Wheelock's Latin 7th Edition (The Wheelock's Latin Series)posted with amazlet at 11.07.06Richard A. LafleurCollins Reference
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ラテン語のテキストを読むスピードがあまりにも遅いので、ラテン語文法再入門して基礎体力をつけよう!……ということでアメリカの大学などで使用されているラテン語文法の教科書『Wheelock's Latin』を読み始めています。言語はもちろん英語。しかしかなり平易な英語で書かれているため、読んでると自分がものすごく英語が得意になったのではないか!? という錯覚を抱いてしまいそうになります。《定番》であるだけに説明はわかりやすく、自然に頭へと入っていく感じ。そのあたりは日本語-ラテン語間の距離と、英語-ラテン語間の距離の違いに起因するものなのかもしれませんけれど。講談社現代新書の『はじめてのラテン語』はこの教科書をかなり参考にしているのでは、とも思いました。最近、第7版が発売され、私が使っているのも最新版です。
テキストの読み方としては、文法用語などを日本語に訳してしまわずに、英語のままで理解しようとすること。すると日本語で思考するOS的な部分がだんだん英語仕様に洗い替えられるような感覚があります。英語のほうがラテン語関係の教材も豊富なわけですから(買っても安い!)、ラテン語は英語で勉強したほうが効率が良いことは明らかです。まあ、これはラテン語に限らず、ヨーロッパの諸言語は英語で勉強したほうが良いのでしょう。最近ちょっとポルトガル語とスペイン語とフランス語にも興味がでてきたのですが、次に何か別な言語をやるとしたら最初から英語で勉強を始めると思います。
英語 → ラテン語 → 別なラテン系言語……というフローはある意味、最強かも。ヨーロッパの言語の系譜図をひも解けば、英語はアングロサクソン語とラテン語とフランス語の影響を受けて、ちょっと変な進化の仕方をしているらしいのですが、そうしたガラパゴス言語から一旦、大きな源流であるラテン語へと回帰し、再度、ラテン語直系の言語へと進んだら……間違いなく学習スピードに違いがでてくる気が。遠回りに見えて、実はものすごい効率の良い道筋な気が!!(まだ、試してないけどなんか勝ち誇った気分)
昨日書いたエントリ に「クラシック・コンサートのマナーは厳しすぎる。」というブクマコメントをいただいた。私はこれに「そうは思わない」という返信をした。コンサートで音楽を聴いているときに傍でガサゴソやられるのは、映画を見ているときに目の前を何度も素通りされるのと同じぐらい鑑賞する対象物からの集中を妨げるものだ(誰だってそんなの嫌でしょう)、と思ってそんなことも書いた。 「やっぱり厳しいか」と思い直したのは、それから5分ぐらい経ってからである。当然のようにジャズのライヴハウスではビール飲みながら音楽を聴いているのに、どうしてクラシックではそこまで厳格さを求めてしまうのだろう。自分の心が狭いのは分かっているけれど、その「当然の感覚」ってなんなのだろう――何故、クラシックだけ特別なのか。 これには第一に環境の問題があるように思う。とくに東京のクラシックのホールは大きすぎるのかもしれない。客席数で言えば、NHKホールが3000人超、東京文化会館が2300人超、サントリーホール、東京芸術劇場はどちらも2000人ぐらい。東京の郊外にあるパンテノン多摩でさえ、1400人を超える。どこも半分座席が埋まるだけで500人以上人が集まってしまう。これだけの多くの人が集まれば、いろんな人がくるのは当たり前である(人が多ければ多いほど、話は複雑である)。私を含む一部のハードコアなクラシック・ファンが、これら多くの人を相手に厳格なマナーの遵守を求めるのは確かに不等な気もする。だからと言って雑音が許されるものとは感じない、それだけに「泣き寝入りするしかないのか?」と思う。 もちろんクラシック音楽の音量も一つの要因だろう。クラシックは、PAを通して音を大きくしていないアコースティックな音楽である。オーケストラであっても、それほど音は大きく聴こえないのだ。リヒャルト・シュトラウスやマーラーといった大規模なオーケストラが咆哮するような作品でもない限り、客席での会話はひそひそ声であっても、周囲に聴こえてしまう。逆にライヴハウスではどこでも大概PAを通している音楽が演奏される(っていうのも不思議な話だけれど)。音はライヴが終わったら耳が遠くなるぐらい大きな音である。そんな音響のなかではビールを飲もうがおしゃべりしようがそこまで問題にはならない。 もう一つ、クラシック音楽の厳しさを生む原因にあげら...
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