ジェームズ・フレイザー 『金枝篇』(1)

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金枝篇(全5冊セット) (岩波文庫)
フレイザー
岩波書店
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こないだ『王権』を読んだつながり的な形でジェームズ・フレイザーの『金枝篇』を読みはじめた。手に取ったのは、岩波文庫から出ているフレイザー卿自身による簡約ヴァージョン(ちくま学芸文庫のは初版版。国書刊行会からは完訳版の出版が現在進行形で動いている)。全5巻というのでどんだけすごいヴォリュームのが届くのかと思ったら、1冊1冊は普通の厚さだったのでほっとした。訳文もそこまで古臭くなっていないし、今のところ『金枝篇』を読むとしたらこの岩波文庫版でいいんじゃないの、と思う。中古ならちくま学芸文庫の上下巻揃えるよりも安いし。

はっきり言って「ホントかよ」みたいな世界中の風習や呪術に関する記述がダラダラ並べられていくだけなんだけども面白いです。こういうのを寝る前とか、疲れた時の帰りの電車で読むと、ほわーっと良い気分になる。また、自分で調査してないくせにフレイザーも書き方が上手いんです。そこが良い。フレイザーのこういうダルいけど優雅なワクワク感みたいなのがたまらなくなる瞬間がある(ほとんどダンセイニの本のように読んでしまっている)。こういう本は一家に1セットあると良いですよ、ひまつぶしに。

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新しいヘッドフォン買いました日記(JVCケンウッド HA-FXH20)

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JVC HA-FXH20-B カナル型イヤホン ダイレクトトップマウント構造採用 ブラック
JVCケンウッド (2014-11-13)
売り上げランキング: 16,773
使っていたJVCケンウッド HA-FXD80-Zが1年2か月ほどで断線したため(ブログに記録をつけているとヘッドフォンの使用期間が把握できる。たぶん私はよく断線させるユーザーなんだと思う)、同じJVCケンウッドで買い直した。FXDシリーズの最新モデルがFXHシリーズになった模様。

このメーカーのヘッドフォンは、これで3代目となるが、コストパフォーマンスが相当に良い。FXHは、10、20、30番と番号が進むにつれて、高価になっていく。前モデル(FXD)では、60、70、80という番号が付いていて、価格帯は前モデルも新モデルもほとんど一緒。20と30のあいだでは2000円ぐらい差が出る。前モデルの70と80はどちらも使ったのだが、正直2000円の差が優劣で語れるものでなかったため(高くなったから良くなったと感じず、正直好みで安い方を選んでも良い感じ)、FXH20にした。松竹梅だったら、竹が一番売れる理論、みたいな感じでたぶん、竹モデルであるコレが一番数が出て、コスパが結果として良くなっている、ということなのかも。

音の感じは、FXDシリーズとほとんど同じ。イヤーチップを耳の穴にキツめな大きさのものを選ぶと、かなり低音が楽しめる。変わったのは、ガワがステンレス削り出しじゃなくなって、ちょっと安っぽくなってしまったことぐらいか。あと前はついてなかった「フィットサポート」という突起がついて、より安定した装着感になったらしい。この突起があることで、イヤーチップが耳のなかに入りすぎるみたいな問題は軽減されているかも。

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檀一雄 『わが百味真髄』

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わが百味真髄 (中公文庫BIBLIO)
檀 一雄
中央公論新社
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檀一雄の食べ物エッセイを読む。食べ物関連本には数あれど、この本は単なるグルメ本にあらず、檀一雄の豪快な人柄(かなり病的と言って良いと思う。こんな人が家族なら疲れてしまいそうだし、平成の今日では道徳的に許されないであろう生き様である、と思った)が現れたグルメ冒険譚という感じで大変面白かった。

