トーベ・ヤンソン 『ムーミン谷の仲間たち』

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新装版 ムーミン谷の仲間たち (講談社文庫)
トーベ・ヤンソン
講談社 (2011-07-15)
売り上げランキング: 26,618
体調管理が苦手な雄ボーイである私だが、冬から春にかけては毎回風邪をひいて、気管支をやられている気がする(今シーズンは3月中に2度も風邪ひいてしまった)。で、体調が悪いと、本も読めないよね、でも、本は読みたいよね、といったところで……ムーミンなどを読み出す。どうやら年に一冊ぐらいのペースでそういう気分になるらしい。しかもいずれも春だ。


『ムーミン谷の仲間たち』は、ムーミン谷のいろんなキャラクターが主人公となる短編が集められたもの。なので主人公筆頭であるところのムーミントロールは影がうすく、ムーミン一家の面白い会話のやりとりも少なめである。が、文句なしに面白いですよね。たとえば、「知らない」ってこういう状態なのかもなあ、というなんだか哲学的な問いかけをされるようでもあるし、この作者が描く「こどもであること」へのリアリティも感じる。

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ジョン・フォード / 三人の名付親

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三人の名付親 [DVD]
三人の名付親 [DVD]
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ワーナー・ホーム・ビデオ (2004-07-09)
売り上げランキング: 82,233
ひさしぶりに映画を観て少し泣く。名画だ……。

銀行強盗の男3人組が過酷な砂漠を逃亡するなか赤ん坊を拾い、家庭劇的なコメディが入り交じるちょっと複雑な内容の西部劇。冒頭、追われる男たちの馬と、保安官たちが乗る馬車が荒野を疾走するシーンは、強く印象に残るスペクタクルで、低い位置から煽るようにして撮られた2群の運動物と、その荒涼として広がった背景が素晴らしくキマっていた。ジョン・フォードの作品のなかでは一番好きかもしれない。

伏線の張り方と回収の大小も小気味良い。また、聖書にある東方の三賢者の役割が、主人公たちに重ねられ、その宗教的なモチーフは、賛美歌がいくども劇中で奏されることからも明らかである(劇中で用いられている賛美歌第687番は、アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴズがヴァイオリン・ソナタ第4番で引用している。同じくアメリカの作曲家、アーロン・コープランドも編曲をおこなった。このことからこの楽曲がアメリカにおいて非常にポピュラーな宗教歌であることが察せられる)。また、詩編137の前半部分のテキストで暗示的に示される敬虔な郷愁も心を打つ。

しかしながら、この宗教的モチーフこそが、やや心に引っかかる点でもあるのだった。主人公の悪党3人組のうち、2人(若者とメキシコ人)は信心深い人物として描かれている(後者の場合、迷信深い、というのが正確かもしれない)。しかし、この悪行をおこなうことを知りながら、信仰をもっている、という、言うなれば、しょっぱいものを食べながら、甘いものを食べるような相反する振る舞いが、どうにも理解できないのだった。

赤ん坊との出会いによって信仰心が盛り上がってしまった、とか、死ぬ間際だから神様にすがりたくなった、とかであれば多少は理解できる。けれども、そんな都合良く救われるのであれば、逆に神様のありがたみがなくなるのではないか……。告解によっていろんな部分がノープロブレムになるのかもしれないが、それにしても、その契約関係いろいろ人間側に都合が良すぎて、かえって免罪符とか買って許してもらったほうが全うな気さえしてくる。

というわけで、映画自体は超面白かったです〜、という反面、キリスト教についてもっと理解を深めたいですね、と思う映画であった。

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『ボサノヴァの真実』からの名盤を

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ケン・エ・ケン
ケン・エ・ケン
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ジョアン・ドナート
EMIミュージック・ジャパン (2008-05-14)
売り上げランキング: 86,033
『ボサノヴァの真実』を読みながらさっそくレコード屋さんをめぐったりしていたわけですが、そのなかでもこれは! というものをご紹介(どれもすでに名盤と扱われているものばかりですが)。まずは、「もうひとりのジョアン」ことジョアン・ドナートの『Quem é quem(紳士録)』(1973年)を。彼はブラジル人でありながら、ラテン音楽を吸収しようとし、1959年に渡米後、カル・ジェイダー、ティト・プエンテ、モンゴ・サンタマリアといったラテン音楽の大御所たちと共演したやや異色な経歴の持ち主です。ブラジルに帰国後に制作されたこのアルバムでは流麗なエレピと、あんまりうまくない歌を披露しているのですが、スムースなクロスオーヴァー感覚が素晴らしい仕上がりとなっています。雰囲気としては、マルコス・ヴァリの『Previsao Do Tempo』とよく似ている(とおもったら、アシスタント・プロデューサーとして名を連ねていたのだった)。


クアルテート・エン・シー
クアルテート・エン・シー
インディペンデントレーベル (1995-09-10)
売り上げランキング: 315,367
さて次は、4姉妹によるコーラス・グループのデビュー・アルバム『Quarteto Em Cy』(1964年)を。これは「ささやくように歌うのがボサノヴァ」というイメージを覆す一枚でしょう。どんな複雑な譜面も一発で歌いこなした、という実力派なエピソードも納得。アルバムの大半の楽曲をデオダートが手がけ、彼はピアノ演奏でも録音に参加しています。このとき若干21歳。17歳で録音デビューを済ませていた、という早熟な才能によるスタイリッシュなピアノも魅力的ですし、とろけるようなストリングスのアレンジも最高。

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ウィリー・ヲゥーパー 『ボサノヴァの真実: その知られざるエピソード』

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ボサノヴァの真実: その知られざるエピソード
ウィリー ヲゥーパー
彩流社
売り上げランキング: 62,374
『リアル・ブラジル音楽』の著者がまたもや名著を! タイトルに偽りなく、ボサノヴァ誕生のエピソードとして語られる神話や、さまざまな誤解にメスを入れ、歴史を上書くような本でした。今日、ブラジル音楽といえば、カーニヴァルのサンバか、ボサノヴァか、という世の中であり、シャレオツなカフェや蕎麦屋、うどん屋などでもボサノヴァが流れておりますから「ブラジルの国民的音楽はボサノヴァ」、「ブラジル人は毎日ボサノヴァを聴いている」などと思いがちになるのも無理はないでしょう。しかし、ブラジルにおけるボサノヴァとは、1964年以降には下火になっており、その後もさまざまなミュージシャンによって参照されつつ生きている、ある種の「伝統音楽」として語られています。まず、この視点からして衝撃的ですが、あくまでボサノヴァを「サンバの一種」として捉え、MPBとは明確にジャンル分けがなされた音楽の紹介の仕方は、「とにかく聴いていかなければ、なにがボサノヴァで、なにがボサノヴァでないか」はわからないのでは、うおお、もっとブラジル音楽を聴かねば、というブラジル音楽の深さへの刺激的な導入を形作っています。

また、さまざまなミュージシャンに対して、とてもフラットな視線で評価がおこなわれていることも素晴らしい。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンといった「ボサノヴァのパイオニア」として語られるミュージシャンが、実はパイオニアではなかった、としつつも、それによって彼らの音楽の価値が損なわれるわけではありません。アメリカで成功したミュージシャンを嫌う傾向にあるブラジル人によって、批難されたセルジオ・メンデスの扱いなどはとくに感動的です。それから「パネーラ」と呼ばれるブラジルの派閥社会の慣習によって区切られた、ミュージシャン同士の派閥が見えてくるのもとても興味深い。ブラジルの国民的女性歌手と呼ばれるエリス・レジーナが、当初ジョビンらに田舎モノとして馬鹿にされていたことを知ると、大名盤『Elis & Tom』もこれまでとは違った音楽のように聴こえるでしょう。単なるガイドではなく、関係者から得られたドキュメント本でもあり、大変濃ゆい音楽本です。

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菊地成孔ダブセプテット @和光大学ポプリホール鶴川

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昨年末に公演延期となっていた菊地成孔ダブセプテットのライヴにいく。ダブセクステットから、トロンボーンのメンバーを追加し、「電子音楽/ジョージ・ラッセル/エリック・ドルフィー/菊地成孔/クールストラッティン」という新たなコンセプトで、ライヴのみの活動、となった当バンドは、多様な菊地成孔の音楽のなかでももっとも硬派、というか、オーセンティックな感じがあるあまり、逆に突き抜けて尖りまくっている感じになっている。開場時からけたたましいアナログ・シンセの宇宙的サウンドが流れており、菊地成孔のDJによるシュトックハウゼンか!? と思いきや、パードン木村によるインプロヴィゼーションで、それもあわせれば2時間弱、たっぷりと素晴らしい演奏を堪能できた。いや、すげーうまい……うまいとしか言えない。フロント陣はもちろん、リズム隊のあっつい演奏は燃えるしかないのだ(もはやこのリズム隊に抱かれてしまいたい)。3管編成になったことによって、キメの部分にハーモニーがもうけられたり、3者が短いアドリブを順番にとりあう部分など、大変興奮して聴いた。また観たいですね。あと録音も欲しい……。

