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井筒俊彦全集(第1巻)『アラビア哲学 1935年-1948年』

アラビア哲学 一九三五年 ― 一九四八年 (井筒俊彦全集 第一巻)
井筒 俊彦 木下 雄介
慶應義塾大学出版会
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今年(2014年)は井筒俊彦の生誕100年にあたり、没後20年だった昨年から全集の刊行がはじまったり、特集のムックが出たりしている。いよいよ、井筒再評価か……(なにしろ、自分の勤め先の上司が件のムックを買ったぐらいである)というタイミングでわたしもようやく積んで置いた全集の1巻目に手をつけた次第(『井筒全集、買わねば〜』と3巻まで一挙に注文していたんだが、箱から出してすらいなかった)。井筒の最晩年に中央公論社から全11巻の著作集がでているが、今回の全集は英文著作と翻訳をのぞくすべての著作を年代順に収録したコンプリート・エディションとも言えよう。そんなことも読みはじめてから知ったのだが……。

第1巻は1935年〜1948年の著作を収録(他の巻と重複する著作もある関係で、一部のみ収録しているものもある)。戦前の20歳のときのデビュー作が詩だったことにも驚いたが、戦時中の井筒の研究が社会的に求められていたことを示す記述も「歴史」を感じさせるものだ。1943年に書かれたアラビア語に関する文章にはこうある。「既に我が国と密接なる関係に入ったインドネシアには6000万の回教徒が、マライ半島には200万、タイには49万、仏印には30万、満州には50万、支那には1500万の教徒が居ることを考えなければならぬ。此れ等の人々と深く接触し、或は之を正しく指導するためには、回教なるものを根底から理解しなければならないのである」。現代に井筒のような天才が生きていたら、天才過ぎて「実用的な人材」とは見なされないかもしれない。しかし、こういう天才が国益に関与する者として生きていた時代があったことを物語る貴重な記述のように思った。

とはいえ、イスラーム教徒たちとコンタクトし、指導するための手がかりのように綴られたハズの著作が、果たして役に立っていたのかどうかは不明である。難解な文章を書いていたわけではないけれども(井筒の文章はいつもわかりやすい)、スーフィズムが云々、アッバース朝の翻訳文化が云々、といった思想史的記述を辿っても、あんまり実用的ではなかったんじゃないか。初心者にいきなり精髄を飲み込ませようとして、大失敗、みたいなところはあったのでは、と勘ぐってしまう。ただ、井筒のイスラーム概論は今読んでも「えっ、そうなの(あ、でもそうか)」みたいな記述に溢れていて大変勉強になった。

たとえば1942年の「東印度に於ける回教法制(概説)」で井筒は「イスラームの人ってクルアーンに書いてあることを絶対守るんでしょ?」という今も一般的に流布していそうなステレオタイプを「いや、違うんだ。イスラーム教においてクルアーンが絶対だったのは、初期のほんの一時期だけで、クルアーンは矛盾もたくさんあるし、漠然とし過ぎてるんで、法学者たちによる法律のほうが支配的なんだ」というようなことを書いている。もちろんクルアーンが聖なる書物であることは否定されていないけれど、普通に読んでいて「そうなんだ……」と思う。

「解題」に掲載された1948年の井筒のプロフィールには、1938年に慶應の助手になって1942年に研究員兼外国語講師になった、とある。ギリシア語、ヘブライ語、アラビア語其他を担当していたらしいが(其他ってなんだ!)、イスラーム研究と平行してロシア文学も教えていた、とか最初期から天才っぷりが炸裂。デビュー当初から井筒は井筒だったんだな、と思った。それは哲学史観にも言えて、この人の哲学って結局のところは「啓示」と「理性」による弁証法的歴史観だったのでは、と思った。そのへんは『存在の大いなる連鎖』におけるラヴジョイの哲学史にも通じている。

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