Moritz Von Oswald Trio / Sounding Lines

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Sounding Lines
Sounding Lines
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Moritz Von Oswald
Honest Jon's (2015-06-09)
売り上げランキング: 42,751
モーリッツ・フォン・オズワルドの新作を聴く。トリオ名義での前作『Fetch』はiTunesでリッピングしようとしたらジャンルが「Jazz」と出て驚愕だった激烈にダビーで酩酊感のある暗黒ジャズ・ミニマルテクノであったが、本作も強烈。レギュラー・メンバーであるヴラディスラフ・ディレイというメタル・パーカッションなどの異物担当者が不在の代わり、フェラ・クティのバンドで活躍していた伝説的ドラマー、トニー・アレンが参加して、人力ドラム対鋼鉄のミニマリズムという状態である。前作まではエグいまでのダブ・エフェクトで空間を埋めている印象があったのだが、本作は逆にこれまでのダビーな空間操作は抑えめで、涅槃じみた静けさと隙間が印象的だった。ミックスはリカルド・ヴィラロボスが担当しており、やたらとドラムの音が生々しい。もう最高でしょう、これは。

(トニー・アレン参加のライヴ映像)

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Valery Afanassiev / Beethoven: Piano Sonata Nr.8, Nr.14, Nr.23

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ベートーヴェン:悲愴・月光・熱情(初回生産限定盤)(DVD付)
ヴァレリー・アファナシエフ
SMJ (2015-05-27)
売り上げランキング: 43
ここ数年クラシックの新譜ってほとんど買ってないのだが、ヴァレリー・アファナシエフの新譜がでるというので聴いた。アファナシエフのベートーヴェンはこれまでにも聴いたことがあったが、ここにきて《悲愴》・《月光》・《熱情》という「巨人・大鵬・卵焼き」的な(自分で書いていてちょっと違う気がするが)大メジャー曲の録音である。その解釈はいつもの通り、ゲテモノ的とも言うべき、極端に遅いテンポ設定のもので、安心のクオリティなのだが、大変面白く聴いた。動力が完全にぶっ壊れたオルゴール、というか、まるで不整脈みたいなルバートはもしかしたら過去最高レヴェルかもしれない。《熱情》の冒頭部なんかちょっとふざけているんじゃないのか、とツッコミたくなるほどの間の取り方をしている。けれども不思議としつこくない。改めて、そのめちゃくちゃに重いんだけれども、しつこくない(美味い東京とんこつラーメンみたいな表現だ……)演奏の妙に感心させられた。

ふと思うのだが、この音楽の作り方って、極端ではあるけれど19世紀末や20世紀前半に活躍した演奏家たちの再現に近いようにも思う。フルトヴェングラーとかメンゲルベルクとか。それから今回の録音には(録音の仕方にも関係していると思うのだが)、アファナシエフの演奏にロシア・ピアニズムの遺伝子を明確に感じられる部分があると思った。リヒテルだとかギレリスだとかの遺伝子。とくに鍵盤を強打しながらも、濁りのない響きはギレリスのそれを彷彿とさせる。それがもっとも感じられるのは、《月光》のプレスト・アジタートか。

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海老沢泰久 『美味礼賛』

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美味礼讃 (文春文庫)
美味礼讃 (文春文庫)
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海老沢 泰久
文藝春秋
売り上げランキング: 10,130
辻調理師専門学校の創始者、辻静雄の伝記小説を読む。あくまで辻静雄をモデルにした小説という形でノンフィクションではない。だから、どこまでが事実でどこまでがフィクションなのかはわからないのだけれども、この人物がいなければ、日本のフランス料理は30年は遅れたんじゃないか、彼がいなければ、自分が日本で食べたフレンチもありえなかったんじゃないか……と思うと、辻静雄には感謝しても仕切れないような感覚に陥りるし、「ホンモノの料理」を追い求める小説内の辻静雄の情熱、そしてそれを支える人たちの善意には何度も目頭が熱くなった。いや、普段小説を読んでてここまで感激してしまうことってないんだけれど、めちゃくちゃにアツくてスゴく良い小説。もしこれを10代で読んでいたら、辻調グループの門を叩いていたかもしれない。ロマンですよ、これは。

