安部公房 『砂の女』

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砂の女 (新潮文庫)
砂の女 (新潮文庫)
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安部 公房
新潮社
売り上げランキング: 753
生前はノーベル文学賞候補とされ、かなり惜しいところまで行っていたという安部公房の作品を初めて読む。いや、さすがに面白いんですね、と思った。ミステリアスだし、エロいし、話の運び方や、メタファーも冴えている。すごい作家だったんだな。読んでいて、ああ、これも諸星大二郎なのかな〜、とも思った。諸星の『夢の木の下で』ってものすごく『砂の女』みたいな空気感ありませんか。

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チャーリー・パパジアン 『自分でビールを造る本: The Bible of Homebrewing』

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自分でビールを造る本―The Bible of Homebrewing
チャーリー パパジアン
浅井事務所発行(技報堂出版発売)
売り上げランキング: 69,914
はてなブログでこんな感じに今年の初夏ぐらいからビール批評(というか、飲んだビールに関する簡単なメモの集積)をはじめているんだけれど、もうちょっとビールのことが知りたいな、と思っていたところに見つけた本。1984年にアメリカで書かれたホームブルーイング(自宅でのビール醸造)に関する入門書である。さすがのDIY大国、アメリカ。自宅でのビール醸造が割と一般的なホビーになっているんだって。東急ハンズなんかにいくと、自作ビールキットが売っているのを見かけるのだが、本書ではそうしたキットを使って美味しくビールを作る方法から、モルトからウォート(麦汁のこと)を作って1からビールを作る方法まで包括的にとりあげている。

いっちょホームブルーイングやってみっか、という気持ちで読み始めたわけではないんだが、大大大名著だったのでビール好き全員にオススメしたい。ビール造りの基本の基本については先日紹介した『うまい酒の科学』にも掲載されている。そこからさらに足を踏み込むにはうってつけの一冊であろう。醸造に使う器具、ビール酵母の種類、ホップの種類、大麦以外に使う穀物の種類、そしてそれらの使い方と効果、世界のビールの種類と製法、それらが読みやすく面白い文章で説明されている。レシピですら面白いんだから、ちょっと驚異的である。とにかく、ホームブルーイングという趣味の魅力を余すとこなく伝えている。気合の入ったホームブルワーのなかには、シメイの瓶の底に残ってる酵母を自分で培養して、その酵母でシメイを再現する猛者もいるらしいが、そこまでする面白さが本書から理解できる。

歴史的なウンチクも良い。アメリカではバドワイザーみたいなライトタイプのビールが主流だが、禁酒法以前は国内で2000種類以上のビールが作られていたんだって(禁酒法によって、大手の醸造所のみが生き残った結果、ライトタイプのビールばっかりになってしまった、とか)。世界的にマイクロブルワリーのブームが来ているみたいなのだが(特に最近の東京は、クラフトビールのお店が雨後の筍のようにできている印象)、それは過去への回帰ってことなのかもしれない、と思った。

読んでるだけで、のせられてしまってホームブルーイングを試してみたくなるが、わたしは細かいことが苦手なのでやらない。そういう人が、ビールの作り方を勉強してどうするのか、と思われるかもしれない。その問いに対して明確な答えを提出するならば、それはもちろん「真面目にビールを飲むため」であろう。ビールをただ飲むんじゃなくて、その味わいや色、香りからこのビールがどんな風に作られているのかを考える。考えるためには、知識が必要だ(ただホームブルーイングとちゃんとした醸造所では設備の規模に違いがあるとはいえ基本は一緒だ)。知識をもとにビールを飲む、そして考える。言い過ぎかもしれないが、本書で得た知識は一杯のビールに物語を生むためのツールのようなものだ。

翻訳の版元が個人でやっている事務所らしいので、誤字がちょっと気になるのだが翻訳はこなれている。あと、日本で個人が許可を取らずに普通のビールのアルコール度数のビールを作ると犯罪になるので注意(日本の酒税法に関しては本書では一切触れられてません)。序文はあのマイケル・ジャクソン(King of Popと同姓同名のビール・ウィスキー研究者。故人)が書いています。

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大河原邦男 『メカニックデザイナーの仕事論: ヤッターマン、ガンダムを描いた職人』

