tag:blogger.com,1999:blog-79102585725107900572024-02-20T09:42:06.608+09:00石版!mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.comBlogger2415125tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-24700413695436995882017-01-04T02:51:00.001+09:002017-01-04T02:51:26.996+09:00突然ですがブログ移転しますなんかはてなブログのほうが読みやすいデザインのブログが書けそうだなー、と思ったので<a href="http://sekibang.hatenadiary.com/">こちら</a>に移転します。過去記事とかはそのまま、このブログで読めるようにしておきます。よろしくどうぞ。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-44403147694363903252017-01-04T01:36:00.001+09:002017-01-04T01:36:41.206+09:00レフ・トルストイ 『アンナ・カレーニナ』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4102060014&linkId=7311d87276297272cd5adee82358b889" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4102060022&linkId=a37e4712f4af1b8b4de6add034a2d0aa" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4102060030&linkId=77a83d86ad85dd0ced31dd20d9c109cd" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
年末年始にまとまった休暇をいただいたので、長い小説を。トルストイの言わずと知れた大クラシック、文庫本3巻で大体2000ページぐらいある大長編なんだけれども、凄まじく面白くて。トルストイ、すげー、と思った。解説によれば、ドストエフスキーやトーマス・マンも「完璧」、「非の打ちどころのない作品」と絶賛したという。わかる。長いんだけど、すげえ読ませるんだよ。不倫や事件、ロマンスの予感が仄めかされると、ちゃんとそのあとに、不倫や事件、ロマンスが起きる。「やだな、やだなー」、「怖いな、怖いなー」と読者をライク稲川淳二にさせるような仄めかし、煽りからの出来事(!)の繰り返しが次から次へと起きて、超面白い。<br />
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<blockquote class="instagram-media" data-instgrm-version="7" style="background: #fff; border-radius: 3px; border: 0; box-shadow: 0 0 1px 0 rgba(0 , 0 , 0 , 0.5) , 0 1px 10px 0 rgba(0 , 0 , 0 , 0.15); margin: 1px; max-width: 658px; padding: 0; width: 99.375%;">
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<div style="color: #c9c8cd; font-family: Arial,sans-serif; font-size: 14px; line-height: 17px; margin-bottom: 0; margin-top: 8px; overflow: hidden; padding: 8px 0 7px; text-align: center; text-overflow: ellipsis; white-space: nowrap;">
<a href="https://www.instagram.com/p/BOzdStLAYE7/" style="color: #c9c8cd; font-family: Arial,sans-serif; font-size: 14px; font-style: normal; font-weight: normal; line-height: 17px; text-decoration: none;" target="_blank">mstkさん(@mk_sekibang)が投稿した写真</a> - <time datetime="2017-01-03T13:32:59+00:00" style="font-family: Arial,sans-serif; font-size: 14px; line-height: 17px;">2017 1月 3 5:32午前 PST</time></div>
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</blockquote>
<script async="" defer="" src="//platform.instagram.com/en_US/embeds.js"></script>普段は、こんなメモを取ることないんだけども、あまりに面白くて、このブログを読んでくださってる方々、皆さんに本書を読破していただきたく人間関係をメモってみた。長いので序盤で諦める方いるかもしれないので、この図が役に立つと嬉しい。すげえいっぱい登場人物がでてきて、脇役も非常に愛らしいキャラが多いんだけれども、基本的なキャラクターは第1編に出てくる彼らだけ覚えておけば良ろしい。これプラス、アンナのダンナさんであるカレーニン(第2編から登場)。逆にさらに削るならば、薄く緑でマーカーを引いた、リョーヴィンとキチイ、アンナとヴロンスキーだけでも構わない。<br />
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わたしが素晴らしいな、と思ったのがさ、人間描写の巧みさ、細やかさと「悪人」が出てこないところで。この物語がはじまる一番最初のきっかけを作るオブロンスキーも、浮気はするは、大したことない役人のくせに身の丈に合わない散財を繰り返す困ったヤツなんだけれども、根は良いヤツで憎めないんだよね。アンナの夫、カレーニンでさえそう。出世と世間体にしか興味がなくて、愛を知らない冷徹な人物……として描かれて、半ば悪モノなんだけど、そういう正確になったのにも生まれ育ちの環境があって「んー、人にはなんか色々理由があるんだなあ……」みたいな同情を誘うの。<br />
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登場人物が敵味方に分かれて戦ってる、とかじゃなくて、一人一人が、みんな、それぞれの善意だったり、ポリシーがあって小説のなかで動いてて。ものすごい群像劇。それをざっくりとまとめるとリョーヴィンとキチイのカップルをめぐる話、アンナとヴロンスキーのカップルをめぐる話に集約される。さながら登場人物の原子がすげえぶつかり合って、いろいろくっついて、ふたつの分子を形成する。この構造がスゴい。<br />
<br />
あと、場所の使い方もこの小説はスゴくて。最初はみんなオブロンスキーの浮気問題(離婚騒動)とか、キチイの結婚とかをきっかけにモスクワに集まってくるの。第1編はずっとモスクワでの話。第2編以降は、ペテルブルグだったり、リョーヴィンの領地であるポクローフスコエ村だったり、バーデン(ドイツの温泉地)だったりアチコチを舞台にして、いろんな話がある。一回集まったドラゴンボールが、そのあと、各地に散らばって……みたいな感じ?<br />
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とにかくモスクワに一端集結して「うわー、これなんかあるんだろな」って不穏な仄めかしを散々したあとに、アチコチで仄めかされた諸々が起きてエラいことになるんだけれども、ペテルブルグだったら派手な社交界が描かれ(モスクワにも社交界があるんだけど、ペテルブルグのほうが派手。ペテルブルグが港区なら、モスクワは吉祥寺か? わかんないけど)、リョーヴィンの領地なら田園生活が描かれ……って具合に、当時(19世紀末)のロシアの社会全体がここに書かれてるんじゃねーか、ってぐらい、いろんなことが盛り込まれている。ディス・イズ・全体小説。ヤベーっす。<br />
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久しぶりにこんな面白い本読んだな、って思ったんですが、たぶん読んだ時期も良かったんだろうな、と。わたし、今度の3月で32歳になるんだけども、オブロンスキーが最初34歳だから(小説のなかでは大体2年ぐらいの歳月が流れる。濃密すぎてすごい長い時間が経っている気がするんだけれども)、ほとんど同世代の人たちの話だったのだ。だもんで、Twitter風の言葉で言うところの「わかりみ」がスゴいあった気がする。<br />