戦中から敗戦直後の中国で、報道班員として活動していた頃の壮絶な体験もサラリと書いているのがすごい。なにしろ冒頭から中国兵と日本兵の死体の見分け方からはじまるのだ。それと食べ物の話が並列されて綴られることに、食べる、ということが、まっすぐに生死と繋がっていることを思わせる。「◯◯という地方の××が美味いらしいゾ」と聞けば、途端に家を飛び出して食べに行ってしまう、そういう冒険心を檀一雄は忘れなかったようだけれど、その思い切りの良さは、そうした中国での経験も大きく影響してるんじゃないか、とも思った。

読んでいると腹が減る本は良いグルメ本だと思うけれども、これは、なんというかそれ以前の「グルマンディーズとはなにか」「食客とはなにか」というところを問いかけてくる気がするね。もはや死語となったインターネット上のスラングを使うとするならば、ギザ貪欲、って感じであって、それだけで尊敬に価する。ヨーロッパやアメリカはもちろん、中国の奥地だとかいろんなところでホントにいろんなものを食べている。

それから交流のあった作家のエピソードなんかも読んでいて大変に笑ってしまった。とくに太宰。太宰と檀はしょっちゅう連れ立って酒を飲み、一緒に女を買いに行く仲だったそう。「太宰治と二人新宿を歩いていたところ、太宰は道端に売っている夜店の『毛蟹』をおそれげもなく一匹買い、それをまっ二つに割って、半分は私にくれ、そのまま町を歩きながら、手掴みで、ムシャムシャと喰いはじめた」とある。

道端で毛蟹が売っている新宿の風景もなかなか想像がつかず、食べ物から、そうしたソフィスティケイトされていない日本というか、野蛮な東京の風景みたいなものも窺い知れるなかなか深い本でもある。いや、それにしても、新宿で毛蟹を手掴みで食べている人、中国人観光客以上にワイルドだな……、太宰よ。

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E.H. Gombrich 「Apollonio di Giovanni: A Florentine cassone workshop seen through the eyes of a humanist poet」

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Gombrich On the Renaissance - Volume 1: Norm and Form
E.H. Gombrich
Phaidon Press
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引き続き、ゴンブリッチのエッセイ・論文集を。2本目の「Apollonio di Giovanni: A Florentine cassone workshop seen through the eyes of a humanist poet(邦題は『アポロニオ・ディ・ジョヴァンニ: ユマニスト詩人の目を通して見たフィレンツェのカッソーネ工房』)」。カッソーネとは、14-16世紀のイタリアの金持ちが結婚するときに嫁入り道具的な形で作らせた長方形の箱。これには色々と絵が描いてあったり、装飾がほどこされてあったりする。15世紀前半のフィレンツェで活躍した、アポロニオ・ディ・ジョヴァンニという人はカッソーネに絵を描く有名な画家だったそう。で、その作品をウゴリーノ・ヴェリーノというイタリアの詩人がベタ誉めするような詩を書いている。それってどういうことなの? っていうお話。

アポロニオ・ディ・ジョヴァンニの工房で製作されたカッソーネ
ネット上に良い感じの画像が落ちてないんで、分かりにくいんですが、この絵がまたすごいんですわ。嫁入り道具的なものなのに『アエネーイス』だとかの戦闘シーンなんかを題材にしていて、やたらとスペクタクル感あふれている。もちろん、その題材には道徳的な意味が隠されていて云々。アポロニオ・ディ・ジョヴァンニの絵画技法は、ゴシック的なリアリズムを継承するもので云々とか書かれていましたが、壮大に読み飛ばしてしまったため、内容全然理解してません。

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フアン・ルルフォ 『ペドロ・パラモ』

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ペドロ・パラモ (岩波文庫)
フアン・ルルフォ
岩波書店
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フアン・ルルフォはメキシコの作家。メキシコの重要な作家とみなされながら、職業的な作家でいたわけでもなく、著作も短編集『燃える平原』とこの『ペドロ・パラモ』の2冊しかない。解説によれば『ペドロ・パラモ』は、1980年に批評家や作家向けにおこなわれたアンケートでラテンアメリカ文学最良の作品の第一位の座を『百年の孤独』とわけあったという。その評価には納得してしまう。死者が平然と現れ、生きているように振る舞い、時間の流れも直線的ではない。ラテンアメリカ文学のエッセンスがこの中編には凝縮されているように思われるのだった。夢(悪夢)のようであり、濃密なミステリーとしても読めるだろう。読みながら、ルイス・ブニュエルの映画のことが自然に思い出された。

