スキップしてメイン コンテンツに移動

マイケル・ファラデー 『ロウソクの科学』



ロウソクの科学 (岩波文庫)
ファラデー
岩波書店
売り上げランキング: 48925

冒頭にファラデーの略歴があり、貧しい出自から体当たり精神とでも言うべき生き様で学者として認められ、科学史に大きな業績を残したことを知る。私にとってファラデーとはとても懐かしい名前で、完全に個人的な思い出話なのだけれども、中学時代の担任の先生が理科の先生で、学級だよりの誌名が『ファラデー』だったのだ。たぶん、先生はその由来を書いてくれていたのだと思うけれど、苦労した立身出世の人だとはまったく覚えていなかった。イギリスの王立研究所で教鞭を取るだけではなく、少年・少女に向けた公開講義にも熱心だったのは、自分がかつて教育で苦労したからなのだろうか。

本のもとになった講義は1860年のもの。驚いてしまうのはここで登場する実験の数々が、自分が中学のときに実際にやったものばかり、ということで。例えば、亜鉛に酸をかけると酸素が発生する、とか、水に電気を流すと水素と酸素に分解される、とか、懐かしすぎて、通っていた中学校の理科室のにおいまで思い出してしまいそうになる。

でも、この本の魅力は序盤の「ロウソクってなんで燃えるの?」というところに尽きた。正直、後半は中学の勉強で知っていたこと、もうすでに学校の勉強の枠組みで覚えてしまっていたことだったから、まるで復習みたいに感じてしまうのだよね。水は水素と酸素でできている、そしてそれは電気を流すと分解できる。そういう世界の仕組みを教え込まれてしまっている。「水はなにでできているの?」だとか疑問を持つ前に。

ここでファラデーは、ランプとロウソクを比較してみせる。ランプもロウソクも基本的には、燃料が芯となるものを伝わって火を灯す道具だ。でも、ランプと違って、ロウソクは個体なのに、どうやって燃料が炎のあがっている場所まで運ばれるの? といきなり問われたら、え!? たしかに、なんでだろう、と思ってしまう。この「日常にあったものが、急に不思議なものへと転倒するマジカルな問いかけ」がとても良い。ファラデーの解説を読んでしまえば、あ、そういうことだよね、知ってた、知ってたわ〜、と言いたくもなるのだが、一瞬、なんかロウソクってすごいんじゃないか、と思わせられてしまうところにヤラれた。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」