カール・シュミット 『政治的ロマン主義』

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政治的ロマン主義 (始まりの本)
カール・シュミット
みすず書房
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カール・シュミットの本はちょうど1年ほどまえに『政治神学』を読んでいた。当方コレと言って政治的な態度というものを取っていない人間であるが「あー、シュミットの言ってることって結構『今』にハマるかもな〜」と思うことがあり『政治的ロマン主義』を読んだ。でも、これはなんだか難しかったですね。『政治神学』は2回読んだら、意味が分かった感じがあったけれども、こっちはよくわからなかった。要するに政治的なロマン主義者は、特に理論的に意思決定をおこなうわけではなく、よっぐわがんねえ妄想じみた理想の実現のためにレトリックで人を煽って政治活動をしていて、結局なにもできなかった! 的な感じの批判をおこなっている模様。まあ、それは現代のポピュリズムとなにか関連して考えることができるかもしれないし、先日読んだジジェクの本で言われている、イデオロギーの「人間化」と何かしら関係のあるような気もした。『カール・シュミット入門講義』とか読んで、もう一度再チャレンジしたいような気もする。ノンポリが政治的な動きを見て、役に立たない批評的なことを言うために使う……という不毛な読書でしかないのだけれども。

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最近のお買い物(INCASE CL55463 CAMPUS COMPACT BACKPACK)

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日頃ちょいちょいPC(MacBook Air 11インチ)とか営業用の資料をもろもろと抱えて外回りをしているのだけれど、荷物が多いときは肩にかけられる鞄ではどうにも肩がこって困る。それでリュックサックに荷物をいれるようにしていたのだが、スーツにも変じゃないリュックを持っていなかったので、とうとう商談の相手から「なんか山っぽいですね!」、「美大生かと思いましたよ!」と突っ込まれる日が来てしまった。
「山っぽいですね!」と言われたリュック
「美大生かと思いましたよ!」と言われたリュック。色は右から2番目のグリーン。
というわけで新しく「PCが安全な感じで収納できて、そこそこフォーマルに見え、なおかつ容量が結構あるリュック」を購入した。商品の選定にあたってはこのへんのサイトを参考にした。
  • MacBook Air 11インチ
  • iPhoneの充電ケーブル
  • Macの電源ケーブル
  • Kindle Paperwhite
  • 折り畳み傘
  • メガネケース
  • ペンケース
  • 各種書類・チラシ・資料
  • お弁当箱
荷物が最大になるときはこれだけの物がスムーズに入る必要があるが、容量的に今回購入したINCASEのリュックはその機能要件をバッチリ満たしている(というか結構余裕がある)。同じメーカーには今回購入したものよりももっと仕切りが充実しているのがあるけれど、わたしにはこれで充分だった。わたしは人よりも肩幅が広いので、これまで使っていたものよりも若干「肩のベルトが落ちそうだな」という感じがあるが慣れの問題も大きいだろう。いい感じである。

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佐藤広一 『泣きたくないなら労働法』

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泣きたくないなら労働法 (光文社新書)
佐藤広一
光文社 (2011-11-17)
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お仕事で労働法についてちょっと整理しておく必要がでてきたため読む。著者は社会保険労務士の先生。2011年に出た本なので(まだ民主党政権下だ)ほんのちょっと古い情報も混ざっているけれども、おおむね分かりやすくて良い本。想定読者は「いきなり人事部に異動になった人」とか、今現在就職活動をしていたり、これから働き始める人とかなんだろうか。働いて賃金をもらう、という仕組みが法律上どうなっているのか、というのがザックリとサクッと把握するにはちょうど良い感じ。「残業代」ってどういう性質のものなのか、とか普通気にもならない話もちゃんと理解しておくとなかなか面白いし、現在の労働基準法は戦前の工場法を元に作られた、というのも「なるほど〜」となる知識だった。

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佐藤留美 『凄母(すごはは) あのワーキングマザーが「折れない」理由』

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凄母(すごはは) あのワーキングマザーが「折れない」理由
佐藤 留美
東洋経済新報社
売り上げランキング: 7,484
東洋経済オンラインの連載「ワーキングマザーサバイバル」が書籍化された本を読んだ。育児についての話ではなく、人間にとって「仕事」ってこんなに気合いいれなくちゃいけないものなのか? と、仕事なんか生活のために仕方なくやっている人間としては問いつめられるような本であった……。

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スラヴォイ・ジジェク 『ポストモダンの共産主義: はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』