<br />
もちろん、今、自分が抱えている悩みが小説のなかにあって共感したわけじゃないんだけど、リョーヴィンが童貞っぽく悶々とするところとか、カレーニンが自分の奥さんを「ん? コイツ、浮気してんじゃねーのか?」と気づいてから「おっし、もう、コテンパンに言い負かしてやるからな」と話を組み立てるんだけど、いざアンナの前に立つと全然考えていたことが言えなくて……みたいなところとかさ「うわー、すげー、なんかわかるわー!」と。<br />
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だから、わたしの同世代かそれ以上の年代の友達にこの本読んでほしいっすね。で、感想を言い合いたい。「ヴロンスキーの愛を確認するために、他の男に色目を使うアンナ、めちゃくちゃヤバいよねー!!」とかさ。長いし、高尚な作品として偉そうにしてるような小説なんだけども、昼ドラ的メロドラマが化け物みたいに巨大化した本だと軽く構えて読んでもらいたいものです。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-51193214124814282682016-12-30T03:12:00.001+09:002016-12-30T03:12:15.004+09:002016年に読んだ本を振り返る毎年恒例の振り返りシリーズ。<br />
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<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html"> 山本義隆 『磁力と重力の発見』</a></li>
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<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/01/blog-post_14.html"> ロード・ダンセイニ 『最後の夢の物語』</a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/01/blog-post_16.html"> 菊地成孔 『レクイエムの名手: 菊地成孔追悼文集』</a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/01/blog-post_18.html"> 平山昇 『初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』</a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/01/blog-post_19.html"> 村上春樹 『女のいない男たち』</a></li>
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<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_9.html"> 宮台真司 『援交から革命へ: 多面的解説集』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_13.html"> レフ・トロツキー 『裏切られた革命』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_14.html"> ヘンリック・イプセン 『ヘッダ・ガーブレル』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_16.html"> レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 『トルストイ前期短編集』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_19.html"> 本橋成一 『築地魚河岸ひとの町』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_20.html"> 西寺郷太 『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_4.html"> ルイ・パストゥール 『ビールの研究』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_21.html"> 佐藤亜紀 『小説のストラテジー』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_27.html"> ダニエーレ・タマーレ 『サプール ザ ジェントルメン オブ バコンゴ』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/11/blog-post_28.html"> 角山栄 『茶の世界史: 緑茶の文化と紅茶の世界』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/blog-post.html"> ミーシャ・アスター 『第三帝国のオーケストラ: ベルリン・フィルとナチスの影』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/blog-post_4.html"> 池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/blog-post_12.html"> ジークフリート・クラカウアー 『天国と地獄: ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/i-1950-1967.html"> ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール全評論・全発言I 1950-1967』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/2.html"> 湯木貞一 『吉兆味ばなし 2』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/blog-post_20.html"> アルフレッド・ベスター 『虎よ、虎よ!』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/blog-post_89.html"> 平本久美子 『やってはいけないデザイン』 </a></li>
<li><a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/12/blog-post_23.html"> ステファン・グラビンスキ 『狂気の巡礼』 </a></li>
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今年は3月に転職して環境が変わり、変化に富んだ一年だったのだがそれでも本だけで105エントリーも書いていた。ブログに書いてない本も何冊かあるが、地味に将棋も続けてたりしてて、レコードもじっくり聴く時間も必要だったりしたので、本はすごく雑に読んだ年だった。眺めてみると料理や食に関する本が多い。とくに土井善晴先生の本、『おいしいもののまわり』と『一汁一菜でよいという提案』は今年はもっとも印象に残った本としてあげたい。英語で読んだ本は一冊だけ。これはちょっと寂しいが、また最近英語の勉強を再開したので、来年はもうちょっと頑張りたい、が、英語でなにかを読む、というモチベーションがほぼゼロになっているので、なんもしないかも。</div>
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それでは皆さまよいお年を。</div>
mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-72252602340152507622016-12-23T20:43:00.000+09:002016-12-23T20:43:00.364+09:00ステファン・グラビンスキ 『狂気の巡礼』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4336060746&linkId=9df648dd5e43aff12fe790caf3f07720" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
ポーランドの作家、というと、スタニスワフ・レム、ヴィトルド・ゴンブローヴィチ、そしてブルーノ・シュルツ、と一癖も二癖もある作家が思い出されるが、ステファン・グラビンスキもまた、その個性が記憶に名前が刻まれるタイプの作家だと思う。「ポーランド文学史上ほぼ唯一の恐怖小説作家」、「ポーランドのポー」、「ポーランドのラヴクラフト」と称される小説家の短編集を読んだ。<br />
<br />
