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レフ・トルストイ 『アンナ・カレーニナ』

年末年始にまとまった休暇をいただいたので、長い小説を。トルストイの言わずと知れた大クラシック、文庫本3巻で大体2000ページぐらいある大長編なんだけれども、凄まじく面白くて。トルストイ、すげー、と思った。解説によれば、ドストエフスキーやトーマス・マンも「完璧」、「非の打ちどころのない作品」と絶賛したという。わかる。長いんだけど、すげえ読ませるんだよ。不倫や事件、ロマンスの予感が仄めかされると、ちゃんとそのあとに、不倫や事件、ロマンスが起きる。「やだな、やだなー」、「怖いな、怖いなー」と読者をライク稲川淳二にさせるような仄めかし、煽りからの出来事(!)の繰り返しが次から次へと起きて、超面白い。 mstkさん(@mk_sekibang)が投稿した写真 - 2017 1月 3 5:32午前 PST 普段は、こんなメモを取ることないんだけども、あまりに面白くて、このブログを読んでくださってる方々、皆さんに本書を読破していただきたく人間関係をメモってみた。長いので序盤で諦める方いるかもしれないので、この図が役に立つと嬉しい。すげえいっぱい登場人物がでてきて、脇役も非常に愛らしいキャラが多いんだけれども、基本的なキャラクターは第1編に出てくる彼らだけ覚えておけば良ろしい。これプラス、アンナのダンナさんであるカレーニン(第2編から登場)。逆にさらに削るならば、薄く緑でマーカーを引いた、リョーヴィンとキチイ、アンナとヴロンスキーだけでも構わない。 わたしが素晴らしいな、と思ったのがさ、人間描写の巧みさ、細やかさと「悪人」が出てこないところで。この物語がはじまる一番最初のきっかけを作るオブロンスキーも、浮気はするは、大したことない役人のくせに身の丈に合わない散財を繰り返す困ったヤツなんだけれども、根は良いヤツで憎めないんだよね。アンナの夫、カレーニンでさえそう。出世と世間体にしか興味がなくて、愛を知らない冷徹な人物……として描かれて、半ば悪モノなんだけど、そういう正確になったのにも生まれ育ちの環境があって「んー、人にはなんか色々理由があるんだなあ……」みたいな同情を誘うの。 登場人物が敵味方に分かれて戦ってる、とかじゃなくて、一人一人が、みんな、それぞれの善意だったり、ポリシーがあって小説のなかで動いてて。ものすごい群像劇。それをざっくりとまとめる...

2016年に読んだ本を振り返る

毎年恒例の振り返りシリーズ。  山本義隆 『磁力と重力の発見』  中川純男(編) 『哲学の歴史〈第3巻〉神との対話: 中世 信仰と知の調和』  アレクサンドル・プーシキン 『エヴゲーニイ・オネーギン』  谷川健一 『青銅の神の足跡』  ロード・ダンセイニ 『最後の夢の物語』  菊地成孔 『レクイエムの名手: 菊地成孔追悼文集』  平山昇 『初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』  村上春樹 『女のいない男たち』  鈴木宣明 『図説 ローマ教皇』  梅原猛 『梅原猛著作集(4) 地獄の思想』  『集英社ギャラリー「世界の文学」(12) ドイツ3・中央・東欧・イタリア』  金井壽宏 『リーダーシップ入門』  ロベルト・ボラーニョ 『野生の探偵たち』  クリストフ・ポンセ 『ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット』  沼上幹 『組織デザイン』  ニッコロ・マキアヴェッリ 『君主論』  辻静雄 『フランス料理の手帖』  モーリス・メルロ=ポンティ 『眼と精神』  フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』  土井善晴 『おいしいもののまわり』  レイモン・オリヴェ 『フランス食卓史』  井筒俊彦 『『コーラン』を読む』  蓮實重彦 『映画狂人日記』  村上春樹 『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』  ヨハン・アモス・コメニウス 『世界図絵』  ミランダ・ジュライ 『いちばんここに似合う人』  原武史 『団地の空間政治学』  岸本佐知子 『なんらかの事情』   辻調理師専門学校(編) 『辻調が教えるおいしさの公式 洋菓子』   湯木貞一 『新版 吉兆味ばなし』   ギュスターヴ・フローベール 『ボヴァリー夫人』   田口卓臣 『怪物的思考: 近代思想の転覆者デ...

