が違うので、これはマジでスポーツ用品店で人の話を聞いて買った方が良いです。都内近郊であれば、Victoriaとか行ってください。

他の足回りでは靴下はなるべく厚手のもの、それか五本指ソックスだと爪の内出血などのダメージが軽減されると思います(ただし、15kmとかを1kmあたり5分代前半のペースで走れるようになると、どうしても内出血してしまう。私の場合、中指からいってしまう)。

走るときの音楽は、ミニマル・テクノとかが良いですね。最近はカール・クレイグのmixや、Moritz Von Oswald Trioなどを聴いていると、走っているうちに意識の深いところからサムシングが目覚めてくる感じがして良いです。

Vertical Ascent
Vertical Ascent
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Moritz Von Oswald Trio
HONEST JONS (2009-08-11)
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くるり / 坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)

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坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)(初回限定盤B:DVD付き)
くるり
ビクターエンタテインメント (2012-09-19)
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かつて「97年世代」という言葉が在りし頃、日本にはスーパーカー、Number Girl、くるり、という3つのバンドが存在し、それぞれがそれぞれの思い出、当時の若者たちの心を掻きむしっていた、という……その後、00年代という時代のなかで、かつての3バンドのうち、あるバンドはiLLな状態になり、あるバンドは「法被を着たLed Zeppelin」としてカルト化し、くるりだけが様々な変容を重ねながら生き延びているけれど、その生存が可能となったのは、くるりがリスナーから背負わされていたサムシングを、ASIAN KUNG-FU GENERATIONや、チャットモンチーといったバンドへとアウトソーシングすることによって、その身を軽やかにできたからではないか……などというほとんど妄想に近い日本ロック・ミュージック史の一部を冒頭に置く。

で、くるりの新譜である。毎度、日本の音楽批評誌ではくるりが新譜を出すたびに「最高傑作」と特集され、その空回りぶりは「そりゃあ『Snoozer』も無くなるわ」というリスナーと業界との距離を感じさせるものであり、でも、それはくるりというバンドがなにかを背負ってきてしまっている証跡でもあるような気がする。しかしながら、その背負わせている当事者と、バンドが対象にしているリスナーの実像は少しずつズレていっており、もはや俺はこのバンドが相手にしているお客さんではないのは、とか、今回のアルバムでは決定的に感じさせられた。山下達郎が最近のインタビューで「自分の音楽は自分の世代のためのもの。リスナーとともに変化させていく」と語っていたのとは、対照的でくるりはずっと心の柔らかい部分を剥き出しにしている感じの若者相手のロック・バンドなのだな、とか。メンバーが増えたり、佐藤マ社長が金髪になったりしてるけど、根幹みたいなものは変わってない(でも、自分は変化している)。

ただ、こうしてバンドから振り落とされてしまっても、アルバム自体が悪かった、わけではなく、19曲収録された楽曲はこれまでのどのアルバムよりも雑多で多様であり、さすがに「坩堝」だな、という感じがして、何が出てくるか分からないところや、相変わらずのネジれたユーモアは「日本のXTC」的な感じが完成されてきているのでは、という印象がある。正直、良いアルバムだし、完成されたアルバムなのでは。

津波と原発の事故でダメージを受けた福島県相馬市を歌った楽曲は、個人的に地元が近いことがあってとても複雑な気持ちに駆られたが、様々な現実に対して怒ったりするロック・バンドだったよな、くるり(というか岸田繁)ってと思う。件の複雑な気持ちとは「ああ、こんな風に歌われる土地になってしまったのだな」っていう、はっきり言ってポシティヴな気持ちではなく、どちらかというとツラい気持ちである。この気持ちについて考えていたら、地震以降に福島という土地が再発見されている感じ、がイヤなのかも、と思った。

くるりは「相馬の空は美しいよ〜」みたいなことを歌っておられ、公式サイトではその土地を訪れたときの様子も綴られているのですが、地震のあとで相馬の空が一層美しくなったわけでもないですし、なんかねえ……「この土地にはこんなものがあったんですよ!」とか「こんな人たちが生活してたんですよ!」とかクローズ・アップされてるけど、地震以前にもそうしたものは存在していたわけで……そういうものをそれなりに知っている立場にいたりすると、ツーン、みたいな感じになってしまう。ヨーロッパの冒険野郎どもによって発見されたインディアンもこんな気持ちだったんじゃなかろうか、と思ったりして(発見される前から、俺たちはここで生活してたんだよ、っていう違和感)。

ただ、そういうことはロック・ミュージシャンとしての定型的な反応のようだし(猪苗代湖ズなど……アレもかなりキツかった……)、くるりが悪いわけではない。「福島について歌われると嫌な気分になる、ってよっぽど根性ネジ曲がってるんですね!」と批難されても致し方なし。それに、いい加減アルバムの内容から離れ過ぎである。

アルバムが醸す多様なイキフンは、これまでにバンドが出してきた要素でもあり、集大成な感じもする。最後のちょっと長尺の曲は、The Beatlesの後期の楽曲で唐突に過去曲のコラージュが入ってる曲(曲名を思い出せず……追記:「All Need Is Love」でした。教えてもらった瞬間、脳内で完全再生)や、ジョージ・ハリスン(そしてジェフ・リン)の「When We Was Fab」や


Barclay James Harvestの「Titles」みたいで


震えました。

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宮腰忠 『高校数学+α:基礎と論理の物語』

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高校数学+α:基礎と論理の物語
宮腰 忠
共立出版
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わたしはガチガチの文系野郎であって、高校時代もあまりに数学が不得意だったので一年生の段階で早々と「あ、私立文系にしよう……」と匙を勢い良く投げ(同時に、他の理系科目も不要なものとして処理してしまった)、気がついたら黒板に知らない記号がたくさん並んでいた、という体たらくで高校を卒業し、その後、大学時代も統計学(必修)などで数学が必要になった場合も「先生と仲良くなる(そして、分からないなりに授業には真面目に出る)」などの処世術で乗り切って現在に至っているのだが、半年ほど前に天啓がおとずれたかのように、数学、やってみようかしら、といきなり思いたち、そこからコツコツとノートをとったりしながら上記のテキストを読んでいたのだった。

