2012年に聴いた新譜を振り返る

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  1. Beth Carvalho / Nosso Samba Tá na Rua
  2. Bang On A Can / Big Beautiful Dark and Scary
  3. Maria Gadu / Mais Uma Pagina
  4. mmm(ミーマイモー) / ほーひ
  5. Kip Hanrahan / AT HOME IN ANGER, which could also be called IMPERFECT, happily
  6. Carlos Aguirre / Orillania
  7. Lee Ranaldo / Between the Times & the Tides
  8. DCPRG / Second Report From Iron Mountain USA
  9. Caetano Veloso & David Byrne / Live at Carnegie Hall
  10. 松平敬 / うたかた
  11. Moritz Von Oswald Trio / Fetch
  12. insect taboo / SONGISM
  13. Dirty Projecors / Swing Lo Magellan
  14. Billy Bragg & Wilco / Mermaid Avenue: The Complete Sessions
  15. Zazen Boys / すとーりーず
  16. くるり / 坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)
  17. 山下達郎 / Opus All Time Best 1975 - 2012
  18. Tokyo Zawinul Bach / Afrodita
  19. キリンジ / Super View
  20. Pierre-Laurent Aimard / Debussy: Préludes Book 1 & 2
  21. Antonio Loureiro / Só
  22. Rafael Martini / Motivo
  23. Sonic Youth / Smart Bar Chicago 1985
  24. BUCK-TICK / 夢見る宇宙
  25. Ricardo Villalobos / Dependent and Happy
  26. Orquestra Imperial / Fazendo As Pazes Com O Swing
今年は26枚。やっぱりブラジル音楽ばかり買っていました。ブラジルのみならず、南米大陸から素晴らしいアルバムが届きまくっていた……カルロス・アギーレ、アントニオ・ロウレイロ、ハファエル・マルチニ……。以下、印象に残っているものを再掲。

Orillania
Orillania
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Carlos Aguirre
Rip Curl Recordings (2012-02-19)
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もっとこの手の音楽が流行れば良いんですが。来日公演にいけなかったのが残念。

SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA
DCPRG JAZZ DOMMUNISTERS SIMI LAB アミリ・バラカ 兎眠りおん
ユニバーサルミュージック (2012-03-28)
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初めはちょっと「このラップはなんか恥ずかしいぞ」と思ったけれども、なんだかんだ良く聴いた。

すとーりーず
すとーりーず
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ZAZEN BOYS
MATSURI STUDIO (2012-09-05)
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天狗、天狗、天狗……もうブチ切れまくっていた。

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)
山下達郎
ワーナーミュージック・ジャパン (2012-09-26)
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結局3枚中、初期を集めた1枚目ばっかり聴いていた。

ソー
ソー
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アントニオ・ロウレイロ
BounDEE by SSNW (2012-11-28)
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年明けぐらいにはロウレイロが参加しているバンド、RamoのCDも日本に入ってきそうなので楽しみである。

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Ibrahim Tatlises / Insanlar

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アラベスクの帝王
アラベスクの帝王
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イブラヒム・タトルセス
インディペンデントレーベル (1993-06-21)
売り上げランキング: 118,494

「アラベスク」はトルコのポップスのジャンル。そこで帝王と呼ばれる歌手、イブラヒム・タトルセスのアルバムを聴きました。邦題は「アラベスクの帝王」と直球ですが、原題は「Insanlar(人ってやつは)」(1989年)。時代的にやっすい感じのシンセサイザーが入っていたり、ウッとくる部分もあるんですが、とても面白い。ダルブッカによる軽快なビートのうえで、さまざまな伝統楽器やヴァイオリン、ギターやベースの演奏とともにタトルセスがエモーショナルに激唱するんですが、その歌詞が(もちろん、まったく意味がわからないけれども歌詞カードがついてきた)恋であったり、恋であったり、恋であったり……恋ばっかりじゃないか……。この点は陳腐だとか言われてトルコのインテリ層には受けなかったそうですが、いやいや、この歌声は聴かないと勿体ないでしょう。


実際聴いてもらった方が早いということで『Ben Ne Biçim Serseriyim 僕はなんてひどい浮浪者なんだ』のライヴ映像を。なんというタイトルなんだ……。濃厚すぎるし、客席の幸福そうな盛り上がり方が最高。モノフォニーで迫ってくるヴァイオリンが奏でる微分音を含んだ旋律は、猛烈にエキゾチックな感じがしますし、ワールド・ミュージックを聴く悦びに溢れておりますよ、これは。

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岡本源太 「イメージの哲学: ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」

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先日、東京大学駒場キャンパスでの展示「ムネモシュネ・アトラス: アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」について書きましたが、22日には関連イベントとして「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」と題されたシンポジウムが開催され、3名の発表者がムネモシュネ・アトラスに絡めての発表をおこなっています。このうち、岡本源太さんによる「イメージの哲学: ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」を聞くことができました。岡本さんのブログ「The Passing - 書物について」は以前からチェックさせていただいていましたが、個々の発表後の総合討議ではブルーノなどのルネサンス思想のみならず、アガンベンやディディ=ユベルマンといった現代の思想家までをカヴァーしながらキレキレのコメントをしていたのが印象的でした。以下(発表内容を細かくメモしていたわけではないのでうろ覚えなのですが)、記憶に残っている部分をメモしておきます。

