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Antonio Loureiro/Antonio Loureiro

Antonio Loureiro(MySpace) 先日タワレコで猛プッシュされていたので知ったアントニオ・ロウレイロというブラジルのミュージシャンが良いです(新譜ではなく2010年のアルバムの再入荷として取り上げられていました)。Amazonで取り扱いがなかったり(※ 現在はあるみたい 『Antonio Loureio』 )、アーティスト自身のTwitter *1 のフォロワー数が異様に少なかったり、MySpaceではアルバムの全曲が聴けたり、タワレコでCDを買うと3000円ぐらいするのにディスクユニオンだと2100円で買えたり、 海外の音源配信サイト だと400円弱で音源がダウンロードできたり……と謎が多い人ですが、ピアノやギター、マリンバやヴァイブラフォンなど様々な楽器を操り、自らもヴォーカルを取るマルチ・プレーヤーで、かつ、まだ25歳という恐ろしい人物であります。日本でもすでに一部で大変話題になっているようで、カエターノ・ヴェローゾと比較されたりもしているのですが、個人的にはSavath & Savalas(Prefuse73の変名ユニット)が一番近いように思われました。しかし、アントニオ・ロウレイロの場合は、ギレルモ・スコット・ヘレンよりクラヴジャズへと接近し、フランク・ザッパのような変態コードワーク&奇形リズムを取り入れ、かつコルトレーン(あるいはマグマ)みたいになっている瞬間もあったりして、とにかくありえない感じ……なんだけれど、音作りのスムースさがそうした過剰な変態性を覆い隠してしまうのだから尚更すごい。変態なのだが、ロハス。チャラそうなのに、深い。このアンビヴァレンスをなるべく多くの人に体感していただきたいと思います。っつーか、こんだけのクオリティなのにMySpaceの楽曲再生数とかが少なすぎるんだよ……! いくらインディーズとはいえ、人に聴かせる気がないんじゃないか、という控えめ具合。こんな才能がポロッとでてきしまう今のブラジルは一体どうなっているのでしょうか。おこづかいがいくらあってもたりないよ!! *1 : antoniomusica

Thurston Moore/Demolished Thoughts

Demolished Thoughts posted with amazlet at 11.05.28 Thurston Moore Matador Records (2011-05-24) 売り上げランキング: 316 Amazon.co.jp で詳細を見る ナイジェル・ゴッドリッチのプロデュース作品以降、ベックに対するイメージはドリーミーな音作りのなかで歌うポップなアーティスト、といったものとなり、オルタナティヴ・ロックとの距離は遠く感じられるのですが、その活動の初期には攻撃的な音楽にも取り組んでいて、かなり古いテレビ映像だったと思いますけれどYoutubeではベックとサーストン・ムーアがひたすら奇怪なノイズ・インプロヴィゼーションを展開する映像が観れたハズです。サーストン・ムーアの3枚目のソロ・アルバムをベックがプロデュースしている、というのは意外なように思われて、実はそうではない、のですね。 それで出来上がったモノは、今のベックがサーストン・ムーアをプロデュースしてできた音楽以外の何モノでもない。ベックのプロデュース・ワークには昨年のシャルロット・ゲンズブールのアルバム *1 のときに「これは何ジェル・ゴッドリッチだ?」という印象がありましたが、本作ではそこまでベタベタのフワフワに音を作り込んでいません。ただやはり、ああ、これはベックっぽいな、という柔らかい音の作り方であって、大変リラックスできる音です。自然体サウンド、とでも言えましょうか。そこに時折ストリングスが織り込まれたりして、音の色合いはユラユラと変化していく。ギターはずっとアコースティック・ギターが使われていて、ソニック・ユースでのソリッドな攻撃性とは印象が全く違っています。しかし、エレキからアコギに持ち替えてもサーストン・ムーアはサーストン・ムーアであって、そこに偉大なギタリスト感があります。リズムを刻むような細かいストローク一小節だけを抜き出したって「どう考えてもサーストン」と分かる。ギターの音に彼の名前が刻印されちゃっているわけです。 最高に決まっているだろう、こんなモノ! *1 : シャルロット・ゲンズブール/IRM - 「石版!」