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ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)
スラヴォイ・ジジェク
筑摩書房
売り上げランキング: 159,494
昨年『生き延びるためのラカン』についてこのブログに書いたら、複数の人から「スラヴォイ・ジジェクが面白いですよ」と薦められたので読む。こちらは2009年にジジェクが書いたアメリカとヨーロッパを中心とする社会批評。「ラカン派マルクス主義者」という面白すぎる肩書きで有名な批評家・思想家であり、顔がメチャクチャに怖く、英語のスラヴ訛りがすごすぎることは知っていたが予想を超えた面白さだった。改めて「ラカン派精神分析を使ったときのなんでも言えてる感」に恐れ戦いてしまうと同時に、ここでジジェクが取り上げるポストモダン資本主義社会の様々な事象とその分析は、2014年の日本においても数々当てはまるものも感じる。ただ、ラカン派のテクニカル・タームの解説などは一切ないため、それらを全く知らないと1/4ぐらいは意味不明だと思うので注意。

秀逸だな、と思ったのは、アメリカの急進的右派ポピュリストたちが、どうして自らの利益になる政策を支持できないのか? その不合理な選択について分析しているところ。これを単にポピュリストたちが愚かだからだ、とか、彼らを支配する階級がイデオロギーをすり替えて洗脳しているからだ、とかいうだけでは不十分である、とジジェクは言う。これはイデオロギーへのフェティシズムである、と切って捨てているのは気持ち良ささえある。あと、ベルルスコーニへの評価とかすごく笑った(人間らしさの道化の下に隠された冷徹さ、そしてそれはプーチンと似てる、とか)。

批判理論とラカン派が悪魔合体したら、キレキレができちゃいました、的なそんな感じで読んでいたが、まあ、これも「伝わらない本」「届かない本」であるのだろう。ジジェクがどんなに人間的な社会を標榜してプロレタリア独裁によるコミュニズムの実現を夢想していても、それは彼が批判する人々(例えば、ポピュリスト)は見向きもしない。ゆえに、彼の批判や批評を、社会への精神分析だとするならば、治療は見事に失敗するだろう。じゃあ、一体誰がジジェクを読んでいるのか。ジジェクの声は誰に届いているのか、と考えてしまうのだが、やっぱり、こういう本を読んで「(政治活動とかするわけじゃないけど)面白い」と思う人なんだろうな、と思う。ポル=ポトとかに真っ先に虐殺されちゃうような層、というか。

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西田幾多郎 『善の研究』

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善の研究
善の研究
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(2012-09-27)
Kindleで日本語の本を探していたときに、あまりのコンテンツの枯渇っぷりに絶望し、青空文庫ぐらいしか読むのないじゃん……と思って、なんとなく西田幾多郎を読みはじめた(古本で買った岩波文庫の『善の研究』も長いこと積ん読してあったのだが)。いや、1911年(明治44年)にこんなこと書いている日本人がいたのか、と言うのがまず驚きだったし、しかも、内容もすごい面白いじゃないですか。ビックリした。

思惟、意志、知的直観、悟性……などなど、西洋哲学の伝統において人間の認識に関わる諸々の動きや感覚はその機能らしきものごとに様々な名前が与えられてきたようだけれど、西田にとっては、すべてが「意識」とか「精神」という言葉に統合されている(ように読める)。思惟、意志、知的直観、悟性……などなどは意識が、そのモードによって状態変化しながら機能していく……ような感じ。機能ごとにハッキリとしたレイヤーはなく、局所かしているわけでもなく。このブヨッとした意識のイメージが、アリストテレス的な階層構造とは全然違う。

西田はこの意識を世界の中心と置く。彼が考える意識の外にある「自然」とは、ラカンにおける現実界のようなもので(たぶん)、絶対に直接は触れることのできない存在だ。我々はその実在を主観的に(意識のスクリーンを通して)しか認識しえない。有名な「我々が物を知るということは、自己と物とが一致するというにすぎない。花を見た時は即ち自己が花となっているのである」という一説も、そういう話だったの、と読んでみて納得がいく。これを読んでからは、絶妙な焼き加減の赤身のステーキを食べれば「私は赤身のステーキだ」と思うようになったし、悩ましげなバディを見かければ「私は悩ましげなバディだ」と思うようになった(嘘だけれど)。

まあ、こういう記述で「そうだったのか!!」と発見があるわけではない(悩ましげなバディだったのか! とか)。でも、なるほど、自分が見えてる世界をこういう風に理解することも可能であるな、というのが楽しい。こういう思索に耽ることのできた西田は、よっぽど暇であったのだろうな〜、とも思う。正直、後半の(標題にもなっている)「善」についての考察はよくわからなかったが、そんなに難しくもないし。かつて学生時代に『西田幾多郎の生命哲学』を読んだ記憶がうっすらあるが、ベルクソンやドゥルーズといった西洋の思想家と共鳴させなくとも、西田哲学は楽しいではないか、と思った。

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Robert Klee 『Introduction to the Philosophy of Science: Cutting Nature at Its Seams』

