田島貴男 『ポップスの作り方』

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オリジナル・ラブ、田島貴男による初の著作。音楽、ギターとの出会いから中学・高校時代、そして上京以降現在に至るまで、自らがどんな音楽遍歴をたどり、どんなことを考えながら音楽を作ってきたのかを語り尽くした一冊。表紙の写真は、すっかりライク藤岡弘、になっている濃ゆい著者自身のイメージにぴったりだが、中身も濃かった。とにかく探究心があって、努力をして、どんどん先に進んでいくミュージシャンなんだな、という思いを新たにする。「天才」と呼ばれることが嫌いだ、と著者は語っている。天才、と呼ばれてしまうと、自分がしてきた努力をなんだか無視されてしまうようだから。でも、著者の、努力を続けられる点、これはやっぱり才能としか言いようがない。努力の天才、探求の天才。好きこそ物の上手なれ、という言葉があるけれど、ここまで普通の人はこだわれない、と思う。語り口の軽妙さも素晴らしくて。著者が相当な読書家であることはよく知られているが、本書にもあまり説明もなく、スティーヴ・エリクソンの『Xのアーチ』の話が出てくる。くどくど説明せずに、エリクソンがでてくるから余計に言葉が真に迫ってくる、気がする。90年代のタイアップ文化での苦労、そして、音楽不況下での苦労など、業界話も面白く読んだ。「“ふつう”が一番凄いんだぞっていうことは、10代の頃から思っていた」。こういう点はこないだ読んだ土井先生の本にも通ずるかな。

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土井善晴 『一汁一菜でよいという提案』

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料理研究家、土井善晴による今年2冊目の本。1冊目の『おいしいもののまわり』も名著だったが、これまた名著。全書が料理道具から日本人の食を再考するようなエッセイだったのに対して、本書は「具沢山の味噌汁、漬物、そして白いご飯」というメニューがあれば、日本人の食生活は健康的に成立する、という、ある種のミニマリズムの提案であり、繁忙な現代社会において持続可能な日本食の提案をおこなった本。グルメ本でもなければ、料理本でもない。食に関する哲学の本だ。

日本食文化に関する基本理念は、かの高級料亭「吉兆」の「開祖」、湯木貞一の著作に通ずるものがある。とくに家庭料理・日常の料理と、プロが作る料理の明確な切り分け。湯木貞一の著作から引こう。「家庭料理はプロの料理とは違うものであり、家庭料理が料理屋の真似事をする必要はない」。しかし、いつのまにかプロのような、手の混んだ料理をすることが、イケてるものとされて、あたかも手がかかればかかるほど「妻 / 母親の愛情がこもった料理」として解釈される、ような風潮ができあがっている。

いや、そうじゃないだろう、日常の料理は、あくまで日常の延長であり、普通のものであるはずだ。一汁一菜で良いじゃない、味噌汁なんて何を入れたって大抵美味しいし良いじゃない(それは手抜きなんかじゃない)、毎日特別なものを食べる必要なんかないじゃない。ハレとケ、という民俗学的な概念を持ち出しつつ、著者は日本人の食生活をもっと「普通なもの」に還元しようとする。「普通においしい」という若者的な表現。これだ、これで良いんだ、と。

「もし、切り干しやひじきを食べて「おいしいっ!」と驚いていたら、わざとらしいと疑います。そんなびっくりするような切り干しはないからです」。本書のエッセンスは、この言葉に集約されているように思う。

調理をシンプルにする、その代わりに味噌汁の具を四季で変化する旬のものに変えていく、そして、四季で変化する食材の風味をもっとじっくり感じてみる。そうすることで、手の込んだ料理から引き算したことによって生まれた余白を埋めることが十分に可能だ。そうした微細な変化を感じることが、日本人的な感覚であったはずではないか。料理を飛び出して、日本文化、日本人の感覚論にまで話は及ぶ。

「です、ます」体で書かれ、テレビで著者が話す、あの穏やかな口調が再現されるようなリズムが本を支配している。だから、読み心地がとても柔らかい。けれども、話のスケールはとても大きい。

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デイヴィッド・ミーアマン ブライアン・ハリガン 『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』