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石井淳蔵 他 『ゼミナール マーケティング入門』

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ゼミナール マーケティング入門
石井 淳蔵 嶋口 充輝 余田 拓郎 栗木 契
日本経済新聞社
売り上げランキング: 13,531

4月からこれまでとはまったく違った営業関連の仕事をすることになったので、MBAをもっている友人に「なんか勉強になる本ない?」と訊ねてみた。友人いわく「マーケティングを本で学ぶ効果」とは
  • 長い経験で得られる知見を短期間で得られる
  • 新規事業でも何を売って価値を生むのか論理的に考えて成功率をあげられる
  • 1対無数の取引でもさまざまなニーズに適合させられる
……などらしい。

現時点でゼロからのスタートであるため、とくにひとつめの効果はありがたそうである。俄然やる気がでてきた私がはじめに読んだのが本書『ゼミナール マーケティング入門』であった。適当に選んだ本だったがこれはなかなか良いテキストだと思う。文章も平易だし、企業が過去に成功した例・失敗した例(成功例のほうが多く紹介されている)の分析を多数引きながら理論の説明がなされていく。変なたとえ話などはゼロ。なにをどのようにだれに売るのかのさまざまなアプローチがサクッと頭にはいり、結構分厚い本だがスルリと読めてしまう。雑談のネタになりそうな話もいろいろあり楽しく読んでしまった。

もちろん、多くの入門書がそうであるように、本書も「これ一冊で明日から使える!」というものではないだろう(というか、まだ新しい仕事がはじまっていないので、使えるか使えないかは評価不能である)。ただ、多くのケース・スタディを知って現場に向かえるのは少し不安が軽減されるようにも思う。ゼロからまったく新しいアプローチを生みだすのは大変だし、まったく新しいものであっても過去の知見の積み重ねから多くは生みだされるものだろう。なんか役には立つのではないか、いや、役に立つと良いな……。

マーケティングは、学生時代に講義を受けていたこともあり、いろいろ思い出すものもあったが、本書は学問としてのマーケティングの面白さを充分に伝えてくれる。購買意思決定プロセスの説明などは、初期のルーマンを想起させ、なんかいきなり哲学みたいになって面白い。自分で過去の事例の分析などやってみようとしたら大変だろうけれど、こうして研究者の方々が代わりにやってくれて、そこから得られるものを本にして、大学の外の人が参照できるようになっている、ってありがたいことだな、と改めて思ったりもする。

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キリンジ / Ten

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Ten(初回盤)
Ten(初回盤)
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キリンジ
日本コロムビア (2013-03-27)
売り上げランキング: 26

キリンジの10枚目のアルバムを聴く。前作の時点で、本作が堀込泰行が在籍する最後のアルバムだと予告されていたが、だからと言って有終の美を飾ろうとするような大作にはなっていない。インタビュー記事によれば、制作期間のみじかさや制作意図が「コンパクト」であることなどさまざまな事情があったようだ。この肩すかし感がキリンジらしいところなのかもしれないが、いや、コンパクトであるからこそ骨太なアルバムに仕上がっているあたりさすがの仕事ぶりである。急展開するコード・ワークも控えめであるし、前作のように見通しが良さやスケールの大きさを感じる楽曲はない。それが内省的な印象をあたえずにいるのは、これまでと違った手ざわりかもしれない。とはいえ、本作で聴かれるティン・ホイッスルの音色やトラッド風のアレンジは、前作の延長でもあり、まったく違った断絶的なアルバムではないのだろう。いま、堀込高樹はこういう音が好きなのだな、という確認ができるし、堀込泰行の黄金ポップスな曲作りはたまらないな、とも思う。いやしかし、ダークなフォークロア風の物語歌から「お風呂最高!」な歌へとつなぐ構成のスゴさには、大笑い。

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umiuma / kaiba

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kaiba
kaiba
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umiuma
BounDEE by SSNW (2013-03-06)
売り上げランキング: 81,388

仙台のバンド、umiumaのファースト・アルバムを聴く。仙台といえば、当ブログの音楽コーナーを熱く読んでいらっしゃる方々におかれましてはもはやお馴染みあろうtdさんだが、このバンドもtdさんがDJをやっていたイベントでたまたま観ていて度肝をぬかれたのだった。私がタワレコの店員だったらポップには「Battlesのギター + ジェントル・ジャイアントの変拍子 + やくしまるえつこ」とでも書くだろうか、変態的だがふんわりと聴ける3ピース・バンドである。初めて観たときはなんだか人間椅子と相対性理論のミクスチュアみたいである、とか思ったが、とにかく上述の仮想タワレコ・ポップのキーワードにどれかひとつでもピンときたら是非聴いていただきたい。既知のキーワードの組合せによって新しい音を表現すると、途端に表現が陳腐に思われてならないけれど、これは一筋縄ではいかない。Captain Beefheart & His Magic Bandのごとき奇天烈なサウンドもあれば、ボサノヴァ風のコード進行から変拍子へ流れ込む展開もあり、彩りあざやかである。そして、女性のベース・ヴォーカルがとても素晴らしいのだ。ウィスパー・ヴォイス系……などとまたもや何らかの枠組に閉じ込めようとしてしまうが、ささやいているばかりではなく、高音部で裏声がでているときの柔らかいのだけれども芯のある発声が気持ちよい。

これでドラムの音がもっとガッツリした音で録れていたら個人的な好みとしてさらに良かったのだが……。

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Kuni Sakamoto 『The German Hercules’s Heir: Pierre Gassendi’s Reception of Keplerian Ideas』

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Kuni Sakamotoこと坂本邦暢さんの2009年の論文を読みました。こちらはルネ・デカルトの論敵として知られ(一般的にはまったく知られておらず)、著作の邦訳も現時点でゼロであるピエール・ガッサンディを扱った作品です。コペルニクスやケプラーといった人物たちによる天文学上の業績は、ニュートンに受け継がれ、それは『プリンキピア』によってひとつのマイルストーンが打ち立てられた……という教科書的なストーリーは、現代の科学史業界でも支配的なようです。著者がこの論文で取り組んだ問題のひとつには、その支配的なストーリーのなかで、ニュートン以前にケプラーから影響を受けていた天文学者たちがあまりにも軽視されていることがある。そうした状況にガッサンディで一石を投じてやろうとする野心的な論文だと言えましょう。主題はケプラーをガッサンディはどのように受容したのか。ここでは天文学上の影響だけでなく、神学上の影響も顧みられます。

ケプラーが自転運動と公転運動をひきおこす要因として「繊維」の存在を導いたのは、いまから考えるととてもビザールなものに感じられます。天体の霊魂は、神から与えられた最初の力を、天体のなかに貼りめぐらされた繊維(筋肉の繊維のようなものを考えているらしい)によってある決まった方向に回転する力として持続させている。ケプラーは自転をこのように説明し、また公転については、太陽を中心にしてはりめぐされた磁気的な繊維によって、楕円の軌道をもった運動をおこなうとされる。ガッサンディは自転の説明をおこなう際、この天体の内部に存在する繊維の概念を借用しています。ただし、ガッサンディにとってのその繊維は、ケプラーのように天体の霊魂のパワーを伝達するものではなく、原子の集合体であり、自転のメカニズムはひとつの原子がとなりあう原子にぶつかり、さらにそのとなりの原子に……と衝突の連続によって回転運動をするものと説明される。この違いを筆者は、ケプラーが天体が非物質的な霊魂をもつと考え、ガッサンディは天体の霊魂は物質的な原子の集合であると考えたところにあると見ています。

一方で、ガッサンディは公にケプラーの公転メカニズムの説を支持していません。というよりもこれは、支持できなかった、という言い方のほうが正しいでしょう。1633年にガリレオの裁判がおこるなど、カトリックに所属していたガッサンディにとって、ケプラーの地動説にもとづく説明を支持することはたいへん危険なことであったと考えられます。ガッサンディは私的な書簡において地動説を全面支持しており、複雑な態度表明をせざるをえなかったことがうかがえるでしょう。

また、ケプラーとガッサンディの神学的なつながりを明らかにするため、筆者はケプラーの『Strena seu de nive sexangula』という小著をとりあげています。本書のタイトルを邦訳すならば『徴(しるし)、あるいは六角形の雪について』とでも訳せるでしょうか、このなかでケプラーは雪の結晶がどうして秩序だった形で形成されるのかをさぐっている。そこにはやはり創造をつかさどる神によって地上の霊魂に与えられた動物的能力と形成的能力が作用していると考えられています。神は偉大なる幾何学者の性格をもち、それゆえ雪の結晶も一定の形をたもって形成される。

ガッサンディもまた『哲学集成 Syntagma philosophicum』のなかで雪の結晶について言及しています。雪の結晶形成には霊魂的なものが作用している、と彼はケプラーの名前を出さずにそのアイデアを借用している。しかし、ガッサンディにおいて霊魂とは単なるアナロジーでしかないと筆者は言います。ガッサンディは霊魂とはちがった別な原理によって説明しようとしている。そこで霊魂の代わりにもちいられているのが「種子的な原理」でした。神によって動物や植物の種が作られたように、雪においてもその種によって一定の形の結晶が作られる。