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田崎真也 田中康夫 『ソムリエに訊け』

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ソムリエに訊け (幻冬舎文庫)
田崎 真也 田中 康夫
幻冬舎
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昨年は伊丹十三を集中的に読む年だったが今年は田中康夫を掘っていきたいと思っている。といっても新刊で買うのはアレなので、ブックオフで見つけたら読む、というユルいスタンスで。栄えある1冊目は日本を代表するソムリエ、田崎真也との対談本。単行本はが発刊されたのは1993年、元々は1988年から田中が発行していた「会員制雑誌」で進行していた企画だったとのこと。ちなみに田崎真也が「世界最優秀ソムリエコンクール」で優勝したのが1995年だから「田中康夫、やっぱり時代を先駆けすぎてるな」という感じがビンビンに伝わってくる。ソムリエという人々を一般に知らしめたのも、田崎真也のソムリエ世界一以降だったと思われるし、日本ソムリエ協会が初めてソムリエ呼称資格認定試験を実施したのも1985年のこと。ヨーロッパのワイン文化が日本で育とうという黎明期に、ほとんどオンタイムでこういう本を書いていたのだから、驚くばかり。個人的には、伊丹十三によるアボカドの紹介ぐらい驚いた。

20年以上前の対談を元にしているのだから、今「ワインを学ぶ/知るための本」としてはどうなんだろう、という部分もあると思う。語られるのはフランスのワイン中心で、イタリアとアメリカがほんの少し、スペインのカヴァなんかも一言二言みたいな感じで、南米や南アフリカ、オーストラリアといったニュー・ワールドへの言及は一切ない。低価格高品質ワインが日本に入ってきたことで、ワインのカジュアル化は相当に押し進んだと思う。だから、この本は、それ以前の世界の話、と言って良いであろう。もっともそのカジュアル化というのも、ワインの世界にカジュアルな地区ができた、というのが正確なところで、高級で、オシャレで、難しい地区、ラグジュアリーな食文化としての領域は、20年以上前とあんまり変わっていない。だから、その辺はまだまだ有効な本なのだ。

「習うより慣れろ、学ぶより飲め」と冒頭で田中康夫は書いている。そこだけ初心者に優しい感じなのだが、その後の対談は最初からかなり飛ばしている。教科書的な記述をあえて避けているというのがあるのだけれども、まあ、いきなりこれ読んでもペダンティックで暗号のような本にしか読めないだろう。田崎真也も「原則として、ワインが料理を殺すことはない(だから自由にワインを選んで良い)」と言いながら、ワインと料理の「合う組み合わせ」を無数に提案している。不正解はないが、無数に正解は存在する……ボルヘスの小説みたいな話だと思う。「女の子にカッコ良いと思われるワインの頼み方」だとか「ソムリエに『ワイン通』と思われるためには」だとか、かなり下世話なことも書いてあるのだが、「ワイン深すぎるだろ」という恐ろしい世界の片鱗を味わうには格好の一冊だ。

わたしもこれ読んで、あー、ワイン通とか無理だわ、と思ったんだけれど、自分で極める必要も全然ない。思うに、ソムリエと会話ができるようになる(ソムリエに自分の好みや、その場にあったワインを選んでもらえるようになる)、という能力があれば、十分なのだ、普通は。まさに「ソムリエに訊け」だ。この本も田中康夫がもっとワインについて全然知らない人として登場してきていたら、格好の「ソムリエ会話入門」になっていただろうが、ちょっと高度すぎるな……。最高に面白い本ではあるんだけれども。

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E.H. Gombrich 「The Renaissance Conception of Artistic Progress and Its Consequences」

