今年もお台場で開催されている渚音楽祭に足を運ぶ。普段はテクノ系の音楽イベントどころか、クラブにもほとんど行くことはないのだが、近場で楽チンな感じでいろんな人が轟音で観れるというのでこのイベントには何度も行ったことがある。のだが、会場で久しぶりに会った友人の話によれば「今回でお台場で開催するのも最後らしいよ」とのこと。まぁ、いろいろと事情があるのだろうけれども、フジテレビ社屋のオープン・コートという場所は駅にも近いし雨が降っても地面がアスファルトなので良い感じ……だったので寂しい感じはする。ほかにも「○○(有名なクラブ)のオーナーが脱税で捕まった」とか「××(同じく有名なクラブ)にガサ入れが……」とかいろいろ聞いて、音楽を楽しむのにも肩身が狭い思いをしなきゃいけない時代なのかなぁ……と思った。また、毎回1日目は混雑がほとんどなくて快適なのだが、今回は快適どころか寂しいぐらいの客入りだったのも感じて、クラブ・ミュージックというジャンル自体の熱が下がってたりするのかな。知らないけど。mouse on the keys、toe、ミドリ……といろいろ観たが一番感銘を受けたのは、一番小規模なスペースで昼間に観た「ギターとラップトップを使ってひとりでやってた知らない人」であった(誰だったんだろう)。あとは、ベンチに座って大麻合法化を主張する弁護士の話を聞いていたところに「デュエルマスターズやろうよ!」としつこく言ってきた小学2年生の相手をしたりと楽しかったです。2日目も行く。
昨日書いたエントリ に「クラシック・コンサートのマナーは厳しすぎる。」というブクマコメントをいただいた。私はこれに「そうは思わない」という返信をした。コンサートで音楽を聴いているときに傍でガサゴソやられるのは、映画を見ているときに目の前を何度も素通りされるのと同じぐらい鑑賞する対象物からの集中を妨げるものだ(誰だってそんなの嫌でしょう)、と思ってそんなことも書いた。 「やっぱり厳しいか」と思い直したのは、それから5分ぐらい経ってからである。当然のようにジャズのライヴハウスではビール飲みながら音楽を聴いているのに、どうしてクラシックではそこまで厳格さを求めてしまうのだろう。自分の心が狭いのは分かっているけれど、その「当然の感覚」ってなんなのだろう――何故、クラシックだけ特別なのか。 これには第一に環境の問題があるように思う。とくに東京のクラシックのホールは大きすぎるのかもしれない。客席数で言えば、NHKホールが3000人超、東京文化会館が2300人超、サントリーホール、東京芸術劇場はどちらも2000人ぐらい。東京の郊外にあるパンテノン多摩でさえ、1400人を超える。どこも半分座席が埋まるだけで500人以上人が集まってしまう。これだけの多くの人が集まれば、いろんな人がくるのは当たり前である(人が多ければ多いほど、話は複雑である)。私を含む一部のハードコアなクラシック・ファンが、これら多くの人を相手に厳格なマナーの遵守を求めるのは確かに不等な気もする。だからと言って雑音が許されるものとは感じない、それだけに「泣き寝入りするしかないのか?」と思う。 もちろんクラシック音楽の音量も一つの要因だろう。クラシックは、PAを通して音を大きくしていないアコースティックな音楽である。オーケストラであっても、それほど音は大きく聴こえないのだ。リヒャルト・シュトラウスやマーラーといった大規模なオーケストラが咆哮するような作品でもない限り、客席での会話はひそひそ声であっても、周囲に聴こえてしまう。逆にライヴハウスではどこでも大概PAを通している音楽が演奏される(っていうのも不思議な話だけれど)。音はライヴが終わったら耳が遠くなるぐらい大きな音である。そんな音響のなかではビールを飲もうがおしゃべりしようがそこまで問題にはならない。 もう一つ、クラシック音楽の厳しさを生む原因にあげら...
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