ステファン・グラビンスキ 『狂気の巡礼』

ポーランドの作家、というと、スタニスワフ・レム、ヴィトルド・ゴンブローヴィチ、そしてブルーノ・シュルツ、と一癖も二癖もある作家が思い出されるが、ステファン・グラビンスキもまた、その個性が記憶に名前が刻まれるタイプの作家だと思う。「ポーランド文学史上ほぼ唯一の恐怖小説作家」、「ポーランドのポー」、「ポーランドのラヴクラフト」と称される小説家の短編集を読んだ。 「恐怖小説」、といってもゾッとするようなスリルやホラーを感じるわけではない(この作家性に夢野久作を想起する読者もいると言う)。正直、そんなに怖くはない。けれども、どこか不気味であり、本書のタイトルにもあるような「狂気」をじんわりと感じさせる。 たとえば、この作家は、ある場所に怨念じみたもの、地縛霊じみたものが残っていて、それに主人公が影響を受けてヤバくなってしまう、という話をよく描いているのだが、それを単なるファンタジーや超常現象としてでなく、ある種の特殊な心理的作用として、まるで科学的に説明できるもののように説明しながら書いている。この描写がとてもネチネチしていて、危ない雰囲気を余計に煽る。 荒木飛呂彦とか諸星大二郎が描くモダンホラーに通ずる不気味さがあって良いし、あと本書は装丁もとても良い。正直、そこまで好きな作家ではないんだけれど、めちゃくちゃ雰囲気がある本に仕上がっていて、書店で見つけて「ああ、これは面白そうな本だな、買わなきゃいけないんじゃないか」という気持ちにさせられてしまった。

平本久美子 『やってはいけないデザイン』

デザインについて学んだことは一切なくても、センスが皆無でもホワイトカラーな会社員をやっているとチラシだの、資料だの「デザイン」をする機会は必ずやってくる。そんな機会に延々と上司にダメだしされたり、自分が作るものってなんかイケてないな……となんだりした人は多いと思う。わたしもその一人。本書は、素人がやりがちなイケてないデザインの事例をたくさんあげて「どうしたら良い感じになるのか」の知見を授けてくれる大変良い本。難しい理屈は一切なし、仕事の行き帰りでサクッと読めて、明日から「イケてないデザイン」を作れそうな気分にさせてくれる。 正直、インターネットでデザインに関して調べたらでてくるような話しか載ってない、とも言えるのだが、会社員は調べる時間を金で買うべき。会社のデスクにでもしまっておいて、困ったときに開けるようにしておきたい。「社会人1年目に読む本リスト」(そんなものがあるとしたら)のなかにも入れておきたい一冊だ。 これを読んでわたしもイケてるデザインの資料を作って女の子にモテたい! 「紺野さんの作る資料っていつもオシャレですよね!」と言われたい! けれども、会社員人生は複雑で、こういうのを読んでイケてるデザインのものを作っても、上司のセンスが壊滅的でせっかく作ったものをダサくするよう命じられることも多々あるのが悩みどころだ。

アルフレッド・ベスター 『虎よ、虎よ!』

SFのド古典。当ブログでなんども書いているとおり、SFというジャンルにあんまりハマれないわたしであるが本書は、さすがに「すげぇ本だなぁ……」と思った。ガンダムみたいな宇宙戦争時代に 『Watchmen』 をやっている感じ、というか。これが60年前の小説ですか……。

湯木貞一 『吉兆味ばなし 2』

高級日本料亭、吉兆の創始者、湯木貞一による語りを集めた本。『吉兆味ばなし』の1巻については 『新版 吉兆味ばなし』 という形で手に入りやすくなっているが、その続刊については新版が出ていない。「和食」が世界遺産になっているんだから「和食」を文化(そして芸術)にまで高めた第一人者による本ぐらい、もっと手に入りやすくなっていてしかるべきであろう……と難しい顔になってしまうぐらい良い本。季節ごとの食材について語り手があれこれ語る、その繰り返しで、春になれば筍だし、秋になれば松茸、と語ってることが毎年季節ごとに同じなんじゃないか、と思うのだけれども、その繰り返し、季節の循環が、和の時間感覚なのかも、とも思う。読んでいて、ああ、春が、夏が、秋が待ち遠しいなぁ、という気持ちにもなる。

ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール全評論・全発言I 1950-1967』

わたしはゴダールの良い鑑賞者ではないので(観てるけどほとんど内容を覚えていない)、この本の持ち主にはまったくふさわしくないのであるが、ブックオフで1000円で売っているのを見つけて思わず買ってしまった(2巻も同じ値段で売っていた。買った)。『カイエ・デュ・シネマ』に書かれたゴダールによる評論から、映画監督デビュー以降の文章(おもに自作に関するもの)をほとんど年代順に収めている。ゴダールが選んだ毎年のベストもはいっている(これきっかけで、昨日は早稲田松竹にサミュエル・フラーを観に行った)。あとまだ20代だったル・クレジオと全然噛み合ってない対談をしているのとかが面白い。「うわー、ゴダールってインテリだなぁ」と阿呆のような感想しかでてこないのだけれども、ゴダールが批評を書いてた時代って、インターネットなんかないじゃないですか。そういう時代に、こういう文章が書かれた意味、読まれた意味について思いを馳せたくなる。

ジークフリート・クラカウアー 『天国と地獄: ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ』

ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』 で言及されていた本。オッフェンバックの生涯と当時の音楽文化と政治、そして19世紀末のパリ(を中心としたヨーロッパの都市)の都市の様相を扱った多面的な文化史。時代的には、7月王政、2月革命、第2帝政、第3共和制の頃の話なんだけれども、わりと退屈な本、と思ってしまった(ベンヤミンにどの部分を引用されていたのかも覚えていないのだが、引用で触れたときのほうが面白そう! って思う)。まだ駆け出しの頃のオッフェンバックが、パリのあちこちで開かれてた金持ちのサロン・パーティーにチェロをもって顔を売りに行っていた、だとか、革命で金持ちがパリから逃げてしまって商売がなりたたなくなった、だとかの小ネタ的な部分や、ベンヤミンに通じる当時のパリの消費文化についての記述は面白いのだが。

池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』

日本人の作家がマジック・リアリズムの「独裁者小説」(アストリアスの 『大統領閣下』 や、ガルシア=マルケスの 『族長の秋』 のような)を、ラテン・アメリカのまるパクりでなく、日本人が書く必然性をもって書くとするならば、これが理想形なのかも、と思う。太平洋に浮かぶ小さな島国、ナビダード民主共和国の独裁者、マシアス・ギリの立身出世譚と、ナビダード共和国が近代国家として成立するまでの歴史、そして神話、伝説。様々なストーリーが渾然一体となって、大きな物語を形づくっている。大変スケールが大きい小説、まぁ、若干、最後の方尻窄みがあって(この尻窄み感、なにかに似ているな、と思って思い出したのが古川日出男の 『聖家族』 )傑作になり損ねている感じはあるのだが、とても面白かった。何と言っても、登場人物が、結構普通の人たち揃いというか。ほら、ガルシア=マルケスの小説なんかはっきり言って異常者ばっかりでてきて、それがストーリーを引っ張っていくじゃないですか。その過剰さがマジック・リアリズムの魅力でもあるんだけれど、マシアス・ギリを取り巻く人間たちは、主人公のマシアス・ギリを含めて、普通に理解可能な人物として描かれているように思われて。その人間臭さがなんとも良いし、普通なのに、魔術的な色合いを持たせているところに作者のテクニックを感じさせるのだった。これは文体の妙、とも言える。池澤夏樹、上手いなぁ……。