「ホンモノ志向」と言えば、徐々にわたしのなかで神格化されつつある伊丹十三にも同じことが言える。伊丹十三のエッセイのなかで、辻静雄への言及があったと思うし、絶版の『フランス料理を私と』は辻静雄が大きく関わってできた本だ。なかなか手に入らない本だけれども何としても手に入れたいと思った。


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Jim O'rourke / Simple Songs

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Simple Songs
Simple Songs
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Jim O'Rourke
Drag City (2015-05-19)
売り上げランキング: 665
2009年の『The Visitor』以来のジム・オルークのアルバムを聴く。今回は歌モノ、実に13年半ぶりらしいが、合間にバート・バカラックのカヴァーがあったから、彼のヴォーカルを聴くのがそんなに久しぶりなわけでもない。というか、今回歌モノのアルバムを聴いたら、なんだ、歌ってるからと言って、彼の音楽的な世界観が変わるわけではなく、一緒なんじゃん、と思った。録音された音の感触からして、全然、今流行のモノとは違っていて、ジム・オルークの音っていうのがある。たぶん、本作を別な最近の音楽と続けて再生すると、その音量レヴェルの控えめさにビックリするであろう。他の音楽家のように、誰かに追い立てられるようにして音圧をガンガンあげていく、ような音作りは一切されてなくて、ちょうど思い出すのはやはり、ジム・オルークがプロデュースしていた時代のWilcoのような音作りであるのだが、本作の音はそれよりもずっと軽々としている。

そういう音で、タイトルが Simple Songs でしょう。リラックスしたユルいアルバムみたいに思っちゃうじゃないですか。それが全然違うんだ。『Eureka』の「Eureka」のような、その一曲だけでアルバム全体をガッツリと印象付けるキラー・ソングはないんだけれど、アルバム総体として、すごく良い内容。今月、山本達久が参加しているアルバムを買うのが2枚目だが、リズム的な部分で彼のドラムがめちゃくちゃに良い仕事をしている。奇数拍子の楽曲でのバシバシ叩いて、キメでザッと止まる(かなりバカみたいな表現になっているが)ポスト・ハードコア的なグルーヴを生み出していてとても気持ち良いのです。このドラムを基調にして、バンドの音がダイナミックに動いていく瞬間が多々あり、それが壮大で良い。あくまで音自体は、リッチなものではないんだけれど、小さな音の塊が、非常に大きなダイナミクスを生んでいる。これって、ひょっとしてめちゃくちゃにロックなんじゃないのか。


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レム・コールハース 『S, M, L, XL+: 現代都市をめぐるエッセイ』

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S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ (ちくま学芸文庫)
レム コールハース
筑摩書房
売り上げランキング: 316
建築家、レム・コールハースによる伝説的著作『S, M, L, XL』の待望の邦訳が、ちくま学芸文庫で出されていた。本書についてはわたしもかねてから、その伝説の部分だけを聞き知っていた。原書の位置付けについては、刊行記念で寄稿されている山形浩生の文章や、建築家の岩元真明によるWeb連載に詳しい。読まれることを拒むような浩瀚な原著のキャラクターは、やはりそれだけで興味をそそる。今回の邦訳『+』版、原著で多用されたイメージをほとんどカットし、現代都市について語るコアとなる文章を選び、さらに近年のテクストを追加して編集した(企画には原著者も関わっている)内容なので、なんだろ、抄訳版とも違うし、ゴダールの『映画史』の短縮版みたいなものなのかもしれない。

建築のことはよくわからないし、実はコールハースのことも、先に触れた岩元真明の修士論文のタイトル「大都市的建築―レム・コールハースとヴァルター・ベンヤミンの比較研究」だけで興味を持っていた。ベンヤミンと比較される建築家はどんな文章を書いているんだろう、とただそれだけの興味である。今回初めて読んでみたら、まあ、たしかにシニカルな語り口や、語りの晦渋さ、あるいはイメージの伝え方には、たしかにベンヤミンっぽさがあるのかもしれない、と思った。特に都市や建築を語りながら、社会批評を織り交ぜてくるやり方は『パサージュ論』みたいでもある。というか、わたしは建築のことがよくわからないので、そういう批評的な読み方しかできないのだった。そして、コールハースの語り口に触れてると現代都市がすべてディストピア的に感じられてきて気が滅入ってくる。

