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最近聴いてるブラジル音楽




Fina Estampa
Fina Estampa
posted with amazlet at 11.12.08
Caetano Veloso Caetano Veloso
Polygram Records (1994-10-11)
売り上げランキング: 70935



いろいろ本業などがアレな感じであり、最近は週に一度のディスクユニオン新宿ラテン・ブラジル館通いもままならない感じであるのだが、そうはいってもタイミングを見計らって中古盤屋にCDを買いにいったりしているわけで。そこで気がついたのは、ブラジルモノのメジャーな名盤は新宿よりも、渋谷ジャズ&レア・グルーヴ館(どうよ、このネーミング)のほうが安い、という事実であって、もちろんものによるんでしょうけれど、カエターノ・ヴェローゾの2作目のアルバム『Alegria, Alegria』(新宿だと2500円ぐらいする!)が900円で買えてしまうのだから、笑いが止まらないですよ、ゲヘへ。ただ、ふと気がつくのは初期カエターノは実は個人的にいまいちピンとこずに、この時期のトロピカリアであったらジルベルト・ジルのほうが好きだったり、カエターノの曲を歌ってるムタンチスのほうが良いな、と思ってたりする。





結局、私が好きなカエターノって80年代末からアート・リンゼイをプロデュースに迎え、音はモダンなピカピカした音に、声は艶っぽくとにかくエロく、しかしまったく媚びずにひたすらカッコ良く、完全にエロジジイ感全開で活動している頃のアルバムなのですね。『Alegria, Alegria』と一緒に買った『Fina Estampa(邦題:粋な男)』もそうした路線上にいるアルバムで、自叙伝的、と言いましょうか、カエターノ御大が影響を受けた楽曲をカヴァーした内容となっている。これがまた艶やかでねえ……。今のカエターノは一旦ちょっと枯れて、枯れながらもオルタナに向かうところが驚異的なんですけれど、当時52歳で明らかに一番脂が乗っているオーラを醸し出しているのですよね。これはちょっとクラシカルな年の取り方だと思う。






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まさに粋な男っ! って感じですね。このイキフンが好きならば以下の3作はマストバイ。このうち2枚は確実に新宿ラテン・ブラジル館に在庫があると思うので週末に新宿にダッシュだ!



Estrangeiro
Estrangeiro
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Caetano Veloso
Universal Import (2000-06-12)
売り上げランキング: 421869




Circulado
Circulado
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Caetano Veloso
Universal Brazil (2003-09-30)
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Livro
Livro
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Caetano Veloso
Nonesuch (1999-06-01)
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カフェ・ブラジル
カフェ・ブラジル
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エポカ・ヂ・オウロ ジョアン・ボスコ アデミルデ・フォンセカ マリーザ・モンチ パウリーニョ・ダ・ヴィオラ マルティーニョ・ダ・ヴィラ レイラ・ピニェイロ
ワーナーミュージック・ジャパン (2001-07-25)
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で、先日もご紹介しましたショーロのコンピレーション・アルバム『Cafe Brasil』(どうよ、このタイトル!)も素晴らしいコンピレーションでありまして、ショーロ畑のアーティスト以外にもブラジルの有名ミュージシャンが参加しているのでどの曲聴いても「だんじゃ!?(福島弁で『誰だ!?』の意)」と虚空に向かって問いたくなるんですよね。そのなかでも特にマルチーニョ・ダ・ヴィラという歌手の声に惹かれました。現在、1938年生まれ、現在73歳で「サンバの巨人」と呼ばれる大歌手だそうです。『Cafe Brasil』では非常に哀愁を漂わせた歌声を聴かせてくれるのですが、1974年の『Canta Canta, Minha Gente(邦題:サンバを歌おう)』ではものすごい良い塩梅の、底抜けに楽しい音楽が展開され、思わず顔がほころびます。この人、70年代にサンバ復興に火をつけたキー・パーソンなんだって。これを聴くとボッサとサンバの連続性が見えてきたりしてちょっと面白い。



Canta Canta Minha Gente
Canta Canta Minha Gente
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Martinho Da Vila
Bmg Int'l (2004-07-20)
売り上げランキング: 1143367







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Music Typewriter
Music Typewriter
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Moreno + 2
Luaka Bop (2005-06-28)
売り上げランキング: 170701



あと先日来日していたモレーノ・ヴェローゾ(カエターノの息子)のアルバムも聴いていました。来日ライヴは予定が合わず観られませんでしたが、カエターノの素晴らしい遺伝子がモレーノの声帯に宿っていることが実感できるアルバムです。顔はあんまり似てないんだけれども。ただの2世タレントではないですし、近年のカエターノの若返り戦略には確実に息子の影響があるんだなあ、と思いました。来年の頭にでるガル・コスタのアルバムでは、親子で共同プロデュースしているそうですから、お年玉の使い道はもう決まった、と言って良いでしょう。






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