ミーシャ・アスター 『第三帝国のオーケストラ: ベルリン・フィルとナチスの影』

ナチス・ドイツ時代のベルリン・フィルがなにをやっていたか、を資料をもとにまとめた本(クラシック音楽に明るくない人向けに補足するならば、ベルリン・フィルは世界、いや地球最高峰の演奏家を集めたクラシック界の銀河系軍団みたいなオーケストラ)。「困難な時代にフルトヴェングラーは何を追い求めていたのか」と帯にはある。この手の本て、強権的な政治権力に芸術家が自由を求めてどんなふうに戦ったのか、的なストーリーを思い浮かべてしまうんだけれど、本書はさにあらず。 フルトヴェングラーはナチス政権と時折対立して、ベルリン・フィルの監督的立ち位置を降りたりするものの、決別、というまでには至らず、結構持ちつ持たれつみたいな関係性を維持していたことが書かれている。芸術家が清廉潔白でさ、悪には反抗する、みたいな、今でいうと原発には反対しなきゃいけねぇ、みたいな、そういうアティテュードがあるじゃん、芸術家、それとは違う、言ってしまえば、彼らも仕事でやってたんだな、と思わなくもない部分がある。っていうか、芸術家の働く環境がどんどん悪くなって、自由も制限されてるのに、権力闘争とかしてたりして、なんかダーティーな感じ。大御所すぎて困ったちゃんになっていたフルトヴェングラーの影響力をなんとかしようとカラヤンが呼ばれた、とか、さ。 まぁ、ぶっちゃけ、そんなに面白い本ではない。ナチスがベルリン・フィルを利用して国のイキフンを盛り上げたり、ユダヤ人の演奏家を排斥したりした、という事実は広く知られているし、そこまで目新しいような驚きがあるわけではないと思う。新ウィーン楽派を黙殺していた、みたいな話は、ほとんど当たり前すぎるのか、本書の中では触れられもしない。 個人的に面白かったのは、フルトヴェングラーが「もう俺、ベルリン・フィルの指揮者やらねぇ!」と啖呵を切ったあとに、ナチス政権におもねって、今ではほとんど名前が知られてない三流指揮者みたいなヤツがでてきて、ポスト・フルトヴェングラーの座に居座るんだけれども、あまりに実力が足らなすぎて、一瞬で追い出される……、みたいな記述であった。 あと、アーベントロートや、ヨッフム、ベーム、シューリヒト(そしてカラヤンも)といった著名な指揮者が、ナチスによるユダヤ人指揮者の排斥によって、ドイツで仕事が増えた、という記述も面白い。言ってしまえば、ナチスがクレンペ...

3枚のアルバムについて

すっかり音楽ブログとしては休眠している当ブログだが、最近発表された3枚のアルバムについて言及しておきたい。まずは松尾潔をして 「降参です!」 と言わしめた Bruno Mars の新譜「24 K Magic」について。新譜はもう Apple Music で良いや、と思っていたけれど、これはアナログで買った。先行で公開された表題作のPVがまず最高で。 冒頭、響き渡る Roger Troutman の亡霊的に響き渡るロボ声から名作の予感がビンビンし、昨年のメガヒット曲 「Uptown Funk」 の路線上にあるキャッチーなシングル曲という感じなのだが、歌詞の空っぽさ、どチャラさがまた最高。最近、Apple Music で手軽に歌詞が表示できるようになったため、こうして「なにを歌っているのか」をチェックしているのだが、Bruno Mars にはなんというか、空っぽ、という中身しかない。 表題作なんか「俺は金持ってるゼ、おチンチンがおっ立つようなチャンネーが群がってくるんだゼ」とか歌ってるし。こんなに空っぽで良いのかな、と。表題作だけではない。「マンハッタンにマンションを買ったんだ」で始まったり、ヴェルサーチのドレスを脱がして……みたいな「背中まで45分」(井上陽水)かよ、みたいな歌詞が満載で、はっきり言って、この軽さ、にみんなあきれ返ってしまうのではないか、と思う。 ただ、悔しいながら、Bruno Mars の歌唱力、そしてこのプロデュース力には脱帽で、知能ゼロに近い軽さでありながら、極度に陽性のサウンドの魔力に屈服してしまう。80年代・90年代のブラック・コンテポラリー・ミュージックを収奪している、だけ、とも言えるのだけれど、そこに一切のダサさ、カッコ悪さがないのが異常。アルバム後半に収録された「Finesse」など、今が本当に21世紀なのかを疑わせるほど、正真正銘のニュー・ジャック・スウィングであるのに、まったく古さを感じさせずカッコ良い。その印象には、モダンな分厚い音圧のサウンド作りも一役買っている。 内省を一切感じさせないような Bruno Mars に対して、The Weekend はメソメソとしているのが対照的であった。サウンドは流行りのテクニカル・ターム「アンビエントR&B」というか、EDM化されたR&B路線を前作から...

角山栄 『茶の世界史: 緑茶の文化と紅茶の世界』

経済史の先生が書いた茶をめぐる経済史の本。アジアからヨーロッパに輸出される商品としてのお茶がどのように受容され、その貿易によって輸出元の国にはどんな変化が起きたのか。双方向から結構詳しく描かれている。インドや中国といった茶大国に対して、近代化を進める日本はどんな風に勝負しようとしたか、とかそのあたりは面白い。緑茶を広めようとしたら、みんな砂糖だのミルクだのをいれて飲もうとしちゃって、全然広まらず、由々しき事態だと思った岡倉天心がその頃 『茶の本』 を書いた、とかある。この本、後世には名著として残ったけど、リアルタイムではそんなに反響がなくて……だとか、クール・ジャパン大失敗の先駆者みたいだと思った。が、全体としては割合退屈な部類に入る本だと思う。あくまで「経済史」なんですね。文化的な側面を掘り下げるものではないし、これで「世界史」を名乗るのはちょっとな……。悪い本ではないんだけど。

