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大友良英+高田漣/BOW



[ototoy] 特集: DSD配信開始! 大友良英+高田漣


 大友良英と高田漣という個性的なミュージシャンが共演した音源がOTOTOYという音楽配信サイトで販売されています。こちらは『サウンド&レコーディング・マガジン』とのコラボレーション企画だそうで、DSD方式で録音された音源、というのがひとつのトピックとなっています(シリーズ化されていて現時点で第四弾まで出ている模様)。「DSD? それって普通のCDとはどうちがうの?」という点に関しての詳細は各自ググッていただくとして、CDやDVDの記録方式と比べるとサンプリング周波数が圧倒的な密度になっているから、なんかスゴいらしいぞ! という風に覚えておくと「これはスゴいんだ!」というありがたい気持ちになるかと思います。しかし、我が家ではDSDの再生機器がありませんので、DSDデータに同梱されているMP3で聴くしかない……という。これは誠に残念なことでありますが、PS3でも再生できるそうですのでどなたか感想を聴かせてください。ちなみに普通のCD(44.1kHz)よりも高密度でマスタリングされたWAV形式(48kHz)での配信もあるそうです。価格はどちらも1000円。あくまで「レコーディング企画」ということで、時間をかけて作られたフルアルバムにあるようなしゃちほこばった感じはないのですが、購入して損はしない商品だと思います。





 収録されているのはインスト曲が3曲と、高田漣と大友良英がそれぞれヴォーカルを取った歌モノが2曲。これが大友良英のヴォーカル録音が流通する初の試み、というのがまた注目すべき点でしょう。高田漣の声質に、彼の父親の存在が精霊じみたものみたいに影を落としていることを確認でき、その「血の強さ」も感動的なのですが、大友のヴォーカルにもものすごい魅力がある。こんな秘密兵器を隠し持っていたのか、このギタリストは……! と驚かされました。失礼ながらテクニックがあるわけではない。でも、丁寧に言葉が音が紡がれる。そこにはなにか親密な温度がこめられる。そこがとても良い。何度か聴いていて、この歌声と彼のアコースティック・ギターによるソロの魅力にはなにか通ずるものあるように思われました。10年ぐらい前に『ギター・マガジン』でジョージ・ハリスンの追悼企画がされていて、そこに誰かが「ジョージのスライドのヴィブラートは、ヴォーカルのヴィブラートと同じ」と書いていたこともそのとき思い出しました。インスト曲では「街の灯」とタイトル曲となっている「BOW」で、EBow(電気の力でエレキ・ギターの弦を振動させ、持続音を生み出す機器)が大きくフューチャーされており、気持ちが穏やかになるようなアンビエンスを展開。メランコリーとアンニュイのあいまをふらふらしながら、暗い部屋で気持ちを沈潜させていきたくなるような音世界です。





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