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60年代より活動を続け、1995年にギタリストのジェリー・ガルシア死去後も残されたメンバーが活動を続けているアメリカのバンド、Grateful Deadの活動の活動と、21世紀のWebサービスのビジネス・モデルをリンクさせてマーケティング手法を語る本。タイトルのインパクトがすごくてずっと気になっていた本だったが、中身は「フリーでサービスを使用させて口コミで評判を広め、コミュニティを大事にし、プレミアムなコンテンツで課金してマネタイズする」的なことが書いてあるだけ。いかにGrateful Deadがバンドとして偉大だったか、というか、コアなファンを大事に、そしてファンから大事にされてきたのか、が伝わる部分は面白いのだが、ここに書かれているマーケティング手法自体は、流行りのWebサービスを観察していればわかるというもの。目新しいものはいまやなにもない。悪い本じゃないけど、特別な感動はなかったかな……。

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アレホ・カルペンティエール 『春の祭典』

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「マジック・リアリズム」の開祖、キューバ生まれの小説家、アレホ・カルペンティエールが晩年に発表した大作。タイトルはもちろん、初演時に大スキャンダルを巻き起こしたことで知られるストラヴィンスキーのバレエ音楽から取られている。ロシア革命で国を追われたバレリーナ(彼女はかつてディアギレフのバレエ団にも所属していた)と、共産主義に共感し、人民戦線に参加したブルジョワの青年(建築を学び、音楽への造詣も深い設定には、作者のプロフィールが反映されている)が、内戦下のスペインで出会う。

革命から逃げた女と、革命を夢みる男の「革命メロドラマ」と言ってしまうと、あまりに陳腐な物言いになってしまうだろうか。どちらも出自はブルジョワ家庭だが、革命に対する態度はまったく正反対だ。女主人公が基本的にはメインなのだが、フーガ形式で小説は展開する。女は男の故郷であるキューバで、差別される黒人たちの儀式的なダンスを目撃し、これをもとに「ホンモノの《春の祭典》」を上演することを夢見ている。男は革命への夢を心の底でくすぶらせつつ、キューバで建築家として成功する。キューバに帰還してからの二人の人生は、いくつかの障害に悩まされつつも前進していく。

が、キューバ革命によって、どちらの人生も大きく狂わされてしまう。女は夢の実現の直前に、バティスタ政権と反政府勢力との抗争によって、主宰するバレエ教室を破壊される。男はバティスタ政権打倒後にそれまでの仕事のすべてを失い、ブルジョワ階級の友人たちもアメリカに亡命したり、人間が変わってしまったりしている。人生のやり直しを迫られる男は、昔とった杵柄で民兵へと身を投じる。そして、革命後のキューバでピッグス湾事件が起こる。

文章がほとんど切れ目なく、2段組で、500ページ以上続く非常に重厚な小説は、ここからなんだかオペラめいた大団円に向かっていく。あっさりしすぎ、といえば、その通りの展開、しかし、やり方が見事すぎて痺れてしまった。

革命を通してキューバを、そして南米の社会を描いた小説でありながら、ロシア出身の女主人公と、キューバ出身の男主人公、ふたりの故郷のあいだに挟まれるヨーロッパ、そしてアメリカが描かれているのも良かった。カルペンティエールがフランス亡命中に知り合ったシュールレアリストたちも実名で登場し、小説に色を添える。音楽家、小説家、画家、映画作家の固有名詞がかなりたくさんでてくるので、それらを押さえておくとより楽しんで読めるだろう。大家が晩年に残した傑作に相応しい出来栄え。

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中島らも 『こらっ』

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ひさしぶりに中島らものエッセイを。中島らもがあのぼやっとした文体で、しかし、鋭く世の中のアレコレに対して「叱る」というシリーズ。25年ぐらい前の本だが、この本で書かれている批判って、いまの時代にも全然通用して、まぁ、世の中あんまり変わってないのだな、と思う。強制坊主の男子中学生だとか、2時間ドラマの濡れ場だとか、もう今の日本からは消え去ったものもあるんだけども。アレなものに対して「自分もダメなタイプの人間なので、偉そうには言えないんだけど」という立ち位置から、ものすごく真っ当なことを書いている。インターネットにおける「絶対俺が正しいのであーる」的な物言いにうんざりしている方々には、こういう物の言い方は新鮮かもしれない。亡くなってから12年ですか、年々「早すぎる死だったなぁ」という気持ちが募る。