岡本さんの発表は晩年のヴァールブルクによるブルーノ研究がどのようなものだったのか概観をまとめたものでした。ヴァールブルクがブルーノをどのように捉えたのか。当初彼はブルーノを合理的/近代的な概念によって思考をおこなおうとしたパイオニアと見なしていたようです。この読みには、ヴァールブルクのイメージ論が反映されていました。彼は、人間の思考がイメージによって縛られ、呪術的な力を持ってしまう現象を近代以前の図像から見ています。この図像から人々が受け取るであろう情念定型によるパワーから、解放された思想家がヴァールブルクにとってのブルーノだったんだとか。しかし、これはとても違和感が残る読みでしょう。とくにフランセス・イエイツ(彼女もまたヴァールブルクと非常に縁が深い人物です)によるブルーノ論を読んだ人にとっては。なぜならイエイツは『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』『記憶術』で、呪術的なイメージを利用する人物としてブルーノを描いているように思われるからです。まるで、ヴァールブルクとは真逆ではありませんか。

ただ、ヴァールブルク自身が、ブルーノ研究を進めていくにつれて当初の認識を改めざるを得なかったと言います。ブルーノを近代の概念思考のパイオニアとして位置づけるのには、ちょっと無理があった、と。しかし、その後のヴァールブルクにとってもブルーノは、ただ単に呪術的なイメージに縛られる者ではなかったようです。そこで改訂されたヴァールブルクのブルーノ解釈は、イメージを利用することで思考を自由にしていく者として描かれる。このブルーノ解釈は、イエイツが描いたブルーノの姿と一致していくように思われました。岡本さんの整理によって、ヴァールブルクとイエイツとのあいだに受け継がれているテーマが明確になったのが、今回の個人的な収穫のひとつです。なお、岡本さんの発表時にオシテオサレテのクニ坂本さんが猛烈な勢いでメモを取っていたので、彼もなんか熱いエントリを書くんじゃないか! と期待しています。

ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ (シリーズ・古典転生)
岡本 源太
月曜社
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こちらは今回の発表の内容が含まれてる2011年に書かれた論考。

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篠原資明 『空海と日本思想』

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空海と日本思想 (岩波新書)
篠原 資明
岩波書店
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西洋哲学の源流にプラトンがあるのと同様、日本の思想の源流には空海がある! と言ってみるテスト的な新書。ちょっと前から空海に興味があって読んでみたんだけれども、これは失敗。せめて著者がどんな人か調べて買うべきだった……なんと言うんでしょうか、偉い先生が還暦を過ぎると、こういう本を書いても怒られなくなる風土でもあるんすかね……。著者については、よく存じ上げませんけれども、ベルクソンとかエーコとかドゥルーズとかについて著作があるようですが、そういう人が「ちょっと今度、空海について書いてみた」感満載の本でした。これが大先生ってヤツか!

著者の空海解釈は、風雅・成仏・政治という3つのステージで分かれている。これをザックリ説明すると、自然の美しさやあり方(風雅)を身体に取り込むことによって、この世のなかがすべて仏でできていることを理解し(成仏)、世の中が全部仏なのだとしたら上手いこと世界を良くしてかなくちゃいけないよね(政治)、っていう感じみたい。「即身成仏ってそういうことなの〜、汎神論みたいな感じなんだ〜(即身仏とは関係ないのか〜)」とか、万物はすべて言葉によって認識されるし、その言葉はすべて仏なので、万物は即ち説法なのである、とかいう説明は面白い部分もあるのだけれども、ほんのわずか。即身成仏の認識から政治へ、っていうのが、プラトンでいうところの哲人国家の理想と重ねられるようなのだが……うん、で? で終わってしまう。

こうした空海の思想は日本思想に受け継がれ、変奏されていくのだ! というパートもなかなかのヒドさで、九鬼周造とか西脇順三郎とか草間彌生(!)とか名前を出して、何かを言っているつもりなのかもしれないが説得力を感じません。こんなところが通じている、こんなところが似ている、と指摘の羅列だけで変奏の説明はないんすね……、こういう話、私も深夜のファミレスでゲラゲラ笑いながらしてそうです……本当にありがとうございました……。

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ニクラス・ルーマン 「機能と因果性」

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ニクラス・ルーマンの1962年の論文「機能と因果性」を読みました(翻訳はいつものように三谷武司さんの私訳版)。これはそれ以前の機能主義への批判と等価機能主義という方法論をどのように使っていくかの話がワンセットになっている論文。なぜルーマンが等価機能主義に至ったかについては、それ以前の論文(『行政学における機能概念』、『経済的な行政行為は可能か』、『新しい上司』)を順に読んでいくとなんとなく、あ、この論文でひとつのまとめをおこなっているのだな、ということがつかめるのですが、内容はなかなかに難しい。現実の事象を分析するような話ではなく、現実の事象を分析する方法についてあれこれ言う感じなので、いわゆる一つの抽象度が高い議論、なのでしょうか、これは。ただ三谷さんの2006年の学会報告「ルーマン学説における等価機能主義とシステム理論の関係」の原稿草稿がネットに公開されていて、これを読むとこの論文でルーマンがなにを言おうとしてたがかなりつかめると思います。