「恐怖小説」、といってもゾッとするようなスリルやホラーを感じるわけではない(この作家性に夢野久作を想起する読者もいると言う)。正直、そんなに怖くはない。けれども、どこか不気味であり、本書のタイトルにもあるような「狂気」をじんわりと感じさせる。<br />
<br />
たとえば、この作家は、ある場所に怨念じみたもの、地縛霊じみたものが残っていて、それに主人公が影響を受けてヤバくなってしまう、という話をよく描いているのだが、それを単なるファンタジーや超常現象としてでなく、ある種の特殊な心理的作用として、まるで科学的に説明できるもののように説明しながら書いている。この描写がとてもネチネチしていて、危ない雰囲気を余計に煽る。<br />
<br />
荒木飛呂彦とか諸星大二郎が描くモダンホラーに通ずる不気味さがあって良いし、あと本書は装丁もとても良い。正直、そこまで好きな作家ではないんだけれど、めちゃくちゃ雰囲気がある本に仕上がっていて、書店で見つけて「ああ、これは面白そうな本だな、買わなきゃいけないんじゃないか」という気持ちにさせられてしまった。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-10496240417185536902016-12-20T21:56:00.000+09:002016-12-20T21:56:04.963+09:00平本久美子 『やってはいけないデザイン』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4798145939&linkId=d9a7a69d8795f60810c37167879c541a" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
デザインについて学んだことは一切なくても、センスが皆無でもホワイトカラーな会社員をやっているとチラシだの、資料だの「デザイン」をする機会は必ずやってくる。そんな機会に延々と上司にダメだしされたり、自分が作るものってなんかイケてないな……となんだりした人は多いと思う。わたしもその一人。本書は、素人がやりがちなイケてないデザインの事例をたくさんあげて「どうしたら良い感じになるのか」の知見を授けてくれる大変良い本。難しい理屈は一切なし、仕事の行き帰りでサクッと読めて、明日から「イケてないデザイン」を作れそうな気分にさせてくれる。<br />
<br />
正直、インターネットでデザインに関して調べたらでてくるような話しか載ってない、とも言えるのだが、会社員は調べる時間を金で買うべき。会社のデスクにでもしまっておいて、困ったときに開けるようにしておきたい。「社会人1年目に読む本リスト」(そんなものがあるとしたら)のなかにも入れておきたい一冊だ。<br />
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これを読んでわたしもイケてるデザインの資料を作って女の子にモテたい! 「紺野さんの作る資料っていつもオシャレですよね!」と言われたい! けれども、会社員人生は複雑で、こういうのを読んでイケてるデザインのものを作っても、上司のセンスが壊滅的でせっかく作ったものをダサくするよう命じられることも多々あるのが悩みどころだ。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-70770523127362357052016-12-20T21:02:00.000+09:002016-12-20T21:02:44.453+09:00アルフレッド・ベスター 『虎よ、虎よ!』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4150116342&linkId=39c4c97c4bf5eba9919146ca4da48ea5" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
SFのド古典。当ブログでなんども書いているとおり、SFというジャンルにあんまりハマれないわたしであるが本書は、さすがに「すげぇ本だなぁ……」と思った。ガンダムみたいな宇宙戦争時代に<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2009/05/blog-post_7899.html">『Watchmen』</a>をやっている感じ、というか。これが60年前の小説ですか……。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-50199105796802018902016-12-18T14:36:00.003+09:002016-12-18T14:36:59.315+09:00湯木貞一 『吉兆味ばなし 2』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4766000293&linkId=5c58f26f03c075b68d3c702bd366abb2" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
高級日本料亭、吉兆の創始者、湯木貞一による語りを集めた本。『吉兆味ばなし』の1巻については<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/03/blog-post_29.html">『新版 吉兆味ばなし』</a>という形で手に入りやすくなっているが、その続刊については新版が出ていない。「和食」が世界遺産になっているんだから「和食」を文化(そして芸術)にまで高めた第一人者による本ぐらい、もっと手に入りやすくなっていてしかるべきであろう……と難しい顔になってしまうぐらい良い本。季節ごとの食材について語り手があれこれ語る、その繰り返しで、春になれば筍だし、秋になれば松茸、と語ってることが毎年季節ごとに同じなんじゃないか、と思うのだけれども、その繰り返し、季節の循環が、和の時間感覚なのかも、とも思う。読んでいて、ああ、春が、夏が、秋が待ち遠しいなぁ、という気持ちにもなる。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-40259670657339147682016-12-13T22:21:00.002+09:002016-12-13T22:21:33.260+09:00ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール全評論・全発言I 1950-1967』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4480873112&linkId=e427f51a7bb6da30d0b7bd1cf606be45" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
わたしはゴダールの良い鑑賞者ではないので(観てるけどほとんど内容を覚えていない)、この本の持ち主にはまったくふさわしくないのであるが、ブックオフで1000円で売っているのを見つけて思わず買ってしまった(2巻も同じ値段で売っていた。買った)。『カイエ・デュ・シネマ』に書かれたゴダールによる評論から、映画監督デビュー以降の文章(おもに自作に関するもの)をほとんど年代順に収めている。ゴダールが選んだ毎年のベストもはいっている(これきっかけで、昨日は早稲田松竹にサミュエル・フラーを観に行った)。あとまだ20代だったル・クレジオと全然噛み合ってない対談をしているのとかが面白い。「うわー、ゴダールってインテリだなぁ」と阿呆のような感想しかでてこないのだけれども、ゴダールが批評を書いてた時代って、インターネットなんかないじゃないですか。そういう時代に、こういう文章が書かれた意味、読まれた意味について思いを馳せたくなる。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-73206898067395610132016-12-12T22:00:00.002+09:002016-12-12T22:00:18.319+09:00ジークフリート・クラカウアー 『天国と地獄: ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4480082271&linkId=2be61890c49e123fedeabcf06c3328ff" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html">ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』</a>で言及されていた本。オッフェンバックの生涯と当時の音楽文化と政治、そして19世紀末のパリ(を中心としたヨーロッパの都市)の都市の様相を扱った多面的な文化史。時代的には、7月王政、2月革命、第2帝政、第3共和制の頃の話なんだけれども、わりと退屈な本、と思ってしまった(ベンヤミンにどの部分を引用されていたのかも覚えていないのだが、引用で触れたときのほうが面白そう! って思う)。まだ駆け出しの頃のオッフェンバックが、パリのあちこちで開かれてた金持ちのサロン・パーティーにチェロをもって顔を売りに行っていた、だとか、革命で金持ちがパリから逃げてしまって商売がなりたたなくなった、だとかの小ネタ的な部分や、ベンヤミンに通じる当時のパリの消費文化についての記述は面白いのだが。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-90350377128886023172016-12-04T18:47:00.001+09:002016-12-04T18:47:43.345+09:00池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4101318158&linkId=4b0f21360d89a9f6c8308aed7255b6e8" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