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メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人 (光文社新書)
大河原 邦男
光文社 (2015-08-18)
売り上げランキング: 4,709
ガンダムをデザインした人として知られているであろう大河原邦男が、アニメ業界にはいるまでのアレコレや、仕事歴、そして仕事論について語った本。もともと大学ではテキスタイルの勉強をしていたとか、アニメの世界に入ったのはたまたまでその前は服飾業界にいた、など全然知らなかったことが知れたのは「へぇ〜」となったが、大した本ではないと思った。自分が関係した仕事についていろいろ書かれているのだが、単なる思い出話・ライトな裏話開陳でしかないし、仕事論にしても「仕事は選ばずにやれ(選ぶと世界が狭くなるぞ!)」とかこの人からしかでてこない、というものでもないだろう。とにかくアニメ黎明期から働いている人であるから、混沌とした状況からスッと身を立てた、というところは伝わるし、アニメ黎明期の混沌とした仕事環境にしても大変そうだな、と思う。でも、それだけの本。

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前田愛 『都市空間のなかの文学』

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都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)
前田 愛
筑摩書房
売り上げランキング: 48,440
「前田愛」というのはわたしの世代にとって懐かしい名前で「中国」と言ったら「4000年の歴史」とくるぐらい「前田愛」と「木曜の怪談」という言葉が密接に結びついている。しかし、本書はいまや歌舞伎役者の妻となった前田愛ではなく、文芸評論家のほうの前田愛の本(どうでも良すぎる前置き)。いまやレム・コールハースのエッセイが翻訳されるような世の中だが、都市論が日本で盛り上がっていた頃に刊行された、都市を媒介とした文学評論。一番最初に出てくる、数学を用いた、テクストとイメージの関係性、テクストと空間の関係性を論じた文章で「う……難しい本なのか……?」とビビってしまったが、その後に続くのは、バルトやベンヤミンといった(おそらく)当時最新の批評理論を用いた都市文学論、文学都市論だった。あと、終盤の消費社会論的な切り口は、10年ぐらい前に消費社会論が流行った(気がする)ときに読めば良かったかも、と思う。そういうわけで、頭とお尻に微妙、というのが正直な感想。東京近辺に住んでいる人にとっては、江戸の地理と江戸末期の文学から当時の風俗を浮かび上がらせていく部分は興味深く読めるだろう。結局のところ、こういうのってその都市を知らないと、群盲象をなでる状態な気もするんだが。

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松尾潔 『松尾潔のメロウな季節』

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松尾潔のメロウな季節 (Rhythm & Business)
松尾 潔
スペースシャワーネットワーク (2015-06-26)
売り上げランキング: 50,578
西寺郷太の『プリンス論』における語り口の特徴として、プリンスがアメリカの音楽シーンに対してどのようなアクションを取っていたのか、という文脈が丁寧に語られていることがあげられる。そこではプリンスと白人リスナー向けのロック、あるいはプリンスとマイケル・ジャクソンというコントラストをはっきりと感じることができて面白い。

しかしながら参ってしまうのは、90年代に入ってからの話。一般的にはプリンスの迷走期として評価される時期ではあるが、西寺はそこにもプリンスの戦略を見出し、積極的な評価をおこなっている。このときプリンスが誰と対峙していたのか。参ってしまうのは、このあたり。当時のR&Bシーンを賑わせていた売れっ子プロデューサーたちの名前があがっているのだが、当時の音楽については知識ゼロに等しいし、「ニュー・ジャック・スウィング」と言われてもわからない(80年代まではそこそこわかるのに)。LA・リード & ベイビーフェイス、ジミー・ジャム & テリー・ルイス、テディ・ライトというプロデューサーたちの名前にもピンとこない、という感じのありさまだった(西寺は丁寧に説明しているのだけれど)。

たまさか次に読んだ音楽プロデューサー、松尾潔の『松尾潔のメロウな季節』に収められた文章には、90年代にヒットしたR&Bアーティストと、こうしたプロデューサーの関係が筆者のあまやかな回想とともに語られていた。『プリンス論』でわたしがわからなかった部分にアクセスできる良い巡り合わせだ。

本書ではアーティスト自身にもフォーカスは当てられているのだが、それと同等か、それ以上にプロデューサーがなにをしていたのか、どのように音楽が作られたのか、そしてそれがマーケット的にどのような狙いがあったのかが語られる。