都市から少し離れた文章では、東京や日本について書いているもののなかに、こういうのがある。
日本では何もない自由時間に仕事が組み込まれているのではなく、仕事という基本体制から掘り出された例外的な状態を自由時間と言う。
なんという 適切な表現なのか。

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湯川潮音 / セロファンの空

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セロファンの空
セロファンの空
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湯川潮音
Pヴァイン・レコード (2015-05-02)
売り上げランキング: 2,472
湯川潮音のアルバムは2006年の『湯川潮音』しか聴いていなかったのだけれども、このアルバムは長いこと繰り返し聴いた一枚だった。で、たまたま新譜がでているのをキャッチしたので新作の『セロファンの空』を買って、魂消ましたね。大名盤じゃないの、これ。トラッドフォークから、いわゆるフリーフォークへの大胆な移行と言いましょうか。これまでになく、シンセや管楽器、エレキ・ギターを大胆に導入し……ということだが、ものすごくカラフルな白昼夢を見ているような、それでいてものすごく強く現実に地に足をつけている感じ、というか、ハッキリと別な世界を見せてくれるアルバムだと思う。サウンド・プロデュースには徳澤青弦がガッツリ入って良い仕事をした成果なのか。「役者」、「ハイエナのイエナ」なんか展開がほとんどプログレみたいな激しさであり、意表を突いてくる。ちょっと色々新譜が重なっていて、繰り返し聴きたいものが多く、耳が足りてない感じがあるのだが、これはめちゃくちゃ聴いてます。ドラムは山本達久が参加。これまたいい仕事をしている……。

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吉田一郎不可触世界 / あぱんだ

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あぱんだ
あぱんだ
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吉田一郎不可触世界
SPACE SHOWER MUSIC (2015-05-13)
売り上げランキング: 261
Zazen Boysのベーシスト、吉田一郎のソロ作を聴く。リリースにあたっておこなわれた彼のインタヴュー記事が面白い。20年近くにわたって個人的に作りためてきた作品たちを今回公開した、ということだけれど、誰かに聴かせるつもりがない音楽をわたし自身作っていたこともあるので共感できる部分がある。


すごく暑苦しいPVで、異形のミュージシャン感が溢れまくっているのだが、音楽はリリース元であるMatsuri Studioのドンであるところの向井修徳によるKimonosに似たニューウェーヴ的な雰囲気を共有しているように思った。以前に、吉田一郎が組んでいたバンドの音源も聴いたことがあったけれど、それは変拍子に、ジャギジャギッとしたギターが特徴的な、ポスト・ハードコアっぽいバンドだった気がする。それとはかなり方向が違う。けれども、ジャギジャギッとしたギターが入ってる曲もある。

ヴォーカリストとしての魅力は残念ながらあんまりないし、日本語ラップのような部分は聴いていて恥ずかしい感じもする。ただ曲はとても良い。「たまプラーザ」なんて、向井修徳に歌ってもらいたいな、と思わせてくれる。
ベーシストではなく、一個の肉の固まりとしての吉田一郎の想いがここに集まり、沼から突如フナを咥えて這いずり出てきた河童のエグい匂いを漂わせながら/それに出くわし/おののきながらも未知の好奇心を刺激された十才の少年のような純粋な煌めきを放っている。(向井秀徳)
これ以上の言葉が思い浮かばないのが悔しい。ジャケットに使われている絵も、吉田一郎自身による自画像だそう。これもなんだかすごい絵で、もちろん上手くはないけれど、LSDを摂取した画家が描いた猫の絵を思い出させてくれる。

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篠崎愛 / A-G-A-I-N

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A-G-A-I-N (完全生産限定盤)
A-G-A-I-N (完全生産限定盤)
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篠崎愛
L's Shit recordings (2015-04-29)
売り上げランキング: 2,398



今月はこういうのも聴いてて、耳が足りない感じである。マジで篠崎愛、最高なので今度出るらしいミニ・アルバムも確実に買うであろう。

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dCprG / フランツ・カフカのサウスアメリカ

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フランツ・カフカのサウスアメリカ
DCPRG
ヴィレッジレコーズ (2015-05-13)
売り上げランキング: 119
菊地成孔のdCprG(表記の変更の意味はよくわからず)の3年ぶりのスタジオ・アルバムを聴く。前作からのメンバーの変更は、キーボードが新しく小田朋美になっている。活動休止前のDCPRGの最後のアルバム『フランツ・カフカのアメリカ』を更新するものとして本作がある、みたいなのだが、いや、正真正銘の、控えめに言っても大名盤、と言いましょうか。前作のヴォーカロイドだとかJazz Dommunistersだとかはなんだったのか……とあっけにとられるほどの高密度のアルバムだった。演奏の濃さと締まり方がすごいし、そのうえ、内容がとてもキャッチーである。

