以前ジジェクの別な本を読んだときにも思ったけれども、こういう本がどういう風に受容されているのかはよくわからない。現代社会に面白いほどハマりすぎる分析や警句は多いものの、現実の政治や社会をリードするものではないし、ジジェクの批判(というよりも皮肉がたっぷりこめられた読解)の対象となる人々に彼の言葉が届いたとき、不快以外のなにを残すのだろうか、と思う。たとえば、ジジェクは、ラカンによる言語の「二重の運動」について説明する際、こんな小噺をだしてくる。
ここに一組の夫婦がいる。彼らは浮気をしてもいいということを暗黙のうちに認め合っている。もしいきなり夫が、進行中の浮気について赤裸々に告白したら、当然ながら妻はパニックに陥るだろう。「もしただの浮気だったら、どうしてわざわざ話すの? ただの浮気じゃないんでしょ?」ある言明のメッセージが事実を伝えるだけでなく、象徴的なメッセージとともに伝えられる。これ自体はとても普通のことだが、陰謀論者はこのうち後者のメッセージの読み取りが過剰であり、社会病質的である。しかし、社会病質者、という言葉を投げられた陰謀論者は、それすらも陰謀の一種として理解するだろう。現代の快楽主義的禁欲主義の氾濫の指摘だとかめちゃくちゃ面白いんですけどね。ジジェクって一流の現代思想芸人なのだと思う。
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