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「ブラジル音楽 = ボサノヴァ」から一歩進みたい人のためのアルバム・リスト

FIFAワールドカップブラジル大会にあわせて、ブラジル音楽のカタログを持っているレコード会社が1000円(+消費税)で過去の大名盤を再発しまくっている。たまには人の役に立つブログ記事も書こうと思って、今回はユニバーサルの「ブラジル1000」企画から「『ブラジル音楽 = ボサノヴァ』から一歩進みたい人のためのアルバム・リスト」を作成してみよう。なお、ボサノヴァから一歩進むために、当然のごとく、ボサノヴァ(= 乱暴に『クルーナー唱法で歌われるアコースティックなサンバ』と定義します)はリストにいれません。

プレヴィザォン・ド・テンポ
マルコス・ヴァーリ
ユニバーサル ミュージック (2014-06-11)
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まずは、マルコス・ヴァリの『Previsão de Tempo』を。ボサノヴァ第2世代として世に出たミュージシャンの1973年の作品。本作は後にブラジリアン・フュージョン・バンドとしてヒットを飛ばすAzymuthがバック・バンドを努めており、ブラジル音楽とアメリカ音楽の見事なクロスオーヴァーを堪能できる。同年にヴァリがプロデュースしたジョアン・ドナートのアルバム『Quem é quem』とともに、エレピを大フィーチャーしたメロウなポップ・アルバムとして金字塔的な一枚。

アフリカ・ブラジル
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ジョルジ・ベン
ユニバーサル ミュージック (2014-06-11)
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ジョルジ・ベン(現在はジョルジ・ベンジョール名義。今月来日予定)も元々はボサノヴァ歌手としてデビューしたミュージシャン。セルジオ・メンデスのカヴァーが日本では有名な「Mas Que Nada」を作曲したのもこの人だ。その後はサンバとロック、ファンクを融合した「サンバ・ホッキ(samba rock)」というジャンルの立役者となる。1976年の『África Brasil』はそのサンバ・ホッキの大名盤。もうタイトルから雰囲気がにじみ出てしまっているが伝説の錬金術師を取り上げた「Hermes Trimegisto Escreveu」などマジカルな一枚だ。激熱。

リーヴロ
リーヴロ
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カエターノ・ヴェローゾ
ユニバーサル ミュージック (2014-06-11)
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ブラジルの音楽界で最も色っぽい男と言えば、この人、カエターノ・ヴェローゾ。60年代に起こったMPB(Música Popular Brasileira。要するにブラジルのポップスのこと)で最も重要なムーヴメント「トロピカリア」の中心人物のひとりであり、海外の流行音楽を積極的にブラジル音楽に吸収しよう、というこのムーヴメントがなければ、MPBも大きく様相を異にしていたであろう。つまり最強にセクシーだし、最強に重要人物。『Livro』は最高傑作にあげられることの多い1997年の作品(個人的にカエターノは最新作が常に最高傑作、だと思っているけれど)。全体的にしっとりとまとまっている印象だが、めちゃくちゃ雑多、という矛盾を孕んでいるところに「カエターノはずっとトロピカリア」と思う。

モンド・ミュージカル VOL.1
バーデン・パウエル
ユニバーサル ミュージック (2014-06-11)
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「ボサノヴァ界を代表するギタリスト」として紹介されることの多い、バーデン・パウエルだがそのスゴさは「ボサノヴァ」という狭い枠で括るにはもったいない。ブラジルから生まれた素晴らしいギター音楽のひとつとして聴かれるべきだろう。1964年の『Le Monde Musical de Baden Powell』はフランスで録音された作品。ポール・モーリア・オーケストラが伴奏をしており、ちょっと演出がロマンティック過ぎる箇所があるけれど、グッとこないわけがない。速いパッセージばかりに耳がいってしまいそうだけれど、右手の指先からサウダージが出ているんじゃないかと。

以上、とくに「こういうムーヴメントがあって……」など体系的に紹介するわけではなく「ボサノヴァ」を避けながら4枚選んでみた(結果的に、最後のバーデン・パウエル以外は『ドトールで流れていなさそうなブラジル音楽』になっている気がする)。ブラジル音楽はあまりに豊かすぎるため、とてもひとつのエントリーには収まらないのでこのあたりでやめておこう(今回とりあげたアルバム群も、ブラジル音楽のほんのごく一部だ)。さらに深く掘り下げるためには、ウィリー・ヲゥーパー氏による著作が最も良い手引きであり道しるべとなるだろう。とくに『リアル・ブラジル音楽』は音楽だけではない、ブラジルの文化や地方による違いなども分かる良書。この一冊の知識だけで、ワールドカップも見方が変わります。

リアル・ブラジル音楽
リアル・ブラジル音楽
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Willie Whopper
ヤマハミュージックメディア
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(感想エントリー)
ボサノヴァの真実: その知られざるエピソード
ウィリー ヲゥーパー
彩流社
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(感想エントリー)

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