この『高校数学+α:基礎と論理の物語』はかなり評価が高いテキストではあるのだが、いろいろとわたしは勘違いをしていた。この本は「高校数学の基礎」を物語的に教えてくれる本、ではなく「高校数学で出てくる数学の理論を、その成り立ちから解説する」という本だったのである。演習問題なしに基礎が身に付いたりするマジカルな本、じゃなかったのか……と気づいたのは、中盤に差しかかってからで、その後もなんとなく勿体ないから「う、う、難しいよ……わかんないよ……」としょんぼりしながら読みました。かなり抽象度も高いし、公理の証明の部分とか、読んでもぽかーん、という感じ。

とはいえ、学ぶところがゼロだったわけではなくて。このテキストの解説は「そもそも数ってなんだ!?」という根本的なところから話が始まったりするので、普段生活しているうえでの当たり前となってるモノが覆されるような、まるで社会学的な体験を与えてくれる内容だったりして、理解できる部分だけ拾っていってもソコソコ面白く読める。三平方の定理の頻出具合に、うお、これ考えた人、スゴくない!? とバカみたいに感心したし、なにより、高校時代みたいに定期テストのために数学をやっているわけではない、という気楽さが良かった。赤点を取ってはいけない、というプレッシャーから解放されて望む数学はなかなか心地良いものなのね(難しかったけども)。

あと、抽象的な議論もなんとか知っているモノに結びつけて考えていくと、なんとなーく使いどころがわかったりもし、そういう部分では「年を取って経験を積んでからのほうが、勉強が進む部分もあるのでは」と思ったりした。頭のいい人って抽象的なモノを抽象的なままで理解できる人であって、そこは才能の部分が大きそう……と勉強しながら考えさせられたけれど、なにかのとっかかり(経験で得られた具体的なサムシング)さえあれば、別なやり方で考えたりできるのでは、と。「年を取るとなかなか頭に入ってこなくて……」と記憶力が衰えることがあるのかもしれないけれど、ホントにそういう経験によって学習効率をあげるようなことがあるなら、まだまだ絶望するには早い……。

とんでもなく役に立つ数学
西成活裕
朝日出版社
売り上げランキング: 8387
東大の西成先生の数学についての本もちょっと読み返しながら、数学の使いどころについても思いを馳せた。今回はちょっとテキスト選択に失敗したかもしれないけれど(結局、終盤はザックリと流し読んだだけになってしまったし……)、めげずに数学の勉強は続けたいと思います。なんだろう、できなかったことができるようになるのって単純に楽しい。

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読売日本交響楽団第518回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮=スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
クラリネット=リチャード・ストルツマン
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
スクロヴァチェフスキ:クラリネット協奏曲(日本初演)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(デ・フリーヘル編)

夏休みを明けて下期シーズンに入っての読響定期、1発目でスクロヴァチェフスキ御歳88歳(米寿)の登場である。今回はブルックナーやベートーヴェンといった肝となるレパートリーからちょっと外して、メインにヴァーグナー、前プロにヴェーバー、中プロに自作のクラリネット協奏曲、といろいろ並んでいたけれど、なんというか、スゴい老人力、というか、好き放題やっている感じが充実した演奏に結びついていたのでは、という演奏会だったと思います。

特にヴェーバーはなにか鬼気迫るモノ、というか、老人性の癇癪がいつ爆発するのだろうか、という緊張感と爆発が凄まじいことになっており、これはヤリ過ぎのレベルであって、コンサート・ピースとして切り出された楽曲ならではの無茶苦茶な怪演だったと思います(開幕前の序曲では、あり得ないだろう、という)。それだけに冒頭のホルンが「ウッ」という出来だったのは残念ですが、今日の演奏はライヴでなければそのスゴさが伝わらなかったのでは、とも感じます。短いなかにスクロヴァチェフスキの音楽の鋭さであったり、大きさであったりが詰め込まれていたと思う。

日本初演の中プロは、何と言うべきか、老い先短いおじいちゃんに好きなことさせてあげよう、と見守る家族みたいな気分にサントリーホール全体がなった、と言って良いでしょう。ストルツマンと読響の初競演がまさかこんな何とも言えない曲とは……。曲調としては、20世紀のポーランドの人、という感じもちょいちょい感じさせるのですが……わからなかったですね。自分が楽しむには勉強不足。

メインのヴァーグナーはもう大満腹でしょう。今回はヘンク・デ・フリーヘルという人の編曲版ですが冒頭からブルックナーの交響曲の第3楽章か、という壮大な雰囲気で攻めていました。純器楽を中心に音楽を聴いていたため《トリスタンとイゾルデ》自体あまり聴いてこなかったのですが、ブルックナーやリヒャルト・シュトラウスなど、ヴァーグナーが与えた後世の影響を考えたりもし、おー、楽劇聴いてみようか、などとも。

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Lorraine Daston, Katharine Park 『Wonders and the Order of Nature 1150-1750』

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Wonders and the Order of Nature, 1150--1750
Lorraine J. Daston Katharine Park
Zone Books
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このへんのエントリーで「読んでます」報告しているのを見ると、およそ9ヶ月ぐらいかかったみたいですが、ようやくロレイン・ダストンとキャサリン・パークの大著『Wonders and the Order of Nature 1150-1750(驚異と自然の秩序)』を読み終えました。これはなかなか大変な本でした。まず、大昔のラップトップ・コンピューターぐらいのサイズと重量があり、持ち運ぶのがツラい。「なんで、こんな大きな本持ち歩いてるの……」と呆れられること多数。ペーパーバックもあるのでそっちを買えば良かったんですが、日本のAmazonではマーケットプレイスでしか取り扱いなし。それから、日本語で言えば、ものすごい画数が多い感じで表現されそうな使用頻度が少ない英単語や医学用語など辞書を引くのが大変でしたね。これは「オシテオサレテ」の坂本さんも「あの本は難しいよ〜、むちゃくちゃ辞書引いたもん」とおっしゃってましたね。でも、面白かった!