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Gombrich On the Renaissance - Volume 1: Norm and Form
E.H. Gombrich
Phaidon Press
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昨年読んだスヴェトラーナ・アルパースの本で言及されていたゴンブリッチの本に手をつける。『Norm & Form』は20世紀を代表する美術史家のルネサンス芸術論集を集めたエッセイ・論文集。『Gombrich On the Renaissance』という全4巻のシリーズものの第1冊だ。

規範と形式―ルネサンス美術研究
エルンスト・H. ゴンブリッチ
中央公論美術出版
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すでに邦訳もあるようだけれど、品切れ中なので原著を読むことにした。届いたのは、B5サイズの本。200ページぐらいのペーパーバックだが、紙質のせいで結構重い。半分近くは図版なので、そんなに時間をかけずに読みきれそう。デザインは、原著のほうが断然カッコ良いですね。

まず、1本目の「The Renaissance Conception of Artistic Progress and Its Consequences」を読み終えたのでメモを残しておく。邦題は「芸術の発展に関するルネサンスの概念とその影響」。歴史を紡ぐうえで、ある人物が先行する人物から受けた影響関係を、系譜学的に描くというのは広く見受けられる。たとえば、棟方志功がゴッホを見て感激して、影響を受ける、とかね(音楽でも、ビートルズに衝撃を受けて……みたいな語り口ってよくある)。ルネサンス美術史でも、そういう影響関係をつなぎにした発展の概念は有効だったみたい。

これに対してゴンブリッチはそれとは違う発展史の媒介を提案している。彼がここで取り上げているのは初期ルネサンス期の彫刻家、ギベルティが製作したブロンズの門である。これはフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂でいまも見ることができる。この洗礼堂には、彫刻がほどこされた門が3つあり、そのうち2つがギベルティの手によるもの。一番有名なのが1452年に完成した「天国への門」と呼ばれるもの。

ギベルティによる「天国への門」
で、ギベルティによるもうひとつは1424年に完成している。残りはアンドレア・ピサーノが1336年に完成させたもの。ゴンブリッチはまず、ピサーノとギベルティの最初の作品の比較から入っている。両作品のあいだにはおよそ100年ほどの時間があいているが、ふたつの作品は、聖書の場面を描いたパネルのまわりの装飾といい、人物のプロポーションと良いとてもよく似ている。それからギベルティの描く構図は、過去の有名な彫刻作品の構図を参照している。

ピサーノによる門

ギベルティによる最初の門
じゃあ、ピサーノ → ギベルティの発展的な系譜が描けるのか。聖書の物語の構図なんか型みたいなのがあるし、過去の作品を参照するなんか当たり前じゃないのか、とゴンブリッチは言う。じゃあ、発展はどのように描けるのか。なにが発展の引き金を引いているんだろう。といったところで、ギベルティの最初の門と「天国への門」の比較に入っていく。

同じ製作者なのにふたつの作品は全然違う。まず人物のプロポーション。「天国への門」の人物は、顔が小さくなってスリムになっている。描写もより細やかになっていく。発展しているのだ。ゴンブリッチはここでギベルティの著作や手紙のなかから人文主義者の影響やプリニウスの引用を見出していく。知的な影響がルネサンス的な「自然の模倣」と「画面の調和」というルネサンス的な発展の契機になったんだろう、と言うのである。

かなり雑に読んでしまったけれども、図版を使った説明はかなりわかりやすいし、絵だけ見るんじゃなく、その背景にあるテクストを見ていく、というやり方は、インテレクチュアル・ヒストリーの手法そのもの、と思った。短いんだけど、ゴンブリッチの歴史記述の手法のエッセンスが詰まっていそうなエッセイなのかな。