日本人の作家がマジック・リアリズムの「独裁者小説」(アストリアスの<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2009/12/blog-post_07.html">『大統領閣下』</a>や、ガルシア=マルケスの<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2012/03/blog-post_14.html">『族長の秋』</a>のような)を、ラテン・アメリカのまるパクりでなく、日本人が書く必然性をもって書くとするならば、これが理想形なのかも、と思う。太平洋に浮かぶ小さな島国、ナビダード民主共和国の独裁者、マシアス・ギリの立身出世譚と、ナビダード共和国が近代国家として成立するまでの歴史、そして神話、伝説。様々なストーリーが渾然一体となって、大きな物語を形づくっている。大変スケールが大きい小説、まぁ、若干、最後の方尻窄みがあって(この尻窄み感、なにかに似ているな、と思って思い出したのが古川日出男の<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2008/11/blog-post_4031.html">『聖家族』</a>)傑作になり損ねている感じはあるのだが、とても面白かった。何と言っても、登場人物が、結構普通の人たち揃いというか。ほら、ガルシア=マルケスの小説なんかはっきり言って異常者ばっかりでてきて、それがストーリーを引っ張っていくじゃないですか。その過剰さがマジック・リアリズムの魅力でもあるんだけれど、マシアス・ギリを取り巻く人間たちは、主人公のマシアス・ギリを含めて、普通に理解可能な人物として描かれているように思われて。その人間臭さがなんとも良いし、普通なのに、魔術的な色合いを持たせているところに作者のテクニックを感じさせるのだった。これは文体の妙、とも言える。池澤夏樹、上手いなぁ……。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-80702652574193519262016-12-04T00:54:00.000+09:002016-12-04T00:54:34.926+09:00ミーシャ・アスター 『第三帝国のオーケストラ: ベルリン・フィルとナチスの影』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4152090251&linkId=ca85c945a889889d3ad3828ba463500d" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
ナチス・ドイツ時代のベルリン・フィルがなにをやっていたか、を資料をもとにまとめた本(クラシック音楽に明るくない人向けに補足するならば、ベルリン・フィルは世界、いや地球最高峰の演奏家を集めたクラシック界の銀河系軍団みたいなオーケストラ)。「困難な時代にフルトヴェングラーは何を追い求めていたのか」と帯にはある。この手の本て、強権的な政治権力に芸術家が自由を求めてどんなふうに戦ったのか、的なストーリーを思い浮かべてしまうんだけれど、本書はさにあらず。<br />
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フルトヴェングラーはナチス政権と時折対立して、ベルリン・フィルの監督的立ち位置を降りたりするものの、決別、というまでには至らず、結構持ちつ持たれつみたいな関係性を維持していたことが書かれている。芸術家が清廉潔白でさ、悪には反抗する、みたいな、今でいうと原発には反対しなきゃいけねぇ、みたいな、そういうアティテュードがあるじゃん、芸術家、それとは違う、言ってしまえば、彼らも仕事でやってたんだな、と思わなくもない部分がある。っていうか、芸術家の働く環境がどんどん悪くなって、自由も制限されてるのに、権力闘争とかしてたりして、なんかダーティーな感じ。大御所すぎて困ったちゃんになっていたフルトヴェングラーの影響力をなんとかしようとカラヤンが呼ばれた、とか、さ。<br />
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まぁ、ぶっちゃけ、そんなに面白い本ではない。ナチスがベルリン・フィルを利用して国のイキフンを盛り上げたり、ユダヤ人の演奏家を排斥したりした、という事実は広く知られているし、そこまで目新しいような驚きがあるわけではないと思う。新ウィーン楽派を黙殺していた、みたいな話は、ほとんど当たり前すぎるのか、本書の中では触れられもしない。<br />
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個人的に面白かったのは、フルトヴェングラーが「もう俺、ベルリン・フィルの指揮者やらねぇ!」と啖呵を切ったあとに、ナチス政権におもねって、今ではほとんど名前が知られてない三流指揮者みたいなヤツがでてきて、ポスト・フルトヴェングラーの座に居座るんだけれども、あまりに実力が足らなすぎて、一瞬で追い出される……、みたいな記述であった。<br />
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あと、アーベントロートや、ヨッフム、ベーム、シューリヒト(そしてカラヤンも)といった著名な指揮者が、ナチスによるユダヤ人指揮者の排斥によって、ドイツで仕事が増えた、という記述も面白い。言ってしまえば、ナチスがクレンペラーやワルターを追い出さなければ、彼らの活躍もなかったんでは? ぐらいのことが書いてある。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-70165709946847185812016-12-02T23:55:00.001+09:002016-12-02T23:55:29.900+09:003枚のアルバムについて<a href="https://www.amazon.co.jp/24K-MAGIC-BRUNO-MARS/dp/B01LYRM74T/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&qid=1480687531&sr=8-1&keywords=bruno+mars&linkCode=li3&tag=kusobae-22&linkId=b7d7192138f0ac7f607c3564edff617b" target="_blank"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B01LYRM74T&Format=_SL250_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=kusobae-22" /></a><img alt="" border="0" height="1" src="https://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kusobae-22&l=li3&o=9&a=B01LYRM74T" style="border: none !important; margin: 0px !important;" width="1" /><br />
すっかり音楽ブログとしては休眠している当ブログだが、最近発表された3枚のアルバムについて言及しておきたい。まずは松尾潔をして<a href="https://twitter.com/kiyoshimatsuo/status/799551018166009856?lang=ja">「降参です!」</a>と言わしめた Bruno Mars の新譜「24 K Magic」について。新譜はもう Apple Music で良いや、と思っていたけれど、これはアナログで買った。先行で公開された表題作のPVがまず最高で。<br />
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<iframe allowfullscreen="" class="YOUTUBE-iframe-video" data-thumbnail-src="https://i.ytimg.com/vi/UqyT8IEBkvY/0.jpg" frameborder="0" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/UqyT8IEBkvY?feature=player_embedded" width="320"></iframe></div>