一本足人、一つ目人間、二つの顔を持つ人、無頭人、犬人間
本書は中世から啓蒙主義の時代に「Wonder(驚異)」が西欧においてどのように取り扱われていたのかを巡る歴史書です。当時の思想家、科学者、あるいは権力者や民衆たちが、驚くべきものに対してどんなリアクションをしてきたのかが1150年から1750年という長いスパンで精査されていきます。時間の経過とともに、何が驚異として取り扱われるかも時代によって変わってくる。例えば、中世においてはヨーロッパの外部にたくさんの驚異が想像されていたりするわけです。アフリカやアジア、といったヨーロッパの外部に、一本足の人間や一つ目人間や、犬人間とかがいる! とか。これらの想像上の驚異は、プリニウスの『博物誌』の時代からヨーロッパで伝えられてきたものでした。

教皇ロバの図像
活版印刷もなく、情報の流通システムがおどろくほど貧弱だった時代に、ヨーロッパの外部にはそうした驚異が蠢いていて、ヨーロッパの内部ではそうした外部の驚異のイメージをキリスト教的な道徳から外れたものの象徴として利用していました。このシステムはルターやメランヒトンが宗教改革の時代に「教皇ロバ」などのモンスターを教会批判のための風刺的図像として扱っていたものと通じます。ヨーロッパにおいては、グロテスクな驚異が道徳的な警句として機能する伝統が根強いものとして存在しているのです。

その一方、驚異は学術的な研究意欲、人間の知識欲に火をつける動機のひとつでもありました。アリストテレスは『形而上学』のなかで「驚異することによって、人間は哲学をはじめた」という言葉を遺しています。この言葉を継承するようにヨーロッパで、驚異が知を牽引する時代がやってきます。その現象には、時代が進むにつれて、前述のヨーロッパの外部にあった驚異はだんだんとその実効力を失っていったことが強く影響しています。情報伝達技術の発達と商人たちの活躍により、ヨーロッパの外部にあったはずの驚異はどんどん力が弱まっていく、つまり、犬人間や一本足の人間なんかいないじゃん、ということなんですが、逆に、ヨーロッパの内部で生まれた畸形の誕生が情報として伝えられるようになっていく。もはや驚異はヨーロッパの外部からやってくるものばかりではなく、ヨーロッパの内部でもうまれゆくものに変化するのです。こうしたヨーロッパの内部で発生した驚異に対して、当時の知識人がどのように反応していたのか、については「反−自然の概念 十六、七世紀イギリス・フランスにおける畸型の研究」のなかでも触れられている通りです。このあたりのトピックは、本書のハイライトのひとつであり、大変読み応えがあります。驚異が神の怒りを連想させ、道徳的な畏怖を与える、という認識も変化し、自然の秩序にも影響を与えていく。

驚異の部屋
もちろん驚異は、畏怖と知の源でもあると同時に、興味深いもの、面白いものとしても扱われます。いまだって、ビザールなモノは一部の人間の関心を誘うものですよね(たとえば、ビザール・ギターとか)。驚異のこうした性格は、15世紀から17世紀のあいだに貴族のあいだで権力の象徴(=珍しいモノを持ってる人間はエラいし、金持ち)として珍重され「驚異の部屋(Wunderkammer)」というモノが流行します。なかでも神聖ローマ皇帝のルドルフ2世は当時のヨーロッパで最高の「驚異の部屋」を持つ人物として評価されました。錬金術やアルチンボルドなどに興味を抱いていたこの人物がこういうのに熱をあげていたのは、まったく驚くに値しません。しかし、本書での「驚異の部屋」の扱いは、単に驚くべきものが蒐集される場所としてだけではなく、それが自然と技術という相反するものが共存する場所として分析されます。これは大きなポイント。

頭から珊瑚が生えている女神
「技術は自然を模倣する」というのは、これまたアリストテレスが唱えた有名な命題です。この言葉には、自然(nature)と技術(art)が対立関係にあるかのような図式がある。しかし「驚異の部屋」においては、自然と技術が強く結びついていく。この部屋のなかでは自然の驚異だけではなく、技術的な驚異も取り扱われるのです。陳列されたモノは、自然物と人工物(技術によって作られたもの)が交互に並ぶように配置され、視覚的に融合します。職人よって作られた自然の驚異を利用した人工の驚異も重要なものでしょう。左の赤い珊瑚を利用した美術品は、そのなかでももっとも分かりやすいものとして考えられます。

しかしながら、啓蒙の時代、科学の時代になってくると「驚異の部屋」でおこなわれるような驚異の珍重が批判の対象にあがっていきます。こうしたものにいれこんでしまうのは頽廃であり、無為すぎる、と。この時代、また驚異は変質していきます。珍しいものではなく、ありふれたもの(ありふれた自然の秩序)のなかに、知のフォーカスがあてられていく。それは現代に置ける科学と直接的に結びつくものです。言うなれば、日常のなかにある驚異があぶり出されていった、というところでしょうか。

以上、簡単に本書のトピックを紹介させていただきました。冒頭で、重量、ヴォリューム、難易度などについて触れましたが、さまざまな苦労を乗り越えてでも読む価値のある大変な名著でもあります。すでに高山宏周辺などでも認知されている本のようですが、邦訳でないのかな〜。

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荒木飛呂彦 『ジョジョリオン』(3)

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ジョジョリオン 3 (ジャンプコミックス)
荒木 飛呂彦
集英社 (2012-09-19)

書店で見かけて手にとったとき「なんか薄くねえ……?」と思ったが、なかみは激アツな展開。第2巻で示唆された『スティール・ボール・ラン』との連続性がここではっきりと明らかになり、まるで2周目のジョジョの系譜がはじまったかのよう。これはもしかして……、第6部にでてきて唯一1周目の世界からの越境者であるあの少年が登場したりするのでは……? まさか、記憶がない主人公の記憶がないのはあのディスクが……? などと妄想も爆発してしまうではないか。細かいところをよく見たら、第4部にでてきたあんなものやあんなマークもあるし。そして、荒木先生は、目が大きくてちょっと離れている女性の顔が好きになってきたのだろうか……。