これは強烈に音楽シーンの変化を印象付ける文章だ。天才的なアーティストによってシーンがガラリと変わってしまうような時代ではなく、アーティストとプロデューサー、さらにはレコード会社のスタッフのチームによってヒットが作られる時代へ、という変化。筆者はそういう状況を回想し、そして90年代のリアルタイムに書かれたライナーノーツではまるでドキュメンタリーのように描いている。もちろん90年代にも天才は登場し、シーンには変化がもたらされてきた。しかし、その影にはその天才を世に送り出すバックアップの力が欠かせなかった、という印象を本書から受ける。

こうした変化は音楽産業の「産業としての成熟」とも言える。『プリンス論』の話に戻れば、そうした成熟に対してプリンスはガチで反抗していたのだろう、ということがわかる気がする。90年代に対する筆者のあまやかな回想をなにひとつ共有できない(が、文章自体は大好きだし、筆者の体験談もめちゃくちゃ面白い)読者のひとりとしては、そういう読み方をしてしまった。Apple Musicで本書にでてくるアルバムを細かくチェックできるんだけれども、これが当時のヒット曲だったのかあ、ぐらいの感想しか出てこなくて。「良い」んだけれど。

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Prince / HITnRUN Phase One

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Hitnrun Phase One
Hitnrun Phase One
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Prince
Npg (2015-09-14)
売り上げランキング: 46
『プリンス論』は、ほぼ同時のタイミングで発表されたプリンスの新譜を聴きながら読んでいた。前作は冒頭の小室サウンドみたいなシンセと、モダナイズされた音圧に驚かされたが、前作でのモダナイズを本作も踏襲しているのだが「今、このシンセはヤバいだろ……」というイタさがなく、痛快なアルバム仕上がっている。最初、ちょっと地味かと思ったが、聴きこむごとに38分弱のコンパクトさが馴染んできて「む、これはなかなか素晴らしいぞ……」と思った。『プリンス論』で語られていた「エホバの証人からの脱却」説の信憑性が高まるような一枚。

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西寺郷太 『プリンス論』

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プリンス論 (新潮新書)
プリンス論 (新潮新書)
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西寺郷太
新潮社
売り上げランキング: 141
稀代のポップ・ミュージック研究家としても知られるノーナ・リーヴスのフロントマン、西寺郷太による『プリンス論』を読了。大変面白かった。出生から現在までのプリンスの長く複雑で謎の多いヒストリーをとてもコンパクトにまとめていて、わたしのような「プリンス大好きで正規のアルバムはほとんど持っているけれど、1980年代にリアルタイムで聴いたわけじゃない」というリスナーにはとてもありがたい。「え!? プリンスも『We are the World』に参加する話があったの?」とか全然知らなかった事実には驚かされたし、そのレコーディング・セッションをドタキャンした理由や2014年の『ART OFFICIAL AGE』に込められたメッセージを著者が推測している部分には唸らされた。

もちろん、プリンス入門本、という機能も本書は果たしている。Youtubeなどのサービスにアップロードされている自身の音源を徹底して削除させているプリンスなので、本を読みながら「どれどれ……」とインターネットを介して試聴することがほぼできないんだけれども、プリンスがどれだけ優れたアーティストだったのかを、ミュージシャンでもある著者がファン代表の公式見解みたいに語っているように思える。先日お会いした某氏が「紺野さんが紹介してくれる音楽のなかで唯一わからないのがプリンスなんですよ」とおっしゃっていたが、そのような方にオススメしたい一冊。

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池澤夏樹(訳) 『古事記』

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古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01)

河出書房新社 (2014-11-14)
売り上げランキング: 28,253
池澤夏樹訳の『古事記』に挟み込まれていた月報に内田樹がこんなことを書いていた。「自国語の古典を現代語訳することの意義が若い頃にはよくわからなかった。古典は古典として、原文のまま読むべきだし、読めないなら読めるように勉強するのがことの筋目だと信じていたからである」と。わたしは内田樹シンパではまったくないけれど、以前まで同じ考えを持っていた。同じ日本語なんだから、そのまま読むべきだろう、そうじゃないと原文の音がわからなくなってしまう、それはとてももったいないんじゃないか、と思っていたのだ。

