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平賀さち枝とHomecomings / 白い光の朝に

白い光の朝に
白い光の朝に
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平賀さち枝とホームカミングス 平賀さち枝 Homecomings
SPACE SHOWER MUSIC (2014-09-10)
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今年の夏に一番聴いた音楽は、NegiccoかHomecomingsのどちらかに違いない。どちらもわたしの心のソフトな部分にグッサリと刺さる大変エモーショナルな音楽だったのだが、その温度が冷めきらないうちにこうして新譜が聴けるのはありがたいことである。しかも、平賀さち枝とのコラボレーション、というではないか。リリースを楽しみにしていた一枚である。ともあれ、この平賀さち枝さんという女性歌手、これまでYoutubeでその歌声を聴いたり、インタヴューを興味深く読んだり、姿形を認識していたりした人ではあったのだが、実際に音源を買って聴くのはこれが初めてだった。

(平賀さち枝 / 江ノ島)
2012年に発売された彼女のアルバム『23歳』に収録されている「江ノ島」のPVがある。素朴な感じのお嬢さん(平賀さんご本人映像)がリュックサックを背負い、電車のなかでお菓子を食べたりする愛くるしい感じの映像である。彼女を敬して遠ざけるきっかけとはまさにこの映像だ。なんか、ちょっとあざとい、というか、ちょっとじゃねーよ、犯罪的なあざとさだ、と思ってしまったのだ。これは平賀さち枝さんご本人のせいではなく「こういう幼児的な、無垢な感じで売りましょう。新世代のフォークの歌姫的な感じでひとつよろしく」的なものがあったに違いない、と推測するのだが、それは違うんじゃないか、こんな、白痴めいた23歳がいるわけねーだろ、と思ったゆえに、長らく「気になるけど、ちゃんと聴かない歌手」として意識に留まり続けることになる。

いや、そんなことはどうだって良いんだ。この新譜が最高なのだから。4曲入り、1曲は平賀さち枝とHomecomingsによる共作のタイトル曲、2曲はそれぞれ平賀さち枝とHomecomingsによる単独名義での曲、残りはタイトル曲のやけのはらによるリミックス(このリミックスについては、なくても良かった、と思う)。一聴して、平賀さち枝の歌声に、参ってしまうのである。60年代ブリティッシュ・フォークの歌姫たちを想起させる可憐な歌声を支えているのは、Homecomingsのキラキラに輝くギターであり、コーラスであり、毎朝正確に3度聴き、泣きながら出勤している。

Homecomingsは単独作品では今回も英語詞で歌っているが、共作曲を聴き、やはり日本語で歌ってほしいな、と思った。英語詞の発音・内容・文法の拙さは可愛げとして理解できるのだが、ちょっと今回の曲は、英語の音節に関する無理解があまりに目立ってしまうのではないか。曲は良いんだけれど。

(しかし、このジャケット、人が吊るされているみたいに見えて、見るたびに不安になるな……)

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