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村上春樹『約束された場所で――underground 2』




約束された場所で―underground 2 (文春文庫)
村上 春樹
文芸春秋
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 村上春樹の(インタビュー時点で“元”を含む)オウム信者へのインタビュー集を再読*1。ページを開いた瞬間に「ああ、やっぱり面白いな……これは一晩で読んでしまいそうだな……」という予感があったのだが、明け方まで起きて読みきってしまった。とても強く心が惹かれる本である、と言うのも、この本に収録された信者の言葉に大きな共感を持って読めてしまうからだ。インタビューに答えている人たちの多くは、当時(1998年)30代前後で私とは世代がまったく違う、にも関わらず、彼らが入信前に抱いていた漠然とした世界に対する不安感/不信感などはとてもよく理解できる。正確に言うと、ほとんど自分の経験として受け止めることができる。だから、心が惹かれるのだ。こういった世界に対するネガティヴな反応の仕方(とくになんの出来事もないのにも関わらず、世界を憎悪する)は、ある程度普遍的なものなのかもしれない。時代/世代的なものではない。私(1985年生まれ)は90年代のちょうど半分を十代の時間として過ごしたけれども、1995年生まれでもうすぐ終わろうとしているゼロ年代の半分を十代の時間として過ごしている人にも、いるのだろう、と何の根拠もなしに推測してしまう。要はそういったネガティヴな感覚をどのようにして解消していくのか、が時代によって違う、というだけの話なのだろう。この本に登場するインタビュイーにとっては、それがたまたまオウム真理教という団体だった。私の場合は、社会学という学問だった(と思う)。私より10歳下の中学生だって、そのうちなにかを見つけたり、見つけられないまま死んでしまったりするのだろう。そうであるならば「なぜ彼らは世界を憎悪するのか」を問うのではなく、「どのように世界に対するネガティヴな感覚を解消するのか」を問うほうが重要に思えてくる。




 おそらく先日再読した大澤真幸の本*2もまた「オウムはどのように世界に対する憎悪を解消したのか」という問題の分析を試みた本としても読める。そこでは、自らの意思を尊師である麻原彰晃に全面的に預けることによって、問題の解消を図ろうとした、というようなことが書かれている(だが、それゆえに地下鉄サリン事件のような事件に至ってしまった、という分析へと以上は繋がっていく)。一方、この『約束された場所で』はまた違った事実を我々に教えてくれる。インタビュイーのなかには、明らかに麻原への不信感が元から存在していた、にも関わらず、オウムの出家信者として“現世”から離れてしまった人物が何人も登場している。彼らの多くが、世界をネガティヴに思うあまり精神、だけでなく体調も悪化させてしまっているのだが、オウム真理教が教えたヨーガなどでそれらの体調悪化が直ってしまったからオウムへと入信した、というようなことを語っている。麻原はどうかと思うが「へえっ、これはすごいんだ」だから入ろう、と。このような入信動機を「世界への不信と、救済願望」と、(新宗教で見られるような)「現世利益」とで区別することができるだろうか。どちらも救われる、という意味では区別ができず、またその意思や実践は麻原彰晃とはまったく関係のないところで動いているようにも思う。



癒されることを求めた彼らが、なぜ「サリン事件」という救いのない無差別殺人に行き着いたのか。



 これはこの本(私が持っているのは文庫版だ)の裏表紙に書かれた文句だが、実際のところ、このインタビュー集でそのような問題について探求される箇所は一切ない。しかし、著者が「やっぱり教義に問題があったのではないか」という意見を出している箇所はある(この点は大澤と同様であろう)。だが、この本を読みながら思うのは狭義云々の問題ではなく「そういう世界に対して不信感を抱いた人たちがたくさん集まったら、世界に対して戦争をしかけるのも当然じゃないか?」ということである。だが、重要であるのは、それがやれるか、やれないか、という問題だ(私にはできない)。大澤はそれを「自らの意思を尊師である麻原彰晃に全面的に預けること」と分析している。しかし、やれ、と師事した麻原彰晃はそのときどうなるのだろうか。彼もまた世界からの疎外を感じながら生きてきた人物であろう。だが、彼がそこから抜け出して作った教団は次第に嫌ったはずの世界を模しはじめる(官僚主義的な組織体制のほかにも、功徳を積まなければ位が上がらないなどは学校的システムそのものだ)。地獄だと思って逃げ込んだ先がまた地獄だった、そんな状況ではなかったろうか。





 これとは別に、今回再読したときには「今、この人たちは40代なんだよな……この人たちは今何をしているんだろう、何を思っているんだろう」という風にも思った。




*1:一度目に読んで考えていたことはこちらに記してある


*2大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』 - 「石版!」





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