坂本邦暢 『アリストテレスを救え 16世紀のスコラ学とスカリゲルの改革』に引き続き、7/6(木)、7/7(土)に立教大学で開催されたシンポジウム『人知の営みを歴史に記す 中世・初期近代インテレクチュアル・ヒストリーの挑戦』での各発表の動画からヒロ・ヒライさんの発表動画を観ました。ヒライさんの発表は2011年に発表された第2著作『ルネサンスの医学と哲学 : 生命と物質についての論争』(英語)で論じられている内容のエッセンスを分かりやすく紹介したものとなっています。
発表のなかで取り上げられているのはジャン・フェルネル(1497 - 1558)、ヤーコブ・シェキウス(1511 - 1587)、ダニエル・ゼンネルト(1572-1637)の霊魂論です(それぞれの人名に張られたリンクから、ヒライさんのサイト『bibliotheca hermetica』内の該当ページを参照できます)。これはルネサンス期の医学者たちが霊魂と身体との関係をどのように捉えたのかを追いながら、キリスト教神学とギリシア哲学との関係、そして霊魂論争と科学革命とのつながりがクリアになっていく興味深い発表でした。
中世以来の西欧の知識社会においてはアリストテレスの哲学が絶対的な権威として扱われていました。アリストテレス流の世界観では、世界は火・空気・水・土の四元素によってできている、という話はとても有名です。これらの四元素によってできあがったものは、いずれは滅びたり、また別なものになったりする。しかし、この考えは、キリスト教神学における「人間霊魂は不滅である」という考えと折り合いが悪いものでした。世界のあらゆるものが四元素でできているのであれば、霊魂もまた滅びたりするのでは、と問われたのです。そこで16世紀でもっとも影響力のある医学者のひとりであったフェルネルは「そもそも霊魂は物体じゃないので不滅である」という風に解釈しなおすことで、ギリシア哲学とキリスト教神学の調和を試みました。
そのつなぎ目に使われたのがガレノスの思想です。発表のなかでは以下の引用があります。ひとつはガレノスが依拠していたヒポクラテスのもの、もうひとつはフェルネルの『事物の隠れた原因について』という著作から。
次に紹介されるのはヤーコブ・シェキウスは、ルター派の人文主義者で当時大変人気のあった教師でした。彼は『種子の形成力について』という著作を記し、そこで説かれた形成力の概念は強いインパクトをもって迎えられたようです(形成力の概念については、以前に紹介しました『「ゲオコスモス」―キルヒャーの地下世界論』でも触れられています)。シェキウスはこの著作のなかで、生命の誕生の瞬間、身体へと霊魂が宿る瞬間の様子をこのように記述しています。
霊魂の乗り物、形成力による身体の形成、神による霊魂の創造。この段階を踏むシェキウスの霊魂論は、フェルネルのように霊魂が身体を出たり入ったりする、という点では似ていますが、人間霊魂が誕生時に神によって毎回創造されている、ゆえに人間霊魂は特別である、と理屈づける点で異なっています。また、シェキウスは、アリストテレスに代表されるギリシアの哲学者たちは創造主という存在を知らなかったので、霊魂の元はそもそも種子のなかに宿っていて、その種子から引き出される、という誤謬をおかした、と批判しました。
さて最後に紹介されるゼンネルトはどのように霊魂を考えたのでしょうか。まず、近年の哲学史、化学史においてゼンネルトへの注目が集まっている、ということが紹介されますが、ここで出てくるトピックのフレッシュな魅力が驚異的と言えます(ボイルやライプニッツらに影響を与え、そしてデモクリトスの原始論を初期近代において再考した人物なのだそう)。この発表では、彼の『自然学研究』という著作が紹介されています。
ここまでに紹介されてきたフェルネルやシェキウスと違い、彼は「霊魂は何かによって創造されたりするのではなく、天空からやってくるのではなく、勝手に増殖する機能が備わっているのだ」という風に考えていたようです。『創世記』にある主は、生物のすべての種の最初の霊魂だけを創造し「生めよ、ふえよ!」と言ったので、霊魂が勝手に増殖していった。これだけで霊魂の仕組みは説明できるので、霊魂が天空からやってきた、などという説明は不要である、とゼンネルトと言うのです。またシェキウスの唱える種子に霊魂が入ってくるアイデアも否定されます。ゼンネルトにとっての種子のアイデアは、以下のようなものです。
