羽生善治(監修) 『羽生善治のみるみる強くなる将棋入門: 5か条で勝ち方がわかる』

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30歳になってもうすぐ丸1年経つのだが、ふと思い立って将棋をはじめてみた(知り合いの研究者に将棋好きがやたらと多いことにも影響された)。将棋なんか小学生以来で駒の動き方しか知らないままだったのだが、いざ、こういう将棋入門アプリで基本的な戦術とか、駒の損得とかを勉強しはじめたら、シンプルでありながら、実に奥が深い遊びだなぁ、と感心して、ここ数日間、ほとんど読書とか勉強とかそっちのけで将棋のゲームをやっている。ヤバい。30歳でこんなにハマるかよ、と思って自分でもビックリだし、布団のなかで明け方までやったりしてしまっている……。

将棋入門アプリのほうではコンピューター相手に平手で結構勝てるようになってきたので、こういうアプリでオンライン対戦もはじめてしまったのだけれど、やはり人間相手には勝てなくて。悔しいと思ったから、日本で今最強に将棋が強くなる人の本を読んでみた。これ、すっげーわかりやすかった……。入門アプリでも勉強できることがらがもうちょっと親切に書いてあって、ヴァリエーションもそこそこある。図も丁寧なので、攻めや守りの基本が直感的にわかる。

そう、この直感的な把握ができはじまったら、急に将棋が面白くなってきたんだった。将棋って、はじめる前はガチガチに論理的なゲームで、定石を覚えないと勝てない面倒なゲームだと思ってたんだが(いや、そうなんだと思うけど)、しばらくやってたら「これは良さそうだな」とか「どうやらこのへんは攻められなそうだぞ」という感じがわかってきて。説明できないけど、勝ちそうだ、とかさ。定石とか知らなくても、なんとなく打てて楽しい。で、本書はそこに至るまでの最短ルートの近道を提供してくれる本だと思った。1000円ちょっとで買えるし、大変リーズナブルである。

覚えたての振飛車 & 美濃囲いでオンライン対戦したら、いきなり勝ってしまったので本当にみるみる強くなったよ! やってて良かった公文式!!

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井筒俊彦全集(第3巻)『ロシア的人間 1952年-1953年』

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ロシア的人間 一九五一年 ― 一九五三年 (井筒俊彦全集 第三巻)
井筒 俊彦 木下 雄介
慶應義塾大学出版会
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積ん読にしてあった井筒俊彦全集の第3巻に手をつけた。気が付いたら全12巻のこのプロジェクトも11巻まで出てしまった。全然追いつけていないわけだが、このあたりからいよいよ井筒の思想四次元殺法が炸裂していると言ってよく、この巻もロシア文学に関するテクストと、ムハンマドに関するテクスト、それにクローデル論が同居する、という謎の構成となっている。はっきり言ってめちゃくちゃな食い合わせとしか言いようがなく、年代ごとに編纂することでこんなにも「どういう人なんだ、この人は」と思わせる書き手もいないだろう。「解題」によれば「この時期の井筒は、慶應義塾大学文学部助教授として、言語学概論、比較言語学、ロシア文学、ギリシア語などの科目を担当するかたわら、旺盛な研究・執筆活動を行って」いたらしい。

付録の月報に文章を寄せているのは、山城むつみ、沼野充義、谷寿美。このうち、沼野の文章は、この時期のロシア文学プロパーのロシア文学の読みと井筒俊彦の読みを比べて、井筒は世界文学としてロシア文学を読んでいる、という指摘をしている。とはいえだ、そう言うと、こういう読み方がありがたいもののように思われてくるけれども、あれとこれとは同じことを言っている!! という指摘に過ぎず、たくさん読んでると飽きてくる。プーシキンを読んだらロシア文学が丸わかりになるんや!! というブラフめいた文章は面白いし、この巻は、井筒マジック的な横の関係性での読みよりも、縦に深く読んでいくところに面白さがあるきがする。

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Herbert Alan Davidson 『Alfarabi, Avicenna, and Averroes, on Intellect: Their Cosmologies, Theories of the Active Intellect, and Theories of Human Intellect』