冒頭、響き渡る Roger Troutman の亡霊的に響き渡るロボ声から名作の予感がビンビンし、昨年のメガヒット曲<a href="http://amzn.to/2gHVZ0N">「Uptown Funk」</a>の路線上にあるキャッチーなシングル曲という感じなのだが、歌詞の空っぽさ、どチャラさがまた最高。最近、Apple Music で手軽に歌詞が表示できるようになったため、こうして「なにを歌っているのか」をチェックしているのだが、Bruno Mars にはなんというか、空っぽ、という中身しかない。<br />
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表題作なんか「俺は金持ってるゼ、おチンチンがおっ立つようなチャンネーが群がってくるんだゼ」とか歌ってるし。こんなに空っぽで良いのかな、と。表題作だけではない。「マンハッタンにマンションを買ったんだ」で始まったり、ヴェルサーチのドレスを脱がして……みたいな「背中まで45分」(井上陽水)かよ、みたいな歌詞が満載で、はっきり言って、この軽さ、にみんなあきれ返ってしまうのではないか、と思う。<br />
<br />
ただ、悔しいながら、Bruno Mars の歌唱力、そしてこのプロデュース力には脱帽で、知能ゼロに近い軽さでありながら、極度に陽性のサウンドの魔力に屈服してしまう。80年代・90年代のブラック・コンテポラリー・ミュージックを収奪している、だけ、とも言えるのだけれど、そこに一切のダサさ、カッコ悪さがないのが異常。アルバム後半に収録された「Finesse」など、今が本当に21世紀なのかを疑わせるほど、正真正銘のニュー・ジャック・スウィングであるのに、まったく古さを感じさせずカッコ良い。その印象には、モダンな分厚い音圧のサウンド作りも一役買っている。<br />
<br />
<a href="https://www.amazon.co.jp/STARBOY-WEEKND/dp/B01LTHY0H6/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&qid=1480688943&sr=8-1&keywords=the+weeknd&linkCode=li3&tag=kusobae-22&linkId=d3ac080a133e572eb6f2390c21362fa5" target="_blank"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B01LTHY0H6&Format=_SL250_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=kusobae-22" /></a><img alt="" border="0" height="1" src="https://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kusobae-22&l=li3&o=9&a=B01LTHY0H6" style="border: none !important; margin: 0px !important;" width="1" /><br />
内省を一切感じさせないような Bruno Mars に対して、The Weekend はメソメソとしているのが対照的であった。サウンドは流行りのテクニカル・ターム「アンビエントR&B」というか、EDM化されたR&B路線を前作から貫いており、そこに今回は、Daft Punk も参加、良いねえ、本気で売れ線狙ってきているのかねえ、という感じなのだが、如何せん、Bruno Mars の突き抜け具合と比べると、このアルバムの長さ(68分)はダラダラとして聴こえてしまう。<br />
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悪くないんだけど、出てきた時期が悪すぎた。「ホントに理解してるコが欲しいだけなんだ」、「名前さえ知らないコの横で目が覚めて……」みたいな、モテてるけど、モテてるが故に孤独、みたいなの、今一番流行んないんじゃないのか。ある意味、かつての Radiohead にも通ずるぐらいのメソメソ、ナヨナヨ楽曲であり、そのへんの薄暗さは、James Blake 的なのだが、James Blake のほうが全然良い。暗いなら、どん底まで暗く行ってくれよ、と。<br />
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<a href="https://www.amazon.co.jp/Black-America-Again-Common/dp/B01LTHM33E/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&qid=1480689743&sr=8-1&keywords=common&linkCode=li3&tag=kusobae-22&linkId=f3bbde22df207cd8997aa8d8ef09319b" target="_blank"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B01LTHM33E&Format=_SL250_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=kusobae-22" /></a><br />
最後にラッパー、Common の新譜。これまた Robert Glasper が全面参加、とトラックの流行りもの感満載なのだが、リリックのリアルタイム感がすごくて。Bruno Mars のバブリーなPVが仮に「Trump時代のアメリカの未来(良い未来)」の象徴だとしたら、Common はマジでリアルタイムを歌っていた。表題作「Black America Again」、これまた Trump 的なものを彷彿とさせるタイトルであるけれど、The Weekend のナヨナヨなんかバッカじゃねーの、と思わせるぐらい深刻な話が語られる。「黒人の子供たちは子供時代を盗まれてる」とか「「くろんぼ」のかわりに奴らは「犯罪者」って言葉を使う」。そして、Bilal が Prince の亡霊のように歌を歌う。<br />
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(The Weekend はカナダ出身の人ですけれども)同時期に、これだけ歌っていることが別世界なブラック・ミュージックのアルバムが出たのが印象的で、思わず記事を書いてしまった。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-28469654271921058042016-11-28T23:08:00.001+09:002016-11-28T23:08:26.151+09:00角山栄 『茶の世界史: 緑茶の文化と紅茶の世界』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4121005961&linkId=8024fb7ca7f723207d8b0d273fabde3a" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
経済史の先生が書いた茶をめぐる経済史の本。アジアからヨーロッパに輸出される商品としてのお茶がどのように受容され、その貿易によって輸出元の国にはどんな変化が起きたのか。双方向から結構詳しく描かれている。インドや中国といった茶大国に対して、近代化を進める日本はどんな風に勝負しようとしたか、とかそのあたりは面白い。緑茶を広めようとしたら、みんな砂糖だのミルクだのをいれて飲もうとしちゃって、全然広まらず、由々しき事態だと思った岡倉天心がその頃<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2006/07/blog-post_1772.html">『茶の本』</a>を書いた、とかある。この本、後世には名著として残ったけど、リアルタイムではそんなに反響がなくて……だとか、クール・ジャパン大失敗の先駆者みたいだと思った。が、全体としては割合退屈な部類に入る本だと思う。あくまで「経済史」なんですね。文化的な側面を掘り下げるものではないし、これで「世界史」を名乗るのはちょっとな……。悪い本ではないんだけど。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-56735628475122647042016-11-27T14:36:00.002+09:002016-11-27T14:37:03.096+09:00ダニエーレ・タマーレ 『サプール ザ ジェントルメン オブ バコンゴ』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4861524997&linkId=28fc10a52f3907dce16452e531c607ce" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