↑ヒライさんの件の第2著作(まだ、買えてません)。
発表のなかで取り上げられているのはジャン・フェルネル(1497 - 1558)、ヤーコブ・シェキウス(1511 - 1587)、ダニエル・ゼンネルト(1572-1637)の霊魂論です(それぞれの人名に張られたリンクから、ヒライさんのサイト『bibliotheca hermetica』内の該当ページを参照できます)。これはルネサンス期の医学者たちが霊魂と身体との関係をどのように捉えたのかを追いながら、キリスト教神学とギリシア哲学との関係、そして霊魂論争と科学革命とのつながりがクリアになっていく興味深い発表でした。
中世以来の西欧の知識社会においてはアリストテレスの哲学が絶対的な権威として扱われていました。アリストテレス流の世界観では、世界は火・空気・水・土の四元素によってできている、という話はとても有名です。これらの四元素によってできあがったものは、いずれは滅びたり、また別なものになったりする。しかし、この考えは、キリスト教神学における「人間霊魂は不滅である」という考えと折り合いが悪いものでした。世界のあらゆるものが四元素でできているのであれば、霊魂もまた滅びたりするのでは、と問われたのです。そこで16世紀でもっとも影響力のある医学者のひとりであったフェルネルは「そもそも霊魂は物体じゃないので不滅である」という風に解釈しなおすことで、ギリシア哲学とキリスト教神学の調和を試みました。
そのつなぎ目に使われたのがガレノスの思想です。発表のなかでは以下の引用があります。ひとつはガレノスが依拠していたヒポクラテスのもの、もうひとつはフェルネルの『事物の隠れた原因について』という著作から。
「地上にうまれ・生きる人間とその他の諸生物は、その起源をそこにもち、霊魂は天空からくるという以外には、天空や星々について私は何もいうつもりはない。」(ヒポクラテス『肉について』De carnibus 第1節)
「すべての不確かなことがらを排除するために、『受胎について』という著作のなかでガレノスが神的に語るつぎの言葉に耳をかたむけるがよい。「霊魂とは世界霊魂から下界に流れでてきたものであり、天界から由来し、知をあつかうことができる。それ自身と似たものをつねに好み、地上の事物を 投げすて、いつでもすべてのうちでもっとも高位のものをめざす。天界の神聖さをまとい、しばしば 天界を見つめ、すべての事物の支配者のそばに立とうとする。」この一節は、ガレノスの見解がまっ たくのところプラトンやアリストテレスのものから隔たってはいないことをしめしている。われわれ 人間の霊魂が非物体的であり不滅であるということを、彼らはひとつの声で語ったのである。」(フェルネル『事物の隠れた原因について』 De abditis rerum causis (パリ、1548年) 第2書第4章 )フェルネルは、ガレノスの著作から霊魂が、四元素が生成消滅をする月下世界のものではなく、その論理を超えた天界に由来するものである、ということを導き、前述の「人間の霊魂は不滅である」と理屈づけるのです。生成消滅する身体と不滅の霊魂は「つなぎの結び目」と呼ばれるものでつながっており、人間が死ぬときはその結び目だけが破壊され、霊魂は身体から自由になる、と彼はこうも考えました。天空からやってくる不滅の霊魂は、神的なものであり、それは四元素を超える第五元素(アイテール)を備えたものである。このようにアリストテレス主義はキリスト教神学と矛盾しないように解釈され、その後も影響力を保ち続けます。
次に紹介されるのはヤーコブ・シェキウスは、ルター派の人文主義者で当時大変人気のあった教師でした。彼は『種子の形成力について』という著作を記し、そこで説かれた形成力の概念は強いインパクトをもって迎えられたようです(形成力の概念については、以前に紹介しました『「ゲオコスモス」―キルヒャーの地下世界論』でも触れられています)。シェキウスはこの著作のなかで、生命の誕生の瞬間、身体へと霊魂が宿る瞬間の様子をこのように記述しています。