それでは、形成的能力をもった霊魂ではなく種子的な原理によって雪の結晶を説明するガッサンディは、ケプラーの説を受け入れていないのか? 上述したとおり、形成的な能力も種子的な原理も同じく、幾何学者としての神によって与えられたものである点は同じです。そして、このアイデアもガッサンディがケプラーから積極的に導入したものである、と筆者は見ている。論文では文献からその影響関係を検証しているのですが、ここでガッサンディが自然哲学と神学の目的を同じものとした記述が引かれていて興味深いです。ガッサンディにとって、自然とは神の知識を得るための「本」であり、聖書とならぶもうひとつのテキストだと考えられます。自然哲学は神へと直接的に言及しない。しかし、自然の秩序を探求することは、幾何学者としての神の意志に近づくことです。それゆえ、ガッサンディは自然哲学者を「自然神学者」と呼びなおしさえする。これは初期近代の科学者の探究心がなにによって駆動されていたのかを明らかにしてくる記述だと思いました。

「ドイツのヘラクレスの継承者 The German Hercules’s Heir」という論文タイトルのココロについては、実際に論文をお読みください。なお、坂本さんのガッサンディ関連の仕事では、ガッサンディがエピクロス主義をキリスト教のなかで受容できるよう再解釈をおこなった事実を追った論文も発表予定だそうです(日本語)。すでに草稿に目を通させているんですが、こちらは日本語で読める貴重なガッサンディ研究のひとつになるでしょう。この論文とあわせて読みたい。

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Gang Of Four @下北沢GARDEN

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Entertainment
Entertainment
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Gang Of Four
EMI Gold Imports (2001-07-27)
売り上げランキング: 57,425
来日直前にオリジナル・ヴォーカリストのジョン・キングが脱退していたことをライヴ会場についてから知る、という驚きの展開が待っていたGanf Of Fourのライヴを見てきました。ひさしぶりのライヴ・ハウス。かなり年齢層が高めの客層。40分推しの進行で、ファースト・アルバムからの曲を主体に1時間ぐらいですかね、昔、フジ・ロックでビーチ・ボーイズ(ブライアン・ウィルソン抜きの)を観たときと同じような感慨を味わいました。もっとダメかと思ったけれども、結構良かったです。アンディ・ギルのギターの音なんか「うわ、CDと一緒だ!」と思ったし、ほとんど表情を変えずにガシガシ弾きまくっている姿はカッコ良かった。この体制で、今春EPを出すそう。いや、でもジョン・キングのヴォーカルでライヴを観たかったな(もっとダメでも良いから、というかダメな姿を観てみたかった)。

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Adam Takahashi 『Nature, Formative Power and Intellect in the Natural Philosophy of Albert the Great』

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クニ坂本さんが絶賛した形跡があるアダム高橋さんの2008年の論文「アルベルトゥス・マグヌスの自然哲学における自然、形成力、知性」を読みました。アダムさんとは交流が長いですが、お仕事に触れるのはこれが初めてですね……。

かつてのアルベルトゥス研究においては、彼が残した形而上学分野と自然哲学分野ではっきりとグループが分かれていて、相互に断絶したような状態だったようです。一方、現在では両方の分野を扱わないとアルベルトゥスの世界観は理解できないよね、という感じになっている。筆者もこの立場をとりつつ、アルベルトゥスが自然現象の説明に用いる「知性」、動物の発生の説明に用いる「形成力」という概念に迫っていきます。第一に参照されるのがアルベルトゥスの『鉱物について』という著作です。これは中世の鉱物論だけでなく後々の物質理論にも影響をあたえた重要な著作だそうですが、やはり形而上学に関心がある研究者には無視されていました。まずはこの欠落を筆者は埋めようとする。

この著作の第一巻では、アルベルトゥスは石の形成を説明します。いわく石の質料因は、粘性で油性の湿気をともなった土の元素のまざりものである。粘性をもってなければ、石は固まっていられないし、また、宝石やガラスなどの透明な石は、不透明な石よりもかすかにしか質料をもっていない。この生成においては、高次の元素の変質が必要である、と彼は説く。これをより詳細に説明するため、アルベルトゥスは錬金術を例に出しています。ここでは自然の力による石の形成と、人間の手による錬金術が対比されるのですが、自然は錬金術とちがってなんの苦労もなく石を作り出してしまう理由が問われている。どうして人間は数々の失敗をするのに、どうして自然に石はできあがってしまうのか。それは自然が天に由来する知性的な力を用いれるからだ、とアルベルトゥスは説明する。これは錬金術者がもちいる技術よりもずっとパワフルなものと考えられます。

また、石の形成においては形成力概念も登場している。ここでも自然と人間の対比で説明がおこなわれます。アルベルトゥスにおいて、形成力とは「人工物のなかにいる職人」のような役割を持ちます。職人がさまざまな道具をつかってなにかを作るように、形成力は熱をもった湿気と湿った湿気を用いて石の形成に働きかける。また、この説明のなかでは石の形成と動物の発生もまた対比されている。形成力にとっては前述のふたつの湿気のうち「熱をもった湿気」のほうが重要で、それは動物の発生においてもその精子をコントロールするのに熱が重要であるのと同じであると考えられたからのようです。錬金術が自然に劣るのも、この熱が十分でないからだ、とアルベルトゥスは説明する。

アルベルトゥスの形成力概念は、3つの力によって構成されています。またもや職人のアナロジーが用いられ、筆者は1) 「天球の運動者」-「形相とつながる力」、2) 「動いている天球自身」-「職人の手」、3) 「元素」-「職人の道具」と、形成力と職人のアナロジーのひもづきを整理している。アリストテレスが職人のあたまのなかにあるイメージを形相に喩えた例がここではそのまま当てはまります。アルベルトゥスにとって、石として形成される形相は、天体を通して土の元素を与えられるまえに存在している。ここまで見ていくことによって、筆者はアルベルトゥスの石の形成原理において、知性が第一の形成原理として働いていることを導いている。

次に筆者は、アルベルトゥスの動物発生論を見ていきます。やはり動物の発生原理にも形成力が説明概念として用いられているのですが、ここでは形成力と自然現象の人工的な性格について詳細な議論がおこなわれているそうです。

胚の発生においてアルベルトゥスは神的で不滅な実体と、それとは逆にいつか壊れてしまう実体とを区別しています。月下界のあらゆるものは生成と消滅を通して変化するけれど、形相と種は不変である。アリストテレスの議論に則してアルベルトゥスはそのように考えます。このとき、彼はあらゆるものは、その状態を発展させようとする性格をもつ、と考える。それゆえに動くものは、動かないよりも優れているし、存在は不在よりも、生は死よりも望ましい。いつかは消滅するものであっても、月下界の事物は特定の形相と、神的な永遠性を与えられ、善きものへと志向していく。以上から、アルベルトゥスは動物の発生において、質料的な原理よりも、形相をそなえた作用的原理や形成的原理を重要視します。不滅のもののほうがとにかく大事、ということでしょうか。

またこのなかでアルベルトゥスは精液における作用的原理と形成的原理を同一視し、精液のなかに神的な形成的原理が含まれるというアリストテレスの説を採用します。ここでは身体をつくるのは霊魂によって駆動するのではなく、形成的原理によってなされます。魂の発生に先だって、形成的原理が身体を作る。さらにアルベルトゥスはアヴィセンナの説を使って形成力を説明します。この説明では、精液のなかでの形成力は2つの段階にわけられている。まず、形成力は、精液のなかでバラバラになっている動物の身体のパーツをくっつける。そこからさらに、霊魂の力をもった精気を導く役割を果たす。動物の発生における形成力の役割は、直接に身体のもとになる四元素を操作するのではなく、精液のなかに含まれた熱(これが霊魂のパワーである精気)をコントロールするだけで、事物に直接作用するのは、この熱である、とアルベルトゥスは言う。また、彼は精液について、それが精気を含むゆえに粘度が高く、濃い液体であると言います。薄い精液は、簡単に精気が抜けてしまうので発生ができなくなってしまう。アルベルトゥスの以上の説明から、筆者は「精気が種子的な力の乗り物であると考えられる」と分析している。

アルベルトゥスの動物発生論では、やはり職人のアナロジーが用いられ、ここでの形成力概念も鉱物と同様3つの力の複合によって構成されると説明づけられている。そしてその第一原理には知性がが存在している。つまりは、アルベルトゥスにおいては、鉱物の形成も動物の発生も同じ知性の力によるものだ、という理論的フレームワークを見いだせるでしょう。