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著者のハーバート・アラン・ダヴィッドソンはUCLAの研究者でアラビア哲学・ヘブライ哲学・中世哲学の研究者。本書『Alfarabi, Avicenna, and Averroes, on Intellect: Their Cosmologies, Theories of the Active Intellect, and Theories of Human Intellect(ファーラービー、アヴィセンナ、アヴェロエスにおける知性)』は先日紹介した小林剛の『アリストテレス知性論の系譜』のネタ元になっている本。360ページぐらい、大ヴォリュームというわけではないのだが、アリストテレスに始まり、アヴェロエス、そしてアヴェロエスの著作に影響を受けたり、盛大に批判したパリやユダヤ系の思想家・神学者たちに至るまでおよそ1700年ぐらいの時間を「知性論」という主題で追っていく。ものすごく濃ゆい内容で大変勉強になった。坂本邦暢さんのブログでも紹介されている。

小林の著作をアリストテレスの生成消滅論をフレームワークとして知性論の変遷を追う本だとするならば、ダヴィッドソンはコスモロジーをフレームワークとしている。人間の知性に関する議論になぜ、宇宙が関係するのか、と不思議に思う人の方が多いと思うけれど、アリストテレス主義の人たちは、宇宙を動かしている超越的な存在(ざっくりと神様的なものを想像されたし)から知的なサムシングがでていて、それを人間が受け取ることで知性を働かせることができるのだ、と考えていた。これがいわゆる「流出論」である。なお、アリストテレス自身はそういうことは言っておらず(超越的な存在の影響力は天体を動かすところで止まっている)、後の人がアリストテレスの議論の適用範囲を拡張して結果、こういう議論がでてきた。

アリストテレス主義的な知性論についてもう少し書いておこう。知性は人間の霊魂の働きの一部であり、また、知性は「能動知性」と「質料知性」とふたつのものにわけられる。霊魂はそのうち質料知性だけをもっていて、これは要するにものを考えるときの材料的なものとでも考えておけば良い。材料だけではなんともならないので、そこに超越的なところから能動知性がなんらかの働きかけをおこなう。その影響によって質料知性は、実際の「考え」(獲得知性)になる。

ファーラービーもアヴィセンナも基本的には同じように知性について考えているのだが両者の違いは、能動知性と質料知性の関係の仕方にあらわれている。ファーラービーは能動知性と質料知性が一体化することで獲得知性となる、そして能動知性との一体化が人間の最終的な段階であり、最高にハッピーな状態だ、と神秘主義的に説く。それに対して、アヴィセンナは質料知性が直接能動知性と一体化するわけじゃないのだ、むしろ、個々の人間が超越的な能動知性にアクセスすることなんかできなくて、能動知性から知性認識に必要なサムシングだけがやってきて、それで知性を獲得できるんだ、と言っている。

ファーラービーからアヴィセンナへの議論の変化は、超越的な存在と人間との関係が遠くなっていることのように捉えられると思うんだけれども、アヴェロエスに至っては、よりその傾向が明らかだ。前述の坂本さんのブログでも紹介されているように、アヴェロエスが当初ファーラービーとアヴィセンナの流出論を採用していたが、それを改めていったことを本書はとりあげている。かつては人間の霊魂の成り立ちには、能動知性の流出が必要不可欠だったのが、後期のアヴェロエスはそう考えない。超越的なパワーは不要で、自然学的な説明だけで霊魂の成り立ちを説明できるようになってしまう。

ここまで読んで、ふと思い当たったのが「本書もまた、神意から自然への変化をとらえた歴史書なんじゃないか」ということだった。時代が進むにつれて超越的な存在の役割がどんどん少なくなっていき、自然のなかで説明できるようになっていく(とくにこの変化はそれぞれの思想家の預言論を比較したときにより一層際立って見える)。扱っているものはまったく違うけれどこの変化は『驚異と自然の秩序』で描かれているものと同じ種類のもののように思うのだ。

長い議論をおこなったあとにかならずまとめや要約をおこなってくれている書きぶりの丁寧さもありがたい。なかなかこの本も必要としている人が限られてくると思うんだけれど、翻訳があると良いなぁ。

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バルトロメ・デ・ラス・カサス 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

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インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
ラス・カサス
岩波書店
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新大陸の征服戦争に従事するために海を渡ったラス・カサスだったが、スペイン人征服者たちのあまりの残虐非道っぷりに回心し、ドメニコ会の修道士になって書き上げたという報告書である。なかなかこれが凄まじく残虐行為のカタログ・ブックみたいな様相になっている。奴隷にしたインディオに首輪をつけて数珠繋ぎにして行進させ、歩けないものがいると首輪を外すのが面倒なのでそのまま首を切り落とした……だとか、奴隷にしたインディオにマトモな食事を与えず、食べるのを許したのは仲間のインディオの人肉のみ、インディオの人肉解体工場が用意された……だとか、すごいことが書いてある。まさに地獄を描写している本であるのだが、こういう地獄描写の文体に、ダンテの『神曲』の影響があったりするんだろうか、と夢想した。あとちょっと旧約聖書っぽさがあるように思った。