荒木飛呂彦 『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』

岸辺露伴 ルーヴルへ行く (愛蔵版コミックス) posted with amazlet at 11.05.27 荒木 飛呂彦 集英社 Amazon.co.jp で詳細を見る 荒木飛呂彦の絵がフランスのルーヴル美術館に展示された企画で制作された漫画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の日本語版が登場。いや~、これはやはり素晴らしいのではないでしょうか。荒木飛呂彦初のフルカラーコミックスということですが、印刷された紙質や大きなサイズは普段コミックスでばかり触れてしまう荒木飛呂彦の絵の魅力を違った形で提示しているように思われます。大きいことは良いことだ、と言ったのは作曲家の山本直純ですが、そうした価値観を直ちに受け入れたくなるような出来。17インチのテレビデオを、56インチのフルハイビジョンに買い換えたようにド迫力で絵が迫ってきます。ストーリーは、ルーヴルの地下を舞台にしたミステリー・ホラー(ちょっとコルタサルの短編小説にありそうな)で、その核心部分についてはやや大味なモノとなっているのにも関わらず、痺れるような魅力を放ちまくっているのは端的に絵が上手い、というだけではなく、コマの見せ方や動きの上手さといった漫画技術の巧みさの現れでしょう。濃密な時間の流れ方をする短編、という言い方が適切かもしれません。特にパリに着いた露伴先生が絵葉書を選んでいて、振り返ると(ここでページめくり)ルーヴルがドーン! 変なポーズ、ギャーン! という流れは最高過ぎて死ねます。大河ドラマ的な連載漫画も素晴らしいのですが、荒木先生にはもっと短編も描いてもらいたいなあ~、と改めて感じるのでした。短編を描く荒木飛呂彦と、連載を描く荒木飛呂彦とでふたりいれば良いのに。あとは愛蔵版コミックスのサイズで、ジョジョが出ないかな~、と思いました。大きなサイズで良い紙質で第五部を読み直したい。

矢作俊彦 『スズキさんの休息と遍歴 または、かくも誇らかなるドーシーボーの騎行』

スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 (新潮文庫) posted with amazlet at 11.05.26 矢作 俊彦 新潮社 売り上げランキング: 309265 Amazon.co.jp で詳細を見る Twitterで以前、 id:kokorosha さんが「ストーリーは平凡だけれども、描写がとんでもない小説はない?」といった趣旨のつぶやかれていましたが、矢作俊彦の『スズキさんの休息と遍歴』がそうしたタイプの小説にあたるのかもしれません。全共闘世代の「闘争からの20年後」を描いた本作は、その多岐に渡るキャリアの初期に漫画家としても活動していた矢作の才能を活かすように描写の代わりとなるイラストがいくつも挿入されたり、また映画や小説のワンシーンから引用された比喩表現など、小説の枠組みを逸脱した作品となっています。タイトルからも推し量れるとおり、ストーリーは『ドン・キホーテ』から本歌取りされたもので作中でも『ドン・キホーテ』はマクガフィン的に取り扱われ、いわば、コラージュ性が高い小説です。しかしそれは「前衛」を目指したものではないのでしょう。むしろ、そうした手法や前衛を嘲笑するためにあえてその手法が採用されているように思われるのですが、人を食ったようなその態度はまったく馬鹿にできないどころか「この人、やっぱり上手すぎる」と唸らざるを得ない洗練を感じさせるのでした。どこかから借りてきたものだけで出来上がっている小説、と言っても過言ではない。出会う人物どころか、自分の子どもに対しても左翼の口調で語りかける主人公の元・左翼闘士のセリフ回しにしても、あまりにも典型的な左翼口調であって既製品感が漂う。そして、その既製品感はこの作品が刊行された1990年という《時代》と呼応しているように思われました(自分がその時代をリアルタイムで味わっていたわけではありませんけれど)。革命の夢とドン・キホーテの妄想との対応についてもあからさまですが、主人公が現在アロンソ・キハーダであり、かつての自分がドン・キホーテだったことに対する気づきが、かつてドン・キホーテだった自分の姿をまじまじと見せつけられるようにして気づく小説のラストからは、ノスタルジーと同時にユーモラスな恐怖のようなものを感じてしまいます。

読売日本交響楽団第504回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

指揮:ペトル・ヴロンスキー ピアノ:清水和音 モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491 《マーラー・イヤー・プログラム》 マーラー/交響曲 第5番 嬰ハ短調 本来であればズデニェク・マーツァルという指揮者が出場するはずだったが、震災の影響により出演キャンセル。ピンチヒッターとなったペトル・ヴロンスキーも同じチェコ出身の指揮者で来れる/来れないの違いって、本人の判断なのだな~、ということがうかがい知れる。ヴロンスキーの読響との共演は87年以来ということだ。外見はいわゆる爆演系が予想される感じなのだが、特別に奇をてらうような指示はなく、ドイツ系の下から音を積み上げるような音作りを手堅くまとめる……まあ、読響向けの指揮者だったと思う。 てっきり会場に着くまでマーラーのみの一曲プログラムかと思いきや、モーツァルトのコンチェルトがあった。ピアノ協奏曲第24番は、内田光子の演奏でよく聴いていたので親しみがある。こうした脳内の参照点に対して、清水和音がどういう演奏をしたのかと言えば、これも前評判通り、という感じ。「キレイな演奏をするが、何を弾いても一緒に聴こえる」というのが私が聞いていたこの演奏家への評価で、それを確認するような演奏だった。テクニックも申し分なく、ひとつひとつの音がキレイに響いていたように思えるが、それ以外「ここがすごい」と耳を惹きつける要素が特段ない。良い意味でも、悪い意味でも優等生的というか、日本の高級車みたいなピアニストなんだろうか。正直言ってあってもなくても良いモーツァルトだったと思うが、曲が良いので不満はない。定期会員になっていると、そういう風に一音足りとも聞き逃すまい! という意気込みはなくなってしまうが、流して聞くことができるから気が楽である。 後半のマーラーも手堅く、特別に何かがすごい演奏というわけでは無かった。しかし、そういう普通な演奏でも「ああ、マーラーって良いよねえ……」と楽しくなってしまうのが、マーラーの良いところで改めてこの作曲家のスペクタクル性というか、オーケストラから飛び出てくる音色の多彩さに気づくことができた。この点がダメな指揮者では途端に聴く気がしなくなるブルックナーとの違いなのだろう。曲の全体に対して聴き手の集中力を研ぎさせることなく聴かせる演奏でもなかったし、正直、途中結構ダレたけれども満足できてしまう。オーケ...