筆者は、ここから古代から初期近代まで医学において重要な役割を演じていた「精気」の概念を扱っていきます。アルベルトゥスの著作『精気と呼吸について』には中世後期にみられる典型的な精気についての記述がある。またこの著作でのアルベルトゥスはアリストテレスの精気理論だけでなく、アヴィセンナを含むアラビアやユダヤの学者の説にもよっており、そこにはガレノスの流れをくむギリシャ-アラビア医学の影響もみられるようです。一方で、これまでの研究においてアルベルトゥスの精気に関する記述と、彼の発生の考えを接続できていない、と筆者は指摘しています。しかし、動物の発生の箇所でも触れられているとおり、形成力の説明のなかには精気が登場しますし、精気には形成力がとどまる場所の役割も与えられている。『精気と呼吸について』による精気を見ていくことで、先行研究が取りこぼしていた精気と発生の関係性を確認することが、ここでの筆者の意図となっています。

この著作の冒頭でアルベルトゥスは、霊魂を生命の原理としている。また彼はここでアリストテレスが著述した植物的生命や感覚、推論能力のような生理的な操作に先だっていることから、生命をほかと明確に区別する。そして、その生命の乗り物であるのが、精気だとされます。その精気は「すべての生命活動のために霊魂を「本質的に(organically)」受容する、空気の形相をもつ元素によってできた身体」と定義されている。この「本質的に」という言葉を、しばしばアルベルトゥスは「instrumentally(道具的に)」という言葉と置換するために使用しているそうですが、ここから彼がアリストテレスの精気の道具性を強く継承していることが見出せます。

そして、またもや職人のアナロジーを使って、精気の道具性を説明しようとする。この精気はどのように動物の身体のさまざまな部分を形成するのか(精気という単一の道具で、いろんな身体器官を作れるのか)という問いがここで挟まれる。この問題を解決するのが神的な形成力でした。これが各種の器官の精気をコントロールすることで、身体がうまく形成される。大工の意志によってかなづちが使用されるように、形成力が精気を用いるのです。

さて、だいぶ長くなりましたが、本論文の中盤までを以上のようにまとめてみました(後半では形成力が第一知性からどのようにやってくるのかを説明するしている部分についての分析がおこなわれています)。これはアルベルトゥスがアリストテレスの物質理論/生命理論をどのように受容し、発展させようとしたのかがサラリと見てとれるありがたい論文だと言えましょう。初期近代までこうした考え方は受け継がれていくわけで、読みながらヒロ・ヒライ 『霊魂はどこから来るのか? 西欧ルネサンス期における医学論争』坂本邦暢 『アリストテレスを救え 16世紀のスコラ学とスカリゲルの改革』の内容も思い出しました。アリストテレスによる四原因説もどういうものなのかなかなか理解できない部分であると思うのですが、アルベルトゥスがしつこく繰り返す職人のアナロジーによって、だんだんと読んでいてしっくりくるような気もしてくる。

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最近聴いてて良かった中南米の音楽

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夜明けのサンバ(BOM1905)
パウリーニョ・ダ・ヴィオーラ&エルトン・メディロス
ボンバ・レコード (2010-03-20)
売り上げランキング: 375,434

あいかわらず普段はブラジルを中心としたラテン音楽ばかり聴いております今日この頃ですが、最近聴いてて良かったCDなどをご紹介。まず一枚目はルーツ・サンバの代表的名盤と称されるパウリーニョ・ダ・ヴィオラとエルトン・メディロスによる『Samba Na Madrugada(夜明けのサンバ)』を。サンバと言われても、カーニヴァルのサンバしか思い浮かばない御仁も多いことでしょう。一重にサンバと言いましてもいろいろありまして、私も実際よくわからず、わけいってもわけいっても青い山状態であるブラジル音楽の奥深さに毎度畏れおののくばかりではございますが、こちらはしっとりした、カーニヴァルのサンバとはおよそイメージを真逆とする音楽。1966年の作品、これはすでにボサノヴァの流行やトロピカリズモが興っていたころだと思いますが、バンドリンなどのショーロで使用される楽器の音色も聴こえ、人種だけでなくさまざまな音楽のるつぼであるブラジル音楽の深さをまた改めて感じさせてくれる。やはり聴けば聴くほど勉強が必要だ、とも感じます。

Indestructible: Roots of Buena
Ruben Gonzalez
Egrem (2006-07-12)
売り上げランキング: 37,143

さて、お次はキューバのピアニスト、ルーベン・ゴンザレスの『Indestructible: Roots of Buena』を。こちらはライ・クーダーのBuena Vista Social Clubによって発見された大ピアニストが1975年に録音した音源を、1997年に発掘・再発したアルバム。キューバの音楽はライ・クーダーから入る……という正しいのだか間違っているのだかわからない、しかしベタな入り方をしている私ですが、これは素晴らしい……。ビル・エヴァンスのようなロマンティックで流麗なピアニズムに、ラテン・パーカッションを添えて、というまず間違いない音楽で「快適音楽」的な性格が大変に高い内容。しかし、単なるラウンジ・ミュージックにとどまらない深い音楽的滋味がビシビシと伝わってくるのでございます。

メキシコ/マリアッチ~マリアッチ・アガベ
マリアッチ・アガベ
キングレコード (2008-07-09)
売り上げランキング: 111,454

最後にメキシコのMariachi Agaveのアルバムを。こちらはメキシコの伝統音楽を演奏するマリアッチの名曲集です。ソンブレロをかぶって、マラカスもってヒゲ生やして、テキーラ飲んでる陽気な男たちのイメージがそのまま投射されそうな感じですが、これを聴いて「『ラ・クカラーチャ』ってメキシコの曲だったんだ!」と軽い驚きがあったりしました(本場の『ラ・クカラーチャ』は合いの手の『イェイ、イェイ』がスゴい)。ギター、アコーディオン、ヴァイオリン、トランペットなどの演奏を伴って、めちゃくちゃ良い声の男性が朗々とパワフルに歌い上げます。この絶倫感は吹きだしてしまうほど濃ゆい。このアルバムのなかには明らかにブラジル音楽の影響を受けて作られたであろう曲もあり、ここだけまるでデオダードがプロデュースしたみたいなんですが、そうしたところから大陸のなかでのつながりを見いだせるかもしれません。あと、この編成の音楽を聴いていて、先日たまたま観ていたビクトル・エリセの『エル・スール』のなかに登場する楽団を思い出したりもし、これには新大陸と大陸とのつながりを感じてしまう。これはスペインとメキシコだけでなく、ブラジルとポルトガルの関係からも見出せそうなものです。音楽から歴史や文化をたどれるのは、ワールド・ミュージックを聴く愉しみのひとつでもありますね。今後とも探究をつづけていきたいです。

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読売日本交響楽団第524回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮:シルヴァン・カンブルラン

曲目:
マーラー:交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」
今シーズン最後の読響定期はカンブルランによるマーラーの交響曲第6番。ここまでさまざまな名演を聴かせてくれたマエストロが西洋音楽史上でも最大級の大作を振るということで期待が高まらないわけがないんですが、結果は期待をはるかに超える演奏会だったと言えましょう。正直に申し上げるとあまりに濃い内容に終演後、言葉もない疲労感に包まれつつ会場をあとにすることになったのですが、いやはや、素晴らしかったですね。

カンブルランは、テンポが速いとか遅いとか、ダイナミクスがものすごいとか、そうしたわかりやすい音楽への性格づけによって聴取を驚かすタイプの音楽家ではないでしょう。伝統的巨匠タイプのカブキ方でなく、とにかく引き締まった音楽を聴かせてくれるのはこの日も同じでした。しかし、そこにいくつかの仕掛けを仕込んでくるのが小憎いところでありまして、今回は弦楽器の配置を変えた第1・第2ヴァイオリンの対向配置が視覚的にも印象的でしたが、その効果は1楽章序盤の第2ヴァイオリンのピッツィカートでいきなり「あ!」となる。

12月にマーラーの第9番を聴いたとき「なるほど、マーラーとはこういう響きの音楽だったのか」とそのスペクタルな音風景に生で触れて驚かされました。やはり今回初めて第6番を生で聴いて同じような驚きがありましたけれど、その大きさは今回のほうがずっと大きい。まるで悪ふざけのように中断や挿入がおこなわれるマーラーの音楽を、世紀末ウィーンのサウンドスケープに重ねた渡辺裕の優れた評論を思い出さずにはいられなかったです。どう「しっかりと」「整えられた」演奏をしてもノイジーな、ザワザワとした音楽になってしまう。不調和の調和、反対の一致……などと不用意にクザーヌスの言葉を出してみたくもなりますが、この居心地の悪さがマーラーの音楽なのだな、とカンブルランに納得させられてしまった感がある。

オーケストラも良かったです。とくにテューバの次田さんは、最初なら最後までハッスルしまくっていて最高でしたし、全体的に音色の豊かさを愉しむことができました。また、次シーズンからコンサートマスターをつとめるダニエル・ゲーデ(元ウィーン・フィル、コンマス)がコンマス席に座り、これも素晴らしいソロを聴かせてくれました。集団のなかでも彼ひとりの存在で第1ヴァイオリンの音色が、ウィーン・フィル風のブリリアントな音色を醸す瞬間があったと思います。次シーズンへの期待を繋いでいく演奏会でした(来シーズンは定期会員じゃないけど)。