論文は6節に分かれてます。1〜2節は、機能主義をひとつの説明ツールとして使用すること(三谷さんの原稿上では説明指向機能主義となっています)への批判がつらつらと。たとえば社会学者が社会でおこるなにかを分析していて「XにはYという機能がある」だとか「人がXをするとYという結果をもたらす」だとか言う。でもそのXがもたらすのは本当にYだけなの? だとか言えるし、じゃあ、なんでYを得るためにXをしなくちゃいけないのか、っていう原因がうまく説明できない。「Xをするのは、Yが必要だから」という同語反復的な感じで説明にならなくなってしまう。「なぜ、Xという機能があるの?」を説明するために、パーソンズはそもそも社会システムにはシステムを維持するための仕組みが備わっているんだよ〜、とか言うんだけれども、じゃあ、そのある機能がなくなったからといって社会が瓦解してしまうわけじゃないよね、ないならないで回ってしまったりするし、ってことでイマイチだ。

「機能主義って原因と結果を説明する道具としてはイマイチなので、別な使い方をしましょうよ」ということで、3節から等価機能主義がでてきます。原因と結果の組み合わせって無限じゃん、なので、どっちかを分析時のパースペクティヴとして固定してしまって、ある原因から生まれる無数の結果、ある結果を生む無数の原因を見ていきましょうよ、とルーマンは言う。すでにこの提案は「行政学における機能概念」でもおこなわれているんだけれど、そうした見方をすることで、ある行為やモノが同じ結果を生む場合、それは機能的な等価性があると分かる。機能的に同じならば、それらは交換可能なのであって、すると社会の別のあり方が見つけられたりするんじゃないの?

そのあとはもう一回、説明指向機能主義のイマイチさに言及したり、等価機能主義を使った分析をどう実証していけば良いのか、とかいう話がなされてます。どう実証するかはちょっと面白いですね。機能的な等価性がある! といっても実際に等価なものを交換して実験してみよう、というのは難しいわけですよ。でも、ある機能がなんらかのトラブルでいきなりなくなっちゃったときに、それを埋めるため別なことで代替する事象はあるわけで、それを見てみたり、あとシステム間の比較なんかも良いよね、とかルーマンは言っています。そこで似てるものじゃなくて、全然別なものが同じ機能をもっていた! とか分かると面白いよね、とか。

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『古事記』

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古事記 (岩波文庫)
古事記 (岩波文庫)
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倉野 憲司
岩波書店
売り上げランキング: 36,873
平田篤胤だの谷川健一だの諸星大二郎だの読んでるくせに『古事記』は初めて読むのだった。あれでしょ、イザナギとイザナミが……えーっと、天照大神が洞窟かなんかにこもってて、ナントカって人が女装して八岐大蛇を……みたいなことだけ書かれているのかと思ったら違うのね。もちろん、世界の創造からはじまる神話ではあるのだけれど、それは上つ巻までで、中つ巻・下つ巻は天皇がアレコレやりましたよ、というお話になってくる。そして、神話よりも中つ巻・下つ巻のほうが面白い……! これが本当に記録だったとしても、なぜそれを記録した……? と首をかしげたくなるエピソードが満載。

中つ巻以降では、天皇が誰とセックスして、どんな子どもを儲けたか、だとか旧約聖書でいうならばツラツラと人名が書かれてるだけの部分はちょっと退屈なんですが、親戚同士で殺しあいばかりしてますし、美女を見つけてはセックスし、なにか気に障ることがあればその相手を焼き討ちにして、その合間に和歌を詠む……などと性と暴力が満載なのに風雅……というハンバーグカレーにパフェをトッピングしたかのような謎の面白さが展開されています。「これはヒドい」のオンパレードですよ。天皇が自分の家に似てる家を見つけたからといって家に火をつけたり、逆に火をつけられてるのに歌詠んでたり……腰が抜けそうになります。

なかでもヒドかったのは「赤猪子」のエピソードでしょう。こちらのブログでも内容のヒドさについて言及されていますが、なんと言いましょうか、天皇の人格的なヒドさと年を取ることの侘しさ・悲しさが詰まった深い話です。ある日、雄略天皇が道ばたで見かけた美少女に「お前、いつか結婚してやるから独身でいろよ」と言って80年間放置プレイし、老婆になった元・美少女が「あのときの約束は……」と聞きにくる(それは忠信の証でもあったわけですが)。それに対して「わたしはすでにかつてのことを忘れてしまった。けれどもお前はわたしの命令を待って、無駄に年を取らせてしまった。これはとても可哀想だなあ」と思った天皇は、可哀想だからセックスしてやろう、と思うんだけれども、ババアだから果たせない!!!!! ヤヴァイ!!!!!!!!!

と、ヒドい話を見つけてはゲラゲラ笑うだけではなく、挿入されている和歌も読んでみると面白かったです。受験生以来、いわゆる古文からはすっかり離れていますが『古事記』を読んでて、受験にでてくる古文のほうが難しいと感じました。『古事記』は普通に読める部分のほうが多い。だから、そんなに心配しなくても大丈夫です(面白いし)。逆に、昔の言葉を覚えないと読めない受験古文は、いびつな教育と言えるのかもしれない。


こんなこと覚えなくても全然読めるんです!!!!! じゃあ、なんのためにこんなの覚えさせたりするかって、勉強ができるかどうかを測るためにあるんですかねえ……。それはとても悲しいことだ……。

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Orquestra Imperial / Fazendo As Pazes Com O Swing

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Fazendo As Pazes Com O Swing
Fazendo As Pazes Com O Swing
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Orquestra Imperial
Universal Brazil (2012-11-09)

