スキップしてメイン コンテンツに移動

Youtubeで聴く!20世紀のヴァイオリン協奏曲2




D


 20世紀におけるロマンティックな音楽といえば、イギリスの作曲家たちも忘れてはいけません。近代に入ってエドワード・エルガーが現れるまでイギリスには目だった作曲家が存在しなかったのですが(バロック期以前には良い曲を書いている人が結構いる)、その後、エルガーの影響を受けた作曲家たちが活躍をしています。ウィリアム・ウォルトンもエルガー以降の作曲家の一人。こちらは彼のヴァイオリン協奏曲(第3楽章)。ダイナミックかつドラマティックな展開がカッコ良い。



シベリウス & ウォルトン: ヴァイオリン協奏曲
諏訪内晶子 ウォルトン シベリウス オラモ(サカリ) バーミンガム市交響楽団
ユニバーサルミュージック (2002/09/21)
売り上げランキング: 2506



 録音はチャイコフスキー・コンクールの覇者、諏訪内晶子のものが好演。美しい音色で、端正に音楽を作り上げるのがこの演奏家の特徴ですが、ここでも彼女の持ち味が生きているように思います。劇的な音楽のうねりが綺麗にまとまってしまっていることに物足りなさを感じるかもしれません。紹介した映像で弾いているチョン・キョンファとはまるで正反対のように思います。



D


 さて、次はイーゴリ・ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲(第1楽章)です。ストラヴィンスキーといえば、バレエ音楽《春の祭典》で従来の西洋音楽におけるリズム語法を解体するというスキャンダルを巻き起こしたことが有名ですが、その後、新古典主義と呼ばれる作風になってからの作品も素晴らしい。この協奏曲もその時代のものですが、全楽章が同じフレーズで始まるという「悪ふざけ感」がとても楽しいです。



Stravinsky, Prokofiev: Violin Concertos
Sergey Prokofiev Igor Stravinsky Daniel Barenboim Chicago Symphony Orchestra Itzhak Perlman
Teldec (1997/03/21)
売り上げランキング: 20000



 これはイツァーク・パールマンの演奏がとても面白い。この時期のストラヴィンスキー作品はほとんど「音楽の冗談」みたいな曲が多く、深刻さはまったくない。その一方で、音楽はとても巧妙に作られていて、まるでモーツァルトが20世紀に甦ったかのような遊戯性を感じます。ここにパールマンの天才的な音楽性(まったく重みがない!)が絶妙にマッチしている。ヒラリー・ハーンの演奏も素晴らしいのですが、これはちょっとシリアスに捉えすぎのような気もします。紹介した動画(チャイコフスキー・コンクールでのシン・ヒョンスの演奏)もかなり良いですね。



D


 次は、ポーランドのクシシェトフ・ペンデレツキのヴァイオリン協奏曲第2番(第1楽章)。ペンデレツキは1960年代にトーン・クラスター(音程が微妙にずれあって高密度な不協和音の集合を、音の塊として操作する技法)によって一躍前衛音楽の寵児となった作曲家ですが、その後、転向。それまでの前衛的な技法と、ネオ・ロマン的な音楽の融和点を探るような作風へと変わっていきます。アンネ=ゾフィー・ムターのために書かれたこの作品もその時期のもの。残念ながら、これが亜流のショスタコーヴィチみたいにしか聴こえないのが悲しい。前衛の迷走を示すものとして、この作品は聴かれてしかるべきかもしれません(ちゃんとムターはこの作品を録音しているのが偉い)。



D


 最後はアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲です。前衛もまたひとつのロマン主義であったことを告げる名曲。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か