だが、こないだ『万葉集』を読んだときに「『万葉集』の読み方は平安時代にはわからなくなっていた」という記述をどこかで目にし、そのようなこだわりが消え失せてしまった。「え?! そうなの、じゃあ、原文の音とかにこだわっててもしょうがなくない? そもそも、現代に伝わる原文も校訂者の目を通ったものが一般的な読者の元に届くわけだし、古典のオリジナルに触れる、っていうの幻想じゃん?」とか思ってしまい、まあ、簡単に言えば、どうでも良くなってしまったのだ。内容がわかれば良いんじゃないの、原文が読めるのには越したことはないけど、読むための勉強するのもめんどくせーしな、と。

そういうわけで池澤夏樹訳の『古事記』は、どんなものだろうか、と期待してたのだ。現代語になって読みやすくなり、さらに訳者が作家、って一挙両得じゃん、みたいなね。でも、ややハズレだった。昔、古川日出男が村上春樹をリミックスしたときのような仕事ぶりを勝手に想像していたら、どのへんが池澤夏樹っぽいのかよくわからない異様なマジメさであり、脚注にところどころ、訳者っぽいコメントが入っているのだが、全然遊びがない。

これが2000円(税抜)って高くないか、とちょっと思う。岩波文庫に入ってる『古事記』だって、そりゃあ、現代語訳と比べたら読みにくいけれども、読めないわけじゃない。この程度のものなら、池澤訳より岩波文庫のほうをオススメしたい。国文学者の三浦佑之の解題に「古事記の神話でもっとも大きな分量を占めているのは、オオクニヌシの話だ」という指摘があり、おお、たしかにそういえば、と思ってちょっと面白かったけれども。ただそれが「滅び去った者たちへの側に寄りそっている」ように読めるかどうかはよくわからない。

そういうロマンティック(?)な解釈をしなくても、やたらと年長の神々にいじめられ、結婚するときは舅にやたらと難題をふっかけられ、殺されては蘇り、というひどい目にあいながら国を治めるのに、いきなり別な神様がやってきて「あんたの国、ウチで収めたほうが良いと思うんで」と乗っ取られてしまうオオクニヌシの物語は、むちゃくちゃで面白いじゃんね、と思う。あまりにロマンティックなされちゃうと鼻白んじゃう。

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小林剛 『アリストテレス知性論の系譜: ギリシア・ローマ、イスラーム世界から西欧へ』

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アリストテレスの『霊魂について』でおこなった知性論が、その後、アフロディシアスのアレクサンドロス、テミスティオス、アル=ファーラービー、アヴィセンナ、アヴェロエス、アルベルトゥス・マグヌスによってどのように解釈されていったのかを、彼らがおこなったアリストテレスのテクストへの注釈を辿ることによって整理した本。アリストテレスの時代から、アルベルトゥスの時代までだいたい1600年ぐらいの時間が経過しているのだが、その長いスパンでの知性論の変遷を捉えた本としては、日本語で読める(たぶん)唯一のものなので初学者には大変有意義な本であろう、と思う。

有識者によれば、本書巻末でも「多大な影響を受けた本」として挙げられている、Herbert Alan Davidson, Alfarabi, Avicenna, and Averroes, on Intellect: Their Cosmologies, Theories of the Active Intellect, and Theories of Human Intellect をアンチョコにしているのに「さも自分が考えました」という風に議論を進めているのは問題だ……ということだが、わたしは学者ではないのでひとまずそのへんは置いておく。

ここで「知性論」と言われているのは、人間はどうやってモノを認識したり、モノを考えたりしているんでしょうね、その働きはどういうものなんでしょうか、という議論である。それは西洋の哲学的伝統において、霊魂の働きのひとつであると考えられてきた(当然、現代の我々はそういう考え方をしない。知性を脳に還元している。知性の働きを語る際にいつから霊魂という枠組みが必要とされなくなったのか、という別な関心もあるんだが、それについてはTwitter上でこういう教えを授かった)。というか、アリストテレスの哲学の枠組みのなかでそう考えられてきた。

アリストテレスが完璧に「知性とはこういうモノです(試験にでるから覚えておくように!)」と説明しきっていれば、その後の議論というものはなかったに違いないんだが、残念ながらアリストテレスは、そういう仕事ができなかった。どうやら彼自身の生成・消滅の理論(自然界の物質が生まれたり、無くなったりする理屈を説明した理論)を、知性にも適用して説明しようとしているのだが、当然自然界の生成・消滅と、知性では振る舞いがことなるから無理が出てくるし、矛盾も出てくるし、そもそも何言ってるかわからない文章になってしまっている。