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低音デュオ 第5回演奏会 @杉並公会堂 小ホール

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出演:低音デュオ(松平敬、橋本晋哉)

曲目:
近藤譲:花橘 – 3つの対位法的な歌と2つの間奏 (2013)
木下正道:双子素数 I(2011)、双子素数 Ib (2013)
中川俊郎:3つのデュオローグ、7つのモノローグと、31の断片 (2012)
バルトーク:「児童と女声のための合唱曲集」(1935)より
ラウ:「ドイツ2声曲集」(1545)より
松平敬と橋本晋哉によるデュオ・リサイタルを聴きにいく。バリトンとテューバ/セルパンという低音同士の組み合わせ、文字通りの「低音デュオ」だがその音空間がどのようなものなのか、実際に聴いてみるまでは想像がつかないだろうし、私も想像がつかなかったし、現実は驚くべきものだった。ステージ上にいる低い声と管楽器は、たったふたつの(基本的には)単音の発音体であるわけで、それはもちろんピアノや弦楽四重奏、オーケストラのように複雑なハーモニーを奏でられるわけではない。よくハーモニーには色があると言われるけれども、では、ハーモニーの得られない低音デュオのステージがモノトナスなのか。そうではない。発せられる音の表情の豊かさがある。そして、その微細な音のちがいは、たったふたりのステージでこそよく聴かれるはずだ。とくに木下正道作品は、現代音楽のスペシャリストとしても知られるふたりの演奏家の、そうした表現力をたっぷりと堪能できるものだった。素晴らしい演奏会。


うたかた (Takashi Matsudaira - UTAKATA)
松平敬
ENZO Recordings (2012-05-20)
売り上げランキング: 11,683

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Prince / Rock & Roll Love Affair

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Rock & Roll Love Affair
Rock & Roll Love Affair
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Prince
Purple Mus (2012-12-04)
売り上げランキング: 10,118

2010年以降新しいアルバムをリリースしていないプリンスですが、2011年はiTunesでシングルを、2012年末にもシングルを出していたのですね。「Rock & Roll Love Affair」はその昨年末のシングル。まあド直球なタイトルですが、歌の内容も古典的なロックンロールになっている(夢を追う男女の恋模様って……いま、何年だ)。「ラリー・グラハムと一緒に伝道活動をおこなっている」などほとんど都市伝説じみた近況も伝わってくる殿下でございますが、この古典回帰にも信仰のパワーの影響があるんでしょうか、それとも、狙ってきているのか。サウンド的には『Planet Earth』で聴かれたようなシンプルな音を、一層マイルドにしたみたい。派手なソロはないけれど、ミュートで刻むリズムにも、プリンスのギターの良さがあってねえ……なんだか爽やかな気分になるし、この路線が次の新作にも引き継がれるのだとしたら、これまでで最も爽やかなアルバムになるのでは、と思う。

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山本新 『周辺文明論: 欧化と土着』

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周辺文明論―欧化と土着 (刀水歴史全書)
山本 新
刀水書房
売り上げランキング: 1,033,275
我が家でもっとも古い積ん読本を片付ける。これ、高校の国語の先生に薦められて大学生のころ、池袋のジュンク堂で買ったんだけれども、それからえ〜、9年ぐらいですかねえ……(そのあいだに3回の引っ越しした)、それだけ寝かせているとだんだん本にも良い味がでてくる……と良いんですが、あまり興味深く読める本ではなかったです。

著者はトインビーとかを日本に紹介していて、日本で「比較文明論」というジャンルを打ち立てようとした先生ということぐらいしかわからず、いま現在どんな風に評価されている本なのかも不明です。タイトルについてる「周辺文明」とは「ヨーロッパ」とか「中国」とか、ある地域の中心になる文明の周辺にあって、中心文明の影響を受けて育まれた文明のことだそう。文明というヒッジョーに大きな対象を扱っているので、話の粒度もかなりザックリにならざるを得なくなっている。

で、その周辺文明が一体なんなのか、が本の主題なわけです。しかしこれもとてもシンプルな話で、周辺文明は、外部の自分たちよりも強い文明の影響を受けざるを得ないのだが、影響を受け続けるなかで反動的に、土着的な伝統回帰志向も盛り上がる、この弁証法的運動があるよね〜、みたいな感じ。たとえば本居宣長の国学派とか? あるいは音楽でいったら東欧における国民楽派とか?……という風に、似たような事象は歴史上いろいろあって、筆者はそのいろいろな似ていること、似ている国を比較して、あれこれ言おうとする……のだがそこで言われていることが、比較しないと言えないことか〜? と疑問に思ってしまうのだった。

また、歴史の扱い方についてもなんだか考えさせられた。たとえば「明治時代に入って急速に西洋の文化を取り入れ、近代化した日本人は、その変化のスピードに耐えられず、その自我に歪みを抱えてしまった」などという記述はほとんどクリシェ化したものとも思われるし、本書のなかでもこの「歪んだ近代日本人の自我」説が採用されている。しかし、改めてこういう記述に出くわすと、一体どんな風に歪んだのか、どこまで一般化できる歪みなのか、っていうか、歪んでいたのはだれなんだ、と訊ねたくなってくる。

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ルンバ買ったんだ日記

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iRobot Roomba 自動掃除機 ルンバ 780
iRobot (アイロボット)
売り上げランキング: 111
住宅環境が変わったことを期に、ルンバを購入しました(現行では最上位機種の780。Amazonで購入)。使ってみて一ヶ月ぐらい経過したので感想などを書いてみます。

使用感は大体満足です

起動してみた
稼働中
購入前に電気屋でいろいろと掃除ロボを見比べたときも思いましたが、稼働音は結構うるさいです。気にならない音ではない。普通の掃除機の音よりはマシですが、普通の掃除機よりもロボットの掃除時間のほうが長くかかるので、在宅中はちょっと我慢が必要な面もあるかも。

掃除能力については、満足です。部屋の隅々まで完璧にやってくれるわけではありませんが、毎日起動してたら、フローリングのキレイさが保たれるハズ。このあたりの「掃除できてるかどうか」の判定って、人間の認知の仕方に大きく左右されているような気もするんですよね。人間が掃除する場合は、目に見える糸くずとか紙片とかがパッと気になって、落ちてるものが見えなくなるまで掃除を続けると思うんですけど、ルンバはそういう掃除の仕方をしないわけで。「落ちてる目に見えるゴミ」を探索してるわけじゃなく、アルゴリズムによって部屋を満遍なく掃除しようとしている、のだけれども、たまたまスルーしちゃう箇所もでてきてしまう。人間はそのスルーしたところに、ひとつでも目に見えるゴミが落ちてたら「あ、やっぱりロボットじゃあ完璧に掃除できないね」と判断すると思うんです。逆にいうと人間は、見えてるもの中心に掃除してるので、見えないゴミに対してスルーしがちになると思うんですが。

あと、ソファーやベッドの下にも潜り込めるのは人間にはできないので良いです。

注意点1:ハマる段差がある

床にモノを置かないような部屋にする、というのは基本。ルンバは結構パワーが強いので軽いものであれば簡単に移動してしまう。あと、センサーの都合なのか、ルンバに対して斜めにある障害物には何度もぶつかりにいってしまいます。不安定な家具は何度もぶつかられると倒れます(実際、稼働初日に自作のスピーカーを破壊された)。

Untitled
ハマる段差
また、段差にハマると身動きがとれなくなってしまう。玄関のように段差の先に壁的なもの存在が遠いところでは、段差を感知して迂回してくれますが、左の写真のような段差(フローリングと窓のあいだの白い部分が5cm程度の段差になっている)では、段差のすぐ先に壁があるからOKと判定されるようで、そのままルンバは段差に突っ込んでいきます。

この問題に対して、付属しているバーチャルウォール(赤外線かなんかを出して、仮想の壁を作るアイテム)を段差の前に置いてあげる必要がある。この対策で、ルンバ段差ハマり問題はほぼ解決できます。ただ、このアイテムですが2つしかついてこないので、同一の空間に3つ以上ハマる段差がある場合は、段差の前に物理的な壁を置く必要がでてしまいます(追加でもこのアイテムを買えますが、ルンバ700シリーズのモノは9000円ぐらいする。たけえ)。

注意点2:紐っぽいものは鬼門

Untitled
悲劇
あと、これはヤバいな〜、っていうのはコードとか紐類。録音機材のケーブルが床に伸びてて、ルンバがそれを巻き込み、そのまま機材をひっぱってデスクから落下させるトラブルもありました。一番悲しかったのは左の写真の事象ですね。帰宅して、ルンバが死んでる……みたいな感じになっててとても悲しかった。

幸いメンテナンスのときにかなり分解が楽な作りになっているので、いくら紐を巻き込んでも壊れたりしないようですが注意が必要。あとフローリングカーペットはこの巻き込む部分で結構削られちゃうみたいです。新しいカーペットだったかもしれませんが「うわ〜、こんなにゴミとれてる!」と思って大喜びしてたゴミの大半が、カーペットの繊維っぽかった。

