Lilith & The Freestyle Moli〓re/NEZMI 12月 01, 2008 id:itukoさんに頂いた音声ファイルで曲を作ろうと思ったのですが、上手くいかなかったので適当にギターを弾いて曲っぽくしてみました(フリー・フォークってこういうのだよなぁ……聴いたことないけど……と思いながら)。そして、思いついたバンド名をつけてこうしてアップロードしてしまいます*1。実はこの曲、「かなり気持ち悪いダブ・バージョン」も作ったのですが、さすがに気分を害されそうなのでそちらは自粛します。*1:なんたるジャイアニズム! 共有 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ ラベル 音楽 共有 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント msk金曜日, 05 12月, 2008ども、こんにちは。この前のやつなんですが、読み返すと全然伝わらないですね。感覚的に書きすぎ。そして主部と述部の関係が不明瞭すぎ。相すみません。要するに一番最初のとこは、スピノザとアドルノじゃ出発点が違うんじゃないかと思ったのです。ソクラテスなども含め、ニーチェ以前の哲人って宗教に立脚してる人が多いし、その点から違うんじゃないかと。あと、「記譜する時点でそれ用に構築する」というのは確かにそうなのですが、スコアという観点で音楽を創る場合でない限り、やはり楽譜は「不完全な伝達・記録手段」ではないのかなと。だって、ヴェンのスコアって指揮者から見ると破綻してる(そのままでは演奏できない)とか言いますよね。まあ、これはヴェンが大バッハほど楽器に精通していなかったとか、そういうところなんでしょうが、楽譜っていうのは、やはり伝承のための共通言語であり、数学でいうところの数字・式・記号なのではないかなと。と、書いていて論理(ですらない)の飛躍に気づいたのですが、その辺は勘弁していただくとして、ルネサンス~バロック期の楽譜は即興で演奏されることを前提として書かれていた、というのを聞いたことがあります。思うに、これはやはり楽譜が「指標としての保存手段」として始まったことを示しているのではないでしょうか?もちろん、その後様々な音楽家が出現したことにより、楽譜の意味も多様化してきたとは思いますが、ソムリエが「麝香の香り」と言うのと同じで、あれはやはり伝達用の言語ではないかと思ったのです。あと、アドルノ観についての件は、「ロマンチシズム」と「ナイーブさ」の混同が問題なのでは?ロマンチシズムって、一概には言えないけどヒロイックな幻想への憧れが付きまといますよね(大袈裟な例でヴェルテルとか)。その点で言うとナイーブというのは単に繊細であるということですし、それを一緒くたにする方がおかしい。アドルノはナイーブかもしれませんが、ロマンチシズムという安易さは常に否定している。そこを分けない識者が多すぎる。まあ、こういうのって単なる言葉遊びなのかもしれませんが。つうかロジカルさのかけらもない感覚的な話ばかりですみません。こういう話は論文ヘタな人間が文章でウダウダ言うものじゃないですね…。というワケでその辺の話は置いといて、この曲ってVoの進行とギターのコードがズレてませんか…?確かにドノヴァンっぽいような気もするし…それがフリーフォークなのかしらん(この定義、自分もよくわかりません)。返信削除返信返信ituko日曜日, 11 3月, 2012きもちわるいほうも機会があったら聞かせてちょ たぶんきもちわるくないから返信削除返信返信コメントを追加もっと読み込む... コメントを投稿
ども、こんにちは。
返信削除この前のやつなんですが、読み返すと全然伝わらないですね。
感覚的に書きすぎ。そして主部と述部の関係が不明瞭すぎ。相すみません。
要するに一番最初のとこは、スピノザとアドルノじゃ出発点が違うんじゃないかと思ったのです。
ソクラテスなども含め、ニーチェ以前の哲人って宗教に立脚してる人が多いし、その点から違うんじゃないかと。
あと、「記譜する時点でそれ用に構築する」というのは確かにそうなのですが、
スコアという観点で音楽を創る場合でない限り、やはり楽譜は「不完全な伝達・記録手段」ではないのかなと。
だって、ヴェンのスコアって指揮者から見ると破綻してる(そのままでは演奏できない)とか言いますよね。
まあ、これはヴェンが大バッハほど楽器に精通していなかったとか、そういうところなんでしょうが、
楽譜っていうのは、やはり伝承のための共通言語であり、数学でいうところの数字・式・記号なのではないかなと。
と、書いていて論理(ですらない)の飛躍に気づいたのですが、その辺は勘弁していただくとして、
ルネサンス~バロック期の楽譜は即興で演奏されることを前提として書かれていた、というのを聞いたことがあります。
思うに、これはやはり楽譜が「指標としての保存手段」として始まったことを示しているのではないでしょうか?
もちろん、その後様々な音楽家が出現したことにより、楽譜の意味も多様化してきたとは思いますが、
ソムリエが「麝香の香り」と言うのと同じで、あれはやはり伝達用の言語ではないかと思ったのです。
あと、アドルノ観についての件は、「ロマンチシズム」と「ナイーブさ」の混同が問題なのでは?
ロマンチシズムって、一概には言えないけどヒロイックな幻想への憧れが付きまといますよね(大袈裟な例でヴェルテルとか)。
その点で言うとナイーブというのは単に繊細であるということですし、それを一緒くたにする方がおかしい。
アドルノはナイーブかもしれませんが、ロマンチシズムという安易さは常に否定している。そこを分けない識者が多すぎる。
まあ、こういうのって単なる言葉遊びなのかもしれませんが。
つうかロジカルさのかけらもない感覚的な話ばかりですみません。
こういう話は論文ヘタな人間が文章でウダウダ言うものじゃないですね…。
というワケでその辺の話は置いといて、この曲ってVoの進行とギターのコードがズレてませんか…?
確かにドノヴァンっぽいような気もするし…それがフリーフォークなのかしらん(この定義、自分もよくわかりません)。
きもちわるいほうも機会があったら聞かせてちょ たぶんきもちわるくないから
返信削除