16世紀のスペイン人が現代の人間よりも暴力的で、野蛮で、不道徳で、人権意識が備わっていなかったから、こういう凄まじいことができた……と切り離して考えて良いもんなんだろうか、とも思う。遠い時代の話だから、切り離して考えるのは容易だ。けれども、ラス・カサスが記録しているスペイン人は「インディオには、なにをしてもオッケー」と考えているに違いないけれども、こうした思考は、今なお生き残っているし、一部では活発になりつつあるように思われる。「Xには、なにをしてもオッケー」のXには、反日韓国人とか、反日中国人とか、生活保護もらっている人とか、バカッターとか様々に入り得るし、こういう思考が残虐リミッターを解除する装置になっている気もして、地続きじゃん、と言えなくもない。

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伊丹十三 『フランス料理を私と』

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フランス料理を私と
フランス料理を私と
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伊丹 十三
文藝春秋
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伊丹十三が辻調の先生に教わりながら本格フランス料理を作って、日本の著名な知識人に振る舞い、対談する……という伝説的な本。Amazonのレビューにも「絶版はもったいない」とあるが、本当にそう。料理写真は全編カラーという豪華さがネックになっているのだろうか、1987年の本なのだが、20年以上経過しても「伊丹十三、早すぎるだろ!」と永遠の時代先走り感を醸し出している。盛り付けの写真などは昔っぽくてあんまり美味しそうに見えないのだけれども、作っているものの「本格具合」が今の『dancyu』以上のスゴさだ。食材もフランスから取り寄せたものを使っているし、その点まったく「使えない料理本」ではあるのだが、耳学問としては大変タメになる。ドレッシングにしてもフランボワーズ酢に、コーン・オイルにくるみオイルを使って作ったりして。2015年現在でも、フランボワーズ酢やくるみオイルなんか売っているのをみたことがないわたしとしては、伊丹十三がどんな世界を見ていたのかが恐ろしくなる。

登場する対談相手は、今となっては「誰これ……」という人が多く、今もよく聞くような名前というと蓮實重彦、槇文彦ぐらいしか生き残ってない感じがある。精神分析や文化人類学の用語や、ロラン・バルトやミシェル・フーコー、イワン・イリイチといった固有名詞が飛び交っているのにも、まあ、時代を感じる、というか、ニュー・アカデミズムの空気感を感じるんだけれども、それ以上に興味深いのは、伊丹十三が対談相手と写っている写真だった。これ、毎回対談相手の自宅に行っているようなのだが、キッチンにしてもダイニングにしてもリヴィングにしても、そこに写っている家具が、もうめちゃくちゃ時代がかっていて、言ってしまえば、思想や料理なんかよりもずっと古臭いのね。当時、最先端の知識人たちでしょう。ひとりぐらい古臭くないセンスの家ががあっても良いと思うんだけど、エヴァーグリーンなのは伊丹十三だけ。そこもまた恐ろしいんだ。

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マイケル・オンダーチェ 『イギリス人の患者』

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イギリス人の患者 (新潮文庫)
マイケル オンダーチェ
新潮社
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イタリア、ドイツ敗戦後の、フィレンツェの廃屋(ぼんやり読んでいたら、元々はアンジェロ・ポリツィアーノの屋敷、という記述がでてきてものすごく驚いた)で繰り広げられる美しい記憶の物語。すごく良かった。

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福田育弘 『ワインと書物でフランスめぐり』

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ワインと書物でフランスめぐり
福田 育弘
国書刊行会
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ワイン・フリークの仏文学者が書いたワインとフランス文学(そして歴史学)をめぐる著作。刊行されたのは97年、これは95年に田崎真也が世界的なソムリエコンクールで優勝して間もない頃である。それから20年近く経過しているわけだから、本書で散々disられている日本におけるワイン文化もだいぶ様変わりしていて「ワインというととかく高級なイメージがあるが……」ということもなくなっている(なお、メルシャンが公開している資料によれば、97年から近年までに日本人のワイン消費量はおよそ1.5倍に増えている)。