個人的にとても面白いと思うのは、そうした穴があるテクストを目の当たりにした後世の人が「いや、アリストテレスは間違ったことを言っていないはずだから、我々の解釈の仕方が良くないのだ。現に、こういう風に考え直せば、アリストテレスが間違っていないことがわかるじゃないか!」と言わんばかりに、議論をこねくり回している、ように見えることだ。宝物が埋まってるハズがないただの野原を、一生懸命いろんな穴の掘り方をしている……みたいな。バカにしてるように受け取られるのかもしれないが、全然そういう意図はない。ただ、なるほど、こういうのが哲学の営みなんだな、とちょっと感動してしまうのだった。

まあ、そこそこ頭を使わないと全然頭に入ってこない本ではあるんだけれど、そういう「わからない人たち」の営みを辿ってる本なのだから「ん? ん?」みたいな部分って沢山ある。そこはちゃんと著者が丁寧にまとめたりしてくれてるんで、わからなくても読み進めちゃっても良いように思った。偉い哲学者たちも、わかんないから議論を重ねていたわけだし。発展史観的感覚からすると、先行者の議論をわかった上で議論を進歩させているんだろう、と考えがちなのだが、そこが違う。

ただ、時代が進むにつれて、新しい概念とかが放り込まれてくると、だんだん「ああ、そういう感じね」とわかる部分が増えてくる感じがするんだよね。わたしはファーラービーのあたりから劇的に「あ、なんかわかる」という感じがしてきた。それは現代のわたしが考える脳に還元された知性の働きのイメージと、ファーラービーの考える知性の働きとが近づいている、ということなのかもしれない。そういうのって、なんかすごくないですか。

知性論への関心も、アヴェロエスの知性単一論への興味(知性は全人類にひとつ! とアヴェロエスは言っているんだが、誰もがそれどういうことですか、と思うでしょう)から始まってるんだけれども、本書を読んだら、知性単一論の壮大さの片鱗が味わえて良かった。人類という種のレヴェルで知性を捉えることで、消滅しうる個の問題を回避しようとした……云々とあり、ますます興味が深まるばかりである。

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岸政彦 『街の人生』

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街の人生
街の人生
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岸 政彦
勁草書房
売り上げランキング: 148,017
先日読み終えた『断片的なものの社会学』があまりに良い本だったから、気が付いたら著者のブログの過去ログを全部読み終えてしまっていて、ネット上で読めるインタヴュー記事もあらかた読んでしまった。ここ数日で「岸政彦ファン」化している。それで「この人の本がもっと読みたい!」という気持ちが抑えられなくなって『街の人生』を買って読んだ。こういう風に「読みたい!」と素直な気持ちがやってくるのも久しぶりな感じがする。

『街の人生』は、著者(とその教え子)がおこなったインタヴューの記録だ。『断片なものの社会学』でも、さまざまな語りが登場するけれど、もっと生の記録である。伝わらない喩えをもちいるならば、マイルス・デイヴィスの『The Complete On The Corner Sessions』みたいな感じ(もちろん、書籍化にあたっての編集はおこなわれているけれど)。外国人のゲイ、ニューハーフ、摂食障害、シングルマザーの風俗嬢、高齢のホームレスの人たちによる解釈も意味づけもない語りが収録されている。

このインタヴュイーのラインナップに人は「特殊な人生」を想像するだろう。もちろん(わたしも含めての)マジョリティが「自分は『普通の人間』です」という顔をして生活している人生と比べれば、そういう「波乱万丈な」という感想がでてきてもおかしくない。けれども、当事者にとっては、それが「普通の人生」でしかない。自分の人生しか生きられない以上、そういうものである。だからこそ、読み手であるわたしは、わたしには生きられない別の人生を、驚異として目の当たりにしてしまう。特殊な人生ではなく、別な人生としての驚異が本書にはある。

いや、本当に面白くて、今回も泣き笑いをしてしまった。とくにニューハーフのりかさんのパートは、ニューハーフパブで働いているという職業柄か、滑らかな語りが読んでいてすごく気持ち良い。すごく話に引き込まれて何度も「えー、そんなんあるんですか。全然わかんない!(から、もっともっと話が聞きたい)」という気持ちになってしまう。ただ単に他人の面白がっているだけ、と言えば、そうとも言える。しかし、こうしてわからない人たちと生活しているのが、社会なのだ、という感慨深い気持ちにもなるんだよ。

