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Guinga / Roendopinho

Roendopinho
Roendopinho
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Guinga ギンガ

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昨日に引き続き、ギター音楽の新譜となるが今度はブラジルのミュージシャン、ギンガのギター・ソロ・アルバムを聴く。ミュージシャン兼歯科医、という異才(まあ、音楽会を振り返ればロシア五人組みたいに副業を持ちながら音楽史に名を刻んでいる人もいるわけだから珍しいわけでもないか。日本にも美狂乱のギターの人とかいるし)の47年に渡るキャリアで、これが初めてのギター・ソロ・アルバムなのだそう。ギンガの筆による楽曲もそれなりに聴いているハズだが、彼のアルバムを聴くのはこれが初めてである。

ネット上では日本語でまともにプロフィールも読めないので、英語版のWikipediaや本作のジャケットに印字された情報をざっくり訳しておく。1950年にリオ・デ・ジャネイロ郊外のMadureiraという町で生まれ、16歳から自作の作曲をはじめる(Wikipediaには14歳からとある)。歯科医として働く一方、ベッチ・カルヴァーリョやエリス・レジーナ、セルジオ・メンデス、シコ・ブアルキといった著名ミュージシャンとの共演を重ねる。1991年にイヴァン・リンスらの協力のもとファースト・アルバムをリリースした。今日ではジョビンやヴィラ=ロボスの伝統を継ぐ「現代で最も素晴らしく重要な作曲家」として評価されている……という。あのパスコアールも「あの野郎は100年に一人の逸材だ」と褒めやしているんだって。

ファーストが41歳というのだから、これは遅咲きなミュージシャンと言えるだろう。とはいえ、別に評価されてなかったわけではないのだから、歯科医やりながら、じっくり自分の音楽を醸成させていったという人なのだと思う。70年代から著名なサンビスタとの共演歴があるんだから、本気出せばすぐに天下取れたんじゃないか、とも思う。クラシック・ギターを本格的に学び始めたのも26歳からだから、のんびりした性格の人なのか、自分も「本気出せばいつでも天下取れる」と思っていたのか。

(ギンガが師事したJodacil Damascenoの動画はYoutubeでも観れる。当然ながら現在はおじいさんだ)

本作『Roendopinho』の話に戻ると、アルバム・タイトルは「roendo(噛む)」「pinho(松の木)」というふたつのポルトガル語の合成語からきている。これには、彼のじっくり、長いあいだやってきたキャリアを表す造語表現なんだとか。内容は、ホントにごくシンプルなもので、ギター以外はギンガ自身のスキャットか口笛しか聴こえてこない。これがまた素晴らしいんだな。もともとギター音楽って、音色や音量のせいか、親密な空気感がある。ちょうどシューベルトの音楽のように。彼が歌っていなくても、その内的な歌を聴き取ってしまいそうな、そんな具合である。

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