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『論語』

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論語 (岩波文庫)
論語 (岩波文庫)
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岩波書店
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なぜかパリに向かう飛行機と、その帰りの飛行機のなかで『論語』を読んでいた。言わずとしれた孔子一門の言行録、というかありがたい発言集であり、およそ2000年ほど前に成立したザ・ベスト・オブ・自己啓発本、そして内容の抽象度が高いため、現代においてもいかようにも解釈できるため汎用性が非常に高い書物……というのが第一印象であり、なんというかこんな偉そうなことばかり言っている孔子と言う人間が「この人の下で政治をするのはなあ」と色々面倒くさがって諸国を遊説しながらアレコレし、途中で官僚として迎え入れようとする人もいるのに「や、アナタ、私よりも下の人間でしょ」と言わんばかりに話を断って、遂には政治の実権を執らないまま亡くなり、それはまるで様々な優良企業から内定をもらっているのに全部蹴って、仕舞に起業したあげく、鳴かず飛ばずで自死! あるいは、一生童貞のまま死亡! みたいな感じであるのに……それなのに後世に絶大な影響を及ぼした、というのがあまりに謎なのだが、逆にそうであるからこそ、君子の政治は難しい、不可能であるからこそロマンティック! みたいな話なのかもしれない。

岩波文庫に収録されているのは、漢文、読み下し文、それから現代語訳、という構成で大変読みやすいのだが、現代語訳の読みやすさはそれだけ致死量を増す。特に第7巻憲問第14 37章における
わたくしのことを分かってくれるものは、まあ天だね。
という発言たるや、ナルシシズムの極地と言えよう。しかも孔子にとっては妖術・仙術の類いは君子の道から外れるものであり、天とは不可知、つまり認識ができない絶対的な知である。にも関わらず、天だけが私のことを理解してくれる、とはいかなるものか。妖術・仙術、こうした神秘主義はまとめて「鬼」という一文字で括られ、孔子においては顧みられることがない。孔子が重要視するのは、現実的な「仁」であり、あるいは「礼」であり、あくまでリアリスティックな方法論を体得することによって、実践される政治である。それはアレやコレやと認識の梯子をのぼることによって、イデアに到達せんというプラトン流の哲学とは異なるものだ。にも関わらず、孔子の弟子たちが描いた孔子の姿と、プラトンが描いたソクラテスの姿には、前述の「不可能であるからこそロマンティック!」という感じでつながりを見いだせなくもない。

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パリでパサージュを撮ってきた(2)

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こちらのエントリーのつづき。パリで撮影したパサージュの写真を掲載します。


パサージュ論 第2巻 (岩波現代文庫)
W・ベンヤミン
岩波書店
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Zazen Boys / すとーりーず

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すとーりーず
すとーりーず
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ZAZEN BOYS
MATSURI STUDIO (2012-09-05)
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うおお、ナンバーガール解散から今年で10年目なのかい! ということはZazen Boysも活動からほとんど10年近く経過しているのだなあ……現在のメンバーになってもう5年経ってるのかあ……(ぽわわん)と思わず追憶モードに入ってしまったが、新譜である。丸4年越しの。今回のアルバムでの新しい試みなどについては、各種インタビューを参照していただくとして、このバンド、アルバムを出すごとに、嘘っぽいアーバンな感じを深化させていった、という印象があるのだが、今回は「なんか一周しちゃったな」という感じで、途轍もなかった。

全楽器がユニゾンでガン鳴らされる瞬間の鉄壁のアンサンブルなどは、エルメート・パスコアールか……


と思ったが全然違うし、サン・ラか……


とも思ったが全然違う。とはいえ、バンドが高いレベルで統御されている様子には、上記にあげたジャズの人たちが放つ強烈なカルト臭と同じものを感じるのだった。これは70年代のマイルス・デイヴィスのバンドにも同じことが言えるが、こちらは4人なのにカルト。そして、ガチガチにキマッてるけどクール、熱いけど素面、みたいな相反する要素を音楽から感じ、なんというか平熱で人を殺してしまいそうな恐ろしさがある音楽であるな、と思った。

歌詞もアレだ。最後の「天狗」など極めつけにおかしく、たった一言「あれはもう遠い昔の記憶」というフレーズだけで、なにか、存在しないはずの郷愁のようなものを掻きたてつつ、その後はひたすら天狗の話をする、という異次元レヴェルのセンチメントなのだから、こちらとしては笑いながら怒る人みたいになるしかないのではないか。


あと「天狗」の元には黒田硫黄があるか?


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パリでパサージュを撮ってきた(1)

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9月11日から15日までパリに滞在していました。2年連続2度目のパリ旅行、今回は前回旅行時にリサーチ不足で見られなかったパサージュを見学し、ヴァルター・ベンヤミンが見た景色について思いを馳せてみよう、というのが個人的な目的のひとつでした。たまたま取ったホテルの近くにパサージュがいくつもあり、到着したその日からミッションを進められたので良かった。以下、撮影した写真を掲載します(各パサージュの場所についてはこちらのサイトを参照のこと)。


パサージュ論 (岩波現代文庫)
W・ベンヤミン 今村 仁司 三島 憲一
岩波書店
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芦原義信 『街並みの美学』

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街並みの美学 (岩波現代文庫)
芦原 義信
岩波書店
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著名な建築家による都市景観論を読みました。本書は、日本と諸外国における家の観念の違いにはじまり、生活様式や利便性を確保しながらどのような街並みがあるべきか、そして街並みの美しさとはそもそも何なのかを検討する内容となっています。建築様式の発展は機能主義的に説明され、哲学をもって人々の暮らしを捉えつつ、美しさをゲシュタルト心理学によって規定しようとするなど説明が簡潔で読みやすい。その一方で「ゲシュタルト心理学的に街並みを考察すると、人間はその街並みの構成を『図』として認識できると美しいと思えるらしい」(大意)というところから、雑然とした日本の都市は「『図』として認識がしにくい、ゴミゴミしていてダメ」とバッサリ切り捨てていく展開は、素直に飲み込むことができませんでした。

