先日、妻と一緒に帰省した際に家族全員で松島に小旅行にいきました。そのときiPhoneで撮った写真を載せたりしてみます。日本三景のひとつと言われる松島には有名な伊達政宗の菩提寺があったりして、湾内の小島だけでなく見所がたくさんある。伊達政宗は派手好きな人だったらしく桃山文化取り入れ、仙台藩において独自の文化を育んだことがこうした名所から窺い知れるのがとても興味深いです。京都からも江戸からも離れていた遠い土地で、先行していた中央の文化を吸収して独自のものが栄える、という事象は、イタリア・ルネサンス絵画の影響から初期フランドル派が生まれたことと通じるものを感じてしまう。上にあげた写真は円通院の枯山水。円通院は、伊達政宗の孫で若くして亡くなった光宗の菩提寺で建立したのは正宗の息子、二代藩主忠宗だそうです。父親が派手派手なら息子は、ストイックな禅宗趣味だったのでしょうか。東北でこんなに立派な庭園が見れるとは知らずにいたので驚きました。
小石のなかに配置された岩は、松島湾の小島を表したものだそうです。これが海なのだとしたら、石の流れも波の流れを模さなくてはならないのでは……? と思うのですが、かなり本格的にイコノロジックな「神仏の庭」(庭で神仏的世界を表現する、という伝統的表現)で素晴らしかったです。
昨年の大きな地震で松島もそれなりのダメージを受けたと聞きましたが(湾内の小島のおかげで津波が弱まっていた、とはいえ)、円通院にはその名残らしきものは見えず。とても落ちついたパワースポットっぽい雰囲気がありました。
庭園内には小規模なバラ園もあります。伊達政宗がローマに送った使節団がバラを持ち帰った、という言い伝えがあるらしい。この支倉常長を代表とする慶長遣欧使節については、松田毅一 の『伊達政宗の遣欧使節』という本に詳しくあります。この使節団を送った伊達政宗の業績は、松島内ではかなり高く評価されて宣伝されているのですが、実際はそうでもなかった、とか。とはいえ、南蛮美術に興味を持つものとしてはかなり重要な史跡と言えるでしょう。ちなみに、この使節団を載せて太平洋を渡ったサン・ファン・バウティスタ号の復元船は、地震のときの津波でも無事だったそうです(こっちもそのうち観にいきたい)。
本堂では数珠作りの体験もできる模様。お寺と数珠作りの関係性は謎。
で、瑞巌寺ですが、こっちは本堂が修理中のため平成28年ぐらいまでメインどころが非公開! とのこと(地震の影響ではなく、平成20年から建物の保護のため、修理していたらしい)。その代わり、国宝で普段は非公開の庫裡や大書院、大霊屋(伊達政宗の正室の墓堂)が公開されていました。基本的に写真撮影禁止だったため、写真はありません。ここは宝物館なども素晴らしくて。この日は、白鴎楼文庫という地元の名士のコレクションからの企画展示を堪能しました。東東洋、小池曲江、生出大璧といった宮城出身の画家の素晴らしい絵が見れ、特に東東洋にはグッとくるものがありました(東北歴史博物館に多く収蔵されているようなので、また機会を作って観にいきたい)。
瑞巌寺は参道の杉並木の雰囲気がとても良いところなのですが、津波の塩害によって多くが切り倒されてしまうそう。ちょうど伐採がはじまる直前にいけたので、とてもタイミングが良かったです。あれだけ立派な杉並木が元通りになるためには何年かかるのか想像もできません。東北道を走っていて、塩害のため稲作を諦めざるを得ない元・田園地帯も目に入って、その荒涼感たるや、かなりグッサリやられる感じでした。松島の遊覧船乗り場にはまだガレキが残ってるところもあって、パッと見、通常営業しているようでしたが、まだまだ全快、とは言えないのでしょう。良いところなので応援したい気持ちになります。
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