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菊地成孔・大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』(上)




M/D 上---マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究 (河出文庫)
菊地 成孔 大谷 能生
河出書房新社
売り上げランキング: 8705



菊地・大谷のコンビによる「擬史としてのジャズ研究」シリーズのうち、最もハードコアな内容を持ちながら、高価でマッシヴなヴォリュームのせいかなかなか読まれずに出版社が倒産……という憂き目にあっていたという『M/D』が文庫化。上巻はマイルスの誕生から、第二期黄金クインテットの末期ぐらいまでを音楽理論、服飾文化論、精神分析、音楽産業論などから分野横断的に語りまくったモノとなっています。





なかでも特筆すべきはマイルスによる楽曲「Solar」のリディアン・クロマティック・コンセプトと、ラング・メソッド(いずれもポスト・パークリー・メソッド的な音楽理論)による楽曲分析の併置でしょう。ここはかなり専門的な内容で、ほとんど意味がわからないのですが(三度の音が……とか超基本的な楽典の部分はかろうじて)ひとつの楽曲からほとんど別物の語りが生まれてくる、という事実が目のあたりにできるわけで、「楽理に基づいた音楽批評」の可能性、というか、さまざまなあり方を見ることができるのが面白いと思いました。「聴取感」をどのような術語に落とし込んでいるのか、について確認していくだけでもかなり興味深いのですね。『憂鬱と官能を教えた学校』や『東京大学のアルバート・アイラー』などではかなりカルトっぽい扱いをされているリディアン・クロマティック・コンセプトも、各スケールが《引力》をもっていて、それによって音の《遠さ》や《近さ》が決まってくる、みたいな説明のところは、身体的にしっくり来てしまうのかもしれない、と思います。





文庫化にあたってボーナストラックは中山康樹との鼎談が収録されていて、10年でのマイルス研究の進展とその要因、またマイルスにとってヒップ・ホップとはなんだったか、などが語られています。この部分も面白かったです。とくに晶文社や『スイングジャーナル』の消滅が、マイルス研究、ひいてはジャズ批評を活発化した、というのはなるほど! という点です。「サラリーマンが趣味でジャズを聴いてコーヒー飲みながら『スイングジャーナル』を読むと、自分の想定内の教養のなかでわかりやすく考察がなされていて○×がついていて安心してジャッジできるという批評のあり方(菊地)」の消滅によって「いろんな窓が開いた(中山)」という、この表現。素晴らしいと思いました。菊地による表現は文化を享受する人たちの、ホモソーシャルというかほとんど自己言及的なあり方すべてに当てはめることのできる絶妙なカリカチュアと言えましょう。





読みながら、あ、これも聴いてない、あれも持ってない、と気がつかされ「うわ、俺全然マイルス聴いてないじゃん(ファンのつもりでいたのに!)。買わなきゃ、聴かなきゃ!」とレコード店に駆け込みたくなりますね。下巻も楽しみです。





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