そういう意味では、やや古くなっている印象は否めないし(とくに当時のワインの輸送技術に著者はかなり批判的で、白ワインの酸味が輸送中に台無しになってしまう、などと書いているのだが、このへんは今改善されているハズだ)、文体はかなり高踏的、かつペダンティック(そして、今のご時世、大学の先生がワイン道楽三昧などと口にするのも憚られるような空気感さえある)なのだが、レベルは違えど、同じワイン好きとして共感できる部分があり、大変面白く読んだ。

ぼく自身のワイン遍歴もブルゴーニュから始まった。/当時はボルドーのシャトー数があまりに多いと思っていたので、ボルドーよりもとりあえずブルゴーニュをアペラシオン(つまり村単位)で飲みだしたのだった。これなら二十ぐらいだから何とかなると思ったわけだ。

筆者はすぐに「ブルゴーニュはクリマ(区画化された畑)の単位で飲まないと味の違いはわからない」と気づかされるのだが「これなら二十ぐらいだから何となかる」という発想に「わかるッ」とうなづいた。「何とかなる」ってなんだよ、なにを「何とか」するんだよ、という話なのだが、シンプルな知的欲求がそこにはあるのだ。

取り上げられているワインと生産地は、ほぼフランス全域に及ぶ。ブルゴーニュやボルドー、シャンパーニュといった有名な場所だけでなく、南仏やアルザス、もちろん、各地の赤も白も網羅的だ。著者は本書刊行後、フランスのワイン史に関する本をいくつか翻訳している。こちらもチェックしたい。

フランスワイン文化史全書 ― ぶどう畑とワインの歴史
ロジェ・ディオン
国書刊行会
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ワインと風土―歴史地理学的考察
ロジェ ディオン
人文書院
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フランセス・イェイツ 『魔術的ルネサンス: エリザベス朝のオカルト哲学』

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魔術的ルネサンス―エリザベス朝のオカルト哲学
フランセス・イエイツ
晶文社
売り上げランキング: 535,925
久しぶりにフランセス・イェイツの著作を。この邦訳は1984年にでているが『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』の邦訳がでた今となっては、読む価値はそんなにないかもしれない。パノフスキーらによる『土星とメランコリー』の新版に収められるハズが長すぎて本におさまらなくなった論文が本書の一部になっているというこぼれ話は「へぇ」って感じだったし、デューラーとエラスムス、ルター、そしてアグリッパの同時代性から《メランコリア I》を読み解こうとするアイデアはとても面白く読んだ。

ここで、イェイツがやっているのは、ヨーロッパの思想界にはカバラだとか魔術だとか、今では怪しげなものとされているものが脈々と受け継がれていたんだよ、その水脈は実はシェイクスピアの創作にも流れ込んでいて、影響を与えているんだよ、と言った話だ。しかしながら、登場する人物は、おなじみのラインナップ、不動のクリーンナップ感が満載で。この人の本は3冊ぐらい読むと、毎回同じ登場人物によって角度の違う文化的背景を描き出す作業をしてるんではないか、と思えてきて、非常に不遜な物言いだけれども、飽きてくる……。手を変え品を変えはするが、基本的には同じことをやっている人、って個人的には好きな部類なんだけれども。

まだまだこういう裏・ヨーロッパ的な文化史(もっとはっきり言うと高山宏や澁澤とか好きな人たち)には需要があるとは思うんだけれど、なんだろう、わたしもオトナになってしまったのか、前より面白く読めない。古書でまぁまぁ手頃な値段で売ってますので、イェイツ入門には良い本なのかな。


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辻調理専門学校(編) 『辻調が教えるおいしさの公式 西洋料理』

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辻調が教えるおいしさの公式 西洋料理 (ちくま文庫)

筑摩書房
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日本料理編も名著だったが、さすが日本に初めてホンモノのフランス料理を持ち込んだ男、辻静雄の学校の西洋料理本だから、イチイチ面白い。日本料理編と同様、素材の選び方から基本的な調理方法や、プロはなにを見ながら温度を計っているのかなどの奥義的な部分に触れられていて自分で料理をしなくとも楽しい本である。本書がでたのは2009年。このとき「ドライエイジング(熟成肉の作り方のことですね)」に触れているのは、おお……と感心する。「熟成肉」が日本でメジャーになったのも、ここ数年のことだと記憶しているので、すごく先取り感があるように感じられるのだった。