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大江健三郎 『大江健三郎自選短編』

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大江健三郎自選短篇 (岩波文庫)
大江 健三郎
岩波書店
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大江健三郎という作家について、わたしはまったくの誤解をしていたことに気づく。これまでひとつも読んだことがなかったんだけれども、ノーベル文学賞の受賞者だったり、反戦・反核運動で喋っていたり、という活動は知っていたので、そうした立派な業績や活動から、作品もヒューマニズムにあふれた(ノーベル文学賞に相応しい・ノーベル文学賞が好みそうな)ものなんだろう、それはちょっと苦手そうだな、と勝手に想像していたのだ。今回作家自身が編纂した800ページを超えるヴォリュームの短編集を、初期作品から順に読んでいったのだが、わたしが勝手に抱いていた想像上の大江健三郎は最初の「奇妙な仕事」という作品から姿を消してしまった。読んでいてちょっと胸がつかえる感覚がやってくるようなグロテスクな描写や、生々しい性的な描写にわたしはびっくりしちゃったのである。こんなもん書いてて、ノーベル文学賞取れるのか、とかね。

その驚愕の初期短編は「もっと若い頃に読んでいた方がしっくり来ただろうなあ」という感じであったのだけれども、中期(80年代)の作品群にはすごく惹かれるものがあった。多くが作家自身の視点で語られていて、その語り口は「これ、小説っていうか、エッセイみたいだな」という印象を受ける。家族や親交のあった人物(たとえば三島や武満)がかなり直接に登場し、長男である大江光を中心に据えた日常を描くものもある。それがいきなりフィクションらしい落とし穴にズドンと落ちてしまうような瞬間があって、そうした落ちていく感覚がとても面白いと思った。どこからが実際にあったことなのか、どこからがフィクションなのかの境目は、わからない。気がつくと「あ、落ちちゃっているな!」と思って、うわっ、と驚いてしまうのである。それはマジックリアリズム的だと思ったし、「私小説2.0」的な手法のようにも思った。

そういえば、集英社の「ラテンアメリカの文学」のシリーズについてきた月報のなかで、だれかが「大江健三郎にガルシア=マルケスを激烈に薦められた」と書いていた気がする。とにかく、面白かったですよ。「おもしれぇじゃねえか、健三郎」……ってDMMのCMのビートたけしみたいになってしまった。

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BUCK-TICK / 惡の華

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惡の華 (2015年ミックス版)<プラチナSHM>
BUCK-TICK
ビクターエンタテインメント (2015-02-01)
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BUCK-TICK、『惡の華』リリースより25周年を記念して、今回新しくトラックダウンをやりなおしてのリリースであるから、もうこれは「再発」というよりも「新譜」であろう。2007年に彼らのアルバムは古いのがリマスタリングされた際、このアルバムもリマスタリングされてリリースされているのだが気合いの入り方が違う。同時に『惡の華』のDVD、Blu-ray、アナログ、シングル盤をCDと同梱した『惡の華』しか入っていない凶悪な『惡の華』ボックスも出すぐらい(これはちょっと手が出なかった……リリース自体がポップ・アートみたいである)すごい気合いの入り方である。

はっきり言って、わたしが持っていたリマスター前のCDとはまるで別物。リマスター前が、音の前に置かれたごく薄い壁越しに聴いていて、全体的に低音がボワーッと鳴っていた印象があるけれども、今回の2015年ミックス盤は、そうした壁越し現象が全然ない。重低音がちゃんとBUCK-TICKしている感じである。音の分離も良くなっているし、空間もより広く、楽器の音がすごくキレキレというか生き生きし、左右でギターのチャンネルを入れ替えてたりもかなり細かくやっていて、かなり再構築されちゃっている感じである。最初「これ、今回、新しい音を足してるんじゃないか?」とさえ思ったが、旧盤を確認すると、ちゃんとこれまで認識していなかった音も入っている。すごいな、こんなんなっちゃうんだ、と驚いた。これは買いだろう、と思う。

(アルバムの全曲ダイジェスト。Youtubeでも音の違いがわかる)

アルバムの内容については言わずもがな、最高です。メジャー・デビュー30周年ぐらいでこのアルバム以外も同じような気合いでトラックダウンして発売し直してくれないかな、と思う。この音で「PHYSICAL NEUROSE」や「...IN HEAVEN...」を聴きたいぞ。

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