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岸政彦 『断片的なものの社会学』

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断片的なものの社会学
断片的なものの社会学
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岸 政彦
朝日出版社
売り上げランキング: 2,875
ずいぶん社会学の本から離れていた。若者代表みたいな顔をしたいけ好かない社会学者や、先の震災によって発狂した社会学者、セクハラで学校をやめてカルトの教祖になった社会学者などの醜態を見るにつけ「社会学」にちょっと違和感を感じていたこともある。社会学は、ちょっと恥ずかしい学問になりつつある。そんななか、友人が「読んでいて泣いてしまった」とTwitterで書いていたのを目にして興味を持ったのが『断片的なものの社会学』だった。著者は、沖縄や被差別部落、生活史を専門とする社会学者で、本書には発表や論文というアウトプットから漏れてしまった「語り」や「出来事」にまつわるエッセイが収められている。

著者のブログには、こんな記事がある。

板東英二

本書に書かれている大半の話が、これに近い「なんとも言えない話」であり「なんでもない話」だ。良い話でも、悲しい話でもない。どこかおかしい気がするし、実際に笑ってしまうものもある。そして、なぜかとても強く印象に残る。無理やり解釈しようと思えばできなくもなさそうだし、そうした話をストーリーとして提示することも可能だろう。しかし、著者はそういうことはしない。「なんとも言えない」「なんでもない」話の集積によって、実に巧みに、社会で生きること、自分のこと、差別のこと、さまざまな事象を語っている。難しい理論なんてなにもない。社会学者の名前もほとんどでてこない。

毎日生きづらさを抱えて暮らしていた学生時代に、ゼミの先生が書いた本を読んで、少し救われた気持ちになったことを思い出した。それはコミュニケーションや振る舞いに関する本で、そこで用いられている理論的な説明が、自分の生きづらさを説明してくれるような気がしたからだ。事象を理論を通して解釈することで落ち着く。そういうことをして学生時代を乗り越えてきた、ような気もする。そういうのがわたしにとっての「社会学」だった。

『断片的なものの社会学』は、その事象 - 理論 - 解釈のアプローチとは正反対で、ひょっとすると、学生時代のわたしには理解ができない本だったかもしれない。でも、今は、この本に書かれている「なんでもなさ」の集積を、我々の社会を語る社会学として受け止めることができる。それはたぶん、わたしが学校を卒業してからずいぶん「なんでもない人生」を過ごしてきたからなんじゃないか、と思った。

実際、毎日会社に通い、好きなものを飲んだり食べたりしていると、あれほど過去に感じていた生きづらさに考えがいたらなくなる。事象 - 理論 - 解釈のアプローチが不要になった、なんでもない生活。楽なわけではないし、気を抜いていると、うっかり大変なことをやらかしてしまいそうな日常。30歳のわたしが身につけたなんでもない社会経験を通して、本書の「社会とはそういうものである」という記述を受け入れた気がする。同時にそれは、何者でもない自分を受け入れることでもあるような気がした。

とにかく、すごく良い本。久しぶりに息ができないぐらい笑ってしまったし、読んでいて少し泣いた。本書でもうひとつ思い出したのは、中島らもの語り口で、こういうのは関西の人のセンスなのかな、とも思う。

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アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』

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テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)
アンソニー グラフトン
勁草書房
売り上げランキング: 122,985
翻訳作業のお手伝いをしたアンソニー・グラフトンの『テクストの擁護者たち』を読み終える。本書の内容については、すでに原書を紹介したときにもあらかた書いてしまったが、改めてどんな本なのか紹介しておこう。

本書はルネサンスから近代という長い時間軸のなかで当時の知識人たちがどんな風にテクストを読んだり、肯定したりしたのか、という知の営みの歴史を扱っている。そこで登場するのは、たとえば、デカルトだとかスピノザだとか、西洋思想史界のスーパー・スター的な人物たちではない(第7章で扱われているケプラーが例外か)。「歴史」のなかでほとんど無視されてきたような、知識人たちである。そうした忘れられた知識人たちによって、文献学やテクスト校訂の技術が培われ、現代にまで引き継がれる礎を作られたのだ……というのが、本書のおおまかなストーリーになるだろう。