カシン(……といってもケンドー・カシンこと石澤常光のことではなく、ブラジルのミュージシャン・プロデューサー、アレンシャンドリ・カシンのことです)率いるサンバ・オーケストラ、Orquestra Imperialの新譜を聴きました。先日よりブラジルから注目の新譜がガンガン届いていて、いろいろと参ってしまう感じではあるのですが、これも良盤。MPBにおいてアート・リンゼイ以降最も先鋭的なプロデューサーとでも言うべきなのでしょうか、カシンは。楽曲はかなり古式ゆかしいサンバなのですが、独特な空間や音色の作り方はこのオーケストラでも健在です。モレーノ・ヴェローゾ、ドメニコ、ペドロ・サーが参加しているとなったら、これは聴くしかないでしょうが……。

ヴォーカリストでは完全にモレーノ・ヴェローゾ目当てで買った感はあるのですが、このバンドには、ニナ・ベッケルタルマ・ジ・フレイタスルビーニョ・ジャコビーナウィルソン・ダス・ネヴィスホドリゴ・アマランチがヴォーカリストで参加しています。このラインナップ、本当にブラジルが「歌の国」であることを実感する豪華さです。このなかだと完全にモレーノ・ヴェローゾが「カエターノ・ヴェローゾに声が似ているヘタウマな感じの人」になってしまう。特にタルマ・ジ・フレイタス、大ヴェテランのウィルソン・ダス・ネヴィスにはやられましたね……。ブラジル良い歌手コンピレーションみたいな感じでも聴けるアルバムなのです。


こちらは3 Na Massa(トレス・ナ・マッサ)というサンバ・ホッピのグループのアルバムに参加した際のタルマ・ジ・フレイタス。おお、なんと狂おしい官能!……!

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ムネモシュネ・アトラス: アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙

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「ムネモシュネ・アトラス──アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」(公式ブログ)

ドイツの美術史家でヴァールブルク学派のゴッド・ファーザーであるアビ・ヴァールブルクは、生前、図版や絵画などのイメージをパネル上に配置し、そこから人類の歴史のなかで引き継がれてきたイメージの歴史を描こうとしました。このパネル群は「ムネモシュネ・アトラス」と呼ばれています。結局、そのパネル群から書かれるはずであった論文は未完のままヴァールブルクは亡くなってしまうのですが、彼がどんな歴史を描こうとしたのかは、後世の研究者たちによって今なお論じられているようです。東京大学駒場キャンパスでおこなわれている「ムネモシュネ・アトラス展」は、写真撮影して残されているムネモシュネ・アトラスの画像データを大判プリンターで印刷して再現する企画でした。今回は再現パネルだけでなく、日本版『ムネモシュネ・アトラス』の監修者である伊藤博明、加藤哲弘、田中純による新作パネルも用意され、ヴァールブルクの意図を拡張しよう、という試みがなされています。

会場に入ると案内役の学生さん(大学院の方でしょうか)がおり、パネル上の絵に関する詳細が書かれたファイルを手渡され、パネルのデータを参照しながら展示を観ることができました(これがちょっと重くてPDFをネットで配布してスマートフォンで参照できるようにしたらスマートなのでは……と思わなくもなかったですが)。そのファイルを確認しながら、じっくりとパネルを一周するのに大体1時間ぐらい。その後気になったものをまた確認していく……と合計2時間ぐらいかかってしまうでしょうか。小説や映画のように、絵画から読み取られるイメージには終わりがなく、何時間観たらそのパネルが「わかる」というものでもない、ですし、パネル上のそれぞれのイメージは他のイメージとの関連によって、無限に意味が創出されていく……! 的なヴァールブルクの意図がそこにはあったわけで、時間の許す限り観れるものではあります。

占星術関連の図版や絵画、彫刻、広告など使用されているイメージはかなり多岐にわたっており、コラージュ・アートのようにも見えるパネルもある。イコノロジーでは、図像からその背景にある文化的なものまでが読み取られることになりますが、ムネモシュネ・アトラスはその発展とも言えるのでしょうか。それぞれの図像がネットワークを結び、パネルを観る者は、そこに浮かび上がったなにがしかの意味を読み取ることになる。パネルを観ながらベンヤミンの『パサージュ論』((1)(2)(3)(4))や、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』が思い浮かびましたが、これもひとつの表徴(Signatura)の伝統に位置づけられるのかもしれません。なにかとなにかの外見上の類似(表徴)が、因果的な根拠をもっている、というこの思考法は近代以前の自然学に見られ、例えば「歯の形に似ている植物は、歯の病気に効く!」などと言われていました(これを論じたものには菊地原洋平の『記号の詩学:パラケルススの「徴」の理論』があります。『ミクロコスモス』第1集に収録)。こうした思考法は近代科学の隆盛によって別な説明原理に置き換えられ駆逐されていくわけですが、批評の分野ではムネモシュネ・アトラスのように受け継がれているように思えたのですね。

会場にはヴァールブルク著作集(ありな書房から出ているモノ。高価)や各国版の『ムネモシュネ・アトラス』(パネルの写真の解説などがされている本。Amazonではなぜか日本版とスペイン版しか買えない)がありました。日本版『ムネモシュネ・アトラス』は今年の3月に刊行されており「なんかスゴそう、ちょっと欲しい……」と思っていたのですが、25200円という超マッシヴな価格に腰が引けていたので、ここで手にとれたのは良かった。日本版は辞書みたいな紙が使われてるんですが、他の言語の版では写真集みたいな印刷になっています。パネルを眺めるだけならば、日本版以外のをセレクトしたら良いのかな。今回の展示を観たらなんだか25200円分の得をしたような気分にも……。