本書の基本的論調として、西欧の諸都市にあるような昔からあった街並みを保護した景観は賞賛され、戦後日本の街づくりはことごとく批判の対象となるというのがあります。そのなかで京都の町家だけが何度も素晴らしい伝統として持ち上げられているため、高度成長最低、伝統万歳、みたいにも読めてしまう。書かれたのが70年代末ですから、オイル・ショック以降ですから戦後日本の経済発展を反省するのが一種の知的なブームだったのかもしれません。しかし、日本人には雑然として見える景観でも、外国人にとってはエキゾチックに見えて良い、ということだってあるでしょうし(ソフィア・コッポラが撮影した新宿の夜景を見れば、外国人旅行者が東京のなにを見ているのか、を想像することができます)、東京のインフラの新しさ・清潔さはヨーロッパと比べたら好ましいと思えます。

また、ル・コルビュジエの設計を形式美学に拘泥するあまり人間性を失っている、と批判する一方で、機能ばかりではなく、余裕をもった歩道作ったり、街路樹植えたりして、もうちょいキレイで人にやさしげな都市を作れたら良いよね! と曖昧な価値観の提示しかできていないのは、なんとも。利便性や経済的合理性、あるいは環境への配慮などなど都市の形成にはさまざまな要素があると思いますが、何をどんな具合でやったら良いのかも本書では示されません。「もうちょい計画して街を作れ!」というのは何となく伝わりますが、計画都市の苦戦を考えると、計画して作ってもそこに計画した通りの生活は生まれるのか? と思います。

……と、内容にやや不満を感じてしまう本ですが、価値判断の妥当性をひとまず横において世界の都市の比較を読むのは面白かったです。特に、日本の大都市には、建物のファサードを見れるような空間が設けられていない、という指摘は、たしかに〜、と思いました。

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ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』(2)

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パサージュ論 第2巻 (岩波現代文庫)
W・ベンヤミン
岩波書店
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『パサージュ論』第2巻は「蒐集家」、「室内、痕跡」、「ボードレール」の項目を収録、大部分が「ボードレール」のページで、私はこの詩人についてよく知りませんので、その辺はキツかったです。でも、その他の項目は面白く読みました。とくに「蒐集家」について。これはベンヤミンのほかのエッセイでも取り扱われている内容だと思うんですが(例えば『ベンヤミン・コレクション2』に収録されている「蔵書の荷解きをする」とか)、ひとつの断片におけるまとまりが他よりもしっかりしていて読みやすいです。ここでベンヤミンが語る蒐集行為とは、そのモノが持つ機能のために集められているのではなくフェティッシュ(物神的な)な行為です。お金は使わないと単に紙切れなのにそれ自体に価値があるように貯えているヤツがいる、そうした現象をマルクスは物神化作用と呼びましたが、読みもしない本や聞き返さないレコードを抱え込んでいる人などもこの類いに入ってしまうわけです。

しかし、蒐集されたモノは単に集められるわけではない。蒐集家によってモノは秩序づけられ、意味付けられ、そこには世界が構築され、ベンヤミンによれば、パリのパサージュはこのような「一人の蒐集家の手のうちにある所有物であるかのように考察され」(P.12)ます。ガラスと鉄骨の屋根の下に立ち並んだ小さな商店は、蒐集家に意味付けられたモノのアレゴリーになるのですね。

建築物を秩序づけられた世界と読み解くのは、なにもベンヤミンが初めてではなく、フランセス・イェイツライナルド・ペルジーニの著作を紐解けば、ルネサンス期のイタリアで大きな盛り上がりを見せていることが分かります。古代記憶術の伝統から生まれたジュリオ・カミッロの記憶劇場では、通常の劇場であれば、観客が座って舞台を眺めるであろうところに同心円上に秩序体系化された知識が配置され、宇宙を形成します。

このようにカミッロの記憶劇場とベンヤミンのパサージュは、仕組みとしてよく似ているように思われるのですが、決定的な違いは、前者が利用者が舞台から観客席にある知を一望監視するのに対して、後者は線的に通りを歩きながらでなければ辿れない、というところにある。言わば、ランダム・アクセスかシーケンシャル・アクセスか、みたいな違いです。ここにベンヤミンにとっての記憶のイメージが象徴されるように思われました。もしベンヤミンがランダム・アクセス型のイメージを持っていたら彼は、パサージュではなく、百貨店、とくにギャラリー・ラファイエットについて書こうとしたかもしれない、と妄想してしまう。

「室内、痕跡」には、「蒐集」と地続きな部分(室内が箱庭的に住人の心的世界を表象するものである、みたいな)もあるのですが、室内はなんらかの生活様式や伝統を模倣する生活空間であり、その痕跡として読み解かれます。現代で言うなら、本人は自由意志に基づいて生活しているつもりなのに、マガジンハウスの雑誌に書かれたライフスタイルなるものをなぞっているだけだった、個性的でシャレオツな生活は、なにかの痕跡でしかない、みたいな感じでしょうか。ベンヤミンがどんなことを言おうとしたのか、分量も少ない断片からはよくわからないんですけれど、消費社会論の嚆矢っぽいところが読み取れる気がします。

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Billy Bragg & Wilco / Mermaid Avenue: The Complete Sessions

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Mermaid Avenue: the Complete Sessions
Billy Bragg & Wilco
Nonesuch (2012-05-14)
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今年はウディ・ガスリー生誕100周年だそう。このフォーク歌手についてはすみません、ほとんど何も存じ上げませんが、これにあわせてイギリスのミュージシャン、ビリー・ブラッグとアメリカのバンド、Wilcoによるウディ・ガスリーの死後未発表となっていた詩を用いて曲作りをおこなうプロジェクト『Mermaid Avenue』のコンプリート・セッションズというアイテムがリリースされています。収録内容は1998年の『Mermaid Avenue』、2000年の『Mermaid Avenue Vol.2』に、未発表音源の『Mermaid Avenue Vol.3』、さらにレコーディン最中のドキュメンタリーDVDまでついてくる、というマッシヴなもの(大抵こういう特典DVDって観ずにいるんですが……Orange Juiceのボックス・セットについてきたDVDも観てないし)。先日、Dirty Projectorsのアルバムを聴いて「俺が求めているロックは、こういうのじゃない!」とまるで枯れきったオッサンのごとき悟りを開いてしまったところに、この骨太なルーツ・ロックは沁みました。Wilcoにこういうことをやらせると、ますますBlack Crowsとキャラがかぶってきてしまいますが、良いんです!