以上、いろいろ書いていますが、居住環境であったり、生活習慣によって満足度に違いがでてくる製品だと思います。フローリングが直に表れている面積(家具が置かれていない面積)が広い家なら、使ってて便利〜、と感じる度合いが大きそうだけれど、そうじゃなかったら、あんまり……(人間がやったほうが早いし……)となる。少なくとも我が家の場合は、買って良かったと思いましたよ。

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グレンフォード J. マイヤーズ 『ソフトウェア・テストの技法 第2版』

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ソフトウェア・テストの技法 第2版
J. マイヤーズ M. トーマス T. バジェット C. サンドラー
近代科学社
売り上げランキング: 272,680

さすがに古典。名著でした。これを読んでおけばとりあえずテストケースのあげ方であったり、テストケースの検証方法であったり、あるいはテストの進め方といった、ソフトウェア開発におけるテスト技法が体系的に知れるでしょう。原理原則系の話が大半なので、経年劣化しにくい知識(第2版で加えられたWebシステムやXPでのテスト技法のほうが、逆に経年劣化しやすい知識であると感じます)ですし、システム開発者のだれもが一度は読んでいて損はない。手元に置いといて、バイブル的に適宜参照しておきたいものです。

実際、テストケースをどうやってあげたら良いんだろう、って新人プログラマー諸氏においては、すごい悩むポイントなんですよね。だから、開発現場において先輩プログラマーは後輩からテストについて質問される機会があると思います。そのときは、こうした本を参照して質問に答えるべきなのでしょう。私の観察範囲内で現実におこっている事例として、テスト技法が知らない人が間違ったテストを要求し、そしてその要求が若者に邪悪なテスト技法として受け継がれてしまう、という悲劇もございます。この例につきましては、自分に邪悪な火の粉が降りかかってきてませんので、ガン無視を決め込んでおりますが、素直な人ほど間違ったまま突き進んでしまうので恐ろしい。禍々しい伝統を作る前に読んでおきましょうよ。

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My Bloody Valentine / m b v

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MBV
MBV
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My Bloody Valentine
MBV (2013-03-04)
売り上げランキング: 54
さて今度はMy Bloody Valentineの22年ぶりのアルバムである。実のところ、私はこのマイブラさまのアルバムは『Loveless』しか長らく聴いてなかったのだった。言わずもがな、90年代ロックを代表する名盤のひとつといわれている作品である(リアルタイムで聴いてたわけではない、が、90年代ロックってすっげえ長生きしている感じがあるので、ほとんどリアルタイムなのかも)が、個人的にはそんなにドッパマッてもおらず、まったく思い入れもなく、たまに聴きなおして、結構良いな、と思っている感じであった。しかし、仙台在住のtdさんという奇天烈なDJ系雄ボーイから、《自分という人間を10年ごとに1枚のコンピレーションアルバムで語る3枚組(特典付で実質は4枚組)CD-R》という途轍もないシロモノが届けられ、そのなかに入っていた「You Made Me Realise」を聴いて、俺のなかでも赤い、ブラッディなヴァレンタインが、はじけたのである。

Isn't Anything: Remastered
Isn't Anything: Remastered
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My Bloody Valentine
Sony UK (2012-05-07)
売り上げランキング: 3,787

Ep's 1988-1991
Ep's 1988-1991
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My Bloody Valentine
Sony UK (2012-05-07)
売り上げランキング: 1,010

で、新譜の前に旧譜を買いましてね、うわ、こんなヘタクソなバンドだったのか、とか、ノイジーなギターのサウンド・オブ・ウォールの前はもっと直球であまずっぺえ曲を作るバンドだったのか、とか今更ながらに感心していたところに届けられた今回の新譜ですけれども、あれだな、なんだか、まったりしたアルバムであるなあ、というのが第一印象で、山形浩生が「まったく変わってない……だがそれがいい!」と受け入れてるのには倣えなかったです。いや、古参のファンの方とは受け取り方は全然変わってくるのは当然だと思いますけれども。

ザザザー……ズギャガガガ……ジャワーー……という音像はたしかに変わってないんだけれども、ギター・ノイズの粒度が今のほうが荒っぽい印象を受ける。ただ、高解像なインナーイヤーヘッドフォンとかで聴いちゃうと重なってる音が分離し過ぎちゃって、しかも元の音が良いモノだから「これまでと結構違うじゃん!」と思った可能性もある。オープンエア型スタジオ用ヘッドフォンとかスピーカーで聴いてみたら違和感が軽減してしまったし。間違いないのはドラムの存在感がガッツリなくなっていて、可哀想な感じであることぐらい。これはもう「まだ現役バリバリっすよ」という挨拶状みたいなものなのか。次の来日公演があったら見たい、って気持ちになった。

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David Bowie / The Next Day

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The Next Day
The Next Day
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David Bowie
Sony (2013-03-12)
売り上げランキング: 218
デヴィッド・ボウイ、10年ぶりの新譜……である。Amazonからのレコメンデーションで日本版デラックス・エディションがきたとき神のごとき速度で予約注文してしまったわけですけれど、最初から通常版とデラックス・エディションの2ヴァージョンあるってどういうことなんだ!? と狼狽しつつ(上記リンクは輸入盤の通常版。tdさんはアナログ待ちでしょうか)、さらにAmazonから到着した段ボールの包装を破いてみると、仮のジャケット写真かと思ってた上記のジャケット写真が登場して仰け反ったりして、さすがボウイだな……感があるのですが、いや、もう、最高でしょうが、これは。冒頭から、ワチャワチャッとしたジャンル不定なミュージックが飛び込んできまして、うわ、なんかもう来たな、と思いました。


先行して公開されていた「Where Are We Now?」が、近年のピーター・ガブリエルの作品を想起させるしっとり系の楽曲であり、またこのPVにおけるボウイ氏の顔面の老け込み方から、ああ、なんか落ちついてる系の渋めのアルバムなのかな、と予想された方も多いかと思いますが、その予想をバッツリと裏切ってくる。さすがに声質には年波が感じられども、それが老化による劣化なのか、それとも熟成なのか。何とも言えない。ボウイ氏のヴォーカリストとしての不思議な存在感は健在、というか、先に名前を出しているピーガブ氏が先に得ていた「仙人系」の地位に達してしまっているのではないか。ヴォーカルが異様に後ろに引っ込んでる曲とかは、老化を紛らわすためなのか、とも思えるのですが、いやいや、ヴォーカルが後ろに引っ込んでる感じがより一層、楽曲の「デヴィッド・ボウイのアルバムっぽいサウンド・プロダクション」に馴染んでて、ボウイっぽい面白さがあったりもする。

非常にヴァラエティ豊かな楽曲が揃っておりますし、全体の構成としてボートラはあってもなくてもいい、しかし、ボートラの楽曲も素晴らしいので、なんでこれを捨てようとしたのか、ボウイ氏さすがに10年ぶりだからって気張り過ぎでは、とも思いつつ、個人的にはトニー・レヴィンのベースが堪能できる点も良いし、なんか、ロバート・フリップみたいなギターが入ってる!?(引退状態では!? まさか!?)と思ってパーソネル確認したらフリップ先生ではなかったのでガックリ、みたいなこともあった。しばらく、友達と「いや〜、デヴィッド・ボウイの新譜、良かったっすね〜」とか言いあって酒飲んだりしたい。

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ジャック・ロジェ 『十七世紀前半における医学と科学の精神(一)』

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フランスの歴史家、ジャック・ロジェの著作『18世紀のフランス思想における生命科学』の第1章を翻訳で読む。ここでは、17世紀前半のフランスでどのように医学が学ばれ、どのように医師が育てられたのかを中世以来の知的背景とあわせて紐解くとともに、16世紀に破壊的イノヴェーター、パラケルススの医学が登場したことによって、フランスの医学界がどのように揺れたのかがまとめられています。

東洋医学が伝統的な体系を脈々と受け継ぎ、現代まで実践されているのに対して(本当はよくしらないけれど)、西洋医学の場合、近代以前におこなわれてきたものと、それ以降のものとでは体系そのものが異なっているように見えます。現代に引き継がれなかったほうの西洋医学は、ほぼ完全に忘れ去られたと言って良いでしょう(一部、ニューエイジ系の代替医療のなかで東洋思想的なテクニカル・タームをもって変奏されている例もあるけれども)。ここで扱われているのは、その忘れられてしまったほうの医学です。そこにはまったくいまでは想像できない、まさに驚くべき営みが描かれている。17世紀の伝統的な医者にとって、医学はすでに過去の偉大な知識人たち、アリストテレス、ヒポクラテス、ガレノス、アヴィセンナ……などによって完成されたものであって、自分たちは彼らが残したテキストに注釈を加えることに専念するという態度をとります。自分たちがなにか新しい研究をして、新しい事実をみつけるなんて、そんなめっそうもない!