複数のリズムの同時進行は容易に聴取可能ではなくなっているのだが、実に『アイアンマウンテン報告』や『構造と力』ばりに音楽から「踊れ」と言われている感じがすごくする。もちろん『フランツ・カフカのアメリカ』の「ジャングル・クルーズにうってつけの日」だとかゆっくりと体に火がついてくる感じも最高なのだが(活動再開後のライヴの演奏とか最高だった)、このアルバムの沸点の低さもかなり良い。アルバムに込められている意図だとかは読めておらず、なぜ、使用されているテクストがシェイクスピアなのか、とかも全然わからないのだが、曲間に挿入されるポエトリー・リーディング、モジュラー・シンセとラテン・パーカッションによる伴奏に乗せて読み上げられるテクストが醸し出す雰囲気は、キップ・ハンラハンのアルバムみたいでカッコ良い。

とにかく締まりまくっている、と思う。参加しているミュージシャンは菊地成孔を含めて11人いるのだが、マイルスのロスト・クインテットだとか、あるいは菊地成孔自身によるダブ・ゼクステットの演奏ぐらいに聴こえる。つまりは、人数が2倍詰まった感じ、というか。なんかすげぇんである。ポリリズムだけじゃなく、ユニゾン部分も、こんなのライヴでどうやって合わせるのよ、と思ってしまい、ぜひ、ライヴで確認したい、と思う。しばらくライヴから足が遠のいてたけど、今度は行くぞ。行くんだ。

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井筒俊彦全集(第2巻)『神秘哲学 1949年-1951年』

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神秘哲学 一九四九年― 一九五一年 (井筒俊彦全集 第二巻)
井筒 俊彦 木下 雄介
慶應義塾大学出版会
売り上げランキング: 460,472
だいぶあいだが空いたけれども、積ん読にしてあった井筒俊彦の全集2巻を読む。年代ごとに文章が収録されている。第1巻が1935年から1948年の仕事だったのに対して、第2巻は1949年から1951年の仕事で一冊ってこの期間に仕事しすぎであろう、という感じになってしまうのだが、本巻のメインである『神秘哲学(ギリシアの部)』が1978年に刊行された版を採用しているため。『神秘哲学(ギリシアの部)』が最初に刊行されたのは1949年で、それは1979年版で言うところの第2部のみ。あとで第1部を書き足してるので、第2巻の1949年から1951年にはこの期間以外の仕事も織り込まれていることになる。

しかしながら、当時40歳にもなっていなかった頃の井筒がどれだけ巨大な仕事をしようとしていたのかがところどころに垣間見えるのが恐ろしい。「神秘哲学(ギリシアの部)」の続刊としては「神秘哲学(ヘブライの部)」(原稿約1000枚)が予定されていたというし、それに続く「キリスト教神秘思想の部」というのも予定されていたというのだから。本巻に収録された1950年に刊行された『アラビア語入門』の序文には、こんなことが書いてある。
本書を私が執筆したのは、今からもう8年も前、昭和16年の晩秋のことであった。その頃私は、アラビア語で生活し、謂わば文字通りアラビア語を生きていた。朝起きるときから、明け方近く床につくまで、アラビア語を読み、アラビア語を書き、アラビア語を話し、アラビア語を教えるという、今憶えばまるで嘘のようなアラビア語の明け暮れであった。本書は私にとって、本当に憶い出深い書物なのである。元来、私がこの本を書いたのは、その頃丁度華々しく創設されたばかりの慶應義塾語学研究所及び外国語学校の事業の1つとして、世界の重な言語を全部網羅した語学入門叢書を刊行する計画が出来て、此のアラビア語入門書をその第1巻とするつもりだったのである。そして私自身も、これに引続いて、ヘブライ語、シリア後、ペルシア語、トルコ語というような順で、東洋の文化的意義のある言語の文法を次々に書いて行く計画であった。
まったく「お前はなにを言っているんだ」というような話ではないですか、太字部分。昭和16年頃の「アラビア語の明け暮れ」も相当スゴいけれど、こういう構想だけだってさ、なかなか言えないですよね。野球の入門書書いたら、バスケとか水泳とかの入門書も書きます。もちろん、それぞれ、プレーヤーとしても頑張りながらです、みたいなこと言ってるみたいなもんですよ。

