ベンヤミン・コレクション〈3〉記憶への旅 (ちくま学芸文庫)
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ヴァルター ベンヤミン
筑摩書房
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ふと昨年旅行したパリの写真を眺めていたら、ベンヤミンの晦渋な文章が読みたくなった。
私にとってのベンヤミンという人は、近代社会のファンタジーを鋭く考察し、布置連関(星座)のなかで文学を読み解いた批評家ではなく、出来事の一回性と記憶、そして記憶のなかにある出来事への憧憬とその反復について書き続けたエッセイストという読み方になる。ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション』の第3巻はこうした記憶にまつわるエッセイを集めたものだ。収録されている作品には旅行記のようなものもあり、そこにはまさにパリにまつわる文章があった。この本を読んでいるあいだ、ブニュエルの映画のなかに収められたパリの風景に出会っただけで、旅行の記憶がよみがえり、その経験が繰り返されるたびに憧憬は強まった。単なる感傷、をベンヤミンの文章は肯定してくれている、とも思う。ベンヤミンの文章が、彼の生前、どのような読者層から読まれていたのか、は知らない。けれども、これを好んで読む人は、きっとずいぶんと感傷的な人物だったに違いなく、時空を超えてその感傷的なドイツ人と握手したいような気分に駆られなくもない。
「過去には戻れない(だが、戻れないから憧れるのだ)」。一言で言ってしまえば、なんの感慨もないこの感覚は『1900年頃のベルリンの幼年時代』の最終稿からこぼれた「字習い積み木箱」というエッセイの冒頭で端的に示される。
いったん忘れ去ってしまったものを、再びそっくりそのまま取り戻すことは、決してできない。もし取り戻せたならば、そのショックは非常に破壊的であって、この瞬間私たちは憧憬というものを理解しなくなるにちがいない。しかし私たちは憧憬をそのように理解しており、しかも、忘れたものが私たちのなかに沈みこんで埋もれていればいるほど、その理解もそれだけ深くなるのだ。(p.612)ドイツの文学者たちの書簡をとりあげたエッセイ集『ドイツの人びと』でもこの感覚はたびたび触れられる。幼年時代に見た夢のような光景(あるいは夢そのもの)、模倣(ミメーシス)によって得られた理解、誤解にもとづく幻想。こうした記憶への憧憬は、アドルノの未完の著作『ベートーヴェン』の前半部分へと引きつがれていく。が、魅力的なのは断然ベンヤミンだ。1900年頃のベルリンに育ったユダヤ人の子どもの生活と私の幼年期とでは重なるものは少ない。しかし、まどろむような調子で綴られた文章は、ベンヤミンの記憶の断片が輝く瞬間を少しずつ見せてくれるようで楽しい。
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