日渡早紀『ぼくの地球を守って』を読了。この漫画については小学生の夏休みにほとんど毎年BSアニメ劇場でアニメが放送されていた記憶があるが、毎年プールやセミ捕りで忙しいために、第1話しか見られないという事態が続き、結局10年以上「クソ生意気なガキに噛みかけのガムを食べさせられる漫画」以外の印象しかもっていなかった。その後、大澤真幸の本などでこの作品が巻き起こした「前世ブーム」を知ることとなり、今日になってようやく作品の全貌を知ることができたわけだが、正直、直前に萩尾望都を読んでいたこともあり「そこまで反響を呼ぶほどの作品なのだろうか……」と首をかしげる結果となってしまった。いや、明らかに比べる対象が悪いのだが(逆に言えば『萩尾望都ってすげぇんだな……』と大変勉強になった)、話としては割合凡庸な気もするし、何より物語が進むにつれて、徐々に辻褄があわなくなっていく部分に対して作者が「辻褄があわないけれど、どちらが正しいのかは読者にお任せします」という弁明を挿入しているところが変に気に障ってしまう。ほかにも『聖闘士星矢』や『哭きの竜』のパロディといった読み手と作り手の共犯関係が築かれるような部分がイチイチおたく的な感性の表れとして読めてしまう。こういった内輪ウケを求めるような表現は、作品の評価とはまったく別な部分で(というかまったく評価できないのだが)興味深く思う。1987年から連載が始まったこの作品には、ニューエージや新興宗教といったカルチャー以上に、こういった時代的なノリが反映されているのではないだろうか、と思わなくも無い。
テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...
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