Haruki Murakami
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文庫では上下の2冊にわかれているが、英訳のペーパーバックは1冊400ページ弱、それなりのヴォリュームがある本だが、面白くて一気に読んでしまった。Alfred Birnbaumの訳が良かったのかもしれない。もちろん日本語で内容を知っていたこともあるけれど、こんなに英語がスラスラと読める経験はこれまでになく、村上春樹が書く文章のリーダビリティーは、この英語版でも失われていなかった。ここ最近、わずかながら翻訳に関わっていることもあり(英語 → 日本語と、英語 ← 日本語という矢印の違いがあるとはいえ)「翻訳ってこんな風にやっても良いんだ」と勉強になる部分もあった。
たとえば「村上春樹の『やれやれ』」はこんな風に訳される。以下は、大雪の日に、主人公がユキを託されるシーン。
「やれやれ」と僕は言った。それから僕はふと思いついたことを口に出してみた。「ねえ、その子ひょっとして髪が長くて、ロック歌手のトレーナーを着て、ウォークマンを聴いていない、いつも?」これが英訳では、
「そうよ。何だ、ちゃんと知ってるんじゃない」
「やれやれ」と僕は言った。
(講談社文庫版 上巻 P.199)
"Great," I said. Then the thought occurred to me. "It wouldn't happen to be a kid with long hair and rock 'n' roll sweatshirts and a Walkman, would it?"となる。「やれやれ」に対して、特定の言葉が与えられているわけではなく、文脈に応じて、意味が与えられている。「やれやれ(Great)」、「やれやれ(Fun for the whole family)」。もう一度日本語にするならば「Great(まったく)」、「Fun for the whole family(家族揃って愉快なもんだ)」などと読めるだろうか。これを編集的翻訳と呼んでもも良いかもしれない。
"The very same. How did you know?"
"Fun for the whole family."
(ペーパーバック版 P.106)
あるAmazonのレヴューでも指摘されているとおり、この翻訳は逐語的な訳ではない。それどころか「アレ? あの部分は?」と思って原著を確認すると、ガッツリとカットされている箇所も多々ある。その点を低く評価しているレヴュアーもいるけれど、わたしはこの編集的翻訳ヴァージョンを、少しも村上春樹の小説らしさを損なっていないもの、と思った。リーダビリティーの面でも、文章のリズムにおいても。そうした「らしさ」を残しつつ、文章を英語的に馴染ませているのだ。
いうまでもなく、完璧な翻訳など不可能だ。日本語の装飾(たとえば男女による語尾の違い)が翻訳によって削られ、作者が想定していた登場人物の像とズレが生ずる可能性もある。とくにわたしには、英語で語られるセリフは、原著の登場人物の年齢を2、3歳引き上げているように感じられた。英語版のユキ(13歳)はもっと大人びていて、ちょうどトラン・アン・ユンの『ノルウェイの森』における水原希子を想起させたし、ユミヨシさんは原著なら貫地谷しほり、英語版なら吉高由里子にお願いしたい(ただし、どうやっても五反田君は吉田栄作なのだが)。ただし、それはズレ、というネガティヴな捉え方よりも、作品の新しい読みを提供するものとしても読める。
ペーパー・バック版の裏表紙には、ある書評からこんなフレーズが引用されている。「もしレイモンド・チャンドラーが『ブレード・ランナー』を観るまで長生きしていたなら、『ダンス・ダンス・ダンス』のようなものを書いているかもしれない」。英語版で今回読みなおしてみて、こんなにこの作品を射抜いている言葉はないと思った。英語に翻訳され、小説の舞台である1983年の風景が削られることで、その風俗小説性というか、俗っぽさが薄まり、小説の構造的な部分が見えてくるのではないか、とさえ感じるのだ。
この作品では、村上春樹作品の典型的なヒロインである、主人公を強烈に導いていく巫女のような女性が、ピタリと主人公に張り付いているわけではない。アドヴァイザーの能力は、さまざまな人物に分配されていく。だから、主人公はあちこちを、東京、札幌、ハワイ、北海道を移動し、歩かなくてはならない。ただ、単にシャレオツな場所でシャレオツな音楽を聴いて、ベラベラとユーモラスな会話をしているだけではない。彼は、人のあいだを行き来することで、情報を得て、少しずつ核心に近づいていく。そういう探偵小説めいた要素が英語版ではよく見える。もっとも、その移動は『007』シリーズのような観光映画っぽさも想起させるのだが。
ここまで原著と英訳の違いにポイントをおいて感想を書いてきたが、改めて魅力的な小説であると感じた。ラストの性急さには不満を覚えなくはないけれども、探偵小説的に読者を刺す仕掛けには再度ドキリとさせられてしまった。それから書いてあること自体は『羊をめぐる冒険』、『海辺のカフカ』、『1Q84』なんかとあまり変わらないのだが『羊……』と比べると『ダンス……』は、ずっと超越的な存在であったり、悪しきものであったりの抽象度が高まっているように思う。悪そうなものは、たとえば馬鹿馬鹿しいほど高度に発達した産業社会的なものに象徴されるのだが、その象徴に結びつくものが『ダンス……』のほうがずっと遠くにある。小説の書き方において、ギアの入り方があきらかに変わっているのだ。
最後に、翻訳家の岸本佐知子による公開トークをもとにしたネット記事を紹介しよう。そこでは翻訳を勉強している聴講者が「翻訳が上達するアドヴァイス」を求めて質問をしている。それに答えて曰く「英語に訳されている日本の作家、村上春樹さんや小川洋子さん、あるいは川端や三島といった古典でもいいですが、彼らの小説の英訳の一部を自分で日本語に訳して、原文と比べてみるというのも良いトレーニング法です」と。わたしは邦訳の教材としてこの英訳を読んでいたわけではないけれど、この本はたしかに翻訳の練習教材としてもピッタリだと思ったし、それから「英文を読み通す訓練」にもちょうど良さそうだ。
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