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原武史 『大正天皇』

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大正天皇 (朝日文庫)
大正天皇 (朝日文庫)
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原 武史
朝日新聞出版 (2015-04-07)
売り上げランキング: 310,734
「そういえば、大正天皇ってどんな人だったか知らないなぁ……顔もよくわからないし……」と思って読み始めたのだが、大変面白い本であった。明治と昭和のあいだに挟まれて「大正ロマン」だとかよく分からない言葉でしか一般的にイメージのない大正時代の天皇がどんな人だったのか、また、大正天皇がその後の天皇制に与えた影響を記録から辿っていく本。幼少期は病弱で、晩年知的な障害があったのではという風説が流れるなど、あまりイメージがよろしくなかったようなのであるが、著者が描く大正天皇の人となりがかなり魅力的である。

病気がちで中断されがちであり、うまく進まなかった勉強の代わりのように、日本各地を巡って現地で社会科見学みたいなことを繰り返してたら、格段に学習成果がでた上に健康問題も劇的に改善されていった、とある。感情を抑制し、臣民の前に生身の姿を見せなかった明治天皇とは真逆で、大正天皇は思ったことをすぐに口に出し、メディアや視察を通じて自分の姿を披露した。次の天皇である昭和天皇は、明治天皇を理想の君主のように教え込まれたようであるが、大正天皇は、明治天皇のような君主のイメージから離れることで健康を取り戻していく。しかし、それは皇太子時代の話であり、明治天皇の死去とともに「天皇」の役割にはめ込まれるのを余儀なくされると、急速に体調を悪化させてしまう。このあたりに大正天皇の悲劇性があると思った。

前述のように、昭和天皇が理想の君主と教え込まれたのは明治天皇だった。では、大正天皇は無視された天皇だったのか。なにも影響を及ぼさなかったのか。大正天皇を無能な君主として評価する研究もあるというが、著者はこうした評価を否定している。メディアを通して、臣民の前に姿を見せ、アピールをしはじめた天皇は、大正天皇が初めてだったし、そうした戦略は昭和天皇の時代にも引き継がれていた。その家庭的な生活ぶりは、大正・昭和の人々の家庭観にも影響を与え、また各地を視察した際には、訪問先で公共事業が活発になり、経済効果も生まれている。実は大正天皇が病弱でなかったら、昭和という時代もだいぶ違ってたんじゃないのか、とか思わさせる。

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細野晴臣 『細野晴臣 分福茶釜』

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細野晴臣 分福茶釜 (平凡社ライブラリー)
細野 晴臣
平凡社
売り上げランキング: 305,813
細野晴臣のたたずまいが好きだ、なんかああいう感じで歳を取りたい、と思う人は多かろうけれど、鈴木惣一郎によるこのインタヴュー本は、おそらくそういう人のための本であり、毒にも薬にもならない話がたくさん載っている。はっぴいえんど、YMO、そしてヒットソングの書き手、ベーシスト、そしてソロ活動も、細野晴臣の足跡はどれも大きな評価を得ているけれども、本人としてはずっとニッチというか、疎外された感じで活動してきた、っていう自意識は興味深く思う。

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ノルベルト・エリアス 『宮廷社会』

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宮廷社会 (叢書・ウニベルシタス)
ノルベルト・エリアス 波田 節夫
法政大学出版局
売り上げランキング: 625,836
エリアスの著作を読んだのは実は初めてなのだった。原著は1933年に書かれた教授資格論文をもとにして1969年に出版されたものなのだが、エリアスの代表作である『文明化の過程』の出版が1939年だから、実際には『宮廷社会』のほうが早く書かれているのに、世に出たのは『文明化の過程』のほうが先、という感じか。もっとも『文明化の過程』も1969年に再版されるまでほとんど忘れ去られた仕事みたいだったから、なんとも遅咲きの人だったのだな、と思う。エリアスが生まれたのは1897年、ホルクハイマーなんかと同世代。死んだのは1990年だから遅咲きだった分、長生きしたみたいである。

1969年の出版時に加筆された序論「社会学と歴史学」では、歴史学と(歴史)社会学を比較していかに歴史学がダメなのか、みたいなことを延々と書き連ねている。歴史学は歴史を記述することで終わっていて残念、歴史を分析してモデルを抽出し、もっと科学っぽいアプローチをしないとダメだ! というのが言い分で、この後も序論のあともこうした歴史学批判がちょいちょいでてくる。この歴史学批判が本書の見通しを悪くしているような気がするんだが……。

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