「人間の誕生では、霊魂はかの神的な乗り物とともに創造されるのである。人間霊魂は形成力によって物質から引きだされるのではない。人間霊魂は発生するのではなく、神に創造される知性の神的で 不滅の本質のおかげで、形成力を乗せた乗り物とともに種子のなかに挿入されるのだ。」 シェキウス『種子の形成力について』 De plastica seminis facultate (シュトラスブルグ、1580年) 第1書「霊魂の乗り物」によって、霊魂は身体を出たり入ったりするのだが、いったん霊魂は身体の元になる種子のなかに入ります(ここでの種子は、物質の源になる何か、と考えてください)。その乗り物には、形成力も一緒に積まれていて、まず、その形成力が種子から身体を形成し、それと同時に、神の御業によって霊魂が誕生します。そして、霊魂は物質的な身体を統御する役割を持ちはじめる(さらに霊魂がいったん身体を統御し始めると、形成力は霊魂に取って代わられてしまう)。このようなシェキウスの考えは、神的なものである霊魂と、それに従属する物質的な身体の役割をより一層明確にするものだと思われます。
霊魂の乗り物、形成力による身体の形成、神による霊魂の創造。この段階を踏むシェキウスの霊魂論は、フェルネルのように霊魂が身体を出たり入ったりする、という点では似ていますが、人間霊魂が誕生時に神によって毎回創造されている、ゆえに人間霊魂は特別である、と理屈づける点で異なっています。また、シェキウスは、アリストテレスに代表されるギリシアの哲学者たちは創造主という存在を知らなかったので、霊魂の元はそもそも種子のなかに宿っていて、その種子から引き出される、という誤謬をおかした、と批判しました。
さて最後に紹介されるゼンネルトはどのように霊魂を考えたのでしょうか。まず、近年の哲学史、化学史においてゼンネルトへの注目が集まっている、ということが紹介されますが、ここで出てくるトピックのフレッシュな魅力が驚異的と言えます(ボイルやライプニッツらに影響を与え、そしてデモクリトスの原始論を初期近代において再考した人物なのだそう)。この発表では、彼の『自然学研究』という著作が紹介されています。
ここまでに紹介されてきたフェルネルやシェキウスと違い、彼は「霊魂は何かによって創造されたりするのではなく、天空からやってくるのではなく、勝手に増殖する機能が備わっているのだ」という風に考えていたようです。『創世記』にある主は、生物のすべての種の最初の霊魂だけを創造し「生めよ、ふえよ!」と言ったので、霊魂が勝手に増殖していった。これだけで霊魂の仕組みは説明できるので、霊魂が天空からやってきた、などという説明は不要である、とゼンネルトと言うのです。またシェキウスの唱える種子に霊魂が入ってくるアイデアも否定されます。ゼンネルトにとっての種子のアイデアは、以下のようなものです。
「種子とは広い意味でも、狭い意味でも用いられる。広い意味では生物の発生に寄与するすべての物体のことである。それに対して狭い意味では非常にシンプルな実体、つまり精気であり、そのなかに霊魂と形成力が直接的に宿っており、自分の属する有機体のイデアを内包しているものである。」ゼンネルト『自然学研究』 Hypomnemata physica (フランクフルト、1636年) 第4書第6章ゼンネルトの種子のなかには最初から霊魂と形成力がやどっている。さらに、種子には雄の種子と雌の種子があり、それらが掛け合わされることによって、増殖していく。シェキウスの霊魂論では神が霊魂をいまも創造し続けているが、神は最初の創造のとき以外は奇跡を起こす以外に仕事をしていない、というゼンネルトの説はちょっと衝撃的に思えます。キリスト教における絶対的な神の力が弱まるような説明として聞こえるのですね。この神の驚異的な力が、学説からだんだん後退していく17世紀という時代だったのでしょうか?
Medical Humanism and Natural Philosophy: Renaissance Debates on Matter, Life and the Soul (History of Science and Medicine Library-Medieval and Early Modern Science Vol. 17)
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