こうした保守的態度は学問の停滞を生みます。フランスの各都市の医学会は、実験をもとに新しい医学の道を探ろうとする者たちを激しく攻撃したようです。これは既得権益を守るためのダーティなおこないに読めるでしょう。パラケルスス主義がスキャンダラスなものとして扱われたのにはこのような背景がありました。しかし、激しい批判にあおうとも新しい道を選ぼうとする人たちもいるわけです。この伝統と革新との対立もひとつのストーリーを描いている。

それにしても、この手の医学史の本を読んでいて毎回不思議に思うのは、昔の医学は「効果があるほうがラッキー。むしろ、やらないほうがマシ」ぐらいのレヴェルであったのに、どうして長いあいだ権威を保ていたのだろう? ということです。効果があるから信頼される、その信頼の積み上げによって権威が形成されるなら理解できる。逆に、たまにしか効かないからこそ、奇跡のように扱われ、それが信頼を生むとでも言うのでしょうか? そもそも伝統が権威として存在してしまっていると、なにをやっても許されてしまうのでしょうか? 昔の医師が施術に失敗したとき、どんな風に言い逃れたのだろう……などと想像を膨らませていくと興味は尽きません。

Sciences de La Vie Dans La Pensee Francaise Au Xviiie Siecle (Les) (Collections Histoire)
Jacques Roger
Albin Michel
売り上げランキング: 92,903

原書はこちら(マーケットプレイスでとんでもねえ値段になっている……)。なお、ジャック・ロジェの著作は、平井浩さんが歴史を目指すキッカケを作ったそうです。

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藤本大士 『秋田藩領および幕領の鉱山における医療環境: 近世後期の公儀による医療政策の展開』

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  • 藤本大士 『秋田藩領および幕領の鉱山における医療環境――近世後期の公儀による医療政策の展開』(東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系 修士学位論文[仮]、2013)

「fチョメブログ」でおなじみの藤本大士さんの修士論文を読みました。執筆者自身による要旨はこちらに公開されています(藤本さんのブログは毎回読みやすい長さで、すごく勉強になる記事がアップされているのでオススメです。個人的にいま最も更新を楽しみにしているブログのひとつ)。

タイトルにあるとおり、本論文では近世後期における医療政策がテーマになっています。たとえば、徳川吉宗がいまの小石川植物園に公的な医療機関を設立し、同時に薬草事業をおこなわせています。この史実をご存知の方は多いかもしれません(タモリとかが話してそう)。しかし、こうした政策はイマイチ定着することなく、民衆レベルでの効果は認められないと評価されているといいます。その一方、秋田藩でおこなわれた医療政策は、効果が認められるものでした。ここで筆者は、効果があった政策となかった政策の違いはどこにあるのかに注目し、その効果のある政策がどのように進められたのかを記述しようとする。

論文では、医療政策の明暗を分けた要因として「仁政イデオロギー」があげられています。これは文字通り仁という価値観にそって政治をしていこうではないかッ、というものだと思いますが、単に権力が民衆に押し付ける思想ではありません。むしろ、権力と民衆とが共有し、民衆の側からもそのイデオロギーにそった要求をおこなえる概念とされている。たとえば、民衆が「なんかいま、仁が足りてないんじゃないですか!」と思ったら、それを理由に一揆をおこせた……とか、そういう価値観として定義されます。これが権力と民衆のあいだでうまく共有されていたからこそ、秋田藩での医療政策(とくに秋田の鉱山労働者に対する)は効果的だった、と筆者は指摘している。

正直に申し上げて、これを説得力をもって言い切るにはまだ史料と記述が足りていないような気がするし、うまくいかなかった医療政策がどのように仁政が共有されていた状況での医療政策と違っていたかは、よりクリアに描かれる必要があるようにも思います。しかし、仁政によらない医療政策の目的が、医療をおさえることで支配を強めようとする権力の行使であったのに対して、仁政による医療政策がある種の社会福祉によって、派生的な結果として経済的な目的(ここでは鉱山労働者の健康を保つことで、鉱山経営を円滑化する)を達成しようとした、という違いはとても興味深く読めました。そもそも、政策を駆動していたのが「仁」という、今で言うなら「人間力」みたいな、モヤモヤッとした概念だったこと自体が面白いですよね。いまで言うと、経済成長であったり、文化的に豊かな生活であったり、もう少しわかりやすいものが念頭に置かれているような気がしますし、そこでの現代と過去とのちがいが、時代によって政治や行政に求められる資質の違いも表しているようです。

徳川綱吉による悪名高い「生類憐みの令」も論文中では、仁政の源流となった社会福祉政策のひとつとして評価されているのも面白かった。映画『大奥 ~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』で綱吉を演じた菅野美穂さんは、この記事を読んでたら是非、藤本さんに問い合わせいただき、一読していただきたい。私自身、江戸時代(雑な時代区分……)のことはよくわからない門外漢ではありますが、それゆえに知らなかったことしか書かれていないので、もうなにがきても面白くて興奮しました。徳川吉宗や平賀源内、田沼意次などちょうど漫画『大奥』に登場する人物への言及も多い(平賀源内は秋田でも活躍した、と論文中にあります)ですが、徳川吉宗は軽くdisられてる箇所があるので、映画『大奥』で吉宗を演じた柴咲コウさんは読まないほうが良いかもしれません。

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フレデリック P. ブルックス Jr. 『人月の神話』

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人月の神話
人月の神話
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フレデリック・P・ブルックス Jr.
ピアソン桐原
売り上げランキング: 115,345

ソフトウェア開発とプロジェクトマネジメントに関する古典的著作を読む(なんども書くけどこのブログを書いている人の本業は、システムエンジニアである)。著者はIBMのOS/360の開発マネージャーだった人……と言っても、いまこの紹介文で「へえ」って思う人のほうが少なそう(私はIBMメインフレームで開発とかやっている人なので『へえ』ってなるけども)。最初に原著がでたのが1975年なので、内容はかなり古く、はっきり言っていま読んでも仕方がない記述もたくさんある。たとえば、昔はプログラムのデバッグをするのにもコンピューターの資源がカツカツだったので、いろんな人と資源を分け合ってテストしなきゃいけなかったから、1回のデバッグ処理と次のデバッグ処理のあいだに2、3日のインターヴァルがあった……とか。そんなのいまどき、ハッ? って感じですよね。プロジェクト内で共有すべき情報を手引書としてまとめろ、マイクロフィッシュは場所とらなくて良いぞ! とか、隔世の感しか感じない。

ただし、全部が全部ゴミみたいな内容になっているか、というとそんなことはなく、仕事をどう分割するか、チーム内役割をどう構成するかについての知見はそこそこ現役だと思う。そのなかには「そんなの当たり前じゃん!」って事柄も含まれているけれど、その当たり前はこうした先人の試行錯誤によって積み上げられてきたものの上澄みを、いまの人たちがすくってるだけ、とも言える。とはいえ、使えそうな部分だけ拾い集めて3360円の価値があるか……と問われると、うーん……。「コレを読まないと仕事ができない!」みたいな本ではないです。著者はかなり教養高い人っぽく、引用や表現の端々にインテリ感溢れてるのがちょっと面白いけども。

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井筒俊彦 『マホメット』

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マホメット (講談社学術文庫)
井筒 俊彦
講談社
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昨年は井筒俊彦没後20周年、今年は生誕100周年のアニヴァーサリーだったのですね、ということでいろいろ復刊であったりが続いている知の巨人であります。『マホメット』は井筒が昭和27年(1952年)に書いた本。当時38歳であった著者が「青春の血潮を沸き立たせた人物」について書き綴ったとても熱い作品でした。井筒先生、筆が乗りまくり、勢いありすぎで読んでいてとても面白い。井筒の本としてはかなり短い本で、解説(牧野信也による)には略歴も詳しくあって、初めての井筒本になかなかオススメかも。26歳で処女作『アラビア思想史』を上梓し、のちに『イスラーム思想史』と解題され、古典入りしてしまう天才が、ここまでロマンティックな表現を駆使しまくった本はこれ以上にあるか?!