ヴァールブルク著作集 別巻 1 ムネモシュネ・アトラス
アビ・ヴァールブルク 伊藤博明 田中 純 加藤 哲弘
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FEN シークレット・ライヴ @吉祥寺GRID605

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GRID605 ラストライブのお知らせ(大友良英のJAMJAM日記)

FENを前に観たのは明大前のキッドアイラックホール、それから2年ほどが経ち、再度観たバンドの変化が目のあたりにできた一晩だったと言えましょう。折しも吉祥寺のイベントスペース、GRID605の店じまいの日にこの演奏が観れたのは、月並みですが終わりと新たな始まりを感じさせるものでした。 まず、前回はラップトップから音を鳴らしていたチーワイがよりプリミティヴな発振を感じさせる機材に変わり、タイプライターなどの楽器ではないモノから音を発していたハンキルが音を機械で拾って別な音へと響かせるようになっていたこと。これがすぐに分かる変化でした。

この日の大友は主にバンジョーを使用していましたが、普通に弾くだけでなく弓を使ってアコースティックな響きを聴かせてくれます(これはもはや名人芸というか、バンジョーのどのポイントを弾いたらあんなキレイな音がでるのかまったく想像できない、錬金術的なテクニックでした)。大きな変化を感じなかった(というとネガティヴな物言いになってしまいそうですが)のは、ヤンジュンの演奏でしたが、彼はこのバンドのベーシスト的な役割なのかもしれません。卓上に置かれたスピーカーが超低音を発するとき、コーン紙が揺れ、音が見えるのもとても面白かった。環境的な制約がなかったらヤンジュンの演奏は音によって身体的に震えてしまうものとなっていたのでは、とも思います。

個人的に惹かれたのはハンキルの演奏で、ヤンジュンをベーシストとして置くならば、彼はずっとソリストだったのかもしれない。とくに2度目のセットにおいて、スネア・ドラムにコンタクト・マイクを装着し、小型のスピーカー(たぶん)をスネアの打面に接触させることで、さまざまな音を響かせる増幅/共鳴は、どういう音がでるのかわからない、常に期待を誘う演奏でした。興味深いのは、こうした演奏法がまるでアンサンブルズの大友良英の音楽と強く繋がって聴こえることです。

このバンドのあいだにどういった影響関係があるかは定かではない、また、まったくの偶然、あるいは、単なる私の聴き違い & 妄想かもしれないけれども、チーワイが出す音の変化も含め(これは表面的にSachiko Mの演奏のようですが、演奏の間合い、というか周囲との関係のなかで音を出す点において、まったく違ったものです)日本の即興シーンが、北京、シンガポール、ソウルのミュージシャンに与える影響について考えさせられます(もちろん、それは一方的な影響関係ではないのでしょうが)。ともあれ、これは、まったく知らないところで、まったく知らない音楽シーンが動いているかもしれない、という予兆でもありました。今後の展開も含めて、このバンドを追っていきたいところです。

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Ricardo Villalobos / Dependent and Happy

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DEPENDENT AND HAPPY ( 直輸入盤・帯ライナー付 )
リカルド・ヴィラロボス RICARDO VILLALOBOS
PERLON (2012-09-26)
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この手のいわゆるテクノ・ミュージックにはてんで疎いのだが、どうやら、ここ最近のぼくだったらドイチュのミニマル・テクノの方面が好きらしいのである。今年はモーリッツ・フォン・オズワルドのアルバムをよく聴いた。ここで野田努の言葉を引用するならば「まずテクノはポップ・カルチャーにおいて、いびつな存在であり続けた」(名著『テクノボン』より)とある。モーリッツ・フォン・オズワルドも、今回聴いたリカルド・ヴィラロボスも、おおよそ、ポップな音楽とは言いがたい。でも、そこが良い。


リカルド・ヴィラロボスといえば、以前にココロ社さんが書いていた記事で名前を知って度肝を抜かれた『Fizheuer Zieheuer』だが(上記の動画)、今回のアルバムも聴いているうちに時間が経っていたッ、ヤバい! という感覚に教われるトリッピンな作品であった。高音をガッツリと切ってもっさりしたキックとタムのうえに、何を言っているのかまったく聴き取れない不気味な声や、エレピなど重ねられていき、ウワモノはとにかくいい加減に貼られてるだけな気もするのだが、聴いていると、こうでしかあり得なかったのでは、と異様に納得させられてしまう、まさに天才の業である。

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BUCK-TICK / 夢見る宇宙

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夢見る宇宙
夢見る宇宙
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BUCK-TICK
徳間ジャパンコミュニケーションズ (2012-09-19)
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メジャーデビュー25周年おめでとうございます、BUCK-TICKさん、ということで新譜を聴くのである。ここ最近「日本のロック・バンドで今一番面白いのはBUCK-TICKですね」と方々で公言してやまない私であるが、えーっと、すみません、ブックオフ以外でCDを買ったのは初めてです、が最高です! BOØWYに多大な影響を受けた、ゴスなビートパンクバンドがこんな歴史を辿るとは誰が想像したでしょうか。一時期のドラムンベースを吸収しているところなどは「これは早すぎる、時代が追いついてないよ……」という印象がバキバキにしていて、かつ、今は猛烈にダサく聴こえてしまう、まるでカルマを背負ったかのようなバンドではあるのですが、長生きした人たちはエラい、という観点から言えば、BOØWYよりもエラい、ということになるんでございます。

