指揮=下野竜也読響を定期的に振っている指揮者のなかで、もっとも個人的な趣味と合わないのが「正指揮者」、下野竜也。プログラムの組み方は興味深いのだが、なんかいまいちよくわからない指揮者である。 個性がマイルド過ぎる、のか。ドイツの作曲家、アリベルト・ライマン(初めて名前を聞いた人だ)の日本初演は割と古風な現代音楽、といった印象で特別な印象がもてなかったし、シューマンはあのモヤッ〜としたオーケストレーションが、モヤッ〜だけで終わっている感じがし、その奥からサムシングが聞き取れませんでした。2曲目のヴァイオリン協奏曲もオーケストラがひたすらモヤってるだけで、あの美メロ、あの力強さがグッとこない。なんかトロい。若いソリストの音も淡白だったので今ひとつ物足りない(が、さすがに若者。アンコールはパガニーニをバリバリに弾きまくっていて、シューマンだけじゃ弾き足りないかのようでした)。最後の交響曲第2番も、美しいメロディを丁寧に歌わせ、ファースト・ヴァイオリンをこれでもかと主張させていましたが、その主張は全体的なバランス感を失調させていた気が。それがシューマンの狂気的なところなのかもしれませんが、もったいないですよね。せっかく良い曲なんだから。
ヴァイオリン=三浦文彰
ライマン:管弦楽のための7つの断章 -ロベルト・シューマンを追悼して-(日本初演)
シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
シューマン:交響曲 第2番 ハ長調 作品61
テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ
コメント
コメントを投稿