フォーク・ミュージックのなかでも特に、プロテスト・シンガーの書く歌詞って時代と切り離せないものであったりしますから、聴いても分からない、だから敬遠してしまう、ということがあると思うのです(そもそも英語もよく聞き取れないし)。このアルバムのなかで使用されているウディ・ガスリーの詩も、人権運動で有名な人物の名前がでてきたりして例に漏れず、といった感はある。けれども、こうスピーカーの前に座って、歌詞を読みながら聞いてると、シンプルな言葉で綴られた労働や失恋についての歌が、妙にハマったりするんですよね。ウディ・ガスリーが生きた時代の労働や、男女の関係のあり方は今と異なっているはずなのに。

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安達哲 『さくらの唄』

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さくらの唄(上) (講談社漫画文庫)
安達 哲
講談社
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さくらの唄(下) (講談社漫画文庫)
安達 哲
講談社
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10代の頃にありもしなかった、そして今後ありえるはずのない心の痛みらしきものを、こうした漫画を読むことで仮に受けて、グッと来たりしてます。

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MacBook Proに赤ワインこぼしちゃったよ、泣きたいです、の記録

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昨年の7月に購入してからさまざまに使いまくっていたMacBook Proに、赤ワインをBUKKAKEてしまったのが、9月6日のできごと。そのとき「まず布巾をもってこなくては……」ともたもたしていたら画面とボディをつないでるヒンジの部分からワインが染み込んでしまい、ディスプレイの接続部分を損傷させてしまったらしく「ドゥゥーン」とカッコ良い村上ショージのような起動音とともに立ち上がりはするものの、ディスプレイには何も表示されない、という状態に陥りました。飲酒 with インターネットの恐怖!  みなさんも気をつけて! 一瞬先は闇です! しかも、その夜から私の夏休みがはじまっており、のっけから最悪な幕開けだったわけで……。

MacBook Pro不在の机
MacBook Proが不在になった机(きたない)
とはいえ夏休みだったからこそ、次の日即座にアップル・ストアへと持ち込んで修理の見積もりとかを出してもらえる、というタイミングではあったのですが。アップル・ストアのジーニアス・バー(修理窓口)は予約制ですが、iPhoneからスムーズに予約がとれました(平日だったせいか、当日でも予約可能だった)。ただし、予約してても混雑しているとちょっと待たされます。でも、アップル・ストアの店員さんはみんな意識が高そうなので、不快な対応はありません。時間より少し遅れて対応をはじめてくれた黒田勇樹みたいなスタッフさんは「実は飲み物をこぼしてしまいまして(……ペラペラとオタクっぽく状況と、損傷してそうな部品について伝える)」と言ってる間、つねにまるで悲劇でも聞くかのような悲痛な面持ちでおり、親身に相談乗ってます感がものすごかった。

ワインをこぼした後に、自分でも裏蓋を外して内部の基盤の様子をチェックしてはいたのですが、ここでも同じことをされて「お客様の予想通り、正常に起動はしているようなのですが、ディスプレイの接続部分が損傷を受けてるみたいで〜」とのこと。そうか〜、と思ってたらスタッフの方から出た次の言葉が胸に突き刺さりました。

「この部分、一番高いパーツでして、修理すると11万円になるんですよ……」

思わず「11万円っすか……」と絶句。アップルの規定で修理代は一律5万円、みたいなプランもあるのだけれど、この部分はもうなんともならん、11万円です、ということだそう。うう……中古で別なマシン買えるじゃないか、どうする……と悩んでいるあいだ、スタッフの方も一緒に悩み顔してくれました。そこで出された修理の他の代替案が以下の2つ。
  1. 別なMacを接続して、リモート経由で壊れたMacBook Proを操作する
  2. 別なディスプレイを買って、ディスプレイをミラーリングして使う
1.の案は別なMac持ってなかったし、なんかあんまり状況が解決してないよ、と思われたので、今回は2.を選択しました。このときはその場で、ディスプレイだしてくれて、ちゃんと動作するかどうか試させてくれたのがありがたかったです。「Thunderboltディスプレイとか、キレイですけど、それじゃなくても使えるので〜、そのへんはお客様の好み次第ですね〜」とアドバイスもしてくれて、おっしゃ〜、アップル製品売ってやるで〜、と商魂を見せつけてきたりもしなかったので、非常に好感が持てました。

Griffin Technology Video Display Converter GRF-VIDEODISPLAYCVTR
Griffin Technology
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その後、店員さんと相談して、その場でHDMIとDVIのコネクターを購入。

その後、別な電気屋でディスプレイを眺めて(欲しいものの在庫がなかったので)Amazonでこちらのディスプレイを購入。ワイン一杯こぼしただけで約2万円の出費……と地味に泣けますが、画面を15インチから23インチに大きくしたんだ! と前向きに考えることにします。無理だけど。

Untitled
ディスプレイ設置の図
画面のキレイさとかはあんまり期待してませんでしたが、設置してみたら意外にキレイでびっくり。現在はDVIで接続していますが、コネクターに問題があるのか緑色のノイズが常時ちらついているが問題ですが(コネクターの角度とか変えるとノイズの量が変化する)HDMIに変えてみてどうなるか試してみたいところ。ただ、私は近視なので眼鏡をしてなければ、そのノイズも見えず、気にならないレベルです。

