本書は主に16・17世紀の科学史をとりあげている。この時期は初期近代と呼ばれ、歴史的に重要な発見が数々おこなわれた時代であり、我々が生きる現代に続く時代として、またガリレオが裁判にかけられ、コペルニクスが地球と太陽をぐるりと入れ替え、ニュートンが落ちたリンゴを見て閃いた時代として一般的にも知られている。本書のタイトルにも用いられている「科学革命」という言葉は、そうした天才たちがつくった、迷信に満ちた過去から「現代」が颯爽とテイクオフするきっかけ、として理解されているだろうか。
本書は描いた科学史はまったく違っている。記述は、8世紀からはじまり、中世・ルネサンスの知識人たちの精神的基盤が説明される。一般的な(そして誤解をおおく孕んだ)歴史理解によれば、初期近代の天才たちは、それまでの「古い世界」を軒並み否定し、迷信に頼らないという意味での理性的な「新しい世界」を切り開いた、とでもされるだろう。それはガリレオが「宗教という根拠のない抑圧と戦った科学者」として描かれるファンタジーにも象徴されている。天才たちは、あたかも我々と同じ世界を生きた人物でもあるかのように振る舞っているのだ。
しかし、実際の天才たちは、我々からすれば驚くほど迷信に満ちた世界に生き、そしてその世界を信じていた。たとえば、コペルニクスの説を支持していたケプラーの研究の動機は、その説が「科学的に正しいから」ではなく、神学的な調和への欲求によるものだ。コペルニクスの体系によれば、天にある惑星は6つしかない。7つの惑星ならそれは世界のなかのさまざまな7(1週間の日数、7つの音階……)と調和するのに、どうして惑星は6つなのか。ケプラーの探求は、こうした世界の不調和に対する調律だったとも言えるかもしれない。
ケプラーの例は、科学革命の闘士たちが、古い世界を捨てた人物ではないことをわかりやすく示している。一般的な科学革命のイメージは、こうして矯正される。しかもそれは、中世・ルネサンスと現代のあいだに「初期近代」というまた別な時代があり、ある種の過渡期だったというような物言いにはならない。強調されているのは、科学の発展と変遷の連続性である。その区分がはっきりと見えないその歴史観は、もしかしたらわかりにくいものかもしれない。けれども、そのはっきりとしないながらも連続して進んでいく歴史のダイナミズムこそ、科学史の面白さだと個人的に思う。
さて、科学革命の話になるとこれまであげてきたように今日の天文学的に重要視された人物ばかりに焦点があてられがちだが、本書は星空ばかりを眺めて歴史を語っているわけではない。化学や医学、生物学といった領域もバランスよく紹介されている。また、神学的な要求や論争から生まれた多くの発見が、より実践的な(昨今話題となっている言葉を借りれば)「世の中の役に立つ科学」として活用されはじまる社会動向にも触れられている。コンパクトな新書サイズでこれだけのヴォリュームが語られるのは、かなり驚異的なことだ。魅力的な科学史のはじめの一冊として、たくさんの人の目にとまることが望まれる。
なお、現著者のプリンチペは、近著『The Secrets of Alchemy(錬金術の秘密)』も翻訳がでる予定とのこと。こちらも大変楽しみな一冊だ。
コメント
コメントを投稿