Anthony Grafton 『Defenders of the Text: The Traditions of Scholarship in an Age of Science, 1450-1800』
Defenders of the Text: The Traditions of Scholarship in an Age of Science, 1450-1800
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Anthony Grafton
Harvard University Press
売り上げランキング: 103,650
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アンソニー・グラフトンの主著『Defenders of the Text(テクストの擁護者たち)』を読み終える。すでにヒロ・ヒライさんのサイトでお知らせがでているように本書はすでに邦訳の予定がある。なんでそんな本をわざわざ原書で読んでいたかというと、こちらの訳稿チェック作業にわたしが関わっているからなのだった。インタヴューを読むとわかるのだが、グラフトンはかなり生産的な人である。「フルタイムで書いてるときは、午前中だけで3500ワード書く日が週に4日あるよ(つまり、週約15000ワード)」とか彼は語る。このインタヴュイーによれば、1日に1000ワードで「普通の作家」だそうだから、通常の3倍からそれ以上の執筆量となる。
こういうマニアックともいえる人物が書く文章に、クセがないわけがない。文章自体が長過ぎるとか、極端に難しい言葉が頻出するとかではないのだが、彼一流の諧謔や皮肉、比喩表現が適宜投げ込まれてくる。これがなんとも日本語にしにくい。グラフトン的にはくすぐりをいれてきているに違いないのだが、日本語にすると思いっきりスベってしまう。彼の筆が走りまくっている勢いをどうにか日本語化すべく翻訳者の方もかなり苦労されているようだ。しかし、その甲斐あって翻訳はかなり上手くいっているのでは、と作業協力者的には思う(まだ作業途中だけれど)。
さて、本書の内容についても簡単に紹介しておこう。グラフトンはここで、ルネサンス期から初期近代の人文主義者たちがどのようにテクストをあつかったのかを描こうとしている。どんな風に読んだのか、どんな風に分析したのか、そしてどんな論争があったのか、という営みの歴史は、スモーリーによる『中世の聖書研究』にも通ずるだろう。たとえばこんな論争がとりあげられる。「古代のテクストは、今を生きる人がキケロのように優れた弁論家になるための模範として読まれるべきだ!(だから、古代のテキストが書かれた歴史的状況はあんまり重要じゃない)」という学者と「いや、そのテキストが書かれた背景を理解しないと、そのテクストを本当に読んだことにならないのでは!?」という学者がやりあっている。
こういう論争に目を向けると「どっちが勝ったの?」だとか「どっちが重要だったの?」だとか選択式の疑問が浮かびがちになり、「歴史どうでも良い派」対「歴史重要派」で、歴史上の人物をキレイにグループ分けして考えてしまう。しかし、グラフトンの議論には「いや、みんなこれまで『アイツは◯◯派だ』みたいにラベリングしてたけれど、そんなキレイにわけられなくね?」という根本的な問いかけがある。テクストの歴史的文脈を重要視していた人物が、あるときは古代のテクストから同時代的な教訓を抽出する。その逆もまたありうる。別な問題では、捏造された古文書をするどく批判していた人物が、よりひどい捏造に加担している例もある。わかりやすいラベリングが、その当時の知識人の実態を隠してしまうことがある。
また、ある人物が用いていた手法(たとえばテクスト分析や校訂)が画期的で、現代にも通ずるものだ、という評価を受けているとしよう。グラフトンの議論の仕方で特徴的なのは、そこで「しかし、実はその前にも、同じことをやっている人はいた」だとか「画期的なものに見えるかもしれないが、実はこの手法はありふれたものだった」と、ちょっと前に戻る点だ。ある人物をひとしきり褒めた(あるいは、批判した)のちに「でも……」とまるでそれまで言っていたことを打ち消すかのような話をはじめるので、議論が錯綜しているように読めるかもしれない。しかし、「ちょっと前に戻る」ことで主題となる人物の歴史的重要性が精緻に見られる。「実は当時ありふれた手法」のなかから「でも、ここはホントに新しいやり方だったよね」というポイントをあぶり出すのだ。
内容の紹介よりも、グラフトンの歴史記述についての話になってしまったが、わかりやすいラベルを剥がしてしまうと、当時の知的な営みは、なにか濁流のような、よくわからない動向に見えてくる。そこから議論を成立させるグラフトンという歴史家は、素人目にみてもスゴいものだ。彼が繰り出す痺れるフレーズも直に日本語で読めるようになるので、邦訳を楽しみにしていてほしい。
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