本書のメイン『神秘哲学(ギリシアの部)』は1949年原典復刻版(関連エントリに読書メモ的なものへのリンクをまとめている)ですでに読んでいた。だから読むのはほとんど2度目と言っていいのだが、まあ、改めて読んだら、井筒ってすごい書き手だったんだな、と思う。

今となっては、井筒よりもわかりやすくて、親切な教科書ってたくさんあると思うし、井筒の書き方はそもそも入門書的な書き方をしていない。「アリストテレスの能動知性論がその後、キリスト教神学をトミズムとアヴェロイズムとで真っ二つに分けるきっかけとなったのは周知の事実である」みたいなぶっちぎった書き方するし。でも、すごいのよ。文章の力が。井筒がテクストを読んだ時の感覚だとか、井筒の思考をトレースするような怒濤の流れがあって、それに酔いそうになる。

毎回冒頭部分がとてつもなく良いんだよね。たとえば本書の最初に収録されている「詩と宗教的実存: クロオデル論」にしても書き出しはこうだ。「美しい花から花へ舞い戯れて行く胡蝶のように、地殻の表面に現象する多彩な美の幻影のみを追いもとめている詩人がある」。『神秘哲学』はこう始まる。「悠邈たる過去幾先年の時の彼方から、四周の雑音を高らかに圧しつつある巨大なものの声がこの胸に通って来る」。もう、え、なにがはじまるんですか、みたいな感じじゃないですか。ただもんじゃないですよ。真面目に読んだら勉強になるし、不真面目に読んでも音が気持ち良い。

関連エントリ

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荒木飛呂彦 『荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟』

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荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟 (集英社新書)
荒木 飛呂彦
集英社 (2013-05-17)
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読み逃していた荒木飛呂彦の2冊目の新書を読んだ(1冊目に関する記事はこちら)。「映画の掟」とあるが、著者がひたすら自分の好きなサスペンス映画について、その映画がなぜ面白いのかを語りまくる内容。この映画分析が、物語の構造解析というか文法解析というか、なにかストーリーの運動理論のようでとても面白い。難しい言葉を一切使わない、語り口の軽妙さもとても良い。荒木飛呂彦がテレビ番組のインタヴューに答えている映像を何度か見たことがあるけれど、そのときの口調であるとかスピード感が文章によく出ていると思った。

やっぱりアレだけの漫画を描いている人だから、ちょっと天然な部分もあってそこも良かった。たとえば
たぶん誰の心にも駆け落ち願望があるでしょう。僕にはあります。向かうのは地の果てにあるような、寂しい土地がいい。
 ……駆け落ち願望……ないよ……! でも、言われると著者が思い浮かべているような情景は共感できる。あと著者はカーク・ダグラスが好きすぎるのではないか、と思った。

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カルロ・ギンズブルグ 『チーズとうじ虫: 16世紀の一粉挽屋の世界像』

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チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)
カルロ・ギンズブルグ
みすず書房
売り上げランキング: 40,870
イタリアの歴史家、カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』を読了。イタリア語の原著が発表されたのが1976年だから、およそ40年前の本。クラシック、とするにはまだ若い本かもしれないけれど、堂々たる大名著。めちゃくちゃ面白かった。

本書でギンズブルグが扱っているのは16世紀のイタリア北部にいたドメニコ・スカンデッラ、通称メノッキオという人物の生涯だ。このメノッキオ、特に歴史的になにか偉業を成し遂げたわけでも、重要な人物であったわけでもない。極貧、とまではいかないがそこそこ経済的に苦労の多い粉挽屋(水車小屋の管理人的な仕事)であり、地方の要職につくことがあったものの、学校の歴史の授業で習うような「歴史」では取り扱われない一般人である。

