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ミゲル・デ・セルバンテス『セルバンテス短編集』




セルバンテス短篇集 (岩波文庫)

岩波書店
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 『ドン・キホーテ』の作者、ミゲル・デ・セルバンテスの残した短編小説を4つ(短編集『模範小説集』から3つ、『ドン・キホーテ』内の挿話から1つ)を収録した本。セルバンテスの状況を描く、というよりかは、ある人物の個人史を説明するような語り口には、時折退屈を感じないでもないのだが、面白く読めた。ドン・キホーテのように、理性と狂気が1人の人物のなかで破綻なく共存しているような主人公たちが登場し、その誰もが幸福な結末にたどり着かないのだが、全体的に愉快な感じなので妙にソフトな悲劇として読めてしまう。このなんともいえない読後感は、ちょっと他にないかもしれない。





 セルバンテスの作品を読んでいて、不思議だなぁ、と思うのは「こんな変な作品ばかり書いているのに、なぜこんなにもリスペクトされているのか」ということである。たしかに小説構造はえらいことになっていて読んでいて、うわー……すごい、前衛の手法なんて400年以上前に既に考案されてるんじゃん……とか思わされるのだが、中身は下ネタや狂気のオンパレードだったりするわけで、実際読んでみるととても世界史の教科書に名前が出てくるような「立派な作家」という感じがしないところに、強い違和感を感じる。これはおそらく(読んだことないけど)メルヴィルにも、ラブレーにも言えることなんじゃなかろうか。


 





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