昨年、NHKのドキュメンタリー番組で一挙に有名になったコンゴの「傾奇者」たちを写した写真集。働いて稼いだ給与を一生懸命貯めて、超一流ブランドのスーツをエレガントに着こなすサプールたちの、良い感じの顔が収められている。とてもカッコ良い。カッコ良いから近所の人からも大人気で、サプールの男性に握手を求める子供たちの姿なんかも写っている。そういうコミュニケーション、人との繋がりってないよな、って思う。日本で、こういう人が近所にいたら、みんな訝しく思って終わりじゃないですか。堂々とカッコつけてるのが素晴らしいな、って。<br />
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求めやすい価格ではあるんだが、値段は倍になっても良いのでもっと大きな版で見たい気もする。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-66407103889515778882016-11-26T18:11:00.001+09:002016-11-27T14:18:01.444+09:00レコードプレイヤーを部屋において<blockquote class="instagram-media" data-instgrm-version="7" style="background: #fff; border-radius: 3px; border: 0; box-shadow: 0 0 1px 0 rgba(0 , 0 , 0 , 0.5) , 0 1px 10px 0 rgba(0 , 0 , 0 , 0.15); margin: 1px; max-width: 658px; padding: 0; width: 99.375%;">
<div style="padding: 8px;">
<div style="background: #F8F8F8; line-height: 0; margin-top: 40px; padding: 50.0% 0; text-align: center; width: 100%;">
<div style="background: url(data:image/png; display: block; height: 44px; margin: 0 auto -44px; position: relative; top: -22px; width: 44px;">
</div>
</div>
<div style="color: #c9c8cd; font-family: Arial,sans-serif; font-size: 14px; line-height: 17px; margin-bottom: 0; margin-top: 8px; overflow: hidden; padding: 8px 0 7px; text-align: center; text-overflow: ellipsis; white-space: nowrap;">
<a href="https://www.instagram.com/p/BNQfjzFAmPn/" style="color: #c9c8cd; font-family: Arial,sans-serif; font-size: 14px; font-style: normal; font-weight: normal; line-height: 17px; text-decoration: none;" target="_blank">Masatake Konnoさん(@mk_sekibang)が投稿した写真</a> - <time datetime="2016-11-26T03:07:59+00:00" style="font-family: Arial,sans-serif; font-size: 14px; line-height: 17px;">2016 11月 25 7:07午後 PST</time></div>
</div>
</blockquote>
<script async="" defer="" src="//platform.instagram.com/en_US/embeds.js"></script>ちょっと前に父親から44年前に発売されたSL-1200の初代モデルを譲り受けて、レコードで音楽を聴くようになった。これが結構楽しくて。Apple Music以降すっかり大人しくなっていた「音楽に金を使う」欲望が爆発してしまっている。タイミングを見つけて中古レコード屋に足を運び「これ、CDで持ってなかったな」とか「これはちょっとレコードで聴いてみたいな」とか「よくわかんないけど面白そうだな、100円だし買うか」みたいなレコードを選ぶ。気がつくと持って帰るのに苦労するほどのレコードの山を抱えていることになるのだが、レジでお金を払うと、とてもスッキリする自分がいる。ああ、これだ、音楽に金を使う、消費する楽しさってこれだよ、と思う。<br />
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レコードだと音楽の聴き方も変わって。なんか前よりも真面目に音楽を聴くようになった気がする。アナログレコードは、片面が終わったらひっくり返さなきゃいけないし、ホコリはくっつくし、いろいろ面倒なことも多いのだが「聴き流す」みたいなことがない。めんどくささが、音楽への集中を生むような感じなのかな。「レコードを再生する準備」という儀式(ちなみにSL-1200の初代はクォーツ・シンセサイザーがついてないので、勝手に回転数があったりしない。また、44年も前の機械なので回転数がユレたり、安定しなかったりする)によって、集中的聴取の態度が導かれる、というか。<br />
<br />
レコードが再生されると、CDのときだってほとんど読まなかったライナーノーツを読んだりして。レコードのあの大きさが、そういう気持ちにさせている部分も多いと思う。<br />
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あと、音質なんですけども。レコードのほうがCDよりも記録できる周波数帯が広い(から、レコードのほうが音が良い)という話のは知ってはいたもののの「ホントかな、最近のデジタルリマスターでやたらと音が太くなってる音源の方が、レコードより良いんじゃないの?」とか思ってたんです。で、やっぱり、細かい音とか小さい音とかは、CDのほうがはっきり聴こえるんだよね。アナログだとそういう細部は、ひとつの「音のまとまり」のなかに収まっている感じして。でも、それが自然な感じだし、まとまってるからこそ、音が迫力あるように聴こえる。その音がとても新鮮(古いのに、新鮮)。<br />
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ここ数年、アナログ・ブームみたいになっちゃってますけど、なるほど、こういう楽しさがあるのね、わかるわ、と思う今日この頃なのです。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-45097188222501163502016-11-21T22:25:00.000+09:002016-11-21T22:25:24.219+09:00佐藤亜紀 『小説のストラテジー』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4480429794&linkId=9b2fa956f9013f13d927c1a38ff932d3" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
小説家、佐藤亜紀が大学でおこなった講義を元にした小説の読み方・書き方について論ずる本。わかりやすい・易しい文章ではないし、皮肉めいた文体や物言いが著者が批判的に評価している蓮實重彦を思い起こさせるのだが、こういうものを若いうちに読んでおくと小説がより「読める」ようになるハズ、と思った。熱心に読んだら、頭良さそうな感じで、批評めいた感想のひとつやふたつ、ひねり出せるようになりそう。理論的な探求や整合性じゃなくて、著者の経験則から積み上げられてきた体験ベースの読解方法が記されている。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-57245433062927641062016-11-20T20:40:00.000+09:002016-11-20T20:40:19.830+09:00ルイ・パストゥール 『ビールの研究』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4872590104&linkId=4dbbb8424d2a59e9dc4bc3fe78aa39c9" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
