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Yannis Kyriakides(ヤニス・キリアキデス)



Yannis Kyriakides(MySpace)

 先日もご紹介したガウデアムス現代音楽センターのサイト*1に掲載されていた名前を適当に調べてみる。目に付いたたのはキプロス出身の作曲家、ヤニス・キリアキデスのMySpace。1969年生まれとまだかなり若い方だが「現代音楽のフィールドにいる人がMySpaceをやっている」というのは、未だに衝撃的である。あと何年かしたらそんなの当然、やってないほうがおかしい――みたいなことになるんだろうか。


 現在はオランダ在住でオランダのポストパンクバンド、The Exと一緒に活動をしていたこともあり、エレクトロニクスを多用した作風などから「その方面」では日本でも既に名が知られているらしい(日本語で検索してもいくつか紹介しているサイトがヒットする)。MySpaceにアップされているものは確かに、流行りそうな風合いのものである。まどろむようなドローンと点描的な音素材が詩的に並び合っている。


yannis kyriakides

 実はこの人も「ガウデアムス」の出身者(2000年に入賞)で、作曲家の公式サイトではその受賞作品《a conSPIracy cantata》が聴ける(抜粋だが)。編集された短波ラジオの音(冷戦時代に各国が持っていた公安組織が交わしたものらしい)、謎めいた女性の唸り声、エフェクトがかけられた様々な楽器の音、そのような環境の中で「陰謀のカンタータ」が奏でられる――といったようなコンセプト(超要約)によって書かれた作品。これもなかなか好きな人が多そう。全体的な印象は「ポストミニマル世代のジャンルレスなアーティストのひとり」という感じ(自ら名乗る肩書きは「作曲家/メディアアーティスト/インプロヴァイザー」である)。個人的には《sea song》*2、《don't buy sugar/you're my sugar》*3、《hyperamplified》*4あたりが好きだ。



Wordless

Wordless






 アマゾンで取り扱っているCDはこちらのみ(2006年のアルス・エレクトロニカで佳作を受賞している)。収録された《wordless》*5は吉田アミに通じるような、鋼鉄のミニマリスム。一番すっきりしていて良いかも。ムダがない。






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