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辻静雄 『エスコフィエ: 偉大なる料理人の生涯』

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辻静雄ライブラリーの本を読むのもこれが3冊目。こちらは19世紀後半から、20世紀前半にヨーロッパで活動した伝説的料理人、ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエの伝記。フランス料理史的には、この人が近代的な厨房のシステムを考え、合理的な調理法を考案し、それを広めたパイオニア、ということになろう。筆致は、ほかの辻静雄の著作と比べると、かなりスタティック、というか淡々としている。正直に言えば、大きなドラマを感じることはできない。エスコフィエが(当時としては)斬新な料理をいくつも考案した、と記述されているが、それがどんなものなのか、どんな味がするものなのか、についてそこまで詳しく書き込まれていない。グルメ本のようなものではないのだ。

が、エスコフィエの才能が、かのリッツ・ホテル(この名前は、すぐさまヴァンドーム広場の風景を思い出させる)のセザール・リッツの才能とがっぷり四つに組み合ったことによって、ヨーロッパの各地に素晴らしいフランス料理を出すレストランを併設したホテルが作られ、当地の文化人や金持ちのあいだで評判を呼んだこと、その「現場」が、各地に優秀な料理人を排出するスクールとなったことに注目すべきだろう。今日のフランス料理の種が各地に広がるシステムが、こうして出来上がっていったところにドラマを感じると面白く読めるハズ。

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走るときに使う用のBluetoothイヤホンを買ったんだ日記(QCY QY8)

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ちょっと前に低糖質ダイエットに取り組んでいて、一時期は4kgぐらい痩せたんだけども、仕事で出張が続いて外食が増えて気がぬけてしまったせいか、リバウンドしはじめた(30歳すぎると本当にすぐ太るし、痩せにくくなるので、このブログを読んでいる20代の方……あんまりいないと思いますが……は注意されたし)。あと、運動習慣をやめてたら「満員電車で立っているだけでふくらはぎがつる」、「ゴルフのスイングで体重がかかる左足の足首に、軽い痛みがある」などの不調が続いたため、最近また走りはじめた次第。

ただ、普通に走るだけではモチベーションが保てねぇべ、ということで、新ギアを導入してみた。Bluetoothイヤホンである。これまで普段使っているイヤホン(価格帯は4000円〜5000円)をランニング中も使ってたんだけども、実はこれが1年半で断線させてしまう理由なんじゃないか、と思い当たって。運動のときは無線にしてみよう、と。今回はAmazonで、メーカーの詳細不明だがとにかく安い「QCY QY8」を購入した。

で、これを使って音楽を聴きながら走ってるんだけど、まぁ、快適ですね、コードがないっていうのは。これまでは腕にバンド型のiPhoneケースをくっつけて、そこから伸びるイヤホンのコードがまとわりついてきて、邪魔くさかったんだけども、コードがないだけで、こんなに快適か、とちょっとビックリしてしまった。音質に関しては、普段使いのイヤホンに比べると格段に「聴き劣り」してしまう(かなり軽めの音で、中音域から低音域に迫力が全然ない)けれども、エクササイズ時用、と割り切れば、全然問題ない。

ちょっと気になるのはシリコンのイヤーピースのサイズが、いまいち自分の耳に合わないこと。MとLとで試しているのだが、どっちもしっくりこない感じがする。とはいえ、それは個人の問題である。3000円以下で、この快適度を手に入れられるなんて、という感じなので、買ってよかった。

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升田幸三 『名人に香車を引いた男: 升田幸三 自伝』

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名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫)
升田 幸三
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もはや旧聞に属する話であるが、世は将棋ブームみたいになっている、らしい。今年も将棋関連の映画が複数公開され、将棋漫画も人気だ。わたしも例に漏れず、去年の暮れぐらいからオンライン将棋をやっていて(途中、忙しくてまったくできない期間を挟み)今も1日3局以上は指している(やりはじめの頃は、こんな本や、こんな本を読んだ)。すっかり休日の朝なんか、NHKの将棋番組をつい見ちゃいます、ぐらいのライトな将棋ファンのわたしだが、まぁ、自分で(勝つ将棋)将棋を指すのが一番楽しい、として、将棋の勉強をちゃんとするほど情熱や時間があるわけでもない、となると、棋士のキャラクターだとか人生だとかに含まれた物語を楽しむ、というのが2番目ぐらいの楽しみになってくる。