そういう人物には、普通は記録が残っていない。だから大昔の民衆史というのは、歴史としての扱いにくさがある。本書の冒頭でギンズブルグは、この記録に残っていない歴史の問題についてアレコレ言っている。たとえば、バフチンがラブレーを扱ったときのやり方は批判的に参照される。バフチンはラブレーの作品のなかに当時の民衆文化の反映を見た、が、ラブレーは彼が描くような「民衆」ではなかった。だから、ラブレーの民衆とは、どこまでホンモノなのか? という問題が残る。

で、メノッキオの話なのだが、この人はちゃんとした記録が残っている一般人だった。彼が異端審問にかけられたときの裁判の記録が残されていたのだ。おそらく彼は「あの人、宗教がらみのことを喋らなきゃ、文句なしの良い人なのにねえ」と言われたに違いない人物で、長年にわたってカトリックの教義にあわない宗教的な議論をやたらと人にふっかけるという悪癖の持ち主だった。そこを問題視されて、2度、異端審問にかけられ、最後には彼は処刑されてしまう(2度目の裁判における死刑判決はローマ教皇直々に出された)。

メノッキオの説は、読めばヤバヤバなのがわかるものだ。たとえば「処女懐胎なんかありえねーだろ!」とか普通に言っちゃう。ただ、彼が大変に興味深いのは、そうしたちょっとした聖書の世界観の揚げ足取りに終わらず、いくぶん不明瞭な部分を残しながらも確固たるコスモロジーを形成していることだ。ざっくりと箇条書きでその世界を整理してみると

  • 世界は四元素がまじりあったカオスでできている
  • 神もカオスから生まれた
  • 牛乳からチーズが、チーズが腐ってうじ虫が湧くように、神も天使もカオスから自然発生した
  • 世界 = カオス = 神 だから、あらゆるものが神
  • 生命が死ぬと肉体もカオスに戻る、魂もカオスに戻る、精神だけが残る
……と、まあヤバい汎神論的な世界観を唱えていたわけだ。ここでギンズブルグは「当時としては珍しく読み書きができる人だったにせよ、なんでメノッキオはこんなヤバいことを思いついたんだろう?」という謎解きにかかっていく。メノッキオの裁判記録には、彼が読んだであろう11冊の書物のリストがある。それをつぶさに見て行って、メノッキオの宇宙論への影響を解明しようとする。

しかし、メノッキオの思想のパーツになりそうな断片はいくつか見つかるが、決定的な影響関係は見つからない。彼の思想には、アヴェロエス派との類似が見つかる。しかし、彼が読んだ本のなかにはアヴェロエスに関連するものはない。裁判官たちは、メノッキオの思想とオリゲネスの説の関連をこじつける。しかし、彼はオリゲネスを読んではいない。

そこでギンズブルグは「書かれたもの」以外に視点を広げていく。裁判の記録には、ギンズブルグと交流を持っていた人物の名前が挙がっている。そうした交流から、メノッキオは自らの思想を育てていったにちがいない、とギンズブルグは言う。そこから彼が浮かび上がらせるのは、口頭伝承という知のネットワークだ。

この本の魅力は、この16世紀に生きた奇妙な人物を追いながら、こうして当時あったであろう文化を想像させてくれるところにあると思う。裁判の記録のなかでメノッキオは、ラテン語を使う教会関係者を批判している。民衆はラテン語を理解しない。その時点で、民衆はラテン語という知の権力によって疎外された存在として扱われる。疎外された民衆は、テクストを資料として扱う歴史学によってもアクセスしにくい対象でもある。ギンズブルグの手法は、そのアクセスしにくさの壁を乗り越えるものと捉えられるだろう。

メノッキオが特別な例だっただけではないのか、という疑問も残るだろう。しかし、彼の他にも異端的思想を唱えて裁かれた民衆の存在は記録されている。メノッキオほど詳細な記録が残っているものではないとは言え、それは「メノッキオが特別な例だったとは言えない」という余地を残す材料だ。そうしたはっきりとは言えない余地を想像させてくれるところにも、本書のロマンティックな魅力が含まれていると思う。