以前に紹介した<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/07/15.html">『ビール世界史紀行』(大名著)</a>で言及されていた。「近代細菌学の祖」として知られるルイ・パストゥールが19世紀末に書いたビールの醸造法に関する研究書。わたしもたぶんこういうのを読むのは初めてなんじゃないか、と思うんだけれど、ゴリゴリの理系論文って感じで一般人向けの読み物として読める部分はあんまり多くないのだが、科学史的な視点で読み込むととても面白い。自分の説に反論をかましてきた研究者に対する再反論や、筆者自らがおこなった実験の手続きなどが、かなり詳細に書かれており「当時の科学ってこんな風におこなわれていたのね」ということがわかる。<br />
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パストゥールはここで、ビールやワインを製造プロセスにおいて、大麦や葡萄から自然発生的に発酵がおこなわれるという説を退け、大麦や葡萄とは別な酵母菌の働きによっておこなわれるのだ、と主張している。これが本書のメインテーマのひとつ。あとは当時伝統的な職人の勘や、職人の間で伝えられてきたナレッジによって製造されてきた酒造プロセスを改善するためのアイデアを提案している(純粋な酵母菌を使うと、変な雑菌が増えないので良いよ、と)。<br />
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職人のナレッジに、近代的な科学の手法でメスをいれていく部分が結構面白くて。というのも、パストゥールの記述から19世紀末にイギリスやフランスでどんな風にビールが飲まれてきたか、作られてきたか、がうかがい知れるのだ。たとえばこんな記述。「ビールの売価と製造原価に大差があるのは、大量のビールを廃棄せざるを得ない事態が常にもたらす損失を、おぎなうためにほかならない」。当時のビール職人たちは、雑菌によってビールが変な味になってしまうリスクを常に抱えていたのだな、ということがここからわかる。ビールが今よりも「ありがたいもの」だった時代と、現代の差異に面白さを感じる。<br />
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そうした現代と過去の時代との差異ばかりでなく「これって今と同じじゃん」という部分もあって。たとえば、パストゥールは「(みんな知ってると思うけど)暑い時に飲むビールって旨いよね」とか書いている。そういう感覚は今も昔も変わらないんだ、と思うとまた面白いのだった。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-64518281748577327602016-11-20T18:23:00.001+09:002016-11-20T18:23:38.761+09:00メビウス 『エデナの世界』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4904376625&linkId=37e3c332c3e5c6f9f6046e1d4d0172ff" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2016/08/blog-post_7.html">『アンカル』</a>は復刊されているのだが、こちらの『エデナの世界』はまだ絶版みたい。メビウスのスピリチュアルSF漫画。かなり終わり方が投げっぱなしジャーマン的なのだが、ストーリーがウダウダしていない分、『アンカル』よりも好きかも。巻末に夏目房之介と浦沢直樹の対談がついていて、マンガとBDの比較論みたいな話があって面白かった。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-4530236533807750162016-11-20T16:41:00.002+09:002016-11-20T16:41:55.669+09:00西寺郷太 『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4101362610&linkId=564816ef759b4e46ef7d2b22d3a5edef" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
昨年の<a href="http://sekibang.blogspot.jp/2015/09/blog-post_23.html">『プリンス論』</a>とあわせて西寺郷太の単著を読むのは2冊目(『プリンス論』が出た頃は、プリンスも生きていたんだなぁ……)。著者のマイケル・ジャクソン研究をまとめた大傑作。ミュージシャン視点の評価であり、出生から亡くなるまでの50年間をMJ愛盛りだくさんな感じで語りまくっている。Jackson 5(Jacksons)時代のプレ「King of Pop」期でも言うべき時期にかなりページを割いていて、世間の大部分の人がイメージする「マイケル・ジャクソン」にどうやってなったのかのプロセスがわかる。もはや語り尽くされた業績、たとえば、MTV時代の口火を切った、とか、黒人音楽と白人音楽の融合を……とかがいかにすごかったのか、みたいなところに焦点が当たってるんじゃなくて、マイケルが置かれた環境や人間関係の星座のなかで、中心にいるマイケルがより輝くような作り。ホントになんかショウビズの世界でボロボロになりながら、素晴らしい作品を作っていったんだな、と思うと感動するし、晩年の記述はかなり泣けた。<br />
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しかし、文庫版のジャケットダサいな……。<br />
<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4828415297&linkId=4ff90be1da71aa372080108e2c4e2d20" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
単行本のほうがずっと良い。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-51121646576972981172016-11-19T18:03:00.002+09:002016-11-19T18:03:37.738+09:00本橋成一 『築地魚河岸ひとの町』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4023315443&linkId=9067b0f0cab6ba06af431b205dbd6804" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
いま日本中でもっとも注目を浴びている「町」であろう、築地。この場所を80年代から撮り続けていた写真家の作品集。この市場で働く人々、その周辺で暮らす人々の姿が全編白黒で撮影されている。白黒写真、というせいもあって、まるで時代がよくわからない。かろうじて写り込んでいる車のデザインや、おそらくは市場の関係者ではない人のファッションから、それが過去の写真であることがわかる。ただ「市場の人々」の格好は「市場の人ってこういう感じだよな」という印象とほとんどブレなくて。だから、なにかこの町が、流行や時代から隔絶された異界じみた空間として、保存されてきたのではないか、という感想が浮かんだ。日常からもっとも近くにある異界、というか、そういう特殊な空間性を切り取ったすごく良い写真集。<br />
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一つだけ文句をいうのであれば、見開きで載せてる写真が多いので、ノドの部分が気になって……。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-70178533305021236412016-11-16T22:32:00.002+09:002016-11-16T22:32:16.518+09:00レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 『トルストイ前期短編集』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4828831800&linkId=67515ae8976fc8213ffa88d85afa0ada" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
気が向いたので大昔に買って積ん読しといたトルストイの短編を読む。いやぁ、なんか、読んでいて心が荒むような小説が集まっている。多くは貧乏人(乞食だとか、農民だとか)が主題に選ばれているんだけれど、そうした場合、ほら「貧乏だけど心は錦」的な、「腹ペコだけど、オイラ幸せさ(だって、こんなに温かい家庭に生まれたんだもの)」的なハートフルなストーリーを期待してしまうじゃないですか、現代の感動ポルノ中毒の人だったら。でも、トルストイはそうじゃなくて。徹底して貧乏人の心の貧しさとか、汚さとか、矮小さを描いているのだった。作家自身は金持ち生まれで、そうしたリアルライフになんらかの問題意識をもってこういう人間模様を描いたんだろうけれども、悪意さえ感じてしまうほど。やっぱりね、こういうものを読んでしまうと、貧乏良くないな、と思ったですよ。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-13061636721038666072016-11-14T22:19:00.001+09:002016-11-14T22:19:59.467+09:00ヘンリック・イプセン 『ヘッダ・ガーブレル』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4003275055&linkId=e4f156b51c557496ec3ecfecd058b175" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