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Introduction to the Philosophy of Science: Cutting Nature at Its Seams
Robert Klee
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かなり前にTwitterで「英語の勉強と科学哲学入門が同時にできる」とオススメされているのを目にして『Introduction to the Philosophy of Science: Cutting Nature at Its Seams』を読んだ。著者はニューヨーク州のイサカ大学で、科学哲学や心の哲学を専門としている人。

ここ数年、東京大学の科学史・科学哲学研究室の関係者には色々教えてもらうことが多くお世話になっているのだが、科学史はなんとなく「科学の歴史だよね」ということは分かっていても、科学哲学のことはよくわからないのだった。それもこの本を手に取ったキッカケのひとつである。ただ、この本を読んでそれがバッチリわかったか、というと、そんなこともなく……(終盤の実在論と反実在論の論争のあたりは疲れてしまってかなり読み飛ばしました)。

英語が特別難しいわけではないのだけれど「科学哲学での○○というトピックは、実際の科学の現場だと〜」と例をあげるときに、免疫学から話を持ってくるですよ、この本。で、免疫学での英単語なんか馴染みないじゃないですか。イチイチ調べるとダルいし、必然的にいい加減に読むクセがついてきてどんどんテンションが落ちていくのがツラい。最終的には「科学的な記述ってこれで良いの?」だとか「科学的なモノの見方ってなんなの?」だとか、そういうことを考えていらっしゃるのが科学哲学の人らしいゾ、と阿呆のような理解に留まってしまった感がある。

以下、散漫にいくつか思ったことを書き残しておこう。

「科学的な記述はこういう風にするべきであーる」的な議論の紹介(本書は基本的にさまざまな論争を参照しながら、科学哲学を紹介していく)を読んでいたら「科学哲学って『科学の哲学』っていうか『科学の倫理』っぽいな」とも思った。ある人は論理学を援用しながら、科学的記述の「正しい」手続きはこうだろー、的なことを言っている。こういう、正しい/正しくない、という基準でなされる議論は「哲学」っぽくない気がしたんすよ。

なんか哲学って「○○とは!?」と思わずフォントを大きくしてしまいたくなる問いの投げかけ感があるじゃないですか(無理矢理な同意の求め方)。文字通り「科学とは!?」みたいな(なんか妻夫木聡のビールのCMみたいになってきたな……)。それが「科学的なモノの見方ってなんなの?」というか、科学にとって世界はどう見えているのか、みたいな議論になってくると「おお『哲学』っぽいな」と思う。

本書ではトーマス・クーンについても結構分量を割いていて、そこは科学史がどうして盛り上がったのか、みたいな話だったのでさすがに読めました。「科学は常々前に向かって進歩しているだ!」的な進歩史観の見直しから歴史研究が……という風に本書は説明しているのだけれども、これは東大の「科学史・科学哲学研究室」がなぜ、科学史と科学哲学がセットになった研究室なのか(歴史と哲学ってジャンルちがくない?)、という疑問を解いてくれる気がする。

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菊地原洋平 『パラケルススと魔術的ルネサンス』

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パラケルススと魔術的ルネサンス (bibliotheca hermetica 叢書)
菊地原 洋平
勁草書房
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bibliotheca hermetica主宰のヒロ・ヒライさん編集による叢書第2弾となる『パラケルススと魔術的ルネサンス』を読む。当時の伝統医学を否定し、パラケルスス主義医学の源流を作った人物であり、錬金術師、諸々のトラブルによって放浪生活を余儀なくされた、大学での講義中に批判した本を燃やしてしまった……などのビザールなエピソードが、本書のメイン・キャラクターであるパラケルススについては知られている。わたし個人の興味も、そうした妙なキャラクターに惹かれて彼の名前を知るのみであったけれど、本書を読むことで少し考えを改めさせられた。

占星術を使った予言書の執筆や医術など、もちろん現代の科学的な視点から見れば、パラケルススがおこなった「魔術」の実践は、怪しげなモノに映るに違いない。けれども、一方で彼は自らの魔術を「自然をくまなく探求すること」とし、「神から与えられた事物の本質」としての知識を理解することを目的としていた。この「魔術」の概念は、おそらく一般的な「魔術」という言葉が持っているイメージ(魔法陣を書いたり、気味の悪い色の液体が煮えた大きな鍋で薬を作ったり……)とは大きく異なっている。むしろ、現代の科学的な態度とそう遠くないのでは、と感じるのではないか。怪しげなイメージがつきまとうパラケルススの業績を辿ることによって、怪しげな魔術のイメージの書き換えを迫るところに大きな驚きがある。

本書では、パラケルススの魔術概念とメランヒトンの自然哲学概念(関連エントリー:デザイン論の源流はどこにあるのか(メランヒトンのデザイン論について))との近さにも気づかされた。世界を理解することによって、神を理解する、というデザイン論者としてパラケルススを理解しようとすると、彼の学究的な態度ももっとスムーズに理解できそうである。

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