特筆すべきなのは、グラフトンの歴史記述の方法だ。これは本書巻末に寄せられた監訳者による文章でも触れられているけれど、グラフトンはこの仕事を「非合理から合理性へとむかう単線的な発展」としては描いていないし、また忘れられた知識人のなかから「本当は、この人が重要なんだ!」と(無理やりたとえるならば、昭和プロ野球史から榎本喜八 = 最強バッター説を唱えるようなやり方で)新たなスーパー・スターを発掘するような仕事でもない。そういうわかりやすい記述ではないのだ。

第1章からそう。ここでは冒頭からルネサンス期のイタリアでおこった論争が紹介されている。「古代のテクストは、今を生きる人がキケロのように優れた弁論家になるための模範として読まれるべきだ!(だから、古代のテクストが書かれた歴史的状況はあんまり重要じゃない)」という学者たちのグループと「いや、そのテクストが書かれた背景を理解しないと、そのテクストを本当に読んだことにならないのでは!?」という学者たちのグループの争いだ。

単線的な発展として歴史を描こうとすると、すぐに「どちらのグループのほうが優れていて、生き残ったのか」という話になりがちだ。しかし、そうじゃない。簡単にラベリングして、勝ち負けは決められないのだ。古代のテクストから教訓を抽出する読み方をしていたグループが、テクストの歴史性を重要視するグループによって考えられたテクストの読み方の技術を使用することで、テクストをよく理解できるようになり、さらに深い教訓を引き出した、という例がわかりやすいだろう。敵対したグループのように見えるものが相互に関連しあっている。

だから、読み方には気をつけなくてはいけないのだ。各章ではそれぞれメインとなる登場人物がいる。ポリツィアーノ、スカリゲル、カゾボン、ラ・ペイレール……ついつい読者は、彼らがどれだけスゴいことをやっていたのか、というストーリーを期待してしまう。しかし、そういうストーリーを期待させておきながら、グラフトンは、メインとなる登場人物の業績を媒介として、彼らの生きた時代、もう少し言葉を補うと「彼らが生きた時代の知的な環境」を描き出そうとしているのだ。そこではむしろ、個々の人物が脇役になる。

そうした記述が、本書の歯切れの悪さのようなものを生んでいることも確かだ(だれもが、榎本喜八は王や長島、野村よりスゴかったんだ! というストーリーのほうがわかりやすくて楽しんで読めるわけで)。

また、第1章の15世紀のイタリアから最後の第9章の19世紀のドイツまでテクスト研究の技術は脈々と受け継がれていくことはわかる。しかし、各章の登場人物が持っているものを次の章の登場人物が引き継いで……という系譜が描かれているわけではない。それも「長い話をしてたけど、結局、なんだったの?」という感想を抱かせるかもしれない。「よくわからない人が、ゴチャゴチャ、いろいろとやっていました。で?」という感想で終わってしまうかもしれない。でも、時代って、そういうものじゃん、とも思う。ゴチャゴチャしている。そこが面白い。

ただ「ゴチャゴチャしているのが面白い」……とはいえ、第4章の「スカリゲルの年代学」は読んでいて気絶するほどツラい記述が続く(一番の難所かもしれない)。なのでツラくなったらケプラーがでてくる第7章や、ラ・ペイレールがでてくる第8章を読んで気分転換をすると良いと思います。とくにキャッチーなのは第7章。第1章を読んだら、第7章を読む、というのが良いのかもしれない。

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戸部良一(他) 『失敗の本質: 日本軍の組織的研究』

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失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
戸部 良一 寺本 義也 鎌田 伸一 杉之尾 孝生 村井 友秀 野中 郁次郎
中央公論社
売り上げランキング: 152
組織論の先生たちが大東亜戦争の研究だが、企業人にもよく読まれている本である。会社勤めをしていると自然とこの書名を耳にするんだが、わたしは結構ナメていて「戦争の失敗から企業マネジメントを学ぶ、ってどうせ『もしドラ』的なあれでしょう……?」とか思っていたんです。が、読んでみたら、うーむ、大名著、と唸ってしまったね。大変に面白かった。なにが面白かったか、というと、組織論の先生たちが分析をおこなっているんだから当たり前なのかもしれないが、ここで日本軍のダメなポイントとしてあげられているのが、会社員あるあるだったことだ。