ダニエーレ・タマーレ 『サプール ザ ジェントルメン オブ バコンゴ』

昨年、NHKのドキュメンタリー番組で一挙に有名になったコンゴの「傾奇者」たちを写した写真集。働いて稼いだ給与を一生懸命貯めて、超一流ブランドのスーツをエレガントに着こなすサプールたちの、良い感じの顔が収められている。とてもカッコ良い。カッコ良いから近所の人からも大人気で、サプールの男性に握手を求める子供たちの姿なんかも写っている。そういうコミュニケーション、人との繋がりってないよな、って思う。日本で、こういう人が近所にいたら、みんな訝しく思って終わりじゃないですか。堂々とカッコつけてるのが素晴らしいな、って。 求めやすい価格ではあるんだが、値段は倍になっても良いのでもっと大きな版で見たい気もする。

レコードプレイヤーを部屋において

Masatake Konnoさん(@mk_sekibang)が投稿した写真 - 2016 11月 25 7:07午後 PST ちょっと前に父親から44年前に発売されたSL-1200の初代モデルを譲り受けて、レコードで音楽を聴くようになった。これが結構楽しくて。Apple Music以降すっかり大人しくなっていた「音楽に金を使う」欲望が爆発してしまっている。タイミングを見つけて中古レコード屋に足を運び「これ、CDで持ってなかったな」とか「これはちょっとレコードで聴いてみたいな」とか「よくわかんないけど面白そうだな、100円だし買うか」みたいなレコードを選ぶ。気がつくと持って帰るのに苦労するほどのレコードの山を抱えていることになるのだが、レジでお金を払うと、とてもスッキリする自分がいる。ああ、これだ、音楽に金を使う、消費する楽しさってこれだよ、と思う。 レコードだと音楽の聴き方も変わって。なんか前よりも真面目に音楽を聴くようになった気がする。アナログレコードは、片面が終わったらひっくり返さなきゃいけないし、ホコリはくっつくし、いろいろ面倒なことも多いのだが「聴き流す」みたいなことがない。めんどくささが、音楽への集中を生むような感じなのかな。「レコードを再生する準備」という儀式(ちなみにSL-1200の初代はクォーツ・シンセサイザーがついてないので、勝手に回転数があったりしない。また、44年も前の機械なので回転数がユレたり、安定しなかったりする)によって、集中的聴取の態度が導かれる、というか。 レコードが再生されると、CDのときだってほとんど読まなかったライナーノーツを読んだりして。レコードのあの大きさが、そういう気持ちにさせている部分も多いと思う。 あと、音質なんですけども。レコードのほうがCDよりも記録できる周波数帯が広い(から、レコードのほうが音が良い)という話のは知ってはいたもののの「ホントかな、最近のデジタルリマスターでやたらと音が太くなってる音源の方が、レコードより良いんじゃないの?」とか思ってたんです。で、やっぱり、細かい音とか小さい音とかは、CDのほうがはっきり聴こえるんだよね。アナログだとそういう細部は、ひとつの「音のまとまり」のなかに収まっている感じして。でも、それが自然な感じだし、まとまってるからこそ、音が迫力あるよ...

佐藤亜紀 『小説のストラテジー』

小説家、佐藤亜紀が大学でおこなった講義を元にした小説の読み方・書き方について論ずる本。わかりやすい・易しい文章ではないし、皮肉めいた文体や物言いが著者が批判的に評価している蓮實重彦を思い起こさせるのだが、こういうものを若いうちに読んでおくと小説がより「読める」ようになるハズ、と思った。熱心に読んだら、頭良さそうな感じで、批評めいた感想のひとつやふたつ、ひねり出せるようになりそう。理論的な探求や整合性じゃなくて、著者の経験則から積み上げられてきた体験ベースの読解方法が記されている。