かつてヴァルター・ベンヤミンは「娼婦と本はベッドに連れ込むことができる」と言いましたが、MacBook Proもベッドに連れ込むことができるアイテムなわけで、今回の処置によってベッドで寝ながらYoutubeを観るなどができなくなってしまいましたが、ひとまずブログ更新とかはできるようになりました。ご心配をおかけしました(TwitterやFacebookでいろいろ教えてくださった方、ありがとうございました)。

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村上春樹 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』

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夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋 (2012-09-04)
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村上春樹が『アンダーグラウンド』から『1Q84』を出版するまでに受けたインタビュー集(文庫版へのボーナス・トラックでは2011年の地震以降のインタビューも含む)を読みました。創作のプロセスや、日々の生活、小説家になるまでの経緯など、長いあいだこの作家のファンを続けてきた人であれば、どこかで知っていた話、繰り返し聞く話になる本かもしれません。でも、繰り返し語られることで高まる確証のようなもの、信頼感みたいなものがあるとも思われ、一言で言えば、こうして自作や自分についての発言がまとまって読める形になっているのはありがたいことだな、と感じました。もちろん、「あの作品」がどのように書かれたか、という話や、国内の賞は受けないのに外国の賞は受ける理由など、この本で初めて読んだものも多かったですけれど。

本書に収録されたインタビューも、インタビュアーの多くが外国のメディア関係者、あるいは外国で村上春樹の本を訳している人物になっています。そして、日本の外から村上春樹を訊ねてきた人物たちが聞く話のほうが面白く読みました。日本人によるインタビューはどうしても内輪感が出てしまっている、というか、文壇感があるというか、というか、わかっていますよ感、というか、妙な居心地の悪さを感じます。その極端なものが古川日出男が聞き手となっているもので、これには居心地の悪さを超えて「うん、うん、わかるよ、わかるよ」と解答を常に受け入れてしまうことの気持ち悪さを感じてしまいます。

「個人的な」小説を、ほとんどひとりで書き続けている孤独感(しんどさ)とその居心地の良さのアンビヴァレントな感覚が、複数のインタビューのなかで繰り返される言葉から伝わってきます。個人的には、そうした地点に立てるうらやましさもありました(チーム・プレイや組織のルールを守ることが苦手なので)。読んでて、自分にもそういう風にモノを書いたり、研究したりする機会が訪れないか、って夢見てしまう。

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今敏 / PERFECT BLUE

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パーフェクトブルー 【通常版】 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント (2008-02-29)
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一昨年、急逝された今敏監督の初監督作品を観ました。ストーカーモノのサスペンス、と思わせておいて、予想を何度も裏切ってくるループ & ネストなサイコ・サスペンスでドキドキとさせられました。98年の時点で、インターネットが重要なアイテムとして劇中に登場する早さもやはり注目されるところなのですが、ちょうど『PERFECT BLUE』の公開時と同時期に放映されていた『カウボーイビバップ』を見直したりしていて、両者のネットワークの描かれ方の違いを考えたりもしました。後者で描かれるネットワークは、ウィリアム・ギブソン原作の映画『JM』や、押井守の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(どちらも95年)で描かれたような空間的な広がりをもつモノで、その描写は細田守の『サマーウォーズ』(2009年)にも引き継がれていく。その空間は広大で自由であり、そのイメージは現実のインターネットにも重なるものです。しかし『PERFECT BLUE』のインターネットはもっと夢がない。ネットワークを介して誰とでも繋がる自由がある、その一方で「誰か」と繋がってしまう、というリアリティがある、と思いました。ネットワークの世界へ霊魂的なものを解き放ち、どこにでも偏在しえる自由を獲得する『攻殻機動隊』や、ネットワークによって集合的な善意と接続される『サマーウォーズ』と違って、『PERFECT BLUE』では特定の誰かとの接続が、主人公の自我を蝕むきっかけを作っていく。言うなれば標的型の攻撃性がここでは描かれているのでは、と思われるのでした。

そのほか、15年近く前の映画に登場するオタクの姿が今と全然変わってなかったり、大友克洋的な重力を強く感じさせる描写があったり、面白かったです。

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ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年 @国立西洋美術館

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ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年(公式)

同じく上野で開催中の『マウリッツハイス美術館展』と同様、フェルメールをメインに据えた展覧会にいってきました(『学べるヨーロッパ美術の400年』なんですけどね)。東京文化会館の前には「マウリッツハイス美術館展 60分待ち」という看板がでていましたが、ベルリン国立美術館のほうはかなり混雑しているものの入場制限なしで入れました。チケット売り場は、年配の方向けに「こちらにあるのはフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だけですが、よろしいですか?」と確認していて、それでちょっと流れが悪かったかも。「15世紀から18世紀までのヨーロッパ美術を、イタリアと北方の美術を比較しながら観ることのできる展覧会」、「学べるヨーロッパ美術」というコンセプトも、ちょっとイマイチわからなかったですね。結局メインは17世紀絵画であり、そのなかでもフェルメールじゃん、という感じがしましたし、回廊を歩きながら美術史を辿る感じは、常設展のほうが強く伝わってくる気がする。とはいえ、暗い絵が連続するなかで、フェルメールが現れ、柔らかい光が目に入ってくる感じは、グッとくるものがあり、これが人気なのも納得かもなあ、と思いました。

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1年以上かけてWheelock's Latinを一周終えました

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Wheelock's Latin 7th Edition (The Wheelock's Latin Series)
Richard A. LaFleur
Collins Reference
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はじめたのが昨年の7月とありますから、およそ1年2ヶ月のすえ、Wheelock's Latinの40章まで終えました(いま、おめでとう自分と思いながらワインを飲みつつこのエントリを書いています)。後半は例文も結構難しくてツラく、暗記しなくてはいけない文法事項や変化もひとまずおいてどんどん文章を読むようにしていきましたが、Sententiae Antiquaeのコーナー(キケロやホラティウスなどの名言めいた文章が載っている)が面白かったから続けられました。この古典からの引用は教材用にちょっと易しくなっているところもありますが、箴言・金言がラテン語の響きで読めるようになる、というのはありがたみが増す感じがある。現代でも有名な経営者やスポーツ選手の本には人気がありますが、ライフハック風の箴言・金言が好きなのは古代ローマ人も同じだったっぽいです。

この教材、問題の解答がないのがひとつのネックなんですが、ネットをさがすと英訳の解答例が載っています。たとえば日本の方による40章分の解答例がこちらにある。ただし、こちらは第6版の解答のため、最新の第7版で追加された問題の解答はありません(でも、そんなに追加・変更部分はないのであまり問題になりませんでした)。まあとにかくこの教材は安いし分量もあるし、丁寧だし、なので説明がすべて英語でも、インターネットがあればラテン語を独学で勉強するのも怖くないですよ!