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カルロス・フエンテス 『アウラ・純な魂』

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フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)
カルロス フエンテス
岩波書店
売り上げランキング: 184,749
GWということで積ん読を消化するのに時間を使っている。フエンテスの短編集を買ったのは奥付で確認する限り、2009年のことらしい。5年以上寝かしている間に、フエンテスも鬼籍に入ってしまった(それゆえ、わたしの持っている単行本には彼の没年が入っていない)。フエンテスはこれまでに『脱皮』『遠い家族』『老いぼれグリンゴ』という長編を読んできている。この人は、メキシコ国籍を持ちながら、父親が外交官だったおかげで世界各地を転々としながら育った。そういうわけで、フエンテスはメキシコ人なのに、メキシコ人じゃない、というこの引き裂かれてたアイデンティティを抱えていた。だから「メキシコ人とは!?」みたいなことにこだわって書いている作家だった(このへんは、ガルシア=マルケスとはかなり違っている。ガルシア=マルケスは代表的な長編作品を一本も故郷のコロンビアで書いてないし、コロンビアの作家という語られ方よりも、南米の作家として語られる)。

この短編集はそういうアイデンティティ云々のめんどくさい感じがなく、グイグイと引っ張る話の作りの上手さが結晶化されたような珠玉の本であるように思った。面白くて、一気に読んでしまえる。怪しくて、妖しいモダン・ホラーというか、この感じなにかに似ているな、と思ったのだが、荒木飛呂彦の描く怖さに通ずるものがある。6本の短編・中編が収録されているがそのうち、3本が密室のなかでなにかが起こっている。そういう話であり、いかにも岸辺露伴が巻き込まれそうなストーリーが展開されているように思った。あとはルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』だとか(実際、フエンテスとブニュエルのあいだには交流があったのだが)。ちゃんとオチがゾワゾワッとくる感じがあって表題作のひとつ「アウラ」なんか、スゴいね……と思う。

ちょっと異色なのが「最後の恋」という作品で、スマートな通俗小説みたいな話なのだが、屈折した感じ、ネチネチ具合が最高に良い。主人公は金持ちのジジイで、ヴァカンスをリゾート地で過ごすのに、金出して買った愛人を連れてきている。この時点でわたしは『MADURO』が言うところの「ヤンジー」を思い浮かべてしまい楽しくなってしまう。で、このジジイが若くて美しい愛人と一緒にヨット遊びに出かけると、そのヨットに若くて美しい青年が乗り合わせてくる。ジジイは、自分の愛人とイチャイチャしはじめるのを見ながら猛烈に自分の老いを実感してしまう……というそれだけの話なんだけれども、繰り返すようにフエンテスのネチネチした心理描写がとても良い。
その時になれば、暗闇の中で肉体は消え失せてしまい、若い身体と比べられることもないだろう。夜になれば、女を扱い慣れたこの手で彼女をゆっくり時間をかけてかわいがってやり、まだ経験したことのないような喜びを味わわせてやる。
こういう独白が最高だし、ヤンジーそのものって感じだ。この作品は『アルテミオ・クルスの死』(復刊しないんでしょうか……)という1962年に発表された長編からの抜粋らしいのだが50年以上早かった。

MADURO(マデュロ) 2015年 06 月号 [雑誌]

セブン&アイ出版 (2015-04-24)

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杉浦明平 『カワハギの肝』

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カワハギの肝 (光文社文庫)
杉浦 明平
光文社
売り上げランキング: 433,106
安西水丸の『東京美女散歩』のなかで名著として紹介されていた。杉浦明平(1913 - 2001)は東京帝大で国文学を専攻しながら、アララギ派の俳人としても活躍し、批評や小説も残し、戦後は共産党に入党し、郷土の愛知県渥美郡の町会議員としても活動しながら、イタリア・ルネサンスの研究もおこなっていた、というなんだか多彩な人である。

『カワハギの肝』は杉浦による食エッセイ集だが、これも一風変わったスタイルで綴られている。杉浦の持論は「本当に上手いものを食べたければ、自分で作るのが一番だ(それが本物なのだ)」という実にDIY精神あふれるものである。売っている野菜が品種改良で、自分の舌にあわなくなってきた、だったら自分で作ってやろう、というわけである。エコだとかロハスだとかの思想というかファッション的なものからでなく、極めて求道的な舌からくる欲望からきているのがグッとくる。

子供の頃に海や山を歩き回って食べたものの思い出を綴った文章が、じんわりとくる。甘いものがない時代に、花の蜜を吸った、だとか、ああ、昔自分もツツジの花の蜜を吸ったっけな……と懐かしく思いながら読んだ。

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男ふたりで京都と滋賀に足を運んで絵や写真をたくさん見たんだ日記(その3)