ルイ・パストゥール 『ビールの研究』

以前に紹介した 『ビール世界史紀行』(大名著) で言及されていた。「近代細菌学の祖」として知られるルイ・パストゥールが19世紀末に書いたビールの醸造法に関する研究書。わたしもたぶんこういうのを読むのは初めてなんじゃないか、と思うんだけれど、ゴリゴリの理系論文って感じで一般人向けの読み物として読める部分はあんまり多くないのだが、科学史的な視点で読み込むととても面白い。自分の説に反論をかましてきた研究者に対する再反論や、筆者自らがおこなった実験の手続きなどが、かなり詳細に書かれており「当時の科学ってこんな風におこなわれていたのね」ということがわかる。 パストゥールはここで、ビールやワインを製造プロセスにおいて、大麦や葡萄から自然発生的に発酵がおこなわれるという説を退け、大麦や葡萄とは別な酵母菌の働きによっておこなわれるのだ、と主張している。これが本書のメインテーマのひとつ。あとは当時伝統的な職人の勘や、職人の間で伝えられてきたナレッジによって製造されてきた酒造プロセスを改善するためのアイデアを提案している(純粋な酵母菌を使うと、変な雑菌が増えないので良いよ、と)。 職人のナレッジに、近代的な科学の手法でメスをいれていく部分が結構面白くて。というのも、パストゥールの記述から19世紀末にイギリスやフランスでどんな風にビールが飲まれてきたか、作られてきたか、がうかがい知れるのだ。たとえばこんな記述。「ビールの売価と製造原価に大差があるのは、大量のビールを廃棄せざるを得ない事態が常にもたらす損失を、おぎなうためにほかならない」。当時のビール職人たちは、雑菌によってビールが変な味になってしまうリスクを常に抱えていたのだな、ということがここからわかる。ビールが今よりも「ありがたいもの」だった時代と、現代の差異に面白さを感じる。 そうした現代と過去の時代との差異ばかりでなく「これって今と同じじゃん」という部分もあって。たとえば、パストゥールは「(みんな知ってると思うけど)暑い時に飲むビールって旨いよね」とか書いている。そういう感覚は今も昔も変わらないんだ、と思うとまた面白いのだった。

メビウス 『エデナの世界』

『アンカル』 は復刊されているのだが、こちらの『エデナの世界』はまだ絶版みたい。メビウスのスピリチュアルSF漫画。かなり終わり方が投げっぱなしジャーマン的なのだが、ストーリーがウダウダしていない分、『アンカル』よりも好きかも。巻末に夏目房之介と浦沢直樹の対談がついていて、マンガとBDの比較論みたいな話があって面白かった。

西寺郷太 『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』

昨年の 『プリンス論』 とあわせて西寺郷太の単著を読むのは2冊目(『プリンス論』が出た頃は、プリンスも生きていたんだなぁ……)。著者のマイケル・ジャクソン研究をまとめた大傑作。ミュージシャン視点の評価であり、出生から亡くなるまでの50年間をMJ愛盛りだくさんな感じで語りまくっている。Jackson 5(Jacksons)時代のプレ「King of Pop」期でも言うべき時期にかなりページを割いていて、世間の大部分の人がイメージする「マイケル・ジャクソン」にどうやってなったのかのプロセスがわかる。もはや語り尽くされた業績、たとえば、MTV時代の口火を切った、とか、黒人音楽と白人音楽の融合を……とかがいかにすごかったのか、みたいなところに焦点が当たってるんじゃなくて、マイケルが置かれた環境や人間関係の星座のなかで、中心にいるマイケルがより輝くような作り。ホントになんかショウビズの世界でボロボロになりながら、素晴らしい作品を作っていったんだな、と思うと感動するし、晩年の記述はかなり泣けた。 しかし、文庫版のジャケットダサいな……。 単行本のほうがずっと良い。

本橋成一 『築地魚河岸ひとの町』

いま日本中でもっとも注目を浴びている「町」であろう、築地。この場所を80年代から撮り続けていた写真家の作品集。この市場で働く人々、その周辺で暮らす人々の姿が全編白黒で撮影されている。白黒写真、というせいもあって、まるで時代がよくわからない。かろうじて写り込んでいる車のデザインや、おそらくは市場の関係者ではない人のファッションから、それが過去の写真であることがわかる。ただ「市場の人々」の格好は「市場の人ってこういう感じだよな」という印象とほとんどブレなくて。だから、なにかこの町が、流行や時代から隔絶された異界じみた空間として、保存されてきたのではないか、という感想が浮かんだ。日常からもっとも近くにある異界、というか、そういう特殊な空間性を切り取ったすごく良い写真集。 一つだけ文句をいうのであれば、見開きで載せてる写真が多いので、ノドの部分が気になって……。