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スラヴォイ・ジジェク 『ラカンはこう読め!』

ラカンはこう読め!
ラカンはこう読め!
posted with amazlet at 14.09.21
スラヴォイ・ジジェク
紀伊國屋書店
売り上げランキング: 61,344
スラヴォイ・ジジェクによるラカン入門書読む。原題は「How to read Lacan」で、そのまんま「ラカンの読み方」ということなのだが、ジジェク曰く「ラカンを理解する最良の方法は、ラカンのように世界を読み解くこと」とのことであり、通常考えられるような入門書とは違った体裁の本である。「大文字の他者」だとか、そうしたラカン用語に関する説明はほとんどないため、本書の帯に記載された「訳者あとがき」からの引用——「この『ラカンはこう読め!』は、これまでに出た最良のラカン入門書であると断言してもよかろう」——を信じてしまうと「サギだ」ということになりそうだ。本書に適切なタイトルは『ラカンこう読め!』だろう。実際には、ラカン入門のふりをしたジジェクによる批評本である。

以前ジジェクの別な本を読んだときにも思ったけれども、こういう本がどういう風に受容されているのかはよくわからない。現代社会に面白いほどハマりすぎる分析や警句は多いものの、現実の政治や社会をリードするものではないし、ジジェクの批判(というよりも皮肉がたっぷりこめられた読解)の対象となる人々に彼の言葉が届いたとき、不快以外のなにを残すのだろうか、と思う。たとえば、ジジェクは、ラカンによる言語の「二重の運動」について説明する際、こんな小噺をだしてくる。
ここに一組の夫婦がいる。彼らは浮気をしてもいいということを暗黙のうちに認め合っている。もしいきなり夫が、進行中の浮気について赤裸々に告白したら、当然ながら妻はパニックに陥るだろう。「もしただの浮気だったら、どうしてわざわざ話すの? ただの浮気じゃないんでしょ?」
ある言明のメッセージが事実を伝えるだけでなく、象徴的なメッセージとともに伝えられる。これ自体はとても普通のことだが、陰謀論者はこのうち後者のメッセージの読み取りが過剰であり、社会病質的である。しかし、社会病質者、という言葉を投げられた陰謀論者は、それすらも陰謀の一種として理解するだろう。現代の快楽主義的禁欲主義の氾濫の指摘だとかめちゃくちゃ面白いんですけどね。ジジェクって一流の現代思想芸人なのだと思う。

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