たとえば、ノモンハン事件、ソ連の機械化兵団に関東軍がバカ負けするという武力衝突。ここでは現場にいる関東軍が「ソ連軍なんか気合いでなんとかできる。絶対勝つ!」と無謀に突っ込んでいて、無駄な消耗を繰り返したんだけれども、このとき遠く離れた中央部ではちゃんと「いや、あんたら負けるから、無駄な戦いは止めろって」と何度も忠告してるのだった。でも、関東軍は「いや、勝ちます。勝てますから、大丈夫です」と言って、その忠告を聞かない。

その強硬な姿勢に、中央部も「う、うん? 一応、止めたほうが良いよ、って言ったからね、俺(最後は現場で判断してね)」とぼんやりした指示を出してしまう。読んでて、あるある〜、と思ったね。わたしが中央部の担当者だったら、2度ぐらい忠告しても相手が考えを変えなかったら(めんどくせっ)と思って、同じようなぼんやりした指示を出してしまうと思う。そして関東軍が負けたら(だから、言ったじゃん)とボソボソ言う。全力で止めにかかるのが、ひいては自分のためでもあるはずなのに、目の前の(めんどくせっ)という感覚によって、間違った選択をしてしまうのって恐ろしいことだ。けれども、それを自然にやってる自分の姿にも読書のなかで気づく。

読んでてそんなのばっかりなのだが、他にもいろいろと面白くて、この本は「日本はもうダメかも、いやダメだ」みたいな局面になる度に、繰り返し読まれてきたんだろうな、と思った。とくに戦争技術開発の話だとかさ。戦争の勝ち負けを左右した技術開発を、本書では日本は一点豪華主義だ、としている。零戦はむちゃくちゃスゴい戦闘機だったが、高練度なパイロットが必要だったし、製造にも職人技が必要だった。対してアメリカは徹底した標準化と大量生産によって操縦しやすい戦闘機をバンバン数を作って、数で対抗した。フォーディズムの勝利! だったんだなぁ、とか感心するが、これ、今、日本のメーカーが陥ってる苦境と同じ話なんじゃないのか、と思った。

とは言えだ。戦争関連の本では以前に『太平洋戦争の歴史』という本を読んだときにも思ったんだけども、日本はダメダメだった、勝てるはずのない戦争に挑んでたんだから、当時の日本は狂ってたんだ、とか総括されがちじゃないですか、先の戦争は。でも、こうして戦争史を振り返ってみると、当時の日本は狂ってなんかおらず、実にシステマティックに負けたんだな、って感じる。だから「過去の日本人は狂ってた」っていうのは、当時の日本人と今の日本人は「違う人間です」という責任の放棄的なものでしかなくて、勿体無い思考停止じゃないのか、と思ってしまう。ダメな点も確かにあった、けど、そのダメな点がハマりまくってバカ勝ちしてた時期もあったんだよね。で、そのバカ勝ちは、それなりの期間あって、あ、最終的には負けたんだけど、日本って結構頑張ってたんじゃん、イメージと違ってたわ、と思ったりもするんだ。

しかしさ、国としてすげえ経験してるんだな、と魂消てしまいますよ。「あ、そうか大規模な艦隊戦を最後にやったことある国って日本とアメリカだけなんだ。なんっつー貴重な経験をもってるんだ我が国(とアメリカは)」とか、いちいちびっくりする。

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EZTV / Calling Out

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Tugboat Records Inc. (2015-07-15)
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Apple Musicへのリンクはこちら。そう、Apple Musicの導入後、新譜を聴く量は以前の3倍近くになっているのだが、あまりに聴きまくっているため、ブログに記録する気がおろそかになっていたのだった。このEZTVはいつものようにtdさんのブログで知ったニューヨークの3人組バンド。昨年聴いたReal Estateがまず思い出される、マジカルなギターが全編にわたって展開されるギター・ポップであり、最高であった。この手のバンドにありがちなヴォーカルのヘロッとした弱さがあるんだが、このギターには抗えないし、ドリーミィって言うんですかい、ハッキリとしない音像で迫ってくるんだが、ベースとドラムのリズム隊は異様にタイトに聴こえ、しまる所がしまっている感じが素晴らしい……。来日したら現代日本最強のギタポ・バンドである、Homecomingsと対バンしてくれねぇかなぁ……と思っている。


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