Caetano Veloso/MTV Ao Vivo Caetano Zii & Zie

ラテンアメリカ関連の話題が続きますが、本日はブラジルの大物ミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾの最新音源をご紹介いたします。こちらは2009年のアルバム『Zii & Zie』のリリース・ツアーからのライヴ音源。カエターノ大先生の作品が悪いわけがないのですが、スタジオ盤とまったく変わらないどころかスタジオ盤よりも伸び伸びと歌いあげる大先生のパフォーマンスは圧巻です。最高。2006年のアルバム『Ce』からのライヴ盤『Ce ao Vivo』(2007)も相当キレキレでしたが、このアルバムは旧作の曲も多く収録されていて、カエターノ・ヴェローゾのさまざまな魅力を存分に楽しめます。また『Ce』バンドの演奏も素晴らしく、とくにギタリスト、ペドロ・サーのファズ・ギターは好きな人には堪らない音色と演奏でしょう。ブラジリアン・サイケ特有のあの歪みをアップデートしたペドロ・サーは、現代最強のサイケ・ギタリストだと思います。CDは17曲収録で、DVDは23曲収録、さらにスペシャル・パッケージDVDは2枚組となって追加ディスクもつくという多面展開が悩ましいですが、CDを買った私は「おお……ここに入ってない曲も聴きたいぜ……(マイケル・ジャクソンのカヴァーとかも入っている)」とホントに煩悶させられました。 Amazonでの取り扱いがまだないようですが、タワレコ、HMV、ディスクユニオンなら普通に買えるみたい。ディスクユニオンが一番安いのかな? カエターノ大先生の関連作ではマリア・ガドゥという女性歌手とのデュオ・ライヴ盤のリリースも控えており、そちらも見逃せません。今シーズンはブラジルモノが熱い!

ホルヘ・ルイス・ボルヘス 『七つの夜』

七つの夜 (岩波文庫) posted with amazlet at 11.05.22 J.L.ボルヘス 岩波書店 売り上げランキング: 4249 Amazon.co.jp で詳細を見る 世の中には読書家と呼ばれる人種がございます。私もそうしたタイプの人間を自認するもののひとりでありますが「では、なぜ、あなたはそうも読み続けるのか」という問いに対する答えは人によって千差万別だと思うのです。「単なる暇つぶしだよ」と答える人もあるかもしれませんし、また同語反復的に「そりゃ読書が好きだからさ」と答える人もあるかもしれません。そうした無数の声のなかには「読むために、読む」というものもあるでしょう。ボルヘスがおこなった連続講演がもとになってできたこの『七つの夜』という本を読みながら、私は自分のなかにあるそうした声を自覚しました。ここ数年の私の読書は、ボルヘスを読むための読書だったのでなかろうか、と。ボルヘスを読むために、セルバンテスを読み、あるいはラブレーを読み、またはダンテを読み、そしてアリストテレスやプラトンを読む(そのなかでラブレーを読むために、アリストテレスやプラトンを読む、という風に連鎖が生まれていきます)。そうしたある種の教養がなければ、ボルヘスが描く世界を味わい尽くすことはできないのです。一方でそれらの教養を身につけさえすれば、ボルヘスの語りは読者を今・ここにある世界から別な世界へと連れ去る導き手となるのです。そして、ボルヘスの声・語り口を訳文に反映させたというこの講演録もまた、ボルヘスを読むために読まれるべきテキストと言えるでしょう。秘密をこっそりと打ち明けるように「神曲」、「悪夢」、「千一夜物語」、「仏教」、「詩」、「カバラ」、「盲目」といったテーマについてボルヘスは語ります。それはテーマについての批評的な意味解説・教育的な内容であるだけではなく、ボルヘス自身の世界について語られたものに他ならない。現実にはあらぬ無限、時間の流れや感覚が、ボルヘスの作品では幻想的に提示されますが、それは単なる幻惑や驚異を喚起するファンタジーという意味ではなく、違う宇宙を体験させる神秘主義的なテキストなのです。講演録のテキストは、そうした彼のフィクションの性格を明らかにするものでありながら、フィクションと彼の講演やエッセイの地続き性も強く感じさせます。(ボルヘスの詩を私は読ん...