前作の『RAZZLE DAZZLE』にはtdさんによる素晴らしいレヴュー、というか、近年のBUCK-TICKのヤバさが伝わってくる文章がございますが、改めて前作からのキラー・チューン「独壇場Beauty」をご紹介いたします。


サウンド、歌詞、ヴィジュアル、すべてがBUCK-TICKとしか言いようがない結晶のような出来と言って良い楽曲でございますよ、これは……。で、本作はこのダンサブルな路線を踏襲して制作されている、んですが、突き抜けてしまったな、これ、最高傑作じゃないですか? という出来。タイトル・トラックがどう聴いてもシューゲイザーだし、「My Iron Lung」みたいな曲が入ってて、それは全然 No Surprises になってないぜ、どうして今頃このネタを!? と困惑してしまう瞬間もあるんですが、音の固まり方がスゴすぎて、何やっても許されちゃう気がする。日本に輸入されたロックンロールの21世紀モデルがこのアルバムには集約されている……と思いましたよ……。最高だ……。

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塚本勝巳 『世界で一番詳しいウナギの話』

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世界で一番詳しいウナギの話 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)
塚本勝巳
飛鳥新社
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先日読んだこのインタヴュー記事がたいへん面白かったので読んでみた。東大でウナギの研究をされている方の本(語りおろしなのかな)。ウナギの生態はアリストテレスの時代からの謎であることは、以前に『動物誌』を読んだときにも書いたけれど、本書ではこの2400年ほど前からの謎が今どこまで分かっているのかを教えてくれる。ウナギの進化についての仮説をストーリーにした部分は、偶然の積み重ねによって、それが自然に選択されていくように見えるロマンティックなものとなっていて面白かった。単なる雑学本の類にとどまらず、ウナギの謎を解き明かすための研究者の苦労がとてもドラマティックに描かれているのも良かったですね。研究が世の中のなにに役立つかはわからない、けれども、とにかく「面白い!」「知りたい!」という探究心に突き動かされる研究者の姿は、自然科学のみならず、人文科学の人にも伝わるハズ。

とはいえ、探究心だけで研究をさせてもらえる余裕がある世の中ではなくなってきているわけで、先に紹介したインタヴュー記事でも語られているけれども、日本の研究者たちは限られた資源を共有しながら自分たちの仕事を進めている。つまり、自分が使う研究資源は他のだれかが使いたかった資源なのだ。ウナギの卵を探して航海にでるのにも、自分たちが船を使っているあいだは当然他の研究者は船に乗れない。それゆえに業績を出さなくてはいけない責任を彼らは負っている。本書にある研究船内での作業の記述は、効率的に時間を使うために考え出されたものであることがわかるけれど、そうして生産性をあげていかなきゃいけない、っていう動機には、こうした責任感があるのかもしれない。業績を出さないと研究資源もとれないし、じゃあ、業績を出すために研究資源をどう使えば良いのかは、一般企業のマネジメントにも通ずる話な気がする。先日ノーベル賞を受賞された山中伸弥さんなんかも、どうやったら研究資金を確保できて研究を進められるのかに苦心されていて、視線はほとんど経営者みたいだし。

楽しいし、ウナギの卵やプレレプトケファルスを採取する箇所などは読んでて感動してしまう本なんだけれども、あえて文句をつけるなら、イラストの使いどころか。たとえば、調査に使っている網が海中でどのように開くのかなど、文章だけ読んでもよくわからない箇所がいくつかあって、イラストをいれるならもうちょっとちゃんと必要なところに割り当てて欲しかった。あきらかに雰囲気だけのイラストが入っているから余計にそのへんが残念に感じる。本当に細かいところではあるんだけれど。

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読売日本交響楽団第521回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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プログラム
指揮=尾高忠明
マーラー:交響曲 第9番 ニ長調
今シーズンで読響定期会員も3年目なんだけどもこれまで12月の定期って間違えて他のコンサートのチケット買っちゃったり、仕事がアレだったりして行けてなかったのだ。個人的に曰くつきな12月定期だが初尾高忠明、初マーラーの交響曲第9番である。日本よりもイギリスでのほうが人気がある指揮者だそうで、イギリスに留学した友人からはたまたまホームステイ先がクラシック好きだったらしく、尾高忠明と武満徹の話ばかりされた、とか聞いたことがある。とはいえこの晩の楽しみは、昨シーズンで退団された藤原浜雄のコンサート・マスターで客演することだった。

いや、素晴らしかったですね。はっきり言ってこの楽曲、音を並べただけでちょっとふざけた感じになってしまう曲ではないですか。それを過剰にふざけた感じにしてしまうとバーンスタインの激烈に耽美な演奏になってしまう。そこで煩悶するようなテーマの繰り返しはマーラーの晩年の苦悩と重ねられてロマンティックに読まれることになる。一般なマーラーのイメージとはそうした退廃に近い空気を持った音楽でしょう。

