スキップしてメイン コンテンツに移動

ピンチョン『メイスン&ディクスン』を読むためのヒント/メモ #3






 とりあえず上巻を読み終える。上巻の途中からようやくアメリカ篇のはじまるんだけれど、イギリスからアメリカにいく船旅にはとくになんもない(アフリカから戻ってきて、メイスン&ディクスン線を引く仕事をやるのかやらないのか2人がそれぞれの家族と話し合ったりするところでちょっと色々ある)。アメリカに渡ったあとのメイスン&ディクスン、上巻ではまだ面倒くさい話が本格的に出てきたわけではないのだが、なんかゴチャゴチャしてきそうなところで下巻へ……となった。ルイーゼの夫ペーター・レートツィンガーは臨死体験の末、神がかり的な人物となってしまい、なんか超能力まで身につけてしまった。そして彼女は、弁護士を雇うためにフィラデルフィアを目指し、その途中で物語の語り手であるチェリコーク牧師と出会う。ルイーゼは自分の農場を隣人に騙し取られそうになっており弁護士が必要だった。一方、チェリコークはメイスン&ディクスンの観測団専属の牧師になるために旅を続ける。メイスン、ディクスン、チェリコーク牧師、ルイーゼ。登場人物たちは無事一堂にに会するが、その場所となった宿屋でかつてフランス一の料理人として活躍した男、アルマンは華々しいキャリアを捨て、どうして自分がこのアメリカの荒野に流れ着いたのかについて語りだす……それはフランス人科学者ヴォーカンソンが開発した、機械仕掛けの人造鴨が理由だった。愛を知った人造鴨に追い回されるアルマンが生活できる場所は、もはや新大陸しか残っていなかったのである……と上巻の終盤を軽く要約するだけで、異常なあらすじが描けるのだから、おもしろくないわけがない。いやあ、下巻が楽しみだ。





 『メイスン&ディクスン』のなかでピンチョンは、現代の文化や出来事を予言めいた様子で描く箇所を設けている。本日はこの点についてメモしておきたい。たとえば上記の「人格を身につけてしまった人造鴨」の誕生はこのように描かれる。「官能に繋がる機構が付加されたことによって、鴨が遂に自己複雑性の閾値を超え、爆発的変化の引金が引かれて、不活発なる無生物の状態から、自立へと、力へと動き出したのでは?(P.531)」。これなどオートポイエーシス論を想起させる記述だ。ハッタリ、あるいは悪ふざけ的な意味しかないと思うし(これによって18世紀のなかに現代のアメリカが浮かび上がる……としたら、読み手のほうがすごい想像力だと思う)、そもそも人造鴨からして時代考証を一切無視したオーバー・テクノロジーなのだが面白い。ピンチョンは百科全書的な知が埋め込もうとしている、などといえば格好がつくのだろうか? ただし、せっかくディドロなどが大系化した知識をピンチョンは物語のカオスのなかにポンポン突っ込んでしまうのだが……しかし、ディドロもスターン・リスペクトな『運命論者ジャックとその主人』の作者なわけだから、ある意味で間違ってはいない。



知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか (ちくま学芸文庫)
ウンベルト マトゥラーナ フランシスコ バレーラ
筑摩書房
売り上げランキング: 126290




運命論者ジャックとその主人
ドニ ディドロ
白水社
売り上げランキング: 288732



 他にもバタフライ効果だの、メビウスの輪だの、ロック・ミュージックだのをピンチョンは予言する。予言とは逆に歴史の捏造もお盛んで、イエズス会の宣教師がディクスンの地元、ダラム州にてイギリス初のピザを作るシーンなどがバカバカしくて最高だと思った。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か