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山田俊弘 『「ゲオコスモス」―キルヒャーの地下世界論』

昨日も言及した立教大学で開催されたシンポジウム『人知の営みを歴史に記す 中世・初期近代インテレクチュアル・ヒストリーの挑戦』には二日目の最後の発表の聴講と、レセプションだけ参加できました。レセプション会場では、ニコラウス・ステノの『プロドロムス』の翻訳者である山田俊弘さんからご連絡先をいただきまして、博士論文『17世紀西欧地球論の発生と展開―ニコラウス・ステノの業績を中心として―』の一部、第7章の『「ゲオコスモス」―キルヒャーの地下世界論』を送っていただきました(ありがとうございます)。

このアタナシウス・キルヒャーについてはこのブログでも何度か言及していますが、17世紀をほぼまるまる生きた「遅れてきたルネサンス人」という大変興味深い人物です。山田さんの論文では、彼のバイオグラフィーと地球論に関連する業績について整理されています。奇しくも今秋、キルヒャーの『普遍音楽』の邦訳が刊行される予定だそうですが、日本語文献でここまでコンパクトにキルヒャーの足取りが掴めるものは他にないのでは。とても面白かったです。先行研究への言及はこの特異な人物に対する良き案内となるかと。

この博士論文のなかでキルヒャーが取り上げられているのは、メインのテーマであるステノの地球論に多大な影響を与えているのではないか、という見立てによるものです。キルヒャーの地球論では「ジオコスモス」という説明原理が採用されています。これはミクロコスモスとマクロコスモスの万物照応が変奏されたものであり、「人体内の血液循環と地球内の水循環が類比的に把握」するものだそうです。ステノはこの説明に対しては批判的でしたが、一方でひとつのネタ元にもしているのだ、ということが論文のなかでは指摘されていました。論文ではキルヒャーの業績のうち『磁石』から物質の生成論について読み解かれます。その後に全12巻におよぶ大著『地下世界』の内容を見ていくことによって、キルヒャーの地球論が、形成力(事物の種子が内包している、さまざまなものを形作る能力。アリストテレス主義的な考え)が磁気という形で作用し、地球の鉱物や地形を形作っている、という体系で説明されたものであることが見通されているように思われました。

この形成力の考えは、とてもマジックワード的な説明原理であり、あまりになんでもありだったため批判の対象にあがりますが、坂本邦暢 『アリストテレスを救え 16世紀のスコラ学とスカリゲルの改革』平井浩「ルネサンスの種子の理論 中世哲学と近代科学をつなぐミッシング・リンク」の内容も思い出され、とても興味深く読めます。キルヒャーはこの力による説明を鉱物だけではなく、有機体にも応用していきます。生命の運動と、地球の運動が同じ原理で説明されるところには、ガイア理論の先駆けか! というロマンを感じなくもありません。なお、キルヒャーの著作については、Google ブックにいろいろとスキャンがアップロードされています。図版だけでもかなり面白い人物ですので、是非とも「Athanasius Kircher」で検索してみてください。

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