尾高忠明のマーラーはそうではなくて、ユニークな作曲家としての姿を純音楽的に表現するようでした。音楽の外側にある情報、マーラーの生涯や19世紀末の状況(この楽曲の初演は20世紀に入ってからですが)を遮断することはできませんが、そこから離れて、音楽を聴かせてくれる演奏でした。こんなに濁りのないマーラーがあって良いのか、と思いましたし、初めて生で聴いてみて「これはこんな音の重ね方をしてたのか!」と驚かされることも多々。

ただ、そうして分析的に聴けたのはあくまで第3楽章までで、第4楽章はもう、なんだか、すごかったんですよ……。

濁りのないマーラーの世界はそのままなんだけれど、とにかく冒頭から弦楽器の音の密度がエラいことになっており、これがイギリスで認められる尾高忠明の音楽なのか! と驚かされました。異様に荘厳だったんですね。曲はダイナミックに変動していくんだけれど、音の雰囲気は荘厳さを保ったまま進んでいく。動いてるのに安定してるように聞こえるアンビヴァレントな感覚、と言いましょうか。それが衝撃でした。終盤は逆に音をどんどん抜いくんだけれどもそこでの緊張感感と言ったら身動きがとれないぐらいでしたよ。今シーズンの読響定期では一番印象的なフィナーレ。藤原浜雄のソロも良かったし、大満足。

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Sonic Youth / Smart Bar Chicago 1985

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Smart Bar Chicago 1985
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Sonic Youth
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活動休止中のSonic Youthだが、公式サイトをみた感じでは、スティーヴ・シェリー以外の主要メンバーはそれぞれでソロ活動をしてるみたいである。リー・ラナルドもソロ・アルバムだしてるし、バンド活動休止のトリガーであったサーストン・キム元夫妻も、未聴だけれどもオノ・ヨーコと一緒にアルバム作ってるし、なんだ、一緒に活動できるなら、Sonic Youthも活動再開してくれよ、と思わなくもないのだが、新譜としてでてきたのは1985年のライヴ盤なのだった。

今回のアルバムには『Bad Moon Rising』をリリースしたあとのツアーでの1985年8月11日の演奏が収録されている。ソースは4トラックのカセットMTRということで、音質はオフィシャル・ブート程度だが、言うまでもなく熱狂して聴いた。というか、録音状況の悪さによってさらに楽曲群はより一層ダークだったり、荒々しい印象をもって聴こえる。非常に狭い空間のなかに音がぎっしりと詰まってしまっている。それは、まるでKing Crimsonの『Earthbound』か、という具合なのだから、もう熱狂するしかないでしょう。よくこんな恐ろしいバンドが、メジャー・レーベルに移籍して活動ができたな……、とか、ノー・ウェーヴから奇跡的に生まれた正統派なロックンロール・バンドがSonic Youthであったのだなあ、深い気持ちになりましたよ。

長いキャリアを持つバンドだけれども、やってる音楽の根幹部分はずっと変わってない、ということが実感できる一枚でもあるわけだが、メジャー在籍末期から急速に音がソリッドになっていたのは、老成や成熟といったキーワードで語れるのかもしれないとも思った。

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Luiz Gonzaga / A Festa

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フェスタ
フェスタ
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ルイス・ゴンザーガ ルイズ・ゴンザーガ
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ブラジル音楽、と一重にいっても、奥が深いもので聴けば聴くほど多様な音世界が広がっていきますから、愛好家的には汲めども尽きぬ井戸のようなものであり、ブラジルの地図を頭に叩き込んで、そのミュージシャンがどの地方の音楽を演奏しているのか、をマッピングしていくことでようやく整理がついてくる感じがします。地方によって全然音楽が違うのですね。サンバやボサノヴァなどの有名なブラジル音楽はサン・パウロやリオ・デ・ジャネイロといった南東部の文化・経済の中心地の音楽であり、その他の地域には地域ごとに違う音楽が根付いていたのです(その詳細は、名著『リアル・ブラジル音楽』をお読みください)。

フォホーはそのうちブラジル北東部の音楽で、ルイス・ゴンザーガ(上記ジャケット写真の人物)はフォホーの代表的なミュージシャンです。写真だけを見るとイロモノ風なんですが、これは20世紀に北東部を荒し回った義賊、ランピアォンのコスプレなんだそうです。このコスチュームに身を包み、ルイス・ゴンザーガはセルタォンという北東部の干ばつ地帯の生活を歌いました(ランピアォンやセルタォンについてはこの記事が詳しい)。ハードなこの地域の生活を陽気で深みのある声で歌う、というところにセルタォンのブルーズ感覚が表れている、と言っても良いのかもしれません。ゴンザーガの音楽は、ブラジル北東部のみならず、南東部に出稼ぎにいった北東部出身者の心も捉え、ブラジルの中心部でも流行したんだそうです。北東部の音楽は、60年代後半のトロピカリアでも再評価されるのですが、ルイス・ゴンザーガを聴いてみると、当時のカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ムタンチスの音楽に組み込まれていた北東部の雰囲気に気づきハッとしてしまいます。

なお、このアルバムには一曲、ミルトン・ナシメントがヴォーカルで参加。ルイス・ゴンザーガとのデュエットが素晴らしいんだ……。

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Rafael Martini / Motivo

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Rafael Martini / Motivo (diskunionサイトへのリンク)