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こちらの記事のつづき。2日目に滋賀から京都に戻り、まずは女房殿へのお土産などを物色する(検討の結果、かづら清の美容つばき油になった)。で、店の周辺を歩いていたら何必館(かしゅうかん)の前を通ったので、ふらりと入ってみた。今は「何必館で観る 現代美術展」(5/31まで)を開催中で、ポスターには白髪一雄の赤い絵の具が荒々しく躍動する絵が印象的だったが、友人が「ここには魯山人の焼き物とか書が常設してあるのだ」というのに惹かれた。ここ最近、食文化に対して興味が高まっているので、魯山人は気になる人物なのだった。

何必館は地下一階から5階までのある小さなビルで、規模は大きくない。観客も全然おらず、この日入ったときも我々ふたり以外は身なりの良い恒例のご婦人(一生懸命作品に関するメモを取っていた)、大学生ぐらいの若い女性しかいなかった。展示作品数も少ないので、静かな空間でじっくり絵を見ることができる。

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最上階のエレベーターの扉が開くとこうした庭が目に飛び込んでくる。これには驚いた。天井がくりぬかれていて自然光が庭の木に光を注いでいる。モダンのなかに大胆に日本の伝統を移植した感じが素晴らしく思った。最上階には茶室もある(一般人は立ち入り禁止だが雰囲気はある)。この最上階で観た香月泰男の絵がとても良かった。常設の魯山人の焼き物も良かった。カゴのように穴を開けた斬新なデザインの織部の花入や、食器はどれも力強さがある。花入には花が生けてあり、その調和も良かった。

ただ、魯山人の書に「下々のものは俺のことをよく批判するが、ものがわかっていない人間は才能ある人間のことを悪く言うものだ」と大変に上から目線のことが書いてあり、なるほど、魯山人が生前いろんな人に嫌われていた、ということに大きな納得感を得もした。

この後、祇園のなかにある伝統的な町家を利用した写真の展示を観に行った(この建物は夏にパスザバトンの店舗になるらしい)。「海女の島:ルガノ文化博物館コレクション」。ここではフィスコ・マライーニというイタリアの学者/写真家が、能登半島近くの島に住んでいた素潜り漁を行う女性たちの姿を撮影したものが並んでいる。手作りの水中カメラで撮影した1954年の水中写真は、この時代にこういうものが撮影できたのか、という驚きがある。

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この人の本には翻訳が多数あり、海女写真もこの本に収録されている。被写体の海女は多くが上半身裸で、肉感的であり、1954年の日本のヴィーナスたち、という言葉がしっくりくる。顔は、ええ、昔の日本人という感じなのですが、すごくスタイルが良い。マライーニは「エロ目線で撮っているんじゃないんだ!」と著作に記しているのだが、エロくはない、けども美しい身体を見ることができた。

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その後、京都駅まで途中でビールを飲んだりしながら、長い距離を歩いて新幹線に乗って帰った。たまたま通りかかった名酒館タキモトで滋賀のガレージ日本酒メイカー的な蔵元「笑四季」の日本酒が手に入ったのが嬉しかった(京都駅の伊勢丹だとか地酒コーナーにもなかったので)。おわり。

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Marching Church / This World is not Enough

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デンマークのIceageのヴォーカルのソロ・プロジェクトとのことである。このアルバムについてはすでに盟友tdさんがあっつく語っているのだが、わたしも感動しましたですよ。音の素材そのものが斬新なわけではない、けれどもだれかの真似事ではない。ヴォーカルはよく聴いたらThe Strokesのジュリアン・カサブランカスに似ていると思うのだが、重くて暗いベースのリフレインはDAFを思い起こさせもする。けれども、すごくオリジナルに聴こえる不思議に暗いロック・ミュージックである。いや、本当に不思議なんです。重くて暗い閉塞的な雰囲気で満たされているのかと思えば猛烈にポップで広がりのあるコード展開を見せてくれたりもするし、なんなのか、と思う。

(King of Song)

問題があるかもしれないが、このアルバムのなかにある分裂性と統合性は、このアーティストのセクシャリティについて問い合わせたくなる内容であると思う。tdさんはニック・ケイヴの名前をあげていたけれど、ブライアン・フェリーだとか、そういう歌手のこともつい考えてしまいたくなる音源性ではないですか?

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