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Yes / Relayer

Relayer
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Yes
Elektra / Wea (2003-08-25)
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いまだ金曜日の夜にtdさんとの天狗ブチ上がりナイトでの話を反芻してほくそ笑みながら過ごす日々である。「天狗」といっても我々が天狗になって調子の良いことを言っていたわけではなく、居酒屋チェーンの天狗でブチ上がった、という話であって、なぜ、こんなにも「天狗」なのか、についてはこちらのエントリーを参照されたい。読めば貴方も必殺のサイコロ・ステーキをオーダーしに天狗へ向かいたくなるはずだ。そしてどなたか、仙台に天狗を再出店してください(その際、喜び勇んで新幹線で仙台に参ります)。

ところで、ダッシュボードに白いファーを装備しているワゴンRは都内周辺だとあまり見ないものなのか(車とあまり縁のない生活をしているからなのか、余計に見ないような気がする)。いわゆるヤンキー文化の象徴ともいえる車両だが、私も地元・福島では馴染み深いものだったため、なんというか「郊外文化の象徴」、「田舎文化の象徴」みたいな形で言葉として使っていたのであるが、tdさんは「それはウチのほうじゃ冗談じゃないから」とおっしゃられていた。詳しく聞けば、リア・ウィンドウのスモーク、シャネル・マークのカッティング・シート、アパートから出てくるのは上下グレーのスウェット姿・キティちゃんのサンダル姿の若いお母さん……それらのイメージの中心にダッシュボードに白いファーを装備しているワゴンRが鎮座ましますヤンキー文化の曼荼羅が脳裏に浮かび上がる。

驚いたのは、いまだに浜崎あゆみのあの「π」みたいなマークを貼付けている車がある、という話で、やはりその文化圏ではアユさんは根強いアイコンであるのだな、と感心してしまった。「文化圏」といえば、マイルドな言い方に聞こえるが、要は階層の話である。親から子どもに引き継がれるのは金銭的な財産だけではなく、教養や教育などの文化資本も同様であって、そんななかで格差は助長されるのだ〜、みたいな話をしていたのはブルデューだったはずだけれど、もうあまり覚えていない。そのアユさんのアイコンも曖昧な記憶のなかのブルデューの言葉を借りれば、その階層のなかで再生産され続けている、ということであろう。私が福島の地元にいた頃(およそ10年前)に見たものが、あり続けている、とは。その階層のなかで文化資本が独自の経済圏を築いているのでは……。

とか言っていると「そう言う人たちをバカにしているのでしょう」という風にすぐ怒られてしまうのだけれども、そういうつもりではなく、社会的なものをマジマジと見せつけられる瞬間に、自分が生きている社会というものを実感するからマジマジと見てしまう、という感じなので、他意はございません。

さて、引き続き回顧モードであるため、イエスの『リレイヤー』を聴いていた。74年に発表され、リック・ウェイクマンが脱退後、後釜としてバンドに加入したパトリック・モラーツが唯一参加したアルバムとして有名なアルバムであり、というか、そればかりが言及されるので音楽的な面はそんなに注目されていない可哀想な作品であると思う。いや、久しぶりに聴いてビックリしましたね。20分越えの超長曲 + 10分程度の長曲2曲という構成は『危機』に連なるものとしても、こんなに尖ったアルバムだったのか、と。

スティーヴ・ハウのギターなど、このバンドのディスコグラフィーのなかでも最高潮にアグレッシヴ、アナーキーでさえあり、まるで何かに焦っているようである。このひとつ前の『海洋地形学の物語』がLPで言うと1面1曲で4曲2枚組という恐竜的アルバムであり、プログレが急速にダメになる瞬間を捉えたものだったからなのか。パトリック・モラーツのキーボードのキレキレ感に煽られたものなのか。SE的に挿入されるシンセサイザーの音も、ズギャアアァァンとか、ドルドルドル……!とか、グォォオオオとかほとんど『バオー来訪者』の世界だ。リック・ウェイクマンの後任にはヴァンゲリスも候補にあったというけれど、ヴァンゲリスでは決してこんな感じにはならなかっただろう。逆にヴァンゲリスが加入していたら、その後のイエスがニューエイジ先取りのようになり、プログレ不遇の時代も乗り越えてしまって「ロンリーハート」も生まれなかったのでは……(ジャン! ドリロルロルン!)

回顧モードもイエスまで遡れば回顧しきった感がある。これより前は北欧のスピード・メタルとかボンジョヴィだとかになるのでこれ以降は黒歴史におけるロスト・マウンテンとしておきたい。手元にある『リレイヤー』のCDも通っていた塾の先生に借りたものな気がしてきた。

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