「眼と精神」は、芸術論でありながら、感覚・意識・身体論なのだろう。画家がどのように世界を捉えるのか、絵画とはどういう性格を持つものなのかが論じられているんだが、普通の人が考えるような視覚のモデルが逆転的に扱われている。普通の人は、視覚というものを目からイメージが入ってきて、意識のスクリーンに投影されるようなモデルで理解していると思う。しかし、メルロ=ポンティは画家が絵を描くときに、意識が描くものを取りにいって、その結果としてのアウトプットが絵になっている、的な感じで考えている……あってるかどうかわからんが、そういう感じで読んだ。哲学の言葉で書かれているからスーッと読んでしまうと、ただ目が文字の上をすべっていくだけになってしまうのだが、立ち止まりながら読むと、感覚的に「たしかに世界の見え方ってそういう風に記述できるかもなぁ」と腑に落ちる部分があり、面白い読書だった。もう少し読んでみるかとも思う。
「眼と精神」は、芸術論でありながら、感覚・意識・身体論なのだろう。画家がどのように世界を捉えるのか、絵画とはどういう性格を持つものなのかが論じられているんだが、普通の人が考えるような視覚のモデルが逆転的に扱われている。普通の人は、視覚というものを目からイメージが入ってきて、意識のスクリーンに投影されるようなモデルで理解していると思う。しかし、メルロ=ポンティは画家が絵を描くときに、意識が描くものを取りにいって、その結果としてのアウトプットが絵になっている、的な感じで考えている……あってるかどうかわからんが、そういう感じで読んだ。哲学の言葉で書かれているからスーッと読んでしまうと、ただ目が文字の上をすべっていくだけになってしまうのだが、立ち止まりながら読むと、感覚的に「たしかに世界の見え方ってそういう風に記述できるかもなぁ」と腑に落ちる部分があり、面白い読書だった。もう少し読んでみるかとも思う。
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