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10曲の交響曲で知る後期ロマン派のクラシック (中)



 10曲の交響曲で知る後期ロマン派のクラシック (前) - 「石版!」の続きをお送りいたします。前回は19世紀後半のドイツ・オーストリアで活躍した作曲家の交響曲を紹介しておりましたが、今回はその頃フランスではどんな交響曲が書かれていたのか、という話からはじめてみましょう。もともとフランスの音楽といえば、軽妙洒脱なオペラが主流で、交響曲で有名な作品といえば、ベルリオーズの《幻想交響曲》ぐらいしかないのでは、と思われるのですが、19世紀後半になるとドイツ・オーストリアの音楽の流れを受けて、交響曲熱が高まっていきます。





サン=サーンス/交響曲第3番《オルガン付》


 その熱の高まりに大きく関与しているのがサン=サーンスでした。彼は19世紀後半のフランス音楽の立役者とも言うべき作曲家で、1871年に「国民音楽協会」なる団体を設立するなどして、フランスの音楽の発展に寄与した、と言われています。しかし、彼が書いた7曲の交響曲(2曲は未完)のうち、有名であるのは第3番《オルガン付》だけ(私もこれ以外は聴いたことがありません)。これはちょっと寂しい気もしますが、めちゃくちゃな名曲です。フランス流の洒脱さとドイツ流の構築主義が完璧にマッチングした至高の楽曲と言えましょう。全部で2つある楽章が、それぞれ第1部・第2部で分かれている変則的な4楽章形式(そのうちオルガンは第2部にのみ使用される)のうち、第1楽章・第2部のアダージョ楽章の安らかさを聴くたびに涙したくなります。



サン=サーンス:交響曲第3番<オルガン>/動物の謝肉祭、他
デュトワ(シャルル)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-05-20)
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 演奏はデュトワ/モントリオール管の演奏がバツグンに良いです。フランスものを聴くならデュトワの演奏を選んでおけば間違いない、っていうのが定説ですが、この人の演奏はいつも楽曲が今まさに生まれたばかりです! 的な瑞々しさを携えている気がします。実は私、この作品をこれまでに2度も演奏したことがあるのですが、その度に死ぬほど聴きかえしました。



サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」、他
チョン・ミュンフン
ユニバーサル ミュージック クラシック (2010-01-20)
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 あとはチョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ管の演奏も素晴らしいです。弦楽器の音色が非常にまろやかで、落ち着いた演奏です。この録音ですが、カップリングされているメシアンの《昇天》という作品の演奏も素晴らしく、19世紀末のフランスの名曲と、20世紀のフランスを代表する作曲家との擬似的なコラボレーションがなされているように思います。





フランク/交響曲


 サン=サーンスと同時期に活躍した作曲家といえば、フランクの名前もはずせないところです。彼はドイツ系ベルギー人でしたが、10代の頃からパリで生活をおこなっており、そのせいもあってか(?)サン=サーンスよりもよりもよっぽど「フランスっぽい作風」を持つ作品を残しているように思います。フランク自身がどういう風に思っていたかわかりませんが「○○人じゃないのに○○人以上に○○人っぽい人物」って時々いますよね。彼もまたそれっぽい。いわば「逆説的なアイデンティティ」とでも言いましょうか。フランス人じゃなかったからこそ、より一層フランス風の曲を書く。彼のヴァイオリン・ソナタの第1楽章などはその代表例でしょう。



サン=サーンス:交響曲第3番
アラン(マリー=クレール)
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 一方で、彼が書いた交響曲はものすごくドイツ風で、超重厚。とくに循環形式で主題が提示される部分はとても印象的です(いったい何度繰り返しがあるのか……とか思ってしまいますけれど)。演奏はマルティノン/フランス国立放送管のものをよく聴いていました。かなりしつこい曲なので、サクッと歯切れの良い演奏なのがちょうどよく感じるのかもしれません。ちなみにこの録音は、サン=サーンスの交響曲第3番とカップリングになっていますので、1枚で19世紀末フランスの代表的な交響曲を押さえられる、というお得なCD。



Franck: Symphony in D minor; Schumann: Symphony No. 1

EMI (2000-10-10)
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 クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管は、重厚な作品を重厚に演奏したベタベタな演奏をしています。クレンペラーは録音当時、81歳。クラシックの演奏批評における「巨匠らしい演奏」というクリシェは「テンポが遅く、ダイナミクスの波が大きい」とほぼ同義語と言って良いでしょうが、この頃のクレンペラーにはとてもぴったりな言葉だと言えましょう。





R・シュトラウス/《アルプス交響曲》


 さて、お話をフランスからドイツへと戻しましょう。これまでブラームスだのブルックナーだの名前を挙げてきましたが、ドイツの後期ロマン派といえば、何といってもリヒャルト・シュトラウスが当時は一番人気の代表選手だったのでした。初めは交響詩というジャンルで名をあげ、その後はオペラで大成功、指揮者としても活躍し、しかも結構長生きして、20世紀半ばまでその才能を発揮しています。まぁ長生きすれば辛いこともあるわけで、第二次世界大戦中にナチス第三帝国の帝国音楽院総裁なる職位についていたせいで、戦後、裁判にかけられてしまったりしているのですが、とにかくすごい人だったのです。





 彼が書いた交響曲は4曲ありますが、そのうち最後の交響曲である《アルプス交響曲》がスケールの大きさ、壮大さで群を抜いている。厳密には、アルプス登山の様子を音楽化した「長い交響詩」みたいな感じなのですが、あまりの演出の大げささにド肝を抜かれることうけあいです。昨年、この曲を演奏しましたが、そのとき気がついたのは「管弦楽法が優れているなぁ……」ということでした(たくさん楽器を使っているのですが、楽器の使い方が上手なので、音が埋もれず効果的に響くのです)。



R.シュトラウス:アルプス交響曲
ケンペ(ルドルフ)
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 演奏はケンペ/ドレスデン・シュターツカペレのものがバランスが取れていて好きです(R・シュトラウス自身が指揮した初演時の演奏もこのオーケストラ)。金管楽器がしょっちゅう爆音で咆哮しているような作品なのですが、木管楽器の音色がブ厚くて温かい。それでいて、テンポが引き締まっていて快活な印象を受けます。これ以上の演奏を私は知りません。っていうか、他の録音をヴェルザー=メスト/マーラー・ユーゲント管の(あんまり上手に聴こえない不思議な)ものしか聴いたことがない。





 また、長くなってきましたので、ここで再度休憩いたします。ここまでで6曲の交響曲を紹介してまいりましたが、残りの4曲は後半で一気に片付けます!





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