今度、<a href="http://chiten.org/next/archives/45">地点の『ヘッダ・ガブラー』</a>を観に行くのでその予習。良い人だがなんか物足りない男、テスマンと結婚した主人公ヘッダ(めちゃくちゃプライドが高い)が夫の研究旅行兼ハネムーンから帰ってきたら、クソダメ野郎だった元カレが、女学生時代にイジメてた後輩とくっついてて、そのおかげで立ち直って眠ってた才能を開花させていた……悔しいッ!! と激烈にストレスを感じたヘッダは、やってはいけないことをやってしまって、破滅する、みたいな話。<br />
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もう主人公のヘッダが、嫌な女でさ。夫が退屈で……と愚痴るわりには、自分でなんかをやるわけでなし。ワガママですぐ人をdisる。これで美人じゃなかったら、ホウキでケツをひっぱたいて、家から追い出したくなるような女なのである。破滅してもざまぁみろ、としか思わないんだけど、まぁ、だれも幸せにならない嫌な話なので、それほど爽快感を感じない。<br />
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ただ、このヘッダが昔イジメてた後輩が幸せ掴もうとしてるところに激しくジェラシーを感じるところは、なんか現代にも通じるのかな、とか思う。学生時代に完全に見下してたヤツがFacebookに今イケちゃってます、イケ男、イケ女です、的な写真アップしてるのを見てしまった感じ? 嫌な話だけど、面白いです。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-81256335712693233562016-11-13T16:00:00.001+09:002016-11-13T16:00:23.727+09:00レフ・トロツキー 『裏切られた革命』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4003412710&linkId=b57f1b4472b17f3d4236a520ab809b4c" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
スターリン体制下のソ連で亡命を余儀なくされたトロツキーが亡命先で執筆した告発の書。レーニン時代にソヴィエトはだいぶ発展したんだけど、スターリン体制になって、なんだかハチャメチャになっちゃったよ、なんか、労働者が平等な社会を作るはずだったのに、官僚が世の中を牛耳って私腹を肥やしてるし、コルホーズの経営者とその農場で働く一般農業従事者のあいだに昔の地主と農奴みたいな格差が生まれちゃってるよ、全然ダメじゃん! などなど、あれこれ批判している。当時の状況をうかがい知ることができ、大変面白い。<br />
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特に冒頭の「統計的な数字を見ると革命以降ものすげえ発展した。したんだけども、中身を見るとあんまり良くないよね」という分析は明解で。たとえばアメリカとソ連の採石場の労働者ひとりあたりの生産量を比較して、生産量はソ連も良い線いってるけど、生産性で見ると「俺たち、アメリカの10分の1しかアウトプットできてないよ、ダメじゃん」と言っている。トラクターもたくさん作ってるけど、すぐぶっ壊れるし、すげえ効率悪いことやっててヤバくない? とか言ってるの。トロツキー、頭良いな、頭良すぎて消されちゃったんだな、とか思ってしまった。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-18295566540700774712016-11-09T22:49:00.000+09:002016-11-09T22:49:14.610+09:00宮台真司 『援交から革命へ: 多面的解説集』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4847013549&linkId=6f8b84c1a3d9a8deea77d613799e07b8" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
いま宮台真司を読むとどう思うんだろう、と思って手に取った一冊。宮台真司がいろんな人の小説だの写真集だのに寄せた解説文をまとめて、さらに「被解説者」に「解説されてどうだったか」を訊ねた談話をセットにした本。2000年に刊行されているのだが、当時の宮台真司がまぁまぁイケてる文化人だったことが窺い知れる。というのも、この「被解説者」が軒並み「宮台はどうして自分が書こうとした意図がこうもわかるのか!」とか言っちゃってるのである。その例に漏れているのは、唯一、写真家の吉永マサユキのみ。「理屈っぽく述べることによって、自分の言っていることが正しいんだとしているような感じを受けます」だとか「実際に生きるか死ぬか、いつどうなるかわからない、刹那的な時間の中で生きたことのない人のような気がします」だとかブッタ切っていて、痛快。<br />
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あと、この頃の日本ってまだ豊かだったんだな、余裕あったのだな、って思ったんだよね。だから風俗とかブルセラとか援交とかを、宮台みたいに語ることが許されたんじゃないか、と。たとえば「女性ならば風俗で数ヶ月は働いて性的コミュニケーションの現実を学んで欲しい」とかさ。こんなのもうアウト、っていうか退場でしょ。語りのモードが全然変わっちゃってる。風俗を語るにしても、いまや、貧困とセットみたいになってて、社会学的な分析してる余裕なんてないよ、って感じで。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7910258572510790057.post-15962266606267135272016-11-07T21:59:00.003+09:002016-11-07T21:59:44.770+09:00池波正太郎 『男の作法』<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kusobae-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4101156220&linkId=87c6e0c47a056320136567f656f67547" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
日頃お説教を食らうのは嫌いだけれども、お説教じみた本っていうのは存外に好きらしい。伊丹十三のエッセイしかり、池波正太郎の『男の作法』しかり。<br />
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タイトルに「男」とあるけれども、これは池波正太郎が「大人の人間というのはどうあるべきか」的なことを質問に対してあれこれ答えたものなので、必ずしも「男のための本」ではない。昔の飛行機のなかは新婚旅行にいくカップルがペッティングしまくっていてヒドかった、みたいなホントかよ、という話もあって大変に面白い本である。「将来の自分を高めていくための何かほかのものにふり向けてやっている人と、放縦に踊り狂ってセックスしたりしている人との差は、必ず数年のうちに出てきちゃう」など金言満載。<br />
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なかでもわたしが気に入ったのは「とにかく大学を終わって社会へ出るまでの若い時代に、いろんなものに首を突っ込んでおくことですよ」という言葉。社会に出るまで、絵だの音楽だの読書だの、いろんなことが好きになっておくと「そういうものが多ければ多いほど、街を歩いていても、どこへ行っても、本屋なりデパートなりで容易に気分転換ができるわけだろう」というわけだ。<br />
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これはね、身につまされる、というか(もちろん大変なこともあるけれども)本屋なり、レコード屋なりで、パッと気分が晴れてしまう生活を送っておるから、なんというか、池波正太郎に褒められたような気分になった。mk_sekibanghttp://www.blogger.com/profile/09431703946876007128noreply@blogger.com0