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Choro Club with Vocalistas/Takemitsu Songbook:極上に柔らかいアレンジで聴く武満のメロディ、そして言葉




武満徹ソングブック
武満徹ソングブック
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ショーロクラブ with ヴォーカリスタス
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ショーロはブラジルの伝統的な大衆音楽で、酒場やサロンなどで演奏されているものだった。私は古い音源のコンピレーションを一枚もっているだけだけれど、旋律や和声にはファドと似たところがあって(ポルトガルの音楽なんだから考えてみれば当たり前の話)興味深く、ファド以上に愉快で賑やかな楽しさが供する居心地の良さに惹かれ愛聴している。ショーロクラブは、文字通りそのショーロを基盤として活動する日本人のグループ。バンドリン(8弦の小型ギターのような楽器)、ギター、ベースの三人編成で活動がおこなわれている。今回の『武満徹ソングブック』は、彼らが日本の歌手7人とショーロで武満徹のポピュラーソングに取り組んだものだ。





企画的には「ウクレレジブリ」や「ウクレレウルトラマン」のような愉快な企画モノをイメージしてしまうのだが、大変素晴らしい内容で魂消てしまう。武満徹が作曲したポピュラーソングは多くの歌手によって取り上げられ、何度も歌われているけれども、ここまで豊かな音楽に仕上げたものはないのでは。「武満徹」とポップを繋ぐものとして、プリンスの『バッドマン』にハマっている、という発言や、ビートルズやガーシュインの編曲の仕事をあげることができるかもしれない。しかし、彼が書いたポピュラーソングは商業的な流行歌、歌謡曲とも違った独特な魅力がある。その魅力とは西洋の伝統的な歌曲とも異なったものだ。流麗とは言いがたい素朴なメロディが、武満の和声を被せられることで親密な空気を醸しだす。そこが良い。この空気は武満がポピュラーソングをギター編曲した仕事でも共有されており、そしてそれをショーロクラブの今回の作品は継承しているのだ。





歌はそこに載せられている言葉によってさらにひきたつ。収録曲の多くに谷川俊太郎が詞をつけているのだが、武満自身による詞も言葉と音との強固なつながりを感じさせる。なかでも「死んだ男の残したものは」は特別に聴けた。もともとベトナム戦争への反戦歌として書かれ、谷川によって詞がつけられたこの曲は、今日の環境がまったく違った意味をもって響く。環境によって意味を書き換えられながら、残されていく歌はそう多くはない。そうしたことは残された歌の強さを感じさせる。





7人の歌手のほとんどがこのアルバムで初めて聴く人たちだったが、そのような人にとってこのアルバムはは「こんな素晴らしい歌手が日本にいたのか」という驚きをもった出会いを生んでくれるものとなるだろう。とにかく素晴らしいので400万枚ぐらい売れて欲しい一枚。






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