日本の将棋会において、もっとも破天荒なキャラクターを持っているのが、この升田幸三であろう。広島のど田舎で生まれて「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」と書き残して、家を飛び出し、その後、実際に香車を引いて名人に勝ってしまう、大酒を飲み、他の棋士に対して言いたい放題良い、問題児扱いされながらも、新たな将棋を創造していった……升田が引退を決めたあとに振り返った自分の人生は、非常にコクがあって読み応えがある。カラヴァッジオ的な人物、とでも言えるだろうか。こういう人物が世に出られた時代は、おおらかな時代だと思う。

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ウラジーミル・ナボコフ 『ロリータ』

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ロリータ (新潮文庫)
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ナボコフの「代表作」、『ロリータ』は学生時代に旧訳で読んでいたし、映画も観ていたのだが、新訳読んだら「こんな面白かったけ……」と思った。嵐のように濃ゆい比喩の連続にクラクラしてしまいながら、いろんな読み方ができる小説だよな、と阿呆のように考える。真正面から受け取ったら「少年時代に成し遂げられなかった少女とのエクスタシーを、生涯にわたって引きずり続けて、若い子でしか燃えられない(が、それを燃やし尽くすことができない)悶々変態男の変態独白小説」ということになるだろうし(その主題は、プルーストの主題とも重なっている)、クドクドした変態ポルノとして読むこともできる。

その一方で、とても悲しい「恋愛小説」としても読めてしまう。主人公、ハンバート
・ハンバートの一度目の結婚のダメダメな感じ(あきらかに下に見ている女性と結婚するのだが、その女性にまんまと裏切られている)や、ドロレスとポンコツの車でアメリカのあちこちを移動し、どんどん関係が悪くなっていく感じ。共感、と言ってしまうとおかしいけれど、とくに後者の「こっちは頑張ってるのに全然うまくいかねえな」みたいな部分が、わかる〜、と思う。

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カール・フォン・クラウセヴィッツ 『戦争論』

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戦争論〈下〉 (岩波文庫 白 115-3)
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プロイセンの軍人によって書かれた戦争に関する研究書を読む。昔、人に『クラウゼヴィッツの戦略思考―『戦争論』に学ぶリーダーシップと決断の本質』を薦められたことがあって、このビジネス書のほうは読んでないんだけれども「ビジネス書に応用される『戦争論』ってどういうものなんだろうか」と気になっていたのだった。岩波文庫の中巻以降、各論に入ってきて、やれ、山地での防御はどうだ、とか、やれ、要塞を攻めるにはどうだ、みたいな話に入ってくると、かなり読むのがキツいのだが、上巻の概論的な部分は結構面白い。記述のスタイルもドイツ哲学っぽくて。ああ、昔の軍人って知的エリートだったんだな、と感心させられた。「やっつけるときは、もう、手を抜かず、徹底的にやれ」とか「戦力は分散させるよりも、集中したほうが良いよ」みたいなことが難しい言葉で書かれている。

ともあれ、わたしが最も興味を持ったのが、本書の序文で。クラウセヴィッツの死後出版となった本書の序文を、夫人であるマリー・クラウセヴィッツが書いているんだけれども、これがなんというかお葬式で未亡人が「突然のことで故人も驚いていると思うのですが……」とさめざめ泣きながらスピーチしている感じがあって、なんだか良いのである。しかも「戦争に関する本に、女のわたしが序文を寄せるなんて、恐れ多いし、女はこの世界に入ってくるな! というお声もあるかと思うのですが」的なエクスキューズからはじまるのね。夫が遺した仕事をどんな気持ちで、この女性は引き継いだんだろうか、どんな生涯を送った人なんだろうか、とか、本書の内容と全然関係ないことに興味が引っ張られましたね。

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