先日、セカンド・アルバムの日本盤が発売され一部の音楽ファンのあいだで大いに盛り上がっているアントニオ・ロウレイロですが、今度はロウレイロのアルバムにも参加しているピアニストのハファエル・マルチニのソロ・アルバム『Motivo』を聴きました(ハファエル・マルチニの今回のアルバムは全曲ダウンロード可能になっているようです)。彼もまたミナス・ジェライス出身の若手ミュージシャンの注目株のひとりです。このアルバム、パーソネルを確認するとロウレイロのアルバムとほとんど演奏している人が同じなのですが、こうしたところからも現在のこの音楽シーンの盛り上がりがうかがえます。カエターノ・ヴェローゾの息子世代のバイーア系のミュージシャンたちが成熟期を迎えつつあるなか、ミナスではさらに若い世代が才能を磨いている……といった状況なのでしょうか。

この界隈のミュージシャンでは、今年はアレシャンドリ・アンドレスもソロ・アルバムを出しており、これもネットでダウンロードできます。それぞれのアルバムを聴いて面白いのは、同じ空気感を共有していながらも、ハッキリと違った音楽を提示しているという点。もっともアヴァンギャルドなのはロウレイロに違いなく、マルチニはそこから少しトゲを抜いてやったアコースティックな楽曲群を聴かせてくれます。さらにそこからマイルドで、室内楽的な響きを聴かせてくれるのはアンドレスのアルバム……という風に並べてみると、ミナスで活動している才能ある若手の世界観がいかに多様なものとなっているかがわかるかもしれません。

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ピーター・バラカン 『魂(ソウル)のゆくえ』

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魂(ソウル)のゆくえ
魂(ソウル)のゆくえ
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ピーター・バラカン
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絶賛ソウル・ミュージック強化期間であるがゆえ、読む。1989年に刊行されたピーター・バラカンのソウル・ミュージック・ガイドの2008年の増補・改訂版。これは大変面白かったですね。単なるミュージック・ガイド、ディスク・ガイドとしての本ではなく、サム・クック、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンを語りの出発地点として置いたソウル・ミュージック史でありながら、その後のネオ・ソウルやヒップ・ホップまで延長されたブラック・ミュージック史であり、また、1951年ロンドン生まれの著者がリアルタイムで聴いてきた自分史とも重ねて語られているのが良かった。その自分史はロキノン(故snoozer)あたりが醸し出す、自意識に耽溺していく感じではなく、あくまで、自分が見てきた時代の雰囲気を描くものであって、そうした「このアルバムがリリースされたのは、こんなことがあって〜」という生の感覚はとても貴重な証言のようにも読めるのですね。同じ音楽を聴くにしても、人生のどの時期で聴くかでまったく音楽の聴こえ方が変わってしまう、ということはあるでしょうけれど、自分にそうした、リアルタイムの音楽を聴く感覚を味わってこなかったせいか、なんだか羨ましく思ったりもする(tdさんのブログを読んでいて羨ましい感じがするのも、同じ理由なのか)。

本書における歴史記述は「ミュージシャンBはミュージシャンAに影響を受けて〜」といったミュージシャンの創造性をなんとなく歴史として紡いだものではなく、当時のレコード会社の状況であったり、プロダクション・レヴェルでの話に多くのページが割かれている。音楽についての本、というよりは、音楽産業や音楽文化についての本、というほうが正確なぐらいに。それが、ミュージシャンを語るときの厚みを生んでるようにも思います。ミュージシャンについて語るときにはいろんなアプローチがあると思います。「とにかく楽器が上手い」とか「コード進行が変態的」とか「白塗りでファルセットで歌うのがスゴい(得意料理はレモン・タルト)」とか、いろんな。でも、その記述はあくまで評価ですし、音そのものが伝わるわけではない。音が聴こえない文章によって音楽に興味を持たせるには、なんらかのストーリーが必要なのかもしれず、そうだとするならば本書の「この音楽、聴いてみたい!」と喚起する源には、アーティストの裏側に存在していた歴史があると思います。逆に、音楽だけ先に聞いていて、この本を読んで「なるほど、これはそういうことだったのか」と思うことも多かったです(『ブルース・ブラザーズ』の人たちって、そういう人なの!? とか)。それが音楽の聴き方を変えてしまうかもしれない。音楽は音楽だけでも独立するものですが、なんらかの情報によって、聴く角度を複数持つことも可能である、という風に思います。楽理的な分析に基づく記述だけが音楽を記述する言語ではない。

それにしてもピーター・バラカン的な価値観、これはちょっと別な意味で面白かったですね。どの音楽が芸術的か、価値があるか、聴く人が勝手に決めれば良い、と言いながら「産業ロック」や「ディスコ」は評価しない(それは音楽の作り手がマーケットに売れるものを狙って作っているものだから)、というのはダブル・スタンダードなのでは、と思います。そもそもソウルですら、産業として成立したからこそ、盛り上がったわけであり「産業でなかった音楽ってなんだ!?」と考えるならば、もはや、未開の部族に伝わる儀式音楽ぐらいしか思い当たらない(クラシックだって立派な産業だったでしょうし、ましてや現代音楽など、現代音楽マーケットにウケるモノを書いている立派な産業と言えます)。でも、こうした一見矛盾した価値観が広く受け入れられていて、支持されたりもする。マーケットを意識したものは音楽として不純である、みたいな。「ブルーズ」「ジャズィー」って言ったりして。その「ホンモノ指向」が気になるんだ……。

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