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グスタフ・ルネ・ホッケ 『迷宮としての世界 マニエリスム美術』

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迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
グスタフ・ルネ・ホッケ
岩波書店
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迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
グスタフ・ルネ・ホッケ
岩波書店
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「マニエリスム絵画には、迷宮としての世界が広がっている!」的な本かと思って読み進めたら、見事に裏切られました。本書は「美術史の名著」などと紹介されているのだと思いますが、通常我々が「歴史」という言葉から連想する線的にストーリーをたどるものではございません。これはルネサンスと現代絵画(とくにシュールレアリスム)、そして文学・哲学、ときおり音楽を交えながら、グスタフ・ルネ・ホッケによる博覧強記が炸裂する奇怪な批評の連続であり、読み手にも様々な教養が必要とされるため、何も知らない門外漢が読んでも「なんですか、コレは……」と目が点になるばかりでございましょう。それではまさにホッケが読み解いた世界の迷宮を彷徨うだけで無為な時間を過ごすだけですし、あまつさえAmazonに「意味不明!」などとクソみたいなレビューを書き、人に迷惑をかけることになるためお気をつけください。

絵画については、250以上の図版がついてくるのでまだ良し(ただし白黒。しかし、我々にはインターネットという強い味方がある!)。それ以外については、少なくともマルシリオ・フィチーノ、ピコ・デラ・ミランドーラ、ジェロラモ・カルダーノ、ジョルダーノ・ブルーノ、アタナシウス・キルヒャー、バルタザール・グラシアンなどの15世紀から17世紀の思想史を語るうえで欠かせない人物のことを知っていなければ分からない。さらにホッケがエグいのは同時代の絵画と思想を結びつけるだけではなく、過去と現代を結びつけてる四次元殺法でしょう。これについていける人物だけが、迷宮に迎え入れられたものなのです。ときにはホントに突拍子もない「言ってみるテスト」でしかない文章もある。たとえば、ダリを現代のマニエリストと評する部分では
挑発的な怪奇【ビザルリー】(言語学的な原義は「髯の生えた」の意味。そしてなんとダリも異様な髯の持ち主である) 上巻P.161
などと分かりにくダジャレみたいなことを仕込んでくる。他にも、暴れる一角獣が処女の前では大人しくなる、それは……一角獣イズ男根の象徴であり……ゴニョゴニョ……だとかフロイト読みたてホヤホヤの高2みたいなことをおっしゃっており「ダテにあの世は見てねえゼ!」と白目を剥きながら幽遊白書のマネをしてしまい……僕は……と危うく迷宮にハマりそうになります。

たまたま人とこの本の話をしていて「すごいですね、あの本。ロジカルな積み上げがなくてもアカデミックじゃないところだと許されるんだなあ、ってなんか感心しましたよ」と言ったら「あれは、なんか言葉遊びみたいなものだから。高山宏とかああいうのが愉しめる人なら」と教えられ(高山宏は読んだことないんだけど)納得してしまいました。ヴァルター・ベンヤミンの用語系であれば、布置連関というヤツで、そういうところからなんかアイデアを取ってこれる人なら愉しく読めるでしょう。でも、そうじゃなかったら「で?」っていう話。その辺は山形浩生による高山宏の批判(ちなみに高山宏は『迷宮としての世界』文庫版の解説を担当)にも通ずる。訳文は超カッコ良いです。66年に刊行だって。日本の物好きのパワーってすげえ。



以下は「迷宮としての世界」に関連書籍を紹介しておきます。

ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統
フランセス・イエイツ
工作舎
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フィチーノに代表されるルネサンス新プラトン主義の思想がどのようなものだったのかは、この本の前半部分を丁寧に読むと大体わかります。このブログでも原著の読書メモを残しています。あとプラトンとかアリストテレスとか一通り読む(これはボルヘスを読むのにも役に立つ教養です)。

カルダーノのコスモス―ルネサンスの占星術師
アンソニー・グラフトン
勁草書房
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ジェロラモ・カルダーノについてはこちら(感想)。アンソニー・グラフトンはそろそろ『アルベルティ: イタリア・ルネサンスの構築者』も出る。


ボマルツォ公の回想 (ラテンアメリカの文学 (6))
ムヒカ=ライネス
集英社
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こちらはアルゼンチンの作家、ムヒカ=ライネスの小説(感想)。『迷宮としての世界』で大きく取り上げられているローマ郊外の驚異の怪物公園を作った傴僂の公爵、ピエル・フランチェスコ・オルシーニを主人公にしています。

Wonders and the Order of Nature, 1150--1750
Lorraine J. Daston Katharine Park
Zone Books
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これは読みかけだけれど、ダストン&パークによる『驚異と自然の秩序』で取り上げられる驚異のモチーフは『迷宮としての世界』と重なる部分が大きい(ダストン&パークの本では参考文献にはあがってないけど、やたらとネタがかぶる)。


Safe As Milk
Safe As Milk
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Captain Beefheart & His Magic Band
Sbme Special Mkts. (1999-06-01)
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あと、上巻の表紙になっているパルミジャニーノの絵を見たら、キャプテン・ビーフハートの一枚目のジャケットを思い出しました。ビーフハートこそ、ロック界のマニエリストだったのだ!!(これぞ、迷宮としての世界!)

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