「ムハンマドとはだれだったのか?」が本書の第一のテーマとなっている。だけれども、単なる伝記として語らないのが井筒らしい。まず、イスラーム以前のアラビア世界(イスラームからすれば正しい宗教がなかった『無道時代』)の知的世界/精神世界がどのようなものだったのか。そして、ムハンマドがアッラーという唯一神との契約にもとづく新宗教を興したことでそこにどのようなインパクトをもたらしたのか。これが本書の大きなストーリーになっています。井筒は無道時代の詩を引用しながら、砂漠のベドウィンたちの血縁によって繋がる社会のなかでの、酒と戦争とセックスという刹那的な現世の価値を追求する享楽的な世界観を描いている(井筒が訳しているタラファという詩人の作品がかなり最高)。一方、その刹那的な享楽主義は、どんな愉しみであっても死んだら消え去ってしまうし……という厭世とも隣り合わせなのです(だからこそ、この現世を謳歌しよう! という駆動力も生まれるわけですが)。井筒はここに、無道時代のアラビア世界の精神的いきづまりを見ている。

そこに現れたのがムハンマドだったのですね。彼もまた、この世の儚さを知っている人物でしたが、無道時代の人々が酒だ、戦争だ、セックスだ、とやりたい放題な方向に向かうのではなく、いずれやってくるハズである「審判の日」に対する恐れを導入することで、現世での抑制をもたらすのです。享楽的な現世主義者に対して警告を与えた人物としてのムハンマドが、無道時代の伝統とどのように戦い、また、ユダヤ教やキリスト教といった先行する一神教とどのように関わろうとしたのか。史料にもとづいて(おそらくかなり想像で補填しつつも)語られた、イスラーム誕生後のストーリーもまたエキサイティングな魅力を放っています。

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Iceage / You're Nothing

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You're Nothing
You're Nothing
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Iceage
Matador Records (2013-02-19)
売り上げランキング: 1,615
またもやtdさんのブログの後を追うように、デンマーク出身のIceageのセカンド・アルバムについて書きます。いや、前作から3年ですか。新作を待望していたわけではなかったですし「おお、新作出したんだ!」という感じでしたが、デビュー・アルバムの衝撃をそのままに、というか、セカンドではむしろさらに荒々しく激しさを増しているのではないか、という出来になっており、素晴らしい……。

童貞くさいヴィジュアルも健在。心の奥底にとどめた秘密のサムシングを絞り出すようなヴォーカルに、身を切り裂くようなギター、そして、この速度。はっきり言ってテクニックはまったくないのですが、こういうものに対する嗜癖が刻まれてしまっているともはや抜け出せないのだなあ……。これまた久しぶりにロックなものを聴いているなあ、という感じですが、最高でございますよ……。

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P. O. クリステラー 『ルネサンスの思想』

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ルネサンスの思想 (1977年)
P.O.クリステラー
東京大学出版会
売り上げランキング: 324,701
パウル・オスカー・クリステラーという歴史家がどのような生涯を歩んだかについてはこちらのまとめが参考になるでしょう。本書は彼が1954年におこなった連続講義の記録に、それ以前の論文をくっつけた内容となっています。主旨としては、「ルネサンス」という概念が、「人間と世界の発見」の時代であり、近代と直接ひもづくようなメンタリティをもった人間が登場した時代である、と考えられてきたことに対する異議を申し立てるもの。ルネサンスは暗黒の中世を否定し、人間を中心にいろいろ考えていこうではないかッ、とか、そういう時代であった、と高校の世界史で習った人がいるかもしれません。クリステラーはこれに「いや、実はそんな単純な話ではないのでは?」と言うわけですね。歴史を描く際、過去を否定して、新しいものが生まれる進歩史観でストーリーを作るのはとてもわかりやすい。クリステラーが批判するルネサンス観とは、まさにそうした観点から作られたものであり、彼はそのわかりやすさゆえの問題を指摘している。

ルネサンスの思想家、人文主義者たちは、中世の人たちを否定したわけではなく、むしろ、その知的伝統のうえにルネサンスの知識人たちの営みもあったのだ、とクリステラーは言います。ここに過去からの革新ではなく、過去からの延長のルネサンスが描かれることになる。そうした歴史観に対して「では、『ルネサンス』という現象はなんだったのか? そんなものはなかったのではないか(クリステラーはその時代におきた新しい動きを軽視しているのでは)」という批判もあったようです。もちろん、ルネサンスは単なる延長ではなく、プラトン主義の復活や、異教の教義とキリスト教の教義の融合などの動きが生まれていて、本書では、そのような伝統の延長線上におこった新しい潮流が教科書的に説明されている。あくまで教科書的な記述ですので、細かいところを深く突っ込むわけではありません。それゆえの退屈さもあるのですが、もし初めてルネサンスの思想史に触れるのであれば、現在でも使える本だと思いました。これ一冊読めば、思想史の見取り図のようなものがおおまかにつかめるようになるハズ。

ちょっと残念なのは、人名の日本語転記がかなり雑。訳文が読みにくいわけではないのですが、マルシリオ・フィチーノが、あるときはマルシリウス・フィッチーノだったり、ホメロスだけホーマーになってたり、読んでて気になる点がいくつか。ちょっと古い翻訳ですから仕方がないのかもしれませんが、もし復刊されることがあれば出版社の方にはそのあたりを整えてほしいところです。

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Michael Barkun 『A Culture of Conspiracy: Apocalyptic Visions in Contemporary America』

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A Culture of Conspiracy: Apocalyptic Visions in Contemporary America (Comparative Studies in Religion and Society)
Michael Barkun
University of California Press
売り上げランキング: 247,915
アメリカの政治学者、マイケル・バーカンによる陰謀論研究書を読了。イルミナティやFBI、CIA、フリーメイソン、といった存在はアメリカだけではなく、日本でも陰謀組織としてメジャーなものだと思う。本書はこの他にも超エリートが集ってなにやら秘密の会議をおこなうボヘミアン・グローヴや、世界の秘密を探ろうとする人たちを秘密裏に処理するための黒いヘリコプターの存在など、陰謀論というよりは都市伝説に近いものまで幅広く扱っている。本書の内容を一言でまとめるのであれば、一般的な(陰謀論者からすれば無知な)市民はバカげた考えだ、ビョーキなのでは、と一瞬で切り捨ててしまう陰謀論的な世の中の仕組みを思想史的・社会学的に分析したもの、と言えるだろう。人前で読むのがはばかられる表紙とは裏腹に内容は至極マジメな本だけれども、ビザールなエピソード・言説も満載で、キャンプ趣味の読者にも楽しめるハズ。

地底に住む爬虫類人や、マインド・コントロール、プレアデス星団からのメッセージ、アトランティスやムーなどの失われた大陸、シャンバラ帝国、地球空洞説……。あまりにキワドい研究対象のラインナップは、読んでいてめまいがしそうになってくる。こうしたアレコレの起源がどこにあるのか、だれが有名にしたかなど単純に面白かった。神智学で有名なブラヴァッキー夫人もアトランティスとかムー大陸にお熱だったそうで、19世紀後半のヨーロッパのオカルト主義者のあいだでは、失われた大陸ブームがあったとか。ハトン司令官こと、ギェオルゴス・ケレス・ハトン、自称、銀河間連合艦隊の司令官であり、地球人たちを四次元宇宙に移民させるプロジェクトの責任者がいろんな本を出してるのも傑作。また「ヒトラーは地下のトンネルを抜けて地底都市に逃げ、空飛ぶ円盤の技術を開発した!」とか言う話が、アメリカ同時多発テロ事件以降のアル・カイーダに変奏され、ビン・ラディンは地底人とつるんでいると言われた、という話も、妄想が合併症的に広がっていく様を伝えてくれる。

その一方で、アメリカのサブカルチャー文化圏でどのように陰謀論が広まっていたのか(やはりインターネットの力は大きい)、なぜ科学の時代に疑似科学や実証できない知識が生き残れるのか(実証するシステムから離れたところで流布し、実証システムも相手にしないから駆逐されない)などの分析は特段目新しいものではない。そもそも本書はどうして人が陰謀論にハマってしまうのか、とかの根源的な問いに答えてくれるものではない。ただ、本書を読みながら感じ入ってしまうのは、陰謀論者の人たちの心性と宗教的な心性との近さだ。ロックフェラー家がこの世のすべて支配している、いや、実はその裏にはさらに宇宙人がいるのだ、いや実は宇宙人と見せかけて古代の地球を支配していた邪悪な爬虫類人だ……陰謀論者たちは、こんな風に世界を体系だてて説明してみせる。しかし、そこで説明されていることがらは検証のできない触れることのできない世界の話だ。陰謀論者たちはその超越的な世界に到達できる神秘主義者、としても捉えられる(ちなみに、本書の神秘主義についての知識についてはジョスリン・ゴドウィンが助言を与えているとのこと)。

実際、陰謀論者の言い分は神学的な議論にとても近いものがある。たとえば「すべてを支配する秘密の権力があるならば、なぜ、ずっと秘密ではなく、権力の存在を匂わすようなヒントが漏れてしまうのか、そんなに絶対的な力であれば、ずっと秘密であるはずでは」という問いかけに対して、陰謀論者たちは「ずっと権力の存在が秘密であるならば、権力の存在を感じることができない。支配者は時折自分たちのパワーを知らしめるために、ヒントを与えるのだ」と答える。この説明はまるっきり奇蹟の話と重なってしまうし、中世の神学者たちが畸形の誕生から神の力を感じたのとまるで同じものに読めてしまう。こうした信仰に関係する心性の類比からは、「一般的な」我々が科学や、システムを信頼する心性がどのようなものであるのかを考えるキッカケも導きだせるように思う。

現代アメリカの陰謀論―黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人
マイケル バーカン
三交社
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……とここまでわざわざ原書で読んだ感想を述べてきたけれど、なんだよ、翻訳あるんじゃん!!(ただし、この翻訳にはいろいろと問題がある模様。英語のレヴェルもそんなに高くないので、そこそこ英語が読めるならサラッと読めてしまうと思います)

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